成功哲学とカイロプラクティック


自己啓発書の世界的ベストセラーである「思考は実現化する」/きこ書房(原題 Think and Grow Rich)などの著者として知られるナポレオン・ヒル。

 

初版から既に70年以上、和訳が刊行されてからも随分と経ち、近年では文庫化もされていますから、本書(含む旧版)を読まれたことのある人も多いのではないでしょうか?

私も若かれし頃に、本書(旧版の「成功哲学」/日本経営合理化協会)を読んだことがありますが、ヒル氏は「思考は実現化する」の中で、彼の息子のブレアについて、多くのページを割いています。

ブレアは生まれつき耳が聞こえなかったが、彼と家族の愛と信念との結果、少しずつ耳が聞こえる様になり、最終的には補聴器を付ければ完全に聞こえるまでに聴力が回復し、その後も彼は自己実現を果たした・・という話であったと記憶しています。

ところで、本書には全く書かれていないのですが、ナポレオン・ヒルの「思考は実現化する」のブレアの物語には、後日談があるのです。

「思考は実現化する(原題 Think and Grow Rich)」が刊行された後、85歳になったヒル氏は、雑誌のインタビュー記事で、ある告白をしています。

彼は「思考は実現化する」の中で、息子ブレアの聴力が回復した話を著したが、そこには書かれていない重要なことがあり、それは、ブレアの聴力が回復したきっかけは(実際には)カイロプラクティックを受けたことによるものだった・・というものでした。

「生後18ヶ月まで、ブレアの聴力は皆無に等しかった。医師の叔父達はもちろん、著名な専門医達が、あらゆる検査をしてみたが、彼らは皆、この子の聴力は一生戻ることはないだろうと私に言った。」
「しかし、奇跡は起こった。私は家族の反対を押し切って、カイロプラクターのもとにブレアを連れて行き、アジャストメント(調整)を受けさせたのである。」

「そして、通院を始めてからおよそ一ヶ月が経った頃、私はブレアの耳が聞こえ始めたことに気づいた。私が彼の背後から拍手をすると、彼はその音に反応し振り向きはじめたのである!そう、カイロプラクティックが息子の聴力を回復させたのだ!!」

「その後、ブレアは4歳になるまで、カイロプラクティックを継続的に受け続けた。その時点で、彼の聴力は65%程回復していたため、彼が小学校~高校、そして大学で学ぶのには充分であった。その後、ブレアの聴力回復に感銘を受けたAcousticon社が、彼のために特別な補聴器を開発してくれた。カイロプラクティックと新しい補聴器のサポートにより、ブレアの聴力は100%回復したのである。」

こうした事実を隠してきた(書籍に著さなかった)理由は、書籍を執筆した当時、ヒル氏の二人の叔父が医師をしていたため、息子(甥)がカイロプラクティックを受け、聴力が回復したことを公表する(医師である叔父たちに迷惑をかける)ことはできなかった...とのこと。

その当時、医療分野の独占を推進していた米国の医師会は、カイロプラクティックをインチキ療法とみなし、カイロを批判し、弾圧していました。そうなれば当然、カイロプラクティック側も西洋医学のやり方を批判しましたから、両者はまるで犬猿の中。身内に(西洋医学の)医者がいれば、カイロプラクティックなどもっての外...という時代背景がありました。補: 医師会VSカイロ

しかし、すでに叔父達が他界していること、そしてカイロプラクティックへの感謝の気持ちが、告白に踏み切った理由の様です 。

それでも、彼は「思考は実現する」の中で、彼とカイロプラクティックとの関係についてを、こっそりと著しています。

本書のあるページで、アイオワ州ダベンポートのパーマー・スクールから講演を依頼され、講演に行った時の話が著されています。

パーマースクール?文章中には、カイロプラクティックの名前などは全くありません。

パーマー・スクールとは、カイロプラクティックの創始者D.Dパーマーが、アイオワ州ディブンポートに開設した最初のカイロプラクティック学校のことです。(当時は二代目のB.Jパーマーが校長、現パーマー・カイロプラクティック大学の前身)

本書で、パーマー・スクールで講演を行ったヒル氏は、そこで会った人達から「貴重な話」を聴いたため、講演料(礼金)をもらうことを辞退した・・と著しています。

すでに自己啓発のカリスマであったヒル氏が、講演料を辞退する程の貴重な話とは、いったい何だったのでしょう?

当方の推察になりますが、これこそが、ブレアの聴力が回復するきっかけとなった話であるに違いない、と考えられます。つまり「カイロプラクティックの話」です。

ヒル氏は、パーマー・スクールでカイロプラクティックに関する情報(貴重な話)を得て、カイロプラクティックがブレアの聴力が回復するのに役立つ可能性があると考え、実際に(ブレアに、そして彼自身も)カイロプラクティックを試してみたのでしょう。

そもそも、カイロプラクティックが誕生したのは、19世紀末の米国で治療業を営んでいたD.Dパ-マーが、難聴だった男性の背骨を調整したところ、男性の聴力が回復したことがきっかけでした。

ですから、ヒル氏が、医者達では治せなかったブレアが抱える問題をカイロプラクターに託したのは、必然的であったとさえ言えなくもありません。

また、カイロプラクティックのアジャスト(調整)がブレアの聴力を回復させたのだとしても、ヒル氏の「息子の耳はいつか必ず聞こえるようになる」「周りから反対されても、自分が正しいと思うことを貫く」という強い信念こそが、彼とブレアをカイロプラクティックに引き合わせたのだと言えるでしょう。
...まさに「思考は実現化する(和名)」です。

そして、ヒル氏は次のように述べています。

「私はブレアと共にカイロプラクティックのアジャストメント(調整)を受け始め、50年経った今でも継続して受けている。病気だから受けているわけではなく、健康の維持と病気予防のために受けている。」

「私の健康の秘訣とは、よく食べ、情熱と愛情を持って働き、やさしさを持って人と接し、定期的にカイロプラクティック・アジャストメント(調整)を受けることである。」

「耳の聞こえなかった私の息子、そして85歳になったこの老人の人生を変えてくれたカイロプラクティックに、心から感謝している。」 と。