1月31日(火)

 国民の「義務」と住民の「責務」      「防犯条例」について考える   
  

 来週2月8日(水)開催予定の経済環境委員協議会で、防犯に関する取り組みについての協議事項の中で、「松本市防犯に関する条例(案)」に関して議論が行なわれる。

 11月16、18日日誌ですでにお伝えしてあったが、11月16日の委員協議会で、委員長として結論を持ち越す意味で「聞きおいた」とまとめ、12月15日から28日の間行われたパブリックコメントを経ての議論となる。
  パブリックコメントで寄せられた意見は、40通を超えたようだが、条例制定を危惧する団体からの、「寄せられた意見」の公表を求める申し入れに対して、市側は、公文書公開条例による方法以外公表しないこと、そして、こうした「意見」については、「(条例制定後の)運用の中で配慮する」と、条例制定を前提とした回答を行なった。
 「 寄せられた意見」については、8日の委員会に何らかの方法での公表を求めるつもりだが、 もともとパブコメで行なったわけだから、事前に市民への公表を行なうべきだ。  
  そして、条例制定によって危惧されることについては、議論の時間を保証すべきだ。

 さて、本条例案に関しての論議として、前回の委員協議会では、「拘束力」と「実効性」のことが話題となった。
 これでは、「生ぬるい」、現在駅前で起きていることを規制できないという意見が多くて、こうした条例が持つ宿命として結果をお伝えした。

  (詳細は、11月 18日 16日 付け日誌をご覧下さい )

 そのときは、当日の委員会での協議内容との関係だけを主にお伝えした訳だが、この「防犯条例(案)」に関しては、根本的な問題の一つに「市民の責務」条項のことがある。

  条例案については、ここをクリック
 
  住民の安全の確保と防犯のうえで、自治体の総合的な施策や住民の防犯活動が適切に行われることは当然です。
  また、犯罪の予防と検挙はもともと警察の「責務」です。
  行政としてもそうした施策を行なうのは当然のことですが、警察の活動が不十分な中で、やむにやまれず行なわれる自主的、自発的な防犯協会や町会を中心としたパトロール活動が行なわれています。
  今回の松本市の条例制定を希望する町会の皆さんや議会での発言もそうしたことを背景としています。
  しかし、警察や行政の「責務」と「市民の責務」という問題は、性格の違うことであり、分けて考えなければなりません。
  パブリックコメントでおそらく寄せられている条例制定「反対」意見の少なくないものが、そうした点に関する危惧を表明しているものと思われ、全国的にも、長野県下でも、そうした危惧がある故、制定を見送ったりしている自治体が生まれています。

 もともと、憲法は、時の為政者、政府に守らせる立場から作られているが、そんな中でも、国民に義務を課しているがそれは次の3つだけである。
  順に言うと
第26条の義務教育
第27条の勤労の義務
そして、三つ目が第30条の納税の義務です。
  それ以外は、憲法は国民にその「義務」を求めていません。

 地方自治体の条例についても同様で、住民の「責務」を定める場合には特別の配慮が求められます。
  ちなみに松本市の場合でみると、「市民の責務」を定めている条例は、私の調査では、全部で、13条例しかありません。

  13の条例に関しては、ここをクリック

 その中には、「責任として果すべきつとめ」として妥当と思われるものもありますが、首を傾げたくなるものや、たとえば「松本市部落差別をはじめとするあらゆる差別撤廃と人権擁護に関する条例」に見られるように、市民の内心にまで及ぶことを「強制することにつながる危惧」があるものまで制定されています。
  (私たちは、この「差別撤廃と人権擁護」条例には、明確に反対しました。)

 「責務」を辞書で引くと

せき‐む【責務】 :責任と義務。また、責任として果すべきつとめ。 (広辞苑)

  となっています。

 当然、
条例にうたわれれば、「努力目標である」といっても、場合によってはかなりの強制力を伴いことになります。  
  責務の内容に沿わないとみなされれば、「条例に反する行為だ。」とも言われかねないものでもあります。  

 そうした意味で、私は、この間も 「市民の責務」と、条例にうたわれるときは、かなりの慎重に対応して、その態度を決めてきました。  
  「責務」条項が妥当なものなのか、それが欠けると、現在起きている問題の解決を難しくするのか、それを吟味すること。
 また、もう一面として、「責務」条項があることによって、
少しでも危惧されることがあるとすれば、そうした条例の制定には慎重であるべきと考えてきました。  
  地方自治体は、国からの独立という側面と同時に、「住民自治」という考え方に基づいて運営される以上、行政と市民との間での「協働」「協力」ということを必要とする場合があります。
 その際、 やってはいけない「行為」として規定されている場合は、こうした条例の可否の判断は比較的容易ですが、
  市民の「想い」や、「内心」に係わることに及ぶ場合には、
たとえそれが「協働」の課題であったにしても、「協働」の名による強制やそれをしないことに対する「批判の的」になってはいけないと思います。
 また、防犯という事から、お互いが監視しあうようなことを生むよう事は、絶対にあってはならないことです。
 
 
今回の条例案については、そうした危惧はまったくないと言い切れるのか。この基準からの検討を加え、住みよい安全な社会の構築のために、現在問題になっていることを解決する上で、役立つもの、(たとえば現在ある条例を修正するなりして効力を持たせるなど  例としては、松本市違法駐車等の防止に関する条例 には、地域指定や、行政主導の協議、協力組織の育成・助成など、が含まれています。 )
  は何かという立場から検討し、2月8日の今度の委員会には臨みたいと思います。

 ぜひともご意見をお寄せいただければ、幸いです。

 

 

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1月30日(月)

 「襲われたという事実は認められない。」  第5回懲罰特別委員会   
  

 午後1時半より、第5回懲罰特別委員会が開かれた。
  今回は、前回行なわれた目撃証言の結果に関しての集約が行なわれ、事実認定と今後の委員会審査の方法が確認された。

 議会事務局からは、前回の会議録が今日の会議までに事前に委員には配布され、目撃者証人の結果に関して、まったく目撃しなかった24人を除き、目撃した議員13人に関する証言の一覧(別紙)が、本日配布された。
  (前回証人に立たなかった議長に関しては、文書で「まったく目撃していない」旨の文章が提出された。)

 委員長が事実確認に関しての意見を求めたので、私は、
  「吉江議員が行為があったとする場所においては、襲われたというその事実は認められない」
  と発言した。

  尚、吉江議員は、行為のあった場所としては、「議場出入口付近において、私が歩いているところを、背後から襲われた。」といっている。

 議論の中では、経過すべての事実関係の確認を求める委員の発言もあったが、この際、いわばビデオテープの再生のようにその経過の一部始終に関しての事実認定の必要はないと考えたので、私は改めて、争点となっている、吉江議員が「突然襲われるという事件」があったのかなかったのかの事実認定のみで十分であることを主張した。

 証言を総合すると吉江議員が「現場」と主張する議場で入り口に於いて、身体的接触があったとする証言はひとりだけで、もしかすれば接触すらなかった可能性もある。
  いずれにしても、12月27日日誌でも書いたように、「襲われる事件」はなかったといえる。
 
  委員各人からの発言を受け、委員長は、次のようにまとめた。
  「各議員の証言内容から、上條洋幹議員が吉江議員を襲ったという事実は認められない。 よって、当委員会は、上條洋幹議員の処分要求を妥当なものと認定する。」とまとめた。
  それに対しては全員一致という事で確認。
  続いて小原委員長は、
  「ただいまの認定により、当委員会は吉江議員に対し、懲罰を科すことを確認する。」
  とまとめ、具体的な懲罰の中身に関しては、次回の特別委員会の議題となった。  

 13人の証言内容に関しては、ここをクリック
  (議会事務局がまとめた一覧表から、議員名をアルファベットに私が変えました。)

 次回、第6回委員会は、2月6日(月)午後1時半からです。

 

 

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1月28日(土)

 大町市増員選挙で、旧八坂村へ   
  

 29日投票で行なわれる大町市の合併の伴う増員選挙、八坂村、美麻村(いずれも定数1)の選挙の応援に、26日(木)に続き、八坂村に行ってきた。
  今日は、投票日前の最終日。
  最後のチラシの全戸配布のために、横瀬、菖蒲、石原という地域に入ってきた。

 菖蒲という地域には、家は4軒ほど確認できるが、住んでいるのは1件のみ。
  石原という地域でも、確認できた家に入ろうと入り口の坂を上っていくと、そこはやはり空き家。そして次に続く家へは、結局裏口から入ることになった。
  配っていく中で、お話も何軒かできた。
  比較的集落が固まっているところが横瀬という所だったが、それでも2から3軒ほど空き家が目立つ。

  「私ら、若けいしょにお世話になっているので、言うと通りにするだけ。」
  「合併といってもわからない。今度の選挙もよくわからない。」
  と、ほとんど会話にならないものだった。

 そうこうしているうちに、相手候補の宣伝カーが、伴走車を1台連れて、私たちの車の後をつけてくる形になった。
  偶然とは思えない。
  途中で車を道の脇に止め、やり過ごしたが、案の定途中から引き返して2台とも戻ってきた。
  そして1人が車から降りてくるなり、「あんたらは、どこの共産党だ。」とかなり乱暴な声がけをされた。

 チラシをお届けして別の場所に移動すると、ある集落に続く入り口道路には、1台の軽トラックが、まさに進入をふさぐ形で止められていた。
  「見張り番」だ。
  そして、その後も1台の車に追いかけられた。

  合併しての心配事は、とお聞きすると
  「200円バスができたが、いつまで続けてもらえるのか。」
  「八坂には、いい小学校ができているが、づっとこの学校へ孫たちが通えることだできるのか。」
  などの心配ごとが出される中で、

  「旧村内には、5つの建設業者があったが、合併のよってすでに大町市内の業者が仕事をしに来ている。5社のうち残れるのは2社だけという事が聞かれる中で、自分は3社のグループに入るか、2社のグループで残れるかの心配がある中で、先行きのことを考えての選挙となっている。みんな語らないのはそうしたことが背景にある。」
  と言う声も聞かれた。

  「村の選挙」のしこりは、100年残るとも言われている。
  残念ながら、これ以上の会話ができなかった選挙応援だった。

 夕方からは、最後の訴えを行う候補者とともに候補者カーに乗って、アナウンサーを務めてきた。

 

 

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1月25日(水)

 「今年は、かなり変わり始める年だと思ってワクワクしている。」   
  

 今年も新年会がいくつか行なわれ、開催団体の責任者の方とか、来賓の方のあいさつを聞く機会が多く、また自分もそうしたあいさつを行なう場面が何度もあった。

  「今年は景気が少し上向き傾向で、その時流に乗り遅れることなくそのチャンスを生かす年に」
  「昨年の介護保険の負担に続き、今年は更なる負担が押し寄せてくる。自民党が大勝した中で、ますますくらしは大変。正直今年も明けましておめでとうと心からいえない年明けです。」

  などなど、昨年からの思いも込め、それぞれの立場からのお話がある中で、今日の中信勤労者医療協会の新年会での松本協立病院院長の乾杯の発声の際のごあいさつは、実に共感できるお話だった。

  「少なくない皆さんから、『今年も正直、おめでたくない』年と言われることが多い中で、私はそうは思いません。」
  具志堅院長は、まずこうきりだし、続けた。

  「3年半前から院長の職にあるが、医療分野への荒波の連続だった。
  しかし最近のマスコミの論調には、医療へのコメントが、客観的、好意的、平等な視点が増えるなど変化が見られる。郵政民営化の後は、アメリカからの圧力は医療分野に向けられているが、批判的な立場での報道が少しづつだが見られる。
  昨年までは、日本の先は見えない、展望がない、と思っていたが、ライブドアなどの事件も出て、今年になってちゃんと変わって来ていると思える。『牛肉問題』も然り。
  今までは、起こっていることが見えなかったが、見えはじめれば、マスコミも国民にも判断力がある。
  今年は、かなり変わり始める年だと私は信念をもって思っている。 目の前のたいへんさだけ見れば確かにそうかもしれないが、これから変わるチャンスになっている。
  私は、そうした意味で、今ワクワクしている。」(主旨)

  このように話を結び、乾杯した。

 どうしても、小泉内閣の「大勝」を引きずっての今年の幕開けという事もあり、暗い気持ちで新年を迎えている人が多い中で、マスコミの役割の部分を除き、実に共感できる納得できたお話だった。

  さて、そのマスコミだが、「ホリエモン逮捕劇」から、すでに時間が経過する中で、やはり次のようなコメンテーター、司会者の発言が出始め、特集の仕方も少しずつ変わって来ている。

  「ネガティブな面だけでなく、ホリエモンが時代的に果たした役割をどう評価するかが大事だ。」
  「自民党が、選挙の時応援しただのなんだので、国会の質問時間を費やすのは時間がもったいない。年金問題など他のことをやって欲しいもんだ。」
  「今度の事件は、ホリエモンの『モラル』の問題。いやそうじゃない、経済活動にはモラルも何もないんだ。」  
 などなど、断片的なメモになるが、このような論調の現れが目立つ。

 予想されたように、明らかに変化が見られる。

 物事には、現象と本質がある。 今度の事件を見る際に、誰がこうした事件が生まれる温床を作ったか、許したかを究明することが、本質も探る上で、そして見失わないために重要だと思う。  
  そして、物事の本質は、関係者の口からしばしば漏れるものである。
  今回の場合は、
  ホリエモン自身の「小泉内閣の規制緩和のおかげで、非常に商売がしやすくなっています。」発言と同時に、
  注目すべきは、安部晋三現幹事長の「小泉内閣が構造改革をすすめなければ堀江氏は出てこなかった。」(05年8月17日TBS番組)発言だ。  

 マスコミが、昨日までの段階では志位委員長の質問を取り上げて、「規制緩和万能路線が、事件の土壌をつくった」事を伝えたが、耐震偽装問題など一連のことを含め、ここに事件の核心があることは誰もが気がつくことだ。  

 それがやはり枉げられてきている。

 しかし、「今年がかなり変わり始める年」であることに変わりはないと私も確信する。

 

 

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1月24日(火)

 「規制緩和万能路線が、ライブドア事件の土壌をつくった」   
  

 夕方から夜にかけてのTVマスコミに、志位委員長が何度も登場した。
  これだけ何度も放映されるのは、最近では、実に珍しいことだ。

 志位和夫委員長が今日の衆院本会議でおこなった代表質問の部分で、「ライブドア事件」に関する部分の大要は、以下の中身。

  「この事件の根本にあるのは何か。ライブドアが株価つりあげに使った手法は、株式交換、株式分割、投資事業組合という三つの手法を組み合わせて「錬金術」を行うというもの。 株式交換は九九年の商法改正で導入されたもの。」

 「 株式分割も二〇〇一年施行の改正商法で自由勝手にできるようになったもの。事件の根本にあるのは、自民党政治が進めた規制緩和万能路線ではありませんか。」

 「 安倍官房長官は「堀江さんの仕事の成功は、小泉改革の成果、規制緩和の成果だ」とのべていました。首相は、自分の進めた規制緩和万能路線が、ライブドア事件の土壌をつくったという認識と反省がありますか。  首相はいまになって他人事のような発言を繰り返していますが、「人の心はお金で買える」と公言してはばからなかった堀江氏を、「改革の旗手」などと「勝ち組」のリーダーとして持ち上げ、党運営への協力を仰ぐことまでしたのは、小泉首相、自民党ではなかったか。その責任をどう自覚されているのか。」

 テロップは、各社ほぼ共通、「規制緩和万能路線が、事件の土壌をつくった」と報じた。

 これに対する、小泉首相答弁は、根拠を示さず「批判はあたらない」と述べただけだった。

 「3つの手法」を組み合わせた錬金術。   
  解説は、ここをクリック  1     2   

 そのうちのひとつ、株式分割に関して言えば、これも例の「年次改革要求書」によるアメリカからの要求に基づくもの。
  それを受けて直ちに当時の経団連(現日本経団連)も政府に対して、「商法改正への提言」の中で、株式分割に関する規制撤廃を要求しています。
  2001年の商法「改正」で、それまでは、(1)株式分割後の額面総額が資本金の額を超えないこと(2)株式分割後の一株あたり純資産額が五万円以上であること―という規制がありましたが、無制限医できるようになり、ライブドアは2003年に100分割、楽天も2002年2004年の2回 10分割をおこなっています。
  アメリカは、国内ではそれなりのルールを作っていますが、日本に対しては、「バブル」効果の弊害が生まれることを承知の上で日本に押し付け、日本政府はアメリカ言いなりになったものです。

 明らかに、土壌を作ったものにほかなりません。

 今のところというかこの時点までは、マスコミも本質に迫る報道を行っているが・・・。

 

 

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1月23日(月)

 「負担」の増大と「格差」の拡大、そして健康悪化   
  

 24回党大会関連文書(決議、報告など一連の文書)のなかで、「初めて」という言葉が使われているところが、一箇所だけある。
  志位報告の中でふれている、「戦後初めての異常事態」としてふれている次の部分だ。

 国民全体の所得が連続的に減少するなかで、貧困層が広がるという事態は、戦後初めての異常事態であります。
  かつて一九七〇年代初頭、当時の高度経済成長のなかで、「新しい貧困」が問題とされたことがありましたが、この時問題とされたのは、国民の所得水準が全体として向上するもとでの、「公害問題」など生活環境の破壊、長時間労働による健康被害など、新しい形での貧困でした。
  ところが、今日おこっているのは、一九九七年をピークに九八年以降、連続的に国民全体の所得水準が絶対的レベルで減少するなかで、貧困層が広がるというきわめて深刻な事態です。

    24回党大会の特集の部分は、ここをクリック

 そして、もう一つ重要な分析に、大会関連の時点では強調されなかったが、志位委員長が国会議員団総会で紹介した「小泉内閣は、"負担押しつけ王"であり"史上最悪の借金王"」の暴露の部分がある。

 詳細は、ここをクリック   (最後のほうに具体的なグラフと図があります。)

 昨年の暮れの12月定例市議会で、私は「負担の問題」をテーマに代表質問を行なったが、重要な事は、負担の押し付けと同時に格差の拡大という事態が進行し、そしてその事が健康をも害しているという調査結果が出ているという事だ。
  たとえば、こちらをご覧下さい

 松本市の国民健康保険証の問題に関しては、この間、前市長時代に何度か市議会で取り上げてきたことがある。
  「短期保険証」と「資格証明書」の発行問題だ。
  松本市は、この3ヶ月、6ヶ月の有効期限しかない「短期保険証」(中には1ヶ月未満というケースもある)と「資格証明書」の発行数が、ダントツで県下1位2位を争っている。

 続く)

 

 

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1月22日(日)

 「小泉劇場」から、社会的反撃の「劇的」な情勢が展開する年に   
  

 今日は、2箇所で新年会が行なわれた。
  一つは、午前中に行なわれた安曇野市堀金「ほりでーゆ」で行なわれた波田町の共産党後援会の新年会。
  もう一つは正午から始まった中条の町会新年会。  

 波田町後援会の席では、24回党大会の報告も兼ねてのあいさつの場を頂いた。
  日頃、日本共産党にご協力を頂いている皆さんという事もあり、昨年のお礼を述べながら、私は次のように報告を行なった。

 昨年は、選挙がたくさん行なわれた年でした。
  結果は、小泉劇場の大勝で、残念ながら木島日出夫さんの議席を獲得できなかった。
  また波田町の町長選挙、町議補欠選挙ではいずれも皆さんにご協力いただいた結果が出ず、「合併を選択する」町長の誕生という結果となった。
  「自民党は勝ちすぎて心配だ。」という声も寄せられましたが、正直、選挙の結果だけ見れば、これからどうなってしまうのかという気持ちにさせられる年でした。
  しかし、今度の24回党大会で解明したように、小泉首相が構造改革として進めてきた「新自由主義」の経済路線、「官から民へ」「勝ち組負け組」という、人命よりも大企業の儲け優先、人間らしさより利潤追求の弱肉強食の社会の弊害は、すでに昨年のJR福知山線の事故に続き、昨年の耐震偽装問題、そしてライブドアのことなど、目に見えてその矛盾がほころびはじめている。
  堀江社長は、すでに報道されているようにいずれ逮捕されるでしょう。
  この流れは、自民党政治の危機と行き詰まり根底にある、3つの異常な特質の内の、「極端な大企業中心主義の異常」の結果としてますますこの矛盾の現象と本質が明らかになる。
  今年は、そうした意味で、昨年とは違った私たちの頑張り、連帯の力としていかんでは、それが社会的連帯としての社会的反撃として、社会を住みやすく前進させる意味で、実に重要な年になる情勢と確信します。 ぜひこうした流れに確信を持って、ともに力をあわせて頑張りましょう。

  そして、今週のしんぶん赤旗「日曜版」は、実にその編集がこうした事態を物語り、さらに党大会の中身にもふさわしい記事になっていることを紹介した。

 今週の日曜版(本日1月22日付)では、「新自由主義」路線は、中東をはじめとして、南アメリカで失敗・破綻していることを地図入りで報道している。  
  ぜひこちらをご覧下さい。

 参加者から、「新自由主義」の意味がよくわかったとの感想をもらった。

 さて、マスコミも「テレビ劇場」として、「ライブドア問題」の本質に触れるような報道をし始めた。
 しかし、いずれも必ずや途中から、この「劇場」はシナリオの書き換えが行なわれ、問題の本質が隠される形となる。
 今度の問題は、堀江社長が自社の機関紙で、「小泉内閣の規制緩和のおかげで、非常に商売がやりやすくなっています」と公言している事に見られるように、自民党政治路線の破綻を自ら暴露したところにその本質がある。  
  詳細は、少しずつ明らかになるだろう。
  確実に、政治の潮の流れ、潮目は変わっていく。

  ところで、正午から始まった中条町会の新年会の席には、民主党下條みつ衆議院議員が顔を見せ、あいさつを行なった。  
  私に限らず、参加者は、耐震偽装の問題での、リアルな本人からの「国会報告」を期待した。
  ところがなんと、それについてはほとんど触れることなくあいさつを終えてしまった。  
  違和感を覚えたのは私だけではなかったはずだ。
  本当に何で、その話がなかったのか疑問だ。

 

 

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1月21日(土)

 「弱者の切り捨て」はしかたがないことではない   
  

 先日、1月16日に新春恒例の松本市議会主催の「松本市議会経済懇談会」が、講師に日本銀行松本支店長松永哲也氏を迎えて、「長野県内の今年の経済動向」と題され、議員協議会室にて行われた。
  私は、同時進行で行なわれた松本市水田農業推進協議会に出席していたので、講演の方は聴けず、議員協議会室に帰ってくると質疑応答が行なわれていた。

 そんな中注目したのは、菅谷市長が質問したことだ。
  毎年行なわれてこの「経済懇談会」。  参加した議員が質問したことは毎年のことで珍しいことではないが、市長の質問は私の記憶では、菅谷市長が初めてだ。  
  そして、注目点は、その中身でもあった。

 市長は次のように質問した。
  「経済動向で言うと、ゆっくりだが、よい方向に向くと言われているが、中小企業が多い松本の経済と言う点で言えば、大企業や海外に行っているところはよいかも知れないが、2極化していくだろうと言われている。 松本の経済と言う点で言えば、中小企業の中では、『勝ち組』、『負け組』という流れが出ているが、その見通しは。またそうなるとするならば、それをいかにして防ぐかの方法はありますか。」

  それに対する松永氏の話は、次のようだった。
  「グローバル化と構造改革、構造調整は避けられない。 国も地方も財政が悪化している中で、構造調整はやらざるを得ない。 構造調整の中で、従来型の公共事業であるとか、 税収は、都市圏が2/3 使うほうは、地方が2/3という構造。 都市部には、(こうした実態について)反抗心がある。都市部は(構造改革、構造調整を)やるべきと考えている。 消費税も上がる可能性が高い。 2極分化とかは、構造調整の中では、弱者の切り捨てはある程度しかたがない。 スピード調整を緩和することが必要かとは思うが。  構造改革は避けられないですので、少しよくなった時に気を引き締めてやるしかない。」

  松永支店長さんには、まことに申し訳ないが、さしずめ、「質問しなかったほうが良かった。」と思わせる話の中身だった。

 今年のキーワードは、小泉構造改革の「新自由主義」にあることが改めて解る。
  昨年は、小泉自民党が「大勝」して、誰もが心配した瞬間だった。  
  それが、4月のJR福知山線事故をはじめとして、耐震偽装、ライブドアと「ちょっとおかしいぞ」という展開になってきた。

 「弱肉強食」の社会は、もともと動物界の世界。人間らしい社会とは無縁だ。

 

 

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1月20日(金)

 「新しい協働」は、人間らしく暮らせる安全・安心のまちづくりの土台作りに不可欠   
  

 24回大会は、自民党政治の危機とゆきづまりの根底に、
  「世界の他の資本主義国にも類例のない、自民党政治の三つの異常な特質がある。」
  事を解明し、
  「過去の侵略戦争を正当化する異常」
  「アメリカいいなり政治の異常」
  「極端な大企業中心主義の異常」を明らかにしているが、
 
  その3つの内、3番目の大企業中心主義の異常のなかで、貧困と社会的格差の新たなひろがりに関して、次のように分析している。

  「ルールなき資本主義」のもとでの貧困と社会的格差の新たなひろがり……
  雇用と所得の破壊、中小零細企業の倒産・廃業・経営難がすすむもとで、九〇年代末から貧困と社会的格差の新たなひろがりが重大な社会問題となっている。 低所得層の増大という傾向が顕著にすすんでいる。

  生活保護世帯は百万世帯を突破した。教育扶助(生活保護)・就学援助(生活保護に準じる水準世帯の児童・生徒におこなう給食費や修学旅行費、学用品などの援助)を受けている児童・生徒の割合は、12・8%とこの十年で二倍以上になった。貯蓄ゼロの世帯が急増し、23・8%に達している。年金はわずか月数万円、貯蓄もないという高齢者が増えている。  

 国際比較でみても、日本における貧困層と社会的格差の広がりは顕著である。OECD(経済協力開発機構)の調査では、日本の貧困率(全世帯の等価可処分所得の半分以下しか収入のない世帯を貧困としてその人口比率を出したもの)は、15・3%に達している。貧困率は、調査した加盟二十五カ国のなかで第五位で、OECD諸国の平均10・2%を大きく上回っている。  

 これらの根底には、人間らしい雇用の破壊がある。大企業・財界は、中高年への「リストラ」と新規採用抑制によって、正社員を減らし、派遣や請負、パート、アルバイトなど非正規雇用への置き換えをすすめ、労働者の三人に一人、若者の二人に一人は、不安定雇用のもとにおかれ、極端な低賃金や無権利状態に苦しめられている。
  政府は、「労働法制の規制緩和」の名で、財界の横暴勝手を全面的に支援してきた。
  連続的におしすすめられた税制・社会保障改悪も、貧困と社会的格差の新たな広がりをつくり、それに拍車をかけている。

 

 少し長くなった引用だが、松本市の現状との関係で、1999年から今年度2005年度の就学援助認定者数の推移を職員の協力いただいて調査してみた。  

 夕方から、松本市社会福祉協議会鎌田支会の毎年恒例の新年会が、夕方6時から開かれることもあり、こうした事実をお知らせし、「社会的連帯による社会的反撃を」の訴えをしたくて、事前に原稿を準備して、臨んだ。  

 鎌田支会でのあいさつの原稿は、ここをクリック

 乾杯の後の懇親の席で、何人もの方から、
  「そんなにも、就学援助を受けている人が増えているのですか。」
  「まともな、いい話を聞かせてもらった。」
  などの感想をお寄せいただいた。
  誰もが、今の社会の在り方を心配している。
  「新しい協働」は、必ずや誰もが人間らしく暮らせる、菅谷市長が目指す安全・安心のまちづくりの土台を作り上げることにつながることを、ひとりでも多くの皆さんに訴えて行くことの重要性を再認識させられた。

 

 

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1月17日(火)

 「状況付与」  初の図上訓練   
  

 今日1月17日は、阪神淡路大震災が起きて11年目。
  「状況付与」聞きなれない言葉ですが、例年、防災訓練が行われてきたが、今年は初めてロールプレイング方式の図上訓練が、午前9時からと午後1時半からの2回、総合体育館で行われた。
  松本市図上防災訓練実施要綱によれば、直下型地震(M8.0 震度7 を想定)発生後の災害対策本部の模擬訓練で、状況判断能力・災害対策能力等の向上を図るもので、私にとってもはじめての経験だ。

 関係者は、大きく「コントローラー」=統制部と「プレイヤー」=演習部の2つに別れ、事前には演習部の関係者には知らされていないシナリオ=状況付与計画に基づき241件の「状況」が、ほぼ10分刻みに出され、それに対して「総務・政策部」「健康福祉部」「上下水道部」などの部門が、お互いにおきた状況に応じて、判断し、意思決定・処置していく過程が目の前で繰り広げられた。
  さながら、私には「選挙事務所」という印象だが、職員の方々もまさに初めての経験で緊張感が伝わってきた。

 この訓練方式は、やはりアメリカ仕込のもので、CPX(Command Post Exercise=図上訓練)と軍事訓練によく使われる方法だが、(「状況付与」という言葉は、何の直訳か?)、参加者からのアンケートなどをとり、今回の訓練の結果・経験・教訓を明確にするというが、かなり興味のあるものだ。
  できるだけ早くの公表を期待する。

 この訓練に関しては、昨年の17日の総合防災訓練の際、菅谷市長から行なわれることが表明されていたもの。

 

 

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1月16日(月)

 「現場」は、「2箇所」。      第4回懲罰特別委員会   
  

 午後1時から、第4回目の懲罰特別委員会が開かれた。
  既報通り、第1回目の懲罰特別委員会において、「多数決」により今回からは「秘密会」ということになっていたが、小原仁委員長は、開会のあいさつの後次のように切り出した。

  「審査に先立ちまして、前々回の委員会におきまして、本日の会議からは公開しないということで協議いたしましたが、正式にはその日の会議の都度決定する必要がございます。その後、全国的な動向を調査をいたしましたところ、平成16年に設置された各市議会の懲罰委員会はすべて公開をされている状況でございます. したがいまして、私といたしましては、当委員会は公開することにいたしたいと思いますが、いかがでしょうか。」

  それに対して、 前回あれほど頑強に「秘密会」を主張した委員も、今日はそろって、「異議なし」と呼び、私のほうから公開で行うことの提案をする必要がなくなった。
  正直、割り切れないものがなかったわけではなかったが、正論が通った形なので、私も異議なく認めた。

 委員長は、
  「それでは、そのように決定させていただきます。」と続け、審査に入った。
  よって、こうして皆さんに「秘密会」でなくなったので、お知らせできることになります。

 さて、今日は、議員による「目撃証言」。
  議長と該当の2人の議員を除き、36人の議員よる証言が行なわれた。

  まず、共通していたのは、「襲われたという事件性」についての認識はなく、そのため誰もその場では、「何かあった」程度の記憶だったことがわかる。
  証言の中には、「入り口の外で倒れるような行為をしていた。」「あたかも襲われたような雰囲気の行動をとっていた。何を大げさなというように私は思った。」 というものもあった。

 前回1月6日の日誌で、 「襲われた」行為があった場所については、
  「吉江議員の議席付近」と「議場出入り口」と大きく異なっていることが判る。
  とお伝えしたが、どちらの場所かということが問題なのではなく、どうも問題にされている場所は、「2箇所」に特定でき、 上條議員が「触れた場所」は、議場内であり、吉江議員が「襲われた場所」は、議場の外、それも議場の出入り口と吉江議員の控え室の間の僅かの距離の間という事がわかる。

  上條議員が自ら「触れた」事を認めた場所については、吉江議員は、問題にせず、でもその場では、「触らないで下さい。」と「3回」声を発している(らしい)こと。それが第一の現場。  
  そして、その後2人が移動する中で、「第二の現場」が、出入口付近、議場を出たロビーで、そこでも「触らないで下さい」の声が発せられている(らしい)こと。
  そのため、目撃者や該当者の間の「場所」の認識の違いができていることがわかった。  
  そして、第一の現場では、該当する議員同士の接触はあったが、第二の現場では、接触があったとの証言はなかった。  
  どうやらそういう事であることが理解できた。

 次回は、1月30日午後1時からと確認された。  
  第1回、2回の議事録をあらかじめ委員が精査した段階での委員会開催という事になる。
  それまでに、詳細な「記録」が手元に寄せられる予定です。 必要ならば、詳細を明らかにできます。

  (追伸:遅ればせながらの発信です。)

 

 

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1月15日(日)

 社会的連帯と社会的反撃が未来を開く   
  

 早朝の日曜版の配達の後、一般新聞各紙を見た。
 「不破議長が退任」いずれもこの見出しが、1面にあった。  
  朝日新聞は、「勇退」と報じた。  
  ある新聞は、「『院政時代』の見方も」と書いた。
  (この新聞は、3面の記事を通じても一貫して「退任」と言う言葉を使っている。)  

 マスコミにとっての今度の大会の関心事は、この1点にあることは、だいぶ以前から伝わって来ていた。
 3日目(13日)の討論が終結した時点で、中央委員、准中央委員候補名簿が発表された時、マスコミの記者は、用意された記者席(ベランダ)から双眼鏡を使って、代議員の手元にあるその文書をしきりに覗き込んでいたことにも現れている。  
  仮にその時点で、「不破哲三」の文字がその文書から落ちていれば、14日の新聞にこうした記事は載ったのだろう。

  不破議長が、議長職を退いたことの経過等については、不破前議長自らの発言を読んでいただくのが一番いい。
  不破哲三前議長の発言はここをクリック

 今度の大会は、新しい綱領を決定してのはじめての大会。
  内外の情勢分析、党の政治的進路を明らかにするという点で、その生命力を見事に発揮した綱領に基づき、採択された大会決議は、歴史的視野、世界的視野――二つの大きな視野から自民党政治のゆきづまりを明らかにし、このゆきづまりの打開方向、たたかう方針を、全面的に明らかにしているのが一番の特徴だが、その点に関して報道したマスコミは今日見たものの中には残念ながら見当たらなかった。  

 24回党大会の特集は、ここをぜひご覧下さい。   ここをクリック

 以下今後続く)

 

 

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1月13日(金)

 「新自由主義」の経済路線と地方政治   
  

 今度の24回大会の決議(案)は、小泉「構造改革」について、『新自由主義』の経済路線として次のように特徴づけた。

  「小泉内閣が、『構造改革』としてすすめてきた『新自由主義』の経済路線――大企業の利潤追求を最優先にし、規制緩和万能、市場原理主義、弱肉強食をすすめる経済路線は、日本経済と国民生活の矛盾をあらゆる分野で深刻にしている。」

 そして、志井委員長は、中央委員会報告の中で、次のように報告している。
  「『構造改革』の考え方に共通するのは、国民の中に『対立』をつくり、『分断』をはかることである。『公務員労働者と民間労働者』、『現役世代と高齢者』、『労働者と自営業者』、『働く女性と専業主婦』など、意図的に『対立』をつくり、暮らしを壊す政治に反対する勢力や運動を、『既得権益』を守るための『利己的』行動とえがいて攻撃する。これが常とう手段である」
  「こうした国民分断の攻撃にたいして、社会的連帯を大きくおしだし、その立場にたった反撃とたたかいをすすめることが重要である」

 実は、この「新自由主義」の経済路線に関しては、私たち議員団も何度もその本質と地方政治への表れ、それとのたたかいというテーマで、具体的に松本市政との関係で、何度か議論を繰り返してきた経過がある。

 次回に続く)

  (注:熱海市にPCを持ち込んで、書き込んだメモに関して、少しずつ加筆してお知らせします。)

 

 

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1月12日(木)

 「深い闇の中にいる青年の思いに応えられるのが共産党です」    党大会二日目    
  

 党大会の会場は、JR伊東線熱海駅から2つ目、伊豆多賀駅からかなり離れた標高約200mの山の上にある。
  急な上り坂が続き、普通に歩るけば約40分のところにある。
  この党大会の会場には、活動者会議や議員会議、直近では、01年の1月の第47回中央党学校など何度か来たことがある。
  全国から集まった約1000人の代議員は、この山を下った相模湾の海岸線に沿って、分泊する。
  私たちの長野県の代議員の宿は、伊豆多賀駅からさらにもうひとつ下田よりの網代駅を降りたところにある。  

 昨夜は、新網代トンネルをくぐって、宇佐美方面まで足を伸ばしたが、今夜は、その宿から伊豆多賀駅方面まで、走ってきた。  
  以前にも走ったことがあるので、大体コースはわかっていたが、夜だったので意外と早く伊豆多賀駅の手前まで到着、帰りに、海岸線を走ってくると浜辺に「三九郎」が、組み立てられてあった。  
  松本では、すでに燃やしてしまったので、この辺では何時燃やすのか、近所に派出所があったので、聞いてみたところ、燃やすのは、15日で、この辺では、「どんどん焼き」、ないしは「どんと(ど)焼き」ということが解った。  
  松本では、ご存知「三九郎」というが、この呼称は、実は松本に来てはじめて聞いたもの。
  私の実家の中野市では、「どんど焼き」といっていたので、懐かしい響きだった。

 さて党大会二日目。
  発言者の体験・発言が、自らの経験とも重なり、会場は、ハンカチで目を抑える代議員の姿が多かった。

 そうだ。何とかしなければいけない。
  「共産党の人たちならば、今の青年の思いにきっと応えられる。『対立』と『分断』は乗り越えられる」
  「まっすぐに前を見て、新たな一歩を踏み出そう」  
  そうした決意で会場が文字通りひとつになるという討論が終日続いた。

  そんな中でも、「青年の実態は、涙なしには語れない」と切り出した千葉県の神部紅(じんぶ・あかい)さん(23)。
  「他者をけ落とさないと、自分の幸せもないと思い込まされ、深い闇の中にいる青年はたくさんいる。そんな青年の思いに応えられるのが共産党です」の発言は、会場の左上2階で参加していた海外代表の涙をも誘った。  

 千葉県 神部紅(じんぶあかい)さん(23)の発言(要旨)は、ここをクリック

 私も例外ではなく、発言が続いた後の休憩時間に、眼鏡をはずしたら、その眼鏡には乾いた大小の丸い曇りが両方のレンズに残っていた。
  今回の大会では、青年の発言が多かった。
 そうした発言は、私にとっても何人もの方々の顔が浮かぶものだった。

 

 

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1月11日(水)

 日本共産党 第24回党大会始まる   
  

 午後1時開会。
不破議長の挨拶は、開会の宣言の後、内外から参加した来賓の紹介が行われた。
私は、党大会は初めての参加だが、紹介された国の数は、おそらく過去最高ではないだろうかと思う。
続いて、2004年1月に開かれた前大会以来、亡くなった7396人の共産党員に対して、24回大会の名において黙祷が行われた。
中信地区委員会でも何人かの方がこの間亡くなったが、とりわけ私にとっては昨年2月に亡くなった義父のことを思い浮かべた。
24大会の名のおいて、追悼でき、新しい日本をめざし、私たち家族とともに頑張ってきた義父の思いにも心を寄せることができた。


不破議長は、続いて、
「前回の党大会で、党綱領の43年ぶりの抜本的改定を行ったが、その新しい綱領は、日本共産党に新しい視野と、新しい活力を与えた。
新しい視野という問題では、
1つは、日本の前途を長期の展望をもって照らし出す科学的な羅針盤という力。
もうひとつは、世界の流れを広い視野で見通し、日本の政治をその中で発展的に位置づけることができることができるようになった」ことを明らかにした。
そして、大会の任務は、「その綱領を指針にして、この2年間の活動を総括した大会決議の決定と党中央役員の選出にある」ことを明確にした。
 

 日本共産党の大会は、2年に一回開かれるが、たとえば、自民、民主などの大会と違って、大会そのものの日程が長いだけでなく、その準備も、大会決議案は、すでに2ヶ月前から、全国の組織での討論が行われて、今日を迎えている。

続いて行われた志位委員長の中央委員会を代表しての報告は、そうしたこの間の各党組織での討論と新しい情勢の変化を加えながら行われた。
 新しい情勢問題では、いずれも大会決議案の先駆性、その指摘を証明する中身となったことを明らかにした。
 
詳細は、発表される報告をご覧下さい。

その印象は、ただ決議案を補完するにとどまらない、全体としてたたかう姿勢をかなり鮮明にした勢いあるものに聞こえた。
今までの決議案に対する報告とは違って、改めてたたかう方針と展望を明確にする立場から構成し直しているという感じだ。

そして、そのことは休憩後、志位委員長が第3章の報告に入った冒頭で以下のように述べたことで裏付けられた。
「今度の報告は、全体がたたかう方針を形作る方針書となっている。
1つ1つの中に、この間の3回の国政選挙を踏まえての今後のたたかう方針が打ち出されている。」

また、報告の方法も、それも今までと違って、たとえば、労働組合運動の部分の(13)の部分と党建設の(16)の職場支部の活動の抜本的強化を図る部分とを合わせてたたかう方針という形に特徴付けることができる。
そして、「力が入った」志位報告のクライマックスは、最後の「若い世代の中での活動の強化」の部分に訪れた。
「未来は青年のものである。そして日本共産党こそ日本の未来を開くもっとも確かな進路を示している、未来ある党である。
若い世代の中での活動を抜本的に強めて、日本の社会進歩の事業の後継者を造るために全党の総力を挙げた取り組みを、強く呼びかけるものである。」
志位委員長は、決議案の最後を読み上げることで、その報告をまとめた。

私の記憶でも、大会決議案が、青年問題で締めくくられるのは、おそらく今回が初めてだろう。
 今度の大会を象徴するものでもある。

大会は、今日から4日間の日程で開かれるが、13日まで討議した後、14日(土)に採決が行われ、続いて役員選挙が行われ、閉会する。
松本に帰るのは、夕刻を過ぎる。
(とりあえず、感想まで。 詳細は、松本に帰ってからとなります。)

 

 

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1月9日(月)

 日本の国策としての靖国参拝の固定化は許されない   
  

 日曜日(8日)の朝のTV番組で、小泉首相の靖国神社参拝がアメリカで問題となっていることの外国記者の発言を受け、自民党安部幹事長が、  
  「首脳、外相の交流をしない、相手側が意にそわない場合は会わない、という外交は間違っている」
  「(中韓両国の批判は)誤解に基づくもの。」
  遊就館を理由にした靖国参拝批判に対しては、
  「ただ単に誤解を世界中にまき散らしている動きではないか」
  と述べた。

 7日(土)の夜は、泊まりだったので、朝のその番組は、事務所見ることになり、十分なメモを取ることができなかったが、実は、このアメリカの記者の第二の突っ込みに期待をしたのだが、残念ながらその先は、まったく記者からの反論がなかった。
  それどころか、その番組は、安部官房長官の発言をいわば肯定的に報道する流れになった。

  11日から14日土曜日まで4日間の予定で、熱海で行なわれる日本共産党の第24回党大会に、私も参加することになった。
  その大会の決議案の中に、次のような件(くだり)がある。

  「首相による靖国参拝が、日本の国策として固定化される危険が生まれていることは重大である。かりに日本がそうした方向にすすむならば、日本の国益の損失ははかりしれないものとなる。」(大会決議案)

 安部官房長官は、いわばポスト小泉の最右翼と言われる人物だ。
  その安部氏の発言だ。
  実は、元旦の毎日新聞は、 昨年11月16日の日米首脳会談で、米側が最も時間を割いたのは中国問題だった事を明らかにし、ブッシュ大統領が日本にアジア戦略の見直しを急ぐよう求める発言をしたことを明らかにした。

 全文は、ここをクリック

 日本政府が"靖国史観"を肯定する行動をとりつづけるならば、日本外交のゆきづまりと孤立は、いよいよ深刻にならざるをえない。
  アメリカの真の思惑はともかく、ブッシュ大統領すらも黙っていられない懸念材料という事だ。
  菅谷市長がこれに関するコメントを議会本会議で行なった事はすでにお伝えしたが、(12月12日日誌
  今こそ 「日本の国民一人ひとりがこの問題(侵略戦争を正当化する異常な政治)に真剣にとりくみ、歴史の事実に背をむけた戦争礼賛論を許さない国民的な合意をつくりあげていくことがもとめられる。」(大会決議案)

 

 

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1月8日(日)

 「本質を見極め、感謝の気持ちを伝えられる成人になりたい。」   
  

 午前10時50分からの松本あめ市のオープニングセレモニーに参加後、午後1時からの成人式に参加した。
  開会が10分ほど遅れる中で、「日の丸」を振りかざす袴姿の新成人3人ほどが、壇上に上がりクラッカーを鳴らす場面があり、「もしや?」という不安がよぎったが、難なく開会になった。

 新成人を前に菅谷市長は、 3Kプランに関しての話の中で、
  「3Kは、いずれも生命の存続につながるもの。生きがいを持って生活できるために、(中略)君たちの宝をフルに生かしてください。」(メモ)
  と述べ、最後に、贈る言葉として
  「『人の上に立つ人間より、人を支える人間になってください。』今後の大いなる飛躍に期待します」
  とあいさつをまとめた。

 それを受けての新成人を代表しての二人は、次のように述べた。
  「次世代を担うためにも若い視点から現実の社会を鋭く見つめ、日本の高齢化が世界一早いスピードで進んでいる事に対し、その深刻さと重大さを真摯に受け止め、既に社会に貢献していらっしゃる多くの先輩方々と共に支え合い、助け合い、手を携えて対処していかなければならないと思います。」
  「いつ、どんな時でも物事の本質を見極め自分自身を見失わないために、澄み渡った魂で多面的に自分を見つめ直し、人としてより大きく成長することで感謝の気持ちを言葉にたくして伝えられるような成人になりたいと思います。」

  全文は、ここをクリック

 冒頭紹介したように、少し心配をはらんでの始まりだったが、今までになく静かで、心に残る成人式となった。

 

 

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1月6日(金)

 第二回懲罰特別委員会 開催   
  

 午前10時から懲罰特別委員会が開かれた。
  冒頭にお断りしますが、今回の委員会は、公開で、「秘密会」ではないので、このように皆さんにお伝えできます。
 しかし、前回の会議の決定では、公開は今回までで、次回からは、秘密会ということになります。  
  よって、秘密会になれば、このような形で、お伝えすることは勿論のこと、会派に帰って、議員団に報告することすらできない形での運営となります。  
  さすがに、前回秘密会に賛成した委員の中からも、見直しを考えるべきかなとの「反省の弁」が出始めました。  

 さて、それはともかく、第3回目の会議の日程は、1月16日(月)午後1時からの開会が決定され、とりあえず議員全員を対象とした「目撃証言」が行われることとなります。  
  当日は冒頭で、「秘密会」でなく、公開で行うことを「動議」提案したいと考えています。

 さて、本題です。  
 今日は、この懲罰特別委員会の設置の直接のきっかけとなった、上條洋幹議員からの「処分要求書」について、すでに本会議で「提案説明」は行われていますが、改めての提出者からの「趣旨説明」とそれに対する質疑、続いて、該当議員である吉江健太朗議員の一身上の弁明とそれに対する質疑が行われた。    

 上條議員からの趣旨説明は、本会議での提案説明とほとんど変わりないものだったが、 私の方から質疑する中で、以下のことが確認できた。  
  上條議員の主張は、(要旨)
  「突然襲われるという事実無根、根拠のない発言により、大きな侮辱を受け、名誉を毀損された。」
  「『議会の品位を損なう』とは、本会議での事実無根の発言は、誣告的発言であり、そのことが、『市民の代表として、選挙という先例を受け、重要な責務と付託を受けた』議会としての品位を傷つけるものである。」
  「どうした処分を求めるかということに関しては、133条に基づく当懲罰特別委員会にその内容については、すべて任せる。」  
  ということだった。  
  重ねて要約すれば、 事実無根の発言により、侮辱され名誉を毀損され、議会の品位をも損なわせた事に関して、懲罰委員会での審議を求めるというものだ。  

 続く吉江議員に対する質疑は、かなり長時間にわたり議場での「現場検証」も行なわれた。
  そんな中で、 「不意に襲われた。」と言う言葉の意味についての私の質問に対しては、吉江議員は次のように答えた。(主旨要約)

  「襲う」の意味は、 =不意に人に危害を加えること。
  「危害」という意味は、 =生命や身体など損なうような危険なこと。
  であるが・・

 吉江議員:
  「(そうした辞書の定義は、)私は聞いたことがない。」
  「私は、自ら自分の言葉として、今回襲われたという言葉を使っている。危害という言葉は、一度も使っていない。」
  「後ろから私は襲われたと思いまし.たので、襲われたということを申し上げました。それが、その趣旨と言葉の意味との関連性があるといえばあるだろうし、あわないということはなくて、趣旨に沿っていると思っております。」
  「言葉というのは慎重にならなければいけないと思います。襲われたという言葉にも軽いものから重いもの、というそういうものまである中でのどういう位置づけということかと思う。私が申し上げるのは、とにかくそこまでの分析、その危害云々というそこまでのその言葉の分析というのは、そこまでは、自分ではまだ整理できておりませんし、今まで考えたこともありませんでした。」
  「私自身の認識は、この辞書の言葉ではないですが、自分の言っている言葉では、突然襲われたというふうにまさに思っているのが自分の考えです。」
  「自分でそういうふうに使ったのは事実ですし、そういうことで使っていることを申し上げたい。」

 尚、上條、吉江両議員の発言を要約すると、

  「襲う」行為については、
  上條議員:
  (吉江議員の席に近づき)「話をしたい」と呼びかけた時にトントンと触った。その時吉江議員は、「触らないで下さい。」と3回発言した。その後は、触れていないと記憶する。

 吉江議員:
  (自席横の)議場の階段を下りて歩いている時、議場出入口にて、後ろから襲われた。強く触られたので、「触らないで下さい。」と声を上げた。大変びっくりした。 首がそのときから調子が悪い。医療機関に通院している。

  と言うもので、「トントン」と「強く触られた」の違いがある。
  また、「襲われた」行為があった場所については、 「吉江議員の議席付近」と「議場出入り口」と大きく異なっていることが判る。

 第3回は、1月16日(月)午後1時からの予定です。

 

 

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1月5日(木)

 「何よりも、自らの安全確保を第一に」   
  

 朝6時半からの公設地方卸売市場の初市、続く松本市消防団の出初め式の後に、恒例の地元5分団の新年祝賀会が午後3時から行なわれ、お招きいただいた。
  分団長さんは、年頭のあいさつの中で、
  「地域の皆さんとともに、支えられて1年間活動してきた。おかげさまでこの地域では大過なく過ごすことができた。
  そんな中、昨年は、2つの事件があった。
  一つは塩尻での消防局職員の殉職であり、もう一つは、埋橋1丁目の私たちの仲間である消防団員の自宅での火災による死亡事故。
  私たちは、消防局職員の皆さんとともに消火、救助活動を行なうが、何よりも大事なのは、安全確保。
  私たち自身の身の安全が確保されてこその活動。
  これまでも行なってきた、地域の皆さんの安全・安心を確保のために活動に自信を持って、今年も力を尽くしてもらいたい。よろしくお願いします。」 と、言葉少なげではあったが、分団長として集まった皆さんへのお礼と、分団の責任者としての分団活動の誇り、団員への心遣いと今年の抱負・決意を述べた。

 まさにその通りと受け止める事ができたように思う。

 火災や災害現場での消防局職員と市内各分団の団員との連携・役割分担のなかでその活動が行なわれる。  
  分団長が語っていたが、鎮火に向かった中で、建物の現場に入るときに、消火の際の水の勢いでとんできたガラスの破片で怪我をしたり、雪に埋もれた池に落ちたことなど危ない場面は、何度かあったという。  

  1月2日のテレビ松本の「松本市新年座談会」の後の「塩尻市新年座談会」の番組の中で、出演していたひとりの委員長が、塩尻市の消防署に勤務する消防職員の人数を最低でもすぐに国の基準にすることが求められる(主旨)との発言をしていた。
  今まで広域連合の議会内で、消防職員の人員確保に関する発言は、実のところ私を除いて本会議ではほとんど稀であっただけに、私自身も勇気づけられる場面だった。

  安心して市民の安全確保のための活動ができる本体の体制の強化は実に急務だ。
  消防局職員の間には、団結権が認められず、労働組合がない。  
  である以上、今まで以上に議員である私たちが声を大にして実現を図ることが求められることを確認した1日となった。

 

 

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1月4日(水)

 松本織をおりあげたい   
  

 2006年毎年恒例の新年祝賀会が、午後1時半から行なわれた。
  菅谷市長は、あいさつ後半の部分で、
  「新たな松本産の織物、『松本織』を織りあげてまいりたい。」
  「心のユニバーサルデザインを目指し、誰もが誇りを持って、『暮らしてみたい、暮らしていたい』と思えるまちづくりを進めてまいりたい。」
  とその目標を明らかにした。  

  以下その部分をご紹介します。

 私は、市長就任以来、10のまちづくりの柱を公約として掲げ、市民の目線に立って、市民が主役の市政運営を目指し、市民の皆様とともに、取り組んでまいりました。
  そして、2年目を迎えた昨年は、市民のために医療者である市長として、何ができるのか、中長期的視野に立ち、熟慮を重ねた結果、市民一人一人の心と体の健康寿命を延ばすための「健康づくり」、もっとも基本的な行政の使命であります安全・安心な社会を確立するための「危機管理」、そして、子育て世代がはつらつと、社会の宝となる子どもを育てたいとそんなふうに思える施策を展開する「子育て支援」の3事業を、「3Kプラン」と名づけ、最重点課題と位置付け、部局横断的に取り組んでまいることといたしました。
  今後は、10のまちづくりの柱を縦糸とし、この3Kプランを横糸とし、市民の皆様とともに知恵を出し合い汗を流して、新たなデザインによる協働して、新たな松本産の織物、いわゆる「まつもと織」を織り上げてまいりたいと考えております。
  そして、そのためには「人」に対する投資を基本としつつ、都市基盤の整備や農業、商工業の活性化、加えて広域的な観光戦略の強化等にも、積極的に取り組んでまいる所存でございます。
  来年の平成19年には、松本市は市制施行100周年を迎えます。
  私たちの行く手には尚いくつかの難問を控えておりますが、私は市民の皆様一人ひとりの英知を結集し、市民と行政との役割分担の元、互いが互いを尊重し、心のユニバーサルデザインを目指し、誰もが誇りを持って、「暮らしてみたい、暮らしていたい」と思えるまちづくりを進めてまいりたいと考えておりますので、市民の皆様のいっそうのご理解、ご支援を賜りますようお願い申しあげます。


 1月1日付け 広報まつもとNo1158にも、年頭のあいさつが掲載されているが、それと比べても、内容も言葉使いも少しずつ変化しているのがよくわかる。
  広報まつもとNo1158 は ここをクリック

 市長は、昨年暮れ28日の仕事納めの席で、職員を前にかなりリラックスしてあいさつを述べていたことを思い出す。
 そしてその場では、10のまちづくりと「3Kプラン」私の目指すまちづくりの真意をどれだけ市民の皆さんに理解していただけるかが重要になっている旨発言をしている。

 「3Kプラン」の各々に説明を加えることや、「協働」という言葉を別な表現で置き換えるなど明らかに、今回の祝賀会でのあいさつでも、その腐心の跡を見ることができる。

 

 

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1月2日(月)

 歴史は嘘や虚構の上には組みたたらない   
  

 テレビ松本の「松本市会新年座談会」を見た。  
  自分が出ているテレビ番組は、正直照れるものだが、四賀トンネル問題の場面では私の発言がどうもカットされたようでとても残念だった。  
  私は、現在の意向確認のプロセスは、全国的にも注目される民主主義の過程として評価されると語った後に、続けて「四賀トンネル」は「合併条件」であると、行政関係者から四賀地区住民に現在までも相変わらず伝えられてきたところに現在の問題の重要な本質があり、そうしたことは、結果として四賀地域の皆さんには不幸な結果を招くことを懸念する旨を発言した。
  ぜひその部分も放映して欲しかった。  

 四賀トンネル問題は、現在10日締め切りの全市域対象とした「3%の市民アンケート」が実施されている。  
  それに先だって行なわれた、四賀地域のアンケートは、回収率82.3%で、そのうち特徴的なのは、「新市建設計画に盛り込まれており、合併時の条件だと思っている」の選択肢を 全体の42.4%にあたる1,786人が選んでいることだ。
 明らかに当時の四賀村住民に説明責任のある行政の関係者がその正しい情報を伝えることを怠った結果といえるだろう。  
  そしてさらにそれに輪をかけるように誤った情報を流したのが、昨年の四賀地域での全戸配布であり、続く昨年暮れの某地方紙の見開き2面を占めた「松本・四賀直結道路の建設を推進しましょう」の「意見広告」だ。

 「意見広告だから問題ない。」
  確かにそうした判断で「ビジネス」として掲載したのだろうが、明らかに公平公正を欠く行為だ。
  社内で、喧々囂々、侃々諤々の議論がされたことと推察するが、結果として掲載された。  
  「印刷物」を町会のルートを使って配布する以上に、公共性において社会的責任を持つマスコミとしてのその責任は当然議論の対象となる。  

 12月29日付けの「意見広告」は、その中身からして、四賀地域に配られた出処不明の謀略ビラと同じものだ。
  首謀者が誰であるかは、一目瞭然。  
  マスコミ関係者なら真実を追及するプライドにかけても、行政が行なう公明・公平なアンケート活動を妨害する行為に手を貸すことが許されないことも明白だ。
  その事実の公表が行政としても必要だろう。

 それにしても、松本市がつけ込まれる「弱み」があることも残念ながら事実だ。
  それは、合併の協定書に「合併の合意事項」とは明らかに違うことを書き込んだ問題だ。
  議会では、その点を指摘したが、結局その点を曖昧にしたことが、今回のようなつけ込まれる結果を生んだ。  
 (議会での経過は、後ほど公表します)

 重大な教訓だ。
  それでも、歴史は嘘や虚構の上には組みたたらない。
  行政の毅然とした態度が求められる。

 

 

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1月1日(日)

 「世界をよりよくする努力を放棄してはいけない」   
  

 元旦の新聞は、それぞれに読み応えがある。
  政治分野だけでなく、科学分野も楽しい。
  そんな中で、しんぶん「赤旗」のスポーツ欄で、ぜひ多くの皆さんに読んでいただきたい記事があった。

 今年はオリンピックイヤーであり、W杯の年。
  しんぶん「赤旗」は、安藤美姫とともに、デッドマール・クラマー氏へのインタビュー記事を載せた。  

 デッドマール・クラマーと言えば、誰もが知っている「日本サッカーの父」。
  そして、「サッカーは生活の鏡である」という言葉も有名だ。  
  しかし、その言葉にとどまらずに、戦争に触れて語る今回の記事は初めてのものだ。

  「アンフェアで、人々をすさませる最大のものは戦争です。」
  「戦後、ドイツのうっくつした社会を変えたのがスポーツでした。これが社会を明るくし、人々に生きる勇気を与えた。スポーツにはそんな力があるのです。」  

 詳細は、ここをクリック

 私は、この記事を読んだ時に、同じ日刊しんぶん「赤旗」に連載されていた永井洋一氏の「子どもとスポーツ」を思い出した。  
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  ドイツW杯は、6月9日に開幕。
  日本の初戦は、6月12日のオーストリア戦。

 今年もよろしくお願いいたします。


 

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