フェアプレー、友情、戦争

               「日本サッカーの父」(デッドマール・クラマーさん)W杯語る  

 「詩人、哲学者の国」ドイツ。六月にサッカーのワールドカップ(W杯)が開かれます。そのドイツで育ち、メキシコ五輪(一九六八年)で日本を銅メダルに導いたデットマール・クラマーさん(80)。「日本サッカーの父」といわれる同氏をミュンヘン郊外の自宅に訪ね、W杯、フェアプレー、自身とドイツの歴史を語ってもらいました。

  サッカーは生活の鏡だ

 私はドイツのW杯が、サッカーの進歩に貢献することを願っています。 しかし、危ぐもあります。
  サッカーも社会も、ヒューマニティー(人間性)が失われつつあると感じるからです。
 
いまフェアプレーと聞くと薄ら笑いを浮かべる選手が多い。実際、汚いファゥル、けがを負わせるプレーが増えている。 勝つためファゥルが必要と考えているのです。
  日本がメキシコで銅メダルをもらったとき、フェアプレー賞をもらった。日本は正しくプレーしました。
  例えば、東京五輪でFWでもあった川淵三郎(現日本サッカー協会会長)はフェアな選手でした。彼はフェァな選手をジェントルマン、アンフェアな選手をギャングと呼んでいましだ。
  私は「サッカーは生活の鏡である」と思っています。
  人は毎日の生活と同じ姿をサッカーで見せます。試台だけほかの自分は出せないのです。
  逆にいえば、グラウンドでフェアな意識をはぐくむことは、社会生活をもフェアにする。フェアプレーはよりよい社会に貢献できるのです。
  われわれはフェアなサッカーを将来に伝える責任があります。入間ですから、後退もある。しかし、弱点と向き合い、これとだたかう姿勢を放棄してはいけない。世界をよりよくする努力を放棄してはいけないのです。

  心すさんだ愚かな戦争

 クラマーさんの家は、ミュンヘンにほど近い、雪深いアルプスのふもとにありました。
  書斎に整然と並ぶ本。日差しが窓から注ぎ込み、穏やかななかにも、ときに強い口調で話は続きます。
  そのサッカーへの情熱は限りなく熱い。
  アンフェアで、人々をすさませる最大のものは戦争です。私はそれを身をもって体験しました。 第二次世界大戦は、ドイツの人々と社会を変えた。助け合い、尊敬、友情などという気持ちは、人々の間から失われていきました。
  私は戦争でこんな経験をしたことがあります。
  ドイツ兵としてイタリアに入り、アメリカ兵と対峙(たいじ)していたときです。とてもひどい撃ち合いになり、双方にけが人が続出しました。 仲間が倒れ、もがき苦しんでいる。
  私はあまりのことに、アメリカ兵と話し合いをすることにしました。戦闘を一時間で止め、互いにけが人を助けることにしたのです。
  その聞、アメリカ兵と互いの国や故郷、家族の話もしました。
  私はわからなくなりました。「なぜ、ぼくらがたたかわなくてはいけないのか。 そして、考えて考えて出た結論は「戦争は意味がない」ということでした。
  私は戦後、捕虜収容所にいました。拷問も受けました。こういうひどい体験を経て決意したことは「人のためになることをしよう。ヒューマンな人間になろう」ということだったのです。
  家に帰ると、戦争で父は両足を失い、母はただ泣くばかりでした。
  私は、戦地から帰るはずの弟を毎日のように、駅で探しました。 いつもニコニコと笑顔の絶えない、本当に優しい弟だったのです。でも、彼の姿をみつけることはできなかった。
  陥落前日にベルリンで死す。 赤十字から通知が届いたのは数年後のある日でした。
  私は戦争中、弟を目分の部隊に呼び寄せるつもりでした。軍からも許可が出ていた。 なぜ、もっと早くそれができなかったのか。私はいまでも悔いています。そうすれば彼を死なせずにすんだ…と。

 スポーツが勇気与えた

 遠くをじっと見つめる目には、うっすらと涙が浮かんでいました。ガレージには、弟さんの遺品が、そっと置かれていました。
  戦後、ドイツのうっくつした社会を変えたのがスポーツでした。これが社会を明るくし、人々に生きる勇気を与えた。スポーツにはそんな力があるのです。
  私は今度のW杯は、メキシコ大会(八六年)のようになってほしいと願っています。
  メキシコ人は自国のチームが負けても、他の国を楽しげに応援していたからです。
  日韓大会(二〇〇二年)は「笑顔のW杯」といわれました。
  日本人が、外国の人々をまるで友人のように迎えた。 イングランドのサポーターは本国に帰ってこう話していたそうです。 「私たちは日本人から学んだ。人々は平和的にサッカーにかかわれるということを」 私は日本のよさを知ってもらうことで幸福な気持ちでいっぱいでした。
  ドイツは「A time to make friends」(友達になる時)とのテーマを掲げています。
  ドイツ人気質は日本とも違います。自分の気持ちをすぐ口に出します。 そのドイツ人が、どう世界の人々を迎えるか。私も興味を持って見守りたいと思っています。

 

  デットマール・クラマー
 1925年4月4日、ドイツ・ドルトムント生まれ。
  60年、東京五輪を控えた日本代表の指導のためコーチとして来日。
  東京五輪8強、メキシコ五輪3位に導く。 国際サッカー連盟(FIFA)専属コーチとして70ヶ国を巡回指導。
  欧州のビッグクラブの監督も歴任。
  75、76年にバイエルン・ミュンヘンで欧州チャンピオンズカップ連覇。
  2005年日本サッカー殿堂入り。

                                   ( 2006.1.1 しんぶん「赤旗」より )