11月30日(水)

 松本市への 「2006年度 政策・予算要求」 を発表   
  

 午後2時40分から、菅谷市長に対して、「2006年度 松本市政に対する政策・予算要求」の申し入れを行った。
  今回の申し入れのキーワードは、「安心」「負担」「協働」。

 全文は、ここをクリック

 懇談の中で、菅谷市長は次のように語った。

  「財源が限られて、きびしい時代ですから、これからは、人に対して投資していく時代だ。箱物ではなく、人に対してお金を使う方向である。」
  「少子高齢を迎えて、われわれはどこに向かって進むのか。この点が問われている。」
  「無駄を省いて、人に対していうことで、今回3Kを打ち出した。今回の申し入れに対しても、参考にするものは汲み取りながら、誰もが納得する方法で検討、協議していきたい。」
  「財政的に見て難しい面があるが、公約実現に徐々にカラーを出し始めている。私の場合は、きらきらはしていない、華やかな感じにはならないが、ひとつひとつやって行きたい。」

 負担の問題では、
  「ここに書いている通り。できる限り。」

  最後に、澤田議員が、
  「命を大切にするということで、不安から本当に安心のまちづくりをめざしてもらいたい。」
  と話すと、

  「今回の建築士の問題もそうだが、結局人の命を考えていない。お金お金となっている。だからこそ、われわれは、勇気を持って、立ち向かわなければならない。私のチェルノブイリもそういう事ですので」
  と語った。

 

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11月29日(火)

 菅谷市長の「3Kプラン事業一覧表」が発表される   
  

 予算編成過程の公開として、「3Kプランの推進に向けて」のタイトルで、現在策定を進めている総合計画の位置付け及び具体的な事業内容と今後の対応等について、庁内をとりまとめた最新の資料が送付されてきた。
  すでに新聞での報じられているところだが、私の家には、本日届いた。
  なお、注意書きとして、
  「資料に記載のとおり、各事業とも確定したものではなく、また、調査・研究からの着手を予定するものなどもあります。」
  「今後、総合計画のまとめや実施計画計上事業の再検討・再調整、また、当初予算編成との整合などを含めて、十分に検討することを予定しておりますので、よろしくお願いいたします。」
  との断り書きがついている。

 今までにない取り組みで、すでに菅谷市長は昨日の記者会見の席で明らかにしているものだ。
  この時期で、松本市が来年度どんな予算を組もうとしているか、検討事項が明らかになっている。

 明日(30日)、菅谷市長に、06年度の予算編成に当たって日本共産党議員団の政策・予算要求を午後2時40分から提出することになっているが、その準備のために十分に目が通せないでいるが、とりあえず、皆さんに一刻も早く、お伝えしたいと思います。

  関連解説文書は、ここをクリック
  「3Kプラン事業一覧表」は、ここをクリック

  具体的には、分析がいるが、改めてコメントしたいと思います。

 

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11月28日(月)

 「耐震偽造」問題で、松本市が記者会見   
  

 JR松本駅前のビジネスホテル「エースイン松本」の建物の耐震強度などに関する構造計算書が、姉歯設計事務所が関わり改ざんされた疑いが強い事件で、当時の建築確認申請事務を行なっていた松本市としての記者会見が、定例部長会議後行なわれた。  
  詳細は、私もさらに調査を進めてからコメントしたいが、とりあえず、その記者会見の席で明らかにされた定例部長会議の資料を公表したいと思います。  

 文書は、ここをクリック  (3ページ目は、県が松本市への説明の際に使った文書です。)

  また、市長、建築市道課長の記者会見の模様は、ここをクリック

 少しだが、取材を行い、また設計に携わる関係者からも話を聞く機会があった。
  「マンションの安売り競争が、背景にある。1000万円単位でダンピングが行なわれ、それがしわ寄せされていた。業界間での内部告発だ。」
  ある建築設計士は、「これで安売り競争は終わる。」と語っていた。

 

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11月25日(金) その2

 「中部縦貫は、国道158号の現道活用を図るなどの新整備方針を導入する。」   
  

 地元県議会議員懇談会(意見交換会)の目的は、松本市の重点事業について(懸案事項や新規事項)促進を図るために、松本市選出の5人の県議会議員との懇談を行なうもので、松本市からは、理事者、市議会からは、正副議長、議会運営委員長、各4常任委員会委員長、が参加する。
  今回の「意見交換項目」は、5つ。
  その内、私は、「中部縦貫自動車道及び国道158号の整備促進について」発言した。

  重要な生活・観光道路になっている国道158号が今年も土砂崩れにあった。
 
中部縦貫自動車道の建設については、全線高規格の新たなルート建設は、事実上不可能となっている中で、現在沢渡地区の災害復旧工事が行なわれているが、「将来の中部縦貫自動車道を視野に入れた」本復旧工事を平成19年度末までに確実に完成させることを求めた。  

 それに対しての県議会議員からの発言は、
  「国道158号の整備については、奈川渡ダムを境に、上部と下部については分けて、具体的な整備方針を持っている。」
  「そういう意味では、これからの中部縦貫のことに関しても、認識は共通している。」
  というものだった。

 私にとって、奈川渡ダムの「上部」と「下部」で整備方針が決まっているという表現は初めてだったので、正午に懇談会が終了した後に、直ちに建設部に確認してもらった。
  そして、改めて、10月14日に開催された、中部縦貫自動車道(松本一中ノ湯間道路)建設・国道158号整備促進期成同盟会(会長 菅谷昭松本市長)の場での県の土木部の関係者の以下紹介する発言が確認できた。
  この会議は、マスコミにも公開されていたようだ。(少し長いが、重要なので紹介します。)

  ● 長野県 原悟志土木部長の発言(主旨)
  国道158号は先日の災害のようなことがあるとその重要さが改めて認識される。
  この道路は、岐阜から東京までの広域的な道路。整備が急務。
  産業、観光、生活にどれだけ影響を及ぼしたかをまとめて、国へ必要性を訴えたい。
 
この道路は中部縦貫として位置づけられているが、国の情勢を見れば、全腺を高規格で整備することは無理であり、早期に事業するためにも、現在の改良された部分を利用しながら整備するのが早期に効果を発現する。
  奈川渡上部は沢渡の上は40年代から改良している。
  また安房峠道路も開通しているのでそのまま使えると思う。
  現在、うすゆき橋の災害復旧によるバイパス整備は、400mの橋により平成19年完成で進めている。
  予算がかかるが、より安全な道路を目指す。
  そこから奈川渡の間は、現道拡幅は無理で、トンネル構造が現実的で、整備のしかたは国と話をしていく。
  奈川渡の下は、約2km間のトンネルによる直轄権限代行でお頗いし、国で調査している。
  その下は現道対策として稲核の改良・防災対策による部分的な改修をしていく。
  旧安曇村役場週辺の島々バイパスはご案内のとおり。
  その下、波田町、松本に向かう部分は、従来、都市計画決定された中部縦貫松本波田道路のアクセスという考え方で取り組んだ。
  また、地域高規格道路の松本糸魚川連絡道路が波田町で接続する計画でした。
  現在・松本糸魚川連絡道路は豊科周辺が起点という考え。 そうなると渋滞対策道路は国道158号の位置づけが強くなった。
  従来よりも生活道路としての性格が高まった。住民の方からはいろいろ意見をいただいている。
  知事はバイパスができたとき、従来の集落、生活環境が崩れると、すなわちさびれることを考えていた。
  町として、新しい道路周辺の土地利用について開発か保全かが問題。町では土地利用計画や今後のあり方について審議されたと聞く。
  知事は以前かもバイパスをつくるのは問題ないが、その土地利用、いわゆる従来の集落、形成してきた生活のつながりが崩れるのは困るという考え。
  国道158号、中部縦貫の早期整備について、国も予算が厳しい。
  松本地域では国道19号の4車線化もあり、すべて同じ予算。優先度はどうつけるか。地域で考える必要もあろう。
  あわせて、道路特定財源制度も見直され、道路整備も見通しが難しいが、地域の中で必要な生活、観光、産業という骨格となる道路は無駄な公共事業ではない。
  できる限り早く整備できるような財源のてだてについて一緒に声をあげたい。
  この道路は区間ごとに多様な性格を持つので、どんな整備をするか国と話し、見通しをたてたい。

 ● 長野県 柳沢廣文道路計画室長の発言(主旨)
  道路特定財源は県としても主要財源。その動向は国のみならず県も道路整傭に大きな影響を受ける。
  中部縦貫自動車道については、非常に大きなコストと時間を要すので、早期に事業効果が発現できるよう国158号の現道活用を図るなどの新たな整備方針を導入する。  
  三遠南信においても、自動車専用部分と一般国道の改築をあわせて、早いうちに事業効果発現させようとしている。
  そういう工夫を考え、国に働きかけたい。
  とりわけ、難所である奈川渡下部は国に権限代行を要望している。
  松本波田道路は渋滞対策道路を含めて全体的な道路整備の中で国と調整したい。
  国道158号の奈川渡付近の狭小トンネルの連続する区聞は厳しい条件の中、高度な技術を要すという観点から、国に権限代行を要望する。
  県としては、鵬雲崎や稲核のネック解消につとめたい。

 表現こそ多少違うが、いずれも認識を共通した、現時点での一番新しい県の方針である。

 

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11月25日(金)

 「四賀トンネルは、他の予算を落としても、建設すべきだ。」!?   萩原清県議   
  

 「四賀トンネルを作るかつくらないか、80億ばかりが先行しているのではないか。
  トンネルが必要か必要かどうか。80億がどうなのかこうなのかでアンケートが行なわれているようだが、私は作るべきだと思う。 合併の際に、作るという『協定書』もあるという。
  もしつくらないことになれば、四賀村民はだまされたという事になる。しこりが残る。」
  萩原清議長は、四賀トンネル問題に関してこのように発言した。  
  一瞬、地元県議会議員との懇談会の会場は、「何を言い出すのか?」という雰囲気に包まれた。  
  懇談会も終わりに近づいた時点でのことだ。

 「協定書」とは、おそらく「新市建設計画」のことをさしていると思われるが、たしかにこの計画書に、四賀トンネルだけ特別に書き込まれていることは事実だ。  
  (この点に関しては、他の事業は、「要望事項」という括りにしながら、トンネルだけ特記してあることの問題点は、私も議会で指摘してきたことだ。  そのときの発言は、ここをクリック
 しかし、書き込まれてはいるものの、「トンネルは、合併の条件ではない。」という事を有賀市長から菅谷市長に代わった時点で、「合併の方針が変わった」ことを中島学村長(当時)は重々承知していた。  
  それは、公式の合併協議会の場でも確認済み、そして合併に調印したのである。
  またさらに、合併後の4月12日(火)に四賀ピナスホールで行なわれた「市長と語ろう会」でもあらためて、菅谷市長はそのことを明らかにしている。  
  そのときのやり取りを再現すれば、

  ある女性が、「夫の急病の際の経験からも、直結道路の建設を願う。」と発言したことに対し、 菅谷市長は、
  「改めて、現時点での考えを申し上げる。 前村長もご承知の通り、『直結道路の建設は、合併の条件ではない。』との確認をしている。」
  と述べ、同席していた中島元村長の方を向いて、「そうですよね。」と念押しした。
  それに対しては、中島村長は、否定もせず、ただ下を向いていただけだったという。

 合併に直接関わってきた当時の幹部は、こうした経過も含めて、このように萩原議長に説明した。

 ところがそれに続く議長の発言は次のようなものだった。
  「合併したことは事実だから、 アンケートで反対と言う結論が出てもやらないという事がないように。 他の予算を落としても、財政を工夫してやるべきだ。 まったくやらないという結論ではないということで、安心した。」

  まったく身勝手な発言だ。
 
会場は、改めて異常な雰囲気に包まれた。
  率直なことを言わせてもらうとすれば、萩原議長は、「何を言っているんだ。」いう事だ。

 普通は、こうした経過の説明を聞けば、納得するはずなのに、個人的な見解と断ったものの萩原清議長は、「つくってやれや。」と松本市に要望したことになる。    
 
  松本市選出の議員として新松本市の合併をめぐる経過を知らないとしたらこれも問題、経過を聞いてもまともな判断ができない点もまたさらに問題。  
  いずれにしてもこの発言も「確信犯」としか言いようがない。  

 今日は、年2回行われる地元県議会議員との懇談会。 私も、経済環境委員長として出席した。

 この懇談会では、「中部縦貫自動車道及び国道158号の整備促進について」私も発言、参加した県議から、現道整備重点の整備方針についての新しい見解の紹介があった。  
  会議後、直ちにこのことの調査を建設部に依頼して、正式なコメントを確認してもらった。  
  正式な県のコメントは、後日発信します。

 

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11月23日(水)

 「〜させていただきます」   
  

 「配られた資料を見させていただきますと・・」
  「○○の場において、発言をさせていただきました。」
  「参加させて頂きました」
  など、最近この「〜させていただきます」の濫用がとても気になっていた。  
  議員の中でも、よく集会の席などで、「議会で質問をさせていただきました。」と言う発言を聞くたびに、やはり変だという思いに駆られていた。

 今日は、介護保険改善に関する全県の交流集会。
  今日も、こうした発言が目立った。 そして、気にすれば気にするほど耳に残るものである。

  お昼休みに、昼食を買いに行ったついでに、新聞で見て、買おうと思っていた本を購入してきた。
 それは、「続弾!」がつい最近発行された「問題な日本語」(北原保雄 編著)。  
  早速、開いてみると「続弾」のほうに、この「〜させていただきます」が出ている。

 少し抜書きすると・・・

  「挨拶に代えさせていただきます」「説明させていただきます」「出席させていただきます」などは、「挨拶に代えます」「説明します」「出席いたします」で十分。
  本来の使用範囲を超えて多用されすぎている。
 
  「〜させていただく」は、 「説明させていただく」に例を取りますと、説明するのは自分ですが、相手に説明させてもらうのだというとらえ方をし、その上に、「もらう」の部分を「いただく」と謙譲表現にした言い方で、二重に敬意を表す形になっています。
  相手に、「説明してご覧」と言われて、「それでは、説明させていただきます」と言って説明を始めるような場合でしたら、相手の許可を得てそうさせてもらうのですから、全く正当な言い方です。
  しかし、許可を得なければならない相手がいないような場合に、「〜させていただきます」という言い方をすると、相手には、こちらが依頼したこともないのに、慇懃すぎてかえって無礼だと聞こえることになります。

  「帰らせていただきます」と「帰らせてください」を比べてみると、 「帰らせていただきます」は漠然とした相手には丁寧に言っているように聞こえる場合がありますが、上司に対して言った場合には、自分の都合を一方的に言っているだけで、お願いしていることになりません。お願いは「帰らせてください」と言うべきです。  

 確かにその通りだ。
  敬語にしても、おかしなことはおかしい。
  「配られた資料を見させていただきますと・・」と言うのは、やはりおかしい。
  学習会の席での資料は、読んでもらうことを前提に出席者に配布されたもの。
  「資料を見ると」または「拝見すると」で十分だろう。
  「発言(質問)させていただいた。」も「発言しました。」「質問致しました。」のほうがやはり好ましい。

 この本は最後に、この部分をまとめて以下のように書いている。

  「〜させていただきます」は、相手の許可を得てそうさせてもらう場面(「説明してご 覧」「それでは、説明させていただきます」)や、相手の意向によってそうさせてもらうと見なせる関係の場合(「(先生のご厚意によって)出席させていただきます」)に使うのが適切です。
  許可を得なければならない相手がいない、またそのような相手が漠然としていて特定されない場合に使うと、慇懃無礼な表現となります。 相手にあることをしないよう求めるときに「〜は(を)ご遠慮させていただきます」と言うと、それは、〈相手が〜しないことを、自分が相手にさせてもらう〉と言っていることになり、無礼な言い方です。
  このようなときには、「〜は(を)ご遠慮ください」などと、「ください」を使って相手にお願いをする言い方が適切です。

  「これからも、皆さんとともに運動をさせていただきます。」と言う表現も、おかしいことがわかる。
  「役不足」と同じで、極力使わないことが、当面の策だ。
  そして、後で使っても良かったかどうかを確認することが、正しい使い方につながる。

 

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11月24日(木)

 「内省不疚」の心でまちをつくる   
  

 2001年10月に「市町村合併をしない矢祭町宣言」をし、自己決定・自己責任による小さくとも独立独歩の町づくりを選択した矢祭町の根本良一町長の著作の名前だ。
  「内省不疚」は、「ないせいふきゅう」と表紙にルビがふってある。
  そして、この語句については、P15にその説明がある。

  論語に言う「内省不疚、夫何憂何懼」の戒めとして、我を省みて疚しさがなければ、人は心配することも恐れることもありません。

 改めて、調べてみると、
「内省不疚」=内に省みて疚しからず(うちにかえりみてやましからず)  
自分の良心に質(ただ)してみて、少しも恥じるところがない。
出典:「論語−顔淵」「内省不疚、夫何憂何懼」
  とある。

 総務省が、「平成の大合併」をすすめている中で、「合併をしない選択をした」町の町長としての、日々の思いを表した言葉だ。
  その部分では、次のようなことも書いている。
 
  「平成の大合併は、700兆円という借金の後始末のために市町村合併をすることを目的にしているといえますが、国民に納得がいく説明はされていません。 政府は、次々と財政政策をふくらませて、合併を進めようとしています。これでもか、これでもか、と打ち出される合併政策はいかがなものか、と思います。 なによりも、合併支援という名で行われる合併特例債への交付税措置などが、政府の借金を増やし、地方財政制度そのものをも歪めていくという問題を持っているではありませんか。 私たちのような小規模自治体も、地方交付税のある程度の削減は覚悟しています。 財政再建のために何をするのか。 要は、財政の運用をどうするか、という問題です。 財政の効率的な運用を図るために行財政改革をすすめ、スリムな執行体制にしていくことは重要なことです。 しかし、それは、市町村合併によるリストラではなく、一つ一つの市町村での地域づくりと行政内部からの改革によるべきです。」

  「中国の『諌鼓苔生す』の尭舜時代に思いを巡らせ、常に世の中が良く治まるように願うのは、為政者であるなら誰もが願うことです。 私は、常に、矢祭町民の幸せを願いながら、少しでも尭舜の善政に近づくよう肝に銘じつつ行政の舵取りをしてまいりたいと思います。 そのためには、日々、三省することしきりです。」

  と述べた後に、この論語の一句が紹介されている。

 そして、さらに、この選択に関しての誇りを次のように「正言若反」の言葉で紹介している。

  「日本を代表する論客である佐高信さんは、私との対談のなかで老子第八七章『正言若反』を引用しながら、バブル思考の平成大合併を酷評して『いまこそ、合併しない宣言は、正言は反するが若し』と申されましたが、私もなるほどと感じた次第です。 そして、私は正々堂々と町づくりに邁進するのみです。」  

 薄い本だが、読みでのある本だ。

  この中で、 「自立をめざしていく今後の町づくり」のためには、行財政改革が必要であり、その目的も、住民サービスを低下させず、"安心して豊かに暮らせる町、住民一人ひとりが大切にされる町をつくる"ことを目指すことにおきました。」
  とかかれ、
  「係長制度をやめ、グループ制」の採用について触れている。
  これからの、行財政改革の一つの方法として、私も注目している点だった。
 
  今、民間も含めて、この「グループ制とフラット化」への取り組みが行なわれている。
  詳細は、改めて触れるが、今年の2月議会で私も問題提起として初めて取り上げてきた経過がある。  

 その部分は、ここをクリック  

 今後も職員の皆さんとの話し合いが必要なテーマだ。

  「行政内部からの改革」が必要であり、また内部にこそ「発展・解決の原動力」がある。

 

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11月22日(火)

 見事、Qちゃん おめでとう   
  

 2日前の、「3箇所の肉離れ」記者会見のときは、正直今回は難しいのかなと思った。
  そして、市役所のランニングクラブの職員と話した時に、私は、走りきったとしても、「再起ができないのではと心配になる。」と会話をした。  
  それが、復活のV。 まさに見事。見るべき事ととしか言いようがない。  

 レース後の翌日、「まったく一睡もせず」に、夜のテレビ番組に出ていた。  
  宿直の日だったので、事務所でそれを見た。
 テニスの松岡修造がいつものようにエネルギッシュに語っていた。  
  そのときも、テレビの中継は、レース翌朝いつものように走る高橋尚子選手の姿を伝えていた。  
  そして、「止まっていた時間が、やっと前に」とQちゃんは発言をしていた。

  中日新聞によると、レースの結果を受けて高橋尚子選手は、以下のように質問に答えている。

2年前の東京のレースのままに、時間が止まったと言っていたが・・・
  この勝利で時間は進みそう。一度はやめようと思った陸上だが、やってよかったと思える42・195キ。になった。

スパートの決断は・・・
  2年前の39キロでアレムさんに抜かれた記憶は何度もよみがえった。だからこそ、今度は挑戦したかった。あの坂には負けたくないと。自分自身の思い入れとの戦いでもあった。

坂を上りきって・・・
  なんで2年前はあんなにきつかったのかと。その時は今よりきつい練習を重ねたのに。きょうは気持ちよく走れた。

どんなレースを思い描いていたか・・・
  東京に出ると決めた時から、タイムよりも勝負を頭に入れていた。序盤から慎重に心掛けた。スローペースで、もっといきたいと思ったが、我慢の連続。ただ、いける時はガッといこうと。

右脚のけがへの不安は・・・
  走っている時は、脚がもってね、と思い続けていた。ただ、走ることをチームみんなで決めた時から、途中でやめることは考えていない。残り8キ。を切って、これなら最後までたどり着けるなと思った。それでスパートした。

今までの優勝と比べて・・・
  これまでは小出監督に全くお任せだった。今回は独立後初レースで、手探り。どんな記録で走れるのかも未知数だった。でもチームのみんなが、プライドを持ってそれぞれの役割をこなしてくれた。それを形に残せたことがうれしい。

これからの目標は・・・
  (スポンサーと)4年契約を結び、プロとして3年後の大きな試合(北京五輪)を頭に入れて、これをステップにしたい。
                                       (中日新聞 11月21日付けより)

 今回のレースの優勝タイムは2時間24分39秒。
  この記録は、2年前にゴール目前で抜き去られたアレム選手の優勝タイムが2時間24分47秒よりわずか8秒だが、このタイムにも勝つ中身だった。
  チームQは、元ホンダ浜松の実業団選手の練習パートー藤井博之さん、トレーナーの西村孔さん、そして食事係の佐藤直子さんの3人。

 「いま暗闇にいる人や悩んでいる人も、一日だけの目標でも三年後の目標でも、なんでも夢をもつことで、すごく一日が充実すると思います」  
  しんぶん赤旗は、入間としての輝きが加わったQちゃんを潮流に登場させた。
   05年11月22日付け  しんぶん赤旗「潮流」は、ここをクリック

 止まってしまった時計は、同じところからたとえどれほど時間がかかっても力を蓄えて必ずや時を刻み始める。

 

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11月20日(日)

 「人間が住むとこじゃねえ」   
  

 木曽町の町長選挙の応援に行ってきました。
  木曽町は、旧木曽福島町、三岳村、日義村、開田村の1町3村が合併してできた町。
 
町長選挙と町議選挙が、22日(火)に告示される。

 10時に現地に着き、さっそく田中勝己事務所を訪れ、指示をもらった。
  旧三岳村地域のチラシ配りということになって、一緒に行動することになった安曇野市の草深議員とともに、先ず町内でお昼の弁当と飲み物を調達してから、三岳村御嶽山のふもとへ向かった。
 
  明らかに以前よりも、町の中に人通りが目立つ。
  秋の紅葉があるとはいえ、すでにその錦も寒さゆえ少しくすみ始めた季節。 日差しはあるといえ、やはり寒さが肌を刺すシーズンとなっていたが、地図を手に町内を歩く若いカップルや何組かのグループと行き会った。
 
田中勝己さんは、「小さいけれど元気な町にしたい。」といい続けて、すでに木曽福島町長を務め早7年がたつ。
  わずかの時間だったが、駅前周辺の「元気さ」を実感できる。

  田中勝己さんと私との関係もすでに私が共産党の専従として松本の事務所に勤務して以来のお付き合いだ。
 私が赤旗新聞の仕事に付いた頃からすでに共産党の町議として活動、地区委員会の副委員長も務めていた。  
  衆議院選挙の地域割りが変わることで、共産党の地区委員会も木曽地域が中信地区委員会から、諏塩木(諏訪塩尻木曽)に移っていくまでは、ほぼ毎週会議で同席してきた関係。  
  木曽広域連合長を務め、木曽町の合併にあたっても合併協議会の会長として、「日本のふるさと・豊かな水と緑あふるる故郷、木曽」とうたった「木曽町まちづくり計画」づくりに最初から参加してきました。

 田中勝己さんのHPはここをクリック  

 入った農協の店内も、11時という時間帯のせいもあるのか、それにしても4つあるレジも列ができるほどの賑わいだった。    
  紅葉の中、冠雪の木曽御嶽山(標高3,067m)は、実にきれいだ。 思わず選挙の応援に来ていることを忘れさせる。
  さて、さっそく御嶽山のふもと一番奥の「屋敷野」という集落からチラシの配布を始めた。  
  地図の指示では、24戸と書いてるのだが、どうもそれだけの数が見当たらない。 やはりまだ奥に住居があるようだ。
 「一番奥は、旅館です。」といわれたが、ここかなと思った旅館はまだ中途で、どうもさらに奥に住まいがあることがわかった。

  ところで、この地域。
  車を進めていくにしたがって、「○○講」の永年なんとかの碑や霊石が道の両端に文字通り「林立」している。  
  はじめは、お墓かと思ったのだが、少しずつ増えるその数は半端なものではない。
 実に規模の大きいモニュメントもたくさん並んでいた。
  そして、石屋さんも何件か確認できる。  
  話には聞いていたが、まさかこれほどまでの規模で、道路の左右両面を「覆っている」とは思わなかった。一種異様な光景だ。  
 
  田中事務所では、「御岳講の方にも行き会うと思いますが・・」といわれていたが、白装束の人も何人も見かけた。
 愛知県の知多半島からレンタカーで訪れている団体など「名古屋」ナンバーや「尾張小牧」のナンバーの車が何台も駐車していたり、すれちがった。
 御嶽山は信仰の山。御岳神社を中心に、「御岳講」があり、この「講」が観光客の「核」を形成して、ピークの1992(平成4)年には、年間で80万人訪れていたという。 最近は50万人台に落ち込んでいるとも言うが、それにしても御岳教信者は全国にどれほどいるのか。  
  信者は死後、神になって御岳に登るという。
  そうした方々の霊石が毎年建てられるのだろう。

  「講」を調べてみると

 宗教上・経済上その他の目的のもとに集まった人々が結んだ社会集団。
  この講集団は機能の側面から宗教的講, 経済的講,社会的講の 3 種に大別されるが,宗教と社会,宗教と経済,社会と経済とが併合しているもの, あるいは 3 機能を総合するものなどその形は多様で複雑である。

  とある。

 確かに、講という文字含まれている言葉には、「恵比寿講」もあれば、良くない例だが、「ねずみ講」もその一つだ。

  行者のモニュメントが台座に座っていたが、よく見ると顔をはじめ体中に割れ目が入り、補修してあるのがよく分かる。
  おそらく1984年9月14日に起きた長野県西部地震の際に台座から落っこちた痕だろう。

 やっと「その数」だけ配り終わって、昼食を済ませ、次の集落に向かった。
  「枠本」、「東又」、「上垂」という集落に、それこそ「一桁台」の戸数に全戸配布した。
  「すいほん」というのですかとお聞きしたら、「わくもと」だといわれた。
  東又地域で、「ここはすごいところですね。冬は大変でしょう。」と聞くと、笑って、「人間が住むとこじゃねえ。」とズバリいわれた。
  薪割りをしていた高齢の婦人とも話ができた。
  一冬雪が降れば、大体3ヶ月ほどは、出かけられないという。
  そのために今から準備しているのだ。

  「田中さんを知っていますか?」と聞くと、いずれの地域でも、先日、本人が直接あいさつに来てくれたと話してくれた。

  新しい松本市にもこのような地域がある。
  こうした地域のくらしを支える行政が求められる。

 今度の町長選挙は、もう一人の相手候補との一騎打ちとなる。
  その候補の「新星 木曽町の会」も同じように、町内を4度にわたって全戸配布したという。  
  世界のトヨタの関連会社が、全面的にバックアップしているようだが、最近のこの候補は、
  「田中共産党町政もすでに7年。あと一期、合わせて11年は長すぎる。」
  「田中氏は立派な共産党員。共産党員が党籍を持ったまま党派を超えることは普通には考えられない。」  
  とこんなビラをまいている。  
  時代の流れが分からない文字通り古典的な「反共攻撃」が、この陣営の最後のビラだ。
  反共攻撃に未来はない。

 田中事務所からは、「遅くも3時には切り上げてくださいといわれた。」
  聞いたときは、少しオーバーかなと思ったが、確かに暗くなれば、迷ってしまうかもしれない。  
  田中さんの必勝を祈念する。

 木曽町からの帰り道。 長くなった塩尻市、広くなった松本広域連合を体験した。
  地図上で見ると、松本市と木曽町は、今度隣接することになっている。
  そして、塩尻市とも隣接し、松本市と塩尻市が包む形で、木祖村、波田町、朝日村、山形村が位置している。
  12月1日には、松本広域連合議会が行われる。
  すでに一般質問の通告を行ってあるが、あらためて、合併後の新たな枠組みを地図上で確認し、認識を新たにした。

 

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11月19日(土)

 回収率が80%を越える   
  

 四賀地区のアンケートが、17日(木)現在で、(14日消印有効)4190通かえって来たという。
  16以上の住民全員に配布した数が、5114通だから、回収率は、81.93%。
  市の関係者は、90%は越えるものと考えていたという。
  先日お伝えしたように、14日現在で3000を越えていたが、16日一日だけで、1100通を越えて集まってきたことになる。
  担当の幹線道路課には、郵便局から届けれれた封書が、ケースいっぱいになって置かれていた。  

 そして、今日の日付で、先日の第6回松本・四賀直結道路市民意向確認研究会の会議録がHPにアップされている。
  (先日公表された第6回の様子の中には、会議録はまだ発表されていなかった。) 
  そこには、要望書の取り扱いに関しての議論の経過も載っている。   
  詳細は、ここをクリック

 いよいよアンケート結果の集計に入る。
  結局、「怪文書」は、誰の仕業か今の時点では、発表されることなく、結局「蒔き得」として、アンケートと一緒に資料として各戸に配布された。
  その後、この怪文書をめぐっては、 いずれも町会長が、「わかっているね」と言ってアンケートと一緒に配って来たところ、何も言わずに一緒においていったところなど配布の仕方はさまざまであることが判った。
  そして、ついに、「私がビラを書きました。」という情報が15日の朝女性の声で寄せられたという話も伝わってきた。
  誰が主宰したのか。
  実行犯は誰か。
  調べればすぐにわかることである。

  結果いかんでは、松本市としても毅然とした態度での処分を下すことが重要だ。

 

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11月18日(土)

 「防犯に関する条例」がもつ宿命   
  

 新伊勢町をはじめ駅前の夜のまちの現状を何とかしなければならないということで、9月議会で論議され、防犯に関する条例案に関する委員協議会が16日に行われた。  
  発表されたものは、すでに16日付日誌で、お伝えしてあるが、  (改めてここをクリック)
  これに対する委員の意見は一人で何度も発言するか活発なものとなった。
 主なものは、

  「生ぬるいもう少し強いものが必要。」
  「警察という文字をなぜ入れなかったのか。」
  「繁華街では生ぬるいものものではだめ。これだけでは、町の対策にはつながらない。」
  「都市の安全の再構築という表現を入れるべきだ。」
  「町会に任務を負わせるようなことをやらせるのか。」
  「取り締まりは入れるのか。」
  「警察との連携強化を入れるべきだ。」
  「これで、現状の事態の解決に役立つのか。駅前はこれでよくなると考えるのか。」
  「条例に権限がない今までと変わらない。これでは不十分。」
  「誰も期待していないもの、要望していいないものになった。別なものというのであれば、早急に出して欲しい。」

  に集約される。

 結果論を言えば、思った通り、「弱くてはいけない。強くするとより問題が出る」というこうした条例案の宿命ともいえる結論で終わった。
  それは、最後の意見にもあったが、9月議会で条例化を求めた議員としては、警察力を明確にし、罰則も含めもっと実効力のある条例を期待していたようだ。

  しかしよく考えて見ると、もともと犯罪の取り締まりや「防犯」の課題は、警察の仕事。
 警察が今の現状を打開してくれることに住民の皆さんの苛立ちや思いが今回の背景にあることは間違いない。
  それを、十分にやってもらえないから、町会の方々が立ち上がった。
  そうした行動に裏づけを与えるものとして、行政側は、今回の条例案(大綱)を提案したら、今回の議論となった。
  事前に、町会の方々とは話し合いが行なわれてのものだったようだが、議論を始めるとこうした議論と結果になる。

 はじめから行政機関が、人権に配慮しながらこうした取り組みを行なうのには限界がある。
  警察との「連携」、「情報の共有」といっても、もともと警察は、情報を共有できる存在ではない。
  というより、共有するつもりもなければ、ただ情報を一方的に吸収するだけだ。「特命の任務」のことも忘れてはならない。
  これは私の経験からも明らかだ。
  現状では、警察は実に閉鎖的で、住民とともに問題を解決する立場にはないといっていいだろう。
  かといって、これでは「生ぬるい」と、仮に罰則規定などを入れ「強化策」を行なえば、住民や町会を含めて行政関係者が「警察力」の行使を行なうことになる。
  そうなった場合、「事件」となった時、だれが責任を負うのか。
  行政としては、責任は負えないものだ。
  だからこそ「実力」「権限」を持った警察があるのだ。

 今「小さな政府論」が盛んだ。
  警察の組織にまで、この「小さな政府論」が持ち込まれようとしている。
  「無人の派出所」は、問題となっている。
  しかし、「小さな政府」は、こうした問題に限らず、「大きな負担を国民に求める」ものとなる。
  「自助」、「共助」や「協働」の名の下に、負担やリスクを住民に求めることがあってはならない。
 
  もともと、はじめからこうした矛盾をはらんでいるのが今回のような条例案だった。
  私は、委員長としてのまとめを行うに当たって、以上のような意見を述べて、改めて慎重な対応を求める意味で、「聞き置いた」というまとめを皆さんに提案した。
  それに対する委員全員の意見は、そのまとめを「了承」(=異議なく全会一致)と言うものだった。

  幸いにして、私が、まとめをするに当たって提案したパブリックコメント方式についてはそれを採用し、12月議会での成立は見送ることが決まったようだ。
  さらに議論する時間ができた。

 私は、同じ委員会の南山議員とともに新伊勢町の現場に何度か足を運んできた。
  曜日と時間をずらして街角で視察した。
  公演通りに設置されている3つの防犯カメラの位置も改めて確認した。
  確かに、新伊勢町通りにあるあの「赤いコーン」列には、それそのものが異常性を物語るに十分なものだ。
  観光客は、それだけで敬遠するものとなるのではと心配になる。
  かといって、傍観者となってばかりは居られない。

 

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11月16日(水)

 市民重視に、「議会軽視」は当たらない   
  

 「今日は少し時間を取りましたので、しっかりとやってもらいたいと思います。」
  9時からの議会運営委員会の開会に先立ち、委員長は、かなり張り切り声で、しかも立ち上がって、開会の挨拶を行った。
  委員会としては異例な幕開け。  
  と同時に、今日の会議の狙いが実に良く伝わってきた。

 今日の議題は、 報告事項 平成18年度当初予算編成過程の公表について
  助役の、「本日申し上げることは、平成18年度当初予算編成過程の公表に関して、その取り扱いについて報告するものです。」との挨拶を受けて、財政部長は、次のように続けた。
  「予算編成過程の公表に関しては、新しい試みとして取り組むこととして、事前に議会に相談する必要があったが、手順を踏まなかった点については、申し訳なかった。事後報告ということで、よろしくお願いします。」
  と頭を下げるところから会議は始まった。  

 一部議員間で無言の目配せと、あごを引き下げた後のしばらくの沈黙。
  まさにしてやったりという雰囲気が委員会室を支配した。

 松本市が予算編成過程を公表する点に関しては、すでにこのHPでお伝えした通りです。
  10月28日 の 日誌は、ここをクリック  (29日も見てください。)

 私は、予算編成における市民参加という点で良い傾向として歓迎していたのですが、実はこの方針が、10月24日の記者会見の場で市長松本市側から発表されるや否や一部の議員の中から、 「議会に先に図ることなくそうした方針を発表するなどけしからん。議会軽視ではないか。」というつぶやきというか、不満というかそうした声がでているということは承知していた。  
  そして、実に今日の会議は、そうした経過について報告をさせ、行政側に陳謝を求め、以後こうした「議会軽視」が無いように求めようという目論見は見え見えだった。

 ある議員は、
  「自宅に3人から電話がかかってきた。『議会は一体何を何をやっているんだ。議会軽視ではないか そう思わないのか。』といわれた。それで助役には、(事前に)申し上げた。」
 「公表することはかまわないが、定例記者会見において、財政を伴うものは、あらかじめ議会に相談があってしかるべきだ。今までとってきた議会と理事者の手続きも大事だ。(主旨)」
  と発言した。  
  そうした発言を前、何人かの委員も、同様な主旨を発言し、行政側の対応に異口同音にクレームをつけた。
 

  しかし、果たして今回の行政の対応が議会軽視といえる中身なのか。
 むしろ議員の方の意識改革こそ求められるのではないかと思い、私も発言した。
 
  「決して、議会軽視には該当しないもの。そもそも行政側がいろいろな方針を発表する際にいつも常に、議会に計らなければならないというものではないはずだ。
  今までも、議員が知らないことで、方針が市民に発表されたりすると(とりわけマスコミから先に報道されたりすると)そのことを持って『議会軽視』ということを言う議員がいたが、そもそも議会は市民の代表ということで代議制の元で成り立っているもの。  
  方針や情報の面で、市民よりまず議員にお伺いをたてる形で、議員を優先しなければならないということは無い。
  市民も議員も同じスタートラインで発表されることでなんら問題はない。  
  以前は動(やや)ともすると、議員(とりわけ長老といわれる議員)の事前了承が無ければ発表できないということが「慣例」「議会と行政との申し合わせ」として行われてきた経過があるが、そのことのほうがむしろおかしなこと。(主旨)」

 と意見を述べた。
  (本質的には、議会軽視というより、「議員」軽視といったほうが正しいかもしれない。)

  それは、次のような「議員の意識」とも関連している。  
  この間、議会の議案・報告、協議事項とそれに関連した資料は、会議の前に必ず議員に配布するように求めてきた。
  そして現在では、ほぼ会議の3日前には、議員に配られるようになっている。
  その際、そうした議案や資料を会議で審議する前に、議員が市民に明らかにすることはまかりならんという意見があった。
  議員に発表されたものを、何で、事前に市民にお知らせしていけないのか。
  むしろ、市民の代表として、審議に必要となれば、事前に市民の皆さんの意見を聞いてそうした声に基づいて議論するのが当たり前ではないか。
  それをいけないとすれば、議員とは、市民の代表でなく、先に情報をもらえる特権的な立場でしかなくなる。
  「俺が知らないうちに、マスコミが知っているとはどういうことだ。」と何度か怒りをあらわにし、決まってそうした時には議会軽視ということばをともなって行政側に抗議してきた事例が何度もあるが、まさにそうした意識が根底にある。
  機会あるごとに、私はそうした問題点を指摘してきた。

  「今回の取り組みは、評価されるべきものであり、こうした事前の編成過程の公開は松本市として初めての経験であり、今後も実施する中での改善・探求を積み重ねて今後も続けることを求め。」発言した。

  それに対し、ある議員は、「私と池田議員とは意見はそれぞれ(違う)」と次のように「反論」した。
  「決して、公表された中身について問題にしているわけではない。HPを使って意見を集めることは一番良い方法であって、間違っているとは言っていない。(議会軽視といったのは、)しっかり整理して手順を踏んでほしいといっているだけの話であって」と言い直した。

 正に語るに落ちる中身だ。  

 発表された中身が、良ければそれで、良しとすれば済むことだ。
  また仮にそれが悪い中身ならば、批判的に市民の代表として発言をすれば良い。
  今日はその取り組みに関しての意見を述べる議会の場だ。
  それを、議員に図る前に市民に向かって明らかにすることだけを問題にして、今日のような会議を設けることが、いかに議会制民主主義をはきちがえているかそのことに結局気がついていない。
  当の本人は、私の指摘に、そんなことを問題にしているわけではないないと弁解したようだが、かえって自らの問題点の本質を自ら吐露するだけの結果となっていることすら気がついていないのかもしれない。
  そして、今日の会議が、行政側の「謝罪」を求めることに重点を置いたものであったことまで自ら明らかにしてしまった結果となった。

  結局、代議制としての議会制民主主義のベースである市民を忘れて、議員を特別視させる考え方に他ならない。
 私たち議員こそ、意識改革をしなければならないと思うのだが、どうだろうか。

 「議会軽視」ということば、こうしたときに使うものではない。
  以前にも発言したことがあるが、議会軽視ということは、議会で答弁・発言したことを守らず、理事者が勝手に方針を変えてみたり、またまともな答弁を行わずに時間稼ぎで議論をはぐらかしたり、また一度委員会で決まったことを勝手に翻すなどのときに使われるべき用語であって、今回のように行政が、何よりも市民に向かって方針や情報を明らかにすることは、今後大いに行われ、推進こそすれ、議員がブレーキをかけるなどとんでもないことだ。
 「議会軽視」ということばの、「議会」を「議員」の置き換えて見れば、まさに今回の事態の本質が見えてくるような気がする。  

 市民重視は、決して議会軽視ではない。

  (そのほか、今日は、この議論に関連して、市長の予算編成権と議会・議員の関係についてなど、いくつかのテーマに言及する場面があったが、その部分に関しては、後日、今日の議会運営委員会での私の発言の全文を公表することで、それに代えます。)

 さて、今日は、10時からの議員全員協議会、そして午後1時半からは、「松本市防犯に関する大綱について」を議題とする経済環境委員協議会が行われた。  
  委員協議会の詳細は、後刻発信したいが、今回議論となった大綱(案)については、12月議会に条例(案)として提出を予定するとのこと。 
 たいへん重要な条例となるので、私は、委員長としてこの条例(案)をパブリックコメント方式で市民の皆さんの声をお聞きすることを提案し、今日の委員会としてのこの条例制定に向けた今後の取り組みの方針については、委員会の総意として、結論を持ち越す意味で「聞きおいた」とまとめ、全員の一致を見た。  

 方針案と大綱(案)は、ここをクリック  
  (尚、ここで言う大綱(案)は、実質の条例(案)です。)

  追伸) 議会での委員会などの会議のまとめの仕方にはつぎの3通りがあります。

「了承」       :誰からも異議がなく、了承できるもの。(要は全員賛成)
「報告を受けた」  :大方は了承できるが、指摘を伴うもの。(一部に慎重論や反対の意見がある。)
「聞き置いた」   :結論を持ち越すもの。  

 これは、議会のルールとして、正副委員長会議での申し合わせ事項となっていることで、もちろん私の恣意的なまとめではない。  
  そして、「聞き置いた」ということは、要は、ほとんど全員が問題点を指摘し、反対したということです。   

 いずれも詳細は、次回をご覧下さい。

 

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11月15日(火)

 気をつけよう!「身に覚えのない請求ハガキ」     架空請求 その2   
  

 同名の案内がそのまま載っている松本消費生活センターのHPにたどり着く。
  昨日お伝えしたことに関してはもちろん、他にもかなり詳しい書き込みがある。  
  ぜひご覧になってください。

 長野県松本消費生活センターのHPは、ここをクリック

 ところで、この消費生活センターは、県内に 県のセンターが、長野、松本、上田、飯田の4箇所、そして長野市は、長野市が単独で開設している消費生活センターがもう一つあり、 いずれも、独自のHPを持っている。

  HPに関しては、ここをクリック

 いずれも、大事な情報が満載だ。  
  昨日は、松本市のHPへの記事の緊急掲載を求めたが、その点はもちろん、さらに改めて、今度は「松本市消費生活センター」の独自のHPの開設を望む。  
  名称が「消費生活センター」でも、「国民生活センター」に登録されない限り、全国的な重要な情報も松本市には入ってこないと聞く。

  国民生活センターのHPは、ここをクリック

 こうした点も求められる改善点だ。

 ところで、気になる四賀地区のアンケートの回収状況。
  今日現在で、3000を越えたという。16歳以上の対象者の数は、大体5100ほどだから、回収率は、約60%
 最終は明日までに届く分となるので、どこまで回収率が伸びるか。
  またその結果はどうなるのか。
  注目だ。

 

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11月14日(月)

 架空請求ハガキの相談   
  

 「総合消費料金未納分訴訟最終通告書 訴訟番号(イ)408615−79号」 と書かれたはがきが来たので、どうしたらいいのかの相談が、土曜日に寄せられた。
 月曜の朝一番早速、松本市消費生活センターを訪れて話を聞いたところ、11月に入ってそうした相談が、急増しているとのこと。
 そして、送りつけられてきているハガキの見本を見せてもらうと、バッチリ該当するものがあった。  

 ハガキの見本例は、ここをクリック (私のところに来たもの以外の見本です。PDF)

 土曜日の段階で、「何もしなくていいよ」ととりあえず返答しておいたが、改めて相談者に重ねて、何もしないようにと連絡すると同時に、市民生活課には、こうしたニュースを緊急に松本市のHPに掲載することを求めた。  

 一目瞭然という言葉があるが、まさにこの「見本ハガキ」を見れば、それで解決できる。
  すでに、50万円を払い込んでしまっての相談もあったという。
  「連絡せずに無視すること」を全市民に直ちに知らせることが重要だ。  

 緊急情報として、松本市のHPに掲載することを改めて強く求めたい。

 

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11月13日(日)

 菅谷市長の「3つの"K"」とその決意   
  

 すげのや昭後援会ニュース第10号(05年11月10日付)が発行され、菅谷市長が「3つの"K"」を発表している。
  まちづくりに関わって「3Kに関する自らの決意表明」とその展望を明らかにしている注目すべき文書だ。

 菅谷市長が、「10のまちづくり」を提案したのは、昨年の2月議会。 05年度予算案を発表した時だ。
  それまではまちづくりのビジョンとして、選挙公約時の 「あんしん」「脱・モノ優先社会」「つながり」「あたらしい松本」の4つの政策視点から、市長として約1年間市政に携わる中で、地方自治体がまちづくりとして求められる具体的な姿を体系立てて、それまで弱かったり、欠けていたものを加えて構成しなおし、展開したものだった。

 今回の「3つのK」は、さらにそれに加えて、9月末の決算特別委員会が終わった後の記者会見(10月4日)で、初めて公式に発言した。 (9月議会の場では、まだそうした発言はしていない。)  
  今庁内では、この「10のまちづくり」の10本を「縦糸」に、「3つのK」の3本を「横糸」に、「協働の新しいまちづくり」が議論され、職員挙げて来年度の予算編成が行われている。

  以下「3つのK」に関して、市長の発言を経過的に見ると次のようになる。

 10月4日の記者会見:
  今後松本の街づくりをどうしていこうかということで、新たな政策として、医療者の市長の立場から、少し特色を明確にしていくことが必要かなと、今後特に力を入れるということで「3K施策」を考えました。
  普通「きつい」「きたない」「きけん」というようなのがよく昔言われた「3K」ですけれども、そうではなくて、 ひとつは「K」…「健康づくり」、2番目に「危機管理」の「K」、それから3番目の「K」が「子育て支援」。
  こういうところに少し的を絞ってですね、予算編成の場合でも、医療者としての目からの、20年30年後を見据えた形のまちづくりということでしていきたい。
  たとえば「健康づくり」。 平均寿命で、長野県はトップですが、「平均寿命」ではなくて「健康寿命」の延伸を図る。「平均寿命」は医学的に言うと、「健康寿命」プラス「"不"健康寿命」です。 その「"不"健康」というのは、入院したり通院したりする病気あるいは、寝たきりとか介護ですが、これからはこの「"不"健康寿命」というのを、できるだけ縮めていく。「平均寿命」イコール「健康寿命」は、素晴らしいこと。 予防医学という「健康づくり」に少し力を入れていくのは大事。
 もちろん「危機管理」というのは、一般的危機管理あるいは健康の危機管理を含めてあります。  さらには「子育て支援」というのは、 人口減少を含めて大変大きな問題。 松本に今後、例えば老後とかあるいは「団塊の世代」ですね、全国に数百万いる、ああいう方が松本に住んでみたいなっていう、社会の「増」を考えていかなくちゃいけないんじゃないかなと思っています。 そのためにはやはり、安全安心のまちづくりということでいえば、健康そしてまたもう一方で危機管理をしっかりすれば、災害に強い街づくりをしていくことにおいて社会「増」を少しでも増やしていくことも必要かなと思っておるわけであります。
 「観光」も「工業振興」も、「経済」、「教育」、「環境」、まちの「基盤整備」。 本当に「K」って多い。「協働の推進」も。
  (そんな中で、)特に「3K」というところに少し今後力を入れていきたい。それが私のひとつのまた特色にもなる。

 10月24日の記者会見:
  「3Kプラン」というのは、「10の項目のまちづくり」を推進しておりますけれども、これを今度、部局横断的に少し的をしぼった形で位置づけ、「10のまちづくり」の中にそれぞれ入り込めてですね、やってもらえればと思っております。
  松本市の財政は大変厳しい状況が生まれてくるわけで、限られた牌、限られた財源を、的をしぼって当てていくということで、そういう意味でも私は、20年30年先を見据えたときに、どういうまちづくりかというときに、「3Kプラン」というのは、別にもう「3Kプラン」というのは当たり前のことであるんですけれども、(中略) 日本国民全てが、こういう超高齢化社会に入り込んでいますから、これを見据えて、お金がいっぱいあったらそれはもう全部できますけれど、非常に厳しい状況ですので、どこに的をしぼるか。 私はある意味ではそういう方向へ、特に自分自身が医療者であれば余計そう思うわけでありまして、「3Kプラン」というものを考えたわけであります。

 10月4日では、「3K」そのものの説明に重点を置き、10月24日には、「まちづくり」の戦略との関係で「3K」を明らかにしています。

  そして、こうした一連の発言の経過を踏まえて、一番最新の「3K論」が、冒頭に紹介した後援会ニュースでの文書だ。
 
  後援会ニュースに掲載されている「3つの"K"」は、ここをクリック  (すげのや昭HPと同じものです。)

 大きく3つのパラグラフに分けられるが、 第一には、「なぜ3Kか」を語り、 第二には、その「3Kの今日的役割」を、「今」のアメリカ社会と「かつて」の日本社会から明らかにし、 そして最後の段落で、この「3Kに関する自らの決意表明」と「展望」を次のように語っている。 (抜書きすると・・) 

  「現在の日本の、未来を曇らせる構造的な問題に市政のレベルで正面から挑む」
  「部局横断的な一体型の取り組み」 「市の行財政運営の健康づくり」 「生活全般の安心を確保」
  「3つは緊密に繋がりあっていて、住民自治や「協働」の考え方の芽生えの元になるもの」
  「"3つの課題"がやがて"3つの希望"だと皆さんに肯いていただけるよう、努力していきたい。」

 明らかに、2回の記者会見時に比べ、発展して記述展開されている。
 今後の市政運営については、「この基準」を踏まえての検証と提案が必要だ。

 

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11月12日(土)

 「怪文書」と酷似する「四賀地区からの要望書」   
  

 10月24日(月)に開催された第6回松本・四賀直結道路市民意向確認研究会の様子が、(会議録は現在作成中とのことだが・・)本日(12日)付で松本市のHPで公表された。
  各種の資料とともに、先日の日誌でお伝えした市長宛の「四賀地区からの要望書」も公開されている。
  但し、要望団体名とその責任者の名前の部分は、消されている。
 「個人情報」となるので、公表はしなかったというが、それは理由ではない。
 
無視できない「正式な団体」からのものであったからこそ議題として取り上げたのであって、しかし団体名・代表者名を公表すれば重大な事態となるという判断から、建設部として公表を控えただけだ。

 数字、論調は、たしかに「怪文書」と酷似している。  

 「四賀地区からの要望書」は、ここをクリック

 また、
  第6回「研究会」については、ここをクリック

 四賀地域を対象としたアンケートの締め切りは、14日(月)(当日消印有効)となっている。

 

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11月11日(金)

 ビラに関与した「人物」を特定    四賀地域「謀略団体」によるビラ配布 続報 その2)   
  

 「ふる里を愛し松本市の発展を考える会」(以下「会」と略す)名で発行された四賀地域に配られた「怪文書」に関して、
  印刷所(旧松本市内)、
  注文した「人物」、
  注文枚数、
    までほぼ特定できたようだ。
  注文数は、四賀地域ほぼ全戸に匹敵する枚数。

 11月4日から、アンケート配布がはじまったが、市の関係者が、すべての町会長宅に届けるまでに夜7時ぐらいまでかかったが、そのときにすでに複数の町会長宅には、「怪文書の包み」が届けられていたことを確認している。
  また、その後の調査では、この怪文書とアンケートが同時に配布されている町会もあれば、怪文書のほうが先に配られた地域もある。
  その「人物」が、直接ビラを持って戸別訪問したという報告もある。

 松本市は、午前中に市長決済を取り、その公文書を持って、「会」の関係者と思われる人を四賀支所に訪ね、元村長室を改造した会議室で、午後2時にその「人物」に会い、文書を手渡した。
  その「人物」は、昨日(10日)までは、「私は一切知らない。私も1枚受け取った。」というだけで、面会を拒否していたようだが、今日になって、
  「このビラに関しては、相談を受けた。『会』はこれから立ち上げるので、その責任者になる予定者(女性)に私のほうから渡し、伝えます。」
  と応対し、関与を認めたという。
  その際、松本市側は、口頭で、「このような出処不明の怪文書は、住民に誤解を与える。反論のしようがないので、まことに遺憾に感じる。」
  と抗議した。

 この公文書には、 「意向確認を公平に取り組んでいる最中に、不適切な表現が多く誤解を与える。一方へ誘導するようなこのような情報は遺憾である。」(主旨)
  という前文に加え、

 1、「四賀地区は特別な財源として、松茸の採取権とクラインガルデンの収益をすべて松本市に持ち込んでいます。」の部分に関して、トンネル用の「特定財源」であるかのような誤解を与えるが、あくまで一般財源であること。
 2、「松本・四賀直結道路ができれば・・・・」と5項目挙げているが、その効果に関しては、過大な表現、すべての「課題」が解決するような表現は、住民に誤解を与えること。
 3、「市の負担は金利まで含めても14億 600万円程度」となっている部分とアンケートとともに配られている資料中の「15億7千万円」に関しては、利子計算は、条件設定しだいでこうした数量の差が生まれる。   

 の3項目(あくまで概要)に関しても書かれています。  

 公文書との関係もあり、四賀地域に配られた「怪文書」を今回公開します。
  ここをクリック

  松本市が、市長名の公文書を届けるにあたり、その「人物」を特定した理由は、

  その「人物」ならこうしたビラを発行した関係者を知っているであろうこと。  
  また、その「人物」のこの間の一連の発言が、このビラの内容とほぼ同じこと。

  などがその根拠だ。

  「会」はまだ立ち上がっていない。 いわばその「人物」が、4日から始まったアンケートに間に合うように、組織をでっち上げ、 公平な意向確認の取り組みの妨害を図ったという事だ。

 松本市は、こうした事態に対して8日午前から初めて本庁が本格的な調査を行い、公式な対応を行なった。
  当然のことだ。
 支所の関係者の話を総合すると四賀支所では、すでに遅くも7日の月曜日には、この事態を幹部は承知し、支所内でも話題になっていたが、公式な報告、対応がなかったらしい。

  マスコミも昨日の松本市のアクションに至って動き、松本市にも聞き、その「人物」に対しても取材を試みたようだ。
  しかし、今日の新聞(12日付け)を見る限り、どこも社もこのことに関しての報道がない。

  こうした事態の進展の経過は、この問題の根がかなり深く且つ深刻であることをさらに浮き彫りにする結果となっている。

 

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11月10日(木)

 日常の中での"芝居"   
  

 「芝居って何だ?!」
  鎌田中学校PTA講演会が串田和美まつもと市民芸術館館長を迎え、体育館に保護者や地域の人も参加してアリーナ形式で、行なわれた。
  串田さんの話は、
 
自分が子供の頃どんな風に演劇というものに出会ったか。そして演劇の面白さ、演じる楽しさ、観る楽しさ、身近な日常生活に中にある演技や、演劇性についての話。

 1時間半の時間は、あっという間に過ぎてしまった。
  案内のチラシには、「ほんのさわりを楽しく話せれば・・」と書いてあったように、大人としては、さてこれから本題かと思われるところで、終わってしまったという感じだった。

 そんな中でも、
  「手のひらを開くのと幽霊のように手の甲を前面に出すのとでは、自分の気持ちに差が出る。 暮らしていく中で、誰もが"芝居"をしている。 人間は気持ちの切り替えを行い毎日を生きている。 気持ちの切り替えは、気持ちが切り替わって後に身のこなしに変化が現れるのではなく、 姿勢を変えて、表現をすることで、気持ちは切り替えることができる。 芝居は、日常の中にある。」

 この(主旨)の話は、妙に納得できるものだった。
  (正確には、テープお越しをして、中学校の新聞に載せることになると思う。私は、庶務委員長としても参加していた。)

 先日、6歳未満のゴルファーの世界選手権で、日本人の子どもが優勝する姿と伝えたテレビ番組があったが、その中で、失敗をした子どもが、 「泣くことでは、さらにその失敗を引きずるだけ。」と耳の横で、じゃんけんのチョキの開いた指をくるくる回転させ、気持ちの切り替えを行い、ガッツポーズで、バーディを決めて優勝した場面を思い出した。

 

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11月9日(水)

 「今回、もう一度大きな曲がり角を曲がる時が来た。」
                             松本あめ市実行委員会総会に出席して 
  
  

 昨日8日、今年度の松本あめ市実行委員会総会が午後2時から時計博物館4F本町ホールで行なわれた。
  平成17年事業報告と平成18年の実行委員会の組織と事業計画、予算を決める総会だった。

 上杉謙信が敵対する武田信玄に塩を送った「義塩」の故事に由来する塩市から、430年余の歴史を持つこのあめ市。
  実行委員会を組織して、行われるようになって、来年で15回目の節目の年を迎えます。
 
  そうした歴史と伝統に触れながら、冒頭の挨拶の中で石塚栄一実行委員長は、
  「長いあめ市の歴史の中では、『人出が少ないような行事は、歩行者天国にはできない。』と警察にいわれたこともあった」ことを紹介した。

 市長は、
  「来春のあめ市は、新年の幕開けの行事として、夏の「松本ぼんぼん」秋の「松本まつり」「えびす講」と並ぶ、冬の一大イベントに成長し、全国各地からの参加も多く注目されるものとなりました。 地元の皆さんの熱意と努力により新年の幕明けにふさわしい伝統行事として、また中心市街地活性化のために盛大に開催されることを祈念します。」
  と挨拶。

  続いて、副大会長を務める松本商店街連盟会長の矢ヶ崎良威さんは、概要次のように挨拶を行なった。
  「活力のある街を演出したい。イベントだけではだめで、地域の皆さんが一緒になってまちづくり行なうことが大切。
金儲け、商売というものではない。 全国にあめ市はいくつもあるが、松本市がルーツ。その成功が重要。
  町がにぎわい、企画がいっぱいあって素敵な街にしたい。」

 議会を代表しての挨拶は、議長が行なう予定だったが、議長は高山市との親善交流のため、私が議長に代わって挨拶を行うことになった。
  「伝統行事を守り抜く皆さんのご苦労については、正直私にとってはこれまであまりにも縁がなく、触れる機会がほとんどなかったものでした。 一年の計を占うあめ市が、本日お集まりの皆さんのご尽力により盛況となることを祈念します。」
  と率直なお話をさせてもらった。

  総会途中で、隣りの矢ヶ崎さんから次のようなお話をうかがった。
  「城下町松本。 女鳥羽川を挟んで、北側は、武士のまち。南側は、商人のまち。 ということで、実行委員会を結成する前は、本町・伊勢町・中町の商店街の取り組みであった。」

 ほとんどすべてが初めての話だった。  
  平成17年度事業報告、収支決算の承認後、来年度に向けた取り組みの議論の冒頭に規約の改正が行われ、企画運営に町会の役員が加わり、実行委員会事務局を実行委員長の属する町会又は当該町会内の商店街事務局等に置くことなどが確認され、新しい実行委員長に、本町2丁目町会長の宮澤辰彦さんが選ばれた。
  地域で支える体制となった。

  今回、退任された石塚栄一前実行委員長に、感謝状が贈呈された後、最後に本町1丁目町会の横沢さんが、概略次のようなお話をされた。

  「430年、連綿として続いてきたこのあめ市。 戦争中も、天皇が崩御した年も準備した。
  このあめ市は幾度となく曲がり角を曲がってきた。 今回、もう一度大きな曲がり角を曲がる時が来た。
  和合さんが市長時代、当時は非常に落ち込んで、歩行者天国もできないような状況であった。
  これを何とか復活させようという事で、上越市、甲府市の両市長を呼んで、セレモニィーを行い、各々の市の物産展、上杉、武田の文化展も行なう構想もあったが、物産展以外は実現しなかった。
  市政100周年を記念に新たな取り組みができないかと考えている。」

 塩の道と言えば、妻の実家が小谷村で、まったく縁がないわけではない。
  何故塩市が、あめ市に変わったのか。  
  そのことすら知らなかったわけだが、真相はまだ未確認だが、切られて売っているあめの形が塩の入ったのかます【叺】の形をしているのと関係があるという。

  松本あめ市に関しては、たとえばここをクリック

 今回の規約改正の中にも、このあめ市の現状とそれを打開する方向を見出そうとする町会全体の皆さんの意気込みが伝わってくる。
  一連の皆さんの今日の発言を総合すると、 僅かの時間、知りえた範囲の情報での感想で、間違った点が多々あると思うが、検討しなければならないものがまたひとつできた。
  いろいろな意味で、曲がり角の時期に経済環境委員長になったことを改めて感じる日だった。

 

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11月8日(火)

 協働のまちづくりの実践を強く求めたい      「謀略団体」によるビラ配布 続報   


 四賀地域全域にまかれたビラに関して、昨日付け日誌で発表することで、いくつかの情報が寄せられた。
  その結果、「ふる里を愛し松本市の発展を考える会」の正体がかなり鮮明になってきた。

 実は、去る10月24日(月)にMウィングにて行なわれた第6回松本・四賀直結道路市民意向確認研究会(以下「研究会」)の場で、配られたビラとまったく同主旨の資料を四賀地域でアンケートが行なわれる際の資料として配るように、「ある団体」から「研究会」に文書での申し入れがあり、そのことが「研究会」で議論されたようだ。
  第6回「研究会」の会議録は、まだ松本市のHPで公開されていないが、どうやら「ある団体」からの文書での申し入れについては、「その資料は、公平性に欠ける」という事で、資料としては採用しないことが「研究会」で確認されたようだ。

  「研究会」は、このことを議題にする際に、申し入れの文書に書かれていた「団体名」とその「代表者氏名」については、その公表を避けて、議論をした。
  いずれ会議録が公表されれば、詳しいことがわかるだろう。
  必要ならば、「情報公開」を求めればよい。

  さて、今朝8時半過ぎに四賀支所に電話をし、このビラに関してたずねてみた。
  支所長は、本庁での部長会議に参加という事で、不在だったが、支所長に代わる責任者が電話で応答した。
  「ビラのことは、まったく承知していない。『ふる里を愛し松本市の発展を考える会』も聞いたことがない。」
  とのことだった。
  一瞬その言葉を疑ったが、それ以上問いただすことをやめた。  

 四賀の住民からの情報では、やはり4日には配られ、旧村の職員の間でも、「こんなの誰がやっているか、決まっているではないか。」と話題になっていたという。  
  日曜日をはさんで、火曜日の8日になって、「何も知らない」とすれば、それは情報危機管理がまったくなっていないノー天気か、ないしは、確信犯だ。  
  協働のまちづくりの新しい取り組みが始まり、民意の反映・意向確認の全国的にも注目されている新しい営みが始まっているというのに、その先駆性や意義についてまったく理解せず、旧態依然の手法に固執することが、四賀地区住民の幸せにとってどうした結果をもたらすのか。
  そのことを考えたら、午後別のある幹部が電話で私と話した時、「私たちには関係のない団体がやっていることですので、」では済まされない問題のはずだ。

 そもそも、いまだに「トンネルは合併の条件だった。」という事を公式の会議の場で発言したり、何度そうした主旨の発言があっても、それを正すこともなく、そのことに固執することが住民との関係でどんな結果をもたらすのか。
  菅谷市長が、正式に合併協議会の席で、「トンネルは合併の条件とはしない。」という姿勢を言明した上で、その後の合併協議が進められ合併に至ったことを住民に説明するその責任は、ひとえに四賀村時代の幹部職員が負わなければならないものだ。
  それを怠って、今、新たに生まれ深刻化している矛盾の責も、当然すべて当時の四賀村の行政の幹部関係者が負うべきものだ。
  それを、今になって、「トンネルができなければ、合併なんてしなかった。」という発言が当時のトップ幹部から出ていると聞く。

  「ボス交渉」という言葉がある。
  「住民が主人公」とは、まったく対極の地方政治の手法だ。
  今からでも、協働のまちづくりの理念の徹底と実践を、四賀地域の住民に責任を負う幹部職員には強く求めたい。

 

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11月7日(月)

 「四賀トンネル・市民意向確認プロセス」に挑戦する言語道断の行為   


 「松本・四賀直結道路は、(中略)こんなに軽い負担でできます。」
 「松本市が負担する金額は80億ではありません。僅か17.5%だけの負担」  

 出処不明の上記のコピーをタイトルとするビラが、旧四賀村全域に配られている。
 
すでに11月4日には配られていたことが確認されている。  

 現在四賀地域では、松本市の公式機関である「松本・四賀直結道路市民意向確認研究会」(以下「研究会」)が作成した市民意向確認プロセスに従い、「研究会」の主催で、16歳以上(平成17年10月1日現在)の四賀地区住民全員を対象とする四賀地区アンケート調査が行なわれています。
  「研究会」が、10月17日の住民意見交換会(四賀地区)をはじめ、あらかじめ四賀地区住民はもちろん松本全域の市民の意見に基づき作成されたアンケートと公平な立場から作成された資料が、11月4日から全員に配布され始めたが、それにあわせてのもの。  
   詳細は、ここをクリック

 「文責」が、まったく明らかにされていないこの文書。
  書かれている中身は、11月1日に行なわれた第5回四賀地域審議会(会長:中島学元村長)で「議論」された中身とまったく同じ数字と基調で書かれている。
 この会議には、松本市の幹線道路課の職員をはじめ、
合併調整課の職員が参加して、夜7時から11時過ぎまで行なわれたという。

  四賀トンネルをめぐっては、公式な会議が何度か旧四賀村で開かれているが、「非公式」会議が「公式」に開かれてきた経過がある。
 10月17日(月)の住民意見交換会を控えて、11日(火)夜7時から、四賀支所の会議室を使って、地域審議会のメンバーが集まって行なわれた対策会議もそのひとつだ。
  書かれている中身に、客観性や公平性にかけている部分が多く見られる。
 
  こうした文書を、仮に任意団体が配る場合は、許容範囲かも知れない。
 それを、仮に公式な市の機関の関係者が主宰して行なっているとすれば、民主主義の判らない、機関の責任者には到底なることの資格を持ち得ないことは明白だ。

  このビラは、もちろん手元にあるが、今の段階では公表の対象にはならない。

 このビラは最後に、
  「四賀地区住民16歳以上の全員にアンケートします。(中略)
    誤りのない選択をしていただくようお願いします。 
                               ふる里を愛し松本市の発展を考える会 」
  と記されたこのビラ。  
  冒頭にもコメントしたが、この団体は、誰が中心になって、どこに責任者がいるのか連絡先すら解らない出処不明の団体だ。  
  正体を隠してのこうしたやり方は、まったく言語道断の許せない行為だ。  
 
  今回のアンケートは、四賀地区にとっては「住民投票」に近い形式を取っているが、選挙管理委員会が主催しているものではないが、仮に選挙中にこうしたビラがまかれた場合には、われわれは、「謀略団体」として分類する類(たぐい)のモノだ。

 

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11月4日(金)

 梓川 「北北条の枝垂れ桜」 診断結果   


 7月30日(土)日誌「『北北条の枝垂れ桜』危うし」で、お伝えした枝垂れ桜の、樹木医による診断結果を議員団事務局の三村さんから改めて報告をしてもらった。

 7月30日(土)日誌はここをクリック

 1週間前の去る10月28日(金)の午前中、県の指定樹木医の百瀬義和さん(松本市寿)ほか、県・市の林務担当、松本森林組合関係者、地元北北条より区長さんはじめ役員の方が立ち会って、木の診断が行われ、三村さんもそれに参加してきたのだ。
  その結果、 木の状況は、

  ・樹齢は200年以上と推定される。
  ・空洞になっていることは、桜にとっては当たり前のことで、決して大きなダメージではない。
  ・表皮から5〜7センチくらいのところは、ちゃんと活動している。
  ・10年位前に芯が燃える事故(落雷)があったが、このことが、菌を殺し腐りを止めて、結果的に木には良い影響を与えている。
  ・ 同規模の枝垂れ桜は、他にも何本かあるが、この高さのは珍しくこれがこの木の一番の特徴で立派な木である。

  今後の対策と見通しという点では、
  まず土壌改良、施肥(この費用が約80万円)、
  枝の切り替えし作業(約20万円)
    を施せば、十分に再生は可能である。

 桜は、肥料要求が高いので、肥切れでダメージを受けるが、改善されると回復が早い。
  県下でも、長野市芋井の素桜(そざくら)神社の神代桜(樹齢1200年)、波田町 安養寺の枝垂れ桜などは、再生され、美麻村の「しずかの桜」もこれから再生事業が始まるとのこと。
  しっかり、手を入れれば、十分に長い間樹勢を保つことができる。

  とのことだという。

 長野市芋井の素桜(そざくら)神社の神代桜は、ここをクリック 1   2  

  問題は予算だ。
  天然記念物指定とかあれば別だが、残念ながら、長野県(林務関係)には、こうした樹木の保護のための予算制度はない。
  樹木の所有者である北北条町会は、 先祖からの木であるので大切にしたいと考えているが、手当て費用は大変で地区住民の皆さんに相談してみたい(11月くらいを予定)との意向が役員の方から示されたようだが、市としても何とか保護を考えられないだろうか。
  梓川の風景にこの枝垂れ桜は、なくてはならないものだ。
  有名な写真家の作品にも何度か梓川の枝垂れ桜は登場している。
  梓川支所長とも、改めて電話で話をしてみた。
  議員団としても、政策予算要求の要望項目にあげて行きたいと思う。

 

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11月3日(木)

 千歳橋から栄橋まで 約1kmの眺望   


 第48回まつもと市民祭松本まつりオープニング式典に経済環境委員長として、参加した。  
  天候が少し心配される中、議会を代表して渡辺議長は、夏の松本ぼんぼんが天候不順で途中中止したことに触れ
、「不完全燃焼であった松本ぼんぼんの分を取り戻す意味でも、存分に楽しんでいただきたい。」
  と挨拶、何とか式典中は、市長挨拶の時に、一時的だがスポットライトのように陽が射し、持ちこたえた。  
  でも残念ながら、少し雨に降られてしまった。  

 そんな中でも、歩行者天国となった中心市街地は祭りを楽しむ皆さんでいっぱいになった。
  千歳橋北側の八十二銀行松本営業部の前に設営されたの舞台からの眺望は私にとっては初めての経験だった。
  毎年、5月1日のメーデーのときは、松本城公園にトラックの舞台ができ、その上に上がれば、そこからは大名町の通りが一望できるものの、通りの長さは千歳橋までの約370m。
  その先には、ホテルブエナビスタが目に入って来る。
  (大名町通りと本町商店街通りとは、平行でなく、南北に伸びる本町商店街通りと違って、大名町通りは、北北東に少し傾いているため、道路の眺望は千歳橋で切れてしまい、その目線の先には、ホテルが見えるのだ。)

 今回はその時とは違って、庄内町まで見届けできる長さだ。
 その長さは、およそ1km。  
  松本ぼんぼんのときは、あいにくの雨のため、舞台の上に乗ることができなかった眺望だ。  

 現在、「あがたの森通り」との交差点より南側(県道平田新橋線)は、東側の拡幅工事が進んでおり、かなり広く栄橋手前まで見渡すことができる。
 もし仮に将来、千歳橋から栄橋まで歩行者天国というイベントが開くことができれば、舞台からの距離は直線で約930m、新しい企画になることは間違いない。
  (ちなみに、駅前から県の森までの距離は、約1450mだが、舞台を設置等を考えるとこのラインは難しいのか)
 いずれそうした日が来ることだろう。  

 さて式典帰り際に、旧車・名車フェスティバルに寄ってきた。
  スバル360、パブリカ、トヨタ800、ベレット、シルビア、2000GTR、「横目」のセドリック 
  など懐かしい車が数多く並んでいた。  
  そんな中でも私にとっては、忘れられない車、「サニー1000」を発見した。
  その車は、丸い白い帯がついたタイヤを装着し、今でも現役で走っているという。  
  しかし、この白い帯つきのタイヤは、確かオイルショック以後は、販売されていないはずだが、もし今でも現役で走っているとしたらおかしいと思ったが、近くにいた所有者は、 「このタイヤは、展示用にとってあるもの。」と説明があり、納得した。

 実は、私の父親は、当時の日産プリンスの販売代理店を経営しており、私は生まれたときから自動車に囲まれて育ち、興味を持ってきた。  
  そして、父親の車にのせてもらった時は、すれ違う車の車種を当てるのが、小学校時代からの父親との会話の主なものだった。  
 今でも忘れない。
 「ダットサンサニー1000」が日本の大衆車として初めて売り出されたとき、車の名前も日本で初めて公募したのだ。
 確か50万円を切ったはずだ。  
  私もそれに応募した。  
  父親と考えに考えた私の応募作品「キューピッド」は残念ながら、もちろん採用されなかったが、そんなこともあって今でも思い出が深い。
 1966年のことだから、私が中学生のときだ。
 実にタイムスリップしたようで、その後3年ほどで他界した父親のことも思い出させてくれた。  

 当時、名車といわれたフェアレディZやトレノ、レビン、RX7、など本当に懐かしい車がいくつか見ることができた。
 いすゞの「117クーペ」は今でもGマークがつきそうなデザインだ。  
  でも残念ながら、一番のってみたかった、「プリンススカイライン」は見ることができなかった。
 あの鋭角に張り出したフロントグリルには、今でも気品と憧れを覚える。

 

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11月2日(水)

 「護憲派が消えた」でいいのか   


 「産経」が新聞週間にあたっての10月18日の特集で、全国紙の社説を検証し、「護憲派が姿を消した」と論じたようだ。  
 「改憲派」最右翼の「産経」の論調は、この傾向を良しとするものであって、警鐘を発するものでないことはもちろん明らかだが、現物を見ていないのでこの段階でのコメントはできないが、しんぶん赤旗で「マスメディア時評」を書く宮坂一男氏は、10月20日付けの記事で、「権力の監視役の自覚忘れてはいないか」と論じ、続いて表題のように続けた。

 宮坂一男氏の「マスメディア時評」は、以下をクリック

 「権力の監視役の自覚忘れてはいないか」
  「護憲派が消えた」でいいのか

 (産経新聞を入手次第、詳細を語ろうと思います。)

 

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