5月31日(火) 現地では、元議員の笹原さんが、案内してくださったが、その途中の車の中でのお話も実に衝撃的だった。
「川をダーンとまず水が行った。(波が川をさかのぼった。) 戻った波と後から押し寄せた波がぶつかり合って、うずを巻いて、
津波の水は、ただの川の水や、海の水ではない。 想像するだけで、身の毛がよだつ話だ。
2ヶ月経っても、瓦礫の状態は写真のままだ。
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5月30日(月) その2 それについては、ここをクリック (部分的に本のページが紹介されています。) ほかにもいくつか、無断(失礼?)でHPを拝借しますが、当日の釜石の様子をリアルに伝える動画もある。 釜石市の画像については、ここをクリック また、中川さんのお話の第一部については、ここをクリックしてください。
尚、お話の中で出てくる津波記念碑に関しては、その文中の部分をクリックしてみてください。 画像は、あまりにリアルで、体が固まってしまう。
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5月30日(月) 昨日の大槌町での無料フリーマーケットに続き、今日も釜石市の2箇所の仮設住宅を訪問する予定でしたが、大雨洪水警報が出たため、やむなく中止。
釜石市では、5月24日に議会が開会、今日から一般質問が行われていました。 野田武則市長さんからは、 などのお話がだされました。 昼食後、午後1時からの共産党の坂本良子議員の一般質問を傍聴し、雨の中を遠野市の事務所に帰ってきた。 (順次 ご報告いたします。)
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5月27日(金) 河床の土砂を、梓川右岸の川原に「置き土」して、再度川に戻す試験「梓川自然再生プロジェクト」の現場も見てきた。
ところで、現地に向かう車中の中で、上下水道局から、3月12日以来、5回にわたって行われた東日本大震災に伴う応急給水活動の様子が報告された。
視察から帰ってきて、事務所と連絡を取ると、500枚ほど配布したチラシを見た地域の方から、米など物資が届けられたという。
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5月26日(木) 今朝は、5時起きで、地域に、特に街頭宣伝を行なった地点を中心に、次のチラシを配ったところ、早速、物資が寄せられました。
あすの朝も、同じチラシを配る予定です。
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5月23日(月) 「原子力発電につきましては、私自身はいまだに一番いいものだと思っております、エネルギーとしては。ですけど、いまの状態でですね、これをもっとやれとか、そういうふうな言える状況にはありませんから、まず皆さんがたがいろいろお考えになっていらっしゃることをやっていかれればいい。そうしてその結果、産業の構造がどのように変わっていくか、そういったところも見られて、また将来いろいろと動きがあるのであろうというふうに思っておりますよ」 戦場に喩えての今回の福島原発の事態の収束に関しての発言は、かなり違和感を感じるものだ。
議論を聞いていると、福島は大したことはない、やり方次第で制御出来た、できるという内容だが、モンスター化した福島の危険性はもちろんだが、一番肝心な点が抜けている。
「靖国神社」問題の本質が、「合祀の是非」論ではなく、「日本の戦争は正しかった」論を広める「運動体」にあることを明確にした時のことを思い出した。
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5月21日(土) 「原発情報は各メディアにもあふれている。しかし、どれも隔靴掻痒(そうよう)の感があって、この国難の乗り切りに不安が増すばかりだ。 そんななか、14日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」に3ページにわたって掲載された不破哲三社会科学研究所長(81)の<原発災害講義>は出色だった。」 2009年6月13日にも、岩見氏は、「マルクスと不破哲三」と題して、同じ「近聞遠見」で不破哲三さんを紹介している。
「分量は400字原稿用紙50枚ほど。」「一読をおすすめしたい。」とも書いている。
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5月18日(水) それに関するチラシは、ここをクリック 当初は、28日〜31日の予定でしたが、前日の夜に出発することになりました。
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5月17日(火) 正副議長をはじめ、4つの常任委員会の構成が議決された後、それらの議案が提案され、審議された。
質疑の様子は、ここをクリック (33分30秒ごろから始まります。) 今後は、2人で分担し、こうした質疑を増やすことになると思う。 討論の様子は、ここをクリック (7分56秒ごろから始まります。) 19日には、建設委員会の概要説明が行われる。
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5月16日(月) 今回の議案は、これまでの限度額(現在総額で73万円)を、4万円値上げして、77万円とするもの。
それに当たって、改めて、この間の国保に関するブログの書き込みをまとめてみた。 それについては、ここをクリック 質疑の結果を受けて、改めて態度を表明したいと考えます。
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5月15日(日) 菩提寺の和尚さんによって、法要を済ませた後、別会場でお斎の席が設けられた。 「しゃくていのいちざんすい ながれをくむせんおくのひと」 曹洞宗大本山永平寺の正門の左右の石柱に刻まれていつという。 曹洞宗の布教リーフレットには、この意味が紹介されている。 母の供養の宴席に、実にうれしいお話だった。
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5月14日(土) 今回は、予定されていたマルクスの「経済学批判・序言」の前に、特別補講が行われた。
「『科学の目』で原発災害を考える 社会科学研究所所長 不破哲三」 原子力の利用をめぐる歴史的な2つの不幸 加えて、 などなどの話は、実にわかりやすく、現在進行中の福島原発問題の深刻さを改めて確認することが出来る。 是非多くの皆さんに、少し長いですがこの記事をご覧いただければと思います。
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5月11日(水) ところで、議会人事2日目。 今日は、4つの常任会ほか、各種「会」へ人選が行われた。
最初、4常任会の割り当て作業も今までどおり始まり、結果として「残り」が無所属、と言うはなしに一旦はなった時点で、ある議員が、「四人の無所属議員に、あらかじめ各委員会の1つを割り当てたらどうか。」を提案、その案が確認された。
実は、議会人事を行うにあたって昨日の午前10時から行われた議会全員協議会の場で、「是非、松本広域連合議会議員選任に当たっては、立候補制も考慮に入れてもらいたい。」旨、発言要望しておいた経過がある。
私の活動域は、今期最初1年目は、建設委員会と松本広域連合議員。 今後も、広域連合議会での一般質問を含め、積極的な活動が求められる。
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5月10日(火) 所信表明の全文は、ここをクリック 尚、私たち議員歳費の復興予算への振り替えに関しては、別の機会での提案とすることにした。 その結果、第1回目の選挙で、「池田国昭」に5票が投じられた。 議長選挙の投票結果は、次の経過をたどり、 1回目投票 2回目 最終投票 (選挙毎に候補者が絞られ、最後は候補者が2人に絞られての結果だ。) といずれも、「最大会派」筋の立候補者の話は伝わってきてはいたが、実際には立候補なしという、予想外の展開となった。
明日は、常任委員会、特別委員会の正副委員長はじめ、残りの議会構成が固まる。
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5月9日(月) 自分でも、確認しながら、明日以降の内定作業に臨みたい。 2009年5月の日誌に関しては、このHPの上のバーの「DIARY日誌」の部分をクリックしてもらえれば、ご覧いただけますが、
また、無所属議員の扱いに関しても、何度か議会の中で議論してきているが、「発言時間」も含めて、これに関し、自らの発言の内容を読みなおす必要がある。
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5月7日(土) オバマ大統領が、プラハで核兵器廃絶に向けた演説を行ったのは、1昨年(2009年)の4月5日のこと。
市長は、どんなの要請文をアメリカ大使館に手渡すのか、実に興味深い。 週明けには、議会人事をはじめ、いくつかのテーマの展開がある。
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5月6日(金) 選挙中、街頭から、毎回「東海地震の震源域のど真ん中にある浜岡原発は、直ちに運転中止を」と訴えてきた。 それが、実現の方向に向ったといえる。 詳細は、明日のしんぶんで明らかになるだろう。
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5月3日(火) 訴えをする前に、改めて憲法を読み直してみた。 もともと、企業の儲けは、資本主義社会の中での労働力の売買から生まれるもので、「労働力の消費」の産物だ。
宣伝後、1時半からの憲法施行64周年記念松本市民集会に参加した。
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5月2日(月) 今後の議会日程だが、1週間後の9日正午締め切りで、会派届けが行われ、10日、11日の二日間かけて、正副議長、監査委員の内定、委員会への所属、会派の部屋割りなどが決め、5月17日(火)に、第2回の臨時会が開かれ、すべてが正式に決定される。
団会議では、早速、一般質問の項目についての議論も始めた。また、救援募金を持っての東北地方へのボランティアについては、今月末に向う方向で日程調整に入った。 いよいよ、二人力を合わせての議会活動が本格化する。
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5月1日(日) 「第82回メーデー」メッセージ 3月11日、午後2時46分に発生した東日本大震災から、今日で52日目となりました。
また、全建労の境中央執行副委員長は、連帯のあいさつの中で次のように述べた。 「今回の災害を受け、国土交通省は『不足の事態に備え、被害を最小限に食い止め、災害等の発生に対しては速やかな復旧・復興などの対応を図る』事としていますが、職場では、国家財政危機を理由に、河川道路の維持管理予算が削減されています。 また、定員削減計画により業務量はそのままで人員は減らされ、現場の経験をする機会も時間も無くなり、防災官庁としての職員の技術力は低下する一方です。 災害対策、防災官庁としての十分な体制にはなっておらず、今後防災官庁としての行政執行体制の見直しが必要です。」 さらに、地域の防災のためには、 この挨拶については、ここをクリック 松本地区集会実行委員長のあいさつや、そして各団体の連帯の挨拶を聞いて、選挙中の自らの訴えと実に重なることに、ある意味「驚き」を感じた。
菅谷昭市長の挨拶については、後刻発信します。
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