12月31日(水)


 NEWSこんにちは108号


 午前中に、新聞赤旗のご購読のお願いをしたあと、午後は明日の元日から、地域の皆さんへご報告する 「NEWSこんにちは」の「108号」の作成にかなりの時間を費やした。
  予定していたよりもその編集に時間がかかり、印刷も夜までかかっても、半分しかできず、完成させる事ができなかった。

 残りの印刷と製本は、新年の初仕事なってしまうだろう。

 今回の「108号」は、今年の4月以来のこのHPの日誌を選抜し、それをテーマ毎に並び替えたものだが、時間をかけられず、出来上がる予定のものは、A4版、表裏表紙を含めて64ページに及ぶもの。
  表紙は、帰省中の長男に手伝ってもらったが「アルバイト料が出ないから手抜きだ。」と言う作品だ。
  吟味できればよかったが、とりあえずの報告書になってしまった。

 改めて、われながらよく書いたものだと思うほど、その日誌の分量はかなりのもの。
  このHPをご覧頂いた皆さん、お付き合いいただいた皆さんはさぞかし大変だったことを改めて思いました。
  妻からもいつも、「長すぎる」と言われていたのですが、改めて思い知らされました。

  そんな中、ご覧頂いた皆さんに感謝申し上げます。
  ありがとうござました。

  さて、余計な事、稚拙な表現など読み直してみれば、手直しをしたいものばかり。
  もう少し読みやすくできればと思ったが、これも時間がなく、そのまま掲載する事になりました。
 地域の皆さんへの遅ればせながらの、今年4月に当選させていただいてからの私の議会報告です。
 字ばっかりですが、お読みいただければ幸いです。

  今年は実に多くの皆さんからお世話になりました。ありがとうございました。
 来年は、やり残した仕事、公約の原点に立ちかえり、改めて力を尽くす決意です。
  本当に1年ありがとうござました。  

 作業を終えて、テレビを見ると、 SMAP 世界にひとつだけの花 が流れていた。
  まさに、子どもたちと世界への平和のメッセージにふさわしいものだった。  

  今年3月の  「世界にひとつだけの花」 SMAP の日誌は ここをクリック

 

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 12月30日(火)


 どんな松本市にするのか


 出馬表明した田口敏子氏は、松本市をどうするか、その政策を見てみた。
  24日の出馬記者会見で、発表された「次の一歩へみなさんと共に」と題された文書によれば、・・・

 どうゆう松本をつくるかでは、
   ひとり、ひとり、が、耀き、ときめき、ぬくもりを感じるまち松本へ
   みんなで創る美しい松本  心やさしい深い愛情あふれる松本へ
   健康、希望、そして笑顔につながる市民一人ひとりが大切にされる安心のまち・松本
   この地に訪れる人々が、耀き、ときめき、ぬくもりを感じるまち松本
   一人ひとりが理想、夢に思いを馳せ、心を燃やし、この地に生きてよかった と生きる喜びが実感できる  松本を
   松本市は松本市です。 オンリーワンのまちを目指して
   松本の活性化 頑固に城下町松本を守る事、伝承する事が、松本市が都市としてあらゆる分野での活性化につながる事になる。
   と理念的な紹介があったあと そのための政策として掲げたものは、

  T 次の一歩で、「即、取り組むこと」として

  1、 新市民会館の「管理運営」のあり方を抜本的に見直し、再検討し、市民の手による市民のための新市民会館に
  2、 合併について、「いったい市民生活はどのようになるのか」具体的数値をも示す等、市民、住民の合意を得る作業を解りやすく
  3、 雇用対策として、松本市独自でも、「失業対策事業」をすすめる。
  4、 常設型住民投票条例の制定へ向けて検討を開始する
  5、 待ったなしの高齢者のための入所施設の整備=建設、他の施設の活用
  6、 県、近隣市町村との信頼関係の回復
  7、 市長交際費の1ヶ月毎の公開
  8、 「業者」を市長宅へ招く、呼ぶ、会食するなどを止める
  9、 市長報酬の30%カット
 10、真の意味での行政改革。上下水管理者の廃止。

  そして、
   U 行政のあり方、進め方を市民のみなさんにわかりやすく、公平にガラス張りの運営のために

  1、 部局横断型のシステム、組織に
  2、 本物の市民益につながる、胸の張れる公共事業の推進。地元企業を大切に
  3、 情報公開の充実。公の情報、説明は結果のみでなくそのプロセスから
  4、 市民としての権利と義務を丁寧に説明、確認する
  5、 市民のみなさんと協働のまち創りをさわやかに
  6、 次代を担う子どもがのびのびと育つことが、社会経済を活性化させる
  7、 「人権尊重」 男女共同参画社会、人権擁護、推進への対策の充実
  8、 メリハリのあるまちづくり
  9、 都市の活力の源<社会経済システムの変革>の創造
  10、市民の皆さんの知恵とアイデアを募る姿勢、体制を大切に
  11、施策を進める上でのプラス面、マイナス面の両面を徹底公開説明し、低次元でのしがらみを断ち切ること
  12、「破壊された精神文化」の再構築
  13、徹底した情報公開、説明そして丁寧に議論を重ねるシステムの構築
  と、具体的に T では10項目、 U では13項目をあげている。

 T の部分では、 2、の合併の項目は、この表現では、「合併のためにしっかり合意を得ること。」というように私には読めます。
  9、10の項目は、今まで私もあまり検討したことのなかった点です。

  U の部分では、 1、 12、に関しては、少し説明が欲しいところです。
  9、については、<社会経済システムの変革>の意味が良く分かりません。

   そのほかについては、基本的には私たちの主張と共通点を見出すことができます。

 もうひとり擁立運動が伝えられる菅谷昭氏に関しては、その主張などまだ私たちに検討できるものがありませんが、いずれご紹介できるものがあれば、お伝えしたいと思います。

  いずれにしても、25日に「明るい会」の声明で明らかにしたように、市政を変えたいと願う全ての皆さんとの対話を積極的に行っていきたいと思います。

 

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 12月26日(金)


 恐竜の背比べ


 毎年恒例の仕事納めの式が、今日も5時を少しまわって始まった。
  私はいつも、市長の1年の締めくくりの発言として、毎年欠かさず必ず聞くことにしている。

 5時を少しまわったところで、控え室にもスピーカーから市長の挨拶が流れてきた。
  「まさに今年は、 ハードからソフトの時代。
  四賀村、西部広域町村との合併。共に新しい松本を作るべく取り組んできた。
  市民芸術館も90%近い竣工。
  記念すべき福祉イヤーの取り組みも行ってきた。
  私の市政12年も、余すところ3ヶ月。
  いろいろな事を進めてきた。 
  H14年までに大型事業がほぼ終了した。 中央西区画整理事業、新焼却施設、 下水道も、H3年時 64%だったものが、ほぼ100%の普及  道路の改良率もH3年  57%だったものが、H14年69%の改良率となった。
  このように、福祉と文化の市政として力を注いできた。
  それでも、借金は少ないわけで、市民(住民)一人当たりで見ると、
 県の平価は、43万7000円。 一番多いところが、66万円、長野市が47万円に対して、 松本市は、35万5000円と 一番少ないところ=33万4000円と比べても少ないほうだ。」

  という紹介をした。

  数字の吟味はいずれ行うとして、はたして「借金は少ない」といえるのだろうか。
 県下の市と比べて「少ないほう」だから、大丈夫といえるものなのか。
  ここは検討が必要だ。
 グラフはいずれお伝えするが、松本市の普通会計(ほぼ一般会計と同じ)の借金は、有賀市長が就任したH4年4月の時点で、約400億円であった借金残は、H14年度決算で見ると、金額で、約725億円になっている。
 しかも、市長が挨拶で述べた新焼却施設(ラーラ松本も含む)の借金は、松本西部広域施設組合に移され、松本市の借金額にはカウントされていません。
 それを含めれば、おそらく800億円を超えています。
 いずれにしても、この12年間で2倍以上に増えたのが松本市の借金です。

 その結果、経常収支比率は、H3年の時点では、59.6%だったものが、H14年度では、少なく見積もって(注1) 76.9% になっています。
  赤信号の80%まであと一歩、そして市の発表した見通しによれば、市制100周年のH19年には、「79%代後半」と 赤信号直前となることが分かっています。

  どんぐりの背比べという言葉がありますが、県下に限らず、全国の都市の借金の状況は、 国の借金財政同様、どこも同じような借金の状態。
 その中で、「他と比べても少ない」といってもそれは、大変な状況の程度の差くらいのものです。

 ある人はこれを「キリンの背比べ」と例えましたが、私は「恐竜の背比べ」というのがある意味では、本質ではないかと思います。
 恐竜が絶滅した説には、幾つかのものがあってまた定説はありませんが、その中のひとつに、森林の樹木の葉を高い幹の上へ上へ食べ尽くし、さらに上の葉を食べるためにまた体が大きくなりその結果絶滅したという説もあるようです。

 来年度の国の予算も半分が、借金で成り立っています。
 
そして地方も実に同じような状況です。  

 注1:以前にもお伝えしましたが、税収不足や地方交付税不足を補うための「あたらな借金」を経常一般財源に加えなければ、81.3%になります。

 

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 12月25日(木)


 市政を変えたいと願うすべての皆さんに、
  「住民こそ主人公」の松本市政実現のため、市民的対話と共同を呼びかけます



 19日付けで日誌でお伝えしたように、明るい民主市政をつくる市民の会(「明るい会」)で、来春の市長選挙にあたって と題して、代表委員の藤沢満雄地区労連議長さん達と一緒に記者会見を行った。
  事務局長として、私の方から、その全文を読み上げた。

  お解かりの通り、19日の時点で予告したタイトルと中身が多少変更になった。
  昨日、田口敏子元議長が、正式に出馬表明をしたこと、また別の方を擁立しようという動きがあることを踏まえ、誤解を与えないようにより正確に表現したものだ。

  声明の全文は、ここをクリック

 記者団からはいくつかの質問が寄せらた。
  代表委員である日本共産党清水啓司地区委員長は、次のようにそのポイントを説明した。

  「過去の選挙では、独自の候補者を立ててたたかったが、今回は既に現市政を変えるという事で、その意思を示す方が生まれている。ゆえに、今回はその必要性はないだろう。」
  「いまの時点で、誰を「明るい会」の候補者として確認するというものでもない。」
  「田口さんも排除するという事ではない。」
  「今までは、政策協定を結ぶという事であったが、それにもこだわるものではない。」

  私の方からは、
  1月26日(月)夜、松本勤労者福祉センター 第7会議室で、「明るい会」の総会をかねたシンポジュウムを開催する事も同時に発表した。
 それまでに、「明るい会」としての政策の作成、発表、そして市政の転換に向け対話と共同で積極的にアクションを開始するという事です。

  それに先立って、毎年行う市長への来年度予算編成に向けての「政策・予算要求」を市長に提出した。
  正直、拍子抜けの申し入れとなった。

  昨年の「事件」と比べたら、本当に穏やかな「話し合い」となった。

    (昨年の「事件」の様子は、ここをクリック)

  来年度の当初予算は、いわゆる「骨格予算」ということで、「政策予算」部分は、「新市長が作る」(有賀市長)ものだからかもしれないが・・
  そして、30人規模学級のこと、産廃施設、BSE対策、など逆に市長から長野県政に対して要望を4つも出されて、その見解を求められた。

  市長への「申し入れ」の全文は、ここをクリック

 

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 12月24日(水)


 悪い癖は、いつまでも直らない


 明日の午前8時45分からの、毎年恒例の市長への「2004年度 政策予算要求」の準備と、同じく午後3時から行われる「明るい会」の市長選挙に関する記者会見に向けた準備で、ほとんど1日が費やされた。

  午前中の議員団会議は9時半から開催。
  松本市内での「事件」のことも考慮し、そのタイトルを 「市民のくらしと営業を支え、健康と福祉を守り、子どもたちの健全な成長を保障する重点施策」 と改めて出す事にした。
  午後は、「明るい会」の加盟団体、役員の方々との打ち合わせと発表「声明」文書のすりあわせ、作成をほぼ済ませ、夜は、協立病院の理事会に出席、
  その後ほとんどの時間を「2004年度 政策予算要求」の文書の作成に当てる事になった。

  さすがに、朝方6時くらいになると急に冷え込んできた。

  どうも、ぎりぎりにならなければ、いろいろな事をやらない自分の悪いくせはまだまだ直らないようだ。
  そしてこの癖は、これからも直らないだろう。

  (詳しいことは明日の日誌でお伝えします。)

 

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 12月23日(火)


 「歯止め」どころか派兵への露払い


 神崎公明党代表がイラクを訪問したことで、イラク派兵が文字通り加速した。
  これは、赤旗の記事だが、まさに本質を伝えている。
 公明党は、イラク派兵の「基本計画」を決定する際、自民党と「覚書」を交わした。
  その中身は、
  1、 陸上部隊の活動は、首相が現地の治安を十分に見極め、改めて適切な指示を行う。
  2、 与党と緊密に協議する。
  というものだが、この「覚書」をもって、冬柴幹事長が
  「公明党の提案によって、明確な歯止めをかけることができた。」
  と大宣伝してきたものだが、  わずか3時間半の現地滞在期間で、「安全宣言」したことが、まさにパフォーマンスにとどまらず、派兵のGOサインとなったのだ。

 今日は、午前11時から、松本城公園で全県のイラク派兵反対の集会が、やく1000人集まって行われた。
 1000人とは、これ程かと思ったのは、松本城から千歳橋までデモ行進がつながっても、私たち最後尾の方はまだ出発できなかったからだ。
  久方ぶりの規模の集会だった。
 集会には、次男と三男をつれて参加してきた。

 その集会の席で、自衛隊員を息子さんにもつお母さんの声が全体に紹介された。
  イラクへの自衛隊員の派遣は、「なんとしてもやめて欲しいです。」と訴えていた。

  「自衛隊員を息子さんにもつお母さんの声」全文は、ここをクリック

 先日(21日)に行われた私たち日本共産党の中信地区委員会の党会議で、藤沢議員が紹介していたが、
  長野県議会でも、まとまりかかっていた「イラク派遣に関する意見書」の採択を、公明党が壊したようだ。
 まったく各議会でその形はいろいろだが、公明党という政党は、「福祉の党」という看板と同時に、「平和」の看板を完全に下ろしたといえる。

  夜は、Mウイングで行われた「愛と平和の集い パート6」に行ってきた。
  県の衛生部長の菅谷昭氏の
 「地上の星・チェルノブイリの子どもたちが教えてくれたこと・・・地球市民の責務」
  と題された講演を聞いてきた。

  「納得して死にたい」
  「あせらず、気負わず、自分のできる範囲で」
  「行動を起こすときは、あせらなくても何とかなる。地道にやっていけば。」
  印象的な、そして菅谷氏の人となりを語る幾つかの言葉を聴くことができた。
                            (続きはいずれ)

 

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 12月20日(土)


 やっとPCの故障が直った


 何人かの方からアドバイスをもらい、原因を少しずつ絞り込む作業を進めたところ、原因はLANケーブルだったようだ。
 「ようだ」というのは、ケーブルのコネクターの部分をカシメ直す事によりつながったからだ。

 その結果、今回も新しい事でいくつかの発見があった。
 LANケーブルはご承知の通り8芯のケーブルだが、色分けされている8つのケーブルが2本ずつ縒って、4つのグループになっているが、その縒り方が、4つとも違うと言うのだ。
 確かに、よく見るとひねり方の間隔が4つとも違う。
  一番広いのと狭いのを比べると2倍くらいの間隔で違いがある。
  そしてその4つがまた縒られている。
 その事が、高速のデーターの転送を可能にしているとのことだが、ケーブルにもランクがあることは知っていたが、こうした仕組みの違いや材質の違いでそうなっていることまでは知らなかった。
 ケーブルのコネクター部分の取り付け作業を見せてもらう中で教えてもらったこと。

 結果的に、私自身はコネクターの付け替えはせずに、なんとなく直ったのだが、技術進歩と人類の知恵というのか垣間見た感じだった。
 短いケーブルならば、それごと換えれば済んだことで、そうすればこんな発見はなかったわけだが、我が家の場合ケーブルが壁の中を這わせているので、簡単には交換できなかった。
  いろいろ便利になって簡単に見えることの中にも、重要な技術が隠されている。

 「そういうことこそ知っておく必要がある」というのが、その人の言葉で一番印象的だった。

 実に何人の方からご協力を頂いた事か、本当にありがとうございました。これでひとつのストレスがなくなりました。

 (19日付け日誌もアップしてあります。このまま続けてお読みください。)

 

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 12月19日(金)


 新しい市政実現に向け、大同団結を呼びかけます


 来春行われる市長選挙に関する話し合いを関係者で行った。
  来年3月7日告示、14日投票で行われる松本市長選挙では、現職の有賀氏は出馬表明はしていないものの来年の初めにその表明をすることが確実視されている。
 それにたいしては、元議長の田口敏子氏が、出馬の意向を固めたと報道されて以来久しい。
 そしてこれも新聞報道だが、現在、県の衛生部長を努める菅谷明氏を擁立しようとするグループが存在する事も伝えられている。

 そうした中で、私たち「明るい会」の方針を検討する会議だ。
  総選挙前も何回か会議を開いていたが、しばらく中断していたのは事実だ。  
 情勢分析の中では、幾つかの新しい情報が交換されたが、結論として、「大同団結を呼びかける」声明を発表、25日には記者会見を行うことを確認した。
 そして、来年の1月下旬に「明るい会」の総会と松本市政に関するシンポジュームを行うことも確認した。

  この間私たち「明るい会」は、現市政の改革に向け、毎回の市長選挙で取り組みを行ってきた。
  4年前も、私たちは、共同の力で、候補者を擁立したたかうための努力を行ってきたが、残念ながらそれには至らず、「明るい会」の独自の候補者を擁立してたたかった経過がある。
  その時点から、新市民会館の建設に、「100億とも、200億とも」いわれる巨額のお金を使う事の問題点を指摘し選挙戦を戦った。
  そのときの議会での力関係は、まさに「オール与党」対日本共産党の議員団5人という状況だった。

  それ以来4年間、この市民会館を巡る問題では、議会内外で日本共産党と市民の皆さんとの協力、共同の関係、経験が幾つか生まれた。
  そして、そんな中での今年春の市議会議員選挙。
  そのときから既に市政そのものの転換を求める声は、4年前とは比較にならないほどのものだった。
  今回は、そうした情勢の中での来年の市長選挙です。

  はっきり申し上げて、現職の「強さ」と新人とのたたかいは、一般的には一騎打ちでも容易なものではないといえます。
  今回は、具体的に現在市政を変えよう、新しい市長を誕生させようとする動きや営みが行われている中、私たち「明るい会」は、そうした市政を変えようと願う全てのみなさんと共に力をあわせて、大同団結して、市政転換のために努力するという主旨の声明を発表する事を確認した。

 12月議会でも、何人かの議員が有賀市長に対し出馬表明に関して質問したが、とうとう最後まで市長はその発言を控えた。
 私は、議場で「それは作戦だよ。」と発言をした経過がある。

 しかし、議会開会日の提案説明で、「向こう4年間の政策」とも取れることが幾つか出されたが、その中で最重点課題として挙げたのが合併問題だった。
 四賀村との合併は既にかなり具体的に進められる中で、ご承知の通り、松本四賀直結道路のトンネルの建設が計画されている。
 80億とも100億とも言われているこのトンネル工事。
 地方の財政危機が問題にされ、その「解決策として」の合併を打ち出しながら、一方でこの財政危機の一番の原因であった大型の公共事業を条件に合併しようとする今回の四賀村との話し合い。
 この合併を契機とする公共事業は、他に西部地域との合併の話し合いが行われている中で、四賀村との関係だけにとどまらないことは明らかだ。
 以前私は、平成合併のその狙いは、「住民サービスを低下させるための仕組みづくり」とそんな中でも大手の企業の儲けを確保するための「新たな大型公共事業の発掘」と言うことを指摘したことがある。

 改めてこうした市政でいいのか。この点も大きな争点に浮上するのではないか。

 

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 12月17日(水)


 イラクへの自衛隊派遣「見直し」意見書を、数で否決
   まさに「抜骨堕胎」



 議会最終日。
  結局「多数決」で、総務委員会での「総意」で確認された意見書=自衛隊の派遣「見直し」を否決し、松本市議会として、イラク派兵「容認」の意見書を可決した。

 採決に当たって、私は、「議第12号」=自衛隊の派遣「見直し」案の提案説明を、3人の提案者を代表して行った。
  1、 この「議第12号」が、総務委員会で、総意で確認された経過。
  2、 私たちが、総務委員会での「総意」で確認された意見書案をそのまま「議第12号」として提案した特別な意味について。
  3、 その「議第12号」を、骨抜きにし、慎重という言葉を使い、派遣「見直し」から「容認」へと180度変えてしまった「議第11号」と意見書のタイトルは同じだが、その違いについて
  4、 日本の進路にかかわる平和を巡る問題での、松本市の議会のあり方について
    などを主旨として発言した。

 途中、「何度」も、しかも「しつこいほど」議長から発言制限が加えられた。
  何のことはない、「意見書案を読み上げなさい」と言うものだったが、あまりに議長として、その対応は稚拙すぎはしないか。
 確かに、松本市議会では、意見書案の提案説明は、この間
  「意見書案の原文を読み上げて提案説明に代えさせていただきます。」
  というのが通例で、私は、いわばなぜこの意見書案を提案するかの本来の提案説明をしたわけだが、過去にそんな例がなかったからかもしれない。
 しかし、提案説明とは、原文を読み上げるだけがその目的ではない。
  原文は、そのものが既に議場にも配布されており、「原文を読み上げ」の必要はむしろないものだ。
 それより、なぜ、この「議第12号」を提案しなければならなかったのか、この「議第12号」に代わってもその説明をしなければならないものだった。

  しかも、全国の議会で、そして松本市でも議会運営上参考にしている「議員、職員のための議会運営」(自治日報社 編纂:地方議会研究会)によれば、
 「提案説明は、事件の内容と提出理由ですから、全議員に理解されるよう、できる限り詳細に行う必要があります。詳細に行えば行うほど時間を要します。」
  と書かれており、
  議事運営能率とのかねあい考慮する必要があるという指摘はありますが、私の提案は決して長いものでもありませんでした。

 議長も、総務委員会の委員として、この「12号」に関する経過に一部始終参加し、承知しているはずで、私の提案説明は、なぜ「11号」とタイトルが同じなのかの説明も含めて、総務委員以外の議員には初めて説明される事である。
 必要最低限に絞ったものだ。
  本来的には、「12号」こそが本流で、「11号」はいわば亜流の意見書案だ。
  その本質も明らかにしなければならなかった。

  「11号」は、「換骨奪胎」という手法があるが、「抜骨堕胎」という中身だ。

  採決は、議会運営委員会で私の方から提案し、記名投票で行われた。

 「12号」に賛成した議員は、日本共産党の5人とさわやか市民ネットの5人 計10人であった。

 討論では、日本共産党からは、犬飼議員が、さわやか市民ネットからは、宮下正夫議員がそれぞれ、12号に賛成討論、11号に反対討論を行い、  公明党黒田議員は、逆の立場で発言した。
  黒田議員が発言を終了する寸前に、私は
  「それならはじめから反対すればいいではないか。総務委員会副委員長(公明党)として意見書案(=「12号」)の提案をしなければ良かったんだ。」
  と、強く議場から叫んだ。
  しかし、この発言は間違っていたかもしれない。
  やはり最後まで、「総意として確認した事に責任を負うべきだ。」と言うべきだった。

  提案説明も、準備が十分な時間がなく、2つほどメモしてあったことを落としてしまった。

 私の提案説明、犬飼、宮下議員の賛成討論は  ここをクリック  下のほうにあります。

  12月1日から始まった12月定例市議会。 またしても、松本市の議会は、汚点を残した事になる。

  昨年の県議会の知事不信任決議案が通過したときのような感じだった。

  (PCの故障で、2日分いっしょの更新です。12月16日日誌も続けてお読みください。)

 

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 12月16日(火)


  強引な「再議」


 午後1時から総務委員会。
  平林委員長は、開口一番次のように切り出した。
  「昨日(15日)最終的に集約したことは、原案を総務委員会の総意で、(総務委員全員連盟の議員提案で、)昨日確認した文書を、意見書採択の議案として、議長に提出する事ことであったが、 その決定に対して、複数の委員から『意見』があった。そこで本日の会議と言うことになった。」
  と切り出した。
 何のことはない、要は、一度決めたことを覆すために委員会の招集をしたということだ。

  議会用語で言うところの、「一時不再議」の原則に反する提案だ。
  (委員会においては、「一時不再議の原則は、審査の過程で実情に沿うよう運用する」という先例を持ち出してのやり方だ。) 
 ( 一時不再議とは、結論がでた同じ案件を同じ議会の開会中に二度審議してはならないと言うこと。)

  私は、早速意義を唱えたが、 他の議員からも同様の意見が出た。
  「論議し集約した事を変えるということは、私の過去30年以上の議員生活の中でも一度もなかったことだ。」
  「会派の議員から反対があったというが、会派に持ち帰らず、ここで結論を出す事を確認した上で、出した結論であったはずだ。」

 それに対し、委員長が
  「委員長として(総意で昨日まとめたやり方が)正しいと信じて進めてきたが、半ば強行ということになった。」
  「皆さんに納得いく範囲のものとしてやったが、不十分であった事は反省したい。私の判断であった。再度開いたということは、正副委員長の判断だ。」

  それに対してはすかさず、澤田議員が反論した。
  「半ば、強行になったということはない。」
  まさにその通りだ。
  いずれ会議録が明らかになるが、時間をかけ、みんなで歩み寄り、妥協も含めて確認したのであって、誰もそして誰からも強制された結果ではない。
  むしろ、その決定を覆す事を、他から強要されたのは誰かという問題だ。

  「多数の異論が出たと言うが、その中身を明らかにして欲しい。」
  「覆すには、それだけの論拠がなければ、いけない。」  
  という他の委員からの発言があったことは当然だった。

 上條 議長も委員であるが、
  「(何度か委員会を)継続で何回かにわたってやった上での結論。議会のルールから言えば、決めたことを本会議に出さないのはいけない。」
  その議長も、そのように発言した。
  それに対しては、
  「決めたが、会派に返ったら、賛成しかねるということになった。   少し文言を換えてもらえば、私どもも許される範囲でいいが、修正していただければと言う事で、この会議の開催を頼んだ。  議長への提出がまだなので、いいのではないか。」
   とある議員は発言。

 その時副委員長(公明党)は次のように発言した。
  「昨日の委員会開催前の30分間の打ち合わせで、出されてきた案(おそらく事務局が原案としてまとめたものだが、そこには「中止」という言葉が入っていたものと思われる。) に対して、副委員長の私の意見として「安全保障理事会の決議」という文言を入れてもらう事と、「中止」ではだめなので「見直し」と言う事に変更してもらった。 それで決定した後、会派に持っていったら、文面全体は自衛隊を出す事に反対ということになる。これでは、与党として国の流れに逆らう事になるので、修正が必要だという事になって、今日の開催となった。」
  その経過を明らかにしたのだ。
  自ら修正案を出し、それが採用され、正副委員長案として委員会に出されたもので確認した事をまさか忘れてはいまい。
 そして、15日には、その事に対してはなんら発言しなかったではないか。
 
  「会派にもっていたら、どうしても納得ができないと言うのが、6人中5人となった。自分としてはぎりぎり許せる範囲だと思っていたが・・・。」
 この発言は、今日参加していない委員の発言として、委員長が紹介したものだ。
 
  事の真相がこの議論の中で実に明らかになった。
  「中身としては一時不再議。委員個人の問題ではなく、委員会という(議会)機関として決めたことを覆すなど絶対にあってはならないこと。まさに朝令暮改ということだ。」
  と指摘したが、  それに対し、
  「朝令暮改との指摘には、甘んじる。その批判は一身に浴びる覚悟である。」
  と、まさにそこを何とかまげてという懇願だった。
  良い事は直すのが朝令暮改と使われる事がままあるが、実際には逆の意味だ。

  副委員長は、
  「公明党として、個人として謝ることにはばかる事なしと言うことだ。」
  とも発言があった。

  問題は、陳謝すればそれでいいということでない。
 委員全員が、「譲歩」しながら、この時期に、松本市の議会として意見書を出す事に一致し、きめた文案だ。
 しかも、正副委員長の案を、まったく修正せず確認したのだ。
  事務局が準備した案を正副委員長の段階で、「中止を含めて」となっていたものを、「見直し」に治しておきなながら、いまさらなにを言うのか。
  断じて認められないことだったが、結局、理の通らない数の力で、4対3での力ずくで、一時不再議にも反し、決定を覆し、「正副委員長案」をそのまま認めた文案を葬り去ってしまったのだ。

  委員長は、
  「軽はずみなことという事で、お詫びする。」
  と発言したが、 正副委員長の不手際は謝れば住むと言うものではない。

  それでも、委員会は次の段階に進んだ。
 この再議の決定は 間違っていても、「強引に進められた」としても、決まりは決まり。
  澤田、池田の私たちは改めてその上に立って、文面の修正の話し合いに応じた。
  それは、やはり何よりも意見書を出す事が重要と考えたらからだ。
  しかし、その提案は、「見直し」を見直すと言うもので、まったくお話にならなかった。
 改めて、腹が立ったが、これ以上叙述する必要はないだろう。

  それでは、総意にはならないということで、  議員有志で意見書採択と言う事を追求する事にした。
  途中休会を2度ほどはさんで、最終的には4時をまわっていた。

  さわやか市民ネットの宮下議員とも話し合って、別の意見書文案でとも考えたが、やはり議論の経過からも、昨日総務委員会で総意で確認したものが筋たと言う事で一致、3人で提案者になる事にした。

 さて明日の本会議はどうなるか。

  「これだけ、お互いに譲歩して、いろんな立場の、意見を入れて いい文書である。 『見直し』もそうだが、『情勢分析』の部分が重要だ。それを落としたらどうしようもない。」
  あるマスコミの関係者が、こんな感想を寄せてくれた。

 情勢分析の部分とは、「総意案」の、
 
「しかし、事実上戦闘状態にある中への派遣は、米英軍の支援行為として一体化され、攻撃の対象になることは避けられず、イラク特措法でいう非戦闘地域への派遣という前提そのものが崩れるものであります。」 の部分だ。

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 12月15日(月)


 「見直し」を見直す?  前代未聞の出来事


 午前10時30分から総務委員会。
  自衛隊のイラク派遣に関する意見書の採択に向けての文面の検討だった。

  先日お伝えした委員会での審議経過を踏まえて、正副委員長(平林委員長:政友会、白川副委員長:公明党)が協議の上、出してきたのが、今回の文面だ。
  文面の特徴は、「派遣の中止」という言葉の代わりに「派遣の見直しを含む」が使われた点だ。
  そして、「安全が確保されるまでは」という、いわば条件付きの文面になっている。
  そうなると、「安全が確保されれば、派遣を認めることにつながる」という中身にもなる。
  イラク特別措置法が前提にもなっているもので、厳密に言うと賛成しがたいものだが、「見直し」という言葉の中には、「派遣の取りやめ、中止」も含まれるので、他の保守系の会派の委員も、妥協すると言う事で賛意を表明したので、澤田議員と一緒に賛成した。

 ところが、前代未聞の事態はこの後おきた。
  午後の市民会館特別委員会が終わった後、夕方事務局から携帯電話が入り、明日(16日)午後1時から再度総務委員会を開会するというのだ。
 議題は、「文面の再検討」とのこと。

  真相を総務委員長にお聞きしたところ、
  4つの会派から、「クレーム」がついたとのこと。
  4つの会派とは、新風21、開、政友会、公明党。
 「見直し」の文言と、全体に表現がきつい などの意見が出たようだ。
 そしてことの火付け役は、どうやら公明党のようだ。

  こんなことは聞いたことがない。
  松本市の議会運営史上初めてのことだ。
 松本市は、委員会制度を取っている。案件は、委員会で各会派の代表が集まって協議して、物事を決める方法を取り、それが今回の場合は本会議に議案として上程される事になるのだが、その委員会で決めた事が、覆されるということだ。
 しかも、政友会と公明党に所属する正副委員長があらかじめ協議し作成して原案として出され、委員会の総意として全会一致したものが、否定され、差し戻されるなどということは、少なくともこの17年間で初めてのこと。
 私が心配した事ではないが、正副委員長の立場はどうなるのだろうか。
 議会運営のルールからも問題だが、何よりも自衛隊のイラク派兵を許していいのかの根本問題が改めて問われる。

   総務委員会で、全会一致で確認された「意見書(案)」は、ここをクリック

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 12月13日(土)


 まさに為政者の末期症状


 「自衛隊を戦場に送るな 12・13松本地区集会」が、花時計公園で行われた。
  80人を超える参加だったが、まだ参加者が少ないことは残念。
  閉会の挨拶で、主催者は、
  「閉会でなく、これからさらにこの運動を広げる機会にしよう」と訴えた。  

 主催者を代表しての挨拶では、小泉首相が憲法を引用しての今度のイラク派兵を合理化したこと関しての紹介と批判があった。
 小泉首相は、憲法の前文の後半部分だけ、それこそ都合のいい部分だけを引用している。
  「われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」 というこの部分だ。
 本当に「小学生が読んでも、」という紹介もあったが、誰が読んでもまったく逆の意味である事は分かる事。
  小泉首相が、為政者の末期症状となっていることを示すに十分な証左だ。

  改めて、憲法前文と9条を見直してみた。

  日本国憲法 前文

 日本国民は,正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し,われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と,わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し,政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言し,この憲法を確定する。そもそも国政は,国民の厳粛な信託によるものであつて,その権威は国民に由来し,その権力は国民の代表者がこれを行使し,その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり,この憲法は,かかる原理に基くものである。われらは,これに反する一切の憲法,法令及び詔勅を排除する。  日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは,全世界の国民が,ひとしく恐怖と欠乏から免かれ,平和のうちに生存する権利を有することを確認する。  われらは,いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従ふことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。  日本国民は,国家の名誉にかけ,全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

  第2章 戦争の放棄
  第9条【戦争の放棄,軍備及び交戦権の否認】

  (1)日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。
  (2)前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

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 12月12日(金)


 「公党」と言うのならば、説明すべきはあなただ。


 11日付日誌の続報
  総務委員会では、この問題に関して、今までにない議論が行われた。
  特に、議会の運営の上でも画期をなす事もあった。
 昨日お知らせしたように「おそらく初めて」(議会事務局)陳情が採決されたことだ。

 いままでも、松本市では、陳情も「請願と同様な扱い」が確認されていたが、ただ「聞き置く」という扱いが通常だった。  それくらいこの問題が重要だと捕らえた議員が多いと言う事だ。
 当たり前といえば当たり前のことだ。

  さて、いろいろあった中身を思い出せる範囲でご紹介します。

  意見書の採択に向けては、公明党も事前に各会派に「公明党案」を用意してきた。
 表題は、「イラク復興支援・人道支援に関する意見書(案)」
 その中身は、「総理はじめ政府は、国民の大多数の理解が得られるよう、国民への説明責任を果たすことを強く求める。」  と言うもの。
 明らかに、自衛隊派遣を前提として、「出しても出さなくてもどうでもいい。」中身だった。

 公明党の議員は、準備した「公明党案」に沿って次のように発言した。
 「国連決議を受けての派遣法だ。
  (池田の)HPにかかれる事を承知でハッキリ申し上げますが、(共産党案の)「殺害する」という、こうした強い言葉はどうかなと思う。
  大きな国際支援の流れの中で 行われること。
  政府としても国民の生命を守ると言うこと。 基本計画がでて多くの国民が、説明責任をと求めている 反対意見を出す前に、どうして出さなければならないかの説明責任を果たしてもらうことが必要だ。
  その説明を受けてから、その次の段階でもいいのではないかと思う。
  自衛隊も、現地での活動の練習が足りない。 まだしっかり決まらない中での、反対の意見書を出すことはどうかと思う。 自衛隊は(現地に行っても)自己完結型である。(生活の)全部自衛隊でそれが出来ます。 自衛隊はどんな水でも 真水に変える機械を持っている。
 後方支援する意味合いで、水と排水の問題。 このために 民間の人が行けば、もっと危ない いくとすれば、自衛隊かなと思う 説明責任が先かなと思う。」  

 殺害と言う言葉のどこが強い言葉なのか。
 「殺し、殺される事がある」というのは、小泉首相自身が言ったことだ。
  「まだしっかり決まらない」などと言う認識だとしたら、とんでもない事。
  しかも、あたかも自衛隊だけが、汚れた水を真水に出来る機械を持っているかの認識とすれば、何をかいわんやだ。

 これに対して、ある議員は、公明党の発言に対して、次のようにずばり発言した。

 「(公明党の)議員さんから 発言があったが、これはおかしい。
  公明党は、『基本計画』を与党として閣議決定した責任がある。 それなのに、公明党が政府に対して、『説明を求める』というのはおかしいのではないか。
  本来ならば、この場で、(公明党議員名)議員が説明すべきだ。 派遣を決めたのは、公明党だ。政権政党(である公明党)が提案するにしては、この文面自体がおかしい。 国民に説明するのはあなただ。 松本市の議会の中でも、自らを「公党」と言うのならば、説明すべきはあなただ。」
  と  ズバリ指摘したのだ。
 この保守系の議員は、よくこの間私のこのHP日誌に登場する議員さんで、この問題での態度は、実は「『派遣に反対』に反対である。」という態度であるが、
  この指摘はまさにその通りだった。
 
  委員会室には、聞いていた理事者席も含めてかなり緊張が走った。
  まさに光る発言だった。
  それに対する、提案者の公明党議員からの「反論」と「説明」は出なかった。

 その後も、幾つかの意見が出た中で、 先の戦争で親戚を犠牲者に持つ、年配の議員が次のように発言した。
  「(派遣反対の)2つの陳情は、聞き置くにしたい。 しかし、内容は大変なものだから。 今このような状態が、憲法に抵触しているが、やむ終えないと言う面もある。 (共産党案の)これの一部修正が適当かなと思う。これを変えてよければ、これを主体にして、文言の変更が出来れば、出したほうがいい。  慎重とか、安全の上に安全では、市長と同じになってしまう。 (辞書を引けば)「中止」という言葉を使わずして(意味はない、)一定期間は行かないのだ。と言う文案にすべきだ。」
  「(公明党案で、)説明責任というが、説明したらてんやわんやになる。小泉さんがいえないことだから、われわれが判断すべきこと。」
  とも発言した。

 結局、15日(月)に再度文書を検討してと言う事になったが、委員会の総意ということにならない場合でも、議員提案で本会議に出すためにがんばりたいと思います。

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 12月11日(木)


 「自衛隊イラク派遣計画の中止」意見書採択に向けて


 朝、木曜日なので南松本駅前での街頭宣伝を終えて、市役所へ向かった。
  10時から開会の総務委員会。
  イラクへの自衛隊反対の意見書採択を求める、2つの陳情と1日の総務委員会で提案した私たち日本共産党の案が議題となった。
  公明党も自らの案文を事前に各会派に配布、それも含めて意見が交わされた。
  2つの陳情はいずれも、その表題が「イラクへの自衛隊派遣反対」となっていたため、自衛隊の派遣には賛成という立場の議員が多数を占め、採決の結果「派遣反対」に賛成3人(日本共産党2、さわやか市民ネット1) 反対5人で残念ながら、否決されてしまった。

 すかさず、私は改めて「自衛隊派遣計画の中止を求める意見書の採択」の提案をした。
  私たち日本共産党の立場は、あくまで「派兵反対」だが、それにこだわるだけではいけないという立場から、そして、採決に至る議論の中でも、
  「何か意見書を出す必要はある。」
  「『慎重に』だけでは、市長と同じ立場(容認)になってしまう。」
  「(辞書を引けば)『(派遣)中止』という言葉を使わずしては意味がない。一定期間は行かないということをハッキリさせた文案にすべきだ。」
 
などの意見があったことを踏まえての提案だった。

  事前に提案してあった日本共産党の文案についての説明も何度か行った。

  (もちろん、自衛隊派遣には賛成という意見の委員もいたが・・)

 1時間を越える白熱した議論の末、何らかの意見書を出すところまでこぎ着けた。
 15日に再度 総務委員会を開催し、17日の最終日に採択の予定です。

     詳細は、後日報告します。

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 12月10日(水)


 政治で、かけがえのない命とその人生を奪ってはならない


 イラクへの自衛隊派兵問題について
  倉橋議員の質問に対して、有賀市長は、
  「人道的な上、非戦闘地域に派遣出来るならば、」
  「昨日、閣議決定で基本計画が決まったが、決まったら決まったでいいということではない。」
  「個人的には、市長として、安全の上には安全に、慎重の上にも慎重に対処してもらいたい。」
  とだけ答弁、自衛隊のイラク派遣計画を肯定した。
  「非戦闘地域」「安全」「慎重」と言葉を並べたてたが、要は、自衛隊の派兵は認めると言う事だ。

 (議会報告の続きは後で・・)

 夜、先日お知らせした「無言館」館長 窪島誠一郎氏の講演を聞きに駆けつけた。
  既に開会していたが、氏の講演には、何とか間に合った。

  幾つか印象に残った言葉があったが、
  「命」と「生命」について、

  命は授かるものだが、生命は、その与えられた命を生かすこと。
  無言館の絵は、反戦平和をテーマにしたものではないが、生命へのいたわり、かけがえのない生命が描かれている絵。

  (辞書によれば、命と生命の言葉の意味の関係は、氏のお話と逆のようだが、私には氏の話が納得できた。)

  地方自治体というのは住民の生命と財産を守ることがその仕事。
  政治も同じだ。
  小泉首相も有賀市長も、その政治と派兵の矛盾に気がつかないようだ。

  この人たちには「人生」を語る資格は無いといったら言いすぎだろうか。とも思った。

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 12月9日(火)


 大義なき最悪の選択 イラク派兵計画の中止を


 今朝も昨日に続き、駅前で宣伝。
  昨日はマイナス2度だったが、今日は1度。3度違うだけでこれだけ違うのかと思うほど、今朝は「暖か」だった。
 
  市会議員団と支部の皆さんと共に、先日行われた第10回中央委員会総会で採択された「イラク派兵反対」のアピールの全文を掲載した赤旗の号外を配布、マイクからの宣伝も行った。
  政府が閣議で派兵の決定を行うと言う事で、一日、本会議だったが、休憩時間にもニュースに注目していた。
  そして、「基本計画」の閣議決定が行われたのだ。
  志位委員長は記者会見で、
  「国際社会の道理にてらしても、日本国憲法にてらしても、何の大義もない最悪の選択」と談話を発表した。

  代表質問1日目、4人が質問にたったが、どの議員もこのイラク問題で触れなかったが、今日は、日本人の2人の犠牲者に対する哀悼の意の発言があった。
  「やっと」という思いだった。
  松本には、自衛隊駐屯地がある。
  そして今回の1000人を越える派兵計画に当たっては、全国で募集がされたという。

  私たち日本共産党の事務所にも「家族の者」という方から「派兵反対で、共産党にがんばって欲しい。」という趣旨の電話が入った。
  おそらく、初めて共産党に電話をしてくれたのだろう。

  北海道砂川市の菊谷勝利市長は、
  「地方自治体というのは住民の生命と財産を守ることが目的。自衛隊員も地域の住民。その隊員を戦争状態にあるイラクへ派遣しようとしている。自治体は黙っていてはいけない。」
  「私は、地方自治体の首長として、そして一人の人間としても、イラクへの自衛隊派遣は反対です。」
  とキッパリと述べている。
 
有賀市長は、明日なんと答弁するのだろうか。

  明日(10日)は、午前10時から倉橋議員の代表質問だ。

 先日お伝えした、議会初日(1日)の総務委員会で確認事項にもとづき、イラク「派遣」反対の意見書の原案を全ての会派と事務局に届けた。
  「派兵」と言う部分はいずれも、「派遣」に直した。
  
  日本共産党が各会派に配布した 意見書(案)全文は、ここをクリック。

  それにしても、こっけいやら、あきれるやら、腹立たしい議会質問のやり取りがあった。
 
「議会演劇」が行われたのだ。

 昨日の日誌の最後に リンクしてご紹介した、「シナリオ通りの議会質問」 が演じられたのだ。
  登場人物は、議長、議員と市長、選挙管理委員会委員長、教育長。
  淡々と始まったその質問は、答弁での市長のアドリブの台詞を除いて、2回目の要望も含めてほとんどがシナリオ通りと思われる展開。
  2回目の質問の際の発言では、案の定、「『・・・・』と答弁いただきましたが」と紹介があって、要望が発言されたのだが、なんと、提案に対する困難性を市長がアドリブ述べた部分があっても、それとはお構いなしに、「台詞」がそのまま読み上げられた。
  気がついた議員の中で、
  「そんな答弁はしていないよ」と「掛け声」がかかっても、まったく意に介さない様子。

 (もっとも、はっきり言わせてもらえば、質問者は市長答弁の際は、まったくメモを取っていなかったのだから無理もない。)

  淡々と2回目を終えて、その質問は無事終了。
  「出演者」の市長は、2回目の答弁の「出番」もないことを承知していたようで、スヤスヤと最後まで居眠りに入った。
  「観客」の議員も、いつもの事と思っているのか、午後のひと時、最大ピークで9人までおやすみになる事態。

  「完全な質問取り」の結果か、まったく緊張感に欠けたやり取りとなった。
  前列の8人の初当選の議員は、この「演劇」にどんな感想をお持ちだろうか。

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 12月8日(月)


 議員の質問権 と 市長(理事者)の答弁義務


 12月議会本会議、今日から3日間の一般質問が始まった。
  この春の改選以来6月、9月、12月の3回目の本会議だが、初当選した議員さんのいわば「デビュー戦」と言える初質問者が、今回も2人いる。
 そして、これで8人の初当選議員の全員が質問することになる。
  改めて昭和62年初当選したときの6月議会での自分の「デビュー戦」のことを思い出した。
 自分が新人のときの初質問のことを考えると8人の(もう一人は、10日の予定だが)議員の質問は、それぞれの個性を生かし、度胸もあって「たいしたもの」という印象だ。

 さて、今議会トップの吉江議員もその8人の一人。
  時間の制限があるためか、かなり急いだテンポで質問が始まった。
 そして、その質問項目を1から47の番号をつけてまとめてその答弁を求めた。
  しかしそれに対する市長答弁は、まったく真摯さにかけるものだった。

 「今朝初めて出された質問もあるし」
 「人生観が違うから、答弁もかみ合わないだろう。」などと述べ、
  はじめから答える必要なしという意図が見え見えの態度だった。

 47項目の中には、私もその答弁を聞きたい項目がいくつかあったが、それに対する答弁は無かった。
 私は、議事進行をかけることも検討したが、以下の理由で、本会議での発言は見合わせ、詳細を調査後、議会運営委員会で必要な点について提案する事にした。

 理事者の何人かに聞いた私の「取材」によると、47項目は、そのまとめた形で質問項目として知らされたのは、確かに今朝の「先ほど8時40分ごろ」(市長答弁)だったのは事実のようだ。
 大まかな質問の趣旨については、聞いていたが、質問項目として確認できたのは「今朝」らしい。
 47の中には、質問として事前に理事者に「通告され」、答弁が用意されていたものもあった。
 それは、2人の部長答弁に見られたが、先週金曜日に行われた「対策庁議」の中では、47のそのほとんどは、「質問として確認されていなかった」ようだ。
  (詳細な事実調査は今後もちろん必要だが・・)

 そして、その事をいい事に、いわば口実にされ、「答弁拒否」または「はぐらかし答弁」を可能にさせた。
 先日もお伝えしたが、事前に知らせておいた事でも、都合の悪い事は「今、初めてお聞きするわけで」と言って、答弁拒否するのがいまの有賀市長だ。
 私の聞いた印象は、まさに市長はその作戦に出たという感じだった。

 (吉江議員の質問とそれに対する答弁の内容に関するコメントは、いずれ行いたいと思います。)  

 それにしても、議員を食ったその態度は許せない。
 議員には質問する権利があり、それに対して市長や理事者は答弁する義務がある。
  質問として初めて聞いたものについても答弁が求められるが、少なくとも「いずれ答弁します。」というのが筋だろう。
  そして、質問として確認されているものは、準備された答弁を行うべきだ。

  はじめから、見解の相違を掲げて答弁しないのは、政治家の資格を問われる中身だ。

  それに関連して、吉江議員にも聞いてみた。
  確かに項目として47にまとめて渡したのは、今日が初めてであること。
  しかし、いずれもこの間の情報公開請求に関連する事で、知らない事は無いはず。
   と語っていた。

 質問に取り組む姿勢に関しては、それぞれの考え方があるが、私だけの考え方を述べれば、以前の質問取りに関する記事でもお伝えしたが、首長の側の立場・主張と議員の側のそれとは、自ずから違ってきて当然と思う。
  首長が、その政治姿勢として何でも来いというガチンコ対決を設定するのは、その首長の考え方。
 議員としては、市民の知りたい事、問題点を解明するのが一番の仕事のひとつ。
  逃げ道に口実を与える事は、避けるべきだ。
  「本人しか知りえない」事項に関する質問については、事前の「質問取り」は要らないかもしれないが、明らかに事前調査と統一見解を求めることを中身とする質問については、質問者の側としては、通告に際して質問項目とその趣旨をしっかりと知らせておくことが議員の仕事だと思う。

 自分として改めてそのことの必要性を感じた場面だった。

 質問取りに関する日誌は、ここをクリック

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 12月7日(日)


 H19年は、「市井100周年」を省みる年に


 9日に政府がイラク派兵の閣議決定を行うと言う。
  日本共産党は、12月3日、4日と2日間第10回中央委員会総会を開催、総選挙の総括と教訓、来夏の参院選挙の方針、来年一月の第二十三回党大会に向けた活動方針を確認した。
  そして、初日の3日付けで、「イラクへの自衛隊派兵-この歴史的暴挙をくいとめる行動に立ちあがろう」というアピールを決議した。
 6日(土)は、この方針を受けての全県の会議。
  この中では、イラクへの自衛隊派兵反対の署名・宣伝行動を全国行動として、3日連続で行うことが確認された。

 早速、前回に続き、中央西「花時計公園」横で、支部の方々と一緒に正午から約1時間半にわたって宣伝を行った。

 さて明日から、12月議会本会議が始まる。
 ところで、 「有賀市長という人は、ソフトといいながら何でもハードに切り替えてつくってしまう。その見事な手法は本当にうまい。」と、あるマスコミ関係者が語った。
  実に言い得ている。
  「建設化」、「イベント化」の連続とも言える手法だ。
 福祉日本一をめざしての取り組みでも、全地区への福祉ひろばの建設が行われ、今年は「福祉イヤー」と位置づけられた。
 この「福祉イヤー」は、H19年の「市制施行100周年記念」に向けて、昨年の95周年記念「耀く街・ステップアップ松本」に続き、今年の企画として行われ、さらにこれから毎年イベントの開催が予定されている。
 1日に行われた提案説明の中でも、新しいイベントの提案があった。
 
  「H17年には、松本城昭和の大修理以来50年目を迎えますことから、お城について再認識を図るためにも記念事業をしてまいりたいと考えております」とのべた。
 市制施行100周年記念事業に関しては、10月に開かれた総務委員会協議会の場で、その取り組みについての報告があったが、その時点では、この「松本城昭和の大修理50周年記念」行事の提案は無かった。

 「花と緑と環境の祭典」と銘うち、アルプス公園を主会場に「盛大にお祝い」(提案説明)行われる100周年記念事業。
 「従来の観光型イベントではなく」(同 提案説明)とは言うものの、その中身はこれから精査する必要がある。

 市長は、何でも「プラス思考」でということもよく強調するが、時にはそうした手法も必要だが、市民生活の実態に基づきこの間の市政運営の問題点と教訓を明らかにすることが重要だと思うがどうだろうか。

 「市井100周年」の視点が必要だ。

 5日金曜日夕方、久しぶりに千才橋の橋げた下を訪ねてみた。
 夏には、6つぐらいあった「
ダンボールの家」も、残ってているのは3つほど、それも1つを除いて使われている様子は無かった。そのひとつも「屋根」は無かったが・・・
 住む家が
見つかったのならばいいが、おそらく寒さを避けて「引っ越した」だけではないかと心配だ。

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 12月4日(木)


 ハードルは、まだ高いままなのか


 今日は宿直の日。
  夜テレビをつけていたら、ホームレスの方の自立のことを話題にしていた。
 他の電話が入ったりして、ほとんど番組が見れなかったが、実は、事前に匿名の方からメールを頂きこの取り組みのことは聞いていた。
 同じ内容では無いかもしれませんが、   紹介します。  ここをクリック  

 今日も、今年の春、車の中で生活をして、今は何とか知人の協力をもらって生活をしている人が、改めて相談に訪れた。
 生活保護の申請を受け付けてもらえないとの事。

 松本市で生活保護を受けている世帯数、人員はいずれもこの3年間で増えています。

 年度            H12    H13     H14
 世帯数          617    676     765 
 人員(人)        837    908    1007 
 保護率(人口比‰)   4.0    4.3    4.8     
    (注 ‰:「パミール」と読む。%は100分の1 ‰は1000分の1)
 ・15年度もさらに増えている事が予想される。

 松本市は、保護率は、県下の中でも高いほうだ。  職員の皆さんの努力の歴史の結果でもあるが、それでもまだ保護を受けられない人がいるのが実際だ。
 
  今日は、来年度の予算編成を前に、毎年行っている政策予算要求の準備にかなりの時間を費やした。
  今議会中に、市長に対して要望書を出す予定だ。
  いまこの瞬間で困っている人のくらしを支えてこそ、行政の仕事と思うが、まだハードルが高いままと言う事だ。
 市長は、こうした問題を議会では、自ら語ることが無い。今議会の提案説明でも、これに類するものすらまったく無かった。

 「深々と」という言葉があるが、夜の事務所は、本当に足元から冷え込んでくる。
 しばらく選挙などで忙しくこの問題からも離れがちで、女鳥羽川の千才橋の下にも行っていないが、いまでも何人かのかたがそこで「ダンボールの家」で生活をしているのではないだろうか。

 この寒さの中でどうしているのかと思う。

 (朝、事務所より、急いで帰宅。そのためアップは遅れます。 尚、昨日の日誌は、多少加筆・修正しました。

 

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 12月3日(水)


 合併の狙いは = 国から地方への財源支出削減の「受け皿」作り


 有賀市長が、来年の新年祝賀式 (来年は1月5日 月曜日)の場で、「4選に向けた出馬表明をする」という話が昨日(2日)入ってきた。
 それより年明け後早くなるか、真偽のほどはともかくとして、市長は、11月21日の定例記者会見の場では、「年明けには明らかにする」としているが、自らの立候補に向けた準備を着々と進めていることは間違いないと見るのが妥当だろう。

 12月議会開会日(1日)の提案説明を聞いても、あれは、「選挙政策ですよ」とは、あるマスコミ関係者が私に寄せた感想だが、明らかに4戦に向けた「政策」の幾つかが垣間見られる。
 (その点は、順次これから見ていく)
 行政は、継続といえばそれまでだが、H19年の市制100周年に向けての提案はまさにそんな感じだ。

 そして、市長が、現在の「市政の最重要課題」としてあげているのが、「市町村合併」だ。
  懸案事項の真っ先に挙げたこの市町村合併問題。
 市長は次のように述べている。

  「(四賀村との間で、『松本市・四賀村新市将来構想』の答申が、策定委員会からだされたが、)今後はこの答申を骨子として、新市建設計画の策定を進めてまいる」 としている。
 改めて、この「構想」答申に沿って、平成の市町村合併とは何か。そしてその「合併の必要性」の検証が必要だ。


  「平成の市町村合併は、国と地方の危機的な財政状況を背景に、地方分権、少子高齢化、住民の日常生活圏の拡大等様々な社会情勢の変化に対応するために推進」 と書かれていますが、
  小泉構造改革で、「財政危機を背景に地方分権を進める」といって検討されているものに、
  1、「補助金の削減」
  2、「税源の委譲」
  3、「地方交付税の見直し」 の3つを同時に進める、「三位一体改革」があります。
  この「三位一体改革」とセットで進められているのが、今回の「平成の大合併」だ。
   (この部分は、「国・地方の財政再建と地方分権を進めるのが狙い」と今度の「構想」答申のP10に紹介されている)

 問題は、この「改革」とセットで進められる合併で、実際に財政危機の打開が図れるのかという点だ。
 それは、小泉構造改革の「三位一体改革」の実際の中身と共に検証することが必要です。

 小泉構造改革の具体化の第3弾である「経済財政運営と構造改革に関する基本方針二〇〇三」(いわゆる「骨太方針・第3弾」)によれば、  いまのところ「三位一体改革」の部分でハッキリしているのは、

  「補助金の削減」 の部分では 「3年間で補助金(負担金)のおおむね4兆円のカット」だけです。
 「おおむね4兆円」となった背景には、当初は、「公共事業を除く約3.6兆円」だけを対象とするはずだったが、公共事業を除くのはおかしいと言う世論に押されて、「その他も含めて4兆円」としたのが真相です。
 実際、来年度2004年度予算案で、早速「1年目分」と言う事か、1兆円の削減案が出され、その中身は、生活保護費・児童扶養手当の補助率カットであり、義務教育費国庫負担金のカットである。
 今後も
教育関係、社会保障分野の削減がその狙いです。

 「地方交付税の見直し」 では、
   「財源保障機能を縮小していく」ことだけ。
 
  「税源の委譲」 に関しては、具体的には税目は明確ではありません。
 
仮に、税源委譲の税目がはっきりしたとして、地方の都市にどれだけのメリットが生まれるのか。
 「基幹税を基本に」となっているが、 課税客体を何にするにしても、大都市に比べて「地方都市」が、そうした税源委譲では、税収格差が今までよりも広がるのではないか。
  そして、そうした税収の格差を是正する制度である地方交付税制度の「財源保障機能を縮小していく」ことになれば、ますます、地方の財政危機は加速することになる。

  合併すれば、その交付税が10年間は、おのおの「独立した自治体」として計算された地方交付税が合算で交付されるわけだが、それも11目からは順次削減され、15年後には、「新しい松本市」としての交付税額しか交付されないのが今度の合併です。
 「合併すれば、財政が楽になる」かのような宣伝が盛んにされるが、それは、この地方交付税の10年間の合算方式の特例のことであって、合併してもしなくても、いまの構造改革の下では、どちらも苦しくなる事に変わりはありません。
 逆に合併したほうが、やがてその地域の予算も地方交付税も大幅に減ることは避けられません。
「総務省試算」でも、自治体が1000程度になれば、4〜5兆円財政削減が出来ることが報道されました。

 

  この点を考えると、合併が何のためのものか実にハッキリする。
 要は、「三位一体改革」は国から地方への財源支出の削減だけ。 そして、合併は、その「受け皿作り」ということになる。
 
  その合併を H19年の市制100周年に向けての「市政の最重要課題」として掲げる有賀市長に、松本市の、そして松本平の未来を任せられるのか。 (有賀市長は、松本広域連合の連合長としての立場もある)

  「国民に痛みだけを押し付ける」小泉構造改革路線を忠実に実行するだけの政策に、住民の未来を任せられないのは明らかではないだろうか。

    (12月4日午後5時30分 加筆訂正)
 

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 12月1日(月)


 機を見てせざるも勇なきなり


  「義を見てせざるは勇なきなり」という孔子の論語が出典のことわざがある。

  緊急事態ということで、朝7時半から松本駅前で清水啓司地区委員長、藤沢のり子県議、南山国彦市会議員と共に、「イラクへの自衛隊派兵反対」の宣伝活動を行った。
 地区労連の皆さんが、あらかじめ宣伝を行うと言う事が分かっていたので、お願いして、7時半から15分間の時間を譲っていただいた。
  わずかな時間だったが、今までに比べ用意して行ったチラシを受け取る方も多く、その表情も緊張した面持ちで、「ご苦労さま」と声をかけてくださる方も少なくなかった。
 誰もが、事態の重要性に敏感である事の明らかな証拠だ。

  10時からの本会議開会を前に、9時半から議員団会議。
  イラク派兵反対の意見書の採択に向けての打ち合わせを行った。
  昨日お知らせしたように、各会派の会派代長には、朝から協力をお願いしてあった事だが、改めて議員団会議でも確認し、本日開催される総務委員会に提案する事を確認して、意見書(案)のたたき台も準備して本会議を迎えた。

  10時から本会議開会。

  市長の提案説明が始まる。
  総選挙の結果に関しては、
  「自由民主党と民主党が初めてそれぞれの政策をマニフェストとして掲げ、国民に2大政党制の是非を問う、大変重要な選挙」
  「今回の選挙により、いよいよわが国も2大政党制への道筋見えてきた」
  と触れたものの、いつまでたっても発言の中にイラクの「イ」の字も出てこない。

 (市長選挙に関しては、「残されたわずかな任期ではありますが、私に課せられた諸課題に対し、全力をあげて取り組み、市民の皆様からの負託に応えてまいる」とだけ述べたが)

  その後、市政の懸案事項の説明が終わり、提出議案の説明に入り、そして発言は終わってしまった。

  私は、
  「よっこな事 (注) は言うのに、いまの時点で一番大事なことに関する発言が無いじゃないか。」
  と自席から「発言」した。
  それに対して、市長は、
  「これ以上言うことは無い。」と、かなり言葉を荒げて「答弁」した。
  もしかすれば市長は、「市長選挙に関すること。」と誤解したのではないかと心配になり、「イラク問題ですよ。」とさらに付け加えて「発言」した。
  それに対し、市長は自席で「答弁」したようだったが、最後部に座っている私にはその時は聞こえなかった。
  前列の議員の話によると、「それは、国の問題だ。」と「答弁」したようだ。

  ( 注: 市長は、「まつもと市民芸術館条例が、それまで反対をされてきた共産党の皆様にご賛同いただき、無事可決されました」と発言した。 私たちが、新市民会館改築で引き続き問題点を指摘し、反対の態度を変えたわけではないのを承知した上での発言。まさに余計な部分だ。)
  まつもと市民芸術館条例に関する日本共産党の態度については、ここをクリック

  休憩に入り、総務委員会。
  付託案件の採決終了した後、私は、イラクへの自衛隊派兵反対の意見書を本日の本会議で決議する事の提案を行った。
  委員長の平林議員にも、既に通告済みであった中身で、早速取り上げてもらった。
  総務委員会には、議長も参加していたが、 結論は、今日出すことの重要性に理解を示す議員もいたが、
  「意見書を出すことは賛成できるが、11日の委員会の場で審議すればいいのではないか。」の声が大半となり、結果的に次回の委員会まで結論を持ち越すことになった。

  私は、 「出す方向での一致点は確認してもらいたいこと。そして差し支えなければ、意見書の案のたたき台になるものも用意してあるので、皆さんに検討していただきたいこと。」を発言、各会派に届ける事が確認された。

  議論の中では、
  「自衛隊派兵」という文言には抵抗がある趣旨の発言もあった。
  私は、言葉にこだわるものではない。「派兵」でなくても「派遣」でもそれはかまわないことを発言し、付け加えた。
 
  議会終了後、保守系の議員さんが、私たちの控え室を訪れ、 「出す事の重要性は、池田さんのいう通り。自衛隊派兵でなくて自衛隊派遣反対ならば納得できる。」と話をしていった。
  それならば、もう少し強く賛同の態度を示してくれればと思ってしまった。
  「自分は、父親を戦争で亡くしている。こんな事態のなかで、自衛隊を出すことには賛成できない。」とずばり声をかける議員さんもいた。
  まさにその通りだ。
  だからこそ、今日のこの時点で意見書を出す事が重要ではないか。
  ある議員は、「共産党が提案すると、どうしてもまだ素直に賛成できない風潮があるんだよ。」と本音を語る議員もいた。

  まさに、義を見てせざるは勇なきなりの状況。

  私は、自分ではそれだけではなく、 「機を見てせざるも勇なきなり」といつも思う。
  タイミングを見て言うべき時に、言うべきことをちゃんと発言し、行動することの大切さは、自分のこの間の議会活動での経験からも、後で後悔しない為に教訓としてきたことだった。

  夜、テレビを見ていたら、石原東京都知事が、 「日本軍は強いのだから、やっつければいい」(趣旨)といったようだ。
 
  イラク問題や今回の蛮行に対して、政治家として「触れない」道を選ぶ場合でも、発言した場合でも、その政治姿勢が如実に現れる。
  いまの局面でどうゆう態度を取るかは、政治家のいわば試金石だ。
 

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