3月30日(木)

 「これで私の学校が、すべてなくなった。」   
  

 火曜日の定例の常任会が終了した頃から、体調が悪く、どうやら下痢をともなう風邪を引いたらしい。
  原因は、家族のものを引き継いだ容だが、2日目の午後を迎えて何とか立ち上がることができるようになったが、頭痛が抜けない。
  少し休養を求める体の信号と判断してこの間休んできたが、まだ調子が戻らない。

  夜のニュースで、「高校改革」の結果が報じられていた。
  一緒にテレビを見ていた妻が、「これで私の学校が、すべてなくなった。」とポツリと語った。
  妻は看護士の仕事をしていたが、看護資格を得た国立の専門学校をはじめ、小中学校が廃校ですでになくなり、今回の高校の統合でまったくなくなったということだ。
  今回の高校改革に関して言えば、主人公の高校生の運動まで含めて今までにない動きになったが、結果として県教委はそうした声は聞かなかったことになる。
  まことに残念な結果だ。

  ところで、その妻が、昨年の4月に続き2度目の再スタートを新年度から開始する予定だ。
  実際には、1、2日は土、日なので、4月3日からの出勤となるが、とにかく「頑張ることなく」続けられかが、本人も自覚しているポイントになる。

 来月は、早々いろいろな出発がある。
  いよいよ18年度がスタートする。

 

 戻る


3月26日(日)

 実績と信頼で勝ち取った2議席   
  

 山形村村議選、7位と10位で、2議席確保できた。
  大池とし子さん382票、高山秀子さん309票、合わせて691票は、得票率13.9%前回比174票を増やした。
 
  今回の選挙での、私の任務は、2つある選対の両方を見ながら「なんとしても2議席確保」が私の仕事だった。  
  高山、大池両候補者及び選対関係者、地域の皆さん、応援に入ってくださった皆さんの奮闘、力が結集されての勝利で、実にうれしい結果だった。
  本当にありがとうございました。 

 定数12に対して1人オーバーの選挙。  
  2議席確保に対して、「1議席はすでに確保されて」の選挙という側面と同時に、わが陣営のどちら遅れたほうが落選という、私にとっても初めて経験、展開。  
  一度は引退ということが決まったあと再度立候補することになり、まさに出遅れが響き、心配された候補者に対しては、その引き上げを図らねばならない。
  また一方で、地域の方に信頼が厚く、準備を進めてくる中で、同じ地域から13人目として最後に立候補を表明する方が現れ、それでもいわゆる「大丈夫論」で、言葉は良くないが「票が崩される」という事態が、連日続くきびしいたたかいのなど、いずれの候補者も当然ながらそれぞれの違う厳しい条件の中でのたたかいだった。
  遅れの取り戻しにばかり気を取られることは、自らが、先行している候補者は大丈夫と、結果として、自分もそのわなにはまってしまっているのではないかと、両陣営をいったり来たりする中では、正直不安とのたたかいでもあった。

 共産党に対する大丈夫論は、いつも、「共産党は組織があるから、そして全村的に票を集めるから大丈夫」と言う形で行われてきたが、今度の選挙は、実は、全ての候補者が自分でもそうした活動をしていながら、それでも「共産党だけは大丈夫」と今までのいわば「常識」を覆す展開となった。
  定数が4つ削減され、立候補数も選挙になる最小の1名オーバーという中、当選ラインが大幅に引きあげられ、他の候補も、明らかに地元地域だけ支持を得れば当選できるということはなく、すべての候補が全村にわたって活動を展開していた。
  私たちは、2議席確保と言うことで、大まかに村内を2つの地域に分けて各候補がその中で支持を広げることを原則にしたいわゆる「地域割り」をしての選挙と言うことになれば、むしろ、共産党の二人は、各々村の「半分区」であり、他の候補者こそ「全国区」という点からすれば、今回の「大丈夫論」ほど根拠のないものはなかった。
  事実、得票結果には、下・上竹田、小坂、上・中・下大池の大きく6地区に分けた中で、 結果的に、1地区内で、4人の方が立候補した地域の中から、落選者が生まれたが、全体として、全村的に選挙戦が行われていたことは間違いない。
  それは、それこそ部分には、いわゆる地域締め付け選挙が行われたが、それにもまして、今回は、すべての候補者が候補者カー(ハンドマイクを含む)を出し、それもただ名前を連呼するのではなく、「政策」を流し、車を止めて、街頭宣伝を行うなど、今までにない展開の中にも現れていた。

 政策的に見ても、選挙広報などで政治理念や抽象的な「政策」が羅列されるのと違い、具体性を持った政策を掲げる候補者が少なくなかったのも特徴だ。
  そんな中、私たちは、アンケート活動に基づき、寄せられた村民の皆さんの声をお聞きしながら、自立を選択した村の中で、長野見下一人口が増えている自治体として、これからも、「もっともっと子育てがしやすい村づくり」、そのための子どもの医療費を小学校卒業まで引き上げること、保育園の複園化と保育料の引き下げを掲げ、 そして、高齢者の方が、お出かけできる交通手段の確保などを政策として戦い、その点でも、共感を広げることができた結果と言える。 最終版は、ハンドマイク隊を出して、政策を訴えた。 始まったばかりの清沢民主村政の中での、日本共産党の2議席の果たす役割、とりわけ6期、2期務める議員が、果たす役割値打ちという点も押し出しながらの戦いで、こうした選挙は、来年の私たちにも共通する内容というつもりでたたかった。

  票の動きは、目に見えるものではない。
  「動く」という言葉があるが、いずれも候補者自身の奮闘で、支持を引き寄せ広げてもらう活動では、目に見えて変化が伝わってきたのは、最後の2日間くらいに入ってからだった。
  それでも、両陣営ともきびしい戦いのまま、とりわけ出遅れた候補者は、最後までその遅れを取り戻せたと言う感触は得られないまま、投票日を迎えた。
  集団のマラソンのレースのような、さらに競技場に入ってみるまでは、その順番が解らない。
  最低でも一人を後ろに、二人がゴールできるかどうかも解らない感じがした。
  比較的先行していた候補者のところでは、つい先ごろ行われた松川村の選挙で、「内なる大丈夫論」も手伝って、現職の議員を「大丈夫の嵐」の中で次点で議席を失った教訓を生かすことを常に念頭に置き、注意した。
  また、7期の実績、それへのこれまでの支持は、そんなに急に失せるはずはなく、さらに「これからの村づくりには、是非必要だ。」という村民の皆さんの期待に依拠すれば、必ずや勝てるという確信のもとに進めた。

 選挙は、「水物」、予期せぬ結果を呼ぶとはよく言う言葉だが、マスコミの下馬評でも、4弱と言われた人の中からは、落選者がでなかったのが今回の選挙だった。
 
  いずれにしても、一日を「25時間」「26時間」として使い、その日の翌日に「その日」を終えて帰宅し、そして「翌日」は朝早くから山形村に出勤するということをほぼ1週間繰り返した。
  多い日は、松本市と山形村を3往復した。
  今回の移動中の車の中のCDは、大池事務所においてあった、ベートーベンの第9の合唱つきと美空ひばりのものとなった。
  程よい安らぎと緊張感、そしてモティベーションの維持に役立つと同時に、「一本の鉛筆」もじっくり何度も聴くことができた。  

  かなり疲れた選挙だったが、力を入れた分だけ、教訓をいただけた選挙、貴重な経験に感謝する中身だった。
  私だけでなく集団的に議論し、教訓を引き出して、来年につなげられればとおもう。
  ご支援、ご支持いただいた有権者の皆さんに心から感謝申し上げます。

 公約実現に向け、2人の議員は、それぞれの祝勝会で、あいさつをした。  
  私は、統一選対と言う立場から、別室にいて電話を受け、直接二人の当選後のあいさつは、残念ながら聞くことができず、お伝えできないことは実に残念だ。

 

 戻る


3月23日(木)

 「松本・四賀直結道路は建設するべきでない」が市民の意向   
  

 午後1時間から、第10回の意向確認研究会が行なわれ、市長に提出された報告書(本編)が明らかにされた。
  結論は、「第3章 考察」の冒頭の次の部分に集約されている。

  「これまでの市民意向確認の全プロセスを検討した結果、松本市民の意向は、松本市は 松本・四賀直結道路を建設するべきでなく、建設推進の人々の思いは別の方策によって 実現されるよう努力すべきである、ということであると本研究会は解釈する。」

  資料編は、後日公表されるようだが、報告書(本編)も、70ページに及ぶかなり膨大なものだ。  
  読みこなすには、時間がかかるだろうが、一言で言って、科学的で、よみ応えのある報告書であり、結論は、私も予想したものだった。  
  ただ、表現、言い回しの中では、なるほどという部分がいくつか見受けられる。
  たとえば、  

 「市民は合併の条件もしくは約束という議論に踏み込むよりも、より具体的に直結道路の必要性や財政負担の問題を検討すべきであると言っていると解することができる。」
  「全市アンケート4(3)で具体的に意見を聞くと否定的意見が多いにも関わらず、建設の是非を端的に聞くと32%も賛成意見があるというのは、建設自体を推進したいという意見というより、四賀地区の住民のこのような「悲願」「一体感の実現」への松本市民の理解の現れと解釈すべきであろう。」

 などの表現は、実に説得力があり、この間も明らかにしてきたが私と軌を一にする中身だ。

 注目点は、なんと言っても次のくだりだ。

  「半数近い46.9%が建設に反対している事実はやはり重いと考えるべきである。 これだけの反対意見にも関わらず建設をするということになれば、十分過ぎるほどの説明が必要になろう。」

 これで、水谷委員も所感で述べた、「日本において極めて先進的な取組み」は終わった。
 
後は、市長の決断という事になる。  

 そうした、今後の経過、結論に至るまでの事に関しても、研究会委員の皆さんの所感は、実に読みがいのあるものだ。

  ところで、明日(24日)は、四賀地区の地域審議会が、四賀支所で午後2時から開かれる。  
  どうした話し合いが行なわれるのか。関心は高い。

 市長が結論を出す前に、コメントは控えるべきとは思うが、報告書で重要な点は、
  「建設推進の人々の思いは別の方策によって実現されるよう努力すべきである。」と
 「建設をするということになれば、十分過ぎるほどの説明が必要」 の部分に尽きると思う。  

 住民の願い実現に向けて力を尽くすという私たちの立場からしてもこの指摘は一番重要で、この具現化こそ、今後の大きな課題となる段階に入ることになると思う。  

 いずれにしても市長の判断と責務は、市民要望の実現の施策の具体化にある。

 

 戻る


3月22日(水)

 「一定の方向を示した上で、相談する」  菅谷市長   
  

 昨日(21日)から、山形村の選挙が告示され、ほぼ終日「山形村住民」となっている。
  山形村は、前回4年前の選挙のとき、合併を公約で掲げた候補者が、ほとんど(全部かもしれない)落選し、村長も替わる中で、自立の道を選択、住民参加の具体的施策が進められている。  
  私たち共産党議員団は、2人。
  高山秀子さんは6期、大池とし子さんは2期を勤め、今回定数が4つ減らされ、12人に対し一人オーバーの13人での選挙戦がスタートした。  
  議会が先週終わった時点から、わが議員団は、ほとんど山形村から松本に通うという状況だ。
  「自立・協働の村政のさらなる前進を」 全戸配布したチラシのトップのコピーは、ある意味松本市とも共通する点がある。  
  いずれにしても、力を尽くして2名の当選を目指したい。

 さて、いよいよ明日23日は、「四賀トンネル」市民意向確認研究会が、最後の会議を行なった後、市長に「意向確認結果の分析、評価」が提出される。
  ところで、20日(月)に、こうした経過の中間報告という事で、議員全員協議会が行なわれた。  
  理事者側としては、23日を前に、これまでの経過をいわば共通の認識にして、23日を迎えたいという狙いから開かれ、報告ということであったが、思った通り、市長判断を前にした、トンネルの是非論の「協議」という形になった。

 市長が答弁で述べたように、報告書が出ていない段階では、「今は白紙の段階。」で当然だ。  
  そして、報告された中身では、今後の予定については、 「研究会からの報告を参考に、議会とも相談しながら判断する」となっている。
  市長が、この間、公式の場で発言してきた中身だった。 私の方では、今日の「報告事項」の協議の中でも、議員から賛否論を展開する意見が出る中で、 「議会とも相談しながら」とあるが、今後の予定としてどうゆう形を持っで議会と相談するのか質問した。
  市長は、「(結論に関して、)一定の方向を示した上で、相談する。」
  と明確に答弁した。

 さて、「協議」の中での、興味深いやり取りがあった。

  「46.9%をどう捉えるのか」の質問に対し、
  建設部長は、
  「47%は重い。32%も高かった。どちらも重い数字と認識している。」と答えた。
  私の3月13日付け日誌でのコメントと少し違うが、注目した。

 23日の第10回研究会は、20日の議員協議会を行なった「全協室」で午後1時半から、「非公開」で行なわれ、最終結論をまとめた上で、午後3時から市長への報告、そしてその後研究会としての記者会見が行なわれる。

 

 戻る


3月20日(月)

 夢の実現に向け、新たな一歩を踏み出した次男   
  

 今日、高校入学者選抜結果の発表が行なわれた。
  次男にとっては、「合格」発表の日となった。

 次男は、朝早く妻と一緒に結果発表を見に、出かけて行った。
  8時半、発表と同時に、どうやら妻がすぐには近づけなかったの比べ、次男は、「あったあったあった」といってガッツポーズをしたという。  
  笑顔が想像できる場面だ。
  お知り合いになったサッカーの顧問の先生に握手をしてもらい、「良かったね。」と言われたという。

 月曜日の定例の議員団会議に出かける直前に、次男はでかい声で、「受かったぞ」と叫びながら玄関のドアを開けて戻ってきた。
  実によかった。

 手元に次男が書いた「志願理由書(自己PR)」の下書きがある。

1、志願動機欄には、
  「僕の夢は、全国高校サッカー選手権に出場することだ。 11月にサッカー部の部活を見学にいき、顧問の先生と話、「練習に出ないか」と誘われた。そして、指導が気に入った、ぜひサッカーを教えてもらいたいと思った。入学したら部活を頑張って行きたい。授業もしっかり出て、勉強も頑張ってやっていきたい。」 と書いてある。

  以下次のように書いてある。

2、自己PR
  中学2年の4月から、FCに入団し、サッカーをやってきた。 ボールの受け方など基本的な技術がしっかり身につくように毎週4回練習してきた。 FCのなかで、あいさつや自分ですすんでやることの大切さを学んだ。 自分の良いところは、粘り強いディフェンス、サイドでボールを持ったときのスピードと1対1になった時、得意なフェイントで積極的に勝負できる所だ。 僕の良いところは、まだある。 それは友達を大切にできるところと、相手の目を見て話を聞けるところだ。

 3、学習への取り組み
  僕は、中学1年の6月から学校に行けなくなった。しかし、2年の7月から中間教室に通い。勉強も始めた。 10月からは、担任の先生に数学を教えてもらった。 3年の5月から学校に通えるようになった。好きな教科は、数学と体育だ。

  4、中学校生活
  中学1年のときつらいことがあり、不登校になってしまった。 しかし2年から中間教室に通いはじめて、そこの仲間と友情を深めることができ担任の先生の支えもあり、翌年の5月から通学できるようになった。 3年の文化祭では、練習してきたクラスの合唱で、優秀賞をとった。 今は、クラスの仲間といることが楽しい。 だから僕は今では、不登校になったことを後悔している。

 5、興味・関心
  最近いろいろなところで、小学生が殺されている。 命を奪ってしまう犯人は、命の大切さを知らない人達だ。僕は命や平和のことに関心がある。 世界の人達が平和で仲良く暮らせるように、憲法九条を守りたい。

 そして、最後の資格。入賞等の欄には、 「サッカー4級審判員資格」 と書いてあった。

  サッカーができると、夢を抱いて中学に入学したが、その一番の夢を砕かれることがきっかけとなって、学校に行けなくなった次男。
  それでも、サッカーだけは一人でけなげに続け、6年生まで通った「卒業」した学童クラブには顔を出し、小学校のグランドで時には、三男を引っ張り出し、練習をしていた次男。
  私とは、2年近く週一回、朝5時に起きの新聞配達を手伝い、その時間約1時間半いろいろと会話を繰り返してきた。
 私には それくらいのことしかできなかった。
  3年生になり、進路を確定する際にも、「サッカーができるか。どうか」を基準に、テストの結果からすれば、かなり難しい選択であることは間違いない学校だったが、それでも本人の意思を尊重して、見守った。
  いわゆる「受験」勉強に割り切って、母親はその対策を一緒にやり、私も時間を空けてそれに付き合った。
  意欲は出てきたが、間に合うかどうか。残された時間との関係で及ぶかどうか最後までそれだけが心配だった。

  合格できなくても、志望校は変えない。と、かなり頑固な面も覗かせていた。
  何とか、間に合ったとでもいうのだろうか。
  本当に心からおめでとうを言いたい。

 考えてみれば、私の中学生時代とは、まったく違う次男の生き方だ。
  夢の実現に向かって、この時点での進路を定めることができたことを親としても嬉しく思う。

  「ボクちゃんて えらい イェー!」と、階段をひざを蹴り上げ、早足で登りきっておどけてポーズをとる姿、その笑顔、楽天性に妙にうらやましさをも感じた。
  そんな次男は、「あ、忘れてた」と、受話器を取り、通い続けた里山辺の中間教室に電話をしていた。

  実にいろいろあった3年間だった。
  そして実に私にとっても貴重な経験の3年間だった。

  電話が終わった後、思わず「お前はたいしたものだ」と私のほうから口に出して、ハイタッチをした。

  次男のことでは、本当にお世話になった方々がたくさんいる。心から感謝申し上げます。
  ぜひこれからも、次男を見守っていただければ幸いです。ありがとうございました。

 

 戻る


3月17日(金)

 「人を支える人間になってください。」   
  

 今日は、昨日の三男の小学校の卒業式に引き続き、次男の卒業式。
  次男はいつものようにかなり緊張した表情で、式に参加していた。  

 3年前の小学校の卒業式の時は、次男の足のことについて書いたが、今回の卒業式も別の意味で感慨深いものがあった。  
  次男の小学校の卒業式の時の日誌は、ここをクリック

  この間、卒業式には出れないこともありうると考えていたが、次男は、あいうえお順で2番目に卒業証書を授与された。  
  そんな中で、今年の卒業生123人中、5人の子ども達が、直接卒業式で、証書を受け取りにこれなかったようだ。

 最後に、保護者を代表した方が、「謝辞」を述べる場面になったが、これまで3人の子ども達の小中学校いずれの卒業式も、議員という事で来賓席で座ったままであったが、今回は「保護者の方はお立下さい。」のアナウンスに少しだけタイミングが遅れたが、私も初めて立ち上がった。

 松本市を代表して菅谷市長からは次のように餞の言葉があった。
  「人の上に立つ人間になる前に、人を支える人間になってください。人々の心に宿る人間になることを、心から期待しております。」

 自宅に帰って夜、感想を聞いたところ、菅谷市長の「声がなかなか良かったのと、人を支える人間になれというのが良かった。」といつもの笑顔で同じ事に触れた。
  良い記念になったことだろう。

  さて、次男の今後の進路はどうなるか。
  発表は来週の月曜日の20日だ。

 

 戻る


3月15日(水)

 緊張した委員長報告   
  

 議会最終日。
  経済環境委員会の審査の経過と結果を次のように、委員長報告を行なった。
  通例では、議会事務局がまとめてそれを読むのが、今までの通例だが、今回の場合は、事務局の方にもかなり協力をいただき、原案を何度も書き換えてもらった。

  ポイントはなんと言っても、防犯条例の部分。
  「市民の責務はあくまで努力目標であり、強制でなく、人権侵害に及ばないように細心の注意を払って条例を運用するよう努めてまいりたい」
  「防犯推進会議での決定事項と松本市の防犯施策との関係において、松本市政の独立性・自主性は確保されるかについては、市長が諮問した場合は、会議の結論を十分尊重し、また、推進会議の結論で疑問があるような場合は、議会等にも相談しながら、実施するかどうかの最終判断は、市長が行う」  

 全文は、ここをクリック

 実は、委員長の報告に対する質疑をも覚悟する中で、まとめを行なった。
  「委員長に対する質疑」とは、委員会の審査の報告に対して、疑義がある場合に行なわれるものだが、最近は、何度かあるのだが、実質的なやり取りが行なわれた経過がなく、質問があっても、「先ほど報告をした通りです。」で済ましてきている場合がそのほとんどだ。  

 今回の報告では、条例の問題点の指摘と同時に、運用に当たっての、縛りをかける内容に重点を置いて報告を行なった。

 さて、「条例の一言一句まで取り上げての、木を見て森を見ない議論には、うんざりした」という声が伝わってきたが、

  「木を見て森を見ず」という言葉の意味は、
  一本一本の木に目を奪われて、森全体を見ないこと。ものごとの些末(さまつ)な一面に拘(こだわ)り過ぎて、本質や全体を捉(とら)えられないことの喩え。
  と辞書にはある。
  ちなみに さ‐まつ【瑣末・些末】とは、わずかなこと。取るに足りないこと。些細ささい。
  とある。

 今回の条例に定められている条項は、瑣末なものではない。
  木を見失いえば、森も見えない。その本質を捉えられない人の議論だ。
  うんざりしたのは、そうした人だけだろう。

 続きは後で

 

 戻る


3月14日(火)

 介護保険料の軽減を求めます   
  

 松本市の介護保険料が、平均で41%引き上げられることに関して、菅谷市長は、
  「値上げは、心苦しく、重く受け止めている。」
    と答弁、
  「このように本市といたしましても精一杯努力してまいりましたが、議員ご指摘の格差社会にあって市民格差社会にあって市民の暮らしも大変となっていくなかで、これ以上の保険料の値上がりは厳しい状況であることから、今回の制度改正における予防事業の効果に期待するとともに、介護給付等費用適性化事業により給付費が抑えられるよう努力してまいります。」
  と語った。  

 また、介護保険料の値上げ抑制のため、国民健康保険会計のように一般会計からの繰り入れについては、「制度上できないことになっています。」と理事者は答弁している。

 今回の保険料の値上げは、平均で41%という大幅なものであるばかりなく、旧安曇村の皆さんにとっては、約2倍の値上げになる。  
  保育料の引き下げは、「合併効果」として歓迎されているが、この安曇地域の皆さんの負担増は、「激変緩和」措置が必要なものだ。  

 一般会計からの補てんに関して、制度上認められていないことはない。  

 厚生労働省が、自治体がおこなっている保険料の減免制度に対し、
@保険料の全額免除
A収入のみに着目した一律の減免
B保険料減免分に対する一般財源の繰り入れを不適切
  とする「3原則」を示しています。
  このため「一般会計からの繰り入れができない」ものと一般的にはなっていますが、 2002年3月19日参議院厚生労働委員会の議事録によれば、当時東京都選出の共産党の井上みよ参議院議員の質問に対して、厚生労働関係者は、次のように答弁しています。

【井上議員】 自治事務である介護保険料の減免制度に対する国の3つの原則は、地方自治法上、国の関与の仕組みの中で何に当たるのか。
【堤・政府参考人】 地方自治法第245条第1号のイに規定する助言あるいは勧告に当たる。
【井上議員】 助言もしくは勧告の掲合、自治体はそれに従う義務があるのか。
【堤・政府参考人】 法律上の義務というものはないというふうに解釈している。
【井上議員】 (減免制度の実施など)自治体が福祉の増進のために頑張るということは、自治法にも明記されている。(厚労省が「指導」している)3つの原則は自治体を圧迫しているし、いろいろ矛盾を起こしている。3つの原則は、撤回すべきと思うがどうか。
【坂口厚労大臣】 (自治体の中で)3つの原則を乗り越えてやるというところも100幾つあるわけで、それでもなおかつそこ(3つの原則)を乗り越えて.やるというのを、それは私たちのいうことからはみ出ているからそれは絶対駄目だと、やめうということまで言っていない。(3原則を越えてやることを)私たちは奨励していないが、皆さん方(自治体)の主体性を尊重している。

 菅谷市長が、「これ以上の保険料の値上がり」といっているのは、次回3年後のことをさしているわけだが、これからの3年の今回の負担増が問題点だ。

 明日は、2月予算議会の最終日だ。

 

 戻る


3月13日(月)

 住民投票によらない「松本型の住民意向確認」の結論は、23日に出る   
  

 米軍厚木基地(神奈川県)の艦載機部隊を米海兵隊岩国基地に移転することの賛否を問う、山口県岩国市の住民投票の結果が出た。
  12日日曜日は、山形村に選挙の応援に行っていたのだが、車で移動の最中にすでに、投票率が50%を超えたと言うことで、大きなニュースになっていた。

  投票率58・68% 投票総数 49682票。
  開票の結果、
  移転「反対」 43433票、
     「賛成」  5369票、 
     「無効」   879票。
  投票総数に占める「反対」の比率は、87.42%。
  重要なのは、この「43433票」は、有権者総数84659票の51.30%であることだ。

 ご承知の通り、住民投票は、投票率が50%を超えないと「開票」しない。
  そのまま封印されてしまうのだが、今回は、投票率に関わりなく、有権者の過半数を超えた点がなんと言っても注目点だ。
 
  住民の意向は明確になった。
  岩国市長の態度は、「計画の白紙撤回という方針は変わらない。」「議会と相談した上で地元の意向を国に届けた。」と明白だ。
  あとは、政府が住民の示した意向結果にこたえて、計画の撤回を選択することだ。

  さて、松本市の意向確認について。

  今日は、午後1時から、9回目の「松本・四賀直結道路市民意向確認研究会」行われた。    
  同じ時間で、「3・13重税反対全国統一行動」が行われたため、傍聴にはいけなかったが、集会終了後、市役所で用を済まして、Mウイングに向かうと、非公開で行われている会議を窓越しに垣間見ることができた。  
  職員の方に頼んで、資料だけもらってきたが、その資料は、「松本・四賀直結道路市民意向確認に関する調査報告書」となっているもの。
 
4章からなる報告書のうち、肝心の
  「第3章 考察   3.1キーワードの抽出  3.2結果の解釈」
  「第4章 各委員の所感 4.1 村上委員長  4.2 水谷副委員長 4.3 上岡委員 4.4 小西委員 4.5 鈴木委員 4.6 西尾委員 」
  と、項目だけ記されて、内容は「空白」となっている。

  報告書の形式がこれで解る。  
  研究会として「結果の解釈」を統一見解としてまとめ、各委員の意見をそのまま掲載する形式だ。

 村上委員長は、会議後の会見で、マスコミ関係者に 「市民の意向が賛成だったのか、反対だったのか、両論だったのか、どれにするかは決めた。」 「アンケートのほか意見交換会、市民討論会などを行い、十分に市民意向を判断できた。」と語ったという。 (14日付け朝刊より)  
  判断できる客観的材料をそろえることができ、結論を出せるに至ったということだろう。

 今後、 20日には、議会全員協議会が開かれ経過の報告、そして23日には、最後の10回目の研究会が非公開だが行われ、最終の詰めを行い、その後すぐに市長への答申が行われ、研究会としての記者会見が行われる。

 私は、去る2月18日に行われた「意向確認市民討論会」」での次の村山委員長のまとめを改めて読み直してみた。
  「旧四賀地区の方は、松本市民になったことを生かしたいという気持ちがあること。
  一方、旧松本市民の人も、四賀地区の方がせっかく来たのだからみんなで仲良くやっていこうという気持ちはある。
  お互いトンネルを作る作らないは別にして、何とか共存、仲良くやっていく道はないのか、全体として新しい松本の市民としてやっていく道はないのかそれを模索されている感じはする。」
  「 松本市民が、四賀地区の皆さんを迎え入れて何とかやって行きたいという気持ちの一つの現れに、アンケートの結果がある。」
 「50%の人は使わないといっているのに、32%の人は賛成している。」
 「 最終的には市長が決めることだが、それに対する一つの情報を提供することがわれわれの仕事だ。」  
 
改めて実に大事な観点だと思う。

 32%は、かなりの数字で、47%は、重い数字だ。

 初めての取り組みで、全国からも注目されている住民投票によらない「松本型の意向確認」の結論は、23日に行われる。
 昨年のちょうど今の時期の2月議会本会議で、私の方から提案した意向確認作業。
  あれからほぼ1年。

  議員団としても、今からコメントの準備が必要となる。

 

 戻る


3月10日(金)

 「防犯条例」の審査の中で明らかになったこと   
  

 委員会審査2日目。
  午前中から、「松本市防犯条例」の審査が始まった。  
  傍聴者の方もたくさんお見えになっていたこともあり、冒頭に、委員の皆さんには、
  「委員長の『責務』は、委員の皆さんの十分な審査、発言を保障することにあります。でありますので、委員長として途中で委員の皆さんの発言を制限するようなことになることのないように、ぜひご協力くださいますようにお願い申し上げます。」
  と申し上げて、視線の合った委員には、目でも訴え、審査に入った。  

 以前にもお伝えしたことがあるが、この間、重要な問題の審査の過程で、質疑打ち切り動議が出され、意見すら十分にいえない中で、採決に持ち込まれたケースが何度もあったからだ。  
  そして、本日も事前に、「打ち切り動議で、すぐに採決」という声も聞こえていたこともある。  
  (この点については、委員全員に最後までご協力いただいた。また、途中で委員長を交代してもらい、宮坂副委員長にその任に当たって貰った。当たり前のことではあるが、心から感謝申し上げます。)  

 結果的には、防犯条例は、賛成多数で、委員会では「可決すべきものと決し」た。

 審査の中で明らかになった点がいくつかあった。
  まず第一に、
  今度の条例案は、その目的を 「防犯に対する意識の高揚と自主的な防犯活動を協働により推進する」としているが、  その「防犯」という用語の定義は、「犯罪の発生を未然に防止すること」であり、 それは、客引きや違法駐車などの「行為」を防止するのではなく、犯罪を未然に防ぐ「意識」にかかわる事に関する条例であること。  
  それは、請願、陳情にも触れられている人間の「内心」にかかわることに踏み込むことにつながる危険性があるものであることが解る。  
  パブリックコメントでも指摘されていた「危惧」の中身でもある。
  犯罪を未然に防ぐという事で、犯罪「行為」に至る前の段階への施策である。
  「あくまで犯罪を起こそうと考えている者に対し犯罪を起こしにくいまちであることをアピールする活動を推進し、(人権侵害に及ばないように)細心の注意を払って条例を運用する。」
  「人権侵害に及ばないその担保は、憲法に定められている。」
  との答弁があった。

 次に、その防犯の推進施策をどう展開するのか。  
  条例案では、防犯推進会議を設置し、その会議では、「会議の議事は、出席委員の過半数を持って決し、可否同数のときは、議長が決」し、「防犯の推進に関する事項について審議等をする」となっている。  
  では、この推進会議での「決定」と松本市の防犯施策の関係はどうなるのか。
 この会議は、いわゆる審議会のようなものなのかどうか。

 それに対しては、
  「市長が(考えた施策に関して)諮問した場合は、それの会議の結論を十分に尊重することになる。」  
  他の決定事項に関して、
  「少なくとも結論を受けて実施について疑問がある場合には、検討をし行なうかどうかの最終判断は、市長が行なう。」
  という答弁だった。    

 防犯条例は、今、全国各地の自治体で条例化が進められている。  
  「警察主導で行なわれている」という事も伝わってきている中で、各地の条例を比較検討すると、少しづつだが、条文に違いがある。  
  その中で、この推進会議の設置は共通しているのだが、
1、 市長の「諮問事項に対して、会議を行なう。」となっているもの。そうでないもの。
2、 決定の方法に関しても、松本市のように、「可否同数のときは、議長が決する。」と決めてあるもの。そうでないもの。
  このように、市長と推進会議との関係については、まちまちである。  
 
  長野市の場合は、 あくまで協議機関であり、「協議した結果に基づき、必要な事項について市長に意見を述べることができる。」とだけ決めているところがある。
  ところが、松本市の場合は、「諮問に対して」という前提もなければ、「可否同数のときは、議長が決する。」事まで書かれている。
  当然、この会議の決定と市長の判断に基づく松本市の「防犯に関する施策」についての関係が、明確ではない。
  どちらが優先するのか。

 今回の条例案では、推進会議での決定が重要となる中身になっている。
  ただ、答弁の中では、いわゆる「審議会」とほぼ同じものであり、市長の最終決定権は担保されている事が確認できる内容だ。
  (委員長報告を、15日の最終日に行う関係で、事務局に協力いただき、審査過程のテープを聴いたが、私が行った質疑にも、まだまだ甘さがあることが良くわかる。)  

 事前の予想では、賛成多数で可決という見通しがある中で、私としては、この条例案の問題点を明らかにすることはもちろんのこと、今後の運用に条件をつける意味も含めて、質疑を行なったのだが、詳細にテープを聴きなおすことが必要だ。  

 松本市の条例の中で、「内心」にかかわるものが、部落差別にかかわるものがある。
  松本市の同和行政に関する施策は、「市政史上最大の汚点行政」として特徴だが、「部落民以外はみんな差別者(=もともと差別をする可能性がある予備群)」として、全ての市民に、部落開放同盟の行なう行事に、参加させたり、「同和対策審議会」で決めたことに沿って松本市の同和行政が行なわれ、町会ぐるみで協力が強制させられた時期がある。  
  2度とこうしたことを繰り返さないためにも、内心にかかわることを条例で定めないこと。
  また、松本市の施策には、市長を先頭にその独自性、独立性を担保することがいかに重要かという事が、暴力事件にまで発展した同和行政からの最大の教訓だ。
  (続きは、後刻)

 お隣山形村の選挙が、3月21日告示、26日投票で行われる。
  明日、あさっての土日、議員団としても、支援にいくことになっている。

 

 戻る


3月9日(木)

 松本市実施計画第36号 発表される    
  

 例年に比べ、発表が遅れていたが、「実計36号」が議員のポストに配布されていた。
  正式には、「実施計画第36号」略して「実計36号」というのだが、H18年度からH20年度までの3年間の実施事業名一覧と総事業費が書かれている。
  現在審議しているH18年度予算案とリンクしているもので、実施計画に計上されて初めて、実施に移される。
 
  そして、同時に中期財政見通しの試算がだされた。
  こちらの方は、H22年までの5年間分が発表されている。

 発表された「中期財政見通し」の「H16からH22」までの分は、ここをクリック
  (発表に基づいて、作成してみました。)

 昨日の議会答弁に沿っての、財政見通しであることが解る。  
 公債費(借金返済額)のピークは、H20年で、額は、117億1100万円。
  そして市債は、来年度以降いずれの年も、公債費を下回って、その結果、市債残高は、H17年度末977億円をピークに減り、H22年度末は、865億円となる計画だ。
 
  経済環境委員会の1日目の審議は、夕方6時を回った。
  しばらく調べものをし、自宅に帰って見ると、高校受験を終えた次男が、「数学はシンダ!」と言葉を発していた。
  「受からなくても、怒らないでね。」とも言った。
  確かに持ち帰ってきた問題用紙のメモを見てみると、連立方程式の回答に誤りを発見。本人の言うとおり出来が悪いことが解る。

  中学時代のほとんどを中間教室ですごした次男。
  私も、「熱」を入れすぎて、喧嘩し、嫌われながらも数学を教えたのだが、どうやら力にはなれず、間に合わなかったのかもしれない。
  発表は、20日。  
 
それでも、お知り合いの方から頂いた合格祈願のお守りを手渡すとうれしそうに抱えて、「明日は面接だ。」といって次男は、作業中の私の部屋を出て行った。

 

 戻る


3月8日(水)

 「19年度以降も市債残高を減少していく予算編成に努める」    
  

 議会本会議3日目、質疑を行なった。
 
 「 H18年度一般会計における市債発行額を元金償還額の範囲内に抑え、市債残高を減少していく方針は、19年度以降も継続していくのか。」

 この質問に対する、答弁は以下の中身だ。

 平成18年度当初予算縞成にあたりましては、予算編成方針として
1、新たなる松本のまちづくりの推進
2、開かれた予算編成への取リ組み
3、自立可能な行財政運営の推進
  を3つの柱として予算編成に取リ組みました。
  この内、「自立可能な行財政運営の推進」としまして、一般会計における市債発行額を元金償還額の範囲内に抑え、市債残高を減少していくよう道筋をつけることとしたもの。
  市債に対する考え方につきましては、従来から申し上げておりますように、まず、事業の必要性、効果、緊急度などの観点から慎重に検討する中で事業を厳選し、借入にあたっては交付税措置のある有利な起債を優先するなど、節度ある活用に努めている。
  今後の方針については、従来からの基本的な姿勢に基づいて適切で節度ある市債の活用に努めるとともに、基本的には、19年度以降も市債残高を減少していくような予算編成に努めてまいりたいと考えております。  

 とても重要な答弁となった。  

 そのほかに、今度の自立支援法の関連で、精神障害者が通院する場合「自立支援医療」の給付を受けることとなり、いままで5%負担であった医療費が10%の負担となるが、それに関連して次のように、質問した。

 精神障害を持ち、通所型福祉サービスを受けている方の場合は、医療費の負担は今まで以上に大きくなる。
  このことで、新しく自立支援医療制度になると言うことで、市役所から、「これからはお金がかかるようになりますよ。」と言われ、あなたの預金や収入がいくらか証明するものがほしいと連絡を受け、そのことがあまりにショックで、リストカットにいたった例があります。
  幸いにして命を失うまでにはいたりませんでしたが、日々それこそ細々と暮らしながら頑張っている人たちにとっては、国の進めてきたやり方は、人権を無視したまったく配慮に欠ける中身です。  
  その結果、動揺が広がっている。 こうした方々に対する対策は、予算上ではどうなっているのか。

 これに対しては、 「国民健康保険につきましては、現在、個人負担分の5%を助成しておりますが、通院医療費公費負担の該当者の状況に配慮し、自立支援法施行後も引き続き患者負担額を、全額市単独で助成していく」
  ことが明らかになりました。  
  負担増に対して「一歩でも二歩でも」改善する朗報の中身だ。  

 ところで、この発言の中、「リストカットにいたった例」の発言の際に、嘲笑する議員が一人いた。
  なんともいえない時間が議場を支配した。

 明日から2日間は、経済環境委員会の審査となる。

 

 

 戻る


3月6日(月)

 「資格証明書」及び「短期被保険者証」の交付基準を見直す    
  

 一般質問初日。
  長野県下、発行数が「トップクラス」となっていた国民健康保険の「資格証明書」及び「短期被保険者証」に関して、
  「市民の健康を守ることは何よりも大切だという観点から、交付基準については、緩和する方向で見直しを行う。」
  との答弁があった。
  共産党を代表して犬飼議員が行った「資格証明書及び短期被保険者証発行はやめるべき」と求めた質問に対して答えたものだが、要は、資格証明書及び短期被保険者証の発行を抑えるという方向が明らかにされた。

 前市長時代、国民健康保険法の改悪に伴い、平成12年4月から発行されてきた「資格証明書」。
  国保に加入しているということの「証明」だけで、医療機関の窓口では全額10割支払わなければ医療をうけられないものだが、
  松本市は、
ア、 前年度納期に滞納がある者
イ、 前年度中に一度でも保険給付があった者
ウ、 世帯全員が65歳未満の者
エ、 国保税の軽減世帯でない者
  のすべてに該当する者の中で、税負担の公平性の観点から、 納税相談に応じない者、十分負担能力がある者、約束した納付方法を誠意を持って履行しない者を対象に、この資格証明書を発行してきた。
  その数は、昨年の12月31日現在で、93世帯。
  発行数は県下19市で、一番という不名誉な状態であった。

 同じく保険税を払えないことを理由に発行されている「短期被保険者証」についても、「6ヶ月」「3ヶ月」「1ヶ月」という期間の短い保険証を発行、「有効期限」が切れるたびに納税相談に訪れることを求め、その発行数も昨年末時点でで、1681世帯、今年の1月31日現在では、さらに増えて1838世帯となっていました。

 「健康の命綱」ともいわれる健康保険証を、保険税の滞納整理のため、制裁的意味合いを持たせる意味で、正規のものでないこの「短期」や「資格証」の発行は、全国では医療機関にかかれず、11名の方が命を失うという事態が、マスコミでも取り上げられ大問題となっているものです。

  松本市内でも、病気になり医療機関に来て初めて、「資格証明書」保持者としてはじめてキャッチされるという最悪の事態にもなりかねない例も生まれています。

 厚生労働省が、05年2月15日付けで出した通知で、「乳幼児が含まれる世帯を資格証明書の発行の対象外とすることを検討すべき」との指示があることを紹介すると、この点に関しては菅谷市長は、自ら答弁に立ち、この指示に沿って「乳幼児世帯へは、資格証明書は発行しない」ことを表明しましたが、これだけににとどめず、母子家庭、父子家庭などへの資格証明書の発行もやめ、何よりも全ての世帯に正規の保険証の発行を強く求めます。

 

 

 戻る


3月5日(日)

 「稲倉峠」を目前に、断念!    
  

 四賀福寿草まつり記念式典に参加してきた。
  国内でも最大級の群生地として知られ、その花は50万本ともいわれる。
  全国から約10万人ほどが、この季節に訪れるという。 昨年は、合併に向けた準備があって開催期間を1週間短くしたが、今年は26日(日)まで開催される。  

 詳細は、こちらをクリック   (HPの「四賀福寿草情報」のところも見てみてください。)

 お話を聞くと、福寿草はこの群生するこの斜面だけで育つそうで、植え替えて自宅で育てても3年もすると「とぼって」しまうそうだ。  
  残念ながら、斜面一面には雪が積もっていて、写真で見るような光景は見られなかったが、雪氷の丸窓から顔を出す花の姿は、実に春を感じさせるに十分だった。

 さて、開会式終了後、もう一つの目的のため、郵便局手前を鋭角に戻り稲倉峠へ向かった。  
  途中、人家が切れるところで、大きく右折する場所があるが、そこで道を確認すると、「この道で良いが、雪があるからやめたほうがいいよ。」といわれたが、二本の轍が確認できたので、せっかく来たこともあり、行ってみることにした。
 陽のあたっているところは、雪はなかったが、ほとんどのところは10センチを越えての積氷雪。  
  何度か轍を外し、左右にゆれ、ハンドルを取られ止まりそうになりながらもどうにか進むことができたが、さすがに勾配がきつくなるあたりから、スピードが落ち、とうとう止まってしまった。
  (私の軽自動車は、前輪駆動車で、四駆でないことに途中で気がついたのだが・・・)

 手元に地図を持っていたのだが、峠を目前にしての断念という事になった。
 Uターンできるところまで、かなりの距離をバックで下ることになったが、かなり緊張した。 

 持っていった地図は、ここをクリック  (矢印は、「四賀トンネル」予定ルート 稲倉峠は、その右側にあります)
 実は、午前中、福寿草まつりに参加するために稲倉側から登って記念式典に参加する予定だったが、改めてそうしないでよかったと思った。  
  春になったら、改めて「挑戦」しようと思う。

  帰ってくると手首が腫れてかなり痛く、キーボードをうつにもかなりしんどい。
  考えてみれば、ハンドルを握った手首への衝撃はかなり大きかったようだ。  

 明日からは、議会一般質問が始まる。

 

 

 戻る


3月2日(木)

 注目される新「財政シミュレーション」    
  

 予算説明会が3日間続いているが、今日で終わった。
  来年度予算中の15ある特別会計の借金額の動向に関して、一般会計では「市債は、元金償還額を越えない。」という方針を掲げているが、特別会計はどうなっているのか、どうするのか質問してみた。
 
  H17年度末借金残高見通しは、126億8200万円。
  H18年度では、元金償還額は、14億6397万円。
  新たな借り入れは、5億6420万円。
  結果として、H18年度末は、借金残高の予定は、117億8200万円になる予定。
  との答弁。
  但し、特別会計に関しては、一般会計のような「借金を確実に減らす道筋をつける」方針は持っていないとのことだったが、結果として、今年度は、一般、特別ともに起債残は、減ることになる。

 また、向こう5年間の財政シミュレーションは、実施計画36号とともに、来週の早い時期には、公表できることも質問して確認できた。

  さて、どんな新しい財政シミュレーションがでてくるか大変興味深い。
 
  「市債は、元金償還額を越えない。」のこの方針について改めて考えてみた。
  今までならば、新たな事業を行うには、そのための起債は、ある意味「自由に」行なうことができたが、今度の方針は、かなりの制約を設ける方針であることは、以前にもお伝えしたが、さらにより具体的に検討してみる。
  一つは、公債費中の元金を越えないという点だ。 借金の返済は、すでに過去の借金をした時点で、その返済計画は自動的に決まってくる。
  いわゆる「繰上げ償還」という事もあるが、例外だ。 そして、松本市の場合、その公債費の額のピークは、H20年度という事が明らかになっている。
  だから、よって自動的に、借金総額だけでなく、起債額そのものまでが、H20年を境に、減ることになる。
  当たり前といえばそれまでだが、これは実に大事な点だ。 H20年までは、前年額を越えて起債は可能だが、H20年以降は、それをしないという方針という事だ。
  「返済額を増やして、借金を増やす」という事もできない。
 
  その結果として、財政規模そのものが小さくなる要因になる。
  借金に関連して見落としてならないものに、「債務負担行為」がある。
  向こう何年間で、支出予定をあらかじめ確認している事業だ。 俗称「隠れ借金」とも言われるが、(この表現が的確かどうかは、考える余地はあるが、)来年度予算案で、確認するものの中で、H19年度以降の事業総額は、約100億円弱ある。

  注目される新「財政シミュレーション」は、来週頭には公表される。 それに基づく分析ができる。

 

 

 戻る


3月1日(水)

 「終戦の 詔勅拝して帰る身の おくれざりしをただ苞にして」   木下文武さん逝く      
  

 すでに28日には、議会事務局でそのお話は聞いていたが、私と木下文武議員さんとの思い出は、いくつかある。
  私が議員に初当選した時は、もちろんすでに議員だった木下さん。
  いつも本議場には、ハンドバックを持参し、資料を抱えて入場していた姿がなつかしい。
  その質問、発言はいつも堂々として、言葉は少なげだったが説得力があったことを記憶する。
  私が、質問した後に、「良かったよ。」と一言声をかけてもらった時もあった。

 議員を辞めた後も、噛み締めるような、そして相手を釘付けにして立ち止まらせる独特な語りで「池田さん。」と一言、市役所でお行き合いした時はいつも私からより先に声をかけてもらうことが多かった。
  晩年は、廊下で待ち構えられたときもあった。

 選挙管理委員長をおやめになった後も何度か選管の事務局でお話をしたことがある。
 ある時私が日曜版を配っていた時に、「池田さん。共産党は、政党助成金をもらっていないことをもっと宣伝したほうがいい。共産党だけなんだから。それだけで選挙をやってもいい。」と国政選挙が終わった後に励ましを頂いたこともあった。
 
  天皇制に関して、「共産党は天皇を認めてはいけない。そこが大事なんだ。」と少しかがみながら、銀色の跳ねる口調で話しかけらた時があった。
  私はその時少し急いでいたので、後ほど資料を選管の事務局を通じて読んでいただいたことになった。
  それは、23回党大会の不破報告の部分だったと記憶するが、それを読んでいただければ、誤解は解けるものと思っていたが、その後その資料に関してのご感想を聞く機会は、残念ながらなかった。

 木下文武議員の最後の質問(平成7年2月定例会)のファイルが、手元にある。
  自校給食のこと、平和のことに関しての発言の部分がある。
 表題の歌 「終戦の 詔勅拝して帰る身の おくれざりしをただ苞にして」 は、木下議員が議員としてのこの最後の質問の中で紹介した歌だ。
 木下さんは、平和の問題に触れて、自らの戦争体験と終戦後、日本に帰還する際、船の中で詠んだ歌として、3回目の質問の部分で紹介している。
  
  その発言に関しては、ここをクリック   (歌の部分は、最後のほうにあります。)

 木下文武さんのご冥福を心からお祈りします。

 

 

 戻る