10月29日(月)

 上野誠とケーテ・コルヴィッツ 
  

 安曇野ちひろ美術館で、開館10周年記念として「ちひろとケーテ・コルヴィッツ −戦争と平和を描いた二人の女性画家」展が開かれていることが、昨日付けの日曜版に紹介されていた。
  ケーテ・コルヴィッツ(1867〜1945)は、ドイツでは知らない人のいない版画家・彫刻家で、「戦場を描かずに、母親の立場から戦争の悲惨さを告発した」(志真斗美恵)作家として、いわさきちひろが、「戦火のなかの子どもたち」の中で描いている「焔のなかの母と子」に共通するモチーフとして紹介されていた。

 実は、ほぼ同じテーマで、ケーテ・コルヴィッツとモチーフが共通する版画家上野誠を紹介している美術館が、長野市川中島町今井にある。
 先月の長野市議選挙に何度か応援に入った際に、少し時間をもらってその美術館を訪問してきた。 の
  「ひとミュージアム 上野誠版画館」 がそれだ。

 館長の田島隆さんは、お忙しい中、丁寧に作品の解説をしてくださった。

  「ひとミュージアム」は、ここをクリック

 版画家上野誠は、「中国人美術留学生・劉?の勧めで、魯迅編集によるケーテ・コルヴィッツの画集を神田の書店で買い、その作品から強烈な衝撃と深い感銘を受ける。(中略)その作品との出会いは、自己の製作姿勢にたいして確信を得ると同時に、新たなる創作意欲を触発された」。(パンフレットより)

 劉?(フォントが無いようです。「山見」で一文字です)に託し中国にわたった日本の軍国主義と侵略を描いた唯一の作品の版画に関するパネルも掲げられている。
 
  長野市にあるこの「ひとミュージアム」には、常設で「上野誠 その生涯と版画」展が開かれている。
  作品のなかには、ライプチヒ国際版画展で金賞に輝いた「ヒロシマ三部作」をはじめ、テーマとなった鳩の他の作品を見ることが出来る。
 中には、松本城を描いた作品もある。

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10月28日(日)

 ポアンカレ予想 
  

 先週の22日(月)に「100年の難問はなぜ解けたのか〜天才数学者 失踪の謎〜」というNHKスペシャルが放映された。
  ビデオにとってあったものを少し時間をかけて見た。
 番組に関しては、ここをクリック

 ポアンカレ予想 (Poincare conjecture)とは、もちろん1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレが提出した
   「単連結な3次元閉多様体は3次元球面に同相である」
   という仮説。
  大学時代に、その存在だけは知っていたが、深く調べることなく、卒業したわけだが、やはり「トポロジー」を一応専攻(?)した関係上、興味深く番組を見た。  

 数学は、定義が実に大切で、いつもわからなくなったら定義に帰れと何度も教えられた。
  このポアンカレ予想だけでも、 「短連結」、「3次元閉多様体」、「3次元球面」、「同相」 と、少なくとも4つの定義が正確でないと理解できない。  

 番組では、この命題を、まず最初に次のように「分かり易く」紹介した。
 
  「長いロープを持って、宇宙をぐるりと一周旅行して、どんな場合でもいつでも手元に回収できれば、宇宙の形は概ね丸いと言える。」
  そして、ポアンカレ予想は、「宇宙の形と関係がある問題」と伝えた。  

 ナレーションはさらに続けて、

  長いロープが回収できない場合があったら、どうなるか。
  そのときには、私達の宇宙は、穴が開いていてロープが引っかかっているのかもしれません。
  たとえばドーナツのような形なのかもしれません。
  ポアンカレは考えました。
 
「外に出なくても、(外から眺めなくても、)宇宙の形を知ることが出来るはずだ。」
  これが100年かかってやっと証明できた。  

 でもこれで、宇宙の形は、「概ね丸い」ということの証明にならないことは、もちろんである。  
 「ロープが、どんな場合でもいつでも手元に回収できれば、」という条件(「短連結」ということ。)がついてのことだからだ。
  でも、最初のテレビの進行は、あたかも宇宙の形を知ることが出来たかの誤解を与えるような編集に見て取れた。
  確かポアンカレ予想は、そこまでは言っていないとの記憶にあったからだ。

  でも、番組の視聴を進める中で、その証明の過程で、まったく知らなかったことが展開されてきた。

 グリーシャの愛称で呼ばれていた、ロシアのグリゴリ・ペレリマン博士が、その物理学の才能を生かして、世紀の難問を解いたわけだが、その過程は、ウィリアム・サーストンの幾何化予想(ポアンカレ予想を含む)を解決し、その系(corollary: ある定理からたやすく推定し得る命題)としてポアンカレ予想を解決したというのだ。
  又、その手法もリッチ・フロー(ハミルトン・ペレルマンのリッチ・フロー理論)と統計力学を用いた大変独創的なものであった。  
  サーストンの幾何化予想とは、「宇宙がどんな形をしていたとしても、最大で8種類の断片から構成されている。」というものだが、まずこの予想を解くことで、いわばその一部として証明が行われたという。
 
  そうすると、あながち宇宙の形を解明したものではないといえないのかもしれないということが伝わってきているような感じだ。

  「ポアンカレ予想の証明=宇宙の姿の解明」とは言えず、あくまでこの予想と宇宙像は別物で、一つの喩え話の域を出ないというのが関係者のいわば共通した見解だったはずだが、時間があればもう少し身近な先生に聞いてみたい衝動にかられた。   

 尚、参考までに幾つかの言葉の定義を紹介します。

  「単連結」 :図形の中の任意の輪っか(1次元球面)がその図形の中で1点に巻き取って回収できること。

  「閉 」:境界がないこと。(例えば球体は境界として球面をもちますが、球面には境界がありません)

  「多様体」 :曲線、曲面の一般化の図形、ただし局所的にユークリッド空間に似ていなければならない。
  「3次元閉多様体」:局所的に3次元の座標を書き込むことが出来る図形で、私達の住んでいる世界は、いわゆる3次元の世界に、時間という4つ目の次元が加えられ、4次元空間とみなせる。4次元の宇宙空間は、まさにいつでもどこでも「3次元の座標を書き込むことが出来る」ので、われわれの世界は、3次元多様体といえる。

  「3次元球面」:4次元空間の球の表面。通常の3次元座標上の球の表面(これは2次元球面)とは違って、もう一段次元が高いもので、図で表示することは出来ないし、もちろん目には見えない。(数学者は、見えるという?)

  「同相」 :ある意味で似ていること。

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10月26日(金)

 まさしく「パンドラの箱」 
  

 全国学力テスト問題で、教育部と懇談会を行った。  
  昨日日誌との関係で、話し合いの中でわかったことは、次の中身だ。  (順不同)

 二段階を踏むことにした理由は、結果を受けてまずは、「積極的に公表」することとも関係するが、「出遅れることなく」できるだけ早い時期に概要だけは出したかったから。

  第一段階での「市全体の特徴や傾向」の中身は、25日付のマスコミで全国傾向が発表されたように、たとえば「基礎知識高く、活用力に課題」などの表現の域は出ない。
  すでに雛型らしきものは出来ており、分析結果を当てはめるようなものとなる。
  11月中旬までに、その第一段階の公表をする。
  公表の仕方は、市教委の記者会見などが選択肢、HP上での発信は並行して行う。
  地域に対しては、「学校便り」等の活用も考える。
  11月16日に予定されている議会教育民生委員協議会には、全体の公表方針を報告する予定。

  第二段階は、もう少し分析・考察したものを市教委として公表する。それを受けて各学校は、学校長の判断・裁量に基づいて公表する。それは12月にずれ込んでしまうだろう。

  「積極的に公表」の意味は、 すでにデータが手元にある中で、情報が氾濫し、市教委が責められる前に、先手を打ち、説明責任を果たすべきだとの教育委員の強い意思が働いたことは事実。  
  数値の公開請求があれば、プライバシー部分は別として、全国の例からして公開しなければならなくなる。  
  そうした動きに立ち遅れることなく、積極的姿勢を示すという内容とのこと。
  仮に数字が出てもそのほうが影響は少ない、衝撃は少なくなる。

 教育委員長がマスコミに語った「侃々諤々の議論」とは、今年の2月21日から、9月20までの7ヶ月間に行われたものをさすが、正規の教育委員会としての会議録はない。

  とのことだった。  

 夕方の一定時間の懇談会だったが、ある程度の中身を知ることが出来た。  
  しかし、昨日も書いたが、「侃々諤々の議論」は、議事録からすれば「空白の7ヶ月」の間に行われ、どうした議論を経ての結論かは、市民にはほとんどわからない。  
  教育委員会は、昨年度からの会議録の公表に踏み切ったわけだが、残念ながらその趣旨は、今回の問題に関しては実現していない。  
  今日懇談を行った職員を含め教育部関係者も教育委員会の会議には同席し、議論を聞いているわけだが、「全国学力テスト」という点では、初めての経験でもあり、かなり複雑な思いが交錯したことは想像に難くない。  
  しかし、これだけでは全貌はわからない。
  この「議論」の中身の公開がどうしても必要だ。

 受け取ってしまった「テスト結果」は、まさしく「パンドラの箱」。  
  もともとやってはならない全国学力テスト。
 
しかしそれは実施され、とうとうその箱を明けようとしている。いやすでに開けてしまった。  
  教育関係者にとっては、実に重い課題となっている。 そうでなくても教育問題では頭を悩ましているのに、それに加えてさらに悩むことになったことは、やってはならないことをやってしまった者の「自業自得」といえないわけでもないが、そういうだけで責任の転嫁は出来ないし、問題は共に子ども本意に考える視点だ。  

 「パンドラの箱」のギリシャ神話には、あわててふたを閉めたとき、「希望」だけは片隅に残ったといわれている。    
 
  この「希望」の議論の責任は、これからだ。  
  もし来年もこのまま実施し、ふたを開けたままにすれば、間違いなく「希望」まで逃げていってしまうのではないだろうか。

  (「パンドラの箱」を「バンドラの箱」と表記したり、「希望」には、諸説あることがわかったが、この喩えが適切か、改めて吟味したいと思います。 『ウィキペディア(Wikipedia)』に拠れば、パンドラ(パンドーラー、Πανδ?ρα、パンは全て、ドラは贈り物の意))

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10月25日(木)

 全国学力テストの結果公表について 
  

 文部科学省が24日、全国学力テスト(学力・学習状況調査)の結果を公表したことを受けて、本日付マスコミが一斉にこの問題を報道した。  
  松本市は、すでに学力テスト実施を前にした今年2月の教育委員会での議論以来、この問題で「侃々諤々の議論」(教育委員長)を積み重ねる中で、正答率などの数値は公表しないが、「調査結果を受け、保護者や地域の方々に積極的に公表」することを確認した。  

 最終的に結論を出した今年の9月20日の第6回教育委員会の会議録と資料はここをクリック

 19年度 第6回の会議録  <議案第3号> 平成19年度全国学力・学習状況調査結果の公表について は、P8より、又<議案第3号>の資料そのものは、ページ表示にして、P20、P21でご覧になれます。  

 しかし、この会議録を見ても、「侃々諤々の議論」の様子は、まったく読み取ることができない。  
 又、この第6回を迎えるにあたり、 昨年の9月21日に行われた 18年度の第6回教育委員会、同じく今年の2月22日に行われた18年度の第11回教育委員会と2度にわたって議論されたことが、その会議録から読み取れるが、果たして「侃々諤々」の議論といえるものは見当たらない。

 18年度 第6回の会議録は、ここをクリック
 (P6から見られます。)

 18年度 第11回の会議録は、ここをクリック
 (PP11から見られます。)

 昨年度から、教育委員会は、会議録をこのようにHP上で公開しているわけだが、どうもその決定に至るまでの議論が全て公開されていないことがよくわかる。
  その証拠に、実は去る9月議会で、一般質問初日の9月10日には、議員の質問に答え、<議案第3号>の主要な内容がほぼそのまま、議会答弁されている。
  お解かりのように、最終的に結論を出した9月20日より10日も前に、議会で答弁しているわけだ。
  それならば、それ以前の委員会で「侃々諤々の議論」の記録があっていいはずだが、それが見当たらないことは先ほど指摘したとおり。
  しかも、最初の議論では、公表慎重論が出ている中で、それが「積極的公表」に変わってきた経過は、ほとんどわからない。
 
  「保護者や地域の方々に積極的に公表」ということになれば、仮に個々の学校ごとの公表であっても、市内の学校間の「序列化・過度の競争」の懸念はぬぐえないだろう。  
  私達議員団は、この間6人の議員が手分けして、市内の小中学校の関係者から事情をお聞きした。  
  そんな中、やはり心配の声が出されたことが報告されている。

  「うちの今年の6年生は、(今年の3年生は、)」ということが結局話題となる。
  学校からの公開の方法に関しては、「文書でするのか、HP上」で、校長会中でも議論があったという。
  学校によっては、「学校だより」を定期に出しているところもあるが、一つの学校がそうした方法で「地域に公表」すれば、「うちの学校は、何で公表しないのか。」となる心配があるなど、学校でもまだ議論はこれからだ。
  「実施した以上、その結果を知らせる義務がある。」「説明責任がある。」とまで迫られることを心配している関係者もある。
  全国一斉に同じ基準でテストが行われたとということになれば、当然「うちの子どもたち」は、又は、「自分の子ども」は、どのくらいの位置にあるのか知りたくなるのは、ある意味人情だ。

 何のための、誰のための学力テストだったのか、この実態は、これからの教職員、保護者、地域の皆さんの実践の中で証明される。

  「平均ほど一見全体をつかむ指標として良いように見えるが、これほど真実が見えないものはない。」

  この議論は、これから真剣に行われなければならない。

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10月24日(水)

 介護保険料の収入未済額の推移 
  

 平成12年から始まった介護保険制度。
  この介護保険料の収入未済額も、まさにうなぎのぼりに増えていることがわかった。  

  

 介護保険料収入未済額の推移

 H12    205万4600円
 H13    737万1100円
 
H14   1479万1755円
 H15   2411万6390円
 
H16   3130万6640円
 H17   3943万4000円
 H18   5720万5587円

 

 尚、昨日お伝えした国民健康保険税のグラフ中、H15年度だけ落ち込んでいる理由は、国民健康保険法の改定により、減税が行われためで、翌H16年からは、保険税の値上げがありその減税額を超えて増えた結果であることが判明、しかし増加傾向は変わりはありません。

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10月23日(火)

 収入未済額の推移 (その2) 
  

   市税と国民保険税の収入未済額の推移をさらにさかのぼって、調査してみた。

 以下が、そのグラフです。  

     
                             (単位は円です)

 国民保険税について見れば、その特徴は、H15年度を除いて増加傾向ということと、この10年間で倍以上になっているという点です。  
  市税に関しても、全体が増加傾向であることは間違いありません。  

 国保税のH15年度に関しては、改めての分析が必要です。  

 今後さらに、介護保険料のこと、収入未済額の全貌、保育料などに関する調査が必要です。

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10月21日(日)

 収入未済額の推移     18年度決算 
  

   「収入未済額」とは、行政用語で、
  「当該年度の歳入として調定した収入のうち,出納整理期間(会計年度終了後の4月1日から5月31日までの期間)までに納入されなかった額」
 
をいいます。
  簡単に言うと、予定した収入のうち、集まらなかった金額のことです。

 その収入未済額が、17年度と比べ、2億5200万円増えたことが報告されていた。  

 具体的に言うと、18年度の収入未済額合計が、約40億1100万円、17年度のそれが、約37億5900万円で、 その差額が2億5200万円。
  その内訳を見ると、 市税が、約3000万円、介護保険料が、1800万円に対し、国保料は約2億円となる。

 国保だけに関して、この間の増え具合をみると、

          収入未済額               前年度比増減
 15年度  13億4827万2200円  
 16年度  14億6924万9931円      + 1億2097万7731円
 17年度  15億4144万4468円      +   7219万4537円
 
18年度  17億3644万4898円      + 1億9500万0430円   

   と毎年増えている。  
  そして、市税は毎年それほど増えることなく、18億円台をここ4年間記録しているが、国保税の額、約17億4000万円が、市税の18億8557万6992円に近づいている。  

 松本市は、H16年度から、前年度比で、国保税額を総額で約5億円引き上げた。  
  国保税の負担の重さが影響しているのは間違いない。  

 ちなみに、市税の収入未済額の推移は、

  15年度  18億4770万4396円  
  16年度  18億1529万2358円  
  17年度  18億5562万1118円  
 
18年度  18億8557万6992円 

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10月19日(金)

 勝興寺を確認 
  

 4時50分にホテルを出る。
  地図の縮尺と勝興寺の位置がよくわからないため距離は正確にはわからないが、少し距離が伸すことを覚悟して、出発した。
  (JR氷見線で見ると、高岡―伏木間は、7.3km)  
 
あらかじめホテルマンに案内してもらったが、帰りにキーをもらいに行ったとき、「タクシーで行かれたのかと思いました。」といわれた。  

 とにかく薄暗い中、「万葉線」の線路を頼りに、伏木港を目指して走り始めた。  

 万葉線は、高岡市・高岡駅前から、射水市の富山新港の越ノ潟までの路面電車で、第三セクター方式の鉄道会社である万葉線株式会社が運営する路線。
  当時万葉線を運営していた加越能鉄道が、赤字路線ということで廃止・バス代替の意向を示したため、平成13年に高岡市・旧新湊市が中心となって第三セクター会社「万葉線株式会社」を立、平成14年4月1日運行行われている路線だ。
  路面電車の第三セクターは日本初だそうだ。
  (射水市は、新湊市はじめ1市3町1村が合併して出来た市)
  古い電車も走っているが、赤い新車「MLRV1000形」が走っている。
  愛称は、「アイトラム(AI-TRAM)」。 由来は富山湾から吹く「あいの風」に、路面電車を表す「トラム」を組み合わせたもの。(「アイ」には「愛される」の意味も含む。)
  昨日の説明の中でも出てきたが、その後の移動の中でも確認できなかったが、県道156号線から射水市方面へ分かれるあたりで、その姿を初めて確認することが出来た。

 そうこうしているうち、やっと小矢部川を渡る城光橋に差し掛かった5時半過ぎに、「お寺の鐘」が鳴った。  
  どこの寺かはわからないが、橋を渡ったあと氷見方面に向かう県道414号線に入る。  
  不安はあったが、とにかく観光マップを信じて向かった。  
  後で確認したのだが、この伏木には、目指す勝興寺以外にも、国分寺跡、万葉歴史館、北前船資料館などがあることがわかる。  
  (まだまだ、見てみたいところが沢山ある。)

 さて、いよいよ本命の勝興寺に近づいているはずだが、一向にそれが見えてこない。  
  「伏木古府2丁目」の表札が確認できたが、それでも確認できない。  
  時間との関係であせってきたが、通りすがりの方に聞いて道を教えてもらい、それらしき道に入り、共産党の選挙ポスターが貼られているところの細い道を入っていっても行き止まり。  
  なにやらこんもりした森の向こうに屋根の「稜線」らしきものが確認できたが、どうしても入り口がわからない。  
  帰路を考えるともう時間いっぱいとなった。  

 それでもと進むと、別なお寺の住職の方が、掃除をされていたので教えてもらい、何とか入り口がわかった。
  感謝!感謝!  
  何のことはない、伏木駅方面から来れば、迷うことなく来れたことが判る。  

          

 携帯で撮った写真の時間を見ると、「2007年10月19日、5:57:12」となっていた。
  「実らない銀杏」の看板や、平和塔を確認し、残念ながら、直ちに帰路に着いた。  

 後はひたすら帰るのみ。  

 来るときに確認できた巨大な煙突の煙は、その時は暗くて判らなかったが、中越パルプ、日本製紙工場 などものであることが後で地図で確認できた。  

 

 2つの写真は、帰りに撮った、修復中の高岡大仏と駅前の「アイトラム」です。  

 何とか、視察項目にあった世界遺産登録を目指す4つの文化遺産群全てを見ることが出来、ホテルに帰ったのは、ちょうど7時をわずか廻ったところだった。

 勝興寺には、7つの不思議があるという。  
  勝興寺に関しては、ここをクリック  

 勝興寺の印象は、残念ながら十分に感じるまでの時間はなかったが、いずれ時を改めて訪問したいところの一つに高岡市は、リストインされることとなる。

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10月18日(木)

 高岡の宝を世界の宝へ 
  

 先週に続き、今度は松本広域連合総務民生委員会の行政視察で、高岡市、郡上市を訪れた。  
  一泊二日の研修だが、1日目は、高岡市。
  私の記憶では、初めての訪問。
 
近世高岡の文化遺産群(瑞龍寺・勝興寺・前田利長墓所・高岡城趾)を世界文化遺産へ登録する運動を中心に、文化伝統を活かしたまちづくりについての研修だ。
  (文化遺産群としては、この4つに加えて土蔵造りの町並み・山町筋と鋳物発祥の地・金屋町とあわせて6つとなる。)
  街中には、臙脂(えんじ)色に、白く「高岡の宝を世界の宝へ」の文字を抜いた桃太郎旗が、要所要所にまさに林立している状況。

 早速、国宝瑞龍寺の見学に向かった。

        

  撮った写真は、山門から仏殿を覗いた形だが、まさに門が額縁となっている。  
  一言でいって、見事な伽藍と重厚なたたずまい。  
 
幾つか寺を見てきたが、これほどまでに存在感のあるものは珍しい。  

 副住職の四津谷道宏氏が説明してくださったが、実にユーモアの中に本質を覗かせる堪能できるものだった。  
  この副住職。なかなか現代的で、個人のブログ「副住職の独り言」を開設していることがわかりました。  
  そのブログは、ここをクリック  
  おそらく、これからも本質に迫る面白い話が載ることでしょう。

  尚、高岡市の取り組みに関しては、ここをクリック

 高岡市の取組は、行政だけでなく「世界文化遺産をめざす高岡市民の会」の活動も報告された。
 高岡市長は、昭和36年生まれの方で、行政だけでなく「市民とともに協働の力で、世界遺産に」の取組を進めているという。
  八丁道を戻るとその先に「前田利長墓所」があるが、残念ながら管理者が個人で、今日は外からだけの視察となった。
 
大名の墓としては規模、内容共に「全国一」で類を見ないもののようだ。

 ところで、この瑞龍寺の参道ともいえるこの八丁道。お土産屋さんがほとんど無いことに気がつく。

  「松本城を世界遺産に」の取組も行われているわけだが、運動の規模と勢いに違いを感じた。  
  そして、何よりもこの取組の中で、職員はもちろん市民の方が、新たに高岡市の宝を再認識することが出来ていることが、文化伝統を活かしたまちづくりにつながっていることが教訓的だという。  

 4つの文化遺産群うち2つを見ることが出来たが、ホテルに到着次第、夕食前に「高岡城趾」周辺を走ってきた。  
  天守閣はないものの、城跡は自然のまま残され、堀も含めてかなり規模は大きなものだ。

 さてこれで、4つのうち三つは、何とか確認できた。  
 
そこであと残るは、「勝興寺」ということになったが、地図で見ると高岡市の北のはずれ、富山湾に面した伏木港の近くにあることがわかる。  

 距離はかなりになるが、明日の朝、早起きして出かけることにした。

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10月12日(金)

 豊田市訪問  (議会運営委員会視察3日目) 
  

 今朝は、同じく5時起きで、平和公園内と広島城外縁を一回りしてきた。
  平和公園も広島城ももちろん初めてではない。
  まずは、真っ先に原爆慰霊碑の前に向かった。
  「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の碑の前に、ペットボトルが置かれていた。
  よく見ると中にはいっぱいに折り鶴が詰め込まれていた。
  こうした形態は初めてだ。 おそらく若者が置いたのだろう。

  「 ちちをかえせ ははをかえせ 
    としよりをかえせ 
  
 こどもをかえせ 

   わたしをかえせ わたしにつながる  
    にんげんをかえせ  

   にんげんの にんげんのよのあるかぎり
    くずれぬへいわを  
    へいわをかえせ               」  

 峠三吉詩碑を経由し、元安橋を渡り、原爆ドームへ向かう。  
  建て替えが計画されているという広島市民球場の西側を回りこみ、広島城の内堀を一周して、原爆ドームに戻り、もともと「エノラゲイ」が狙った相生橋のTの字の部分から、南下し、「嵐の中の母子像」の前で、クールダウンした。

 本郷新作のこの「嵐の中の母子像」。
  これで今年は、小樽の小林多喜二文学碑に続いて2つ見たことになる。    

 本郷新 については、ここをクリック
 又、広島平和公園に関しては、ここをクリック

 朝食をとった後、新幹線で、今日の視察先の豊田市に向かった。

 豊田市
  人口 41万9053人(H19年9月1日現在)  
  議会定数:条例定数 40人 に対して、現在は合併による定数特例で 47人  
  政務調査費は、政令市の中では最低額の年額一人38万円(松本市は、25万円)  
  常任会は、5つ  
  予算決算特別委員会が通年設置され、各議会の補正予算についてもこの特別委員会で扱う。  
  特別委員会は、松本市のようにたとえば「市民会館建設特別委員会」のように特定の事業に応じて設置されるのと違い、  「公共施設機能検討」「食育推進」「議会課題」の政策課題で現在三つの特別委員会が設置されている。
  一般質問の順番は、1番は最大会派と決まっており、2番以降は抽選となっている。  
 
  ちなみに、会派構成は、  
   自民クラブ議員団 30   
 
 市民フォーラム  10  
   公明党      3  
   諸派       4 (内、共産党は2人)  
  となっており、しかも前回の期までは、上位2つの会派が、1つの大会派だったという。

 豊田市の議会は、ひと言で言って、最大会派主導で議会改革・活性化が行われてきたといっても過言でない。
  実際に配布された資料でも、まず、「最大会派内で、検討委員会を自主的に立ち上げ、活性化の方策の検討を開始し、随時、各派代表者会議、議会運営委員会を通して、合意ができた項目を実施に移」してきたことが書かれている。  
  すでに、8期にわたって検討がされてきて、現在に至っていることがわかる。
  こう言っては失礼かも知れないが、豊田市の住民の8割近くは、「トヨタ」の系列企業に働くということや、もともとの名前が、挙母(ころも)市だった都市が、豊田市に変わったことにも見られるように、「トヨタ自動車の城下町」の歴史がそのまま議会運営にも反映しているといえる。  
 
  特記するとすれば、「公選法運用委員会に関する内規」としての申しあわせが行われ、
 1、 市内の葬式には、本人自らが出席しても香典の供与はしない。(親族及び本人が所属する自治区内の組・班に対するものは除く)
 2、 祝電・弔電は、市内では行わない。  
   など8項目の申し合わせ事項と違反した場合の取り扱いが定められている。   
    詳しくは、こちらをクリック     
    違反の取り扱いについては、ここをクリック  

 今回、3市をまとめて視察してきたが、「一問一答方式と対面式」に関しては、以下の通りだ。        

       一問一答方式     対面式
四日市市     ○          ○
広島市      ×          ×(再質問は自席)
豊田市      ○          ○

 この点に関しては、以前も日誌(2004年11月19日)に書いたが、対面式は、傍聴者から質問者の顔が見えないとの声が出ているのは、共通していた。

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10月11日(木)

 二葉山平和塔(仏舎利塔)に登る  広島市 
  

 朝、5時過ぎに起き、いつものように出かけた。  
  名古屋城に向かうつもりだったが、地図によると、近くに「ノリタケの森」があることが確認できたので、そこを経由していくことにした。  
  この「ノリタケの森」は、有名な陶磁器「ノリタケ」が開設した施設だが、公園の中に入れるかと期待してきたのだが、残念ながら朝は開園していなかった。  
  すぐ先の交差点を右折し、名古屋城の堀を一周して、ホテルに帰って「朝の視察」を終えた。

  さて本題です。
  広島市。
  人口は116万4500人。8つの選挙区から議員が選出。議員定数は、条例定数、現員数ともに55人。  
  ちなみに日本共産党の議員数は、5人だ。  
  議会運営で気がついた点をいくつか挙げると、

  ・ 常任委員会は、6つ、3委員会ごと2日間に分けて開催している。松本のように同日開催ではない。
  ・ 予算については、議長を除く54人全議員で特別委員会を設置し、昨年度の場合、12日間審査が行われている。 (松本市の場合は、2月議会開会後、翌日から3日間、全議員を対象に説明と質疑が行われ、付託は、4つの常任会に行われるのとは、違う。)

 話題になったのは、政務調査費。
  議員一人当たり月額34万円、年額408万円は、松本市の16倍強。(松本市は、年額25万円)年間総額2億2440万の内、返還されるのは、約1割の2400万円だという。
  広島市の場合は、「県議会」と見たほうが理解しやすく、松本市とは違う面が多かった。   

 午後3時過ぎに視察を終え、広島平和記念資料館を見学させてもらった。  
  何度かこの資料館は、見たことがあるが、改めて考えさせられる場所だ。  
  外国人の訪問も多い。今日も何人もいる中、アメリカ人思われる婦人が、展示を見ながら涙ぐんでいる姿も確認できた。  
  広島市は、これまで原爆実験に対する抗議文を送ってきたが、それが、H18年10月10日現在 通産593通になったという。

        

 資料館見学を終えて、ホテルに帰り、直ちにランニングに出た。
  実は、新幹線で広島駅に着いた時に、駅から見えた銀色の塔が気になっていた。
  確認したら、「インドから送られたもの」とのことで、行って見たい衝動にかられていたのだ。  
  平和大橋の袂にあるホテルから、一路広島駅に向かった。  それなりの距離を走り、駅の自由通路を渡って、裏側にで、広島東照宮の参道階段を登り、連続鳥居をくぐり、ひたすら登り階段を上がっていった。  

  途中行き会った方にお聞きしたら、「あと15分ぐらい」ということだったが、実際には、「15分」たっても到着しなかった。
 木の幹にも赤い印があったので、その方向に左折したことがどうやら間違いだったようだ。  
  だんだん下っていくので、どうやら迷ったことに気がつき、一度引き返したがそれでも判らなかったので、仕方がなく、別な道を下って下りることになってしまった。  
  すでに、時間もかなり経過し、ホテルへ帰る時間も気になっていたところで、いつもここを練習フィールドとするマラソンランナーの方に偶然出会った。
  「駆け上がればあと10分もあれば、仏舎利塔にいけますよ」といわれ、時間は心配だったが、せっかく来たので、お願いして案内してもらうことにした。 一見して私より年齢は上と思われる方だったが、かなり早いペースで、元来た道を駆け上がった。
 間違った地点を確認したあと、それからわずかの距離で、階段と塔の突端を確認できた。
  お願いして、携帯で写真を撮っていただいた。

    

 この仏舎利塔の正式名称は、二葉山平和塔。
  平和運動で有名な日本山妙法寺が建て、広島市に寄贈したものだ。

 説明板には、次のように書いてある。

 この広島市二葉山平和塔は、人類の幸福と戦争のない世界の恒久平和を念願し、史上最初の原子爆弾の犠牲者二十数万の冥福を祈り、平和の聖者釈尊の御真骨を奉祀して建立されたものであります。  
  昭和二十九年四月、日本山妙法寺山主藤井日達聖人により地鎮祭が行なわれましたが、その後、十二年を経て昭和四十年、地元の開拓団の方々が各自の土地の一部を売却して建設資金をつくり、日本山妙法寺や有志の協力により完成し、昭和四十一年八月五日に落慶式と広島市への寄贈式が行なわれました。  
  塔内にはインドのネール首相より贈られた仏舎利が一粒、モンゴル仏教徒やセイロン国(現スリランカ国)より贈られた各一粒も併せて奉安されています。正面の仏像は、昭和四十一年五月、セイロン国から贈られたものです。また県市民の平和の願いをこめた祈念石数万個も収納されています。  (以下続く)

 あとで調べたら、広島市内には、このほかにも、傳福寺に、平成16(2004)年2月29日(佛歴2547年)世界平和を祈念し被爆地ヒロシマにバンコク様式で建立された仏舎利塔もあるという。  

 時計を見たらすでに予定していた時間をかなり過ぎて、集合時間に間に合わない時間となっていた。  
  駅まで、何とか走り、路面電車を乗り継いで、ホテルに駆けつけたが、着替えてバスに乗り込んだときには、2分の遅刻。  
  申し分けない結果となってしまった。 深く反省。

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10月10日(水)

 議会運営委員会の視察 (1日目) 
  

 3日間の予定で、議会運営委員会の視察が行われた。
  今日は、四日市市。そして明日は広島。最終日は豊田市の予定だ。

 今回のテーマは、各市共通で、議会運営一般と議会改革。
  すでに、松本市議会のステップアップ検討委員会(議会改革検討委員会)も、昨日第3回が行われ検討項目もとりあえず10項目の確認が行われた。  
  検討項目の決定前に、その参考にと今日から3日間の視察が順序だが、今回の視察の中身を議論に生かし、必要ならば、検討項目に加えることも当然必要となる。  

 さて、四日市市。 人口約31万2000人。
  議会運営について、松本市との違うものをいくつか挙げると、

  ・対面式の一問一答方式に関しては、発言者が発言通告の際に申し出る「選択制」をとっており、今年の9月議会の場合は、質問者22人中、13人は一問一答方式、9人が一括質問一括答弁(現松本方式)となった。

  ・ 常任委員会は松本市と同様4つあるが、1日4委員会の松本市と違がって、1日2委員会の開催。

  ・ 「シティ・ミーティング」(=議会自らが地域へ出かけ、市民の皆さんとの意見交換会) の開催。昨年11月に3地域で行った。

 などである。

 又、四日市市民自治基本条例(理念条例)が、2年前のH17年に採択・施行されている。
  自治基本条例は、全国でも少しずつ制定されている傾向だが、四日市市の場合、「市民の役割」「市の執行機関の役割」「市議会の役割・議員の責務」他、行政運営に関する基本姿勢、市民投票、などを定め、さらに、この条例に関連して、市長に対して「市民自治の早期実現に関する決議」が行われているのが特徴だ。

 市議会政治倫理要綱は、平成10年に定められている。
  又、市民参加の取組として、市議会モニター制度が実施に移されている。

  もう一つ。
  四日市市議会では、関連質問が認められている。
  一般質問に限り、同一会派議員の質問項目に関して、同一会派の発言通告をしていない議員一人が答弁を含まず5分以内で行うことが出来るもので、すでに昭和58年には実施されていたという。  

 午後4時前に視察は終わり、宿泊のホテルは名古屋駅前。
  いつものように、夕食前に走りに出た。 今日は、名古屋駅を東に向かい、途中から南下して白川公園まで往復してきた。
  明日は、広島市議会の視察だ。

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10月9日(火)

 第3回 市議会ステップアップ検討委員会 
  

 昨日から2日間の日程で行われた合宿会場である、茅野市にある日本共産党の学習・保養施設「茅野寮」から、早お昼を済ませて、午後1時半からの 市議会ステップアップ検討委員会 に駆けつけた。
  すでに 3回目を迎えたこの市議会ステップアップ検討委員会。
  今まで進めてきた議会改革をさらに前進させるという意味で、もう一つ上へ「ステップアップ」というのが、この検討委員会の狙いだが、今日はいよいよ検討項目を決める段階にやっと入った。  

 準備段階からすれば、すでに5回目を迎えた委員会だが、第1回目から「公開」に関してかなりの議論が交わされ、そのことが「異例」なこととしてマスコミの注目を呼んだ。  
  今回のこの委員会のメンバーは、議会運営委員会のメンバーと同じ。  
  議会運営委員会は、現在議会議案にかかわること以外は、非公開となっているため、それを全面公開して行うために、申し合わせをして発足したものだが、早速1回目の会議に出された資料の公開に関して、蒸し返しの議論が行われたのだ。  
  結論的には、発足時に確認したように、全て公開ということで、一件落着したが、そのときの資料は、第1回の会議録の一部としてとしてすでにHP上にアップされている。

 第1回、第2回の会議録に関しては、ここをクリック

 さて、今回の検討委員会のテーマの中では、なんと言っても「議会定数のあり方」がメインとなる。
  具体的には、現在松本市議会の議員定数は、条例上では、34人。 現在は合併時の「定数特例」で、39人となっているが、次回(2011年4月)の選挙では、「定数34」で行われることが決まっている。 これをさらに削減しようというものだ。
  実は、議員の中には、現在の「39議席」を削減する必要があるということで、考えている人もいて、次回は、「マイナス5」で行われることが決まっていることを知らないでいる議員がいることには、ビックリするやら情けないやらそんなことから始まっているのが実態だ。
  「とにかく減らさなければならない」だけが至上命令、結論先にありきとなっている感がある。

  「議会基本条例」に関して議論されることになったが、私達としては、地方自治体のあり方と同時に議員のあり方、責務などの議論を踏まえて結論を出したいと考えている。  

 次回の検討委員会は、10月26日(金)に行われる。

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10月8日(月)

 地方政治の評価の基準 
  

 地方自治体の行政を評価するに当たっての基本は、2つに絞られると思う。

 1つは、市民の願いが叶っているか、要求が実現しているか。
 
もう一つは、「市民が主人公」の市政が行われているかどうかという点だ。

 まず、「市民が主人公」という点に関して言えば、一部の市民のための市政か、その極端な例は「首長が主人公」ということだが、それとも市民が主人公か。
  また、「松本市」が主人公か、それとも「市民」か。
  さらに制度、仕組みが大事か、それとも市民の暮らし、健康・福祉、教育、文化・スポーツが第一か、で、そうした施策が一歩でも二歩でも前進しているか、それとも後退しているかが評価の基準になる。  
  地方自治体の仕事は、地方自治法で定められているように、住民の福祉向上にある。  
  18年度は、格差と貧困問題の深刻化が進んだ年でもあった。そうした中での市民の暮らしとの関係で願いがどれだけ叶っているか、これが大事だ。
  そして18年度は、菅谷市長が就任して3年目の年に当たる。  

 この基準に照らしての更なる分析が必要だ。

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10月7日(日)

 健康・医療・福祉分野から見た18年度決算 
  

 18年度は、健康・医療・福祉分野での前進面をいくつも確認できる。
  乳幼児医療費の無料化問題は、先日の日誌ですでにお伝えしたが、国民健康保険行政での、国保証の問題では、全国の共産党議員団から、直接松本市にも、そして私にも問い合わせが多数寄せられた全国に発信できる内容だった。  
  これについては、3月23日(金)「母子・乳幼児世帯への国保証取り上げをストップ」(長野県・松本市)を参照
  (以下同様)

  そのほかにも、「自立支援型ベッド」への助成  (9月11日)
  生活保護行政については、「申請をしたい人(の申請)は、拒否しない。申請用紙はすぐに渡す。」「「保護すべき人は、保護する」「申請を受けた人については、保護決定(却下を含む)に至るまでの事務をできるだけ早期に行なう。」などが確認された。  その後の運用面で、まだ問題がないわけではない。北九州市のことが現在問題となっているが、そうした相談が少なくないことも事実だ。  申請から、決定までの期間の生活費については、 「利用できる制度は、『くらしの資金』しかないが、貸し出し上限額(5万円)の増額も含めて、制度の充実を考えて(研究して)行きたい。」 (5月24日)
  障害者福祉医療の所得制限の廃止に関しては、2月21日日誌で確認できる。
  がん検診受診率アップ5ヵ年計画策定 (2月20日)

 そうした前進面はあるものの、問題点・課題も多い。
  一つは、介護保険料の引き上げだ。(同、2月20日)
  税金の負担増だけでなく、それの伴う社会保障料の負担増も問題点だ。

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10月6日(土)

 より「開かれた予算編成」が行われた18年度予算  
  

 18年度の決算との関係で、18年度の予算編成の過程の中で、「いちだんと光るもの」として注目点できるものの一つに、「乳幼児福祉医療費(0歳から就学前)における所得制限の廃止」があげられる。
  確か、県も医療費の無料化を打ち出したが、所得制限を外したのは、松本市独自のことであり、その予算額は、9754万円だった。  
  (県下市町村の中には、県が就学前で無料にしたのに、当初から年齢拡大すら行わなかった自治体もあった。)

 そして、この予算で重要なのは、その予算付けだけでなく、その過程が注目点だ。
  この予算付けは、17年度から行ってきた「開かれた予算編成」の中で、昨年は予算編成が終了した時点で市民に知らせていたが、今回は、「新規事業や大きな制度改正を伴う事業について、その目的・効果・事業費などを予算要求時点で市民に公表し、よせられた意見や感想を参考にしながら、開かれた予算編成を行な」った結果だ。  
 寄せられた意見の中には、「所得制限は残すべき」もあったが、「所得制限の必要性については認識していますが、廃止してほしい旨の市民要望も多いことから、子育て支援や重度障害者への支援充実を図るため、所得制限の一部を廃止するもの」として重要だ。

 その決算額、実績に関しては、後ほど正確に調査してお伝えしますが、この経験・実績は、これからの市政運営においても貴重なものだ。

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10月5日(金)

 放課後児童健全育成事業の運営基準について (その2  
  

 18年度決算に関連して、18年度の事業の中で、「画期的な」事業として評価してきたものに、放課後児童健全事業の見直しが挙げられる。  
  児童センターで行われていた放課後児童対策に、「一本化する」それまでの方針を見直して、学童クラブを含めた放課後児童健全育成事業を公設公営で行うというものだ。  
  昨年の6月議会に提案され、了承されたものだが、国から、その後「放課後子どもプラン」の方針が示されたが、松本市はそれ以前から児童センターとは別物として放課後の子ども達の生活の場を保障する事業として手がけたものだ。
 ある意味、全国的に見れば、異例の方向性、方針だったが、国のほうが後追いでそれを認めたものといえる。  
  そうした意味でも、「新しい松本型」の事業展開への希望が開けたのがこの18年度だった。  
  そして、それ以来この私のHPも、何回かに渡って、議会での経過をレポートする形で発信してきた。  

 それについては、ここをクリック 
  (尚、今後は 上段の トピックス に掲載することにしました。) 

  さて、この画期的で、フロンティア・スピリットに満ちたこの取組の現段階はどうか。  
  一言でいって、かなりしんどい局面を迎えているといえる。

 
  このままでは、画期的な事業構想が流産しそうな気配だ。
 
現在は、この新しい放課後児童健全育成事業の運営基準の作成を行っているが、去る8月31日に行われた 第3回の放課後子どもプラン運営委員会の場で、次のように意見交換がされたようだ。

  「児童センターで満足であればわざわざ高い保育費を払って学童クラブに預ける保護者などいない。そこには高い保育費を払ってでもより質の高い保育を求めるニーズがあることは明白であり、だからこそ同じ地区に二つの施設が両立できている。時代とともにニーズは変わる。その地域の保護者が学童クラブを必要としなくなれば自然と児童センターに統一していく、逆にニーズがありきちんと運営している学童クラブを一本化すべきではない。 今後は児童館のように安い保育費で短い時間保育を行う児童クラブ、高い保育費で質の高い保育を行う学童クラブ、そしてこれから検討を行うより簡易的な放課後子ども教室の三本柱で進めていくべきだと考える。」
  「学童クラブの保護者は保育についてとてもよく考えている。児童センターと学童クラブの両方のニーズがあると感じている。児童センターでは受け入れが難しい子どもを預かっていただき、感謝している。」
  「求めるニーズがある限り併設が好ましい。(学童クラブのような施設は)一度無くしてしまうと復活は難しいのでニーズがある限り一本化すべきではない。」
  「 学童クラブの良さ、児童センターの良さそれぞれを出して競い合い、利用者が選択できるようにして欲しい。」  

 そして、こうした議論を経て、委員長は、
  「児童クラブと学童保育併設の意見が大半であり、これを運営委員会の結論とします。」
  とまとめてしまったという。
   (正規な会議録ではないので、多少ニュアンスが異なる場合は、容赦ください。)  

 そして、松本市側もこうした流れを修正することなく、9月に行われた議会答弁でも、次のように答弁している。

  「学童クラブは月額1万円以上の利用料が負担でき、その上、事業に積極的に参加してくれる家庭が多く、小規模で子どもたちに対して手厚い生活の場を作っていこうとしています。 一方、市が児童館・センターで実施しております事業は、家族が事業にあまり参加しないで、子どもを安全に預かってもらえれば良いという考え方のご家庭や、利用料をできるだけ低額にしないと預けることができないご家庭など、それぞれのご家庭にはいろいろな考え方がございまして、これらのご家庭のお子さんたちをすべて受け入れていくため、大規模化するなど学童クラブとは基本的な違いが出てきます。 放課後児童クラブをつくり、これを一本化するということは、どうしても大規模化することであり、また、児童館・児童センターで実施している放課後児童健全育成事業をベースにして検討することになるため、5・6年生が対象児童となっていないことや規模的なことに起因する保育内容の違いなどが(学童クラブの場合と)市の運営基準案との相違となっております。」  

 そして、まだ運営基準の原案すら作成されていない段階で、「一本化は難しい」というところに落ち込み、
 「運営基準は先ほども申し上げましたが、あくまで市が行う放課後児童健全育成事業の標準を定めるものであります。運営内容の充実につきましては放課後児童クラブを実施する地区で関係の皆さんで検討し学童クラブの良い点で取り入れられるところは取り入れ、事業の充実を図って参ります。」  
  と安きにつく傾向が見られるのは、実に残念だ。

 何のための放課後児童対策なのか。
  保育料の負担能力がニーズの違い、選択肢であるかのように展開しているが、果たしてそうなのか。  
  保護者の願いは、放課後の子どもたちの健全育成であり、親も安心して働ける環境作りであり、そのニーズに何の違いもない。
 「生活の場」の保障、そうしたニーズにいかに行政として、誰もが負担少なく「公設・公営」で応えていくのか。 それが18年度の一番の眼目であり、19年度にも引き継がれてきたものだ。
  それを、行政の側から「あきらめ」流産させるような取組は、昨年6月に確認した方向とは明らかに違う「後退」といわれても仕方がない。
  何故、3回目の運営委員会の場で、行政側は、その当初の狙いを強く主張しなかったのか。
  「残して欲しい」学童クラブの役割が会議で、学童クラブの関係者以外の方からも発言され強調されたならば、それを生かす方向こそ行政がイニシアティブを発揮すべき局面であり、それを運営基準にいくらかでも書き込むことが重要ではないだろうか。  

 又、この会議では、大規模化に関連して職員配置の基準の中で、71人以上の集団を分割することはハード面で部屋を別にして対応することを表明しながら、人的配置は、個々の単位に出来ない、「限られた予算の中での保育であり、現在の松本市ではこれが限界。」と「財政難」を理由にしたようだが、これは国の補助金との関係で出来ないことではないのではないか。  

 そして、もう一つ、今、寿、山辺や旭町の学童クラブの関係者に、「一本化」を選択するのか、それとも今まで通り学童クラブで行くのは、早く選択を迫る動きがあるようだが、今大事な局面で、運営基準がどうなるか、まだ議論の余地があり結論が出ていない段階で、何故、そうしたことばかりせまるのだろうか。
  実におかしな話だ。

  ましてや、旭町の関係者には、どちらを選ぶかの「選択肢はない。」「教室での放課後児童クラブしかない。」かの迫り方は、間違いであることを強く述べておきたい。

  まだまだ、大事な局面が続く。
  松本型の新しい挑戦を自ら投げ出すことはない。

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10月1日(月)

 市民負担を増やしながら、それでも松本市は歳入が減った。  18年度決算  
  

 18年度決算の歳入構造を概括すると まず歳入全体では、17年度比で、約37億1400万減の845億620万円。
  その中身を見ると   

 ・市民税     プラス   約3億9000万円   
 ・地方譲与税  プラス    約7億3100万円       
    (内 所得贈与税 は プラス約8億1000万円)      

 などは増えているものの、その他は軒並み減っている結果が、減となっている要因だ。

  マイナスの主なもの   
  ・地方交付税       マイナス 約 7億6000万円   
  ・国庫支出金       マイナス  約16億3400万円   
 
・県支出金         マイナス      2億2100万   
  ・市債(借金)       マイナス      19億4600万   
  ・地方消費税交付金   マイナス      2億2100万円   
  ・諸収入         マイナス         3億4000万            

 三位一体「改革」との関係で見ると、  
  補助金(国県支出金)は、一般財源化されて減、その分地方交付税に「算入」されたというが、その地方交付税は先ほど見たように減。
  本格的な税源移譲までということで、地方譲与税は増えているものの、全体の「決算」は、いわゆる国からのお金は減らされる一方、住民の負担は大幅に増え、松本市も財政的には大変の状況というのが実際だ。
  法人市民税は前年比で、約61000万(14.3%)増えたが、これも「格差景気」の回復の中で、全国では、20%を軽く超えている都市部がある中で、松本市はそれに及ばず「地域格差」の拡大傾向が見られるというのが、歳入から見た18年度の特徴だ。

  そうした財政状況の中で、借金残を減らしながら菅谷市制の1年間の運営が行われた。

 次回は、歳出面から、1年間を振り返ってみたい。

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