5月31日(火)  

 「津波の水は、ただの海の水ではない」     釜石報告 その3 
    

  

 朝6時に遠野市を出て、夕方4時少し前に、無事に松本に帰ってきた。  
  28日の朝行くときもそうだったが、かなり強行しても、時間にして片道約10時間、約730km。 現地での行動を含めて、全体で、約1720kmの道のりとなった。  

 現地では、元議員の笹原さんが、案内してくださったが、その途中の車の中でのお話も実に衝撃的だった。  
  その一つが次の内容だ。

  「川をダーンとまず水が行った。(波が川をさかのぼった。) 戻った波と後から押し寄せた波がぶつかり合って、うずを巻いて、 津波の水は、ただの川の水や、海の水ではない。
  何十年とたまったヘドロなんかを引っ掻き回して、渦巻いて、まず水ではなくコールタールのような(状態)もの。  
  そして、そのコールタールのようなものがバリバリと家をたたき壊した木片や瓦礫が、絡まって、引っ掻き回して、それがぶつかり合っているわけですから、あれに巻き込まれたら、まず(人間は)助からない。  
  津波は、板、柱がそのまま流れるのではない。 めちゃくちゃに、木端微塵と言う言葉を初めて実感した。
  あそこにある瓦礫は、壊したものではなく最初からああなっている。  
 柱なんかは、へし折られるから、折れたところは刃物のような鋭さがある。それが巻いてくるものだから、・・・」  

 想像するだけで、身の毛がよだつ話だ。



 

 2ヶ月経っても、瓦礫の状態は写真のままだ。  
  これらが、まさにどろどろに渦巻いて、人を襲ったことになる。
 

   


 

 

 

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5月30日(月) その2 

 「命てんでんこ」 
    

  

 午後、釜石市在住で、元中学の先生、1933年昭和8年生まれ 現在78歳の中川さんという方から、今回の津波にかかわっての貴重なお話を聞くことが出来た。   
  表題の「命てんでんこ」は、既にTVでも放映されていたことがあった言葉だったが、そのルーツが日本共産党の中央委員会、元文化部長の津波史研究者の山下文男氏の書いた、「津波てんでんこ」という本に由来するということが紹介された。  

 それについては、ここをクリック (部分的に本のページが紹介されています。)

 ほかにもいくつか、無断(失礼?)でHPを拝借しますが、当日の釜石の様子をリアルに伝える動画もある。  

 釜石市の画像については、ここをクリック  

 また、中川さんのお話の第一部については、ここをクリックしてください。
   私が要約したものです。(文責池田)

 尚、お話の中で出てくる津波記念碑に関しては、その文中の部分をクリックしてみてください。  

 画像は、あまりにリアルで、体が固まってしまう。  
  ほかにも、「釜石 津波」で検索すると、ほかにもYouTubeの動画がいくつも確認できる。
 

   


 

 

 

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5月30日(月)  

 救援募金を釜石市に届けてきました。 
    

  

 28日から4日間の日程で、東日本大震災救援ボランティアの活動のため、岩手県釜石市に行ってきました。  
  とりあえず、本日の活動の一端を報告します。

  昨日の大槌町での無料フリーマーケットに続き、今日も釜石市の2箇所の仮設住宅を訪問する予定でしたが、大雨洪水警報が出たため、やむなく中止。
  一昨日、遠野市の事務所に一旦下ろして置いた物資を、再度積み込み、運んできた物資を、釜石市の倉庫に納めた後、選挙中お預かりしてきた救援募金を届けるため、現地の元市会議員の案内で釜石市役所へ向かった。  

 釜石市では、5月24日に議会が開会、今日から一般質問が行われていました。  
  そんな忙しい中、当初、副市長が対応とのお話でしたが、市長が直接対応してくださり、受け取っていただクコとが出来ました。

   

 野田武則市長さんからは、
 「やっと仮設住宅ができつつある。6月には全部の方が入れるように計画している。」
  「今ちょうど避難場所から移る時期ですから、なかなか把握が難しいところですが、まだまだ救 援物資が必要です。」
  「洗濯物を乾かすコインランドリーがほしい。仮設では、外に干さなければならなく、丸見え状 態で外に下げられない。さらに売店、移動販売店などの要望がある。」

 などのお話がだされました。  

 昼食後、午後1時からの共産党の坂本良子議員の一般質問を傍聴し、雨の中を遠野市の事務所に帰ってきた。

 (順次 ご報告いたします。)
 

   


 

 

 

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5月27日(金) 

 上高地河童橋付近の河床の上昇 
    

  

 建設委員会の管内視察で、上高地、梓川方面へ行ってきた。  
 上高地は、そんなになんども訪ねているわけではないが、上高地梓川河床の上昇については、改めて驚かされた。
 下の写真は、視察資料の中身だが、その上昇は、一目瞭然だ。  

 河床の土砂を、梓川右岸の川原に「置き土」して、再度川に戻す試験「梓川自然再生プロジェクト」の現場も見てきた。  
  こうした実験は、全国でも稀だという。  

 ところで、現地に向かう車中の中で、上下水道局から、3月12日以来、5回にわたって行われた東日本大震災に伴う応急給水活動の様子が報告された。  
  この間、松本市からは、大船渡市、岩沼市、登米市に一般家庭への給水はもちろん、小中学校、病院、民間の施設に加えて、仙台空港近くの工場団地の企業の事業再開に向けての工場・機械等の洗浄の為の水の給水も行なってきたという。  

 視察から帰ってきて、事務所と連絡を取ると、500枚ほど配布したチラシを見た地域の方から、米など物資が届けられたという。
  本当にありがとうございます。
  いよいよ、私たちも、あすの朝8時に出発して、釜石市へ行ってきます。
 

   


 

 

 

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5月26日(木) 

 28日、朝出発で釜石市へ行ってきます 
    

  

 当初、27日の夜に出発予定でしたが、都合により、28日の出発となりました。  
  選挙中、公約していた、直接救援募金を届け、ボランティア活動を行なってきます。  
 選挙期間の1週間の間に、宣伝カーには、18258円の募金が寄せられていました。

 今朝は、5時起きで、地域に、特に街頭宣伝を行なった地点を中心に、次のチラシを配ったところ、早速、物資が寄せられました。  
  本当にありがとうございます。
 配布したチラシは、次のものです。

   

 あすの朝も、同じチラシを配る予定です。  
  ご協力、重ねてよろしくお願いします。
 

   


 

 

 

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5月23日(月) 

 原発問題の本質とは、 
    

  

 夜のテレビ番組で、石川迪夫氏の発言を聞いた。
  日本原子力技術協会最高顧問の氏は、番組の最後の方で次のように発言しているが、改めて原発推進論者であることが良くわかる。  

 「原子力発電につきましては、私自身はいまだに一番いいものだと思っております、エネルギーとしては。ですけど、いまの状態でですね、これをもっとやれとか、そういうふうな言える状況にはありませんから、まず皆さんがたがいろいろお考えになっていらっしゃることをやっていかれればいい。そうしてその結果、産業の構造がどのように変わっていくか、そういったところも見られて、また将来いろいろと動きがあるのであろうというふうに思っておりますよ」

 戦場に喩えての今回の福島原発の事態の収束に関しての発言は、かなり違和感を感じるものだ。  
 氏のプロフィールを調べる中で、改めて氏の主張を見つけ出すことができた。
  「緊急提言」と題されたその文書は、4月11日に書かれ、日本原子力技術協会のHPから発信されている。  
   それについては、ここをクリック  

 議論を聞いていると、福島は大したことはない、やり方次第で制御出来た、できるという内容だが、モンスター化した福島の危険性はもちろんだが、一番肝心な点が抜けている。  
  福島の教訓を生かせば、「原発は安全」と言いたいようだが、不破さんが論文で書き、岩見氏がいみじくも行ったように、「トイレなきマンション」こそが一番の問題だ。  

 「靖国神社」問題の本質が、「合祀の是非」論ではなく、「日本の戦争は正しかった」論を広める「運動体」にあることを明確にした時のことを思い出した。
 

   


 

 

 

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5月21日(土) 

 「トイレなきマンション」 岩見隆夫 
    

  

 5月14日付日誌で紹介した、不破哲三さんの「『科学の目』で原発災害を考える」の講演内容について、毎日新聞客員編集委員岩見隆夫氏が、氏のコラム「近聞遠見」で紹介している。

 「トイレなきマンション」と題されたそのコラムには、

 「原発情報は各メディアにもあふれている。しかし、どれも隔靴掻痒(そうよう)の感があって、この国難の乗り切りに不安が増すばかりだ。 そんななか、14日付の共産党機関紙「しんぶん赤旗」に3ページにわたって掲載された不破哲三社会科学研究所長(81)の<原発災害講義>は出色だった。」
  と紹介している。  

 2009年6月13日にも、岩見氏は、「マルクスと不破哲三」と題して、同じ「近聞遠見」で不破哲三さんを紹介している。  
 ( それについては、私の日誌 09年6月13日をご覧ください。)

  「分量は400字原稿用紙50枚ほど。」「一読をおすすめしたい。」とも書いている。
  改めて、是非皆さんもご覧いただければと思います。
 

   


 

 

 

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5月18日(水) 

 東北・岩手県釜石市へ行ってきます。 
    

  

 東北ボランティア救援・支援活動の内容がほぼ決まりました。  
 選挙中、宣伝カーで訴えてお預かりしている救援募金をはじめ、米、野菜、果物などを持って現地へ行ってまいります。

 それに関するチラシは、ここをクリック  

 当初は、28日〜31日の予定でしたが、前日の夜に出発することになりました。
 改めて、救援物資の募集もお願いします。  
 定員20名で、参加者も募集いたします。  
  ご連絡お待ちしております。  
  どうかよろしくお願いいたします。
 

   


 

 

 

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5月17日(火) 

 本会議で、質疑、討論 
    

  

 第2回臨時会が行われた。  
  主には、議会人事のための議会でもあったが、2つの議案、同じく2つの報告案件が議案として出された。   

 正副議長をはじめ、4つの常任委員会の構成が議決された後、それらの議案が提案され、審議された。  
  先日お伝えしたように、南山議員が経済環境委員会、私が建設委員会のため、教育民生委員会に付託される国保関連の「報第2号 松本市国民健康保険税条例の一部を改正する条例について」の審議に、残念ながら私たちは加わることが出来ない。  
  よって質疑を行い、本会議での審議の形をとった。  

 質疑の様子は、ここをクリック  (33分30秒ごろから始まります。)

 今後は、2人で分担し、こうした質疑を増やすことになると思う。
  ちなみに、分担は、私が教育民生委員会、南山議員が総務委員会ということを昨日の議員団会議で確認した。
 今回の「報第2号」は、上限額の引き上げを行うものだが、午後、意見を述べて反対した。  

 討論の様子は、ここをクリック  (7分56秒ごろから始まります。)
  また、討論の全文は、ここをクリック  

 19日には、建設委員会の概要説明が行われる。
 

   


 

 

 

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5月16日(月) 

 国保問題について考える 
    

  

 明日の臨時会に、国保税の上限額の引き上げ条例案(正確にはすでに引き上げられ、そのことの報告の議案)が提出される。  
  議員団会議で議論し、明日の臨時会で質疑を行うことにした。

 今回の議案は、これまでの限度額(現在総額で73万円)を、4万円値上げして、77万円とするもの。  
  明日の質疑では、この値上げでどれだけの増収、値上げとなる世帯はどれだけか。
  また、この間8年間で、税率の引き上げ、と限度額の引き上げを合わせると、5回の値上げとなるが、値上げをした結果の税収と国保会計全体に占めるその割合の推移についてなど質問する「質疑通告」を行った。  

 それに当たって、改めて、この間の国保に関するブログの書き込みをまとめてみた。
  (とりあえず、2009年依以来のもの)  

 それについては、ここをクリック  

 質疑の結果を受けて、改めて態度を表明したいと考えます。
 

   


 

 

 

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5月15日(日) 

 杓底一残水 汲流千億人 
    

  

 母の法事で中野に行っていた。  
  早いもので、一周忌。  
  なくなったのは、昨年の5月26日。  

 菩提寺の和尚さんによって、法要を済ませた後、別会場でお斎の席が設けられた。
  そこで紹介されたのが、表題の言葉だ。  

 「しゃくていのいちざんすい ながれをくむせんおくのひと」  

 曹洞宗大本山永平寺の正門の左右の石柱に刻まれていつという。  
  住職は毎月、寺の正面に句を掲げるというのだが、今年は例年と違って、4月はこの句に替えたという。  
  もちろん、東日本大震災を受けてのことだ。  

 曹洞宗の布教リーフレットには、この意味が紹介されている。  
  それについては、ここをクリック    

 母の供養の宴席に、実にうれしいお話だった。  
  姉二人から救援募金を預かった。
 

   


 

 

 

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5月14日(土) 

 「『科学の目』で原発災害を考える 
    

  

 選挙中、「中断していた「綱領・古典の連続講座」。
  第4回の「古典教室」が、不破哲三さんを講師に10日開かれた。  

 今回は、予定されていたマルクスの「経済学批判・序言」の前に、特別補講が行われた。  
  12日に引越しのため控え室の掃除をしながら、聞いた内容が、本日付「しんぶん赤旗」日刊紙に全文が掲載された。

 「『科学の目』で原発災害を考える 社会科学研究所所長 不破哲三」
  と題された今回の講演。全文はここをクリック 

 原子力の利用をめぐる歴史的な2つの不幸
 原子力発電は「未完成」で危険な技術といわれるが、何が「未完成」:なのか
 100万キロワットの原子力発電所が1台動いていたら、毎日広島型原爆の3発分の"死の灰"がたまる。
 使用済み核燃料のプールの実態

 加えて、
 党の綱領を決めた1961年7月の第8回党大会。その綱領草案を決定した大会直前の中央委員会総会で、「原子力問題にかんする決議」を採択。
  その決議は、  
  ――「わが国のエネルギー経済、技術発展の現状においては、危険をともなう原子力発電所を今ただちに設置しなければならない条件は存在しない」  
  ――原発の建設は、「原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべきである」  
  として、日本最初の商業用発電所とされた東海村の原子力発電所の建設工事の中止を要求。  

 などなどの話は、実にわかりやすく、現在進行中の福島原発問題の深刻さを改めて確認することが出来る。  

 是非多くの皆さんに、少し長いですがこの記事をご覧いただければと思います。
 

   


 

 

 

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5月11日(水) 

 「住宅リフォーム」早期実施を申し入れ 
    

  

 午後、1時半から、菅谷市長に対し「住宅リフォーム助成制度の一刻も早い実施を求める要望」の申し入れを行った。  
  選挙中の公約でもあった。  

  建設部長、住宅課長が応対、「市長からも、松本らしい制度化を言われている。(早期実施について)一生懸命努力します。」との回答が得られた。  
  申し入れの要望書は、ここをクリック 
 
  県内や全国の制度の内容の調査結果も添えての申し入れとなったが、引き続き働きかけが必要です。

 ところで、議会人事2日目。 今日は、4つの常任会ほか、各種「会」へ人選が行われた。
  この作業、今までだと「会派割り当て」方式のため、各会派の意向がまず優先され、残ったものが、無所属に割り当てられるということになるのだが、今回は少し違っていた。

 最初、4常任会の割り当て作業も今までどおり始まり、結果として「残り」が無所属、と言うはなしに一旦はなった時点で、ある議員が、「四人の無所属議員に、あらかじめ各委員会の1つを割り当てたらどうか。」を提案、その案が確認された。
  同様に、松本広域連合議会議員10人の選任についても、今までならば、各会派内で分け合って決まっていくのだが、これもあらかじめ「1人」を無所属に割り当てることが確認された。
  実に、これまでなかったことだ。
  その結果、無所属四人の話し合いが行われ、私は、建設委員会、南山議員は、経済環境委員会に所属が決まり、加えて、松本広域連合議会議員に私が再任された。

 実は、議会人事を行うにあたって昨日の午前10時から行われた議会全員協議会の場で、「是非、松本広域連合議会議員選任に当たっては、立候補制も考慮に入れてもらいたい。」旨、発言要望しておいた経過がある。
  事実上、この要望が実現した形になった。

 私の活動域は、今期最初1年目は、建設委員会と松本広域連合議員。
 本日、申し入れをした、「住宅リフォーム」問題をはじめ、「松本城のお堀復元・道路拡幅事業」なども議論される1年となる。 また、南山議員の経済環境委員会は、「新松本工業団地建設」などが重要な課題となる。  
  松本広域連合としては、「防災のまちづくり」も、介護保険とも関係して、焦点となる。  

 今後も、広域連合議会での一般質問を含め、積極的な活動が求められる。
 

   


 

 

 

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5月10日(火) 

 「池田国昭」に5票 
    

  

 正副議長、監査委員の議会3役人事の内定作業が行われた。  
 今回の人事の内定作業に臨むに当たって、あらかじめ南山議員と方針を議論、2人の議員団としての実際の力量を考え、何よりも選挙中に託された市民の皆さんの願い実現の活動に重点と主眼をおき、臨むことを決めた。  
  これまでのような「複数」議員団のときならば、お互いに任務を分担して、議会運営上のポストを得て力を発揮することで、市民の願い実現に有効性が見出せるときと違って、さすがに2人では、それだけの余裕がないのが実際のところ。
  議長選挙には、所信表明の機会を使い、議会のあり方、議会改革面での提案を行うために立候補したが、引き続き行われる副議長選、監査委員の選任の際の立候補は控えた。
  議長選挙の際の所信表明では、本会議での一般質問での議員発言時間の延長、議会改革上での留意点などについて簡潔に述べた。  

 所信表明の全文は、ここをクリック  

 尚、私たち議員歳費の復興予算への振り替えに関しては、別の機会での提案とすることにした。

 その結果、第1回目の選挙で、「池田国昭」に5票が投じられた。
  私と南山議員だけならば2票のところ、新たに3票加わっての5票は、実に貴重な結果となったといえる。  

 議長選挙の投票結果は、次の経過をたどり、          

           1回目投票   2回目   最終投票
柿沢 潔 (政友)   10      13      20
芝山 稔 (翠政)    9       9      10
太田更三(新風)     7       8       ―
池田国昭(共産)     5       ―      ―   
  無効                  1       1  

 (選挙毎に候補者が絞られ、最後は候補者が2人に絞られての結果だ。)

政友会の 柿沢潔議員が 当選人となった。
今回「最大会派」となった翠政会の芝山氏は、当選できなかった。  

  続く副議長、監査委員選挙については、
副議長:立候補者が1名 無投票
監査委員:立候補者が2名 一回の投票で決定   

 といずれも、「最大会派」筋の立候補者の話は伝わってきてはいたが、実際には立候補なしという、予想外の展開となった。  
  思わぬ展開となる中で、私たちの立候補という選択肢もなかったわけではなかったが、当初の方針を堅持、立候補者の中から選択し、投票を行った。
 選挙結果の分析は、明日の結果を受けてとなる。

  明日は、常任委員会、特別委員会の正副委員長はじめ、残りの議会構成が固まる。  
  尚、心配された私たち議員団の控え室は、現在の第4控え室(35u)隣、第5控え室(20u)に決まった。  
  率直に言って一安心。  議会活動の拠点が定まった。
  是非お気軽においでください。 (尚、引越しは、13日ごろとなります。)
 

   


 

 

 

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5月9日(月) 

 議会人事「内定作業」が始まる 
    

  

 会期中に2回は、正副議長、監査委員のいわゆる「三役」人事の「内定」作業が行われる。  
  本日の正午を持って、会派届けが締め切られた。  
  残念ながら、私たちに今回は、この「会派届け」は無縁となってしまったが、いよいよこの「会派」をベースに明日行われ、議会人事の内定作業が最終盤を迎える。  
 
  これまで、初当選以来13回目の内定作業だが、そのすべてを覚えているわけではない。
  西暦で言うと奇数年の5月には行われてきたこの議会人事。
  私のブログはその開始年が2002年の11月からで、そのすべてを記録しているわけではないが、2003年5月の日誌以来、内定作業の4回分は、私の日誌からもその様子が確認できる。   
  直近では、2009年5月の日誌に、2年前の経過については、少し詳しく書いてある。  

 自分でも、確認しながら、明日以降の内定作業に臨みたい。   

 2009年5月の日誌に関しては、このHPの上のバーの「DIARY日誌」の部分をクリックしてもらえれば、ご覧いただけますが、  
  5月18日 正副議長選挙をふりかえって その3 
  をはじめ
  5月14日、13日、12日、11日、9日、 で発信している。   

 また、無所属議員の扱いに関しても、何度か議会の中で議論してきているが、「発言時間」も含めて、これに関し、自らの発言の内容を読みなおす必要がある。
 

   


 

 

 

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5月7日(土) 

 オバマ大統領へ出席要請 
    

  

 7月27日〜29日に開かれる国連軍縮会議に、オバマ大統領の出席もしくは、メッセージの寄稿を要請することを、菅谷市長が明らかにしたという。
  マスコミによれば、9日(月)に上京して、アメリカ大使館に伝えるという。
  仮にこれが実現すれば、実に画期的な展開が期待される。

 オバマ大統領が、プラハで核兵器廃絶に向けた演説を行ったのは、1昨年(2009年)の4月5日のこと。
 私たち議員団は、6月議会に、核兵器廃絶の気運の盛り上がりの中で、Dr Sugenoya として、NPTへの参加を菅谷昭市長の出席を求めてきた経過がある。
  しばらく、選挙とその事後対応に没頭していたので、国連軍縮会議に関しての調査からしばらく遠さかってしまっていた。
  このことに関連して、2009年6月29日の日誌を読み直してみた。
 今の、福島原発にも関係する記事を確認できる。

 市長は、どんなの要請文をアメリカ大使館に手渡すのか、実に興味深い。

 週明けには、議会人事をはじめ、いくつかのテーマの展開がある。
 

   


 

 

 

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5月6日(金) 

 浜岡原発は、運転中止 
    

  

 7時12分過ぎから、管首相の記者会見の画面に切り替わった。
  夜、NHKのニュースを見ているときだった。
  首相として、「浜岡原発の運転中止を中部電力に要請した。」
  「現在、点検中の3号機のみならず、すべての原子炉の運転を中止すべきと判断した。」

  選挙中、街頭から、毎回「東海地震の震源域のど真ん中にある浜岡原発は、直ちに運転中止を」と訴えてきた。
  選挙中の訴えは、ここをクリック

 それが、実現の方向に向ったといえる。  
 実に感動的でうれしい。  

 詳細は、明日のしんぶんで明らかになるだろう。
 

   


 

 

 

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5月3日(火) 

 「自由」をテーマに  憲法施行64周年記念日 
    

  

 午前中の子どもまつりに参加した後、恒例の街頭宣伝を南山議員とともに行った。  
  両角県議は、地元の行事のため残念ながら参加できなかった。  
  テーマは、「憲法を生かした復興と新しい国づくり」。

 訴えをする前に、改めて憲法を読み直してみた。
 「自由」を検索してみた。
  前文に1つのほか、条項では、「12」「13」「19」「20」「21」「22(2ヶ所)」「23」「31」「97」の合計で11ヶ所に出てくる。
  どれも、国民固有のものとしての位置づけだ。
  決して、企業の儲けの自由、「搾取の自由」についての規定は見当たろうはずがない。

 もともと、企業の儲けは、資本主義社会の中での労働力の売買から生まれるもので、「労働力の消費」の産物だ。
  労働の結果、働く人のくらしや健康、人生まで失うようなことがあるとすれば、それは人間社会としては本末転倒だ。
  そうならないように定めているのが日本国憲法。
  加えて、本日付のしんぶん赤旗には、11条、13条、25条の紹介がある。 改めて、この国難を乗り越える活動と新しい日本づくりは、憲法のめざす道そのものとの実感を強める。
  戦争を放棄した憲法の下で、軍隊に私たちの税金が使われたり、米軍のための「思いやり予算」があることは、明白な矛盾だ。  
  被災地救援とその復興は、住民自身と地方自治体が主役でなければならない。  

 宣伝後、1時半からの憲法施行64周年記念松本市民集会に参加した。  
  「あたらしい憲法のはなし」の紹介があったが、これも手元に復刻版だが1冊もっている。
  ちなみにこの冊子では、「自由」は、20ヶ所確認できる。
 

   


 

 

 

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5月2日(月) 

 議会活動 本格始動 
    

  

 午後1時から議員協議会が開かれた。
  市議会構成の概要、会派の結成などの説明が行われた後、議席の仮決定が行われた。 期数別に抽選で行うこの議席の仮決定。
  南山議員が26番、私が最終番号の32番(4番が欠番)、いずれも議場後列の左右となった。

  協議会終了後、第1回目の議員団会議を行い、団長に私が、幹事長に南山議員を各々確認しあった。
  会派構成は出来ないが、日本共産党議員団としての活動を確認し、早速、5月11日に、「住宅リフォーム助成制度」の早期実施に関して、建設部長への申し入れを行うことを確認した。

 今後の議会日程だが、1週間後の9日正午締め切りで、会派届けが行われ、10日、11日の二日間かけて、正副議長、監査委員の内定、委員会への所属、会派の部屋割りなどが決め、5月17日(火)に、第2回の臨時会が開かれ、すべてが正式に決定される。
  そして、6月定例会が6月6日に開会、22日閉会の予定で開かれる。

 団会議では、早速、一般質問の項目についての議論も始めた。また、救援募金を持っての東北地方へのボランティアについては、今月末に向う方向で日程調整に入った。

 いよいよ、二人力を合わせての議会活動が本格化する。
 

   


 

 

 

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5月1日(日) 

 第82回 松本地区メーデー 
    

  

 「晴れた五月」どころか、吹き荒れる風と雨の中、朝9時半から松本城公園でメーデーが開催された。  
  未曾有の東日本大震災の中で開かれた今回は、今までとは違う内容となった。
  福島県労連、メーデー岩手県中央集会実行委員会、宮城県災害対策連絡会・東日本大震災共同支援センターからのメッセージが届けられ、福島県労連議長のそれは、以下のように全文が紹介された。

  「第82回メーデー」メッセージ            
                       2011年5月1日 福島県労働組合総連合
                                     議長 斎藤富春  

 3月11日、午後2時46分に発生した東日本大震災から、今日で52日目となりました。
  最初に、この間の皆さんからのご支援に対し、心から感謝申し上げますと共に、温かい心づかいが被災者を大きく励ましていることをお伝えしたいと思います。本当にありがとうございます。  
  4月25日現在、福島県内の被災状況は、死者・行方不明者合わせて2,860人。住宅被害38,964棟となっています。
  さらに、福島県においては、福島第一原子力発電所の過酷事故によって、8万3千人を超える県民が避難を余儀なくされ、また、放射能の風評被害も加わり、農業・漁業に留まらず商工業や観光まで、多くの県民が生活の基盤を奪われ、重大な被害を被っています。  
  4月12日には、経済産業省が原発事故の国際的評価尺度で最悪となる「レベル7」を発表しました。まさに、福島県は、地震・津波・原発事故そして風評被害という「四重苦」の複合型災害に直面しています。  
  こういう中で、私たちは3月24日、「ふくしま復興共同センター」を立ち上げ、炊き出しや物資支援など被災者・避難者の救援活動や生活・労働相談活動に全力で取り組んできました。
  また、4月6日には東京電力に対し、「福島原発事故は『人災』の立場に立ち、事故の一刻も早い収束と事故被害に対する全面賠償を求める」申し入れを行いました。この中で、原発の危険な復旧作業にあたる東電社員・協力社員の健康や安全管理の徹底も要求しました。  
  私たちも参加する「原発の安全性を求める福島県連絡会」は、6年前の2005年5月に「チリ津波級の引き潮、高潮に耐えられない東電福島原発の抜本的対策を求める申し入れ」を行い、繰り返し交渉も続けましたが、東京電力は真筆に耳を傾けませんでした。その結果、残念ながら警告通りの事態に至ったものであり、今回の事故はまさに「人災」です。
  この期に及んで事故の責任すら認めず、「自然の脅威」とか「想定外」という言葉を繰り返す東京電力の姿勢は、福島県民の感情を逆なでする以外の何ものでもありません。  
  政府は「復興構想会議」をスタートさせ、復興をめぐる議論を開始しました。東京で机の上で復興の図面を引くのではなく、被災住民と自治体の意見をよく聞き、住民合意での復興計画を強く求めるものです。
  また、復興を名目にした「震災復興税」「消費税増税」が語られていますが、被災者の苦しみに追い討ちをかけるもので、到底認める訳には行きません。  
  50日が過ぎても尚、被災地では過酷な状況が続き、原発事故による避難者は「故郷にいつ戻れるのか?」との先の見えない苦しみの中にいます。
  引き続き被災者支援と被害復旧の手を緩めることなく、被災者の生活再建と地域の再生を土台とした復興を実現するため、全県民の知恵と力の結集が求められています。
  福島県労連は、そのために全力を尽くすことを表明し、また、引き続く皆さんのご支援をお願いしてメッセージとします。

 
  岩手宮城からのメッセージは、各々ををクリックしてみてください。  

 また、全建労の境中央執行副委員長は、連帯のあいさつの中で次のように述べた。

 「今回の災害を受け、国土交通省は『不足の事態に備え、被害を最小限に食い止め、災害等の発生に対しては速やかな復旧・復興などの対応を図る』事としていますが、職場では、国家財政危機を理由に、河川道路の維持管理予算が削減されています。   また、定員削減計画により業務量はそのままで人員は減らされ、現場の経験をする機会も時間も無くなり、防災官庁としての職員の技術力は低下する一方です。   災害対策、防災官庁としての十分な体制にはなっておらず、今後防災官庁としての行政執行体制の見直しが必要です。」  

 さらに、地域の防災のためには、
 
  「地域建設産業が持続可能な経営と働く労働者が確保出来る労増条件の改善に 向けた建設産業の育成政策を作成していく必要があります。」
   とも述べた。  

 この挨拶については、ここをクリック  

 松本地区集会実行委員長のあいさつや、そして各団体の連帯の挨拶を聞いて、選挙中の自らの訴えと実に重なることに、ある意味「驚き」を感じた。  
  まさに、共同の輪の広がりを実感できたメーデーだった。  

 菅谷昭市長の挨拶については、後刻発信します。
 

   


 

 

 

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