2022.11.16  

 それは11月11日に告げられました。「これはね、頸椎症性脊髄症です。」「??.........。」 
 その顛末を報告します。他に素材がないもので(笑)。

 11月のある日、いつもの通り朝7時に目が覚めました。「痛っ!」。「また寝違えたか...(笑)」。基本的に硬い布団が好きなので寝違えて痛い痛いと朝騒ぐことはよくあります。この日は左の二の腕。この日の仕事の予定は第1巨峰園のクイーンルージュ34本に堆肥まき、そして園内1/3の耕うん作業。もとよりヒマな時期なので半日しか仕事はしません。午前中に仕事を終えて午後はのんびりくつろいでいました。「あれ?、二の腕がまだ痛い。」と独り言。
 次の日。朝7時はいつもの通り。「あれ?、まだ痛い。しつこいな今回のは」。この日は午前中、第1巨峰園1/3の耕うん作業。耕運機を使って地面を軽く掘り返して肥料や堆肥を混和させる、力仕事系ではありませんが体は使う仕事。午後は農業委員会の大きな仕事があります。家でシャワーを浴びて軽く昼食を摂ってちょっと休憩して身だしなみを整えてスーツを着ようとしたけれど左の腕が上に上がらないのでスーツを着るのにちょっと苦労しました。「なんだよこれ....?」。その時はまだ悪い予感など全くありませんでした。夜は懇親会(久々の飲み会)があるのでクルマは乗れない。なのでバスを使って市役所前へ。ちょっと時間があったので松本城をぐるりひと回りしてきました。仕事は松本市農業施策に関する意見書内容についての、松本市市長と関係部課長との懇談会です。農業委員会法という法令で定められた大事な役割です。場所は松本市役所議員協議会室。出席者約60名の大会議。開会と閉会の辞を述べる予定だったのですが急遽変更になって自分は自由発言の方に役割が変わりました。自分は2回程発言をして懇談会は終了。その後場所を変えて懇親会。コロナ禍ということもあって出席者は約半数に。これは仕方ないね。でも外で酒が飲みたいというただそれだけの理由で自分は喜んで出席。適当なところに座って周りの人と適当に喋って適当に食べて飲んでさっさと帰ろうと思っていましたが会場入口で渡されたのは着席図。それによると自分は何と市長さんの右横に着席することになっているではないか!。「ちょっと待ってよ、何で俺が市長さんの横なのよ。これ何かの罠か?」と事務局に言うものの「まあいいから座ってください」というつれない返答。はいはいわかりましたよしっかり応接役を務めさせていただきますよというのがその時の正直な心境。まぁこういうの嫌いじゃないですから。むしろ好きな方です(笑)。市長さんとは2年前の8月に山辺のぶどう集荷場で応接させていただいたことがあって直接対話はそれ以来。その時のことを市長さんが覚えてくれていたことがすごく嬉しかったです。「ナカガワさんは何を飲みますか?」「ワタシはビールをいただきます」。コロナ禍の中での酒席なので人と人との間隔を広くとってあります。市長さんとの距離は約1m。ところがその距離まで自分の左腕が届かないことに自分は気づいていました。それどころかテーブルの上に置いてあるグラス類に左手が届かないことに気づいていました。そういう理由で右手にグラスを持って右手を差し出して市長さんからビールを注いでいただいたという恐ろしい記憶。でも和やかな雰囲気で懇親会は予定通り終了。ところが誰も席を立とうとしない。誰もタイミングとか間を計れないみたいで(笑)。そこでワタクシ事務局に進言。「俺に最後締めさせろ。一発で帰らせるから。」 最後マイクを持って軽く笑いをとって一本締めをしたらほんとにみんな席を立った。やった大成功。市長さんをお見送りして10分後には誰もいなくなった。ほんと大成功。残った6人で2次会行こうという話になった。自分が先導してテキトーに入ったお店がたまたま韓国料理のお店。よく見たらここは焼肉屋ではないか。失敗したかなとは思ったけれどもうみんな店に入ってきた。もう遅い。テキトーにビールとチヂミを注文して1時間ほど楽しいひと時を過ごしました。6人で合計14,500円程。割り勘で1人2,500円お釣り無しねと精算してお店を出ました。「さすが元近ツリの添乗員だね。いい店知ってるし段取りもいい」と会長がほめてくれました。「そんなことないですよ。たまたまですよ」と謙遜しないで「そやろ。わかる?」と笑って答えるのが自分の流儀。しかし左の二の腕が動かせないため脇の下に汗をかいている自分に気づいていました。
 翌日、激痛で目が覚めました。まず着替えができない。さすがにtsumaも「病院行っておいでよ」と心配してくれます。もちろんそのつもりでした。但し午後にです。何故かというと第1巨峰園の耕うん作業があと1/3残っているから。午前中2時間くらいこれをやって午後に病院へ行くつもりでした。そのつもりで軽トラに乗りましたが、「えっ!?、何ということだ!」。軽トラの運転ができない!。まずシートベルトの装着。左手でカッチャンができなかった。右手を伸ばさないとできなかった。それに自分の軽トラはマニュアル車なので左手を使います。スタートから加速するにつれて1→2→3→4と左手を動かします。その左手が動かないとは!。2WDと4WDの切り替えスイッチは左手部分にあります。ハザードランプスイッチも左。そこに左手が届かない。ハンドル持つのも右手だけ。何と右手だけでマニュアル車を運転していました。思えばちょっと気が動転していました。ぶどう園に着きました。鍵を開けて中に入りました。右手は上に伸ばせば棚面に手が届きます。ところが左手が上に伸びない。左手が棚面に全く届かない。焦りました。これなんだかヤバいかも。とりあえず気持ち的に耕うん作業どころではなかったのでなんとなく5つのぶどう園をまわってブラブラしていました。右手一本で軽トラを運転して。グータラしてお昼に家に戻りました。午後に行く病院は決めていました。病院というよりは町のかかりつけ医という感じのH整形外科。以前に自分も何回か通ったことがあるし二人の子供も何べんもお世話になったことのあるよく知っているところです。クルマで3分です。里山辺の住人なら誰でも知っている町のお医者さんです。机の引き出しの中をガサゴソとやって診察券を取り出し、よーしと思って裏面を見たら、ガーン!!、木曜日の午後は“休診”となっていました。ガーン.......!。
 その日は痛みをこらえて悶々と過ごしました。何をしていたのか記憶が定かではありません。ただ2冊の文庫本を平行して読んでいたようです。夏目漱石の「それから」と東野圭吾の「夜明けの街で」。2つとも男女の不倫小説じゃねーか。“罪”の本だよ。こんな時にこんな本を読んでいるとは何かの巡り合わせか?。自分が犯されているかもしれない病魔と男女の罪の行為に何らかの因果関係があるのかと思ってみましたがそんなものあるわけないない(苦笑)。
 金曜日。寝起きの痛さにはもう慣れました。今日こそはH整形外科に行く。診察は9時から。でもこの日は10時集合で午後1時ごろまでの外せない用事がありました。9時診察だと10時集合はたぶん無理だと早々に判断しました。午前中用事を無事にこなしてようやく3時に診察を受けることができる。安堵........。2時半にH整形外科に着いて問診表に必要事項記入して待合室で待機。3時過ぎて2番目に診察室に呼ばれました。
 先生「左の二の腕が痛いんですか?」
 自分「そうなんです。キリキリというよりもグサグサくる感じでもうたまらんです。これ以上上に上がらないし。」
 「ちょっと失礼しますよ」と先生言いながら自分の左手をつかんであちこち動かす。
 「痛い痛い痛い!」わめく自分。
 左手を持ってこっちに曲げる先生「これどうですか?」
 自分「痛い!」
 先生「じゃこれはどうですか?」
 自分「痛い痛い!」
 先生「じゃこれは?」
 自分「痛い痛い痛い!」
 先生「じゃ最後もう1回ね。これは?」
 自分「あぎゃ!!、先生乱暴、堪忍してください。」 もう涙目。
 しばらくして先生「これね、首だよ首。」 納得して隣でうなずく看護士さん。 (看護士さんに)「レントゲン撮って」
 およそ10分後、再び診察室に呼ばれました。
 PC画面に自分のレントゲン写真が2枚写っていました。先生の説明をじっと聞き入る自分。「首のね、骨と骨の間、これを椎間板と言うの。これが変形して潰れかけているの。ほら、ここだよ。わかる?」 うなずく自分。 「で、ここにね、脊髄ね、つまり中枢神経が走っているわけ。これがね、圧迫されて炎症を起こしているわけ。それが原因。」と先生キッパリ。「加齢が主な要因。誰にでも起こり得るハナシ。体のどこにでも。ナカガワさんの場合はそれが首に出てきたというわけ。ケーツイショーセイセキズイショー、って言うの」。 「何?....、ケーツイセイショー・・・なんて??」。 そんな長い名前は覚えられない。でも焦る......。蒼ざめる自分。
 自分「元に戻りますか?」
 先生「やってみないとわかりません。」
 自分「やるって何をですか?」
 先生「3日間点滴をしましょう。脊髄の炎症を抑える点滴です。」
 自分「3回で治りますか?」
 先生「それはわかりません。でも長く続けると副作用が心配されます。ステロイドですから強いです。」
 自分「とにかく左腕元に戻りたいんです。大丈夫ですか?」
 先生「点滴はちょっと賭けみたいなところがあります。確率は50%50%です。これでダメならその時は次の方法を考えましょう。」
 頭錯乱。
 言われるままに診察室のとなりの部屋に移動。右腕に点滴。点滴の右腕は動かせないし左腕は激痛。動くこともできず恐怖の時間でした。「俺何か悪いことしたか....?。」 このまま左腕が動かなくなったらどうする?、このままぶどう作業ができなくなったらどうなる?、ぶどう園規模縮小?、まさかぶどう人生終わりか?、稼ぎはどうする?、家族はどうする?、って本当に思っていました。悪夢を見ていました。LINEで親しいぶどう仲間に「左手が動かん。確率は50パーだって。」と言ったのもこの時でした。でも夜遅くになったら気分だけは少し落ち着いてきたので、『文庫本巡礼記』を更新しました。例の2つの不倫小説です。痛み止めの内服薬も飲んだのでぐっすりと眠れました。
 土曜日朝。腕の痛みはなし。痛み止めがよく効いている。肝心の二の腕は少しだけ動いた。ほんの少しだけ。しかしまだまだ。こんなんではどうしようもない。病院行くのが待ちきれず、8時過ぎに到着。9時から問診なしでさっそく点滴。2回目なので昨日と違って気持ち的にはちょっと楽。カーテンの向こうは診察室。耳を済ませば先生や看護士さん、患者さんの会話が聞こえてきます。患者さんは入れ替わり立ち替わり入ってきます。先生が何を言っても「先生ありがとうございます。先生ありがとうございます。」しか言わないおばあちゃんがいました。次の患者は17才男性。高校生か?。ボソボソ声なので声は聞こえず。でもどうやらO脚であることに悩んでいるらしい。たぶん勇気を出して相談しに来たんだろうな。反対に先生の声は大きいからこっちまでよく聞こえる。「君ね、まだ若いんだからね、骨をいじりたいみたいなこと言っちゃいけない!。」 ほとんどお説教口調。 さらに違う男性。会話を要約すると、木曽方面(?)で災害復旧(?)の仕事をしているらしい。きつい仕事だがこれは他に替わりの人がいなくてどうしても自分がやらないといけないらしい。ところが体の○○(不明)の部分が満足に動かない、先生どうにかしてくれという相談。先生、「わかりました。あなたが世の中の役に立っているように、わたしもあなたの役に立ちましょう。毎週土曜日に来てください。一緒にやっていきましょう。」  ここは人生相談室か?。
 日曜日。子供は塾の自習室。tsumaも出かけました。天気も悪いし、終日一歩も外に出ませんでした。どこのぶどう園にも行かない日なんてめったにありません。家の中でずっとくつろいでいました。肝心の左手ですが、両手でバンザイはできません。左手はまっすぐ上には上がりません。もう無理。でも横になれば(仰向けになれば)頭の上までほぼまっすぐに腕を伸ばせることがわかりました。つまり重力には逆らえないってことだ.....。この日ようやく頸椎症性脊髄症って漢字で書けるようになりました。同時にネットでいろいろと知識を吸収。まぁこれから仲良くお付き合いをしていくしかないだろうってのが結論です。
 月曜日朝9時。「ナカガワさんあなたまだ若いし、とりあえず外科的処置は必要ないでしょう。そんなに重度なわけでもないし。」と先生が言ってくれました。首に金属入れるとかそういう事態は回避できそうでホットとました。続いて今後場合によっては処置することになるかもしれないクスリについて2.3説明がありましたが難しくて全くわからん。 隣室に移ってさあ点滴。さて今日はどんな患者さんが来るのか.。相変わらず先生声がでかい。83歳のおじいちゃんに怒っている。「あなたわたしの話を聞いていないじゃない!。」「あなた私の言うことに答えなさい!。」 コワい....。次の患者はおばあちゃんか?。会話は全く聴き取れず。しかし今までできなかった動作を今日は先生の前で再チャレンジするということみたいだった。しばしの沈黙のあと、2人位の看護士さんの拍手と歓声。「やった!」「できたじゃない!」。うーむよくわからないけれどカーテン越しに歓喜の声が聞こえてきました。 よかったねおばあちゃん......。 自分には医学部に通う娘がいます。お医者さんを目指しています。患者に寄り添い、人のために役立つ、信頼されるお医者さんになれよ......、と点滴ベッドの上から静かに娘にエールを送りました。
   昨日、ようやく第1巨峰園の耕うん作業が終わりました。予定より1週間遅れになってしまいました。葉っぱも9割方落ちていよいよ冬間近?。左腕はまあ何とか使えます。でもちょっとチクチク感があります。明日もう一度お医者さんへ行ってみよう。