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2022.4.26 | |
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まいどこんにちは。ぶどう園では定期的に雨が降るので土壌水分は潤沢。それでも遅霜の心配はぬぐえません。週間天気予報によると5月2日3日が最低気温5℃の予報。若干の-(マイナス)で2-3℃位まで下がるようだとかなり不安ですがさあどうなるか、といったところです。 |
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(左) こちら今朝のSeven's葡萄園。ズラッと並んでいるのはシャインマスカットです。 (右) シャインマスカット。発芽状態は概ね良好。 |
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(左) ピオーネ。 (右) ナガノパープル。もう房の原型が見えています。 |
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(左) 空いたスペースに定植した2年目のマイハート。シャインマスカットとウィンクの間にできた子供です。赤系品種。今年しっかり養成して来年からスタートです。 (右) ブラックビート。近いところから芽が2つ後日、芽かきをやって1つにします。 |
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(左) 3年目のクイーセブンの木の先端部分。何ガいけないかわかります??。向こう側に出るはずの芽が2つ連続して出ていません。替わりになる芽が無いのでこの部分が禿げ上がってしまいます。コンチクショウ!ってやつです。 (右) 6月7月になると雑草が繁茂してぶどうの天敵害虫の住処となるので、木の根本にマルチを敷いて雑草が生えないようにしています。 |
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日曜日は半日、ちょっと遠出して(遠くもないけど)木曽福島へドライブ。敬愛する島崎藤村と姉そのの足跡を辿りに。この冬は何しろ島崎藤村ばっかり読んでいました。フランス帰りから晩年の作品に至るまで一通りを網羅。藤村の作品群は姉の存在無くしてあり得ません。姉への思慕あるいは追慕。藤村の姉への哀惜の思いが時に痛いほどに伝わってきました。100年経っても⁺読み継がれることってすごいことだと思います。馬籠の島崎一家。藤村より17才年長の姉が嫁いだ先が木曽福島でした。 |
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(左) 中仙道の要諦、福島の関所跡資料館。もちろん復元した建物ですが。ワタクシこういうの大好き人間です。“入鉄砲に出女”。つまり江戸に持ち込む鉄砲類と江戸から出ていく女性を厳しく取り締まったそうです。女性の場合、通行手形を持っていても取り調べに2時間もかけたそうです。 (中) 古い歴史資料館へ行くとたいていは“ここから先立ち入り禁止”とかあるのですが、この資料館のいいところは厚い座布団敷きの代官席(?)に座って代官目線(?)で内から外を見ることができるところ。なるほど外のあそこに下々の衆が土下座をしている姿を役人はこういう目線でみていたんだってことがわかります。 (右) その隣にある建物が本日の目的、高瀬資料館。藤村の長編小説「家」のモデルになった、藤村の実姉の嫁ぎ先です。その高瀬家とは、木曽代官山村氏の側近で、砲術指南役とか勘定役を代々務め、また「奇応丸」という飲み薬の製造販売で財をなした木曽屈指の名家とのこと。フムフム.....。昭和2年の大火で家財の多くが焼けてしまったけれど土蔵だけは無事で、そこに山村家代々の家宝や藤村、姉そのの遺品などが沢山残されているというわけ。 |
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(左) 姉が嫁いだ時のお店の手代が養子に入って次の代になり、そのお孫さんにあたるKさんという奥様が今この家を継いでいるそうです。Kさんはとっても気さくな方で、陳列してあるお宝の数々の解説をしてくれました。お家の廊下に飾ってある「奇応丸」の大看板。 (中) 今あるのはKさんが住んでる普通のお家。焼けた旧家はさらにひと回り大きく、ちょくちょく滞在した藤村が寝泊まりしたのはこの辺ですよとKさんが案内してくれました。左の建物がお宝展示室。 (右) 南京錠をガチャッと開けて扉をガラガラって開けて照明をつけたら、鎧兜、掛け軸その他お宝類がいっぱい。それらに混じってその姉さんや藤村の写真類や遺品が陳列してありました。教えてもらってその姉さん(中)。子の田鶴(右)。 |
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(左) その姉さんの形見の櫛。高瀬家の人たちに混じって27歳若き日のの藤村がここにいた(マウスポインタを上に)! 。この写真を撮った場所がここ。藤村が左肘をかけている石灯籠が今もそのままに。鉄道を敷設するために自宅用地の半分を手放して線路の工事が始まる様子が「家」の最後に描かれていましたが、うーむほんとにすぐ後ろは中央本線でした。特急しなの名古屋行き。 |
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(左) 藤村愛用の懐中時計に煙草ケース。 (中) その姉に宛てた手紙。長野縣西筑摩郡福島町高瀬その様で届いてしまうからすごい。 (右)高瀬家の当主に宛てた藤村直筆の書。 |
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(右) 大火でも焼け残った土蔵。鉄道から見える側。よく見れば奇応丸の看板が。藤村鉄道に乗って何度この看板を見たのだろうか。 (中)藤村最晩年の作品「力餅」。このエッセイ集はまだ読まずにとっておいてます。 (右)「簡素」のレリーフ。 |
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(左) 山村代官屋敷の桧並木。 (中) 藤村の歌碑と木曽川。 (右) 木曽の山林は昔も今も森林資源の宝庫。かつては大部分が御料林(皇室の財産)だったそうです。その御料林を管理した宮内庁の官舎が改築されて今も現役で多目的館として使われていました。帰りに温泉に立ち寄って、なかなかにいい旅でした。 |
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