2020.11.30.  


 コロナ禍がここまで来るとは半年前には全く想像していませんでした。医療関係者へはただただ頑張ってくださいよろしくお願いしますとしか言いようがありません。時短営業を余儀なくされて、また業績の急降下的な悪化によって存亡の危機にすらある会社店舗関係者へはただただじっとこらえることしかありません何とかふんばってくださいねとしか言いようがありません。自分が17年前まで勤務していた会社も今期赤字大転落。次年度中に店舗の2/3を閉鎖、希望退職勧奨という、自分がいた頃には考えられなかった事態が起きています。同期入社は150人くらいいたはずですが現在残っているのは知り得る限り取締役のT君と監査役のO君の2名のみ。あとの皆は一体どこへ行ったんだろ?。
 ぶどうをやっていて良かったと思います。衣食住という人間の三大欲求である“食”の部分を司る農業はまじめにコツコツとやりさえすればとりあえずは食いっぱぐれることはありません。その中で特にぶどうは米ムギみたいに絶対必要なものではないかわりにとんでもない高級品ではないってことが幸いしているようです。果樹の世界ではどうやらぶどうが独り勝ち(?)しているようです。シャインマスカットをはじめとする、誰でもがとりあえずは手の届く位置にあるというそこそこ的な高級感が今のぶどう業界を引っぱっているようです。今期は自分はデラと巨峰の作柄が極×でしたがそれ以外はそこそこ的なところで落ち着き、数字的にはこれまでずっと右肩上がりで来てたのが最終的には3年前と2年前のちょうど間のところに収まった、というのが実情です。どうにかこうにか.....、ヤレヤレです。皆さまありがとうございました。ワタクシ、何とか生きてます。
 ただ右肩上がりがストップしたことはすごく悔しいので、来年はしっかりリベンジさせてもらいます。デラ姫の産直便は必ず復活させます。巨峰もしかり。詰め合わせセットはもっと充実させます。まぁ見ててね。経常利益的には本業のぶどう道の他にいくつかの副業の合わせ技で相当なる収入源をすでに確保しています。見据えるははや一年後............、です。



 ということで11月16日からゆっくり目にですがデラ木の剪定を始めています。こちら第3デラウェア園。ぶどう園ならマスクをしなくていいぞ。

   今朝の最低気温は-1℃。フィールドは霜で真っ白。ピリッ!、とくるこの空気感が好きです。1年のうち一番好きかも。

   
   早生デラの1本。剪定前(左)と剪定後(右)。剪定には一定の法則があるのでそれに従えば基本的にはそんなに難しいことはありません。しかし木に合わせた樹勢のコントロールとか特定のポーションでの小技の組み合わせとか自分ならではのビミョーなオプション技とかがいろいろあるので、剪定作業というのはこれはもう自分の中の世界と言うより他にありません。剪定の基本はしっかり押さえつつも、10人がやれば10通りのやり方があるという、剪定作業の醍醐味がここにあります。

   
 今日は午後から松本市農業委員会の定例総会。日中暖かかったこともあって定刻前に松本城近辺をブラブラと散策。いつもなら散策する人とかツアーの団体客で溢れかえるところがやっぱりガラガラ。人けなくてちょっと寂しすぎ....。



 松本みたいに東西南北を山に囲まれたところに住んでいるとどうしても気分的に息苦しくなって、どこかへどかーんと開放的な空気を吸いに行きたくなることがあります。そこで27日は日帰りで日本海・糸魚川の海を見に行ってきました。11月はホントは千葉県・銚子の犬吠埼まで行って太平洋の空気をどどーんと吸ってイワシやサンマの刺し身をワッセワッセと食べて心身満ち足りた人生を送りたいと秘かに予定していたのですが、どうしても東京を通過するルートになるので今回は断念。しかし海の空気を吸いに行く気持ちを抑えられず、今回は日本海でよしとしました。目的地は親不知・子不知の海岸線。

 (左) 松本からR148を北上すれば大町市を越えて約1時間半で白馬村。早朝の白馬三山が神々しい。
 (中) 午前中から雨の予報だったので、親不知に行く前にとりあえず海、海、って感じで晴れているうちにやってきた日本海の海岸線。太平洋の海の空気とは違う、何というか、濃くないかわりにすごく透明度のある空気感......。はぁー........、っと深呼吸。自分、生きてるぜ、という実感。
 (右) 糸魚川からR8号線を西へ。北アルプス山脈の北端がそのまま日本海に垂直落下しているとあって、その絶壁度合いがすごい。振り返って見たら北陸自動車道は海の上。R8と北陸新幹線、JR北陸本線はトンネル。超狭い範囲の中に4つの幹線が走っています。

 (左) 北アルプス山脈の北端が日本海に一気に落下するところ。その昔、新潟と富山を行き来するのには険しい山道を通過せざるを得なかったとのことでありました。明治の世に明治天皇が全国巡業した折に、何とか良い道を作りたいという地元住民の熱意によって、往来道が切り開かれていったとのことでありました。
 (中) 往来道も時代と共に変遷、そして進化。往来道第1世代の杭と第2世代のワイヤーが保存されているところ。
 (右) ここにはなんと旧国鉄線のトンネルがそのまま保存されてありました。歩ける...。

 その時代の人間の営みを支えてきた産業遺産とか土木遺産なんかに今興味を覚えています。壁面をさすった時に指につく煤は当時の蒸気機関車が吐いた煙りであるなんてことを言われると自分的にもうゾクゾク..。

 (左) トンネルの煉瓦の積み方にもいろいろな技法があるようで、その特徴をよく活かしているとのことでありました。
 (中) 600mほどのトンネルをようやくくぐり抜けられると思ったらその先もまたトンネルであった。先人の苦労ははかり知れない...。
 (右) 崖っぷちから海に降りる道が1本。指についた煤を流れ来る海水で洗おうと思ったら誤って足首までビショビショに濡らしてしまったバカ園主でありました。

 (左) 帰り道はお約束の温泉めぐり。白馬若栗温泉・乗鞍荘。スキー場の温泉宿なのでこの時期はまだガラガラ。予定通りの源泉独り占め状態でした。
 (中) 小谷村・千国にある牛方宿。その昔、日本海と内陸を結ぶ交通路だった「塩の道」。重たい塩を運ぶのには牛馬のうちの“牛”が中心だったとのこと。その牛さんと牛方さんの宿だったということです。
 (右) ずらりと並ぶ観音様。実は真正面に栂池スキー場。