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2017.11.17. | |
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まいどお世話になります。この時期のフィールドでの仕事はゆっくり。田んぼからぶどう園にワラを搬入、堆肥や元肥の施肥に耕うん、といったところです。時間にせまられて急いでやる必要もないのでノンビリ、です。 |
こちら今日の第3デラウェア園。葉っぱも9割方落ちてそろそろ冬の装い。管理機で耕うんした跡は幾何学模様がきれいです。 |
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第1巨峰園。ただいま耕うん中。毎日フラフラダラダラしている自分と違ってここの巨峰たちはただいま来年に向けての力をじっくりと蓄え中。 |
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今、島崎藤村の「夜明け前」を読んでます。新潮文庫で全4冊。この時期でないとできない、本気読み、です。島崎藤村という人はとっても根が暗い人で、①馬籠宿の本陣という旧家に生を受けたけれど一族が幕末~明治維新による時代の変化に対応できず没落ししまいには一族に複数の発狂者まで出すという血の呪いを必要以上に敏感に感じ取り、②子供4人(夭折した子供を含めると6人?)の子育て中に妻が死去し代わりに家の手伝いに来ていた姪っ子(島崎こま子)とタダならぬ関係になってそれが発覚するとこま子を台湾に身隠れさせ自分はフランスに逃亡し帰国後にはそのことを小説化して飯のタネにするなどというとんでもない前科を抱えた人物。そしてその壮絶な過去をただただ自分の呪われた血のせいにするという、まぁとにかく陰鬱でねちっこい性格で生涯を過ごしたという評価が確立されています。「夜明け前」は、島崎藤村の父・正蔵の物語、というか伝記というか正蔵を中心とした時代絵巻というかまぁそんなノンフィクション。一族の血の呪いをこの小説で浄化しようという意志と自身のねちっこい性格をここでしっかり克服しようという意志を行間から読み取るべくただ今格闘中。今、第一部下巻の1/2くらいまできたところで、この先も気合いを入れて読み倒そうと思っています。そんな島崎藤村の息吹きを感じるものが何かないかなと突然思い立って、昨日は木曽路の馬籠と妻籠に行ってきました。馬籠も妻籠ももう何度も来ているところですが今回はそのことだけに焦点を当てたのであとは全くの素通り。どうだこれが男の一人旅。 |
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(左) 朝9時の馬籠宿。昔の人は何故こんな坂道に宿場をというのが率直な感想。 (中) まずは島崎藤村のお墓参り。 (下) 生家そのものは残っていないけれど跡地には島崎藤村記念館が。はじめに目についたのが島崎家家系図。血族内での婚姻関係と養子縁組がちらほら見受けられることにまずは時代を感じ、展示されていたフランスから持ち帰ったという手垢のついた雑多な書籍の束と小説の原稿用紙に藤村の息吹きを少しだけ感じ、晩年に愛用したという硯や筆、眼鏡に手の温もりをちょっとだけ感じることができました。 |
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(左) こちら藤村の妻の実家だった妻籠本陣。現存のものはもちろん復元ですが。ここにはなんとこま子の直筆書簡が。藤村同様にこの人も己の犯した罪科に恐れおののいていたはず。 (中) こちら南木曽資料館。公武合体で皇女和宮が江戸へ下る折にこの妻籠宿で一泊。その折に下賜されたものがあると何かに書いてあったのでそれはなんじゃろ?と思いつつ管内を逡巡。そしてそれは長押と判明。よく見たらそれは車輪(車軸&車輪)つきの長押だ。つまり妻籠から先の険しい道中、こんな車輪付きの長押は通行不能と分かってまぁ悪く言えばここで捨てていったものだった!。「夜明け前」第1部上巻には皇女和宮通行の折の大騒ぎの様子が描かれてあって、うーむ小説で納得、資料館で納得、つまり縦糸と横糸がここで交差したって感じでちょっとしたコーフン状態。資料館をブラブラしてるとなんと円空仏が!。ちがうところでまたコーフン。ヒミツでノーフラッシュで一枚バチリ。 (右) 木曽農協の手彫り看板を発見。ちょっとだけ面白い。しかしこの地方の一弱小ノーキョーも時代の変化に変革が追いつかず潰れる(潰される)寸前でっせ。しっかりしろJA木曽ノーキョー!。 そうそう、今思い出しました。馬籠の記念館で藤村の研究者による新聞記事が。それによると、父・正樹と姉・そのの病状は、現代で言うところの認知症のそれではないかと。ふーむ、認知症か.....。現代では自分の父や姉が認知症としてもまさか発狂者とは表現すまい.....。現代に島崎藤村が生きていたらいったいなんて表現するんだべ...........などと妄想いたしておりました。妄想は楽し。 |
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