市長選挙は、3月7日告示 14日投票だったが、10日までに「名簿を出すように」と圧力がかけられ、12日の金曜日には、「あと、○○○○票足りない」と檄が飛び、議員は、全員が実際に松本市内に足を運んで選挙活動をしたという。 「菅谷市長になれば、合併がなくなってしまう。」「トンネルができなくなる。」 選挙の結果を、四賀村村民のみなさんはどのようにとらえているのだろうか。 「流れは変わってしまった。」 最後の声に代表されるように、一言で言って、「村内には不安の気持ちがいっぱい。」というのが象徴的な反応だ。 以前の私のHPでもお伝えしたように、村長さんの後援会が一丸となって、松本市長選挙をおこなって来たという経過からしても、こんどの選挙結果は衝撃を与えている事に間違いない。 私は思う。 「H17年3月までに合併しなければ、」と期限を区切って急かしたのは、国であり、今までの松本市だったということであって、「合併」が今後のまちづくり地域づくりのために必要ならば、それこそ慎重に考える必要がある。 四賀村でも、松本市でも、そして西部地域の松本市との合併を協議している関連町村でも、改めて原点からの議論を、住民が考え直せる契機ができたのが、こんどの松本市長選挙の結果だと思う。 議論は原点に立ち返り発展的に、より建設的におこなわれなければならない。 |
しかし、この選挙の結果が出るまでには、おそらく相当な攻防がおこなわれた事は想像に難くない。
●市町村合併を見直します。 もともと、合併問題と広域連合は、別の次元の問題だ。 また、「自律(自立)を決めた自治体に対し、協働の方法を探り、自律を応援します。」 既に自立を決めた自治体がある中で、「協働の方法」「自律への応援」という政策ほど、広域行政として、一番求めら基本姿勢ではないだろうか。 さて、誰が白票(無効票)を投じたかも話題となっている。 ところで異例なことが、今日の臨時議会でおこなわれた。 |
手術後11日目だったが、順調に回復しているということを示すのに十分な初登庁時の「第一声」だった。 続いて大会議室で行われた職員を前にした初登庁式の場では、概略以下のような挨拶をした。 「今度の選挙では、公約をお示し、結果として市民の方々が私の考え方に共鳴、共感、期待を寄せていただき市長に選ばれました。人間として、能力として十分ではないが、行政の場でがんばりたい。ご協力ご援助をよりしくお願いします。」 「この間、市民の皆さんとひざを突き合わせてお話してきました。かつて2年間、県の職員として医療行政に携わって、自分なりに一生懸命やってきたと思っていても、実は医療を受ける県民の皆さんが十分納得してもらっていなかったということがわかってきた。いろいろな問題があることがわかってきて、私自身に思い上がりがあったとおもいました。 市政も同じように職員の皆さんが一生懸命やってきたと思っても、そうではなかったか。その点を反省しながら、皆さんといっしょにもう一度どうあるべきかを痛感しました。」 「これから市の職員として、仕事をしていくわけですが、政策として、われわれ行政が松本市をどこへ、市民をお連れしていくか考えていかなければならない時代を迎えてきている。どこへお連れしたら市民が幸せに、このまちが住んでよかったといえるか、改めて一緒に考えてたいなと思います。」 「今回の政策の中では、少子高齢社会に、生命の大切さ、皆さんといっしょに質の高い生き方を考えたい。 もの優先の社会が何を招いたか。それをストップして量から質への転換を思い切ってはかる。このことが松本市に課せられた課題だと思います。そしていい松本市を作っていこうと思います。」 「主役は市民ひとり一人。行政はそれを支える黒子。職員の皆さんには、ご不満もあろうかと思いますが、しばらく私と一緒に歩調をあわせていただきたいと思います。 自分はプロ野球の選手になりたかった。チームワーク、フットワーク、ネットワークの3ワークを大切にしたいと思います。 現場に出る努力。できるだけ市民の皆さんと語り合う努力をしたいと思います。 優秀な松本市役所職員のすばらしいものが、十分に使いこなされているのか。みなさん方が持っているものをさらに伸ばし、ブラッシュアップすること。全職員が知恵を出し合って、チームワーク不可欠。市民に喜んでもらう、市民とともに歩む新しい松本市に向けて努力したいと思います。」 「最後に、健康のことでは、ご迷惑をおかけしていますが、見ていただいての通り手術後11日目。人間はやろうと思えばできる。3分の2の胃をとって、初めて傷の痛みを知りました。この間、外科医として患者さんにも無理をさせてしまってきたことを知りました。でも、それを乗り越えることで次の何かを見出して行く。 序序に力を蓄えて、体調を万全にしすばらしい松本市にしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました。」 と、このように結んだ。 菅谷市長の挨拶の特徴は、段落のはじめごとに必ずといっていいほど、「私は、」という一人称が入ることだ。 市職員に関してていえば、いままでは「提案をしない。」「自らの頭で考えない。」そうした傾向を嘆く職員自らの声が私の耳にも入ってきていた。 さらに、職員数が減らされる中で、「言われたことだけこなす」というのが実際ではなかっただろうか。 今回の市長の挨拶が、市職員にとって今までと違った好感を持たれている所以の第一はそこにあると思われる。 菅谷昭新市長は、この間もいくつかのメッセージを送ってきている。 もうひとつ、市議会議員の皆様へと題されたものは、一般には公表されていないメッセージ。 今日は、4月1日付けの人事発令の内示が行われ、あわただしい一日の市役所だった。 そして今日からNHKの連ドラが変わったが、今日はそれをわずかしか見られなかった。残念。 |
「とにかく市外の業者に仕事を出すのでなく、地元に税金を納める地元の業者にまわして欲しい。何でも安ければいいということではない。お金がまわる事が景気の回復につながる。」
実に、毎日の生活ぶりの大変さがそのまま市長選挙につながり、その結果を受けての「期待」を超えて、切実な願いとして現れていることが本当に感じられる2日間だった。 「本当は安いほうがいいに決まっているが、高くなってもしょうがない。(その代わり)払った税金が本当に景気を良くするように使って欲しい。」
「100年安心」と称して、「年金改革」自民・公明政府案が出された。 国民健康保険、介護保険なども同じだが、その特別会計だけで考え、「赤字」を出さないためには、「収入を増やし、支出を減らす」ことは、誰でもできること。
新市長誕生に尽力された応援者の方からの胡蝶蘭をお預かりしてある。 |
そして 市町村合併問題に関しては、いずれの市、町から資料をいただいてきた。 詳細は、順次報告します。 今回の旅は、中身の充実もさることながら、行程がハード。 実に疲れた旅だった。 |
基本は、学校へ復帰を目的としているのだが、 宮古市は、小学校が16校、中学校が9校 と松本市より規模は小さい。 続きは、後日。 パソコンを視察に持っていったが、途中で故障となる。 |
議会運営委員会終了後、早速、まつもと市民芸術館を訪問した。 さて、関心のひとつは、バルコニー席。 一階下の3Bでも同様だった。 2Bに下りると少しは緩和されたが、見づらいことに変わりはない。 21日の舞台開きには、この客席はいっぱいになるとのことだが、座ってみればすぐわかることだ。 次に、昇降天井だ。 議会運営委員会では、吉江議員の議場での「松本市議会は死んでいる。」という不規則発言に対する対応を検討した。 |
「僕たち三年生は、今日をもって9年間の義務教育を終え、いよいよ、それぞれの道を歩みだします。 これから先、どんなことが待ち受けているか、誰にも知ることはできません。 一言一言かみ締めながら語るその口調も、途中から、気持ちがこもっての途切れがちな言葉になっていたが、そのキリッとした姿は、その意志を伝えるに十分だった。 「旅立ちの日に」 という歌からも引用がされていた。 いまの社会の中で、子供たちをめぐる状況で、誰もに共通する想いだろう。 卒業式の後の、転退任の式で、次男の担任の先生が転任となる事が発表された。 万葉集 巻20−4516 作者: 大伴家持 「いやしけ」とは、「重け」と重なるという意味のようだ。 「新しき」と書いて新しき「あらたしき」と読むらしい。 その先生は、 「教えることは、自信を持たせること。 その点では、私はどれだけのことを教えてこれたか反省です。」 こんな挨拶もあった。 体育館がかなり冷え込んだと思っていたら、途中から雪に変わっていた。 それで今日は、「国歌斉唱」。 そして今日は、何度かハンカチのお世話になった日だった。 |
卒業証書授与が始まって、ひとりだけ名前を呼ばれただけで、受け取らなかった子供がいた。 後で校長先生に確認したら、今日のひとりの子供は、実際に高熱でどうしても参加できない子供であることがわかって、少し安心した。 しかし、今年も市内の小中学校に、そうした子供たちがいることは間違いない。 「さきほどの答弁では、新しい充分なものが感じられないので、ぜひこれは新市長の下で実現をしてくれることを私はつよく期待したいと思います。」 さて、卒業式の式次第も終わり、最後に卒業生を送り出すところで、いつものように在校生の合唱が始まった。 それは、杉本竜一 作詞、作曲 のビリーブという曲だった。 どこかで、聞いたような音楽だったが、調べてみてやはりと思った。 杉本竜一: やはりテレビ番組で聞いていた曲想だった。 音楽は、本当にそのときの感動を共有させ、引き立て、やすらぎをあたえてくれる。 それに引き換え、「君が代」は実にいただけない。 Believe: ビリーブの歌詞を調べたので、掲載します。 ビリーブ 杉本竜一 作詞/作曲 もしも誰かが 君のそばで (メロディーをお聞きになりたい方は、こちらをクリック) |
そんな議論の最中に、菅谷新市長が、記者会見で自らの胃がんを公表し、入院手術することが発表された。 今回の早期がんのことはそれこそ奥さん以外(医療関係者は別として)は記者会見ではじめて知らされたことだが、医者から見れば、手術後のさまざまな事例も承知し、尚且つ科学的の目で判断すれば、病気は治せばよいという極当たり前の過程として考えてことだろう。 言うまでもないことだが、医療の専門家の目での記者会見だったろう思います。 さて、 「人気ですか。政策ですか。」という意見広告が出たことについては、先日の日誌でお伝えした。 が果たしてそうだろうか。 選挙事務所に出入りするようになれば、候補者に対する公開質問状やアンケートのこと、法定ビラの作成に関することなどが当然話題になった。 開票が終わり、選挙結果が出た翌日の月曜日。 |
11時から行われた記者会見では、下沢順一郎氏が、概要次のように「あたらしい松本の会」を代表して見解を発表した。 私の方からも、昨夜の時点からのあたらしい展開を報告した。 今朝のHPでご紹介したように、すげのや昭さんのコメントは、本当に怒り心頭に発する気持ちを抑えてのものだったが、
最後の花時計公園での街頭からの訴えの中でも、冒頭にこの問題に触れていたようだ。 「この人を市長にしたい!!」 ところで、この謀略ビラに関して「一歩の会」が記者会見をおこなったようだ。 このビラの中には、「マインドコントロール」という表現があるが、この文言は、「一歩の会」の幹部の方が、テレビ取材際に、すげのや昭さんに対して、「田中知事にマインドコントロールされている人」として使った言葉でもある。 選挙は投票箱の閉まる明日、夜8時までもつれ込む結果と言えるのではないか。 実感としても、今日の最後の思いだ。 |
記者会見の場で、発表したすげのや昭さんの談話は以下の通りです。 「きわめて残念なことであります。 まさにその通りだ。 (記者会見の様子は、数時間後に発信する予定です。) |
その内容は、 共産党の「すげのや昭」を市長にしましょう というもの。 その後、調査したところ、蟻ヶ崎2丁目、3丁目、6丁目、に配られていたことが確認された。 私たちが選挙管理委員会に行くのと同時に、別のグループは何隊かに分かれて、現場に急行していた。 「公職選挙法で認められているもの以外の法定外の文書である。」 ということだった。 そうしたやり取りをしている最中でも、新たに城西、開智方面も配られているという報告があった。 応対した、長野県警察本部刑事部捜査第二課 中南信特捜班 課長補佐 鈴木良忠警部は、氏名、住所、陣営名を明らかにする事については、
「上のほうと相談するが、今は調査中、捜査中であるので、今の段階では、ここまでしかいえない。」ということだった。 今度のビラは、使い古された反共攻撃そのもの。 その狙いは、 すげのや昭さんのみならず、すげのや昭陣営全体をまで、共産党として描くことのよって、共産党=悪のイメージで、すげのや昭さんの支持を減らすことを目的としたもの。 そういう意味では、このビラは、市民に対しての挑戦ビラでもあります。 そして、出所不明で出すこうした行為は、文字通り民主主義を汚すやり方で断じて認められないものだ。 反共攻撃は、やったほうが負けという状況を作り出すこと。 「すげのやが市長になれば、市役所に赤旗が立つ」というそれこそ古典的は反共攻撃も電話がけの中でも明らかになった。 なんとしても負けられない選挙だ。 |
投票日を3日後に控えるこの時期のこうした「集い」は、私の選挙の経験でも始めてのものだったが、中ホールいっぱいの参加者は、改めてすげのや昭さんの「す(挿)げーのや」の人柄、実績、そしてこの人にこそ市長をやって欲しいという確信を確認するにふさわしい集会だった。 とりわけ、以下のくだりが印象的だった。 確かに、選挙戦の展開の中で、医療福祉のことで論戦がおこなわれるなかで、この分野での政策の具体性は、我が陣営だから言うわけではないが、すげのやさん昭さん政策こそが、10年、20年先をも見すえた、現在の問題の解決策としての政策という本来の意味から見ても、一番共感できるものだ。 集会は、参加者全員をそうした思いにさせた後、選挙を支えるスタッフを代表して、以下のような、言わば私たちで言うところの「情勢報告と行動提起」がおこなわれた。 「猛烈に追い上げている。 いよいよ肩を並べるところまできましたが、ここで気を緩めたほうが負けです。 と、 全市的な声かけ運動の必要性、法定2号チラシの全戸配布、約束していただいた方に確実に投票に行ったいただくと共に、さらに広げていただくお願いをすることの重要性を強調し、まさに納得できるものだった。
すげのや昭さんは、「たたかい」という言葉を使わない。 マラソンの選手で、忘れられないひとりが「カトリン・ドーレ」だ。 この間応援団の一員として、すげのや事務所で詰める毎日。 |
設問1)福祉(社会保障)に対する基本的な見解で言えば、 と、有賀、すげのや両氏に比べて、田口氏の回答は、その回答に少しニュアンス違いを感じる。 設問2〜4)障害者医療、乳幼児医療の窓口無料の問題、入院時の給食費の負担など、具体的な問題に対する回答では、 有賀氏は、後退した現行制度を肯定的に捕らえており、 田口氏は、「検討していくために、利用者の観点、それに関わる方々からのご意見、住民の声をお聞きしながら、制度上、見えにくい問題・課題を検証するところから取り組み、」と回答するのみなのに比べ、 最後の設問:祉医療制度のあり方について、は 有賀氏:「国において制度化し、財政措置を講ずることが望ましいと考えております。」 すげのや昭氏:「市独自の対応策を当然、検討・実施する必要があると考えます。」 田口敏子氏:「制度上、見えにくい問題・課題を検証し、地方自治体として福祉医療制度をより効果的な方向に導いていくことを考えております。」 とその違いが明らかになりました。 福祉医療という限られた分野の設問に対する回答・政策ですが、市政全体に対する姿勢の違いまで見えるような回答です。 いよいよ市長選挙が始まる。 |
「日本共産党を代表して、議第3号の中身でなく、提案そのもの反対する立場から意見を申し上げます。 前半の部分では、議場の他の議員からも賛同の掛け声もかかったが、後半部分では、議場は静かだったように思う。 注)地方自治法 第117条 しかし冷静に考えてみれば、こうした事態も予測されたものです。 吉江議員は、あらかじめ、除斥の扱いで議場におらず、傍聴席で本会議を傍聴していた。 議第3号 吉江健太朗議員に対する問責決議案の議会の様子は、ここをクリック (時間がないので、今日の事態の分析など、続きは明日に・・) |
・ 議案質疑を逸脱(許可された発言(通告)外の発言) の3つの問題点があるということで、その対応を検討してきた議会運営委員会。 なぜそのことを主張するかというと、今回の問責決議案に関しては、既述の3点に関し、具体的にはどこを指すのか。何が問責に値する問題なのかの吟味がおこなわれないまま、「多数決」になったからだ。 私たち議員団は、吉江議員の発言について、何度も検討を加えた。 再三再四、具体的に詳細に吉江議員の発言の吟味を求めたが、このことは取り入れられず、吉江議員からの「具体的な箇所について、口頭でなく、文書で頂きたい。」という求めに対しても、議会運営委員会の「総意」で応えることなく、結論を出したものだ。 質疑に関する松本市の議会運営の歴史については、その発言をめぐって本会議では何度も「攻防」があった経過がある。 議会は、ルール抜きで運営できるものではない。 今回の吉江議員の質疑をめぐる今度の問題は、今まであまり本会議での質疑がおこなわれてこなかった松本市の議会の歴史上、この問題を正面から議論した経験がない中で、とにかく「問題」だということで、問責だけを問題にするのは、「結論先にありき」の感は免れないだろう。 (今日は、時間が会議の時間が迫ってきたので、ここで止めますが・・ ) |