3月31日(水) 


  四賀村における松本市長選挙        


  議員全員協議会が終了した後、議員控え室に、「共産党の議員を除く」議員が集まり(集められ?)、村長も参加し、「有志の会」と称して松本市長選挙対策会議がおこなわれた。
  2月末の四賀村での出来事だ。
  議員協議会の日程を調べれば、日時は判るだろう。

  市長選挙は、3月7日告示 14日投票だったが、10日までに「名簿を出すように」と圧力がかけられ、12日の金曜日には、「あと、○○○○票足りない」と檄が飛び、議員は、全員が実際に松本市内に足を運んで選挙活動をしたという。
  土曜日には、四賀村の住民が松本市北部方面の法定ビラの配布をおこなっていたという報告もあった。

  「菅谷市長になれば、合併がなくなってしまう。」「トンネルができなくなる。」
  この一言で、意思統一がおこなわれたようだ。

  選挙の結果を、四賀村村民のみなさんはどのようにとらえているのだろうか。

  「流れは変わってしまった。」
  「こうなれば、トンネルは無理だから自立でいくさ。」
  「トンネルができないようならば、こちらから願い下げにしたほうがいい。」
  「とにかく松本市は、行政主導で進められたことなのだから・・・」
  「今、村でアンケートをやれば、合併賛成は、半分半分じゃないか。」
  「とにかくこれからどうなるのか分からなくなった。」

  最後の声に代表されるように、一言で言って、「村内には不安の気持ちがいっぱい。」というのが象徴的な反応だ。

  以前の私のHPでもお伝えしたように、村長さんの後援会が一丸となって、松本市長選挙をおこなって来たという経過からしても、こんどの選挙結果は衝撃を与えている事に間違いない。
  村民の方々への合併に関する説明会は、1ヶ月集中的に精力的におこなわれ、村長さんが、自ら熱烈に合併論を展開したようだが、村民の方の言葉を借りれば、「合併に疑問を投げかけられる雰囲気はなかった。」というのが実際だ。

  私は思う。
  昨日の日誌でも述べたように、こんどの選挙で、菅谷市長が掲げた政策は、当然のことだが合併否定論ではない。
  それを、そのようにしか捉えられていないところに、こんどの合併論議が正確におこなわれてこなかった何よりもの証拠があると言えるのではないだろうか。
  今、法定合併協議会が既に6回おこなわれてきているが、法定合併協議会が開かれているからといって、合併は既に決まったということではない。
  合併の是非も含めて協議するのが法律で定められている合併協議会だ。
  それを、合併を前提に、合併は既成の事実として、ただ合併のために「その行政課題のすり合わせ」のための膨大な作業を急テンポでおこなってきたこの法定合併協議を、もう一度原点に立ち返り、地方自治体のあり方、これからの村づくりまちづくりをどうするのかこの原点に立ち返った議論がこれから始まるといえる。

  「H17年3月までに合併しなければ、」と期限を区切って急かしたのは、国であり、今までの松本市だったということであって、「合併」が今後のまちづくり地域づくりのために必要ならば、それこそ慎重に考える必要がある。
 期限を区切っておこなわなければならないものではない。
  そして俗に「平成の合併」と言われるこの国の施策の本質についても議論が必要だ。

  四賀村でも、松本市でも、そして西部地域の松本市との合併を協議している関連町村でも、改めて原点からの議論を、住民が考え直せる契機ができたのが、こんどの松本市長選挙の結果だと思う。

  議論は原点に立ち返り発展的に、より建設的におこなわれなければならない。  


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 3月30日(火) 


  松本広域連合長に 菅谷昭松本市長が選出される        


  広域連合の臨時議会が、午後1時半開会、その前に、1時から広域連合長の選挙が、19関係市町村長の投票によっておこなわれた。
  有賀正広域連合長の任期は、その自治体での任期によるので、連合長は不在となり、新たな選出は、加盟する自治体の首長による選挙で行われることが規約でうたわれている。
 
選挙の結果は、2人(坂井村、奈川村)の村長が欠席、投票数は菅谷松本市長が16票、白票が1票という結果で、「穏当に」菅谷昭松本市長が連合長に選出され、臨時議会に報告された。

 しかし、この選挙の結果が出るまでには、おそらく相当な攻防がおこなわれた事は想像に難くない。
 「菅谷に連合長を渡すな」という雰囲気があり、そのために菅谷氏の当選が決まってからの「話し合い」がおこなわれ、激論が交わされたとの話が、あるマスコミ関係者をはじめ入ってきた。
 一番のテーマが、合併問題だったようだ。
 「菅谷昭連合長では、合併が進まなくなってしまう。」

  でもよく考えると実にこっけいな議論だ。
 菅谷昭氏は、選挙中の政策の中で次のように合併問題では触れている。

  ●市町村合併を見直します。
  
→「合併ありき」の発想ではない、オルタナティブ(選択肢)の提示をします。
  →アンケートや投票などを実施し、市民および住民主体の判断の機会を持ちます。
  →メリット・デメリットに関わりなく、判断材料となるすべての情報を開示します。
  →各種行政サービスの質の維持・向上を考えます。
  →自律(自立)を決めた自治体に対し、協働の方法を探り、自律を応援します。

  もともと、合併問題と広域連合は、別の次元の問題だ。
  ある筋から自治体首長に圧力があり、それが「菅谷市長が連合長になれば、合併が進まなくなる。だから連合長は別の首長に。」という発想からだとすれば、まさに語るに落ちる中身だ。
  今回の合併が、市町村の住民の意思でなく、行政主導の押し付け合併であったことの証明でもある。

  菅谷新市長の政策は、明白で、一番理にかなっているものではないだろうか。
 「市民および住民主体の判断の機会」を持たずに、合併は既に松本市民は合意済みと決めつけ進めている問題は、松本市独自のことであって、他の市町村の問題ではない。
  「松本市民の意向を聞かないでの合併はありえない。」
  これは、地方自治体の首長ならば誰もが当たり前のこととして納得できることだ。
  そしてその結果、仮に今進められている合併の話が、「白紙」に戻ろうともそれは、広域連合の首長の選出の基準にはならないはずだ。
  「合併するかしないかは市民の意志で決めよう」と公約している極当たり前のことだけなのだ。
  合併するかしないかは、首長の独断で決めるものでない。

  また、「自律(自立)を決めた自治体に対し、協働の方法を探り、自律を応援します。」
  この政策こそは、合併問題にとどまらない広域行政を進めていくうえでの重要な政策でもある。
  私も、広域連合議会で、これと同趣旨の質問を有賀市長におこなった経過がある。
  「今、広域連合加盟自治体間で、広域行政として広域連合が取り組んだほうがいい課題があるのか。ないのか。」
  それに対する有賀連合長の答弁は、取り組むべき課題を何一つ示さない代わりに、松本市長としての立場の答弁と取れる、「合併することが周辺市町村の一番のしあわせにつながる。応援するつもりはない。」ことを強調するばかりだった。

 既に自立を決めた自治体がある中で、「協働の方法」「自律への応援」という政策ほど、広域行政として、一番求めら基本姿勢ではないだろうか。

  そうしたことが議論されたかどうかは別として、結果として菅谷昭松本市長が松本広域連合長に選出された。
  正論は生きていたという感じだ。
  (もちろん、広域連合長は、はじめから松本市長がなるのが当たり前という事を言っているわけでない。)

  さて、誰が白票(無効票)を投じたかも話題となっている。
 広域連合関係者からもいろいろ聴いてみたが、私には、この白票は、投じた首長の政治姿勢の表れとかってに理解している。

  ところで異例なことが、今日の臨時議会でおこなわれた。
  前連合長が退任の挨拶をおこなう際に、「有賀市政3期12年 その歩みと実績 松本市」という冊子が、広域連合議員全員に配られた事だ。
  この小冊子は、市長選挙が終わった時点で、それこそ急ごしらえで用意され、先の松本市での議員協議会の場での退任の挨拶の際に、松本市の議員や関係者に配られたものだった。
  「広域連合での有賀連合長の実績」ならともかく、何で松本市長の実績を公式な広域連合議会の場で配るのか。
  有賀前広域連合長にとっては最後の広域連合議会の場であることもあり、あえて問題にはしなかったが、こうした政治感覚こそ、まさに馬脚を現すものだった。  


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 3月29日(月) 


  菅谷新市長 初登庁        


  「住んでいてよかった。くらしてよかった。訪れてもらってよかった。子供を生み育ててよかった。そうしたまちづくりをしたい。このことを常日頃より思っていたが、それが今まさにスタートします。
  松本平にとどまらずに、長野県、日本を引っ張るようなすばらしいまちづくり、そんな松本市を作りたい。
  それを進める上では、話し合いが基本。 お互いに理解しあい、大事なことは、市民の利便性、利益、公益性を考えながら行政を進めること。 順風満帆の航海ではないかと思いますが、大丈夫かなというときには、皆さんにぜひ背中を押してもらって、進めたい。」
 菅谷昭新市長の挨拶は、気負いなく、極自然体のものだった。

 手術後11日目だったが、順調に回復しているということを示すのに十分な初登庁時の「第一声」だった。

  続いて大会議室で行われた職員を前にした初登庁式の場では、概略以下のような挨拶をした。
  (聞き取りづらいところは省略してあります。また間違ったところは、後ほど注意書きをし、訂正します。)

  「今度の選挙では、公約をお示し、結果として市民の方々が私の考え方に共鳴、共感、期待を寄せていただき市長に選ばれました。人間として、能力として十分ではないが、行政の場でがんばりたい。ご協力ご援助をよりしくお願いします。」

  「この間、市民の皆さんとひざを突き合わせてお話してきました。かつて2年間、県の職員として医療行政に携わって、自分なりに一生懸命やってきたと思っていても、実は医療を受ける県民の皆さんが十分納得してもらっていなかったということがわかってきた。いろいろな問題があることがわかってきて、私自身に思い上がりがあったとおもいました。  市政も同じように職員の皆さんが一生懸命やってきたと思っても、そうではなかったか。その点を反省しながら、皆さんといっしょにもう一度どうあるべきかを痛感しました。」

  「これから市の職員として、仕事をしていくわけですが、政策として、われわれ行政が松本市をどこへ、市民をお連れしていくか考えていかなければならない時代を迎えてきている。どこへお連れしたら市民が幸せに、このまちが住んでよかったといえるか、改めて一緒に考えてたいなと思います。」

  「今回の政策の中では、少子高齢社会に、生命の大切さ、皆さんといっしょに質の高い生き方を考えたい。 もの優先の社会が何を招いたか。それをストップして量から質への転換を思い切ってはかる。このことが松本市に課せられた課題だと思います。そしていい松本市を作っていこうと思います。」

  「主役は市民ひとり一人。行政はそれを支える黒子。職員の皆さんには、ご不満もあろうかと思いますが、しばらく私と一緒に歩調をあわせていただきたいと思います。 自分はプロ野球の選手になりたかった。チームワーク、フットワーク、ネットワークの3ワークを大切にしたいと思います。 現場に出る努力。できるだけ市民の皆さんと語り合う努力をしたいと思います。  優秀な松本市役所職員のすばらしいものが、十分に使いこなされているのか。みなさん方が持っているものをさらに伸ばし、ブラッシュアップすること。全職員が知恵を出し合って、チームワーク不可欠。市民に喜んでもらう、市民とともに歩む新しい松本市に向けて努力したいと思います。」

  「最後に、健康のことでは、ご迷惑をおかけしていますが、見ていただいての通り手術後11日目。人間はやろうと思えばできる。3分の2の胃をとって、初めて傷の痛みを知りました。この間、外科医として患者さんにも無理をさせてしまってきたことを知りました。でも、それを乗り越えることで次の何かを見出して行く。 序序に力を蓄えて、体調を万全にしすばらしい松本市にしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました。」

  と、このように結んだ。

 菅谷市長の挨拶の特徴は、段落のはじめごとに必ずといっていいほど、「私は、」という一人称が入ることだ。

  市職員に関してていえば、いままでは「提案をしない。」「自らの頭で考えない。」そうした傾向を嘆く職員自らの声が私の耳にも入ってきていた。
  それは、決して仕事をしないというわけではなく、トップダウンの弊害で、意見を上げれば叩かれる、アイデアを出しても結局最後は、上の一言で覆されてしまう、このことからの「学習」の結果であることは、想像に難くない。

  さらに、職員数が減らされる中で、「言われたことだけこなす」というのが実際ではなかっただろうか。

  今回の市長の挨拶が、市職員にとって今までと違った好感を持たれている所以の第一はそこにあると思われる。

  菅谷昭新市長は、この間もいくつかのメッセージを送ってきている。
  市民の皆さんへのそれは、すげのや昭HPに掲載されている。
    それは、こちらをクリックしてください。

  もうひとつ、市議会議員の皆様へと題されたものは、一般には公表されていないメッセージ。
  人となりを感じさせるこのメッセージ、そのままご紹介したいと思います。  
  市議会議員の皆様へ 菅谷 昭からのメッセージ はここをクリック 

 今日は、4月1日付けの人事発令の内示が行われ、あわただしい一日の市役所だった。

 そして今日からNHKの連ドラが変わったが、今日はそれをわずかしか見られなかった。残念。
  何事もはじめが肝心だ。  

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 3月28日(日) 


  税金を払ってもいいから、とにかく景気を何とかして欲しい。        


  27日(土)、28日(日)と木島日出夫前衆議院議員と支部のみなさんとともに、しんぶん赤旗のご購読のお願いに歩いた。

  「市長さんが代わって本当に良かった。これから4年間また同じような政治が続くと思うとどうなるのかと心配していた。 年金が減らされて、本当にたいへん。その上消費税が上げられたら、生活ができなくなってしまう。」
  「年度末だというのに、仕事の量はこれしかない。前は、この部屋が倉庫のように印刷物が積み上げられた。とにかく地元でできる仕事は、地元の業者にまわして欲しい。」

 こうした声は、印刷業の方だけでなく、リフォームなどで仕事の拡大を図っている工務店の方や設備業者の方からも出された。

   「とにかく市外の業者に仕事を出すのでなく、地元に税金を納める地元の業者にまわして欲しい。何でも安ければいいということではない。お金がまわる事が景気の回復につながる。」

 年金や景気の話とともに、消費税など税金のことが話題になるのが特徴だった。
  「消費税の総額表示は、引き上げのためのもの。」
  「(3000万円だったのが、)1000万円に下げられて、ほとんどの業者が消費税を納めなくてはならなくなる。これでは、本当にやっていけなくなる。」
  「お年寄りの控除もなくなり、そして年金にまで税金をかけるようになった。どうすればいいのか。新聞も他のものをやめたばかりだ。」
  「イラクへまわすお金があったら、われわれにまわしてくれ。」

 実に、毎日の生活ぶりの大変さがそのまま市長選挙につながり、その結果を受けての「期待」を超えて、切実な願いとして現れていることが本当に感じられる2日間だった。

  「本当は安いほうがいいに決まっているが、高くなってもしょうがない。(その代わり)払った税金が本当に景気を良くするように使って欲しい。」
   本当に印象的で、原点の発言だった。

  「100年安心」と称して、「年金改革」自民・公明政府案が出された。
  公明党が、昨年の衆議院選挙のときに出した「100年安心年金プラン」が、そのベースだが、「50年、100年先をみた抜本改革」と坂口厚生大臣は胸をはるが、4月1日にも現在の国会で審議入りを狙っているその中身は、何のことはない。 「保険料の引き上げ、給付水準の引き下げ」を、今後十数年にわたって、国会審議なしに自動的におこなえるものにするものだ。
 「負担を増やし、給付を減らす」これだけなら、「電卓ひとつあればできる事。」 これは、先週の21日の日曜日のNHKの番組で、共産党の小池晃政策委員長がズバリ指摘したことだ。

 国民健康保険、介護保険なども同じだが、その特別会計だけで考え、「赤字」を出さないためには、「収入を増やし、支出を減らす」ことは、誰でもできること。
 それは政治ではない。
 あらかじめ納めた税金の使い方を見直して、くらしを支え、医療・福祉を支え、そして景気の回復につなげるにはどうするか。
 今こそ地方政治の場でも、この政治の原点を真剣に考えなければならない。
 責任が重くなる。

  今日28日から、菅谷昭新市長の4年間の任期が始まる。
 そして明日は、初登庁の日。

 新市長誕生に尽力された応援者の方からの胡蝶蘭をお預かりしてある。
  明日は、その方の気持ちもお届けするためにも、私も新市長をお迎えしたい。  

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 3月25日(木) 


  3日間、東北方面に行ってきました。        


  22日(月)前泊で、岩手県宮古市、葛巻町、そして秋田県の鷹巣町を視察してきた。

  しばらくご無沙汰しました。

  宮古市は、既報の通り、子育て支援策、不登校対策。
  葛巻町は、新エネルギー(自然エネルギー)活用について。
  そして、鷹巣町は、福祉行政について、住民参加の福祉のまちづくりがテーマ。

 そして 市町村合併問題に関しては、いずれの市、町から資料をいただいてきた。

  詳細は、順次報告します。
 これからの松本市政を考える上で、貴重な経験、視察でした。

  今回の旅は、中身の充実もさることながら、行程がハード。 実に疲れた旅だった。
  市長選挙中の疲れもいっしょに出て加わったようだ。  

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 3月23日(火) 


  本州最東端のまち 宮古市        


  宮古市を視察してきた。
  子育て支援、子供の成長を保障することをテーマに選んだ。
  宮古市の教育委員会学校教育課内にある教育研究所。
  不登校、いじめなどの教育相談、幼児のことばの教室、そしてサーモン教室などがその事業だ。
 
 
とりわけサーモン教室。
  この事業は、 長期にわたって不登校になっている児童・生徒が自然や生活体験・対人関係・教科学習によって生活リズムを回復し、学校に復帰するための支援策だ。
  サーモン教室は、「鮭は、4年目に放された川に戻ってくる。」事から、教育関係者の子どもたちへの思いがその名前の由縁だ。
  この教室は、
  @ 火曜日を除く、月から金曜日まで教科学習を中心に自分の計画で行う「宮古教室」
  A 火曜日 創作的、体験的活動を行う「佐羽根教室」
  B そして、毎週木曜日、体育的活動(レク、軽スポーツ等)を行う「練成館」 の教室が用意されている。

 基本は、学校へ復帰を目的としているのだが、
  この事業以外に、文部科学省のスクーリング・サポート・ネットワーク整備事業を導入して、2人。 (この事業は15年度、16年度で終了するいわばモデル事業。)
  岩手県の 相談事業(正式名称は、メモできなかった。)を取り入れて、4人 あわせて、6人体制で、子どもたちの家庭訪問を行い、勉強の援助をするなど、「成果を上げている」という報告が印象的だった。
 (県の事業も、来年度以降については、予算がつくか未定との事)

  宮古市は、小学校が16校、中学校が9校 と松本市より規模は小さい。
  そこに、6人の体制で、直接家庭訪問して、サーモン教室に通えない子どもたちへも直接支援しているのだ。
 担任の先生に任せられている松本市の現状とは、違うものを感じた。

  続きは、後日。

  パソコンを視察に持っていったが、途中で故障となる。
  このノートは、時たまストライキを起こすことが多い。
  市長選挙中も、一度、同じ目にあった。
  それでも最近は、2時間ほど休ませると回復することが解ったのでそうした扱いをすることにしている。  

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 3月19日(金) 


  「バルコニー席から舞台が見えない!?」  まつもと市民芸術館を視察して        


  今朝は久しぶりの定例金曜日、松本駅前での街頭宣伝の日。
  そして同じく金曜日は、定例の市役所内日曜版配達の日。
  今までならば、市民会館建設課は、東庁舎4階にいるわけだが、既に新市民会館に移転した後だった。

  議会運営委員会終了後、早速、まつもと市民芸術館を訪問した。
  実は、市長選挙投票日の翌日、15日に議員で全館を視察させてもらったが、そのとき確認できなかったところを見たいという気持ちもあった。
  21日の竣工式、舞台開きを前に、関係者が準備におわれていた。

  さて、関心のひとつは、バルコニー席。
  バルコニーは、4層になっているが、まず一番上の4Bフロアーに案内してもらった。
    (バルコニー=balcony で、頭文字のBを取っている)

  この高さから舞台を見るとどうなるのか。
  実に見下ろすという表現そのものの場所だ。
  ある人は、この市民芸術館の大ホールを舞台側から見た写真を見て、その客席の並びと色合いを見て、「命が吸い取られるような感じ」と評した人がいたが、上から見下ろした感想は、「体ごと吸い取られる」ような印象だった。
 舞台から見て正面のバルコニー席の真ん中=真後ろ に立ってみたが、実に恐い。
  高所恐怖症の人は、2度と来れないだろうという印象。
 バルコニー後部席は、4列になっているが、その一番後ろに座って見るとまず気になったのが手すりが邪魔になる事。
  そして座ると膝頭と前の席との間隔があまりに狭いという事だ。
 足をパイプの上に乗せるようになっているが、おそらくそのパイプも邪魔になって、座っている人の前をすり抜けて自席に座るには少し大変だという感じだ。
 そして、4列の最前列に座ると通路はさすがに確保されたが、やはり手すりが視界の中央に入ってきた。
 それを避けるために身を乗りだしたが、おそらくそうした姿勢を取ると後ろの人には邪魔になるのではないかと思われた。

 おそらくこの状況は、上からの見下ろし角度によるものと思われるので、3Bでも同じような感じになるのではないか。
 そして、さらに重大なことは、バルコニー席の馬蹄の先に当たる舞台に近い側面の部分の席に座ると、舞台がまったく見えないことが判明。 背の小さい私も思い切って乗り出して(舞台に向かって左側の席だったので、右に体を傾けて)やっと舞台が覗けるという感じだ。
 馬蹄形が、死角を生むということは言われており、議会でもその心配はないのかの指摘があったはずだが、(今日は手元にその議事録がないので調べ次第公表するが・・)これでは、バルコニー客席の側面に1列に並ぶ席では、まったく舞台が見えないことが確認できる。
 その後ろに、立ち見の席も用意されているが、同様に、爪先立ちで背伸びをしても、私が小さいせいか舞台は、まったくとっていいほど見えなかった。
 この席は、おそらく死角=死席となるだろう。
 有料で売り出す事はできない場所だ。

  一階下の3Bでも同様だった。

  2Bに下りると少しは緩和されたが、見づらいことに変わりはない。
 平面的に考えれば、その斜角から来る死角の心配は多少緩和されたとしても、立体角度を加えた斜角を考慮しない設計上の問題といえる。
  これは、いわば設計ミスではないだろうか。

  21日の舞台開きには、この客席はいっぱいになるとのことだが、座ってみればすぐわかることだ。

  次に、昇降天井だ。
  残念ながら、中階まで下ろした状態でないので、その天井は見上げる事ができるだけで、その構造を側面から見ることはできなかった。
  この天井に関しては、追加増工で約5000万円をかけて構造を補強したもの。
  いずれリポートできると思います。

  議会運営委員会では、吉江議員の議場での「松本市議会は死んでいる。」という不規則発言に対する対応を検討した。
  私たち共産党としても、本会議でもこの「議会は死んでいる」発言は、看過できない、「懲罰に値する」発言と認識している。
  問責決議案を審議した本会議の場で、私も意見の中で言及した部分だ。

  2月定例議会が閉会した中での対応だけに、具体的にはどうするかは、さらに検討が必要だ。  

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 3月18日(木) 


  新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事        


  昨日に続いて、今日は中学校の卒業式。
  昔で言うところの「答辞」で、生徒会長の昌川さんが行った挨拶をそのまま紹介します。

  「僕たち三年生は、今日をもって9年間の義務教育を終え、いよいよ、それぞれの道を歩みだします。
 僕たちが鎌田中学校でともに過ごした3年間は、決してただ流れていっただけの日々ではありませんでした。
  高遠自然教室や乗鞍登山、修学旅行をはじめ、しらかば祭やそれぞれの部活動での大会など、たくさんの楽しい思い出がありました。
  しかし、楽しい日々だけではありませんでした。
  お世話になった先輩との別れ、文化祭企画段階での友との衝突・・・・ただただつらいこともたくさんありました。
  思い出せば、思い返せないほどたくさんのシーンが鮮明に思い出されます。
  それらすべてがぼくらが時間を共有した証です。
  ともに喜び、悲しみ、時間だけでなく、心まで共有したこの3年間は、まさに「光陰矢のごとし」。あっという間に過ぎていきました。
  中学校の3年間と言えば、いろいろな事が気になり、また悩み、感情的にも不安定にもなりやすい時期でもあります。
  けれど、それは僕たちが着実に成長しているという証でも証でもあるのでしょう。
  僕らがもっと多くのことを感じ、学び、成長する時期です。人生の中でも特に大切な時期のみんなとの思い出は、人生のアルバムの1ページとして一生色あせることはありません。
  そしてともに過ごした友達は、きっと一生の宝物になるでしょう。
  在校生の皆さん。僕たちが、みなさんになにか残していけたものがあったでしょうか? それは僕たちにはわかりません。
  けれど僕たちは卒業します。そして、こんどはみなさんが主役です。
  ぜひ、僕たちにできなかったことや皆さんにしかできないことを、自分たちの力を信じてやり遂げてください。
  諸先生方。時には厳しく、時にはやさしく指導してくださった先生方。親身になって相談に乗ってくださった先生方。先生方に教わったことを、きっとこの先の人生でしっかりとした土台になるはずです。
  本当にありがとうござました。
  最後になりましたが、お父さん、お母さん。今日まで見守ってくださり、ありがとうございました。そしてこれから先も、迷惑をかけると思いますがよろしくお願いします。

  これから先、どんなことが待ち受けているか、誰にも知ることはできません。
  しかし、何かが始まっていることは、間違いありません。つらいこともあると思います。
  けれど、そんなときこそ中学校での友達、この春出会う友達と助け合い、乗り越えて行きたいと思います。
  21世紀。戦争の世紀を終え、世界協調、「人」として生きることが大切になる時代。そんな新時代を背負ってたつ主人公の一人として耀けるように、もっとたくさんのことを学び勇気という翼を持ち、がんばって行きたいと思います。
  本当にありがとうございました。」

  一言一言かみ締めながら語るその口調も、途中から、気持ちがこもっての途切れがちな言葉になっていたが、そのキリッとした姿は、その意志を伝えるに十分だった。
  ちゃんと原稿を書き上げ、実際には、それをポケットから取り出すことなく語り通した。
  自然体の、時の流れには感動した。

  「旅立ちの日に」 という歌からも引用がされていた。

  「旅立ちの日に」の歌詞とメロディーは、ここをクリック  左の索引から、 た:「旅立ちの日に」 を選択してください。

  いまの社会の中で、子供たちをめぐる状況で、誰もに共通する想いだろう。

  今日の卒業生を送る音楽は、スメタナ「我が祖国」第1番「ヴィシェフラド(高い城)」だった。

 卒業式の後の、転退任の式で、次男の担任の先生が転任となる事が発表された。
  子供たちとのお別れの式に、私も同席させてもらった。
 その席で、同じく転任する国語の先生が、「最後の国語の授業」といって次の万葉集の掉尾(ちょうび)を飾る大伴家持の句を紹介し、卒業生への餞の言葉に代えた。

 万葉集 巻20−4516    作者: 大伴家持

  新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事
  あらたしき
としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと

  「いやしけ」とは、「重け」と重なるという意味のようだ。
  私は、国語はまったくの苦手科目だったので、学校での事は覚えていないが、 万葉集の掉尾(ちょうび)を飾る大伴家持の歌である。
  新年を迎え元旦に降る雪を見て,今年はきっと良いことが沢山あるに違いない,また,あって欲しいと願う気持ちは万葉の世も現代も変わることはないのである。

  「新しき」と書いて新しき「あらたしき」と読むらしい。
 「新しい」は「あらたし」が原形だ。

  その先生は、 「教えることは、自信を持たせること。 その点では、私はどれだけのことを教えてこれたか反省です。」 こんな挨拶もあった。

  体育館がかなり冷え込んだと思っていたら、途中から雪に変わっていた。
  関係者の方々の挨拶はいずれも、子供たちの問題で本当に現状を反映した納得できるものだった。

  それで今日は、「国歌斉唱」。

  そして今日は、何度かハンカチのお世話になった日だった。  

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 3月17日(水) 


  Believe: ビリーブ        


  今日は小学校の卒業式。
  次男が昨年卒業してから既に1年が経ったことになる。
  昨年は、自分の選挙を直前に控えての参加だったので、ほとんど余裕がなく、次男のことしか関心がなかったが、今年は少しゆとりを持って参加できた。

  卒業証書授与が始まって、ひとりだけ名前を呼ばれただけで、受け取らなかった子供がいた。
  もしやと私は思った。
  この2月議会に、学校へ通えない子供たちいわゆる不登校児のことを取り上げた。
  昨年、登校できず卒業していく子供たちが、小学校で1人、中学校で6人という事を教育委員会から聞いて紹介したのだが、そのことが頭の中をよぎった。
  そこでも紹介しているのだが、この数字は、1年間の間に1日でも登校すれば、この数字にカウントされない。

  後で校長先生に確認したら、今日のひとりの子供は、実際に高熱でどうしても参加できない子供であることがわかって、少し安心した。

  しかし、今年も市内の小中学校に、そうした子供たちがいることは間違いない。
  その子供たちへ、その子供の成長を保障するという意味で
  「本当にその子どもにあったかたちでの支援。基礎学力、勉強したい、身体を動かしたい、これにこたえられるような支援がやはり未来の子どもたちに、特にいま子どもたちをめぐる環境のなかで、子どもたちが本当に悩んでいる、苦しんでいる、そういうときにこそ、そういう対策」
  の充実を求めた2月議会での質問に対する市長答弁は、事態の深刻さの認識すらない通り一遍のものでしかありませんでした。
   (このときの様子は、後ほど次をクリックして見てください。
       一回目の質問の 最初から32分45秒あたりから再生できます。 一回目の質問 

  私は、2回目の質問で次のように述べました。

  「さきほどの答弁では、新しい充分なものが感じられないので、ぜひこれは新市長の下で実現をしてくれることを私はつよく期待したいと思います。」
 
  このとき、私が菅谷新市長を念頭において発言したことは、説明は要らないと思います。

  さて、卒業式の式次第も終わり、最後に卒業生を送り出すところで、いつものように在校生の合唱が始まった。
  おそらく昨年も同じ曲だったように思うが、今日は時間をとって調べてみた。

  それは、杉本竜一 作詞、作曲 のビリーブという曲だった。

  どこかで、聞いたような音楽だったが、調べてみてやはりと思った。

  杉本竜一:
  作曲家。 1951年東京都生まれ。 東京芸術大学大学院卒業後、ウィーン国立音楽アカデミーに入学。 ウィーンフィルハーモニー交響楽団のウィルヘルム・ヒューブナー楽団長(当時)の自宅に下宿し、世界のトップアーティスト達と親交を温めながら1年間通学。 帰国後、TV、映画、舞台など幅広い分野での作曲活動に入る。 主な作品に NHKスペシャル「北極圏」(年間大型ドキュメンタリー12回シリーズ)、 フジテレビ「ADブギ」、TBS「パパは年中苦労する」、 札幌テレビ・日本テレビ系ドラマ「もう呼ぶな、海!」(脚本:倉本 聰)、 素劇ミュージカル「魔法をかけられた王子たち」(厚生省福祉文化奨励賞受賞)などがある。 1992年に始まったNHKの自然ドキュメンタリー「生きもの地球紀行」では、エンディングテーマの作詞・作曲も担当し、9年間で4曲を制作。 美しいメロディーラインと素朴な歌詞が共感を集め、小中学校では合唱曲として人気を集めている。 ジャズからポップス、クラシックまで見事にこなす完成度の高い創作活動には、 多くのマスメディア関係者が厚い信頼を寄せている。

  やはりテレビ番組で聞いていた曲想だった。

  音楽は、本当にそのときの感動を共有させ、引き立て、やすらぎをあたえてくれる。
  気持ちがこもるいいものだ。

  それに引き換え、「君が代」は実にいただけない。
  今日も、式の冒頭にそれこそ儀式としておこなわれたが、せめて「君が代斉唱」でなく、国歌「君が代」斉唱 といってほしかった。
  私の脳裡を君が代の歌詞が流れたが、いずれこれも話し合いの中で無くなっていく事だろう。
 子供が主役の卒業式には似つかわしくない。

  Believe: ビリーブの歌詞を調べたので、掲載します。

  ビリーブ    杉本竜一 作詞/作曲
 
たとえば君が 傷ついて
  くじけそうに なったときは
  かならずぼくが そばにいて
  支えてあげるよ その肩を
 世界中の 希望乗せて
 この地球は まわってる
 今 未来の 扉を開けるとき
 悲しみや 苦しみが
 いつの日か 喜びに変わるだろう
 アイ ビリーブ イン フューチャー
 信じてる

  もしも誰かが 君のそばで
  泣き出しそうに なったときは
  黙って腕を 取りながら
  一緒に歩いて くれるよね
 世界中の やさしさで
 この地球を つつみたい
 今 素直な 気持ちになれたなら
 あこがれや いとしさが
 大空に はじけて耀るだろう
 アイ ビリーブ イン フューチャー
 信じてる

 今 未来の 扉を開けるとき
 アイ ビリーブ イン フューチャー
 信じてる

 (メロディーをお聞きになりたい方は、こちらをクリック) 

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 3月15日(月) 


  菅谷民主市政を支える柱になります        


  午前中の議員団会議で、菅谷新市政に対する議員団としての基本的はスタンスに対しての議論をした。
  そして、
  「菅谷市政に対しては、与党的立場で臨み、『住民こそ主人公』の松本市政実現に向け、議員団としての責任を果たす。 菅谷民主市政を支える柱になる。」
 
と言うことを確認した。

  そんな議論の最中に、菅谷新市長が、記者会見で自らの胃がんを公表し、入院手術することが発表された。
 しかし、私にとってそのニュースは正直あまり驚きはなかった。
  「一度しかない人生をどう生きるのか。」こうした考え方を、菅谷昭さんは口癖にしていた。
  そうしたことが今度の立候補の決意になって現れた。

  今回の早期がんのことはそれこそ奥さん以外(医療関係者は別として)は記者会見ではじめて知らされたことだが、医者から見れば、手術後のさまざまな事例も承知し、尚且つ科学的の目で判断すれば、病気は治せばよいという極当たり前の過程として考えてことだろう。
  そして、それは納得して生きる上でのひとつの過程でしかない事と。
  並々ならない決意を感じた。
 そして、私人から公人になった時点で、真っ先に明らかにした。それで十分ではないか。

 言うまでもないことだが、医療の専門家の目での記者会見だったろう思います。
  聞いていないのだが、ユーモアやウイットが含まれた会見ではなかったかと思います。
 選挙の前に公表すべきという声があるようだが、早期がんは、治療で治るという科学的な認識があったから、何の不自然も問題にもならないものだ。

  さて、 「人気ですか。政策ですか。」という意見広告が出たことについては、先日の日誌でお伝えした。
  この問題、どうやら有賀市長現職陣営だけがそう思っていただけでなく、マスコミ関係者も、田口敏子候補者も、「本当の政策論争ができず、代えろ代えろムードになった。」と語ったように、ムード選挙と考えていたことがその背景にあったことが判った。

 が果たしてそうだろうか。

 政策論については、この間、共産党や明るい会が、菅谷氏を支援することを決める過程の中で一番重視したことだった。
 政策とは、現状の問題をいかにどうやって解決するかの提案・計画である。
  10年、20年先をも見越して、少子、高齢社会の現状をどうするのか。
  そして、そうした問題の解決のために、現状をどうするのか。そうした点でははっきりその解決策を示していたのは、菅谷昭氏だった。
 そしてそうした福祉や医療、子育て策が街づくりと結び付けている点が他の候補者と違う点だった。
 
  菅谷さんが、いわゆる「現職批判をしない」といったことが最初話題となった。
 私もその発言には当初、注目した。
  選挙戦が進む中で、果たして、「市民のみなさんの声や現状を把握し、現状の松本市政の術前検査をすする中で、私は誤診していたのかもしれない。」と菅谷氏はユーモアやウイットを交えて話し始めた。
  そして、ある集会では、「小泉内閣が年金を引き下げている。こうゆう時だからこそ、松本市政が、地方自治体として対策を行わなければならない。」(主旨)と話をした。
 やはり、この人は科学者だということを感じた瞬間だった。
  現状分析があって初めて、「手術策」が出てくる。これも菅谷氏のスタンスだった。

  選挙事務所に出入りするようになれば、候補者に対する公開質問状やアンケートのこと、法定ビラの作成に関することなどが当然話題になった。
 その際、松本市の現状分析、問題点などの見解を求められた事が何度も合った。
  それに答えて、それが、政策となって発表されるということが起こってきた。
 そして、その政策が、候補者の
すげのや昭さんから、またアナウンサーのスポットとし、そして法定1号、2号のチラシとして市民の皆さんへ浸透しての48758票。有賀市長とは9715票の大差となったと思う。
 候補者としての菅谷昭氏の「演説」に関しても、気がついたことは、間接、直接にお伝えしてきた経過がある。
 (時には失礼なことを申し上げたこともあった。)
 そんな事の中で、今回の選挙結果となったが、今回の選挙にこうした形で参加し、少しでも貢献できたことは、日本共産党や明るい会としてそして個人的にも誇りを持てるものだった。
  改めて皆さんに感謝申し上げます。

  こうした応援団員としての活動を考えるに、当初、出発時の「発表された政策に共感し、勝手に支援したのだから、後はしばらくは菅谷新市長のお手並み拝見」と(この表現は極端にしても)、そうゆうことになれば、それは、菅谷市長に対しても、そして何よりも支持、支援いただいた市民のみなさんに対しても、無責任のそしりは免れないことになるだろう。
  そんな意味もあって、冒頭申し上げた「菅谷民主市政を支える柱になる」という表現となった。
  もちろん「オールOK」という事とは違う。 具体的なかかわり方については、今後の問題となるが、基本的スタンスとして確認した。

  話はずれてしまったが、選挙戦は政策でおこなわれた事に間違いない。
  人柄が重要な選択の基準となったとの報道もあるが、それはその政策を実行できるかの基準でもある。
 
  そして、この基本スタンスは、より根本的には、日本共産党の綱領路線からしても、そして23回党大会決定からしても当然の帰着だ。
  それはいずれお話しする機会があると思います。

  開票が終わり、選挙結果が出た翌日の月曜日。
 今日から からしばらくの間は、中島みゆきの CDが私の車のBGMとなっている。

 今晩は、選挙中代わってもらっていたので、久しぶりの宿直日。
  今この原稿は、事務所で書いています。

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 3月13日(土)その2 


  「この人を市長にしたい!!」        


  「人気ですか、政策ですか。」
 現職陣営が、本日付の市民タイムスに、1面広告を載せた。 人気でなくて、政策で選べば現職といいたいのだろうが、妻は、「どっちで選んでも菅谷さんだよね。このコピーは失敗作だ。」といっていた。
 本当にその通りで思わず笑ってしまった。

 11時から行われた記者会見では、下沢順一郎氏が、概要次のように「あたらしい松本の会」を代表して見解を発表した。
  「すげのや昭候補のコメントにもある様に、選挙の公平さを犯すこうした行為は、断じて許せない行為です。 私たち『あたらしい松本の会』は公正で、民主的な選挙運動を最後まですすめ、勝利にむけて全力を尽くします。」
  こんな民主主義を汚す謀略に負けられない。
  なんとしても勝ち抜く決意をも込められた声明だった。

  私の方からも、昨夜の時点からのあたらしい展開を報告した。
  深夜にわたった警察との交渉が終わった後、警察はパトロールカーを出して、 「今後の捜査の行方のために、必要上入手した。」として、ビラが配布された地域から 、ビラを回収してきたようだ。
  そして今朝になり、音の出せる選挙活動が始められる8時前に、「該当する陣営に対して、事実確認をおこなった。そして今後配らないように通告した。」ことを確認しました。

  今朝のHPでご紹介したように、すげのや昭さんのコメントは、本当に怒り心頭に発する気持ちを抑えてのものだったが、 最後の花時計公園での街頭からの訴えの中でも、冒頭にこの問題に触れていたようだ。
  私は、すげのや昭事務所に詰めており、現場にいけなかったので、参加した人からのレポートを紹介します。

  「この人を市長にしたい!!」
 
 集まった700人の聴衆は心底そう思ったに違いない。エールを送るリレートークの あと、大きな拍手と歓声に迎えら れたすげのやさんがいつになく厳しい口調で語り始 めた。
  「昨日大変残念なことが起こりました。私は誹謗中傷をせず、フェアな選挙を 楽しくやりますと公言しましたが、ある陣営がとてもひどいことをしたのです。(出 所不明の謀略ビラのこと)こういう勢力の人が市長になったら松本市はどうなってし まうでしょう。」
  そして「ちょっと興奮してしまいましたね」と笑わせたあと、また いつもの通りの穏やかな声で政策を語った。
  それは多くの市民とひざを突き合わせ、 市民の立場でものを考えた、どれも共感のできる中身だった。
  ああ、この人が市長に なったら松本市は本当に大きくかわるだろうなぁ。
  建物を作ってばかりで、私たちの 切実な要求に暴言を吐き続けた人はもう辞めてほしいと思った。
  介護保険をもっとよ い制度にしてほしいと懇談した時「こんなところに来る暇があったら施設の草むしり をしたらどうですか?」という現職の言葉に耳を疑い、介護施設が足りずに苦労をし ている介護者のみなさんに「あれもこれも作れたって、女衆が楽をしたいからでしょ う」と言われて悔しい思いをしたことを思い出していた。
  そしてすげのやさんの誠実 さ、賢明さをまた今日も実感。聴衆もすげのやさんの言葉に一つ一つうなずき手をた たいた。
  「若者が夢の持てる松本市をつくろう、みなさんが主役です」。
  私はすげの やさんに思わず「ありがとう」とつぶやいた。
  寒さの中で気持ちが熱くなっていた。

  ところで、この謀略ビラに関して「一歩の会」が記者会見をおこなったようだ。
  私も記者会見をおこなう前に「一歩の会」陣営に確認してあった。
  田口敏子選挙事務所川上守俊統括部長は、「誰も一切承知していないもの。陣営の配布物で、私の前を取っていないものは何一つない。そのビラはもちろん私たち陣営のものではありません。」と言明しました。

  このビラの中には、「マインドコントロール」という表現があるが、この文言は、「一歩の会」の幹部の方が、テレビ取材際に、すげのや昭さんに対して、「田中知事にマインドコントロールされている人」として使った言葉でもある。
  「出所は共産党だ。」また、「他の陣営だ。」と連想させようとするこの手法。
  まったく卑劣極まりないものです。

 選挙は投票箱の閉まる明日、夜8時までもつれ込む結果と言えるのではないか。
  肩を並べるところまで追い上げたが、現職も必死のスパートをかけている。まだ追いついていないのが現状だ。
 その上、 現職陣営は、明日1日電話作戦を展開するという話が伝わってきた。
 
  謀略ビラが再度まかれたかどうかの確認のパトロールを終えた後、急きょ、夜11時過ぎから、すげのや昭事務所で意志統一を再度おこなった。
  最後は誰もが苦しい。
  マラソンもまさにそうだ。
  気を抜いたところが負ける。

 実感としても、今日の最後の思いだ。

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 3月13日(土) 


  「何よりも市民に対して失礼な、許せない行為だ。」        


  謀略ビラに関して記者会見の必要があったので、朝、事務所に駆けつけた時点で、すげのや昭候補がちょうど出発前だったので、
  昨夜の事態の説明とともに、記者会見用のすげのや昭さんの談話を発表するための取材をした。
  すげのや昭さんに語ってもらい、メモをした。

  記者会見の場で、発表したすげのや昭さんの談話は以下の通りです。

  「きわめて残念なことであります。
  選挙はフェアーでやりたい、誹謗中傷はやらないことを私は最初から言ってきた。
  私に対しても、共産党に対しても失礼なこと。
 
忌忌しき問題だ。そして何よりも市民に対して失礼なこと。
  こうゆう勢力の人が市政を運営するとすれば、その識見、能力、指導性にかける、非人間的なこと。
  市政運営の資格が問われる問題だ。
  口や政策ではいくらうまいことを言っても、やっていることがこんなことでは、信じなくなる。
  市民はだまされることになる。
  許せないことだ。
  かえすがえす残念なことだ。」

  まさにその通りだ。

  (記者会見の様子は、数時間後に発信する予定です。)

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 3月12日(金) 


  やはりまかれた 卑劣でちんけな謀略ビラ        


  夜7時半からのすげのや昭応援団会議の最中に、支持してくださっている蟻ヶ崎台の方から7時40分ごろ電話が入り、「今、謀略ビラが入った。」と通報があった。
 蟻ヶ崎といえば、すげのや昭さんの地元だ。  

  その内容は、

  共産党の「すげのや昭」を市長にしましょう
  奥さん共産党の「すげのや昭」にマインドコントロールされましょう。

 というもの。

 その後、調査したところ、蟻ヶ崎2丁目、3丁目、6丁目、に配られていたことが確認された。
  そのビラは、コピー機で印刷したものでなく、印刷インクのにおいがするもので、明らかに大量にしかも組織的に配られたものである。
  早速、そのビラを選挙管理員委員会へ事務所の届けた。
  松本市選挙管理委員会事務局長は「違法の疑いがある文書である。取り締まるのは警察である。」という判断を表明、その場から警察に事実を伝える事を要請した。
  事務局長は早速電話をして対応してくれた。

 私たちが選挙管理委員会に行くのと同時に、別のグループは何隊かに分かれて、現場に急行していた。
  そのグループのひとつから、ビラ配布中の人物を発見、身柄を確保したという連絡が携帯電話に入った。
  現場にさっそく急行、警察にもその場から連絡し、しばらくして警察が任意同行で松本警察署に連行して、取調べが行われた。
 
  事情聴取の中で、容疑者が次のことを認めていることが、応対した、長野県警察本部刑事部捜査第二課 中南信特捜班 課長補佐 鈴木良忠警部から明らかにされた。

  「公職選挙法で認められているもの以外の法定外の文書である。」
  「配ったことを本人は、認めた。」
  「誰に頼まれ手配ったかも確認した。」
  「それは、現在選挙をやっている3派のひとつである。」
  ことまでは確認できたが、
  容疑者の氏名、住所、頼んだ陣営の名前までは、プライバシーの侵害になる恐れがあるということで、それはいえない。

 ということだった。
  私たちは、告発することも含めての対応上、住所、氏名を明確にすることを強く求めた。
  個人のプライバシーはともかく、どの陣営であるかは個人のプライバシーに関係のないことで明らかにすることを強く求めたが、最後まで明らかにしなかった。
  明らかにできない強い理由があることが窺われた。

 そうしたやり取りをしている最中でも、新たに城西、開智方面も配られているという報告があった。

  応対した、長野県警察本部刑事部捜査第二課 中南信特捜班 課長補佐 鈴木良忠警部は、氏名、住所、陣営名を明らかにする事については、 「上のほうと相談するが、今は調査中、捜査中であるので、今の段階では、ここまでしかいえない。」ということだった。
  そんなやり取りをして、長野から駆けつけた藤沢のり子県議と警察署を出たのは、日付けが変わって、0時20分をまわっていた。

  今度のビラは、使い古された反共攻撃そのもの。
  そして、あまりにちんけで稚拙なビラだ。

  その狙いは、 すげのや昭さんのみならず、すげのや昭陣営全体をまで、共産党として描くことのよって、共産党=悪のイメージで、すげのや昭さんの支持を減らすことを目的としたもの。
  すげのや昭さんはもちろんのこと、すげのや昭さんを応援する人たちは、それこそ、いろいろな考え方やその立場を超えていっしょに頑張っている集まりです。
  それは、この事務所に出入りしてくださっている皆さんのみならず、市民が主役と理念を明らかにしていることを知っている市民のみなさん誰もが知っていることです。

  そういう意味では、このビラは、市民に対しての挑戦ビラでもあります。

  そして、出所不明で出すこうした行為は、文字通り民主主義を汚すやり方で断じて認められないものだ。
 
 
私も、応援団会議の場で、発言の機会をもらい、日本共産党としての立場と、こうしたやり方に対する一番の回答は、この市長選挙で勝利することであること。
  そして共産党としても全力を尽くすことを改めて表明した。
  事務所は、改めてなんとしても勝つ方向で全体がひとつに固まったという感じだった。

  反共攻撃は、やったほうが負けという状況を作り出すこと。
  そのくらい思い知らせてやらなければいけない。

  「すげのやが市長になれば、市役所に赤旗が立つ」というそれこそ古典的は反共攻撃も電話がけの中でも明らかになった。

  なんとしても負けられない選挙だ。

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 3月11日(木) 


  市長選挙最終版、「カトリン・ドーレ」のように勝ち抜きたい        


  いよいよ市長選挙も最終版。
  夜7時から、県松本文化会館中ホールで、すげのや昭さんと「憩いと語りあいの集い」がおこなわれた。

   投票日を3日後に控えるこの時期のこうした「集い」は、私の選挙の経験でも始めてのものだったが、中ホールいっぱいの参加者は、改めてすげのや昭さんの「す(挿)げーのや」の人柄、実績、そしてこの人にこそ市長をやって欲しいという確信を確認するにふさわしい集会だった。

 とりわけ、以下のくだりが印象的だった。
  「福祉や子育て医療のことが、今度の選挙の争点になってきている。他の2人の候補者もそのことを強調し始めている。それならば、その分野のプロである私にこそ任せていただきたい。」
 気負いなく語る自然さは、まさにこの人の自信とも言えるものだろう。

  確かに、選挙戦の展開の中で、医療福祉のことで論戦がおこなわれるなかで、この分野での政策の具体性は、我が陣営だから言うわけではないが、すげのやさん昭さん政策こそが、10年、20年先をも見すえた、現在の問題の解決策としての政策という本来の意味から見ても、一番共感できるものだ。
  なんとしても、この市長選挙を勝ち抜かなければならない事を私自身も改めて決意した。

  集会は、参加者全員をそうした思いにさせた後、選挙を支えるスタッフを代表して、以下のような、言わば私たちで言うところの「情勢報告と行動提起」がおこなわれた。

  「猛烈に追い上げている。 いよいよ肩を並べるところまできましたが、ここで気を緩めたほうが負けです。
 
さらにさらに、有権者に声をかけ、支持を広げてもらうように、すべての名簿を引っ張り出して結びつきを生かして、電話も使って働きかけましょう。
  現職相手陣営は、非常事態宣言を発し、集会の席で、土下座や泣き落とし戦術に出ています。
 いまさらという感じです。
  しかしそうはいっても、現職には組織力があります。
  締め付けもこれからさらに強まります。
  その相手に負けないように、最後の最後まで頑張ったところが勝利をつかむことが出来ます。
  約束していただいた人に確実に投票に行っていただくことの重要性は、そこにあります。
  そして、現在も、そして投票日当日まで迷っている人に、確実にすげのやと書いてもらうことが重要です。
  あるタクシーの運転手の方の話を紹介します。
  『AとSは、5分5分だが、Aの支持は硬い。そしてAんを支持すると表明する人は確実に投票に行くという感じだ。 それに対し、Sを支持するという人に関しては、なんとなくの期待という感じだ。確実に投票に行くかというと必ずしもそうゆう訳ではない。』
  この話が、今の情勢と現状をリアルに物語っていると思います。
 やはり、現職は、硬い。そして強いということです。
  今日から配布が始まった、法定2号チラシに関してです。
  『すげのや』の名前は確実に浸透していますが、ここへ来て、『菅谷さんは判ったが、菅谷さんは何をしてくれる人なのか?』の声がでています。
  それに答えるチラシが、この2号ビラです。
  菅谷さんが、この間選挙戦の中で、街頭で、集会でお話し、話が具体的でいいと共感を得ている中身がこのビラです。
  市民の皆さんの迷いに答えるこのビラが、どれだけ確実に配られるかにかかっています。
 再度まで、気を緩めずに、勝利に向かって力を尽くそう。」

  と、 全市的な声かけ運動の必要性、法定2号チラシの全戸配布、約束していただいた方に確実に投票に行ったいただくと共に、さらに広げていただくお願いをすることの重要性を強調し、まさに納得できるものだった。

  すげのや昭さんは、「たたかい」という言葉を使わない。
  しかし、この瞬間にも、現職陣営は何をしているかわからない。
  やはり選挙は戦いだ。
  どんな事態にも備えて、投票日を含めて、後4日間のたたかいだ。

  マラソンの選手で、忘れられないひとりが「カトリン・ドーレ」だ。
  ひたひたと後ろから確実に追い上げ、そして勝ち抜くという力強い選手だった。
  猛追しているまさにマラソンの最終版。力を抜いたほうが負ける情勢。

  この間応援団の一員として、すげのや事務所で詰める毎日。
  このHPも発信する時間もなかった。
  法定2号ビラもできて、後はこの「情勢と行動提起」の方針をいかに速く徹底し、自らも実践するかにかかっている。

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 3月4日(木) 


  理念・政策の違いは歴然        


  福祉医療給付制度の改善をすすめる松本の会(会長 滝沢英樹)が、今度の市長選挙に立候補を予定している3人の人に公開質問状をお願いし、寄せられた回答が、記者会見の席で発表された。
  この回答を見ると、福祉医療=社会保障に対する姿勢と政策の違いがはっきりしたというのが私の率直な感想だ。

  設問1)福祉(社会保障)に対する基本的な見解で言えば、

  有賀正氏:「政治の原点。私のライフワーク。市政の最重要課題。福祉の基本は、市民一人ひとりが安心して暮らし、生きる事ができること」

  すげのや昭氏:「国民ひとりひとりが等しく生きる権利や環境等を行政が整備・保障することは、極、当然のこと。『住民の福祉の増進を図る』(地方自治法第1条の2)市政、福祉・医療を優先する市政、まちづくりにつとめます。」

  田口敏子氏:「利用者ニーズが多様化・高度化する今、個々の生活スタイルに合わせて、自らの判断と責任でサービスを選択・利用する、利用者本位の新しい福祉が求められています。」

  と、有賀、すげのや両氏に比べて、田口氏の回答は、その回答に少しニュアンス違いを感じる。

  設問2〜4)障害者医療、乳幼児医療の窓口無料の問題、入院時の給食費の負担など、具体的な問題に対する回答では、

  有賀氏は、後退した現行制度を肯定的に捕らえており、 田口氏は、「検討していくために、利用者の観点、それに関わる方々からのご意見、住民の声をお聞きしながら、制度上、見えにくい問題・課題を検証するところから取り組み、」と回答するのみなのに比べ、
  すげのや昭氏は、「自動給付方式は、再検討の必要があり」「小児医療費の窓口無料化を実現」「(給食費を)福祉医療給付の対象とする方向で再検討の必要あり」と具体的です。

  最後の設問:祉医療制度のあり方について、は

 有賀氏:「国において制度化し、財政措置を講ずることが望ましいと考えております。」

  すげのや昭氏:「市独自の対応策を当然、検討・実施する必要があると考えます。」

  田口敏子氏:「制度上、見えにくい問題・課題を検証し、地方自治体として福祉医療制度をより効果的な方向に導いていくことを考えております。」

 とその違いが明らかになりました。

  福祉医療という限られた分野の設問に対する回答・政策ですが、市政全体に対する姿勢の違いまで見えるような回答です。

  設問と各氏の回答の全体はここをクリック

いよいよ市長選挙が始まる。
告示は、7日(日) 投票日は一週間後の14日の日曜日です。

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 3月3(水) 


  問責決議案の提案そのものに反対し、議場を退席        


  議第3号 吉江健太朗議員に対する問責決議案に対して、日本共産党を代表して私が発言した意見は以下の通りです。

  「日本共産党を代表して、議第3号の中身でなく、提案そのもの反対する立場から意見を申し上げます。
  議会は論戦の府であります。
  当然規律ある論戦がもとめられます。 この間の松本市議会で培われてきた議会運営のルールからして、今回の吉江議員の質疑は、質疑の域を逸脱している部分があることは明白であり、全体をそのまま質疑として認めるには、無理があるものです。
  だからこそ、私たち日本共産党は、議会運営委員会での場において、吉江議員に発言の取り消しを求めることでの解決を提案しました。
  これは、決して『言論封殺のような圧力』ではなく、議会人として、お互いに議会のルールを守ることを求めたもので、議長の議場におけるいわば注意を喚起する発言は、議長の役割としては当然のことであり、現在もその発言は生きているものと考えます。
  現在においても自らの態度にまったく非がないかのような発言や態度は、議会人として許されない行為であることを指摘しておきます。
  今からでも、議会ルールに基づき、議員自らの責任において、発言のルールに反した部分の発言の取り消しなど、冷静な判断を強く求めるものです。
  次に、議会は良識の府と言われます。
  これは、国政に置ける参議院にのみ、当てはまることでは有りません。
  今回の事態は、先ほど申し上げた事に端を発していますが、今日現在までの事態の推移をもってしても、松本市議会史上初の問責決議に値するものかどうかの判断は、今一度、冷静に考えることが必要です。
 議会運営委員会が、その運営の原則としてきた「全員一致につとめる」に反して、多数決でこうした結論を出すまでの経過とその営みにとどまらず、この議題3号の議案の文案に含まれる、たとえば非礼、無礼と規定する部分や、松本市議会の品位と良識を著しく汚すという表現にしても、果たして該当するもの慎重で冷静な対応が求められます。
 ここで、問責決議を上げるとすれば、今度の事態のことの本質を見抜けない見識こそ問われるものです。
 議会における稚拙とも取れる行動に関しては、それにふさわしい対応求められることであって、冷静な判断を忘れた決定こそ、議会の品位と良識が疑われることを申し上げて意見といたします。
 尚、本議会における新たな展開に対しては、いずれ検討を加えて対応します。

 前半の部分では、議場の他の議員からも賛同の掛け声もかかったが、後半部分では、議場は静かだったように思う。
 
  私は今回の意見を言論の府と良識の府の2つの言葉をキーワードに組み立ててみた。

  どんな場合でも、スポーツなどはとりわけルールの範囲内で競い合うものだ。
  ルール無視はフェアーではない。
 サッカー全日本代表のディフェンダーの坪井といえば、イエローカードの少ないことで有名だが、相手選手のユニフォームをつかんだ事がないという。
 抜かれないという自信、反則行為をしなくても守れる自信がそうさしているという記事を読んだ事がある。

  言論の府であるならばそのことをもっとも重視しなければならない。
  そうした意味で、吉江議員の行動は、議会人としての資格が問われて当然だ。

  その吉江議員が、私が発言の後半部分で一番言いたかった事を、いみじくもこの議案審議の過程でおこなったのだ。

  地方自治法117条の規定により、吉江議員を除斥する過程のなかでの、吉江議員の取った態度とその発言は、許せるものではありません。
 議場を退席する際に、 「欠席裁判は許せない。」「松本市議会は、死んでいる。」という発言を議長とカメラに向かっておこなったが、この発言は看過できるものではない。
 地方自治法で規定されているように、吉江議員のあらかじめの申し出によって、発言を許可するのか否かの採決がおこなわれる矢先の「事件」だった。

 注)地方自治法 第117条 
    普通地方公共団体の議会の議長及び議員は、自己若しくは父母、祖父母、配偶者、子、孫若しくは兄弟姉  妹の一身上に関する事件又は自己若しくはこれらの者の従事する業務に直接の利害関係のある事件については  、その議事に参与することができない。但し、議会の同意があつたときは、会議に出席し、発言することができる。

 しかし冷静に考えてみれば、こうした事態も予測されたものです。
  吉江議員の目論みは、こうした発言を予め準備し、発言することにあったと考えるのが自然だ。
  私は、今日のこのことまで予想したわけではありませんが、準備した意見の中で、
  「ここで(議会が)、問責決議を上げるとすれば、今度の事態のことの本質を見抜けない見識こそ問われるものです。」
  と触れた部分は、この点に関してだった。
  「稚拙」という言葉を使ったのもそのためだった。

 吉江議員は、あらかじめ、除斥の扱いで議場におらず、傍聴席で本会議を傍聴していた。

  私たち日本共産党の5人は、採決時には退席した。

  議第3号 吉江健太朗議員に対する問責決議案の議会の様子は、ここをクリック

         一番下のほうにあります

  (時間がないので、今日の事態の分析など、続きは明日に・・)

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 3月1日(月) 


  問責決議案について        


  吉江健太朗議員が24日おこなった議案質疑に対して、

  ・ 議案質疑を逸脱(許可された発言(通告)外の発言)
  ・ 市長に対する無礼な言葉
  ・ 議会の規律違反=品位の欠如 (議長の制止無視・議長への失礼な態度)  
        
 (以上3点は、議会運営委員会に配布された文書より)

 の3つの問題点があるということで、その対応を検討してきた議会運営委員会。

  倉橋議員と私は、議会運営委員会の決定として吉江議員の問責決議案を本会議に提出することには反対した。
 
問責決議が必要と考える有志議員による議員提案で提出する事を求めたが、この提案は、2人(倉橋、池田)以外の反対で、否決された。
  全員一致できないことを、決議案として出す事は、たとえこの決定があったにしても、私たち2人は、共同提案者には加わわらない事を明らかにした。
  いわば、この決定には「従わない」事を明らかにしたのだ。
  これが、「議会制民主主義の原則に違反する」というのであれば、私たちも「問責」に該当することになる。
  だからこそ、議会運営委員会の運営の原則は、「全員一致に努める」ということになっている事の重要性を改めて認識できた。
  「全員一致に努める」を原則とするというのは、それくらい議論を尽くして、合意を確認できるところまで議論が必要だ。
  こうした決定に関して、「多数決」というやり方は、民主主義の原則から外れる結果を生むことを改めて実感した。

  なぜそのことを主張するかというと、今回の問責決議案に関しては、既述の3点に関し、具体的にはどこを指すのか。何が問責に値する問題なのかの吟味がおこなわれないまま、「多数決」になったからだ。

  私たち議員団は、吉江議員の発言について、何度も検討を加えた。
  既に、インターネットで配信されているので、その発言を再現できる。
  また、議会運営委員会にも、議会事務局職員が、テープおこしした文書も配布されていた。
  私たち議員団での今回の吉江議員の発言に関する検討の結果を明らかにするのは、今日の段階では控えるが、少なくとも議会運営委員会では、「一言一句」と言わないまでも、どの部分が及びどの行為が問責に該当するのか。詳細な検討はされていない。 ただ、「質疑の域を逸脱している」「頭を下げなかった。」「無礼な言葉があった。」という事で、議論が進められてきた。

  再三再四、具体的に詳細に吉江議員の発言の吟味を求めたが、このことは取り入れられず、吉江議員からの「具体的な箇所について、口頭でなく、文書で頂きたい。」という求めに対しても、議会運営委員会の「総意」で応えることなく、結論を出したものだ。

  質疑に関する松本市の議会運営の歴史については、その発言をめぐって本会議では何度も「攻防」があった経過がある。
  以前、お伝えしたように、「質疑の中で意見を述べることができるかできないか」の議論は、そのひとつだが、これについては一定の決着、到達点があるが、今回のように質疑の中身をめぐっての議論がここまで到達して、問責決議案提出にまで至ったのは、初めてだ。
  (問責決議そのものももし通過すれば初めてのこと。)

  議会は、ルール抜きで運営できるものではない。
  そのルールは、民主主義の歴史の到達点から、いまの制度ではその議会の議員同士の話し合いのなかで築き上げるものだが、その基本は、いかに議員の発言を保障するか。
  発言権の制限でなく拡大を図るかがその基本になければならないと思う。
  議員と市長との関係で、議会は市長や議員提案、直接請求などの議案に関してそれについてどれだけ議論を保障するかが議会としての自らの使命であって、それに自ら手を縛る、発言を封じるような事があってはならない。

  今回の吉江議員の質疑をめぐる今度の問題は、今まであまり本会議での質疑がおこなわれてこなかった松本市の議会の歴史上、この問題を正面から議論した経験がない中で、とにかく「問題」だということで、問責だけを問題にするのは、「結論先にありき」の感は免れないだろう。
  まずその点だけでも、同意できない中身だ。
  そして、質疑のあり方、ルールについて認識を発展させる議論を避けた事は、重大な問題だ。 今度の問責決議案に対する態度をどうするかは、一両日中に議員団で、結論を出して、3日の閉会日に臨むことになる。

(今日は、時間が会議の時間が迫ってきたので、ここで止めますが・・  )

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