10月31日(金) 今回、私たちはこの態度表明を決定するまで、実に時間をかけて議論したのが実際だった。 松本市は、すでに来年度予算編成作業に入っている。 さて、本会議終了後、まもなく議員協議会が開かれた。 以下私を除く13人議員の発言は、概要以下の通り 「一部の市民に意見を聞くアンケートは、愚かなこと。民主主義ではない。住民投票をやるべきだ。」 あくまでメモですので、正確さにかける部分は間違いがあれば、後で責任を持って正したいと思いますが、全体をごらんになっていただいてお分かりの通り、アンケート実施には賛成という意見が多いことがわかります。
尚、議員の発言の中で、総務委員の一人が発言をしたり、又議長が4時半には終了させたい旨発言があったので、私は次のように意見を述べました。 「終了を4時半ということなので、私は最初に、この議員協議会の必要性については、必要ないという態度表明をしたことは前提です。でも、多数決で開催が決ったことなので、この会議の目的に即して、今日の会議はその目的を達成させるべきだという立場から発言します。
(「池田議員、池田議員、昨日議会運営員会でさんざやったことだから、今日は アンケートについての意見を伺いたいとはじめ申し上げたので、入り口論をいまさら言わないでください。」 と議長が発言) 入り口論ではなくて、議長は先ほども別の議員に対してそうだったが、私の発言を最後まで聞きなさいと言いたい。 私の発言後、程なく議員協議会は、議長からの総務委員長への確認もなく終わった。 考えてみればわかる通り、「自分はここがわからないが、どう思いますか。」などと、総務委員が発言できないことは、実際にこの議員協議会を開くまでもなくわかってしかるべきだった。
尚、継続となっている総務委員会は、11月4日に開かれることが、確認された。 果たして、どうなるのか。注目される。
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10月30日(木) 今回の総務委員会からの申し入れは、 「平成20年10月20日に開催された総務委員協議会における協議事項「波田町との合併問題に対する取組みについて」は、市政の重要な案件であり、全議員から意見を伺った上で、当委員会において結論を出す必要があると認められるため、議員協議会を開催していただきますよう申し入れます。」
常任委員会に協議された場合には、常任委員会はそうした意味では、重大な役割と責任を持っている。 今回の議会運営員会の議論の本質は、整理すれば以上の点にあるという立場から、発言し、起立採決では2人だけで座り、明確に開催の反対を主張した。 結果として明日、31日の臨時議会終了後に、議員協議会が開かれることになる。 私も、そうした場面ができたら積極的に、議論に参加したいと考えている。 明日の、議員協議会が実に注目される。
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10月29日(水) おやと思ったのは、私だけではなかったはずだ。 昨日の視察に参加したわが会派の2人の議員から、病院での概要説明の資料を見せてもらったところ、 「損益決算書(病院会計準則)」と書かれたページの「当期純利益」欄には、確かに「50,499,823」という数字が記されていた。
特別委員会の視察時の資料「損益決算書(病院会計準則)」 どうやら、昨日の特別委員会の視察時の資料は、企業会計上の正式な「損益計算書」ではないようだ。 いずれにしても、もう少し調査が必要。 ただ言えることは、民間の病院と違って、一般会計からの繰り入れで初めて黒字になっていることに変わりはない。 松本市政策課の調査には、「損益計算書」で説明し、松本市議会特別委員会には、「損益決算書(病院会計準則)」で説明をしたということになると、なぜ説明の対象者によって使う資料を変えたのか、波田町からの正式な責任ある説明が必要となる。
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10月27日(月) さて、検討する項目がいくつも重なるなかで、日誌の更新もしばらくできないで来たが、あらためて今回の事態を整理したい。 そもそも、総務委員会が継続扱いの「聞き置く」集約をして開催されることになったのだが、考えてみれば、この間も紹介したように、アンケート等の意向確認の実施の取り組みについては、2回の委員協議会で、認めて来ながら、理事者側からその具体化の提案に対して、あたかも「アンケートはだめだ。」「時期が早すぎる。」「そんな話はもともとなかったはずだ」といわば、イチャモンをつけて、ブレーキをかけたことに端を発している。
議員協議会が開催されれば、私にも発言の機会ができるので、「開催も有りか」と考えたが、やはりこれまでのルールは守るべきだ。
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10月21日(火) 提案されたアンケートの方法に関しての直接的な議論は、最初の25分ほどで終了、後は、「そもそもアンケートなんて話はなかった。」とか、笑われてしまうような「意見」までアンケート実施にブレーキをかける理由に使われたり、もっぱら特別委員会からの「要請書」に関することと、特別委員会の総務委員会との関係、そのあり方のほうに議論が集中した。 以下その内容を概括すると、 「特別委員会で、もう少し市民説明を十分にする必要があるといわれているときに、アンケートをやるときではない。」 それに対し、委員長は次のように発言した。 その後、まとめのために約50分、委員会を休憩にし、マスコミ関係者に退席を求め、「非公開」で会議を継続、出された結論が、昨日お伝えしたものだった。 尚、参考までに、「アンケートなどの話は聞いていない」とする笑われてしまうような「発言」もご紹介します。 「アンケートで市民意向を確認することは、当初はなかったね。10箇所で説明をして、以降調査で把握して、12月の議会に市長が判断して相談すると アンケートを想定していなかった。アンケートを想定しての2月ということだが、やると決めたのはいつからか。その段階で、議会に相談できなかったのか。」 事実誤認もはなはだしい内容です。総務委員として、この間なにを議論してきたのでしょうか。 尚、意向確認の方向について、アンケート等に関しても議論した5月20日の総務委員協議会のまとめは次の内容です。 平成20年5月 総務委員協議会-05月20日 そのときの協議会資料は、ここをクリック。
尚、「報告を受けた」は、「大方了承できるが、指摘を伴うもの。」で、結論を持ち越す「聞き置いた」とは違って、賛成多数で、「OK」という集約です。
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10月20日(月) それにしても、直接、市民意向確認の方法としてのアンケートの中身に関する議論より、広域都市ビジョン特別委員会から出された「波田町から本市への合併協議申し入れ問題に対する松本市民への追加資料提供について」の要請文の取り扱いが議論の対象となり、次のようにまとめられた。 特別委員会からの要請文は、ここをクリック 委員長集約: はっきりいって、不可解な議論だ。 議会運営上、協議会の(2つあるが、1つは、議員が全員集まっての協議会が議員協議会、もう1つ、委員会の議員で行う協議会は、委員協議会、今回のような総務委員協議会をさす。)の持ち方に関しては、次のような取り決めがされている。 協議会のあり方 今回の集約は、総務委員会の「議を経る」なかで、事実上の継続審議にして、議員協議会を開いて後、結論を出すというやり方は、この協議会のあり方のルールのどこにも当てはまらない、いわばルール違反のやり方となる。
又、特別委員会から出された「要請文」の意味、「たったこの3行だけではわからない」は、議会内部の問題でありあまりにも議員として情けないではないか。
議会は、松本市の意思として、合併問題の一連の取り組みに基本的に「OK」を出してきた。 今回、この総務委員会の運営と集約を聞いて、直感的に「おかしい」と感じたが、以下理論的に順にその「おかしさ」を裏づけたいと思う。 以下は次回) 追伸)四賀トンネルのときの、あのいわば「わがまま」議論を思い出してしまった。
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10月19日(日) ところで、今回の「金融工学」という、あまり聞きなれない言葉。 第二章 住宅バブルに先だつネットバブル 「金融工学」といわれる所以やその「歴史」について実に目から鱗が落ちる中身だ。 「カジノとは、ルーレット、カードなどを備えた賭博場のことです。英国人経済学者のスーザン・ストレンジ氏は著書『カジノ資本主義』(一九八六年)のなかで、「金融システムは急速に巨大なカジノ以外の何物でもなくなりつつある」(岩波現代文庫)と指摘。世界的な金融カジノの元締めは大銀行などで、農民、輸出業者、小売商、工場労働者などすべての者が、心ならずもその日のゲームに巻き込まれていると述べています。」 これはしんぶん赤旗の本日付記事の一面だ。 「汗水たらして働いて、モノを作り、それなりの給料をもらって生活できるだけの社会作りがされてきたのに、アメリカ言いなりになって、特に小泉政権の元での「規制緩和」のせいでおかしくなってきた。共産党の出番ですよ。」 今度の選挙、文字通り社会変革の太いところにも必然的に触れる中身となっている。
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10月16日(木) 委員長は、次のように報告した。(要約) 波田町の視察に関し、池田議員のHPに載っていたことについての調査結果を報告します。 これに対して、委員からの発言はまったくなく、委員長は「報告を受けた。」ということでまとめた。 わずか、2〜3分の審議だった。 前回の委員会の様子(9月25日日誌)は、ここをクリック 実に呆気ない、拍子抜けの「議論」。 これにて、HPに関することは一件落着。
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10月14日(火) 最初は、一人だったが、そのうちに店長らしき青年ともう一人の若者が合流した。 この間も、多くのみなさんとの対話の中に、変化が生まれてきている。 昨日行われた志位委員長の記念講演の最後の部分を改めてお伝えします。
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10月13日(月)
私は、今度の選挙、国民が主人公の民主的政権への大きな一歩を踏み出す選挙にしたいと決意している。 ドームが割れんばかりの力が入った迫力ある演説、参加者もそれに負けない拍手で応えた。 参加していただいた皆さん、まつり成功にご協力いただいた皆さんに心から感謝申し上げます。 詳細は後で
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10月9日(木) 不破)そうゆうなかで、湯川さんの中間子論や、クォーク理論のきっかけになった、坂田昌一さんの「複合モデル」の提唱など、日本の物理学の貢献は大きいと思うのですが、その背景に、世界観というか、自然に対する見方の問題があったと思いますが……。
又、次のことも紹介されていた。 益川教授は八四年の「赤旗」のインタビューに「現象や法則の背後には必ずそれらの担い手の物質が存在するという唯物弁証法の見方が研究の指針となり、早い時期に理論化できた」と語っている。 ノーベル物理学賞受賞に関する赤旗の記事は、ここをくりっく
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10月7日(火) 余談だが、今回の議会が、波田町からの請願の行方にマスコミを含めて焦点が当てられたが、「そそのかし行為」まで行なって、議会での議論を「仕掛け」ながら、そのわりには、本会議で正面から波田町との合併問題を取り上げたのは、無所属の1人の議員を除いて、一人もいなかったのも不可思議なことの1つとなった。
さて、私たちのみが取り上げた後期高齢者医療制度。 以下次回)
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10月6日(月) 何で、「遠い太鼓」なのか。 「遠い所から、戦争体験者の生々しい声が聞こえてきます。ドドーン、ドーンと、時を超えて、今小さく、だが確かな音として体に響いてきます。そんな意味をこめて、この冊子に『遠い太鼓』と名付けました。この響きを大事に守り続けたい思いです。」 そして、このまえがきには冒頭次のように書かれていた。 「二十世紀が、あと数年で終わろうとしています。 昭和二十年(一九四五)八月十五日、大東亜戦争(太平洋戦争)は無条件降伏の敗戦という形で、満州事変、支那事変(日中事変)と続いた十五年戦争に終止符が打たれました。
そして、他国への侵略と征服によって、わが国の繁栄を計ろうと考えた軍国主義思想は、その幕を閉じました。 今日の日本の平和は、多くの人々の尊い生命(いのち)の犠牲の上に生まれたものであります。
戦争を二度と繰り返してはなりません。」 まえがきの全文は、ここをクリック またこの「遠い太鼓」紹介したサイトは、ここをクリック 両角議員の「平和教育推進のため、市内に居住する被爆体験者の体験談収録や子どもたちとの対話の機会を企画しては、」の質問は、核兵器廃絶を明確に位置づけた松本市の平和都市に基づいて、8月15日に平和祈念式典が行なわれてきたが、残念ながら被爆者がその席に呼ばれたことがなかったことも紹介しながら、子どもたちと被爆体験者との交流を求めてのものでもあった。
「教育委員会の平和教育推進は、公民館活動を中心とした「人権尊重のための学習活動の推進」の一環として取り組んできている。」
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10月3日(金) 「経営実践塾」、経営者のための経営実践講座ということで、また内容の詳細を知ってのことでもなく、また「請負」でも「派遣」でもないといえばそれまでだが、少なくともこの「『上手に』使う。」のコピーは、いただけない。
キヤノンが、運動と世論に押されて派遣解消を表明、直接雇用と請負への転換をすすめてきていたことは、しんぶん赤旗でも報道されていたことだが、期間工としての雇用と、その「雇い止め」が新たな問題となっている。
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10月1日(水) 市議会議員として六期二十二年目の池田国昭さん(共産党・しがの風)は、速記者がいた当時の議会を振り返り、「速記で使われた不思議な文字というか記号を覚えている」と懐かしがる。 それまで、速記者が議場で速記をしていたのを、会議規則を改正してその速記席に誰も入らなくなったのは、平成4年6月議会の6月15日からだった。
今でも忘れないが、速記録の紙は、薄いトレーシングペーパーで、そこには実に芸術的(?)な線が、鉛筆でいきいきと記されていた。
議会事務局に問い合わせると、保存はされていないということだったが、それでもと思い、議会の書庫で当事の会議録を探してみたら、案の定、昭和53年ごろの委員会の会議録の綴りの中に、発見することができた。 それは、ここをクリック。 この速記文字は、当時正式に資格を持っていた職員の方が残した「参議院式」の速記だが、今では実に珍しいものとなってしまった。
本当に芸術作品と言ってもおかしくはない。
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