4月30日(水)  

 トップ当選の四賀村 両角議員 

 夜、ある会議で、四賀村の日本共産党の両角友成議員と話をする機会があった。
選挙結果は、前回比73票を増やし402票、前回2位から今回はトップ当選。有効投票数の4203の約9.5%の得票率。くらしを守る政策を展開した中で、合併問題に関しては、「合併は住民合意が基本。住民が参加してこそ、本当の自治」という訴えをしたという。
時間がなかったので、詳しい話は出来なかったが、これからの分析が必要だ。

四賀村との合併に関しての日誌は、久しぶりとなる。
村の中で、合併問題に関して、おそらく住民合意を主張して頑張っているのは両角議員だけでなないだろうか。
 村長は、とにかくトンネル建設を至上課題として、合併を推進している中で、合併に疑問を出したりすれば、おそらく「村八分」のような事態ではないかと想像できる。
そんな中での、トップ当選の意味するものは、大きいし、村民への励ましともなっていると思う。

 実は、今回の選挙戦に入る前に、四賀村の住民から、次のようなメールが入っていた。
これで、四賀村からのメールは、3通目だ。
「四賀村から松本市への合併申し入れは、村民の中で十分に議論がつくされての事ではなかったと考えている人たちがかなりいます。そして直結道路についても必ずしも村民の悲願ではありません。ぜひ法定合併協議会を立ち上げる前に、四賀村の両角議員と共に、村民の真意を聞いてみてください。今の理事者は松本市長と同じように聞く耳を持ってくれません。   四賀村人  」
 というものだ。

 四賀村以外にも、注目すべき結果は、波田町と堀金村でのトップ当選だ。
いずれも有効投票の約11%を得票している。
 今までになかったことと記憶している。
重要な争点の一つに合併問題があったことは間違いない。
強制的な合併が推進されている中での、今度の選挙結果。合併問題に関しての住民の期待の大きさを改めて実感すると同時に、この分野でも、住民が主人公を貫くことの重要性は大きい。

 ところで、今回「初めてのこと」がたくさんあることをお伝えし、少しずつですが日誌に書く事をお話しした。
まずその第一回として、以下のことを紹介し、今後シリーズでお伝えでしようとおもいます。

今回の初めてシリーズ
 (その1)
4月28日付けで、四賀村の中島学村長から、お祝い電報が届いていることが、28日夕方になってわかった。
今までになかったことだ。別にお祝いをいただいて、コメントすることはないのかも知れないが、明らかに政治的意図を感じるのは、私だけではないであろう。
 (その2)
あるマスコミに、「池田国昭 無現」 と書かれ、これにはかなりまいった。
電話が、マスコミにも何本か行ったらしいが、選挙事務所にも、「共産党を辞めて、立候補したのですか」という、私にとっては本質的なことに迫る電話が入り、改めて事態の重大性についてマスコミには伝えた。以前松本市でも、日本共産党を辞めて、無所属立候補が多かったからだ。翌日訂正記事は出たが、住所などの誤植とちがい、政治姿勢にかかわる重大なことは、もう少し政治的に配慮して欲しかったのが、率直なところだ。
その後の表示は、今までの、「共現」とは、違って、「共産現」と表示が変わったと思う。 

今日は、昼休みに、それこそ久しぶりに、松本城周辺をジュギングした。
 選挙中、街頭宣伝の後、候補者カーと並走する選挙パターンは私の定番だが、今回はそれを初日から行った。
 選挙は体力戦という面もあり、日ごろ好きなこともあり、時間が有れば、昼休みに城山公園や、松本城周辺を走るのだが、久しぶりに汗を流して、本当にすがすがしかった。

 ちなみに、今回の選挙期間中の万歩計の表示は、20日〜26日のトータルで、106627歩を記録していた。そのうち、初日は、19415歩、土曜日の26日は、20016歩だった。

 まだ、選挙が出来る体力は、確認できた。

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 4月29日(火)


「私が接している市民は、こういうこと(一時中止)は言っておりません。」


選挙後、初めての会議が行われ、どんな選挙戦であったかの反省会が行われた。
長野県では、残念ながら大町市で現職1議席の後退であったが、他はすべての立候補者96人は、おかげさまで全員当選できた。
  しかし、全国的には、かなりの後退をさせる結果となった。

松本市は、スポーツで言えば、デッドヒート、激戦の試合。
日本共産党は、第4コーナーを5人が回りきって、2人は先行し、私を含めた3人が、約250票差の10人のグループの中で競り合い、競り勝ったという実感だ。 「5人当選できて本当に良かった。」異口同音のみなさんの声です。
 改めて、その激戦の結果を、投票率が低い問題とも合わせて、冷厳な反省点を含め、しっかり分析が必要である。 

それにしても、市民会館問題では、それに対する現職議員の(候補者の)「過去・現在・未来」が、問われた選挙でもあった。
 この問題は、明らかに支持をお願いする際の、切り結びの争点になった。
ちょうど1年前の市民会館の建設工事の一時中止を求める「6万」請願署名の審査のときの、市民会館建設特別委員会の私の会議メモがある。(同僚の南山議員のメモともそのとき読みあわせをし合った後のもので、かなり正確なものである。)
 私が、このHPを立ち上げたのが、昨年の11月であったが、そのときにこのHPがあれば、お伝えできた物だが、遅ればせながら紹介する。今回落選したある現職の議員は、以下のように発言していた。「大勢の方の請願が出ているが、将来の松本のことを真剣に考えて、その熱意の表れとして理解できるが、ただそこで少しだけ違うのは、請願提出の市民ということと、私が接している市民というのとは、違うということを申しあげたい。私が接している市民という方々は、こういうことは言っておりません。」
 と、ここまで発言していたのだ。
  そうは言っても、署名そのものは「重く受け止め」と発言しながらも、一時中止には賛成できず、否決をした他の議員とは、際立って違っていたこの態度には、正直あきれたことを覚えている。
そうした政治姿勢に対する審判が、選挙結果の要因の重要な部分を占めたことは間違いないと思う。

 そして、この問題を選挙中は、あえて自ら「触れず語らず」選挙を行ってた候補者が多かったことをマスコミは伝えていた。
中には選挙中の地元小集会の席で、現在行われている見直しを求める住民投票条例の署名運動に関連して、「この条例案が出たらどうしますか。」の質問が出て、事前のアンケートには、「未定」と答えていた候補者が、「賛成します」と答えたという話も伝わってきた。
当選したこの議員も、勿論「6万署名」には反対し、このときは市民の皆さんの声を無視し否決した人だ。それでも、世論の前に変わったのだ。
新しい議会での、「公約」への責任を強く求めたい。

「選挙は、議員を選出するだけではない。
選挙こそ、民意を正しく反映する議会制度の中で、「住民が主人公」を貫ける最も民主的な制度であると思う。」
「だからこそ、候補者と政党は、訴えと政策を発表し、それに賛同し、ご支持いただいた皆さんと共に力をあわせて、くらし良い松本市を作る一番大事仕事が私は選挙だと思います。」
と私は、中盤から皆さんへの訴えの最後の部分に付け加えた。

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 4月28日(月)

 「よく、焼けましたね」

 お行き会いする方々から、お祝いの言葉と同時に、「黒くなりましたね」と声をかけられた。
 選挙期間中、170回を超えるの街頭宣伝を行い、直接市民の皆さんにマイクを握り訴えた。

 今回の場合は、初日が雨でびしょぬれ、その他の日も、雨がぱらつく曇りがちの日が多く、夕暮れに何度か行うなど日差しはあまり強くなかったが、それでもかなり日焼けした。

 「街頭で政策を訴えているのは、池田さんだけだ。」
 「今の話の通り。このままでは、市内の建設業者は、つぶれてしまう。景気回復につながる公共事業にして欲しい。」
 「100円バスは、ぜひ御願いします。ひざが痛くて外にでれない。」(と細い指ながら強く握手を返された。)
 「高くてつかえないのです(低床を希望する声)。よろしく御願いします」
 「自分の言いたいことをしっかり言ってくれた。スカッとした。」

   などなど、
 今まで以上に、有権者の方との会話がすすむ街頭からの宣伝でした。  今回私は、松本市政に住民が主人公をつらぬき、この不況の時期、今こそ市民のみなさのくらし・福祉を支える市政の実現に力を尽くすことをメインテーマに、いくつかの事例や、例証をちりばめながら、訴えをさせてもらった。

 初日の第一声、初盤、途中、最終盤と少しづつですが、中身を変えながら、宣伝したが、
「ちょっと長すぎる、短くするように」との運転手など候補者カー乗務員から助言を何度もいただいた。

 自分でもそれに努めていたが、いみじくもあるアナウンサーが言っていたように、
「聴いている人がいると、長くなりがちですね。」となってしまったのだ。

 通常であると、「車長」を通じて、候補者には注意や指示が入るのだが、今回の場合は、候補者である私が車長を兼ねていたので、私の中での葛藤で終わる結果となった。その結果、過去の選挙より調べていないが、気持ちがこもった分回数は少なくなったかも知れない。

 それでも170回を超えた街頭からの訴え、井川城中公民館で行った個人演説会での参加者などを加えるとかなりの人が私の直接の訴えを聞いていただいたことになる。
今までの4回の選挙もそうであったが、今回ほど訴えをしていて、共感をいただけることをさらに実感できた選挙はなかったような気がする。
 そして、こうした市民のみなさんにご支持いただき当選できたことを改めて確認できると共に、皆さんと一緒に政治を変える、市政の転換をはかることの重要性と可能性を実感できた選挙であった。
いわゆる「手ごたえは充分」という言葉があるが、訴えごたえは充分という実感だ。
それくらい、皆さんと思いを重ね合わせることが出来た選挙だった。

 途中から、「議会で否決されても、道理ある提案と市民の皆さんとの思いが重なり合えば、願いは実現します。」と、語るようになったのも、1週間という短い期間ではあるが、市民の皆さんとの対話の中での、一つの発展ともいえる中身だった。
  (後日、演説内容については、公表したいと思います。)

 いよいよ、来年の市長選挙に向け、多くの皆さんとの協力・協同の輪を広げ強め、文字通りの市政の転換のために、力を尽くしたいと思います。 朝、ホテルブエナヴィスタ 南側で、選挙結果の報告の宣伝を行ったが、行き交う車から、かなりの強いご支援のメッセージをこめたクラクションや、まなざしのサイン、目の前を通過するのに、視線だけはずっと私に向け続け、車は前進しているのに、後ろ向きになって運転を続ける方もいて、一瞬ヒヤリとさせられる場面もあった。

 ありがたく、何度か言葉に詰まった。

 昼休み、正午から千歳橋にて、新市民会館の建設に関する住民投票の会主催の「署名集め開始集会」に参加後、松本駅前で、藤沢のり子県議会議員と5人の新しい議員がそろい踏みし、選挙結果報告宣伝をしたり、お世話になった皆さん方への挨拶周りで終わった一日であった。

 夕刻、三男を学童保育に迎えに行く前の短い時間であったが、同い年の知人のお見舞いに行ってきた。

 彼とは、議員になる前からの、しんぶん「赤旗」の配達・集金を通じての長いお付き合いだが、公私共にいろいろアドバイスをもらっていた人物だ。
 選挙告示前に、倒れ、心配をしていたが、奇跡的に少しずつだが回復に向かいつつあることがわかった。

 「当選したよ」とかなり大きな声で、伝えてきた。

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 4月27日(日)


 激戦を勝ち抜け、全員当選

 負けられない選挙であると同時に、勝ち抜きたい選挙でしたが、おかげさまで、全員が当選できました。
 今度の選挙は、昨年12月3日に開催された第5回中央委員会総会での報告にあるように、「現有議席を確保することも、『攻め』のとりくみをつらぬいてこそ、はじめて可能になる、容易ではない課題」そのものであったことが、実証された形になりました。
 そんな中、勝ち抜かせていただいた多くの皆さん方のお一人、おひとりのご支援に、心から感謝申しあげます。

 今度の選挙ほど、いろいろ考えさせられる「はじめてのこと」が、いくつもありました。
詳細は、後ほど少しずつお話しできるかと思いますが、とりあえずの日誌ということで、すいません。

 本当に、ご支援、ご支持いただきありがとうございました。 第5回中央委員会総会の詳細部分は、自分でも再確認する意味で、以下その部分を引用すると、一九九九年のいっせい地方選挙は、前年の九八年の参院選で約八百二十万票という史上最高の得票をえた躍進の流れのなかの選挙でした。しかし、わが党の躍進に体制的な危機感をつのらせた反共・反動勢力の攻撃のなかで、その後の二〇〇〇年の総選挙、二〇〇一年の参院選で、わが党は悔しい後退をきっし、昨年の参院比例票は八百二十万票から四百三十三万票まで後退しました。いったん押し込まれたところから、逆に押し返し、新たな党躍進の波をつくる「反転攻勢」によって、新しい上げ潮の流れをつくりだしてこそ、勝利をつかむことができます。
九九年の選挙でえた議席や得票を、「既得の陣地」であるかのようにみなして、「現有議席だから何とかなる」という甘い構えのままのとりくみに終わったら、大きな失敗におちいることになります。現有議席の確保も、四百三十三万票という参院比例票の水準を大幅に上積みする攻勢的な活動によってこそかちとれます。中間地方選挙の結果をみましても、こうした「攻めの構え」のとりくみになっていたかどうかが、明暗をわける最大の分岐となっています。
「反転攻勢」後退から前進に転ずることは、全党の知恵と力を総結集してはじめて実現できる大きな事業だということを、お互いに肝に銘じて奮闘したいと思います。 改めて、噛み締めて、読んだ。      

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 4月19日(土)

 いよいよ明日から、市議会議員選挙

 愛用の宣伝カーなど、諸準備で一日がほぼ終わってしまった。
 スタッフの皆さんのご苦労に感謝すると共に、改めてなんとしても勝ち抜かなければと緊張してきた。
 今度の最終版の事前号外は、市政の転換をずばり訴えている中身である。

  松本民報 号外 直前チラシは、ここをクリック (PDFですので、少し時間がかかります。) 通常、市議選では、市政の転換そのものが争点にはならない。
 日本共産党としての、市政に関する評価とそれに対する政策提案が、普通だ。
そして、その市政転換のために、その確かな力としての日本共産党の5人の議員団をぜひ皆さんのお力でと、率直に訴えさせてもらった。
 「議会で、市民のくらしと福祉を支える市政への転換のため、引き続き働かせてください。」が、今までの訴えであったが、今回は、「松本市の議会で、たたかわせて下さい。」という気持ちである。
 論戦と言う言葉がある。
一人でも多くの方に、私の訴えを聞いていただきたいというのが、今の一番の思いだ。
 これで、公職選挙法上、しばらく更新が出来なくなる。

 日本共産党と池田国昭に大きなご支援を、そしてその輪を広げていただけますように、心からお願い申しあげます。  5度目の挑戦である。
  過去の4回の選挙はいろいろな思いでたたかってきた。
  今度の選挙は、その4回の思いと汗がしみ込んでいるたすきを、そのまま使うことにした。私の事務所は 井川城1−4−21 山田ビル3F 電話28−5172 FAX 28−5176 です。

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 4月18日(金)


 「この建物を何とかできなかったのか。」

 新市民会館建設現場をすぐ北側に見上げられる場所で、街頭宣伝をしようと準備していたら、近所の方がいらっしゃったので訴えをする前にごあいさつに伺った。
 開口一番「あなたは池田さんかい。これは何とかできなかったのか。」と言われた。
東長沢町の皆さんには、地元であるが故のいろいろな思いがあるに違いない。
 町会の役員が、市長に「東長沢町の人たちの中には、反対者はいない。」という趣旨の申し入れが行われているからだ。
 実は、2000年11月付松本民報号外の写真製版したゲラ刷りが今手元にある。コーティングされた写真のような原稿だが、そこに
「すでに町会連合会名で『1800』に署名した人も、『池と自然を保全し、現在規模で』の署名に再度サインし直し、東長沢町では、9割、他でも6〜7割の賛同者を得る周辺町会が現れるなど、計画の見直しを求める運動が急速に広がりつつあります。」
と書き、日本共産党が全戸配布したものだから、おそらく市長の要請を受けて、町会側が訂正の「申し入れ」をしたのだ。
 それならば、なぜこの号外に対しての「抗議」をしなかったのか。我々には一度としてそうした話はなかった。

それ代わって、地元で見直しを求める6万の署名を精力的に集めた方が、再度町会の皆さんを訪れ確認されたという報告が入ってきたのを覚えている。
そして町会にも抗議の申し入れを行ったようだ。
普通は、先ほど紹介したように、号外を配った日本共産党に抗議が来るのが筋だ。
それを、マスコミを使い形で、明らかに演出を狙った見え見えの記者会見であったのだ。 などなど毎日建物が立ち上がるのを見ている中での、本当に何とかして欲しいと言う気持ちが、ぶつけられたという感じだ。

 私は、早速マイクをにぎって、
4年前の選挙のときの政策とその後の議会での日本共産党議員団の取り組みと経過を話しながら、この市民会館を巡る市政の問題点。無駄な事業であることや、民主的でない手法で「やらせ署名」が、行われたことなど紹介、「6万」署名の運動を共に進めたこと、共に協力協同できる議員が8人になった事等お話しし、この市民会館の建設そのものの問題点にまず触れた後、市民の皆さんの反対運動の背景には、4年前と比べくらしがたいへんになる中で、今後の維持管理費の問題など、何よりも老後のくらしが、この建物の建設によってどうなるのか。そのことがある事を、アンケートの声を紹介しながら、訴えをさせていただいた。

 そして、今の議会が、介護保険料値上げ条例案に反対したのは、日本共産党の5人だけ。
市民会館関連の予算に反対し、私たちと一緒に見直しを求めた他の3人の議員さんも、この値上げには残念ながら賛成している現状をそのままお話した。
さらに、健保医療費の値上げの延期を求める医師会長の請願に対しても、会派の代表が紹介議員になって義理立てはしたものの、結局本会議の場では、議会は反対多数で否決したことを紹介した。

 くらし、福祉を支える市政への転換を訴えた後、結論として、日本共産党の5人の議員団の確立を訴えて、訴えを終えたところ、二人の方から拍手をいただいた。
いつのまにか、別の方が、窓を開けて私の話を聞いていてくれたのだ。
自分としては精一杯の訴えをしたつもりだが、納得していただいたかまだ不安があったが、拍手をいただき、さらにチラシを受け取っていただき握手までしていただいた。

 みんなで力をあわせれば、明日の政治は変えられると心から思った。 告示まで、後1日を残すまでになった今日一日。

 宣伝カーのちょっとしたトラブルで、定例金曜日の朝の駅前での街頭宣伝も、いつもご協力いただいている最後のお礼のごあいさつが出来ないまま、スイッチを切ったが、何とか午後も、つかえるようになった。まずは一安心。
トラブルが出たのが本番前であったことに、感謝した一日だった。 
     
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 4月17日(木)

 「タウンスニーカーを駅西側にも、南部にも走らせてください。」

今度の選挙の政策に、「『100円バス(タウンスニーカー)』『福祉100円バス』を、駅西、南部方面への路線の拡大、障害者への適用、など充実させます。」を掲げました。
 4年前の選挙の時に、渚地区に宣伝に行ったとき、「共産党は、サティの進出になぜ反対するのですか。私たちは買い物が出来る店が出来ればいいと思うのですが。」といわれたことを忘れない。
 確かに、渚に限らず、北深志地区でも身近な買い物が出来る小売店が消え、高齢者が不便しているという。
 昨年の10月の決算特別委員会で、私は、身近な小売店が消えてしまう中で、行政として何とか対策が取れないか。」とこのことを取り上げた経過がある。
 市としても問題意識は有ったようで、助役は「なんらかの対策」を約束した経過がある。

 松本市内に、大型店舗が進出してどうなったか。やっていけなくなった小売店が消え、不況になったら今度は、大型店まで撤退し消え、店がなくなることだけが残った。
 最近大型店のことであまり議論はしなくなってしまったが、明らかに私たちが懸念したように、ダイエーを始め、県下でも長野市、岡谷市などで大型店が消え、逆に大変な事態になっている。
 そのときは、充分に納得していただけなかったことも、時間の経過の中で証明されることはいくつかある。
 
 そうした経過もあり、今度は、署名なども含め運動を組織し、市民の皆さんとともに、高齢者の足の確保という意味も含め、駅西・南部方面にも、「タウンスニーカー」の路線の拡大が、切実な願いだ。

 当面、渚地区に小売店という点では難しいが、サティ予定地に新店舗の計画が囁かれているが、それはそれとして、足の確保は、通院、買い物などを考えるとどうしても必要なものだ。
 重点政策としても、住民の皆さんとともに実現したいと思う。  
    
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 4月16日(水)

 交差点の改良と交通事故 知人が交通事故に遭遇。

改めてその現場を見てきた。
一時停止を怠ったことが事故につながった直接の原因だが、その他にも事故がおこる原因(誘発要因)がいくつかあることがわかる。
 どんな心理状況で運転していたかも重要なことだが、交差点の歴史、状況、形態にも起因する。
以前、井川城で交差点改良後、人身事故が起き、信号機がついたことをお伝えしたが、今回の交差点と井川城のそれとの共通点の一つに、古くからの生活道路と交差する道路(狭い)を、後から拡幅した交差点で、優先道路をどちらにするかの問題がある。
今までどおり、優先を変えず行くのか、それとも新しい広い道路を優先に切り替えるのか、その時期を判断が難しい。
こうした交差点がいくつもあると思う。

 いかにその変更を周知するか。地域の皆さんだけにお知らせすれば済むものでもない。
それこそ把握できない不特定多数の人がその交差点を利用する以上どんな対策が必要で可能か。市の交通安全課でも悩みの種であろう。
 一回でも危険な場面に遭遇すれば、それでインプットされるが、そんなわけには行かない。

 それでも、交差点改良がされたときは、広報などあらゆる手段でお知らせすることが重要だ。
 信号機がつけば一番ベストだが、すべてそうするわけにも行かないが、交差点に一定期間注意を喚起する表示が効果的かもしれない。
目立つ表示で、1年間とか期限を限定してやれば、その表示は、異動させ他の新たに改良した交差点にも、繰り返して使えるであろう。
 (市の交通安全課からは早速、カーブミラーの角度を修正するなどの当面の対策のお返事がきた。ありがとうございました。)

 ところで、今日は新しい場所で街頭宣伝を行った。
そこも交差点改良したところだ。信号待ちの短い時間にお話しを聞いていただく。それを考えて今は毎日宣伝カーを走らせながら、いわば宣伝場所を物色している。
 4年前には出来たところが、難しくなっているところもある。
 今朝の交差点での宣伝を見ていた建設関係の仕事をしている職員の方から、他の交差点の紹介もいただいた。(こちらも感謝) 政策と訴えを聞いていただく残された時間は、わずかだが、一人でも多くの方に話を聞いていただき、ご近所にご迷惑にならない場所をこれからの探すことになる。
 私の宣伝カーと会ったら、ご声援をぜひ御願いします。

 いよいよ告示まで、後3日を残すのみとなった。 (ホテル「ブエナヴィスタ」の表示に関して、メールでご指摘をいただいた。ありがとうございました。急いでつくっていたので、あまり頓着しないでいたが早速訂正しました。)

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 4月15日(火)


 入札制度について考える

 
地元の測量、設計業者とお話しする中で、公共工事の入札についてご意見をいただいた。
「落札予定価格の事前公開は、絶対にやってはならない。」というもの。
落札価格がわかれば、積算をせずに入札が出来ることになる。業者間では、積算の苦労もしないで、ただ「安く」落札して仕事をもっていってしまうという事態が増えているという。
ある方からは、「2番札に落札できるように」して欲しいとの意見もいただいた。

 今、公共事業をめぐって、「安ければ何でもいい」と言うことで、予定価格の20%台で落札している例がある。
 常識的にはその価格では、仕事が出来ないのは明らかだ。少なくとも適正価格でない以上、どこかにしわ寄せが起こる。そして、赤字覚悟でなく、景気回復につながる公共事業とならないことは明らかだ。

 入札制度の見直しは、ここへ来て県政でも、市政でも重要な課題。
口利き、談合、汚職を防ぎ、フェアーな競争で、適正価格で落札できるようにするにはどうするか。
電子入札制度の提案を含めて直ちに具体化がもとめられる。

 今回、私は、政策に、「予定価格の事前公表と落札後の入札経過と契約の内訳公表」を掲げていたが、再考が求められる。
 いずれにしても、地元の業者が適正価格で仕事が受けられるように、仕事を分割し、登録業者が、ある意味で公平に仕事が受けられる制度も必要だ。

 以前、私がはじめて議員になった頃、業者の中では、「民主的談合」と言う言葉があったことを覚えている。
そんな中、同和行政と言って、解放同盟が、仕事を奪い取っていくことの実態も知りことになった。
もともと市民が納めた税金。市民生活を支えるために使われてこそという思いだ。

 今朝は、小雨が降っていたが、初めて国体道路と南松本からの道路のT字交差点で街頭宣伝を行った。
少なくない人から声援をいただいた。ありがとうございました。

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 4月14日(月)


 市内各所で、街頭から宣伝
 
 朝は、ホテル「ブエナヴィスタ」北で昨日の選挙結果についての感謝の気持ちをこめて報告と20日からはじまる市議選でのご支援のお願いをした。

 長野県の結果は、塩尻市、岡谷市のいずれも2人区で、史上初の日本共産党県会議員の誕生となったが、南安曇郡区と長野市で現職を失い 、結果として、共産党は現有の6議席を確保、引き続き議案提出権と代表質問権は確保できた。その他に「推薦」候補が一人、「支援」が2人当選した。全体としては前進といえる結果だ。
 
 今回の選挙では、「知事支持」を表明し立候補した新人が多かったが、朝日新聞の出口調査では、知事支持を表明した人の15%、無党派層の14%が、日本共産党に投票したという。

 田中知事を「支持する」勢力が議席を伸ばした中で、変わり始めた県政改革がさらに前にすすむ可能性を開くことができた。

 全国で見ると、議席は後退である。

 昨年12月に行われた全国の会議では、「議席増はもとより現有議席を確保することも容易でない課題」と確認してのたたかいであった。
詳しいことは各選挙区毎に分析が必要だ。後半戦が終わって教訓は引き出されるであろうが、松本で不十分だった点は、直ちに市議選挙に生かさなければならない。

 今回の選挙の準備の段階では、音を出す宣伝が少なかったことを反省している。

 今朝も、車から強く手を振ってくれた方やクラクションを鳴らして声援をいただいたり、目で「よかったね」と語ってくれた方が多かった。
 市民のみなさんの力で議席を守り抜け、激戦を勝ち抜くことが出来た実感が改めて湧き、何度か言葉に詰まり、困った。

 昼時は城西方面、夕方は地元井川城で同じく宣伝したが、わざわざ自転車を止めて話し掛けていただく方など、本当にうれしい限り。
  家から何人も出てきていただき、終わった後の拍手もうれしかった。
「今度は池田さんだね」と後半選へのパワーもいただきました。

 昨日の日誌で、「くらしを支えてこそ、『住民こそ主人公』とはじめて言えると思う。」 と書いたが、もともと税金は、私たちが納めたもの。この分野でも『住民こそ主人公』がつらぬかれなければいけない。
今この不況の元で、「痛みは覚悟しなければいけない」「ガマンが当たり前」の風潮宣伝が、小泉内閣のもとで進められ、そうかもしれないという気分に陥りがちだが、政治はそんなことでいいはずがない。
 こんなときだからこそ、一部の企業や銀行ばかりに私たちの税金を使うのでなく、みんなで支えあう政策が必要。
公共事業もムダなものはやめ、福祉・教育・環境型に切り替え、地元の業者が「適正価格」で仕事が受けられて初めて、生活が成り立つ。

 今市民のくらしを支え、しかも景気の回復につながる施策は、税金の使い方を変えれば、充分に可能なのだ。
 松本市でも、今年の予算でこのまま突っ込んでいけば5年後のH19年の市制百周年には、「赤信号」となる見通しがある以上、「健全」などトンでもない話。

 見直しの提案と政策を訴えた一日だった。
      
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 4月13日(日)


 勝抜くことが出来た県議会議員選挙

 くらしを支えてこそ、「住民こそ主人公」  霙(みぞれ)交じりの雨が降ったり、風が強い中での選挙戦、候補者は、体調を崩し風邪をひいた中で、苦戦を強いられたたたかい。心からお疲れさまでしたと言いたい。
 今度の選挙は、実にたいへんな選挙戦だった。

 いわゆる「盛り上がり」に欠ける選挙で、電話で支持を御願いしても、まだ決めていないという方が本当に多い選挙だった。
マスコミが取った有権者アンケートによっても、決めていない人が中盤をすぎても約半分近くいるという結果がでて、なるほどと納得すると同時に、何でなのかなと何度も自問し、自答する中で、毎日を過ごした。
でも、何を基準に選択しますかの問いに、「政策」が「人柄」を抜いてトップになったときに、昨年の県知事選挙以来、明らかに選挙選が様変わりしていることを改めて感じることになった。

 「この不況の中で、誰が議員になっても変わらない。」
 「毎日の生活に追われて、選挙どころではない。」
  という方の声と行きあう中で、さらに改めて今度の選挙が、政治の力で、くらしを支えられるかの選挙であることがわかった。(勿論、結果から言えることでもあるが・・)

 そんな中、日本共産党は、藤沢のり子候補を先頭に、地方政治の役割、こんなときだからこそ、不況を打開する見通し、税金の使い方の見直しで、くらしと仕事を確保することの必要性と展望を語ってきた。
無駄な公共事業による歴代自民党の「不況打開策」から、文字通り、公共事業も生活密着型、福祉環境型にきりかえ、くらし、福祉、教育に予算を回し、景気回復につながる仕事を増やすという、変わりはじめた県政改革の流れを、さらにどう、前に進めるか。
 抵抗したり、妨害するのでなく、建設的な提案をし、田中知事とともに県民の皆さんと議論しながら、不十分な点や問題点を解決していく。

 そしてあくまで前向きに改革を進めていくことが求められていることを実感した選挙だった。
田中知事の下で行われているこの改革を支持しながら、でも知事の言うことにオールOKでなく、はっきりしっかり意見を言うという議員の役割、政党の役割、首長と議会の関係のあり方を訴え、お話ししたときに、対話が成り立ち、展望も見出せ、支持をしていただくことが出来た。という実感だった。

 何で日本共産党が、不信任に反対し、知事選挙でも、「支援」という今までにない形で、県知事選挙をたたかったのか。そのことの意味を自分としても改めて確信できる選挙だった。

 そうゆう経過の中で、松本市民の皆さんは、日本共産党と藤沢のり子さんを選んでいただいた。心からお礼を申しあげたい気持ちでいっぱいです。

 さて、今度は市議会議員の選挙だ。

 一週間後の20日告示、27日投票で行われる。

 松本市でも政治を変えて欲しいという市民の皆さんの願いと思いの真実がどこにあるのか。本当に熱いメッセージが、この間寄せられたアンケートにたくさん書かれている。
 お寄せいただいた皆さんに、この場でお礼を申しあげます。ありがとうございます。

 この選挙も市民の皆さんとともに語り合い、なんとしても勝ち抜きたい。
 長期の不況が続く中、松本市は健全財政と言いながら、松本市が直接かかわる介護保険など社会保障分野と上下水道料金などでの市民負担を増やすやり方では、景気の回復もなければ、市民の生活を支えるべき地方政治の役割もない。
 くらしを支えてこそ、「住民こそ主人公」とはじめて言えると思う。
 
 早朝に作り上げた こんにちは108号 重大な誤字があったが、そのまま発行することになった。  
   こんにちは108号はこちらをクリック (PDFファイルです。誤字は修正しました) 
    
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 4月3日(木)


 選挙前最後の定例南松本駅前街頭宣伝

 木曜日の定例宣伝。
 8時12分ほどまで、宣伝したが、終わった後に拍手をいただいた。

 本当にありがとうございました。

 いよいよ明日が、告示日。
選挙法の関係で、HPは更新できません。
 選挙中も忙しいということもあり、更新して皆さんと再会できるのは、13日過ぎになると思います。
 しばらくのお休みですが、まとめて日誌は掲載したい思います。どうかよろしく御願いいたします。  
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 4月1日(火)


 消費税導入 15年目、 健保3割負担の強行実施

 4月1日は、年度始めで、良いことも悪いこともいろいろなことの始まりである。
 健康保険が2割から3割負担も、今日から実施される。あれほど全国各地で、反対ないしは実施延期を求める地方議会での決議や声があがっても、実施されるわけだ。
 痛み押し付け内閣。自民党と公明党には、その意味でも今度の選挙で審判をと街頭から訴えた。 そして、忘れもしない。消費税が導入されて今年は15年目になる。
 1989年4月1日に3%で出発した消費税、1997年4月からは、5%に引き上げられた。早いものだ。

 15年間で、どれだけの消費税が一人一人取られ、福祉に回されるものといわれながら、どれだけしか使われなかったのか。

 前回の選挙時から、この4年間を見ても本当に暮らしはたいへんになるばかりの4年間であった。
 早速、アンケートが返ってきて、少し紹介すると、

「終戦後復興し、すばらしい日本が、すみ良い時代が来ると信じて頑張ったがだまされたと思わず考え込んでいる毎日である。」
「夕方の入電をできるだけ遅くしている。風呂は2日に1回とした。おいしいでなくできるだけ安いものを購入。(スーパーは夕方になると安売りする)こずかい減らす。修理できるものは修理して。」
「年金が少なくなる。これ以上節約しろといっても、病気になったときが一番心配。」(71歳男)

 実に、傷みに耐えての生活ぶりが伝わってくる。 ところで、昨日の続きになるが、29日の松本駅前で、公明党の冬柴幹事長は、昨日お知らせしたイラク問題とともに、消費税に関連して次のように共産党攻撃をしたようだ。 「平成十年の参議院選挙の時に共産党、何をおっしゃいましたか。消費税率を3%に引き下げます、分かり易い。こういう約束をされました。H十三年度の参議院選挙でも、せめて消費税率を5%から3%に引き下げますということが公約でございました。みなさん、3%に下がっていません。すなわち共産党は選挙の時に、みなさまがたの耳障りのいい言葉をおっしゃいますけれども、選挙が終わっても言われた事が実行されていない」 政府与党に入って、医療費の負担、平和のこと、消費税のこと、いずれもその看板を捨て、塗り替えたのはどちらかと言いたい。
 消費税の引き下げに反対しておいて、何をやいわんだ。 今日は、朝から松本駅前にて宣伝。昼休みと夕方に街頭宣伝。夜は党と後援会の集会に出たあと、業者の皆さんの後援会の会議にいずれも藤沢議員と参加した。

 「『藤沢さんは大丈夫』という声が一番選挙では危ない」というある業者の方のうなずきが一番重く響いた。

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3月の日誌に続く