![]() ![]() |
|
2017.2.5. | |
![]() |
まいどこんにちは。 1月26日深夜、父が永眠いたしました。89歳でした。駆けつけようにも特急あずさも走っていない時間だったのでKトラで高速を走って帰省。朝8時でした。さっそく葬儀社との打ち合わせに立ち会ったりしたのですが26日の自分の心境ははっきり言って半狂乱状態...........。会場等の都合で通夜が30日、告別式が31日と決まりました。中3日も開いていいのかな?と思ったけど仕方がない......。でも結果、中3日、実質はほぼ5日間という時間が丁寧な準備をするのになにかとちょうどよく、また自分の心にもある程度の余裕と落ち着きをもたらしてくれました。 |
![]() |
![]() |
昔の子供部屋をそのまま使っていた父の書斎をガチャガチャやっていると出てくる出てくる........。式場に『遺品コーナー』を作るというのでそこに置いた物は油彩画に水彩画、10年日記20年分に随想集に歌集、書きかけのノートやメモ類、鉛筆赤鉛筆青鉛筆に消しゴムやカッターナイフその他雑多なもの.......。10年日記なんかは遠路はるばる参列していただいた親族が自身や自身にゆかりのある人の名前をそこに見いだして感慨にふけってくれるとてもいいものでした。式自体も感情をやたら煽るBGMなどはいっさい無し。厳かな中にもほんのりと暖かいものが溢れるとてもいいものでした。棺の中はお花の下に本やノートにお手紙等の紙類と鉛筆でいっぱい。こんな棺もさぞかし珍しかろう............。 遠い親戚とは冠婚葬祭でもない限りなかなか会うことはないとよく言いますがそれはほんと。でもまさかこの人まではというような人も遠方から参列してくれて、しかも父方母方双方の普段は全く知らないはずの親族が互いに話を交わして涙声の中に時として笑い声の出るひと時は見ていてとてもうれしいものでした。人と人のつながりを大切にするべし、という父の声が空から聞こえたような感じがして、時間が経てば経つほど、悲しいはずなんだけれど、それとはまた違うなんだかとても暖かいふくよかな気持ちに包まれたこともこれまた事実でした。父にゆかりのある参列いただいた全ての方々と丁寧に場を設定していただいた葬儀社のS女史様には感謝以外に言葉がありません。酔っ払いアル中予備軍のバカ次男がこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。 で、フィールドに戻ったのがようやく昨日。中9日も留守をしておりました。こちら第1巨峰園。 |
![]() |
![]() |
(左) 水路がまさか破損していないかが一番心配だったのですが大丈夫でした。入り口のチェーンロックの番号を一瞬忘れてアタフタ。空気澄んで気持ちもキリリ。そういえばHodakaが所沢の空気と松本の空気は全然違うと言っておりました。 (右) 剪定はひたすら単純作業。ちなみにこの部分は2箇所をハサミで切ってこうなります。(マウスポインタを上に。) |
![]() |
![]() |
(左) 1本の巨峰の木の左半分が終了。いちいち数えているわけではないのですが図面上ではこの巨峰園だけで10,000本近い枝があるはずなのではっきり言って飽きてきます。だから半日しかやらない.........。 (右) 巨峰の芽。春にここから発芽して枝が伸びてそこに房がつきます。 |
![]() |
![]() |
(左) 今日は午後から雨の予報だったので午前中は第3デラウェア園で剪定枝の焼却処分をしてきました。はからずも火葬場を思い出してしまった.......。いかんいかん.....。 (右) デラ姫の芽。今年もこうしてまた新しい命が誕生します。 |
|
|
|
![]() ![]() |