4月25日(水) 

 命綱の役割が果たせなかった。  
  

 選挙期間中には、いろいろな経験や教訓が生まれる。  
  「武勇伝」とまではいかないが、苦労話やエピソードが豊富だ。  
  昨日の議員団会議では、候補者でなければ経験できない喜びや切ない思いも含めて今度の選挙戦の中での経験が会議時間いっぱいに語られた。  
  私は、途中からの参加で、直接すべては聞けなかったが、後で報告を受けた。  

 選挙は、1週間の選挙期間の取り組みと同時に、4年間の活動全体からその結果についていわゆる総括をしなければならないと思う。  
  自分のことで言えば、この4年間は不安と確信とが毎日現れる連続だったように思う。  
  そして、反省を生かしながら翌日に向かうわけだが、やるべきことをやりつくして1週間を迎えられたかというと決してそんなことはなく、不安の塊を持ち続けながら走りぬいた1週間というのが実際のところだった。  
  もちろん満身創痍と言うわけではなかったが・・  
  そんな中で、5人全員当選できたことにホッとしたというのが実感だ。
  改めて、お力沿いをいただいた皆さん、ご支援いただいた皆さんに心から感謝申し上げます。  
  この経験は、今後の新たな4年間の中で御返ししなければならないと感じています。  

 ところで、実にショッキングなことが起きてしまった。  
  この日誌の更新が滞ったこととも関連している。  実は、
  演説会でも初日第一声のときにもご紹介した相談を受けていた方が、自らの命を絶ったのだ。
  3月9日演説会の内容は、ここをクリック (一番最後です。)  

 昨日は、議員団会議終了後、市役所で少しまとめを行っていたが、その方の自宅前まで来ていた人から急遽電話が入った。  
  現場に駆けつけると、うっすら明かりがついていたが、チャイムはもちろん窓ガラスをたたいてもなんら反応がなかった。
 警察の立会いの下に、鍵の業者を呼んで中に入ると、階段のスロープに体を沿わせて止まっている姿が確認された。
 使われていた紐は、夜間歩行の際に使う蛍光帯だった。
  検死の結果死亡想定時刻は、月曜日の午後。  
  その時間、私は事務所の片づけを行っていた。
  なんともいえないことだった。

 実は、選挙が始まる前に、選挙後訪問することを約束し、メモはしてあったのだが、昨日の時点では正直そのことを忘れていた。  
  台所の冷蔵庫には、食材も少なかったが買われたまま入っていた。  
  炊飯器には、麦が撒かれたお米がまったく手付かずのまま、少し茶色に変色してそのまま残っていた。  
  おそらく月曜日の朝炊き上がったままの状態だったのだろう。  
  命綱の役割が果たせなかった。

 奥さんは、現在病院に入院中だ。  
  生活保護を検討するなど今後の生活設計について奥さんにお話したときは、実はこの方が、入院されており、選挙に入る前に直接約束したのが奥さんだけだったことが実に後悔された。  

 そこに居合わせた方々と話し合い、主治医とも相談した結果奥さんには当面伝えないことを確認した。
 

  
 

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4月24日(火) 

 パンダに笹 コアラにユーカリ 池田にバナナ  
  

 選挙に入ると私の活動のほとんどは、街頭に出ての辻立ちだ。  
  宣伝カーは、これですでに3回同じものを使っている。  
  実際には、7人乗れる普通車(ボディは軽自動車)だが、アンプ等載せているため、3列目の後ろの席は、荷物でいっぱいになる。

  

 
  運転手さん1名、アナウンサーの方が2名(時には1名)、そして車長兼候補者の私が1名 合わせて4人(ないしは3人)でほぼ一日市内を回ってくる。    
  狭いところでも宣伝が出来るのが一番の強みだ。
  ただ、あまりに近いと音が直に建物に当たりうるさくなるときもある。  

 高宮で宣伝しているときだった。  
  狭い道路のため、ブロック塀にもたれかかる様にしてしばらく訴えていると、突然後ろのサッシが大きな音で「ガラット」と開いた。  
  苦情かと思ったら違った。  
  高齢のその方は、あけた窓に座り込み話を聞いてくれた。
 しばらくして、 「その通り」「そうだったんだ。」「うん、うん」「うん、うん」と私の話のフレーズごとに相鎚が聞こえてきた。    そして最後は、拍手をしてくれ、私が振り返るとと「よろしくお願いします」と深々と頭を下げてくれた。
  「こちらこそよろしくお願いします。」  

 その距離は、本当に1Mとなかった。  
  私は、早速ブロック塀越しに、チラシを手渡そうと思ったが、ブロック塀が少し高く届かなかったので、南側の「玄関に入れておきます。」と伝えその場を立ち去った。  
  実は、その道路を途中からUターンして帰ってきた帰りに振り向くと、その方が曲がった腰を伸ばして、玄関のポストに手を伸ばしているのが見えた。  

 以前、「お願いされた選挙は勝ち」と書いたことがあるが、お願いされた選挙は、必ず勝たなければならないと改めて決意を固めた。    

 表題は、20年前私が選挙に出て以来、事務所に帰ってくると必ずバナナを食べることを知っている事務所スタッフが、切らさず用意してくれているバナナを渡してくれるさいに、言われた言葉だ。  
  「池田さんには、バナナがあれば、それでいい。」  

 ところで、今日は、午前中の事務所での会議に続き、午後2時から当選した6人が集まっての、選挙後最初の当選者会議が予定されていた。  
  ところが、開始時間2時の直前に、井川城2丁目の火災の連絡が入った。  
  急遽、5人の会議に切り替え、私は現場に向かった。  
  市役所から現場に向かう際、すでにホテルブエナビスタ付近から、火事の際特有のにおいが漂い、前方がもやっていた。  現場に着くとすでに屋根はなく、柱の一部の焼け落ちている状態。  
  そして、この家に住む高齢者の方が、北側の窓から半身を乗り出した形で、座って発見されたことが伝えられた。  
  認知症も進み、身動きも不自由だった方だ。  
  選挙前に訪問した際も、奥から出て来て下さるのに、大きな声と時間が必要な方だった。
  同じ敷地内に、家族の方がおいでだが、南風だったため、匂いが伝わらず、発見が遅れてしまったようだ。  
  実に悲しい事態だった。  

 飛んで返して会議の戻り、会派について、

1、 6人の共同会派を結成する。
2、 名称については、今後検討する。
3、 原則として行動は統一する。  

 の3つを確認してとりあえず会議を終えた。
 

  
 

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4月23日(月) 

 暮らしの3つの公約、平和の1つの公約  
  

 開票結果が出た後、四賀の両角さんを含めて昨夜5つすべての選挙事務所に挨拶に伺った。
  さすがに支援者の方はお帰りになっていたが、後援会の役員の方々にお礼のご挨拶が出来た。  
  自宅に帰ってきたのは、23日の朝2時半を回っていた。 そして、早速あさ7時半から、この間朝お邪魔していたホテルブエナビスタ南の道路に宣伝カーを持ち出し、結果報告のご挨拶と決意を語った。

 歩きながら、遠くから手を振ってくださる人。クラクションを鳴らす車、パッシングのタクシー。 そして目の前をフルフェースのヘルメットをかぶりながら、通りすがりに「イケダ、ガンバレヨ」と声をかけてくれたミニバイクなど、本当に選挙結果に皆さんが喜んで下さっていることが実感できる暖かな反応だった。

  「公約実現、さあいよいよ新たな4年間が始まる」
  改めてそんな気持ちにさせられる朝だ。

 選挙中、まだ書類を確認していないが、市内で200箇所を越える場所で、街頭からの宣伝を行ってきた。

        18日に行った街頭宣伝は、ここをクリック
 
  いつものように走りながらの候補者活動だったが、今回は初日から「全力疾走」という感じ。  
  後で見てみたら、右親指付近の革靴の縫い糸が崩れてしまっていた。  
  最終日は、ジョギングシューズで走り回った。

 たくさんの皆さんに支えられ、多くのご支援をいただく中での選挙戦だった。
  「皆さんのおかげで、現職5人の再選実現、四賀地域では、文字通りの激戦を戦い抜き、劇的な勝利を収めた選挙戦でした。」    
  本当に感謝の気持ちでいっぱいです。  
  ありがとうございました。

 

  
 

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4月12日(木) 

 連日の街頭宣伝  
  

 今朝も南松本駅前で街頭からの訴えを行った。
  今週は、連日の朝からの訴え。

月曜日は、藤沢のり子新県議とともに松本駅前。
火曜日は、ホテルブエナビスタ南側。
水曜日は、巾上通り。
そして、今日が南松本駅前。 そして
明日は、いつもの「金曜日にお邪魔させてもらっている」松本駅前だ。

 今日午後は、笹部方面に出かけてきた。
 いつものやり方だが、 少しづつ本番用の原稿に近づけていくのだが、まだまだ「あれもこれも」となって欲張ってしまい、一ヶ箇所15分を超える場合がざらである。    
  笹部4丁目(月見町)で行った街頭からの訴えをテープお越ししを事務所スタッフにお願いして、テキストにしてみた。

  少し長いですが、全文は、ここをクリック

  「画竜点睛」という熟語があるが、「我流点睛を欠く」といったところか。

 いよいよ告示まで、あと2日を残すばかりとなった。
  事務所もスタッフの皆さんの尽力のおかげで、準備も着々と進み、体調もそれなりに良い。
  しかし、このHPの編集もしなければならないのだが、どうもこちらにしわ寄せが来てしまうのが気になるところだ。

 

  
 

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4月9日(月) 

 いよいよ市議会議員選挙が始まる  
  

 県議選挙が終わり、朝7時半から、藤沢のり子新県議とともに松本駅前に宣伝カーでたった。
  藤沢県議は、選挙戦の中でのご支援いただいた方々への感謝の気持ちを込めて、公約実現に向けた決意を語り、 私は改めて今度の県議選挙の意義、 県政の後戻りはダム建設に象徴的だが、より本質的には、6年前までの公共事業費が社会保障費を上回っていた県予算の使い方が、昨年度までに改善され、社会保障費の方が上回ったのに、公共事業にしか使えない「500億円」の借金を行えば、また社会保障費へのしわ寄せが生まれる。 これが大きな争点であったことを確認し、そんな中で史上最高の7議席の議員団への前進は、後戻りを許さない「確かな力」となることを訴えた。

 改めて、県議選挙へのお礼と同時に次は市議会議員選挙の気持ちを込めて訴えさせてもらった。

 さて、その市議会議員選挙の争点と課題は何か。
  宣伝をしながら改めて考え、考えながら訴えた。
  今度の選挙戦。
  4年前と比べての一番の違いは市長が替わったということだ。
  4年前の選挙中の訴えが、このHPに発信されていた。

  「市民のくらしは待ったなしだというのに、あの市民会館に私たちの税金を145億円も使う。 皆さん、市長は、「145億円かけても、(松本市は)市民に新たな負担を強いることなくやっていける。松本市の財政は、健全だから大丈夫。」と私にも議会で繰り返し答弁してきました。 でも皆さん、すでに介護保険料はこの4月から上げられたではありませんか。」

 全文は、ここをクリック

  今回は、4年前のように、「住民犠牲のもとに、無駄な大型公共事業を行っていた市政」と違って、市民の願いが叶い、「住民が主人公」の市政に向けての前進が始まっている中、 われわれもいわゆる実績と言える成果が、これまでの4年間と違って、いくつも数えられるが、残念ながら2月議会で可決された19年度の予算は、そうした前進面、市民の願いの実現が、市民の負担増を前提に、暮らしの深刻さを置き去りにしたままのもので、直接的にそうした面への対策がとられていないことにその特徴があることだ。  

 私たちは、菅谷市政が誕生してからの3年間、2回の予算案には、「問題点はあるものの、前進面を評価し、賛成」してきた。  
  しかし、今回は、「評価点は多いが、自民公明政権の悪政の元、直接的に市民の暮らしを守る施策が行われていないことを明らかにして、反対」の態度表明を行った。
 
  今松本市政に何が必要か。
  地方自治体がこうした時期にとるべき姿勢は何かが問われる選挙になる。
  その中で、自分は、何を訴えるか。
  告示日は、15日の日曜日。それまでに原稿を作らなければならない。

  ところで、本番のポスターのゲラが到着した。

          

 はがきの準備、選挙広報の準備着実に進めなければならない

 尚、私の事務所は、藤沢のり子県議の事務所を引き継いで、行うことに決めた。

 住所は、松本市本庄1−3−15 (詳細は、後刻お伝えします。)
 

  
 

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4月8日(日) 

 「負けるはずのない選挙として、たたかいぬいてきた。」  
  

 一斉地方選挙前半戦が終わった。
  松本市選挙区は、当初「無風区」といわれたが、一気に「激戦区」となって選挙戦に突入した。  
  結果は、藤沢のり子候補は、減票したものの三選を勝ち取り、県下では、共産党は県政史上最高の7人の議員団が実現した。  
  前回6人の議員団だったわけだから、1議席増の前進。  
  この前進は、県政の後戻りを食い止める確かな地歩として、大きな力を発揮できると確信できる。  

 当選が確定するまでにかなり時間がかかったが、当確が出て、事務所にかけつけた藤沢新県議は、挨拶の中で、
  「力を尽くせば、負けるはずのない選挙として、また負けられない選挙として確信を持ってたたかってきました。」
 「訴える中で、いくつもの具体的な願いが寄せられる選挙でした。訴えた公約実現に向けて4年間全力を尽くします。」

 ときっぱりお礼の挨拶と仕事に向けた決意を表明した。  

 詳細な分析は、いずれ行われるだろう。  
  が、この選挙での経験と教訓を直ちに生かして、後半戦に向かいたい。  

 いよいよ、後半戦市議会議員選挙だ。  
  すでに、政策を含めた「松本民報3・4月号外」は、県議選告示前にも配布したが、改めて全戸配布することになります。  
  また、こちらもすでに配布を始めてきたものですが、私のリーフレットも出来上がっている。

 「松本民報3・4月号外」は、ここをクリック
 リ ーフレットは、ここをクリック
 是非、ごらんになってください。  

 後2週間、全力で訴え抜きたい。  
  県政でも市政でも、日本共産党の役割と真価が問われる選挙として頑張ります。  
 どうかよろしくお願いします。  

 明日朝は、藤沢新県議とともに街頭からの挨拶のため、松本駅前に出かける予定だ。
  お寄せいただいたご支援ご支持に、心から感謝もうし上げます。
 本当にありがとうございました。

 

  
 

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