4月28日(木) まず最初に菅谷市長から、次のようなに挨拶があった。 続いて、 先の議会で、選任された斉藤金司新教育委員長さんが次のような挨拶をされた。 ご承知の通り、斉藤金司さんは、長野県の教育委員を勤めていた方。 続いて、5人の議員さんがつきのように挨拶された。 望月宣治議員: 上松正文議員: 忠地義光議員: 宮坂郁生議員: 村瀬元良議員: 次第では、これで議題に入っていくことになっていたが、新人の議員さんだけ自己紹介して、私たちがそれをただ聞いているというのはどうしてもおかしなこと。
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4月24日(日) 正直言って、短い期間のかかわりの中で、訴えに対する住民の皆さんの手ごたえは、感じることができたが、対話が十分でなく、全体が見えない中での選挙戦だった。
ご支援ご支持いただいた皆さんに心から感謝も申し上げるとともに、選挙中掲げた公約、政策については、責任を持って、5人の議員団として地域の皆さんの願い実現の立場で奮闘すること表明します。 |
4月20日(水) 記者会見で記者の質問 菅谷市長 19日の会見の様子は、ここをクリック (自衛隊祭りに関しては、30分を経過したころからです。) 私は、17日が増員選挙の告示日でもあり、自衛隊祭りを見ることはできなかったが、マスコミの報道によれば、「当日は武器を触ることができ、昨年なかった動く戦車の試乗もあった」ようだ。 市長が、入校式に参加するという事は、事前に確認済みだった。 私たち日本共産党の自衛隊に関する立場は、2000年11月に行なわれた第22回大会で以下のように明らかにしている。 憲法九条にてらすならば、自衛隊が憲法違反の存在。「戦力ではない自衛力」などといってごまかす解釈改憲は、到底なりたたない。 要は、憲法違反の自衛隊は、解消させる。一定の期間存在することはさけられないが、その間は、必要な場合には、大いにそれを活用するという立場です。 このとき、「共産党は自衛隊を認めた」とマスコミは騒ぎ立て報道した。しかしその報道が意図的であることは、以上の中身を見ていただければ解ること。 |
4月19日(火) 今朝は、5時起きで、上の段の一番奥、三郷村との境周辺の全戸配布を行った。 |
4月14日(木) 「おまん」は、生八ッ橋の別もののようだうだが、中間教室でお世話になった先生方にということで買ってきたようだ。 今日もほぼ1日梓川に居た。 いよいよ選挙ポスターとハガキが明日出来上がる。 |
4月12日(火) リハビリの半日勤務。 それから約2年。 私の選挙以降、学校は卒業したものの仕事がなく、私の選挙を手伝ってくれた長男の8月の就職、義父の他界、などこの2年間は、我が家族のそれこそ各々の生き様、変化の連続だったが、これですべての構成員の新たな出発が始まった。
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4月11日(月) この作品について、4月3日付けの赤旗日曜版に番組紹介の記事が出ていた。 そして、今週がこのドラマの最初の盛り上がりの部分だ。 ばね工場を営む父親が取引先の商社の不正を告発して、結果として工場が閉鎖に追い込まれる展開だ。
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4月8日(金) 祖母が中学3年生の年は、昭和19年。 クラスメートとは、一昨年来、1年10ヶ月ほど疎遠になっていた次男だったが、この間の蓄積したエネルギーもあって、そして今ひとつ、是非旅行の中で逢って話したい3年生の子がいるという動機もあり、決断した。 そして電話が終わるなり、早速、妻とともに旅行かばんを買いに出かけていった。 これで、三男とは違った形だが、次男も新たな段階のスタートを切ることになった。 |
4月6日(水) 新しい松本市の選挙として、私たち議員団も一緒に取り組むことになり、私は主に梓川地域に責任を負うことになる。 確かに背は低い。 私も小さい時に母とともにりんご作業を手伝ってきた。 そして今でも忘れないが、小学校に入学した当初だったと思う。 そんな作業と違って、手を伸ばすだけで作業できるだけの高さの木が、一面に植えられていた。 |
4月5日(火) 新中学生向けの菅谷市長のメッセージの部分は、次のようだった。 「皆さんは、これからの3年間、きっと心も体も大きく成長されることでしょう。 そしてたくさんお友達や先生、地域の皆さんと豊かな交流もされることでしょう。 この3年間その時々に自分自身を振り返り、見つめなおし、自分という存在を確かに育てて頂きたいと願っています。 時には困ること迷うことあるかも知れません。 そんなときは、ぜひ、友達、先生、家族の方、地域の方に相談して知恵を借りて来てください。 人と人とが支えあうことが大切です。」 ところで、我が家の次男、三男は、いずれも今年は、各学校の最上級生。 帰ってくるなり、玄関にランドセルをほかりだし、帰宅時に開けたドアが閉まる寸前に、すり抜けるようにさっそく新しい友達の家に飛び出して行った。 |
4月1日(金) 「福祉のためには、消費税の引き上げはやむ終えない」という議論が、松本市の議会の中でも平然と行なわれるほど世論誘導がされているが、こうした事実を見れば、この議論がいかに根拠がないものかが一目瞭然だ。 「消費税をなくす全国の会」では、こうした事実を伝えるべくHPを出している。 今朝は、「消費税廃止を求める各界連絡会」の皆さんと一緒に、松本駅前で該当宣伝行動を行なった。 今日は、もうひとつ。 「新松本市の船出に当たり、舵取役の私としては、梓川連携軸田園都市構想を基軸として福祉教育医療などの行政サービスをはかりつつも、公助、共助、自助の理念の上に立ち、われわれの子孫の世代に過重な負担を残さないように細心の注意をはかり、4村の伝統をしっかりと受け継ぎ、市民の皆さんとの協働により、新たなる松本のまちづくりに邁進してまいる所存です。」 「子孫の世代に過重な負担を残さないように」 印象的な部分だ。消費税問題にも共通する。 さて、今回の合併。 合併が決まり、新市が発足した以上、思いは市長と同じだが、この合併の矛盾はいづれ必ず現れ、そのことが住民自治の前進も含め、新しいまちづくり、未来への発展につながることを確信する。
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