10月31日(日) 

  教育に奇蹟なし ともにがんばってきた子どもたちの成果しかない     


 長野県PTA研究大会木曽大会が木曽郡日義村 県の木曽文化公園ホールで行なわれた。
  木曽ヒノキの直径約1mぐらいの大木が20本ぐらい回廊風にそのままむき出しに柱となっている 以前来たときと比べ、明らかに柱の光沢は失われていた。
  たてもの側を向いたほうは、ヒノキ特有のつややかさが残っていたが、南側の庭に面した部分は、ちょうど歴史ある神社の柱のように風化が進んでいた。
  それにしてもやはり檜は違う。 どっしりした印象は、本当に落ち着く。

  元ラグビー日本代表選手 山口良治氏 講演を聴く事が出来た。
  「熱き感動を求めて」と題された講演は、さすがに第一人者ゆえ話で、実に納得できる部分が多かった。

  最近原子力発電所事故があった福井県三方郡美浜町が氏の生まれ故郷だ。
 2000年11月21日放送 NHKのプロジェクトX 「ツッパリ生徒と泣き虫先生」 〜伏見工業ラグビー部・日本一への挑戦〜 は見たことがある。
 直接ご本人にお会いするは初めて。
 
  約1時間40分ぐらいに及ぶ講演だったが、子どもをめぐる問題が多発しているが、そうした子どもたちを含めて、今の子どもたちは「愛されたい。信じてほしい。信じられたいと思って(やって)いる。」というところから話が始まった。

  私のメモで私なりに並べ替えまとめると(実に味気なくなってしまうが・・・)

 テーマは、「生きる力とは何か。人生の生き方をはぐくむ。」
 子どもたちと対峙し、悩んでいる子どもたちに大人として「どれだけ、自分がかかわれたのか。」という反省の大切さ。「(省みる)ベクトルを(大人が)自分に向ける勇気が必要。」
 子どもたちに「夢と希望を持たせてあげる。感じさせてあげられる」大切さ。
  子どもたちの未来を素敵に描くこと 「ゴールを描けなければ、ビジョンがなければプランも生まれない。」 そして、 「自分のためだけでは力は出てこない。仲間のため、社会のため、というなかで力が出てきる。」
  「教育とは、共に学び成長すること。共に感動すること」
  「仕事の力=使命感 教育に奇蹟なし ともにがんばってきた子どもたちの成果しかない。
  信は力なり
  出会いは人を変え、感動は人を造る

 そして最後に、 「愛する子どもたちのために涙が出るような 一人でも多くの子どもたちに声をかけてください。」とその話を結ばれた。
  ただ羅列した物となったが、本当に良いヒントを頂けた気がした。

  いわゆる「根性物」がある。
  どちらかというとスポーツの世界は、根性物になる傾向は免れない。
 
(それはすでに過去のものとなっているようだが・・)

  私も、中学のときにバスケットボールクラブに所属していた。
 もちろんレギュラーにはなれずに、ベンチすら暖めることは出来なかったが、 いまそのときを振り返って、どうしてもスポーツには負のイメージが抜けなかった。
 パスの練習もどれだけ「きつい」「速い」パスを受けられるか、受けさせるかという事で、力に任せてパスを出すことの練習の連続の記憶しかない。
  そしてそれが受けられなければ批判され、罵声が飛び、罰が待っている。
 という時代だった。
  でも良く考えれば、早い正確なパスをどれだけやさしく出し、得点に結びつけるのかが重要なはずだ。

  中学生の次男が、サッカーシューズを買いに言ったときに、ある店員の青年から息子がアドバイスを受けていたことを思い出す。
  息子は、「けった球を曲げられるシューズがほしい。」と言ったのに対して、
  「そうじゃないよ。どれだけ正確でやわらかいパスを出すかどうかが大事なんだ。 カーブのかかったパスより、やはり素直な玉のほうが相手は、受けやすいよ。」という会話だ。
 相手のことを思いやる大切さを教えられたような気がした。
  店員の青年は、自分でも高校でサッカーを行いインターハイにまで行った事を話してくれた。

 理にかなった第一人者の話には、実に納得できるものがある。  

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10月30日(土) 

  国旗・国歌 「強制望ましくない」
                        天皇発言をめぐって
     


 28日に開かれた園遊会の席で、東京都教育委員の米長邦雄棋士が、
「日本中の学校で国旗を掲げて、国歌を斉唱させるのが私の仕事でございます。」
  との発言に対し、
  天皇が、
「やはり、強制になるという考え方でないことが望ましいですね。」
  と答えたことが話題となっている。
 いわば異例の天皇の「政治発言」という事だが、明らかに米長氏が東京都の教育委員であることを承知し、そして、その東京都教育委員会が、「国旗」掲揚徹底などに従わなかった教職員を処分したことを承知しての発言であることが注目点だ。
 宮内庁の次長が、「行政施策の当否を述べたものではない。」と政治的発言を否定し、「一般的な常識を述べたもの」と強調したようだ。
  しかし、誰が見ても聞いても東京都の教育委員の発言に答えたもの。
  天皇に対して、いわば自らの「使命」を報告したことに対する、率直な天皇の発言。
 「強制は望ましくありませんよ」と諭した格好だ。
  東京都教育委員に対する重みのある「一般常識的」な発言だ。

  マスコミも「強制望ましくない」と見出しでは報じている。
 強制してはならないという当たり前のことが、強調されることに、明らかにその当たり前のことが守られていないことに対する懸念を表明した発言と思う。

  さて、日の丸、君が代の問題については共産党はどう考えているのですかという質問が寄せられた。
  私が、君が代を歌わないことに対する疑問として寄せられた質問だが、以前にも書いたことがあるが、概要次のように質問を寄せた人に答えた。

  「共産党の決定で、『歌ってはならない』と決まっているものではありません。
 
党員がこの問題についてどうするかは、その人に任せられている判断のことです。
 私はどうしても、君が代の歌詞に違和感を覚えるので、なるべく周りの皆さんに不快感を与えないような配慮をしながら、その場面場面ごとに判断して行動していますが、仮に起立という場面でも、歌いません。」
  とお答えしました。

  ところで、これに関連してか、明善小学校大規模改造事業竣工記念式典の来賓として参加していた2人の国会議員がいずれも挨拶のなかで、「君が代」に言及した。
  「君が代を大きな声で歌っていただける学校づくり」を進めている校長先生の教育方針を称え、もう一人の議員は、子どもたちを立派だと褒めるなかで君が代を行儀よく歌っていることにふれた。
  確かに表現方法は、柔らかだが、子どもたちにしてみれば、「君が代を歌うことが良いこと」と明らかに取られる表現だった。

  どうしてもこうして触れざるを得ない中身だった。  

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10月28日(木) 

  合併関連議案に反対しました     


第3回臨時議会。
  H15年度決算認定、四賀村および西部地域との合併関連議案の採決が行なわれました。
  私たち日本共産党は、会派を代表して私が討論を行い、いずれの議案にも反対の態度を表明しました。

  以下、私が述べた合併議案に関する発言の一番最後の部分を紹介します。
  (尚、発言用に用意した原稿と実際の発言は多少異なることをご了解ください。)

  また、すでに松本市のHPで議会の様子が発信されています。
  私の討論の部分は、ここをクリック

  以下討論部分の最後の発言です。

 私たち日本共産党は、この間「押し付け合併」「強引な合併のやり方」に反対の態度を明確にしながら、今回の松本地域の合併問題では、最初から「合併反対」という態度では臨んできませんでした。
  今度の合併や、協議されていることが本当に住民のためになるのか。住民の願いとの関係でどうなるのか。不況の中での市民生活との関係でどうゆう松本市になるのか。
  こうした議論のうえで納得済みで選択できるものかどうかを重要な判断の基準として来ました。
  それとの関係で申し上げますと今回のこの時点での合併には反対の態度を明確にしたいと思います。
  仮に今回、今日の議会で合併が決議されようとも、住民自治の立場から、十分な納得の上で進められてこなかったことによる矛盾は、これから必ず吹き出ざるを得ないでしょう。
  菅谷市長から「合併する以上福祉が向上しなければ意味がない」という主旨の発言がありましたが、謂わば、すげのや市政での合併問題での功罪といいましょうか、これまでの到達点と私たちの苦い経験を生かして、私たちは新しい松本のもとで、新しい市民の皆さんとも力をあわせて、市民が主役の新松本市の建設、特例債事業が本当に必要な事業なのか。負担を増やさないように。
 
そしてサービスの低下を招かないような方向で、
今後も 力を尽くすことに変わりはありません。
  そのことを申し上げて合併問題に対する討論とします。

 

  討論のなかでも紹介した四賀村での、松本四賀直結道路(トンネル)建設基金条例案はは、さすがに議会では「継続協議」扱いになり、基金1億円の積み込みは事実上凍結されたという報告が、四賀村の日本共産党の議員から連絡があった。
  「トンネルは合併条件ではない。必要性も含めて、新市のなかで議論検討する。」これが合意事項だ。
  それを、トンネル建設という特定目的の基金を1億円積み上げる。
  しかも台風23号関連お予算は実に、「目出し」としてわずかにしか計上していないのが今度の、四賀村の臨時議会へ提出された補正予算議案だと聞く。
  現在は、まだ別の自治体なのでコメントをすべきでないのかもしれないが、明らかに「異常な」事態だ。
  私が、発言でこの問題を指摘したことに対して、自席に帰ってくるなり、近傍の議員が、「四賀村はそんなことをしているのか。許されない。」
  と声をかけてきた。

 (十分な事前の準備が出来ないなかでの発言となり、短めにと考えたが、結局27分を超えてしまった。ご清聴、ご協力ありがとうございました。) 

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10月25日(月) 

  新潟中越地震
    「卵事件」を繰り返さないことを強く望む
     


 23日土曜日夕刻、車の運転中だった。
  信号待ちのためにスピードダウンする直前から異変を感じた。 すぐに停車して両サイドを見た。風による車のゆれかと思い、風の通り道なのか確認したのだが、どうも違うことが分かった。
  私のいつも使っている軽自動車は、仮に強い横風を受けたとしてもこれほどまでにゆれることはないはずだ。
  地震だった。
  どこか震源地はすぐには分からなかったが、遠くであれば、かなり強い地震という事が分かった。
  B'zのCDからラジオに切り替えた。
  新潟方面という事が分かった。 私の記憶のなかで、新潟地震がすぐに思い出された。 確か東京オリンピックの年で、私が小学6年生の時。
  今でも忘れないのは、教室の横から見える道路の脇に設置されていた防火水槽の水が、ちょうどおわんの水が、おわんをゆするとこぼれるように大量の水が道路のこぼれた記憶がある。 信濃川にかかった橋が、何本も崩れている光景を新聞の写真でその後見た。 本当に大きな地震を初めて経験した記憶だ。
  それ以来、松代群発地震、そしてなんといっても衝撃的だったのが1995年の阪神淡路大震災だ。

  しかし、最初はあの神戸の震災を正直すぐに連想できなかった。
  昨日のPTAの研究集会ぐらいまでは、「幸いにして被害は小さくて」という感じですごしていたが、とんでもなかった。
  すぐに阪神淡路のことに記憶がつながった。

  平成71995年年1月17日未明。
  新潟地震の当時とは違い、ほぼリアルタイムでテレビで地震後が放映された。
  そして、同時多発的に火災が発生した場面を映し出していたのを思い出す。
 
(すでにそのときに、インターネットをやっていた人々は、テレビとは違った別の画面を見ていたという事も後で知った。私はまだそのときインターネットをやっていなかった。)

 避難所の様子が伝えられたとき、神戸の長田区へ救援隊の一員として参加した時のことをすぐに思い出した。
 テレビで何度も放映された傾いた高速道路の脇を、松本市の第3次ボランティアの一員として参加したのだ。
 そしてすぐに「卵事件」のことを思った。

  私たちは、避難所を訪問し、トン汁を作るボランティアだったが、初めての場所で、トン汁を作り終え皆さんにお渡しした後、もう場所を畳んで次の場所へ移動するその寸前に、生卵が箱入れケースでかなりの個数届けられ、現地の責任者からゆで卵にしてくれないかとの依頼がありました。
  早速、大なべで水を沸かし、ゆで卵を作ってお渡ししていたときでした。
  私たちの判断も悪かったのですが、列に並んだ皆さん全員にゆで卵を渡すことが出来なかった事件です。
  仮設住宅のこともそうでした。
  用意するなら、希望者全員が必要とするだけの数を用意することの重要性というか、絶対性という事をひしひしと思ったことだ。  

 平成7年2月議会での私の質問の部分は、ここをクリック

  今回も同じようなことがなければいいなと思いながら、回りの方々にもお願いして、毛布と使い捨てカイロ、タオルなどをまとめて党の事務所に持っていった。
 毛布は、新品でない場合は、クリーニングが必要なので、日頃からお世話になっている業者にお願いして、集まった15枚のクリーニングを無理をおしてお願いした。
  (最短でも2日かかると言われてそれでも是非とおねがいした。)
  とりあえず第1便は、明日(26日)の朝出発するので、第二便(28日出発予定)には間に合う。

  現地は本当に冷え込んでたいへんだと思う。
  孤立した方々が救出され、避難所に集まると、おそらく避難所に入りきれないことが十分予想される。
  そうなれば、神戸市長田区もそうだったが、被災者は、学校などの渡り廊下に身を寄せなければならなくなる。
  私は、長田区を去るとき自分用に持っていった使い古しの寝袋だったが、ダンボールを敷いて座っていた方に使ってくださるようにお渡ししてきた。

  天災の後に人災を繰り返してはならないと改めて強く思う。
 政治の責任だ。

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10月24日(日) その2 

  「心の安定」基地としての家庭の重要性は 大人社会も同じ      


 岡野雅子氏の講演を概括すると以下の通り (池田要約)

  1、人間の発達は連続している。
  乳幼児の特徴は、「慣れ親しんだ人」(多くの場合は親、特に母親)への"くっつき"行動=愛着。その人がいれば、勇気を持って外界へ、怖ければその人のところへ逃げ帰る。
 まさに「その人」は子どもにとっての「安心・安全の基地」 この基地の存在が前提となって、外界と基地の間を行きつ戻りつしながら自律・自立して行く。
  気持ちを受けとめ、共感してくれる基地があって、セルフコントロール=我慢と問題快活の経験、主張の工夫など自己表現を学ぶ。
  「昨日の続きに今日があり、今日の努力が明日を開く」と全体をまとめた。

  2、「安心・安全の基地」の重要性
 愛着と自立を行きつ戻りつするそのなかで生きる力が養われる。
  「自分を分かってくれる人がいる」と思うことで(=心の基地)、「明日もまた頑張ろう」と力が湧いてくる。「生きる力」のもとになる。

  3、家庭教育の特質
 家庭とは何か。
 家庭の本質は生活する場所という事。  そして生活のしかたそのものが(親は意図しないが)教育的作用を持つ。
 (それに対し、)躾は、親が意図的に子どもを教育する(いわば狭義の家庭教育) 家庭教育は、家庭における生活のしかたという土台の上に「躾(しつけ)」が成り立つ二重構造(2階建構造)である。
 家庭における毎日の生活のしかたを整えることが、子どもの心の支え、力のもと、源になる。
 
やさしさは、想像力=イマジネーションである。

  前回も報告したが、岡野氏の話は、4分を残して残念ながらここで終わった。
  そして、この話の途中に、 読売新聞の社説を引用、佐世保の小6女児同級生殺害事件の「原因」に触れて報道するのは異例と紹介したのだ。

  「『育て方』を問いかけた家裁決定」と題する読売新聞9月16日付け社説を要約すると次のようになる。

  加害者の女児を児童自立支援施設に送る保護処分決定に関して、 今回のこの決定は、もっとも重い処分である。
  女児はまだ、友人の命を奪ったことの重大性とその家族の悲しみを実感できないという。
 決定は、「普通の感情や情動を持ち、意思を伝達する方法を習得させることが必要だ」としている。
  殺意を決意した動機は、交換ノートやインターネットへの書き込みをめぐるトラブルだったというが、家裁によると、被害者には特段の落ち度はなし。女児には精神障害と診断される程度のものもなかったと指摘したことを紹介し、 決定が強く問いかけは、両親の「育て方」である。
  女児は幼児期、なくことが少なく、おんぶや抱っこをせがんで甘えることもなかった。そのことを両親は「育てやすい子」と受け取り、女児に積極的にかかわることをしなかった。
  両親の女児に対する目配りが十分でなかった。 このことが、「女児の抱えている困難は根深く、内面的に極めて幼い」というような、情緒に乏しく、対人関係や社会性も未発達のままで成長することにつながった。
今回の決定で真相がすべて解明されたとは言い切れない。だが、低年齢化する少年事件を防ぐためには、 子どもに対する親のかかわり方も重要だ。それを改めて教えた決定と言える。

  以上が社説の概略だが、 結論として岡野氏が伝えたかったのは、やはりこの主張での、「子どもに対する親のかかわり方も重要だ。」と結論づける部分だったのではないかと思う。

  しかも、「かかわり方も」でなく、「かかわり方が」重要というように話されていたように思う。

  講演では省略された 「4、人間は柔軟性を持っている」 のレジュメの部分を見ると

 子どもは、本来、明日に生きている(夢見るもの) 「安心・安全の基地」をもとにして、人は「心の安定」を得ることが出来る。
  力強く生きる力、他者への思いやりが育つもととなる

となっている。

 岡野氏は、3、家庭教育の特徴の部分で、 大人の雇用環境の変化などと、現実の問題点、リストラ、長時間労働により、今の家庭が大人も含めて大変な点についても確かに触れた。
  しかし、それはあくまで、「今は、大人の雇用関係の変化などの問題もありますが、・・」という挿入的な扱いだったように思うが、少しその点が残念だった。
  子育ての上で、家庭の役割の重要性の強調は、岡野氏の言う通りだ。
 
改めて、自らの子どもとのかかわりでの反省を含めて、たいへん示唆的な為になる講演だった。

  今、家庭の重要性は、子育てのみならず、大人の生き方にとっても重要な「基地」になって来ている。
  その基地が不安定になり、安らげる場所に十分なっていない状況があることが現実だ。
 文字通り根本としてのベースの問題として、大人の社会そのものの不安定さぶりに目を向けないわけにはいかない。
  それは、心の病に悩む人が増えていることにも明確だ。
 
  同世代の子どもを持つ親として、佐世保の事件にとどまらず、ほぼ毎日のように報道される子どもをめぐる問題・事件に触れるたびに、家庭教育=子どもに対する親のかかわり方の重要性とともに、何よりも子どもたちの環境を形作っている大人社会全体の問題にも目を向ける必要があると改めて思う。
  コンピューター社会、メール、チャットなどその影響力の未知数の部分の解明も必要である。
  新しい環境の変化の要素として、これは原因でないと見るとしたら、それこそ早計だと思う。
  こうした子どもたちをめぐる事件の原因を1つに特定するのでなく、複合的に総合的に捕らえる事が必要だと思う。

  岡野氏の講演で、説明不足と感じたのはどうしてもその点だった。
                         ( 注:27日の時点で、多少加筆・修正しました。)

  午後は、私は、中学校委員会主催の『高校入試制度に関する結果収集および情報交換』  の分科会に参加した。

  中学生の気持ちの中で、いつも大きな位置を占めている高校入試問題。
 子どもの気持ち、子どもの成長を基本に高校教育を考えなければならないと思うが、  昨年度から始まった新高校入試制度、そして高校教育改革に関することについては、いずれ私の思いを語りたいと思います。

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10月24日(日) 

  「生きる力」 と 「心の基地」「心の居場所」      


 朝、8時に鎌田中学校に集合して、役員そろって開成中学に向かった。
  第55回松本市PTA連合会研究協議大会が、「こどもと、ともに歩み・ともに学ぼう」を大会スローガンに開かれた。

 開成中学は、以前、学校の施設の老朽化状況の視察に一人で来たことがあったが、これで2度目。
 「開成スカイライン」を上りきったその先には、相変わらず「予算がなくて」高い煙突がそのままになっていた。
 昨日新潟で大きな地震があったが、学校の改修と同時に、この煙突については、早急に撤去しなければいけないかなと改めて思った。  

  9時40分からの全体会。
 信州大学教育学部 岡野雅子教授の講演「子どもの心を受けとめていますか?」は、子どもたちの「生きる力」と「心の基地」「心の居場所」との関連に関して、改めて興味深い内容だったが、残念ながら、予定時間の残り時間4分を残して、講演レジュメの最後 「4、人間は柔軟性を持っている」 の部分が省略されてしまった。

 参考までに
  氏の講演レジュメは、以下の通り
 1、人間の発達は連続している
 2、「安心・安全の基地」の重要性
 3、家庭教育の特質
 4、人間は柔軟性を持っている

 最後のテーマの展開がどうなるのか一番聞きたかったところだったが、すごく残念だった。

 興味深さのひとつに、2004年9月16日の読売新聞社説、「『育て方』を問いかけた家裁決定」を引用して、長崎県佐世保市の小学校での6年生の事件に関して触れた点だ。
 岡野氏は、社説で、ここまで「原因」に触れて報道するのは異例と紹介したが、残念ながらその点に関しても少し説明不足のように感じた。

 (続きは、明日までに展開します。)

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10月22日(金) 

  台風23号の被害状況の上にたっての緊急の申し入れ      


 午前中に議員団会議。 5人全員と藤沢県議で現地調査を行なった結果のまとめをした。
  そして、緊急ではあるが必要性があるので、松本市へ議員団として申し入れを行なうことにした。

  当初、3時45分からという事であったが、3時からに繰り上げ対応するとの連絡を受け、急ぎ申し入れ書を作った。

   申し入れた全文は、ここをクリック

 坪田助役と大沢総務部長が対応してくれた。
  昨日付け日誌でも指摘したが、市の幹部の今回の被害の受け止めには疑問を感じていたが、この点に関して助役は開口一番次のように「菅谷市長コメント」を語った。
 「市長公約からすると、今回の被害はなかなかの被害と認識している。 市長会への出席を取りやめ、被害全地域の現場を回った。 担当各部、課に今回の対応と反省をまとめて、23日(土)までに、報告を求めた。 24号で繰り返さない対応をとった。」

  市長公約は次の中身だ。

  危機管理
  ● 市民の生命・身体・財産をまもることを最優先に考えます。
→大規模地震、水害など災害に備えた市民システムをつくります。
→自治会、地域消防団の自主的な取り組みをサポートする防災組織をつくります。
→病院、公共施設など災害時の拠点となる施設の耐震診断、倒壊対策をします。
→農協組織、チェーンストアなどと連携し、災害時に必要な物資供給ラインを確保します。
→災害が起きた場合を想定し、過不足ない生活復興システムを作ります。
→こころのケアシステムを導入し、災害時に稼働する準備をします。
→災害の際の弱者を守る学習、既存組織との協働、情報の正確な提供・共有などをもとにした地域防災推進指針を策定します。

 続いて助役は、次のようにも語った。
  「今回の申し入れの内容については、先ほど述べた点を含めていくつか認識で共有する点がある。
具体的には、
1、防災課がまつもと市民芸術館にあることの是非についても、検討するように市長から指示があった。
2、レンタルポンプの対応に関しては、市内の建設業者との連携を含めて今から検討するする。
3、土のうに関しては指摘の通り。「小さめサイズ」は、良い提案で、すでに指示した。
4、業者に協力をいただいて対応する。」
 
  以上が、申し入れに対する回答(要旨)だが、「小さめサイズ」の土のうについては、昨日行われた議会運営委員会開会前のわずかの時間に提案してあったことだが、早速対応してくれたことになる。
  実現できて実にうれしい。

  さて、申し入れを終えた時点で、金曜日定例の役所内「しんぶん赤旗日曜版」の配達。 建設課に伺った時点で、昨日付けの日誌に対するご意見をいただいた。
 趣旨は次のようだ。

 出川3丁目の水害に関連して、古いポンプについても、新しいポンプを設置する際に、「100mmから150mmに更新した」とのこと。 確かに性能は引き上げられ、理論値では「排水できるだけの能力」を持っていることがわかった。
  そしてさらにいくつかの点で確認できた点は次の通りだ。

  1、 いくつかある水路の断面から計算した上で、水量からは2つのポンプで十分対応できる性能にはなっていること。
  2、 しかし、実際には、水路の断面が小さく水路そのものが能力不足であること。
  3、 そしてより根本的には、田川の水位が高い結果、十分に和泉川から排水できないことが、相変わらずの問題点である。
  などだ。
  24時間で141ミリの雨量は、かなりの雨量だ。(110ミリを超えると大変なようだ。)
  確かにそうした面もあるだろう。
  しかし、少し北側の逢初川流域(庄内3丁目周辺)では、今回は、田川への排水地点の1軒を除き、5年前のような水害は発生しなかった。
 現場に行って確認したが、逢初川から田川への合流点の水門手前に2つのポンプが新しく設置され、それに加えて今回はレンタルポンプを2つ用意して排水した。
 区画整理事業の最中で、新しく作られた水路も、溢れかけたことは、水門手前ポンプ設置地点の新しい堤防の上にも、土のうが1層積み上げられていたことからも明らかだ。
  区画整理のことを含めて結論を急ぐことはまさに早計だが、レンタルポンプが力を発揮したことは明らかだ。
 田川の河床を2〜3m掘り下げること(計画ではそれが可能)も根本問題としてすぐに対応が求められるが、今の時点での対応として、「出川3丁目」対策としても、そして「三番川」対策としても、ポンプのことは必要なことだと思った。

 (和泉川から道路を横断して、直接田川にポンプで放水すること有効ではなかったか、素人判断の域を出ないが、関係者の皆さんからのご意見をお待ちしております。)
  追伸:この点については、23日付けのマスコミにも指摘があった。

  いずれにしても、市の職員、消防団の皆さん方の徹夜の必死の努力、奮闘の跡がいずれの現場でも確認できた。  改めて心から敬意を表します。
  たいへんお疲れ様でした。

  さて、渚4丁目の続報 この現場は、下水の枡からの溢水だ。 前回にもあったようだが、周辺9軒ほど訪問していくつかのお話を聞いてきた。
  消毒を希望するお宅で、まだ消毒作業が終了していないお宅については、下水道課に連絡を取り、やってもらうようになった。
 水路の溢水でないこの渚地区の「水害」。 根本対策があるのではないかと思われる。
  (後日の詳細調査が必要)

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10月21日(木) 

  「私ら年寄りでも、運べるような小さいサイズの土のうがほしい。」      


 「土のうが足りなかった。」
  「川の堤防のかさ上げをしても、洗濯機の排水溝は、前の位置のまま。逆流してきた。」
  「ポンプがほしかった。消防車が来て排水したら、水位は確実に下がった。もっと消防車を頼んだが、『他の地域に廻っているので・・』といわれた。」
  「古いポンプの性能を上げるように頼んできたのに。結局心配したとおり言った通りになった。」

  台風23号が日本列島を直撃した20日の夜は、事務所の泊まりの日だった。
  井川城の党の事務所は田川と薄川の合流点が目の前にある。
 夜9時ごろからテレビを見ながら何度も事務所の前に出て、増水の確認をした。
  10時ごろまでは、雨も強かったがそれ過ぎは明らかに弱まり、止んできた。
 台風の進路が明らかに曲がった。そして勢力が落ちたようだ。  2000メートル級の山並み北アルプス、南アルプスに「ぶつかり」、ちょうど南北アルプスの間を台風の中心が通過したような形になった。
  テレビの解説では、台風の雲の高さは大体1万メートルぐらい。それに対して2000mとなると、ひざの下まで水がある所を人間が歩くのと同じで、前に進むためにはエネルギーを消耗するからだという説明だ。
  なんとなく今まで、「山にぶつかるから、風が弱まる」という説を聞いてきたがあまり胸にすとんと落ちないものだったが、今回の解説には説得力があった。

  勢力が落ちずに、雨が降り続ければ、増水が心配されたが、川の水が増えるまでのタイムラグを考慮しても、何とか持ちこたえるぐらいの推量であることが確認できた。
 
  結局深夜1時ごろまでテレビを見ながら、事務所を出て川を確認しながら、朝を迎えて、事務所の交代者と替わって、早速地域周りに入った。

  心配なところはいくつもあった。

  最初は、出川3丁目。
  案の定、床上浸水ぎりぎりまで溢水(いっすい)したとのこと。
  前回のこともあるので、2階に荷物を上げ、一階のたたみも上げていたお宅があった。
  市の資料では、分類上「床下浸水」となっていたが、実際には床上寸前。 そこにきて2〜3センチの違いだ。
 (見舞金は、床下浸水の場合には支給対象とならない。)
  玄関の前にも、消防団の皆さんが運んであった土のうが積まれ、玄関のたたきには明らかに浸水の跡があった。
  「水は上がり框(かまち)のぎりぎりまで来たとのこと。でも今回はこれで済んでよかった。」との安堵感も伝わってきた。

  しかし、この場所は5年前の水害の時も大きな被害となり、新しくポンプをすえたはずのところ。
  「対策は取られた」との報告を受けていたところだ。
  実際にそのポンプの場所に行ってみると、2本のポンプが稼動していたが、新設の方からは比較的泥色の薄い水が出ていたが、西側の古いポンプからは、ほとんど排水していなかった。

  「もうひとつの古いほうも新しくしていれば、何とかなったのではないか。お願いしたのにやってくれなかったことが原因だ。」
  とかなりきつく指摘された。

  この場所。和泉川に沿って流れている水路は、一段下がったところにある。
  確か5年前に、その対策として新しいポンプを据えた。そのときはおそらく計算上、理論上の性能の必要性に基づき新しい物が設置されたはずだが、そのポンプの性能が追いつかなかったようだ。
 ポンプの性能は、モーターに根本的依存するが、さらに重要なのは、日頃からの管理だ。
  いくら「性能」がよくても、事前の運転を行なうなりして、泥を取り除いておかないと結局、詰まってしまってだめなのだそうだ。
   明らかに、これまでの経験と教訓が十分に生かされたのかどうかの検証と対策が必要となった。

 次に丸の内消防署庄内出張所を訪れ、周辺の被害状況を確認した後、現場に向かった。

  まずは、旧庄内保育園南側一帯の地域に向かった。  
  今回は、この場所は大丈夫のようだった。  地域の皆さんからは、今行われている庄内地域の区画整理との関係で、新設水路の問題で相談を受けていた経過がある。

 その工事が功をそうしたかどうかの検証は、いずれ行なうとして、次に庄内町の「三番川」周辺に向かった。

 途中、道路に「土のうらしき黒い袋」を積んでいたのを片付けていた高齢のご夫婦がいたので、車を止めて聞いてみた。
 消防署でお聞きした資料にはなかったが、自宅の土間がかなり道路より低くて、なかに入るにしたがって傾斜しているお宅だった。
 雨が降るといつも奥まで、水が浸水してくる。
今回も土のうがほしかったが、なかったので、最近新築の住宅の基礎と床の間に敷く墨(カーボン)が入った黒い袋(通気性のよいもの)を土のう代わりに使っていたようだ。
 「常設で土のうがほしい。」とのことだったので、早速消防署にお願いをして対応してもらった。
 その際、「普通の大きい土のうでなくて、私らが動かせられるくらいの小さなサイズのものがほしい。  隣の空いた家のところに保管するので、是非お願いします。」とのこと。

 土のうは、天日にさらしておきっぱなしにすると、すぐに劣化してだめになってしまうものだ。
 いざというときに使えないということがよくある。  雨のあたらないところに保管することが肝要だ。

 庄内町 「三番川」の現場に着いた。
  真っ先に言われたのが、
  「何度もポンプのお願いをしているのに設置してくれなかった。いくら堤防のかさ上げをしても、もともと洗濯機の排水溝は、旧堤防とかさ上げ部分の途中に穴がある。これでは逆流してしまう。 消防車が一台来て排水したら明らかに、水かさが減った。根本的な対策を大至急とってほしい。」

  そして
  「土のうが足りなかった。」とのことだった。

  ( 時間がないので続きは後で。)

  (午後1時半から議会運営委員会があったが、開会前に文書で中間報告でもあるのかと思って聞いてみたら、市の幹部は、「被害は少ないので・・」といっていたが、正直市民の思いとかけ離れた発言と感じた。議会運営委員会終了後に、渚地域をはじめ残ったところを確認した。 後ほど報告します)

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10月19日(火) 

  来年度(H17)当初予算編成方針が発表される      


 今日は、朝8時半からの定例部長会議の日。
  すでに菅谷市長になって部長会議も、定例では今日が16回目。臨時は5回を数えている。

  毎回、協議事項、報告事項、周知事項とあるが、なんと言っても今日のメインは、「平成17年度当初予算編成方針について」だ。

  先日発表した「すげのや市政とともに『住民自治』の前進を」でも述べたように、「すげのや市政にとって、これまでの流れを変えて、新しい松本市づくりに真価を発揮できる最初の正念場が来年度の予算編成」。

  その予算編成の方針が、協議され、会議終了後の定例記者会見で発表された。
 いよいよ正式に全庁あげて、来年度の予算編成に取り掛かる。
  この平成17年度当初予算の編成方針についてを受けての課長説明会、各課の予算担当者説明会は今週の金曜日 22日に行なわれる。

  発表された「平成17年度当初予算編成方針について」の全文は、ここをクリック

  住民運動として要望提案を積極的によせ、実現を図るには、10月中には、遅くも11月初旬までには、申し入れをする必要がある。
 
私たち議員団も、遅くも11月初旬までには、毎年出している政策予算要求を提出する予定だ。

  ところで、午後2時半から、松本市・四賀村と松本西部の合同法定合併協議会が行なわれ、予定通り、25日に、東急インホテルで午後4時から調印式を行なうことを確認して閉会となった。
  予定されていた時間は、約2時間だったようだが、ほとんど発言もなく、わずか1時間ぐらいで終わってしまった。

  (時間がないので、予算編成方針、法定合併協議会に関するコメントは、機会をあらためます。)

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10月17日(日) 

  すげのや市政とともに「住民自治」の前進を      


 議員団や地区役員間で何度か議論し、表題の通り、文書を発表した。
 すげのや市政が誕生して半年。すげのや市長が、「合併を受け入れ」たことで、市民のなかから、「もうがっかり」「裏切られた」などの声が聞かれる中、今後の松本市政発展のために日本共産党が臨む基本的な立場を明らかにしています。
  少し長いですが、是非お読みください。

  すげのや市政とともに「住民自治」の前進を  は ここをクリック (PDFです。時間がかかります。)

  Word版は、こちらをクリック 

  さて、夕方妻から「優勝したよ。」と携帯電話がかかってきた。
  今朝は、朝6時半から家を出かけ、山形村子ども育成会主催「第20回すこやか杯少年サッカー大会」に出かけていた。
  すでに、試合が終わってもう帰宅していてもおかしくない時間だったが、どうやら3戦3勝して所属するチームが優勝したため、表彰式など今まではまったく縁のなかった「最後まで」ことを済ませてきた結果だったようだ。
  夜、帰ると三男は、顔が真赤に焼けて、首から「金メダル」を掛け、横になってテレビを見ていた。
 本当は 早く試合を終わらせ、家でゲームをやりたかったようで、初戦、2戦はあまり「力(リキ)」を入れていなかったようだが、3戦目はやはりそれなりに真剣な表情で取り組んでいたとは、一緒に行った妻の話。

  「金メダル」を見せてくれるように頼んだが、見せてくれるだけで、とうとう掛ける事はもちろん触ることすらさせてもらえなかった。
  ケースに入れたまま、開けてはいけないといいながら、その「金メダル」は、現在テレビの棚のブラウン管の真下に立て掛けてある。
  「絶対に開けちゃいけないよ。」と何度も念を押された。

  私も妻もいわゆる運動系として少年期を過ごした記憶がないので、まさか子どもが「金メダル」を取るとは思ってもみなかった。
  こうしたいろいろな経験が子どもたちの成長につながることを心から願う。

  この山形村の子ども育成会主催のサッカー大会。 4箇所の会場で各々優勝者が生まれる運営は、トーナメント戦にしても時間的な問題もあるのだろうが、子どもたちに対する配慮も感じられる運営だ。
  夕食が終わると切り替えの早いのが子ども達だ。
  サーカーの話はほとんどなく、早速ゲームに興じていた。

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10月14日(木) 

  豊田市と岐阜市に行って来ました      


 13日、14日と2日間、松本広域連合議会消防委員会で、豊田市と岐阜市に視察に行ってきました。
 
  豊田市での視察は消防行政そのものもさることながら、「消防業務の効率的運営」との関連で、「目標管理制度」、「人事考課制度」など、行政経営システム 「行政運営体」から「行政経営体」への変革をスローガンとした豊田市トータル人事システムの方がより興味深かった。
 トヨタ自動車の影響が大きく、10年以上も前から改善提案制度など積極的な導入を行なっているとの説明もあった。

 豊田市は、ご承知の通り、昭和26年に挙母(ころも)市として市政を施行後、昭和34年に「豊田市」として市名を変更したまさにトヨタ自動車の城下町。
 そうした歴史も含めて、消防行政だけにとどまらずに、行政そのものに「トヨタ方式」が大きな影を落としていることは誰もが想像できる事だ。
 豊田市は、トヨタ自動車下請け関連会社がほとんどで、そうした仕事に従事する人の割合はかなり多いが、1兆円の利益を上げているトヨタ自動車の陰で、関連会社のほとんどが「赤字」という話だ。
 いずれにしても新たな問題意識を提供してくれた豊田市の視察だった。

  2日目14日は、岐阜市の消防本部庁舎と岐阜大学病院高次救命治療センターを訪問した。
 消防本部庁舎は、H12年12月に竣工、鉄筋コンクリート6階建ての建物、そして岐阜大学付属病院は今年6月1日に開院したばかりの建物。
 いずれも免震構造になっている。

 免震構造に関しては、新市民会館の建設特別委員会で、免震構造の導入を求めた質問をする際にかなり調査した経過があるが、写真を見ただけで実物を見たのは初めてだった。
 消防本部庁舎の地下には、積層ゴム方式の免震装置が24個この建物を支えていた。
 最近震度3の地震があったが、座って仕事をしている職員は、「揺れているな」という程度、立っていた職員は、ほとんどその揺れを感じなかったとのこと。
 病院のそれは、鋼棒ダンパー製の物と併用していることがわかった。

  たとえば、ここをクリック
    ( ほかにも、免震(構造) で検索すれば、いくつかのサイトがあります。)

 設置費用は、大体建設費の約1割り増し、業者の説明では、60年間で2%の「劣化」が起こる程度で、もちろんジャッキアップすれば、ひとつひとつ取替えができる構造となっている。
 これからは、こうした中層建築では免震構造が、そして高層建築では制震構造が導入されることになるだろう。
 すでに一般住宅でも業者がそれを商品としている。

 まつもと市民芸術館には、防災課が同居し、大地震などがあったときにはそこが重要な防災拠点になるようになっている。 (途中からそうした機能が追加された)
 しかし、 構造は免震構造ではなく、あくまで耐震構造だ(耐震は当たり前)。
 「耐震」とは、ゆれても壊れないという頑強な構造というだけで、揺れはそのまま受け入れなければならない。  
  大きなゆれがきた場合に、仮に躯体は耐えたとしても、コンピューターなどをはじめとしたシステムが、耐えられるかどうかの保障はない。

 要は、ショートケーキが入った箱を揺らした場合、箱は残ってもケーキはぐちゃぐちゃになってしまうのと同じだ。

 パソコンは、ディスプレーが壊れれば機能しなくなる。

 消防署にしても病院にしても一番そうした機能が求められる施設だ。
 新市民会館は、「構造的に難しい」との答弁だったが、そんなことはなかったはずだ。

  ところで、病院の高次救命治療センターは、まさにテレビのER=緊急救命室そのもの。
  ヘリポートも当然設置され、すでに重要な役割も果たしているとのこと。
 そして、ドクターカーもあり、その関係もあり、病院に消防署の職員が研修に来て、日頃から病院職員と消防署員のコミュニケーションがよく行なわれているとの説明があった。

 実に大切なことだと思った。

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10月12日(火) 

  「松本市を 終(つい) の住処(すみか) 」     


 午前9時半から、議員全員協議会が行なわれ、市川博美新収入役から、就任のご挨拶があった。
 さすがに緊張していたようで、日付を間違える場面もあったが、大要次のような挨拶だった。

  「『市民が主役、行政は黒子』の菅谷市長の基本姿勢に共感した。まずは収入役の職務に、 そして、この間のささやかな経験を生かしながら、市長の目指す新たなまちづくりにお手伝いができるように。  中学校、高校のときによく通ったこの松本市を 終の住処として 将来長く住みたいと思います。」
 ぜひリラックスして、力を発揮してもらえるように期待します。

 引き続いて、10時から、市民会館建設特別委員会が行なわれ、「まつもと市民芸術館運営審議会」の設置に関しての報告を受けた。
 
  「新市民会館(まつもと市民芸術館)の運営を透明化します  市民による反対署名を重く受け止め、ランニングコストの内容を徹底的に開示し、それに基づく運営企画の洗い直しを行います。 市民参加型の審議会を立ち上げ、運営方法を検討します。」
  という  市長公約に基づく運営審議会だが、

 最初の提案、および9月議会での補正予算審議の際には、定員15名、内公募は5人というものだったが、今日は、公募を10人にして全体の定数も20名に増やすと同時に、過去における市民会館建設に関する3つの「検討委員会」等のメンバーとは重複する人なく選任されたという事が報告された。

 最初の特別委員会場でも、9月議会の際にも、いずれもこの2点については、この審議会が、市長公約に基づくものだから、市民代表の人員、比率を高めることを再三にわたって強く要望してきた経過があるので、まずは一安心というところだ。

 各審議会委員の任期は、2年。
  毎月1回のペースで開催すること。
 
そして公開で行なわれることが確認された。

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10月11日(月) 

  20年という時間の経過の中で     


 支部の皆さんとしんぶん赤旗の購読のお願いに歩いた。
  新たに2人の方に、読んでいただけることになったが、その中で感じたことを一言。

 今日は、街の中心部。
  すでに20年以上前に区画整理が終わってほとんどが3階以上のビルが立ち並ぶ地域。
  区画整理がされ、道路が整備された中に、比較的小さなビルの1階、2階を飲食、店舗に貸し出し、3階に住んでいる方が多い。
  1階の店舗の端に階段の入り口がある。 それを登っていくわけだが、その階段の幅の狭いことと勾配の急なこと、そして階段の踊り場の狭いことには驚く。
  世帯主の方は不在で、お孫さんが対応してくださったが、ご挨拶とご購読の検討のお願いして階段を下る途中に、世帯主の方とお話ができた。
  荷物を片手に重そうに、後から付けられたと思われる階段の手すりをしっかり握りながらそれこそ一段一段上られてきた。
  実は、前々から気になっていたのだが、それが現実となっていた。
 
  今まで住んでいたところをあきらめて他に引越しを余儀なくされる方が、区画整理事業が始まった時に大きな問題になった。
  そのとき、地主の人たちで、財力がある人は、広い土地にゆとりを持った低層の住居を建てて今でも暮らしているが、大方の人は、土地の減分で前述したように窮屈なビルを建ててその3階(最上階)に居住空間を定めている。
  当時その方のお宅を訪問したときに、2階屋上を庭園に家が建っているという感じで、下の喧騒空間とは違ったなかなかの居住空間だと感心したことを思い出した。
  でも今はまさに違う。
  自宅への出入りすら大変なのだ。

  お聞きしたら、エレベーターを設置するゆとりがないから、やるなら大幅な改築をしなければならなくなるので難しいと言う。

  20年前といえば、その方もそして家族の皆さんも今のようにバリーフリーと概念も少なかったし、実際に年齢からしてその必要も考える必要はなかったと思う。
  とにかく、土地の有効利用という事で、なるべく階段関係はぎりぎりの大きさにした地主さんがほとんどだろう。

  私も今なら老後、介護ということを考えるが、20年という時間の経過で、地主の方ですら古くから住み慣れたところを退去するという事を考えなければならない事態となっている。

  深刻な事態だと思う。

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10月7日(木) 

  どれだけ一人ひとりの子供の立場を大切にできるかが大切     


 市内の小学校のあるクラスで、試験の結果を男女別に各々の平均点を出して、「負けた」方全員に、宿題を出すという事が行なわれていることが話題になった。
  また、ある高校では、全員の試験の結果の得点別ランキングを、点数、実名入りでプリントし、すべての家庭に郵送しているという。
  いずれも、先生が自らの経験や教訓に基づいての実践活動であることに間違いない。
  そして、子供たちのためにと思ってのことに違いない。
  でも、ここまでやるようになったのかと正直驚いたの実際だ。

  私が小学校時代には、すべての教科に関して、そのつど上位90点以上の子供の名前を発表して、「励まし」た先生を思い出した。
  そのときは、みんなで「すごいな」と言う声とともに、見せて見せてと答案用紙を覗いたことを思い出す。
  高校では、確か上位何位かまでの結果を、平均点と共に張り出した先生がいたように思う。
  その壁には人だかりができ、平均点を見て安どしたり、「またあいつがトップだ。」という会話があったように記憶する。

  でも、最初に紹介したようなことが行なわれたとき、子供たちそれぞれの思いはどんなものなのかを本当に考えてしまう。

  競争社会といわれて久しい。
  そして、試験がそれぞれの子供たちの理解度、弱点を見出して今後の学習の参考にするという少なくとも建て前はその通りだが、実際には違う方向に作用していることは誰もが否定できないことだろう。

  子供に限らない。
 私もそうだが、大人でも自らの努力で、理解ができたり、発見ができたり、そして自信を持って結論づけたりできることのうれしさは誰も同じだ。
  「なるほどそういう事なんだ。」
  「そうなんだよ。」
  と同席する集団の中で、誰もが一致できる会話が行なわれ、認識を共通するということが一番大切で、生きていくうえでの力になるという事を共に共有することの重要性を最近よく感じる。
  自分の子供たちとの会話の中でも実感する。

  それを、授業と試験の結果だけで、学ぶというその営みを終わらせてしまったら、そうした一番のうれしさを実感できないのは本当に残念だ。
  そうしたときの子供たちの目の輝きは、誰もが経験していることだ。
  しかし、時間がなくて、そうした機会が家庭では本当に少なくなって来ている。

  現在長野県議会で、高校改革をめぐる議論が行なわれている。
  「高等学校改革プラン検討委員会中間まとめ」をめぐる議論だ。

 それに対して、私たち日本共産党長野県委員会が、
  「県民に開かれた学校づくりを長野県の教育改革の柱に」
を発表した。

  議論の原点を、子供たち一人一人の立場にたち、時間をかけて議論することと、認識を共通させることが必要だと実感する。
 私も、もう少し時間をかけて、熟読したいと思う。

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10月5日(火) 

  「民営化されたら、松本市の郵便局は2つしか残らない」     


 松本市のある特定郵便局長さんからうかがったお話です。
 郵政民営化に反対する意見書が、今9月議会で可決されました。
 松本市町会連合会代表 百瀬賢志 氏より提出されたもので、私も紹介議員になった請願による審査の結果だが、本会議では、公明党3人、他に2人合わせて5人が反対したが、賛成多数で可決した。

 議会に寄せられた請願には、その趣旨が次のように書いてあります。
  「国家公務員である職員が仕事をして頂いているお陰で特に高齢者、障害者等の『生活弱者』は安心して年金の受け取りや送金をお願いする事が出来ますし、保険にも加入出来ます。又、山間地、離島でも郵便を出したり受け取ったりする事が出来、都市部と同じサービスが受けられます。」
  「市町村合併が推進され、国の出先機関が地方から撤退していく現在、唯一の公的機関郵便局を住民サービスの拠点として位置づける必要があります。  構造改革は必要なのかも知れませんが、133年の歴史と文化を誇り、多くの国民から支持されている郵便局事業をなくす改革には断固反対します。」

 日頃、地域住民の皆さんのくらしをささえて奮闘している皆さんならではの、味のある文章です。

  請願と意見書の全文は、ここをクリック

 さて、この件については、私も事前に別の特定便局長さんから、相談やお話を伺っていた。
  そして、今回は町会連合会の役員の皆さんがこぞって提出に賛同していることを聞いていた。
  失礼な言い方かもしれないが、町会連合会の役員の皆さんといえばいわゆる保守的な方々がほとんどだと思う。
 そうした皆さんが、郵便局を、「唯一の公的機関で、住民サービスの拠点としての位置づけ」を求めている。
  そして民営化を狙う自民党の政策に反対する。
  今までになかったことだ。

  小泉首相は、自ら改造新内閣を「郵政民営化実現内閣だ」と言ったが、明らかに国民の願いからかけ離れていることは、この松本市でも証明されている。

  朝日新聞の世論調査が発表され、新内閣に一番力を入れてほしいことの一番が、年金・福祉の52%、次が景気・雇用の28%、「郵政改革」は5番目のしかもわずか2%にしか過ぎない。
  自民党政治の長期的な低落の深まりは、はっきりと見て取れる。

  もうひとつの大きな変化は、今回の運動を共に進めるためにがんばった特定郵便局の局長さんをはじめとした皆さんだ。
  今まで、特定郵便局長の皆さんの集まりである「大樹会」は、いわゆる「自民党の集票マシン」と言われてきた。
  そしてその便局長が、2001年の参議院選挙後多数、公職選挙法違反で逮捕されていることも記憶に新しい。
  確か2000年だと思うが、長野市のMウエーブをいっぱいにして、全国集会を行い、自民党の候補者のための意思統一を行なっていた記憶がある。

  そうした人たちが、私たちにもお話を持ってくる。
  郵便局は普通郵便局・特定郵便局・簡易郵便局に分類されるが、特定郵便局は、その歴史が興味深い。
  特定郵便局長は、「利権集団」と指摘する人がいる。
  簡易郵便局の関係者などからは、異口同音にそうした話が多い。
  でも、現在のそうした側面がなぜ生成されてきたのかを見る必要がある。

  特定郵便局というこの制度は、100年以上前に考えられたにしては、かなり良く出来た制度だ。
  近代化のために、全国郵便制度を一刻も早く構築しなければならないが、国には、お金がない。
  そこで、地方の名士(お金持ち)に土地や建物を提供させて、郵便局を運営させ、国家公務員として任命する。
  世襲も可とする。というものがその始まりだ。
  そういう意味では、この制度のおかげで、全国津々浦々に郵便局が張りめぐらされ、日本の近代化に大きく寄与した。
  「明治以来の歴史の中で、国家から給与をもらって生きてきた公務員はごまんといるが、私財をも国家事業に投入した公務員は特定局長だけであった。」ことは事実だ。
 そして、  
 「たかだか『特定郵便局長』という低位の官職に込められた使命感を過剰なほどに『我が理念』とし、戦前においては局の運営費も人件費も切手の購入費さえも自前で出して、郵便事業の全国普及、あるいは国民の貯蓄振興に貢献してきた。また戦後においては、電信電話の普及のためにと、自分の山から伐採してきた木材を電信柱として国家に無償提供までした。   
  今となっては、そのような昔々の貢献話など犬に食われてしまえばいいと笑われるが、それでも特定郵便局長たちが『私財をなげうって国家に貢献してきた事実』は歴史に記録され、正当に評価されなければならないはずである。」
 ある郵便局長が語っていることだ。

 現在でも、「利権集団」とまで言われるまでには、自民党とのこれまでの「お付き合い」を否定するわけにはいかないだろう。
  しかし、現在、地域住民との関係で歴史的に果たしてきたその役割は、改めて調べてみてよくわかった。

  最後に議会が終わった後に、私たちが市内の特定便局長の皆さんを訪問してお話を伺った中での話です。
 「民営化されれば、この辺では、本局と南局の2つぐらいしか残らない。この辺は若い人の利用も多いが、高齢者も多く、訪問活動をして年金などの扱いをしている。これこそ郵便局ならではの働き。これがなくなると困ることになる。」
 というお話の後、
  実は、ある政党の市会議員さんが来てこう言い訳していったと言うのだ。
  「上のほうで決めているので、意見書の採択には反対をしたが、私個人では民営化に反対です。」と。

 私は、おそらくすぐあの議員だという事がわかった。

 まったくあきれた話だった。

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10月4日(月) 

  内側から見た富士通    「成果主義」の崩壊     


 The Inside of FUJITSU と題された 城繁幸氏の書いた本を読んでいる。
  この本は2つの興味から購入した。

  ひとつは、「4重表記」という形態だ。
 これまでの日本語は世界でも類を見ない「3重表記」(ひらがな、カタカナ、漢字)。
  それに加えて、英語(あるいは他の外国語)を混じえての表記方法が、4重表記。
  出版社=光文社ペーパーバックス自身の説明も加えられている。

  もうひとつの興味は、「成果主義」の崩壊という内容そのものだ。

 「4重表記」は、日本語の表現を英語では、単語だけでなく熟語としてまた、文書としてどのようになるのか大変参考になる表記だ。
 光文社によれば、「これは、いわば日本語表現の未来型です。」と書いてあるが、確かにそうした面は評価できる。
 さすがに、中盤過ぎは、英語の部分はすくないが、最初は印象としては、英語と日本語が半分くらいの割合に感じられ、しばらくは取っつき難かった。
 読んでいるうちに慣れてきたが、英語の部分を「発音」し、意味を確認していると先に進まないもどかしさと言うか、英語が邪魔に感じることもあったが、まもなく読み終える。
 言葉や表現に興味がある私にとっては、外来語の誤用を防ぐ意味でも大変役に立つ面も持っている。
 いわばひとつに辞書のような活用も考えられる。

 なぜこの本に興味を持ったかの2つ目の理由そのものの「成果主義の崩壊」。
  この「成果主義」は、今、民間にとどまらず、公務員制度の中にも「人事考課制度」という形で導入がされつつある。
 松本市でも、すでにH15年度から松本市にあった「新たな人事考課システム」の構築に向け取り組みが施行、H18年度には本格運用を開始するという。
 私は、この問題を6月議会本会議で取り上げた経過があるが、慎重な検討を要する中身だ。
 松本市の場合は、「目標による管理制度」も併行導入するとなっている。
 完全に読み終わった時点で、再度コメントしたい。

 なお、この本は、ある書店のベストセラーの7位に位置していた。
 しんぶん赤旗の記事も引用されている。

 (続きは後ほど・・)

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10月3日(日) 

  イチロー最多259安打 大リーグ84年ぶり偉業     


 イチローが新記録を達成した。 1920年に、ジョージ・シスラー内野手がマークしていた記録を抜き去った。
 実は、昨日は長野で会議をしていた。
 昼休みに入った時点で、インターネットで知った。
  その時点では、「258」 そして、会議終了時には、「259」。
  明らかな快挙、そして偉業だ。

  「野球は趣味か仕事かと聞かれれば、僕の場合はバリバリ趣味です。新しいことをどんどん追求していくことが楽しいからやっている。お金をもらうことが一番なら、もっと先へ進もうとは思わない。」
  ある新聞が紹介したイチローのコメントだ。

 新聞各紙の見出しを列挙してみた。

 ・ 84年ぶり大リーグ新記録
 ・最多安打259「最高の瞬間」イチロー84年ぶり快挙
 
・熱い、イチロー 新記録259安打

 そして各紙を読み比べてみた。
  ここで少し赤旗の宣伝。

  赤旗は、16面中 1・3・11・13・14・15 面   の6面
  A紙は、40目中 1・3・5(社説)・34・35・39  の6面
  B紙は、32面中 1・3・5(社説)・28・29・30・31  の7面 

  しんぶん赤旗は、掲載面数でも、その紙面の割合でも見劣りしない編集だ。(我田引水か・・)
  実は、今日のタイトルの見出しは、赤旗のものです。
  記事も十分読み応えがある。

  「ICHIRO」が大リーグの野球観を変えた。キーワードは継続性と向上心。
  是非、この記事もご覧ください。
    ここをクリック

  今週の日曜版も、印刷は9月28日にはできているのだが、十分に10月3日に耐える中身だ。
    日曜版は、ここをクリック

  私もそうだが、多くの人が同じだと思う。
  イチローのインタビューの言葉に、自分の今の気持ちを重ね合わせて、一番ぴったりの言葉を捜す。そして共感、共有する。
  私の場合、今回はこれだ。
  「プレッシャーから逃れるわけではない。プレッシャーをわくわくして受けとめる。」  と言う趣旨の発言があった。

  しんぶん赤旗には、市田忠義書記長も登場して、「個性の発揮すばらしい」と題して、次のようにコメントしている。(要旨)

  「すばらしいの一言に尽きる。シスラー氏の時代とはピッチャーの投球術、起用法も格段に進歩しており、その点でも偉大な記録。新たな成果に到達してもよしとせずさらに上をめざし、1つの道を探求する求道(ぐどう)者のような向上心で鍛錬を積み重ねたからでしょう。前の足に重心を置くなど、型にはめず個性を伸ばしてきた結果です。 長所を生かして1歩でも2歩でも前進するためにがんばるのは、私たちの活動にも通じる。」

 市田忠義書記長が、阪神ファンの野球好きであることを知っている人は多い。
  先日9月26日、松本市のやまびこドームで行なわれた「赤旗信州秋まつり」でも、平和問題関連して、野球選手 沢村栄治氏 に触れた部分があった。
  平和であってこそ野球ができる。
  沢村投手が、戦争に3回召集され、亡くなったことが紹介された。

  沢村選手は、戦地でどんな役割を強いられたか。
 
今回調査してそのことがわかった。
  従軍で肩を壊したことを紹介している記事はいくつかあったが、何で肩を壊したのかについて触れている記事を見つけた。
  その記事は、最後に「沢村は、国と巨人に使い捨てにされた悲劇の投手でもある。」と結んでいる。

 その記事は、こちらをクリック

  この記事には紹介されていないが、沢村投手は、2回目の招集後、普通の投げ方自体ができない体になったが、根性の人・沢村は今度はアンダースローに変えて、三度マウンドに立った。

 主に 、しんぶん赤旗の宣伝になってしまったが、是非お読みください。

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10月2日(土) 

  住民投票を求める347人の署名  安曇村      


 安曇村の「市町村合併について住民投票を推進する会」が、合併の是非を問う住民投票条例制定の直接請求に向けて集めていた署名が、347人分集められ、村の選挙管理委員会に提出された。
  署名期間は、9月24日(金)から30日間だったが、お伝えした通り、法定西部合併協議会が10月4日に発足し、19日の第2回目で終了させ、10月下旬には、合併調印、松本市と四村議会で「議決」が予定されている中で、日程を早めてのことだ。
  この提出を受け、村長は、選挙管理委員会の審査機関をなるべく短くして、20日前後に村の臨時会を招集して条例案を提出したいと伝わってきた。
  この臨時議会で、議会で否決されれば、残念ながら住民の意思は無視され、住民投票は実現しない。
  松本市でのかつての市民会館の改築見直しを求める請願署名の時と同じだ。
  しかし、是非今回の場合は議会で可決され、住民投票が行なわれることを強く希望する。

  私は、松本市の議会閉会日の意見の中で、「340」と言う数字を明らかにした。
  「340」は、安曇村で合併の意思を確認したと言われる住民懇談会が、9箇所で行なわれたが、その参加者の合計が340人であることを村の職員から確認したのだ。
  直接請求に必要な、有権者の2%は、36人だが、それをはるかに越え、「340」をも超えた今回の347人の署名は、重い意味がある。

  ところで、聞こえてくる話では、この署名をめぐって村の中はかなりヒートアップしたようだ。
 
家族の一人が署名したことをめぐって、「問題」となり、家父から署名を集める受任者に圧力がかけられ、さらに署名したものまで取り消させたという事まで伝わってきている。
  大変な事態が展開された中での、それこそ1週間という短期間での住民の声は、住民投票をやってほしいというもの。

  合併は住民の意思が尊重されなければならない。
  347人の住民の声を無視して、合併を決めてしまう「見切り発車」は、許されない。

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