日誌詳細

 

 1月31日(金)
  
 「最後に行って、合併するとかしないとかでなく、合併をするための手順・階段を踏んでいくわけですから。最後へ行ってそんなことをやれば混乱する。」            合併問題に関する市長答弁ハイライト

 1月30日の議員協議会(通称 全員協議会を略して全協といっています。)での私と、市長とのやり取りの部分をご紹介します。
(同僚議員に協力いただき、そのメモと私のメモ及び記憶です。全文ではないので、ニュアンス上誤りがあったら、私の責任で、この日誌上でお詫び訂正します。)

池田)今日報告受けている(健在検討されている)課題整理表のこの中身は、(法定合併協議会で策定する)市町村建設計画のと同じものか。
課長)建設計画を策定するが、その中身は現在協議している協議事項がその中身になる。それを反映して作られる。
池田)(直結道路建設が、)最優先、最重点となっている。市町村建設計画にもその表現で掲載されるのか。
課長)それは、これからの論議の中で決まってくるのであって、今は最重要と捕らえている。
池田)そんなことはない。実際には、この表現になるものだ。
いまここで(この表現を)確認すれば、「最優先」になると決まることになる。
市民は、はじめてそのことを知ることになる。
法定合併協議会では、(協議の中身として)協議中の市町村の合併の是非そのものも含めて議論するになっているはずだが。
課長)法定合併協議会発足後も合併しなかった例もある。議員のいうとおりだ。
池田)では建設計画そのものが合併の是非にかかわる重要な中身になるということでいいのか。
課長)重要な位置付けになっている。
池田)四賀村の村長の判断で、文書が出され、松本市の議員に働きかけが行われたが、
トンネルに反対するなとはは書いていないが、積極的に賛成意見を述べることを求めているが、このやり方について市長の見解は
有賀市長)書類は見ていないが、村長が四賀の将来を考えた上での事で、いけないとかいいとかは言えない。
それより、共産党は、堂々と、合併反対というか賛成というか。はっきりせよ
赤旗で山形村長が紹介されていたが、これは理想像としてやったと思う。
合併しなんでいいのなら、そんないい演説は、1時間でも2時間でもできる。
(合併を選択するのは)将来に向かってなかなか難しいからだ。
政治家は、お互いに先を見通して住民の幸せを考えることが重要。
中島村長のいまの立場、やむにやまれぬ行動だったと思う。
先見に明るい人は合併する。
共産党が反対ならば正々堂々とやれば、反対なのだから。
公共投資いけないはわかりやすい。
今日は、このぐらいにして。
池田)私たちは、今の時点で反対とも賛成とも言っていない。ですから議論するのです。最初から合併先にありきでなく。
ところで、先日の会議での部長の答弁が、すでに、合併を認めたという発言だが
どこで、いつ確認したのか。
部長)先ほどの(市長)答弁と同じ解釈で進める。
池田)具体的な課題として、四賀村との合併はいつどこで認めたのか。
もし仮に「認めている」とするならば、法定協で是非を問う場は作らないということか。
助役)合併が決まるのは、大臣が告示したときに決まるものだ。
申し入れがあったことが、事実行為として捕らえている。
法律の手続きで決まるもので、言ったとか言わないと言うことでなく。
部長)議会の決定に基づいて。
池田)法定協議会の前に、すでに認めているからということになり、なし崩しにならないのか。
有賀市長)委員長言ったように
合併するための論議をしている。するかしないかあいまいなことで言っていれやれば人気はいいかもしれないが。どんなことがあっても道路だけはお願いしたいということを、私は提起している。
合併するにしても、前提として、合併を否定するということは、基本計画を否定しているということだ。
池田)合併はいいが、道路はだめだという意見もある。ところが、すりあわせの中で、一つだけ最優先と出てくれば、何がなんでも道路ということになっているから問題になっている。だから問題なのだ。
任意合併協議会の段階で、合併の是非を考えるつもりがあるのか。財政問題をはじめ、未だ議論すべき事項があるが。
有賀市長)いつも満場一致で一致したことはないから、意見があることは承って、多くの議員の判断を受けて、道路はやっていただいて、最優先と書くか書かないかは別として。けちをつけないで、四賀村に起こられるから。どことやるにしても、四賀村とはこれが真っ先だ。いちばん遅くなるのが道路だから、まあ心配しないで。
池田)四賀村との合併は、認めたのかどうか。
(部長に質問したが、部長は答えず)
有賀市長)合併を前提に置いて会議をしているということだ。
池田)任意協で合併の是非をやるのかどうか。
       「助役の答弁で尽きている。」の声あり
有賀市長)これが最後に行って、これだから、するとかしないとかでなく、合併をするための手順・階段を踏んでいくわけですから。最後へ行ってそんなことをやれば混乱するだけですから。


   以上です。

 尚、2月1日号合併だよりは、
結局、総務部の職員を総動員して、市役所内印刷所で、白黒のもので作りなおして、全戸に配布することになったようです。

 そこには、法定協議会については、
「議会や市民の皆様と相談しながら、法定の合併協議会に移行していきたいと思っています。」
直結道路は、最重要課題という表現は削除されませんでしたが、
「松本市も、(最優先事業として、)市道として整備する計画です。」と(  )部分が削除されて、発行されました。



 1月30日(木)

 「合併は決まっていない。」というが、「合併先にありき」を変えない有賀市長
 
     四賀村から、「運命の一日」と言われて、開かれた議会全員協議会だったが・・・

 注目された、松本市の議会全員協議会。結局は、議員からの発言はあっても、既定方針で進むと言う強引な姿勢・運営だけが突出した会議だった。

松本・四賀直結道路:

1月14日、28日に行われた市町村合併対策特別委員会で、慎重さを求める意見が多く、委員長もこの道路については、充分検討して進めていただきたい。というまとめであり、発行が予定されていた「合併だよりNo1 2月1日号」の表現も変えるようにとの指摘があったにもかかわらず、市側が出してきた結論は、「最重要課題」、「松本市も、最優先事業として市道として整備する計画です。」となんら変更はなかった。
この「合併だよりNo1」は実は、すでに配布ルートに回されていることは間違いない。
そうでなければ、28日に指摘されたのに、その日とまったく同じものが、
今度は「カラーコピー」版ではあったが、出でてくるはずがないのに。
(実際の現物をカラーコピーにして出してきたのは、「まだ作成中の原稿の段階です」と見せるためだと思うのは、私の穿った見方だろうか。)

法定協議会移行問題:

 28日の特別委員会で、この問題の結論は、次回の特別委員会まで結論待ちとしたはずなのに、これも、28日の時点と結論をまったく同じくして出してきた。
 「合併だよりNo1」には、「(H15年4月の)選挙を控え、合併協議に一定の方針をつけていただくため、合併特例法に基づく、法定の合併協議会に移行したいと思っています。」
 とまったく変えない表現で、出してきたのである。

合併は認められたのか:

 総務部長が、28日の席で発言した、「合併は認められたので」の部分に関連して、私は質問した。
 「松本市は、25万、30万都市構想をすでに確認済みである。人口増での30万は現実的でない。その時点で(周辺市町村との)合併は認められているもの。」と繰り返すのみで、具体的な課題で問題となっている四賀村との事も、「だから、認められている。」という論法だ。

 合併は、いつどこで決めたのか。:

「まだ決まってはいない。」といい、「合併を前提で進めている。」という答弁だった。

確かに、任意合併協議会は、「合併を前提に」、合併に関わる事項について協議しているのは事実である。
しかし、合併協議会は、任意合併協議会にせよ法定合併協議会にせよ、「合併そのものの是非」を含めて協議する場である。これは国も認めているところ。
今回、議論の中で明らかになったのは、四賀村は、直結道路を最大の合併の条件としているということだ。
そして、そのことは、市民的にもはじめての明らかになったのである。
それが、議会の中でも、最優先課題という表現も含めて、「80億とも120億とも乱れ飛んでいる」建設費を考えた場合、それを「最優先課題」として条件しているとすれば、それはどうかな。というのが議会での論議である。まったく建設の必要性を否定する意見ばかりでなかったのは事実だが、少なくとも「最優先」とすることに、異議をはさんだ議員発言であったはずだ。

松本市と四賀村との合併問題は、このことで今やっと市民的に話題となった。

 そして、合併は既定の事実でないものとして、市民的に初めて議論が始まったところである。
 それなのに、初めて発行する「合併だよりNo1」は、原案そのままで、変えることなく、市民に届ける姿勢に、既成の事実の積み上げで事を押し進める、有賀市長の強引な手法がまた現れた。

(続き、詳報後日)



 1月29日(水)

 「あんなトンネルは必要ない。」

 四賀村の住民の方から、電話がありました。

 「市民タイムスの記事を見て電話した。はたしてあんなトンネルが必要でしょうか。クラインガルデンも過疎債を使った事業だが、借金に変わりない。トンネルに100億円もかけるならば、老人福祉に回して欲しい。協議会があるのだからそこで話し合えばいいことで、押さえつけるようなやり方は、いつもの村長のやり方だ。こうしたやり方に反発を持っている村民は、いっぱいいる。とにかく無駄なものが多い。村内で市民タイムスの記事は、今日どこでも話題になっている。共産党には、がんばってもらいたい。」

 他にもいろいろ村長のやり方に関する話は出たが、主旨は以上のものだった。

 今まで、我々に伝わってくる話は、「トンネルは村民の悲願」というものだけだったが、初めての村民からの「反対」を求める意見だった。

 さて、今日も松本市会議員に「賛成発言要請」電話があったとの報告を受けた。
でもその声は、心なしか遠慮気味だったとの事。
これで確認できるだけでも、8人となる。

 明日(30日)はいよいよ午前10時〜 議会全員協議会の日である。 報告は明日行います。

(27日付日誌に、表現上正確さを欠くので、追加、訂正します。
「交流ふれあいトンネル・橋梁整備事業」が仮に事業認可され補助金2分の1が、国からきた場合の残りの半分については(これを関係者の間では、「補助裏」と表現する)、合併特例債を使うこともできます。)


 1月28日(火)

 市町村合併対策特別委員会 傍聴記

 最初にいつものように理事者から、本日の会議の協議事項の説明があった。

1月20日に行われた第6回松本市・四賀村任意合併協議会において、合併に伴う課題項目の調整方針等の変更と新たな基本的事項等が協議されたのでその内容についての協議という提案であった。

 具体的には、
@ 合併課題の表現の一部変更で、消防団の調整方針の変更と松本・四賀短絡道路の項目名等の一部変更(短絡から直結に名称変更)
A 高校生の育英資金の処理方針案について、
B OAシステムの統合について
C 一部事務組合の取り扱いについて
D 法定合併協議会への移行手続きについて 
であったが、

 真っ先に発言のあった議員からは、本日付の市民タイムスの一面の記事に関連して、四賀村が松本市の議員に働きかけた事に関して、
「自分は、この三つの文書をもらっていないが。(こうしたやり方は、)いかがなものかと思う。」との発言があった。
(三つの文書のうち、2つは私の一昨日付日誌で明らかにしているが、もう一つは、松本市と四賀村の「短絡道路」概念図と国道143号線を書いた地図です。)

 四賀村が陳謝
 
 議論の中で、四賀村からの働きかけを受けた議員は、今日までに結局20人の特別委員中、6
人である事がわかった。(外に1人で、今のところ7人だが、自ら申し出ない議員も当然考えられる。)

 それに対して、出席していた四賀村の合併推進課長から概略次のような発言があった。(要旨)

「1月14日の松本市の合併特別委員会で、こうした大事業はいかがなものか、市民に説明されていないし、松本市の負担になりはしないかなどの慎重な意見が出た。そのことを村長に伝え、1月30日の松本市の議会全員協議会で短絡道路問題が議題になるということで、村長の政治的判断で、このまま慎重意見で推移すると、四賀村の悲願であるこの道路が仮に採択にならないとすると困ったことになる。居ても立ってもいられない。手をこまねいているわけにも行かず、対応できる最善の策として、松本市議会議員に要請行動を行った。不快、干渉とか思う人があったとしたら、配慮が足りなかった。心から陳謝したい。何よりも村民の気持ちを伝えたかったのが真意である。」

と、村長が行ったことを認めました。

この点に関する委員の発言を列記すると

・ 村長と30年来のお付き合いの方から電話があった。
・ トンネル賛成の陳情をしたいがそのやり方についての問い合わせがあった。
・ 村長の政治判断でやったその心情はわかるが、任意合併協議会でお互いに議論しているのだから、その点は信頼していただいて、フェアな態度で臨むべきだ。
・ 村長の気持ちはよくわかる。
・ 村長の熱い心がそうした行為となったと受け止めたい。
などの発言が関連して行われた。

次に、「直結(短絡)道路」そのもに関係する発言は、以下のようであった。

・ 合併特例債に関連して、市民にハッキリと幅広く説明するべきではないか。
・ 税金の使い道ということで、説明を行うべきだ。
・ 市民への説明が、あまりに後手ではないか。(市民会館を巡ることでも)問題となったことだ。
・ トンネルが合併のメインであるというのなら、もっと情報公開が必要だ。どのようにやるのか。
・ 直結ということになれば即トンネルということか。
(これに関しては、理事者は、「第一義的にはトンネルからはじめる。四賀村はトンネルと言っている。トンネルに代わるルートがあれば、それを考えるほうがいいのでは」との答弁、関連して次のような答弁もしています。「トンネルは最重要課題と分析している。どのルートかの検討もはじめている。多額の経費がかかる。トンネル以外の方法も合わせて考え、最善の方法であれば、実施する。」)
・ すでに国道143号には多額の予算が使われ整備されてきている。最終的には市村の合意形成だが、それが遅れているということだ。
・ トンネル道路問題は市民にとって大きな負担は明らか。どのように理解と同意を求めるかの過程が重要である。協議の場(?)で諮るべきだ。
・ 村民の生命・危険を考えるならば、ぜひ頼むということは当然である。お金云々でなく、生命に関わる問題として考えるべきだ。
・ 平らに住んでいる人は山に住んでいる人の気持ちがわからない。冬の凍結道路での安全性を考えると村長の気持ちがよくわかる。作ってやるべきだ。
・ 5分短縮できるということはえれいことだ(大事なことだ)。
・ この道(短絡道路)が、他地域との交流や経済的にも必要であるならば、これからの大きな課題として検討が必要ではないか。
・ 最初から、トンネルありきの議論ではいけない。
・ 何が一番良いのか。いろいろな説明をどんどんする事が必要だ。
・ 国道143以外にもう一つの道路は必要だ。
・ 大型事業は慎重に進めるべきだ。今ここで新たな借金を積み重ねることは疑問がある。
・ 四賀の気持ちはよくわかる。財政が許し、市民の理解が必要。発行予定の合併だよりに、「松本市も、最優先事業として市道として整備する計画」と表現することは、既成事実となってしまう。これが一方的に出ると反発が出る。
・ 最初から「ありき」の計画はだめだ。十分に説明せよ。
・ 交流という意味で、他の自治体(豊科)を通って直結道路というのは考えられない。
・ 国道があるのにもう一本というのは、
・ とにかく市民への説明責任は重要である。
・ 四賀村に先に合併特例債を使うとなれば、後から他の自治体が合併に加わって来た時、どう合併特例債を配分するかが問題となる。こっちもそっちもと言われたら、お金がなくなる。

 法定協議会への移行に関しては、法定合併協議会に移すために、この2月議会に議案として提出することに関しては、まだ早いと思うと言う意見が大半を占めた。

 結果、委員長は

「時期が早いではないかと言う意見と良いではないかの意見がある。ここで集約してもよいが、次回(2月12日)の特別委員会で決めたい。」と決定を見送った。


  市町村合併市民説明会開催日時 
         (尚、町会で要望があれば、そのつど開催する)

 @2月14日(金)  午後7時〜     Mウイング(中央公民館)
 A2月25日(火)  午後6時30分〜 寿公民館
 B2月26日(水)  午後6時30分〜 教育文化ホール
 C2月27日(木)  午後6時30分〜 神林公民館

        (市民会館問題の説明会の二の舞にならなければいいが、)

 

 重大な部長発言

法定合併協議会はまだ早いと思うと言う意見に答えて、総務部長が次のように答弁した。

「四賀村から申し込みがあってほぼ1年が経った。区切りとして、そろそろ1年経つので、(現議員の)任期中に、決めてもらいたい。
 皆さんには、合併はすでに認めていただいたと言うことで、1つの区切りをつけていただきたい。」
という発言だ。

 いつ、どこで、誰が、合併を認めたのか。任意合併協議会は議会の議決を必要としない、合併に関する協議の場にすぎないのであって、正式な決定は、法定合併協議会の設置を含めてこれからのはずである。仮に法定合併協議会の設置を決めたとしても、それでも最終的に合併をしないと言う結論を出したところもあるし、最後は住民投票で合併の是非を諮るところもあるのである。

 任意合併協議会での検討結果の既成事実の積み上げで、なし崩し的に合併に持ち込もうとするやり方までは、法律でも認めていないのである。

 私としては、発言の撤回を求めたい。

 実に今日は、紹介だけになってしまった。時計も29日を告げた。明日(水)朝は新聞配達なので、詳しいコメントについては、いずれ載せたいと思います。スイマセン。




 
1月27日(月)

 四賀村のやり方は、
  「憂ふべき事態、松本市が馬鹿にされたということだ。」
                  松本市関係者が本音を吐露。

 1月25日付け私の日誌の記事が、今日一日、松本市役所内を駆け回わりました。市の関係者は、私の発信で、初めて知ったようだ。
 四賀村では、今日の夜7時半から、第6回の四賀村市町村合併推進委員会が開催されている。
 どうやら、村長は、紹介した文書による方法にとどまらずに、直接松本市の議員を訪問しているとの話も伝わってきている。

 今日は私たち日本共産党松本市議会議員団の定例議員団会議。
 四賀村が、住民を通じて、松本市の市会議員に直結道路建設に積極的に賛成意見を述べるように働きかけていることを私から報告している最中に、電話。

 なんと、「松本市の住民」からわが議員団の市会議員に正にその中身で電話がありました。
 はたして「1月30日の会議の場では、ぜひ賛成してくれるように」というもので、手元において議論していた文書そのものの中身で、思わず我々は顔を見合わせました。

 25日日誌では、私はあえてコメントを添えずお伝えしましたが、実はこの事態は異例にとどまらず、前代未聞の「異常な事態」です。
本質的には、松本市に対する事実上の「干渉、圧力」に相当するものです。

 私たち日本共産党はかねてから、今回の四賀村との合併問題に関しては、市長の進め方、合併対策特別委員会の運営、そして任意合併協議会の議論のあり方に関しても、重大な問題があることを指摘してまいりました。
四賀村から、合併の申し入れがあったことは事実ですが、松本市民にとっては、「申し込まれたから断わる事ができない。」というものではありません。
 四賀村の皆さんとの関係で、交流が広域的になっている中で、必要な行政的対応は、消防にせよ、介護保険関係にせよ、すでに広域連合として業務を「合併して」進めているのが実際です。

広域連合は、消防業務を広域的に行うことの必要性と合理性が議論される中での発足でした。
私は、広域連合議会で、広域連合長である有賀市長に、「今、合併しなければ解決が図れない行政的課題は何があるのか。」という質問を繰り返してきましたが、それに対する決定的な答弁はありませんでした。

 そしてここへ来て、
「経済不況の影響、生産年齢人口の減少から、少子高齢化も加速してきている。縮小経済へ向かっている現状では税収も厳しい状況下にある。後世の事を考え、市町村合併について真剣に考えなければならない時期がきている」
「村は健全な財政を保っているにもかかわらず、交付税の削減が始まり、厳しい財政運営の状況」
「日本経済の長びく不況による低迷で、税収の確保が厳しくなっているうえ、生産年齢人口も年々減少し、少子高齢化が益々進行し、今後回復することは不可能です。四賀村においては現在のところ、健全財政を維持していますが、保健・医療・福祉等の社会保障の需要は、今後増え続けていくことは確実な状勢です。しかし、少子高齢化の人口構造のうえ、交付税等の削減により、これからは現行の行政水準を保つことは大変困難な状況と言わざるを得ません。そこで、こうしたことを総合的に判断し、体力のあるうちに30年・50年、あるいは100年後を考えて、大きな自治体と一緒になり、効率かつ安定した住民サービスの継続を選択しなければならない事態となりました。」(いずれも四賀村ホームページより)
  http://www2.cnet.ne.jp/shiga/default1.html

 そして、「合併に当たっては、松本四賀間の短絡道路が条件だ。」という形で今問題となっているのです。
「トンネルができなければ、合併はお流れだ。」という声も聞こえてくるわけです。

 では、合併すれば、今まで四賀村が行ってきた村民の皆さんへの行政サービスが続けられる財政的に裏づけができるのでしょうか。
 問題はここです。確かに「職員の削減」「実務の簡素化」による財政支出は減るでしょうが、(これも今までのサービスに比べれば住民にとっては明らかにサービス低下です。)
ここはよく吟味しなければいけませんが、この議論は議会ではまったくといっていいほど不十分です。

そして、「100億円の短絡道路」となれば、新たな借金で結果として借金返済で他の事業へのしわ寄せはないのか。ここもしっかりと吟味が必要です。
でも、私は、この事態こそ、自治体本来のあり方からすれば、「究極のリストラ」であり、「(無駄な)大型公共事業の開拓」であって、今までと同じように公共事業の負担が暮らしを圧迫する事態を松本市にとってもそのリスクを負うことになるのです。
この議論がやっと出始めたのが、先日の14日の合併特別委員会でした。

「合併は何のために、どんな問題がどう解決され、どんなくらしが訪れるのか」の原点に立ち返っての議論が松本市でも、どうしても必要です。
ところが今のやり方は、あまりに性急、合併特例債という「アメ」に間に合うために、逆算しているにすぎないのです。
合併しても、交付税の削減に変わりはないのだから。

明日は、市町村合併対策特別委員会です。又お伝えします。

尚、どうやら四賀村の四賀村市町村合併推進委員会(委員長 中島学)が作成した(先日の文書には、発行者の欄は会っても、発行元がないのです。)文書の中には正確でない部分があります。
それは、すでに1月14日付日誌でもお伝えしたように、合併特例債で短絡道路ができるかの表現になっていますが、これは、14日の松本市の合併特別委員会でも説明しているように、必ずしもその方法で可能というわけではありません。
説明文書では、事業実施への手法として、「交流ふれあいトンネル・橋梁整備事業」から検討するとし、国・県との十分な事前協議の必要性を記し、事業選定がされない場合、その他(市単独事業)手法の検討を説明しているのです。
「交流ふれあいトンネル・橋梁整備事業」になれば、2分一は国からの補助金ですが、仮に合併特例債ならば、市民会館と同じ「借金の返済分は、交付税措置」なのです。

「交流ふれあいトンネル・橋梁整備事業」についての説明の一部は、以下を参考にご覧下さい。
http://www.kouryuu-fureai.gr.jp/about/about02.htm


1月26日(日)

 「サンセイ議員には困ったものだ。」

 はじめ聞いたときに、意味がよくわかりませんでした。今日の地域の皆さんとの対話行動の中での一幕です。実は「三世」ではなく、「賛成」議員だったのです。
「何でも賛成する議員は、何とかなりませんか」ということでした。

 私が議員になり立てのころは、よく日本共産党は、「なんでも反対の党」といわれたことがあります。
最近の議会でも、有賀市長は、「なんでも反対の党だから、そんなことを言うんだ。」と議会答弁の中でも平気でそうした事実に反する発言をしました。一度だけではありませんでした。
 私はそのつど反論するわけではありませんでしたが、あるとき本会議で「議事進行」をかけて、「『なんでも反対の党だ』というのであれば、証拠を示して欲しい。さもなくば訂正してお詫びせよ。」と発言しました。でも市長は、それにはまともに答えようとしたことはありません。

(「議事進行」というのは、議会運営上、問題発言があったり、事実に反する誹謗中傷等が行われた場合、議員に認められいる動議発言です。本会議などでは、市長の発言などにしっかりと耳を傾けていないと誤る場合があり、非常に緊張する瞬間です。)

でも、こうした経過を経て、実に時代が変わった。ということを実感します。
今は、なんでも賛成ではいけないということになってきたのです。
結局、時の為政者に対して、問題がある場合に、チャンと反対ができるかということが議員の資質として問われ始めたということです。

 いまや何でも賛成の議員のほうが、問題視されるようになった。本当に時代が変わったものである。
 確かにその通りです。何でも市長の言うことに賛成では、まったくチェックなしと同じことになるからです。
反対のための反対ならば、問題にされますが、必要なときにちゃんと意見を言って反対できるかどうか。基準は市民の皆さんとともに考えて、態度を決め、行動を起こす。これはある意味では当たり前のことです。
市民の皆さんはちゃんと見ていてくださるんだと思ったとき、正直うれしくなりました。

 その方は、さらに次のような感想も述べていました。
「議会だよりというものが出されるが、あれだけみたのでは、実に議会の様子がわからない。」
「質問に対して、市長答弁もはっきりしないし、肝心の事が書かれていない。」 というのです。

 確かに、それは事実です。これも私が議員になりたてのときでした。私は同和行政の是正のことを主に本会議で質問したわけですが、これが「議会だより」には取り上げてもらえないのです。
 これでは、私の発言が載らなくなってしまうのと同じなのですが、同和問題は載せられないとの趣旨の話があり、最近までは掲載してもらえませんでした。

 議会は、実に論戦の場です。
今、テレビ松本で日曜日に放映されますが、あれとて、部分に過ぎません。1回目の質問・答弁だけで、しかもそれも時間に制約された部分だけです。

 実は一回目の質問・答弁が終わっての2回目、3回目の質問・答弁が重要なのです。(少なくとも私はそう思います。)
議会質問は、最初に質問項目とその趣旨を市側にあらかじめお知らせし、それに対して準備をお互いにするのですが、当然のこと、一回目の答弁は教えてもらえないのですから、その答弁いかんではどんな展開になるかは、誰もがわからないのです。
その部分こそいわば、論戦の花ともいえる部分で、私などは、どんな答弁が帰ってきてもという準備をするのですが、ここが難しい点です。
(ですから、2回目、3回目の原稿は、基本部分はできても、重要な部分は、アドリブとなります。ところが人によっては、2回目も3回目も完全原稿になっている議員さんがいるのですが、私には不思議でなりません。中には、市長は答弁していないのに、2回目の質問で、先ほど答弁いただいたように、と発言する場面は、あきれるばかりです。)

 さらに、長い答弁になると、時間切れになって、2回目3回目が十分にできない。こうゆう経験も何度かあります。
議会の論戦は、その部分を活字にして公開すべきなのですが、傍聴以外はリアルタイムにできないのが実際です。
ここを補えればと思って、このHPもはじめたところです。

今日は話が飛んでしまいましたが、2月議会は、2月24日から始まります。
また、合併問題に関する1月30日の議会全員協議会、それに先立つ1月28日の合併対策特別委員会についても、なるべくリアルに報告したいと思います。
又、議会だよりについても、会議の公開の仕方も。もっとIT技術を取り入れるなど提案し改善が必要です。


1月25日(土)

 合併問題で、四賀村から松本市
の議員へ異例の働きかけ

 四賀村では、村民の親戚・友人・知人を通じて、松本市の市議会議員に松本・四賀直結道路実現のため1月30日の議会全員協議会で積極的な建設賛成発言を求める活動が展開されています。

 去る1月14日に行われた、松本市の市町村合併対策特別委員会の席で、松本・四賀短絡道路の建設について、少なくない議員から疑問や慎重にとの意見が相次いだことを受けて、この問題での松本市の議員全員協議会がこの1月30日に開かれるのを前に、
 
  四賀村では、「この日(1月30日)の会議が、四賀のふるさとの運命を左右する重大な日と受け止め」「永く親しくご親交をいただいているあなた様からご支持される市会議員の皆様に『当日は合併に伴い提案される松本・四賀直結道路建設については快く賛成する。』旨のご発言をいただくよう有権者としてお願いして下さい。」と書かれた、「平成15年1月吉日 四賀村 氏名     」から 「松本市のご親戚・友人・知人の皆々様」 宛ての文書を村内に配り、以下の文書を添えて松本市の市議会議員に働きかけるというものです。

 

 

松本市議会議員様

  市村合併の最重要課題
松本・四賀直結道路実現
 のため1月30日の議会全員協議会で積極的な建設賛成発言をお願い申し上げます。
1、 四賀村を市の飛び地(離れ地)にしないでください。
2、 他の自治体を通らなければ市役所へ行けない不安を取り除いてください。
3、 四賀村民は心配します・・・行政の灯があたりにくくなることを。
4、 悠久のふるさと四賀の運命がこの道にかかっています。
5、 松本市と一体となって発展したい四賀の住民に希望の灯を与えてください。
6、 四賀をふるさととする私たちの親戚・友人・知人に希望の灯を与えてください。
7、 松本・四賀直結道路は優遇される合併特例債を活用できます。
 ・ 市町村合併を支援する道路整備
  合併市町村の一体化を促進するため、新市町村内の公共施設等の拠点を連絡する道路などについて、短期間で整備が図られるよう優先採択・重点投資を行う等、重点的に支援する。と総務省の合併支援プランに示されております。
なお、合併特例債は充当率95%、交付税措置70%の優遇措置が講じられます。

                   住所  松本市
                   氏名

 


これほどまでに合併の条件として短絡道路実現のため、他の自治体から、別の自治体の議員に対してのこうした働きかけは、正に異例とも言えます。

 四賀村には、あらためてその施策を確認すると、独自の努力の中で、リサイクル事業である「ゆうきの里」やクラインガルデン事業など、行っているところです。
そして、「できるならば、合併せずに」と村長も繰り返して発言しておりますが、30年先100年先を考えたとき、村に残るのは高齢者ばかりになりやっていけなくなる。高齢化社会になり、労働人口が少なくなる中で、この事業が村として存続できなくなる。
というのが合併にいたる一番の理由、そしてその条件としては、松本・四賀直結道路が絶対的条件なのです。
「道路ができなければ、合併はできない。」
「この道路ができなければ、切腹ものだ。」などの声も伝わってきます。
(尚、松本・四賀直結道路という表現は今までなかったものですが、四賀村での議論の中で、提案され、任意合併協議会で確認され、短絡道路から直結道路に名称を変えたようです。)

 実に熱意は伝わってきますが、
 先日松本市の議会に、匿名希望で、旧市内在住64歳の女性の次のような意見提言がありました。

「松本市の議員は、市民の目線で対応してもらいたい。新市民会館の建設費、四賀村連絡道路の建設費等を高齢者対策に充てること望む。
今年1月22日付け信毎を読んで、四賀村の庁舎建設費、会田中学校建設費の償還、連絡道路建設費、村会議員の継続経費等の新たな負担増を知った。
四賀村との合併条件には、四賀村の勝手さがうかがえる。松本市長の一方的で住民不在の進め方が問題であり、市民会館の建設経過に似ている。
無駄なお金を使わないようにしっかり、議員の責務を果たしてもらいたい。」というものです。

 今日は時間がないので、いずれもご紹介だけですが、市民的に議論をしてこなかったことのツケが、借金として松本市民に残ることだけは避けなければなりません。
 もともと、以前にも申し上げたとおり、合併は「究極の自治体リストラ」という側面と「無駄な大型公共事業の開拓」という特徴をもっているのです。


1月24日(金)

 介護保険料の値上げについて考える

 1月15日付け広報まつもとNo.1087に、介護保険特集が組まれ、介護保険料が今年の4月から「3292円程度」になることを報道しています。
 現行の松本市の平均保険料は、2407円ですが、それが3292円となれば、引き上げ率は、36.8%で、全国平均引き上げ11.3%を大幅に上回るものです。
でも、担当者は、「今までの松本市の保険料が低かった」といいます。

 広報まつもと P.07には、白抜きで,市では保険料の改定に合わせて、低所得者に対する軽減策も新たに導入すると書いてありますが、確かに今までの5段階徴収方式が、6段階になり、負担が軽くなる方々いらっしゃいますが、65歳以上の皆さん全員で負担する額が増えることには変わりありません。(詳しくは後ほどお伝えします。)

 重要なのは、国が福祉分野での予算を削減し、その分を市民負担に転嫁しているということです。
 この間の国の高齢者医療・福祉に対する国庫負担の削減は、実にひどいものです。

 医療については、83年に44.9%だったものが、98年には34.4%に。
特別養護老人ホームなど、福祉については、84年までは80%だったものをその後50%に低下させました。
そして介護保険制度をつくり、一気に25%に下げたのです。ここに一番の根本原因があります。

 私たち日本共産党としては、この間も一般財源からの負担で、保険料収入の総額を減らすことによる根本的な市民負担軽減を求めてきましたが、いよいよこのことが重要になってきます。
よく、一般会計から負担しても、税負担=市民負担に変わりないのだから同じことだという議論がありますが、いったん収めた税金の中で賄うのと新たに保険料で余分に払うのでは、明らかに違いがあります。この不況に時期には、こうした社会保障料の負担の大きさが問題なのです。

 介護保険が導入される前は、国が負担する福祉関係の予算は、50%であったものが、今はその半分の4分の1(25%)になったことが一番の問題点です。
 こうした制度のいわば欠陥・問題点をそのまま市民に押し付けるのであれば、住民の福祉を守る立場の地方自治体としての役割は何も必要なくなります。

 23日に社会保障審議会で介護報酬が了承されて、地方自治体は、今までの試算の変更を含めて、いっせいに4月からの介護保険会計の試算に向けて一斉に動き出しています。
(ですから、保険料もさらに変更になる可能性があります。)

 今度の介護報酬改定は、「在宅報酬の引き上げ、施設報酬の大幅減額」といわれますが、その一言では言い尽くせない問題点も含まれています。
要介護度の低い人ほど、施設側の収入が減るため、軽度の人は入所できにくくなる。
療養病床のある病院では、「入所者3人に対して介護職員1人」であったのが、最高でも「入所者4人に1人」となり、介護の質の低下か、ないしは職員の労働強化につながる中身です。通所介護もショートスティの報酬も減らされ同様のことが予想されます。
訪問介護の報酬引き上げにより、「在宅重視」のように見えますが、実際には、身体介護で30分未満の場合はわずかの増額であり、しかも介護時間が1時間半を超えた場合、30分増すごとの加算額が今より減らされ、介護時間が今より長くなれば、減額ということになります。
結果として、訪問介護時間の短縮になり、「じっくり向き合えた介護」ができなくなります。いずれにしても在宅介護報酬の引き上げは、利用料に跳ね返り、1割負担の重さゆえサービスを自ら減らさなければならない問題点の解決には、利用料の軽減がどうしても必要です。

 

1月23日(木)

 松本でも当たり前に大雪対策

用を足して、夕方自宅に帰ってくると早めに下校していた子どもたちが
、そろって雪かきをしていた。というより雪かきをしながら、遊んでいた。

5年前にここに引っ越してきたときの大雪は、大変であった。

 道路が圧雪舗装になり、それがいつまでも残って困り地域の皆さんとツルハシで雪の板をはがした。
その跡は、今でもこの井川城周辺の道路には、小さなクレーターとして残っている。
明日以降その対策が必要になるか。朝になって判断が必要であろう。

 議会事務局から、「大雪に関するお知らせ」がファクスで来ていた。
12時15分に大雪対策と道路除雪対策のいずれも本部の設置を知らせるものだった。

 市役所のホームページを見ると、緊急情報というコーナーが早速できていた。

松本市の関係サイトの一部をご紹介します。
 http://www.city.matsumoto.nagano.jp/www_cbox/html/bosai/ooyuki20030123.htm
 http://kyobun.city.matsumoto.nagano.jp
/teitencube/JPNNGN001/latest.html

 企画課に電話をすると、5時半を回っていたが、職員が待機して対応していた。

 続いて、PTAから早速電話、小学校の登校時間(授業開始時間が)遅れるとのこと。登校班ごとに連絡を取り合うことを徹底することの連絡網であった。
  続いて学童クラブから連絡あり。登校時間が遅れる関係上、学童は朝7時半から開けて、共働きなど自宅に子どもたちが留守番できない家庭の子どもたちのために、朝から対応するということだった。
 学童クラブの対応も今までの経験の蓄積の結果だが、学校としても、今までと同じく通学しても学校は受け入れOK
という趣旨のことに配慮した対応が必要ではないだろうか。
おそらく先生方は朝から出勤していると思うので。

 松本で今では、いわば当たり前のようになった大雪の対策。何度かの経験の上にいくつかの対策がマニュアルになってとられるようになっている。
それでも不十分な点が必ず出るもの。明日は朝からその対応策が必要である。


1月22日(水)


 合併問題、 市民会館建設一時中止「6万署名」の結果、 鎌田小学校大規模改造事業「中断」 について

 今日は、この間に寄せられたメールにお答えする形で、いくつかの情報を公開したいと思います。

 1、 合併問題について:

朝日村の上條照夫村長の「新春を迎えて」の挨拶(明るい朝日村をつくる会ニュース第14号)の中から、合併問題に関する部分の引用

「(前略)
 しかし厳しい社会経済情勢の中で市町村合併問題は、避けて通ることのできない大きな課題です。合併特例法の期限切れが迫る中で、現実的な議論が活発になってきました。

 私は、先の11月議会全員協議会において、『わが村は将来的には合併の必要性も考えられますが、現時点では自立の道を選択すべきである』との村長としての所見を述べました。この判断にいたった経緯は、村内全戸を対象にしたンケートの調査結果や、又庁内合併問題研究会や村づくり会議の中間答申を見て決断したものです。

 国は、財政が危機的状態にあることを理由に効率化のみに走り、地方分権や地方の自立をどう進めるか、又国と地方の将来像のないまま地方交付税の段階的削減など財政面から、又最近では小規模町村の権限を縮小するなどの論議が出るなど、半ば強制的に合併を進めようとしています。

 自治体の主人公は住民自身であります。市町村合併は本来、市町村が自発的に行うべきであり、国から合併を強制命令されることはいかがなものかと思います。

 現在村の財政状況は、健全財政を堅持していますが今後の地方交付税の削減や補助金の削減、借入金の返済等、財政状況は極めて厳しいことが予想されます。その中で自立することは並大抵の苦労ではないと思います。

 自治体の主人公である村民皆さんが責任と決定権をもち自分達の暮らしに最も必要な財政の配分を行う仕組みを持つことが個性的で生き生きとした地域をつくり出す基本であると考えます。
 未来に誇れる豊かな風土、ふるさとは、先人が大変苦労されて残したものであり、私達が育て未来に伝える責任があると思います。

 みんなで知恵を出し合い力をあわせて『自助と自立の村づくり』をめざして引き続き一生懸命がんばってまいる決意です。」


 2、 市民会館建設一時中止を求める請願に関する議会の結果について:

 これについては、本日は、日本共産党の発行した松本民報の掲載をします。(PDFですので少し時間がかかります。)


尚、審議を行った市民会館建設特別委員会(平成14年3月12日 火曜日)の会議録については、現在手元にありますが、扱いは慎重さを要するので、全文公開の前に今後なんらかの形で公開したいとおもいます。
 
 3、実施計画に関連して

 「実計」に関連して、鎌田小学校の大規模改造事業が中断したことに関連して、詳しい事情を、とのメールがありましたので、ニュースこんにちは 87号 を公開します。(PDFですので少し時間がかかります。)
(印刷文書のコピーですので少し見づらいと思いますがすいません。)

 以上、今日は資料整理でかなりの時間がかかってしまいました。

 夜は、松本市学童保育連絡協議会の会議に、鎌田学童クラブを代表して、出席しました。この件についてはいずれ、報告したいと思います。


1月21日(火)

藤沢のり子事務所開き
「今度の県議選挙の争点は三つ」、湯浅健夫本部長挨拶
藤沢のり子県議 勝ち抜く決意を表明


よる7時から、浅間温泉文化センターで、藤沢のり子事務所開設式が行われた。

冒頭、湯浅健夫本部長が、挨拶を兼ねた情勢報告を行った。

「今度の県議選の争点は三つ。
1つは、昨年の道理のない理不尽な前代未聞の知事不信任を行い、反省もなしに立候補を表明している議員に対して審判を下す機会。
2つは、田中知事が推進しようとしている県政改革、県民本位へと変わり始めた県政を前に進める県民の意思を表明する機会。
そして三つ目に、県民の期待にそって、行政のチェック機能が果たせ、県政改革を共に進める立場で建設的提案が出来る議員を選ぶ機会。
である。
この点で、藤沢のり子議員こそは、県政と県議会を改革できる文字通りの確かな力です。
この中身を確信に、自信を持って市民のみなさんと広く対話し、本日を機に一層の奮闘を誓い合いましょう。と結んだ。

続いて、挨拶した藤沢のり子議員は、

「4年前にうるが行雄さんに代わって松本市でかけがえのない議席を獲得でき、初当選した時の、喜びと感動は今でも忘れません。力を貸していただいたみなさんに改めて感謝を申し上げると共に、それ以来4年間、こうしたみなさんのご奮闘に応えた活動をの思いでがんばってきました。県政会をはじめとした旧吉村知事時代の議会の中で、例えば県民からの請願を審議するさいにも、わずか1分にも満たない時間の中で、「継続」といって、結局は審議未了にしてしまう県議会の中で、「今年の新人議員はよく発言する。俺たちが新人のときは、先輩が終わってから、様子を見ながら発言したものだ。」と言われるまでに、最初から積極的に発言し、みなさんの願いを届けるために力を尽くしてきました。
30人学級の実現、県産材を使っての学校の机や椅子への県費補助問題も本会議で取り上げ実現してきました。狂牛病・BSEに苦しむ畜産農家、焼肉店を訪問し、無利子無担保の融資制度、全国でははじめての5年返済の制度にすることが出来ました。
今、田中知事に代わり、明らかに県政が変わりつつあります。その流れを本物にしていくために、全力をあげたいと思います。
自分の活動の原点、エネルギーのもとは、常に市民のみなさんとの話し合いでした。力不足で自信を失いかけたときも、みなさんからのお話が励みになり力になり今日までがんばりぬくことが出来ました。
年末から年始にかけて、すでに多くのみなさんと対話を行ってきたが、それをさらに2倍3倍にして、がんばりなんとしても議席を守り抜きたい。
不信任に反対した唯一の日本共産党の松本での現議席、この議席を守る事が県民参加、脱ダム、くらし優先の新しい改革と松本から県議会を変える確かな力となることに確信をもって、再選を勝ち取るために全力を尽くします。」
と固い決意を述べた。

まさにその通りである。

日本共産党の県議会議員団と藤沢県議の果たしてきた役割は、今の県政改革を進めるうえで、吉村知事時代が懐かしいと、公共事業にいまだに固執している人々や議員を除いて、誰もが納得していただけるだけの実績である。

絶対に負けられない選挙。
引き続く市議会議員選挙を含め、この春の一斉地方選挙の意義を改めてかみしめ、最後に必勝がんばろうをみなさんと共に行った。

 藤沢のり子 事務所
  住所 松本市浅間温泉1-15-8   
 (国体道路「スポーツ橋東」信号機から北に2件目のスパー浅間店さんの2F)
     電話 45-0678  FAX 45-0679


1月20日(月)

 靖国神社 A級戦犯 合祀 について

 昨日の記事に誤りがあったので訂正します。
陸軍大将としてはじめて首相になった小磯国昭は、靖国神社に合祀されています。

私の記憶が違ったのは、小磯は絞死刑にならず、獄中で死亡したという点でした。

 それにしても、YAHOO!で「靖国神社 A級戦犯 合祀」と検索するとなんとヒット数の多いことか。

東京裁判に関して、靖国神社はホームページで、
「"A級戦犯は犯罪人ではない""A級戦犯を裁いた東京裁判は戦勝国が勝手に裁いた不当な報復裁判であり、やむなく刑を執行したものだ""「昭和殉難者」として合祀(ごうし)して何が悪い"と、A級戦犯を殉難者としてまつっている」ことを大宣伝しています。

 こうゆう中での小泉首相の3度目の公式参拝。関係者の間では「拍手喝采」となるのも無理からぬこと。
「今の不況をはじめてとした社会不安を、ファシズム的に解決を図ろうとするといっても言いすぎでない。」とある方が言うのも当然のような状況です。
 日本はいまだに侵略戦争に関してのまったくといっていいほど反省が出来ていない国という状況が、インターネット上では世界に発信されているのです。

以下もご覧下さい。
http://www.jcp.or.jp/activ/activ18-yasukuni/2001-0814-6.html

 さて今日は、こんにちは 池田国昭です のバックナンバーを探すのに、かなりの時間がかかってしまった。
お約束した、実施計画にまつわる事に関して書かれている91−2号を公開します。
少し見づらい部分がありますが、よろしくお願いします。

尚、ここでも誤り発見。鎌田小学校の大規模改造が実施計画に登場したのは、28号、29号。削除されたのは30号になってから。
新市民会館の改築事業が登場するのは、29号からでした。
(これに関するバックナンバー87号もまもなく公開できると思います。)


1月19日(土)

 「國昭(国昭)」という自分の名前について

 今日は、支部のみなさんと地域の方に、新聞赤旗のご購読のお願いに回った。
そんな中、小泉首相の靖国神社参拝のことが話題になった。

「14日に、首相は参拝した。思いついたことを突然やる。厳しい批判を受けるのはあたりまえ。日本人がみんなまだそう思っているのかと思われる。困った首相だ。」というお話。
批判に耳を貸さず、承知してやる。とんでもないことだ。テレビのインタビューで、自民党の議員が、「私たちとしては、喜ばしいこと。うれしいことだ。」とコメントしていた。

 小泉首相は、決して突然思いつきで、参拝したのでないことは明らかである。
志位委員長が述べたように、「どういう理由、時期であろうと侵略戦争を肯定する立場に自らをおく行為。」
一昨年の8月、去年の4月に続いて3年連続で首相として公式参拝したのは、A級戦犯の合祀(ごうし)が明らかになって以降小泉首相が初めてである。
繰り返し行うことで、公式参拝を「既成事実化」し、「市民権」を得て、「ごく当たり前のこと」とすることを狙っていることに間違いない計算ずくのことである。
関係する国会議員も含め、日本から侵略を受けた国々からすると、日本は侵略戦争に無反省をいまだに続けているという象徴的な出来事として受け取られる。実に愚かで罪深いことだ。

ところで、私が日本共産党に入った後、靖国神社関連して、このA級戦犯のことを調べていたら、そのリストに「小磯國昭」という名前が出ていた。
(今日は、事務所で泊まりのため、詳しい資料がないので記憶になるが、確か軍人としてはじめて内閣総理大臣になった人物である。でもなぜか合祀リストからは外れていたと記憶する。)

 父が死んだ後になって、母親が、なぜ名前が国昭というのか話をしてくれたことがあった。でもそのときはまだ、政治のことにあまり関心がなかったので、すぐに調べなかったが、実はこのA級戦犯からとった名前であることがわかったのはかなり後のことだった。(母親は私の今の生き方との関係でか、聞いても今では笑ってその真相は曖昧にしている。)

 親は、子供が生まれ名前をつけるとなると、意味付けも含め、そのときのいわば「英知を絞って」立派な名前を気持ちを込めてつけるものである。
 おそらく誰も同じと思うが、私の父親もそうしたに違いない。私も例外にもれず、一日図書館に詰めたものだ。
 実は、父は、私が高校に進学したその春に他界した。そのためこの事実については確認するすべはないのだが、おそらく当時の立派な人といえば、軍人で総理大臣ということでもちろん私は戦後の生まれだが、男の子が生まれたらと、つけられた名前に間違いない。

先日も、南松本駅前での定例街頭宣伝では、この靖国参拝問題をテーマにお話した。
私の戦争はまだ終わっていないという言葉を良く聴くが、自分にとっては、この名前にこめられた父親の気持ちも含めて、自分の中に引き継ぐべき戦争の歴史として、名前のことが話題になると、このことはいつも忘れない。

 夕方になって、雪が降ってきたが、今日は3人の方に赤旗新聞の新たにご購読の約束をいただいた。寒さが吹っ飛ぶような気持ちだった。
 戦争は2度とさせないために力を尽くさねばと思う。


1月18日(土)

 今後予定されている大型事業を見直すことの重要性

 昨年の予算編成時に作られた、H14年度〜H16年度にかけての松本市の主要事業の実施予定を書いた松本市実施計画第32号を今日改めて見直してみた。

この計画書は、28ページに及ぶもので、「実計(ジッケイ)32号」と関係者の間では略称でよばれ、毎年予算編成時に将来の3年分計画を関連させて作成されるもので、予算を伴っての松本市の今後の計画を知る上では非常に重要な文書である。
実計33号は現在作成中で、2月の定例市議会いわゆる予算議会時には、議会にも発表される。

この文書をめぐっては、いくつかの思い出がある。

 それは鎌田小学校の大規模改造計画に関することである。
平成10年に作成された、実施計画第28号に、鎌田小学校の大規模改造計画が掲載され、H11年度の予算を作成した際の第29号には、実施の時期も明記され、事実H11年度の予算資料では、翌12年度から実施されることになっていた。

 ところが第30号が作成されたときには、見事に落とされ、事業計画は消えてしまったのである。
 そして一方で、新市民会館の建設計画が登場するのである。
 私が、「計画に乗せられているのになぜ、議会に報告もなしに落とすのか」と追及した経過もあって、その後、この実施計画は、「31号」になってその表現方法を変えて実際の計画の箇所付けを落とし、まったく実態がわからないものになってしまいました。要は同じような指摘を今後受けないように、「見えないもの」にしたのです。

 これでは、まったく実施計画の体をなさない点を改めて指摘したので、
担当者が、今度の実計は、「池田さんの望んだものに近いものが出来ますよ。」といわれて登場したのが、実計32号だった。
 今までに比べ、確かに箇所付けに加えて、総事業費が書き込まれ3年間でどれだけの予算を使うのかまで明らかになったのは事実だ。
 (詳しい経過については、いずれ、「ニュースこんにちは」のバックナンバーでお知らせします。)

 昨年暮れに日本共産党の議員団として市長に申し入れた政策予算要求の中で、私たちは、「市民のくらしと営業を支え、健康と福祉を守る重点施策」の中で、

 「3、予定されている大型公共事業計画をもう一度見直し、一般建設事業費予算の減額分を住民生活や福祉のための公共事業分野にしわ寄せしない。
 公共事業の発注については、入札・契約制度の改善で一層の透明化を図り、談合防止、市内小規模業者への直接発注、コスト縮減を進める。」
 を申し入れた。  全文はこちらをクリックしてください。

 かなり急いで文章を作ったので、稚拙なものであるが、要は、予算規模が削減され、いわゆる公共事業費といわれる一般建設事業費が削減される中で、大型の事業はそのままになれば、他の生活密着部分の公共事業費が削減される影響が出ることを懸念しての指摘である。
そのためには、改めての大型事業計画の見直しが求まられる。

 今日はそのうちの、一つの計画についてご紹介したい。

 実施計画32号のP15に、第3編 文化の薫り高く豊かな心を育てる文化教育都市、第2章 多彩な学習と交流の支援 の欄で、
(仮称)庄内体育館(含む高齢者健康スポーツセンター)建設工事が計画されている。
事業概要を見ると、地下にプール、1Fは公民館、2Fが高齢者健康スポーツセンターで、3・4Fが体育館というもの。総事業費が約16億4500万円 というもの。
 この事業は、実はまだ議会の教育民生委員会にも報告がされていないものと記憶します。
そして、体育課に問い合わせたところ、まだハッキリしない部分もあるとのこと。

いずれにしても、2月議会までには明らかになるものですが、現在行われている庄内地区の区画整理事業に合わせての建設計画です。
 詳しい事がわかり次第お知らせし、ご意見を頂けたら幸いです。
この計画は、昨年の「実計31号」には、登場していません。

 この他にも、懸案事項として大型事業がいずれ明らかになります。
駅西の整備をはじめ、道路建設など又お知らせします。

 今日は、そんなこんなで、今春の市議会議員選挙に当たっての政策作りにほぼ1日を当てる結果になってしまった。
 2月予算議会は、今の予定では、2月24日、月曜日に召集の予定である。


1月17日(金)

 鎌田支部交通安全祈願祭に参加した。

 安協の役員、松本市交通安全課、松本警察署の方がたからのご挨拶で、交通事故死の減少と交通事故の発生に歯止めがかかりつつあるというお話があった。
元旦の新聞各紙が、昨年の交通事故死が最小となったことを報道していた。
過去最悪の1970年の半分以下に減り、前年を421人下回り、8326人は、現在の方式で統計を取り始めた1966年以降最小となった。(ちなみに1970年は、16765人)

 危険運転致死傷罪の新設と飲酒運転などの厳罰化の改正が、その大きな要因であるとのこと。改正道交法が施行したのは昨年6月、1−5月期は前年同期比24人減であったのが、6月を境に、6−11月比351人減となったとのこと。その点でも効果が現れている。
確かに、車は運転を誤れば、凶器になる。その意味では飲酒は犯罪行為。
「事故がおきなければ良い。」というものではない。

 新年会などで飲酒の機会が多かったが、いまだに乾杯のとき、「今日は車だからでは少しだけ」と受けて、飲まれる方を見受けるが、これもやってはいけないこと。
回りも気をつけなければいけないことと思う。

 交通事故は、一時交通戦争とまで言われて取り組みがいろいろ行われ、罰則の強化と共に、交通環境の整備そのものにも力を入れてきた結果でもある。

 私が、議員になりたてのころ、交差点改良や歩道の整備など議会でも取り上げてきた経過がある。
 そして井川城3丁目矢ケ崎タバコ屋さんの交差点の信号機設置に関して議会で取り上げた経過もある。
あの時は、以前から設置を市を通じて県に要望していたが、県は予算がないといってずっと後回しになっていたところ、親子の死亡事故が発生してしまった。
  当時は、冬季オリンピックで白馬道路新設の際の信号機に予算が回ってつかないということだった。

 「人が死亡しなければ、信号機がつかないのか。」と語気を強めて質問したことを今でも忘れない。

 その後しばらく正面からこの問題を取り上げてこなかった。改めて見直す機会にしたいと思う。

 この地区の安全スローガンは、「高齢者、子どもなど交通弱者を交通事故から守る」というもの。松本市政としての改めての検討の必要性を感じる。

 最後に交通安全だるまを頂いてきた。早速家で片目を入れた。今年の場合は交通安全とと同時に主催者には悪いが、選挙勝利の気持ちもこめるものとなった。


1月16日(木)

「中国は、政治と経済に矛盾がある。共産主義と市場経済がうまく行くはずがない。」というお話であったが・・・

 新年恒例の松本市議会経済懇談会が、今年で23回目。議会全員協議会室で行われた。
例年、八十二銀行の頭取の方が来て講演してくださるのだが、毎年自分でも楽しみにしている。

 今年も、昨年に続き成澤一之氏から、「平成15年度の県内経済の見通し」と題して、約1時間ほどのお話を聞かせていただいた。

 開口一番、「昨年予想した4つのうち、3つまでが外れた。当たったのは、『国内需要は脆弱のまま本格回復には至らず』の部分だけであった。」と話を切り出された。

 成澤氏が予想した残り3つとその結果は、
1、 アメリカの経済は、02年後半からは、雇用情勢の好転、消費拡大、生産回復といった好循環が生まれる。
でも結果は、もっと良くなるかと思ったら、腰折れした。
2、 日本経済は、02年後半から輸出の回復、円安の持続、補正予算の効果を受け年度後半には景気の後退は下げ止まる。
     でも結果は、円高になった。
3、 株価も、上がると思ったら、 腰をおろした。
というものだった。
 終わったあと議会事務局に行き、講演資料を確認したら、書かれていた。

今年のお話の大筋は次のようなものだった。

「景気底入れ」宣言がだされても、回復感に乏しい理由は、在庫調整が進めば、生産の拡大につながり、その結果 雇用の増加と売上の増加が起こり所得と企業収益が増えて消費の増加と企業収益の増加が生まれ住宅投資や設備投資が生まれて、景気がよくなるという今までの経済循環サイクルが、90年代に入り(そのサイクルが)円滑に機能しなくなった。
県内東信のある企業が、生産は今までの2倍になったが、単価が4分の1になったため、今まで赤字を出したことのなかった企業だったが、初めて赤字になった。台湾勢にやられた。というのである。
 指標で言うと、
GDPは、1―3月期以降はプラス成長
日銀短観では、1―3月期を底に改善したが、その後は緩やかな改善にとどまり、最後になって、また下がってきた。
県内企業も全国企業に比較し、改善傾向はより緩やかに、見通しの弱いものに。
経済のプラス成長も株価上昇要因にはならず、バブル崩壊後の最安値を下回る。
唯一景気回復の牽引役となった輸出で、中国など内需が堅調なアジア向け、アメリカを中心に回復基調。その結果、鉱工業全体で、在庫調整が進み、生産が拡大した。
 しかし、先ほどの結果である。
 県内に目を転じると、
県内生産は、低水準ながら、輸出製品中心に回復の動きが継続。半導体関連の生産が増勢を持続するなど低水準ながら、底打ちの動き。しかし設備投資計画は製造業を中心に先行き不透明感が強い。デフレが止まらない限り、設備更新意欲は出てこない。
 設備の過剰感は、ピークは超えたが、依然として高水準にある。
その上、公共投資の落ち込みが続き、1〜10月の累計においても02年は最低。今後も県の財政改革推進プログラムに見られるように、公共工事の減少が予想される。
住宅投資も依然低水準のままで、個人消費も停滞基調に変化は見られない。
 衣料品などは、昨年の8月からパッタリである。高いものも安いものも売れない。
雇用情勢も依然としてきびしいなど、県内情勢も変わりない。

そして、2003年の経済見通しは、アメリカの減速の影響が避けられず、戦後最短の景気回復に終わる可能性が高い。輸出や生産も低迷。雇用所得環境も厳しく。個人消費や、住宅投資など家計需要も低迷が予想され、
今年の長野県経済は、年央からは後退色が強まる。国とほぼ同じ状況である。」

というものだった。(少し長くなった。)

 そして結論としては、
外需主導でなく、内需が強い国ほど回復力が持続している。アジアは、02年に入り回復に転じているが、要因はそこにある。
内需の拡大のためには、
身近な潜在的な需要に応えることで事が重要。重点分野としては、
@ 医療・健康 A観光 B安全な食料 の三つの分野で産業の活性化、新市場の創出、そして雇用の創出 を図る事が、今年の課題である。
長野県には、強い地域産業造りに向け期待の高まる知的・産業クラスター(ぶどうの房という意味。クラスター爆弾などにその用法)がある。
 そしてそこが景気の回復の鍵がある。  という趣旨のお話だった。企業の利潤を追求するというか、利潤最優先に考える結果としては、結局この結論しかないのかと思う。

 感想としては、現状分析は基本的に私たちと同じだが、何で結論の部分で変わってしまうのか。という感じ。
 「景気回復の牽引役の輸出も、GDPのわずかに1割。6割は個人消費である。」
この点も成澤氏の話で一致できるのだが。
個人消費が伸びないことには、景気が回復しないのならば、それをどうするのかに手を打つ事が必要と思う。
@ 医療・健康 A観光 B安全な食料の分野での需要の拡大といえども、個人消費が伸びなければ、同じことではないだろうか。
私は、思わず、資料のその部分に「思い切って個人の懐を暖める施策に財政のシフトが必要」とメモをした。

 それにしても、今の中国の事が後の質疑応答で話題になった。
設備投資が進まないのも、中国へ企業が進出している結果。そして安い労働力を使って生産される結果の安売りとデフレの進行。
日本の経済が回復するには、中国の経済がいつだめになるか。それを待つしかないというような結論にもつながる話だった。
「中国はいずれ、だめになる。でもその中国がくたびれる前に日本がだめになる。」こんなお話も出た。
そして、こうした経過の中で、次のような注目するお話が出た。
 「中国は、政治と経済に矛盾がある。共産主義と市場経済がうまく行くはずがない。だから、中国がいずれ変なことになることに期待するのだが」という部分だった。
 日本共産党の不破哲三議長が、中国社会科学院の要請で八月二十七日におこなった学術講演・「レーニンと市場経済」の話が浮かんだ。
大要は、以下のとおりです。今日は時間がないので、紹介だけになりますが、ぜひご覧下さい。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-04/13_0401.html

お詫び)昨日のファイルが重すぎて、開かなかった方が多いと思います。修正したのでぜひごらんになった下さい。
発言2003 「小さな村にも存在理由がある」 斉藤清村長がコメント

 

1月15日(水)

「合併問題で、『新市民会館』を繰り返してはいけない。」 
                合併問題を考える(3)

 「四賀村では、「合併だより」をすでに、8号まで出している。松本市は市民に現状を知らせているといえるのか。このままでは、新市民会館建設の二の舞になる。短絡道路の建設費が仮に100億円としたら、短縮時間が5分として、1分あたり20億円ということになる。
しかも、この道路が合併条件として建設が避けられないとなれば、場合によっては松本市の単独事業になり、借金が増えるが、そのことを松本市民は知らされていない。
新市民会館の建設事業の是非はともかくとして、情報の公開をしなければいけなかったが、このままでは合併も同じだ。何でそんなにあせらなくてはいけないのか。」

ある行政外郭団体の幹部の発言である。
まさしくその通りだと思う。

 市長は、松本西部広域施設組合加盟自治体に合併を申し入れましたが、今日は、その申し入れ文書の文面の一部をご紹介します。

 安曇村、梓川村、波田町の各々村長、町長には、おおむね同じ文面で以下のように申し込まれています。

「貴村(町)と松本市は、し尿とゴミ処理で松本西部広域施設組合を発足させてきた。貴村(町)におかれましては合併について前向きな発言をされております。つきましては、合併を申し込むものです。」

これに対して、奈川村に対しては、前記申し入れ内容に加えて、

「勝山村長様におかれましては、12月議会において合併しない方針を表明した一方、合併協議には参加して研究する必要があるとのべられております。県知事は、長野モデルを提唱していますが、そのモデル案はいまだ提示されていません。されたとしても、長野県財政改革推進プログラムの状況を見ても、特別な財政措置は困難だと思われ、又財政措置をしようとしても合併する自治体が難色を示すものと考えられます。21世紀に共に地域の発展と住民福祉を考えるならば、永い歴史と永い信頼関係の上にたって組織された松本西部広域施設組合を中心とする合併は、多くの住民の支持がえられるものと確信しております。」が、加わっています。

 山形村に対しても、

「斉藤村長様におかれましては、12月議会において『当面は村独立の道を探ることとしたい。』と答弁されております。」とし、後は奈川村に対する赤い部分と同じです。

 先日、しんぶん赤旗の日刊紙1面に、斉藤村長のコメントが載っていたので、ご紹介します。
  ここをクリック 発言2003 「小さな村にも存在理由がある」 斉藤清村長がコメント

私たち日本共産党松本市議団としては

合併問題は、「市民合意はすでに決着済み」の立場でなく、あらゆる情報を市民に公開し、住民合意原則で考える

という立場を改めて、今日の午前中の議員団会議で確認しました。

これからも、この日誌を通じて、紙面と時間の許す限りお伝えしたいと思います。


1月14日(火)

 合併問題を考える(2)

今日は、午後1時30分からの合併問題特別委員会を傍聴、会議は、ほぼ5時までかかった。
冒頭、総務部長が、
@1月9日に、西部広域事務組合に合併を申し込んだ経過について、「12月議会で、議員から、市長から働きかけることを求められ、そのときは明確な答弁をしなかったが、申し込み書を手渡した。若干の温度差はあるが、受け止めた頂いた。」
A今年の新年祝賀式で、「3月いっぱいに法定合併協議会の発足を」と市長が述べたことに関連し、「四賀村も選挙があるので、任期中にやるのが関係者への配慮と考え、発言したが、発足の時期を含めて、特別委員会に結論を出してもらうのが市長の意向である。」という挨拶があった。
2月議会には、法定合併協設置の条例案を出して、3月中か新年度当初に発足させてしまおうというのである。

実におかしな話である。
@ については、部長の言った通りであり、
A については、これまた議会では、この間、法定合併協議会の設置は、7月から8月の見通しであったのだ。
議会の正式な場での発言とは違った行動を自ら勝手に取りながら、後で議会に認めさせてしまうこのやり方。
 議会軽視そのものです。
なぜ、これまで急いで進めなければならないのか。
すべては、「H17年3月の期限切れまでに」が至上命令だからです。
「任意合併協も、法定合併協もやることは、協議の中身は同じこと。」といって進めるというのだ。
 それは、「合併することはすでに既成のこと。」後は、調整だけという発想から出る発言である。
 
松本市民は、「合併を申し入れられた」が、どれだけ市民合意を図る営みが行われているというのか。

四賀村役場が発行した「合併だより第8号」に、四賀村村長の年頭のご挨拶が掲載され、その中で中島学村長は、
「両市村の合併はお互いの立場を尊重し協調の中で最も良い決着をすべきものですが、四賀村にとって大自然に抱かれたふる里四賀を悠久に輝かせ後世に誇りを持って引継ぐことのできるふる里創りでなければなりません。その為の絶対条件として松本・四賀短絡道路が建設される事です。私はこの課題を最優先事項として実現に対処して参ります。」
とかかれている。
前にも書いたが、合併の目的が短絡道路の建設とは、あまりに発想が短絡過ぎないだろうか。

短絡道路についても、合併課題項目として提案があった。
まず確認できることは、短絡道路=トンネルですでに決まったことでもないのです。

「交通量からの道路規格(車道幅員、歩道幅員)やルートの検討(短絡トンネル、現道改良)のためには、調査費が必要。」とうたわれています。
さらに「想定事業費が大きいため財源確保上、国庫補助等の有利な事業を選定しその対象要件満たすことが出来るかの見極めが必要。」
もし、合併の条件として最優先となれば、
「事業選定がされない場合、その他(市単独事業)手法の検討」と書かれているように、すべて松本市の財源でということも考えなければならない課題です。
この短絡道路の総事業費は、60億とも100億とも言われています。
それは、トンネルですべてを短絡させようと考えると、松本トンネルがm単価300万円から割り出されているものですが、いずれにしてもこの計画は、「6年の調査期間と7年の工事期間が必要」となり、完成するのに13年以上はかかります。

特別委員会では、基本的には了承ということになぜかなりましたが、短絡道路のことは、議会全員協議会にて再度協議されることになりました。
費用対効果の検討も含めて、市民的にもっと検討が必要です。
(時間がないので、続きは後で)


1月13日(月)

 今までになく、参加者の思いがかみ合った成人式だった。

 平成十五年松本市の成人式が、松本市総合体育館で行われた。

いつものように私たちは、宣伝カーを持って街頭からの訴え。私と南山議員は宣伝カーで訴えたが、藤沢県会議員、犬飼市会議員はハンドマイクでご挨拶した。
途中、白塗りの大型外車に乗った青年から「共産党、俺好きだよ。共産党ガンバレ」のかなり大きな声がかけられ、声援をもらった。
毎年、こうした声援が青年から寄せられる。うれしい限りである。

宣伝が終わって、会場に入る途中、カメラとビデオを持っているPTAの役員を一緒に行ったご両親と行き会った。娘さんが成人式とのこと。考えてみれば自分の息子も昨年、成人式だった。

式典は、予定の午後1時を少し遅れて始まった。
開式の言葉の後、国歌斉唱になり、起立と、日の丸に向かっての斉唱がアナウンスされたが、私はどうしても立ち上る気持ちになれなかったので座ったままで失礼させていただいた。

有賀市長の式辞、酒井市議会議長の祝辞に続いて、
木下文武選挙管理委員長は、大要次のように新成人に呼びかけた。

「命を大切にしてください。平和を守ってください。戦争はしてはならない。みなさんで阻止してください。民主主義の原点である選挙権を行使してください。」と冒頭にはなむけの言葉を述べた後、自らの戦争体験に触れながら、「戦争で死んでいった同世代を思うとき、慰霊の思いは深い。これまで生きている事がすまないという気持ちと生きていられる喜びを思いながら、複雑な心境で生きてきた。
戦争は、時の国民に塗炭の苦しみと悲惨な結果を招く。戦場は人間を異常にする。いつか来た道をたどってはいけない。戦争体験から申し上げる。戦争は二度としてはいけないを強く訴えたい。戦争阻止の第1歩は選挙権を正しく行使することから生まれる。」と述べ、最後にもう一度、「命ほど尊いものはない。大切にしてください。平和ほど大事なものはない。守ってください。二度と戦争はしてはならない。みなさんで阻止してください。民主主義の原点である選挙権を行使してください。」を繰り返して終えた。

 そして、新成人を代表して、望月恵一さんが挨拶したが、今までになく新鮮に聞かせていただいた。
 昨年から松本市の成人式も、厳粛な中で行われるようになったが、今日の成人式は感慨深いものであった。

 式典終了後、望月恵一さんにお会いし、挨拶のコピーを頂き、このHPに掲載することに快諾いただいたので、全文公開したいと思います。
   新成人代表 望月恵一さんの「成人式代表挨拶」全文 (クリックしてください)

 松本市の成人式が、ここ数年間で、少しづつ静かに行われているのには理由があると思う。
 過去、あまりにうるさい中で、挨拶の最中に「静かにしなさい。」の言葉が飛んだこともあった。また、催し物を工夫して、関心を引くということも試みられたが、いずれも良い結果は生まれず、式典と新成人の気持ちには、かなりの隔たりがうるさいという形であらわれた。
 それを変えたのは、「新成人が何を求めて成人式に集うのか。」を主催者側が考え、「成人式には、各中学校の合同同級会という要素が本質」という発見をしたことにあると思う。
 今では、中学校ごとにかたまって、当時の担任の先生も参加していただき、式典を行う形式にしてからは、実に静粛に(まだ厳粛にとはいえないかもしれないが)行われるようになった。
 そして、いくつかの挨拶も大人から新成人へのメッセージとして伝わるようになり、新成人の思いも私たちにわかる式典になってきたのである。
 いわば大人と新成人の気持ちが「かみ合う式典」になって来たと思う。
 これがこれからも続くかどうかはわからないが、良い結果を生んでいることは間違いない。

 そして今年もあらたな工夫が一つ。
 昨年から、学校別のかたまりごとに、みかんとごみ箱をおくサービスを試みた。ところが、みかんを食べるとき、振袖にみかんの液が飛ぶので嫌がられて中、今年はあられが置かれていた。こうした主催者側と行政の苦労も一つ一つ実る中での今日の式典だと思う。

有賀市長の挨拶はあまりメモしなかったが、
「(合併問題に触れて、)20〜30年内には広域連合の19市町村も、一本になる(合併する)であろう。」「地方の財政が硬直し、交通も発達する(?)中で、物事には裏と表がある。よく解釈するのと主観的に解釈するのと2通りあるが、誇張することなく明るく笑顔で、失われた10年をクリアするには、プラス志向で明るく考える事が大事である。」と。

 私のメモにも誤りがあれば、市長にお詫びしなければならないが、市長の挨拶は、「かみ合った式典」のそれとは違ったものと思ったのは、私だけではなかったと思う。

 成人式終了後、藤沢県会議員と支部の方とともに、伊勢町の商店街のみなさんにご挨拶に回った。
 区画整理事業が終わり、街はきれいになったが、商店の方々の思いはということでお伺いした。
 「借金が大変である。」
 「街はきれいになったが、人は通らない。お客は少ない。」
 「良くなったのは、道路だけで、この事業は営業には役立たなかった。」
 「駐車場料金が高すぎる」
 「日本の国政を見ていたら、安心して商いはやっていけない。」
 「後継ぎもいないので、いまはまだ働き口もあるから、店を閉めたい。」
      などなどのお話が寄せられた。
 事実、老舗といわれるお店も、まもなく閉めるというお話である。

 総じて、この区画整理は、良い結果を生んでいないという印象。異口同音という言葉があるが、本当に実感させられた。
 「区画整理では、正直者が馬鹿を見る結果だった。」
 「固定資産税も上がり、大変である。」
 「消費税が16%などとんでもない。結局金持ち優遇の税制。」
      などのお話も出た。
 そして政治の話では、
 「人が良くても、政治を変革できる人でなければだめだ。」
 「今度は、県議会を変える番だ。」
 「市民会館の建設は本当にムダだ。」
 「『誰が出ても、今度は市長になれる。』という声まで出ている。」
      などの話だった。
 改めて、多くのみなさんとの対話が、重要と思った。

 今日は一日、その他にもいろいろな経験をし、日誌もかなり長いものとなってしまった。


1月12日(日)

 「良くなるドイツ、悪くなる日本」

 今年の冬は暖冬といわれたが、決してそんなことはなく、そんな中今までになく雪道(氷道)で転んで怪我をするひとが、私の周りにも何人か出た。
 転んで頭の動脈を切ってしまったり、転んだとき左手をついて複雑骨折するなど、軽症ですまない人もいる。

 今朝は、そのうちの一人の方と一緒に、赤旗日曜版の配達を一緒に行った。

 自分の分を終えた後、私が車を運転し、その人の指示どうりに私が配るわけだが、今まで知らなかった人、知ってはいたが改めて確認できた人などさまざまな方々とごあいさつが出来た。いつもいつも日本共産党をご支援していただいている方々である。
約1時間半の活動であったが、配達している党員も、読んでいただいている読者の方々に改めて感謝申し上げるとともに、こうした人たちと力をあわせてなんとしても勝ち抜かなければと改めて思った。

 夕方、松本民主商工会の新年会があった。
 話題は、消費税率引き上げのこと。県の「財政改革推進プログラム」のことなど、いろいろであったが、やはり「どんなに苦しくても、来年の新年会にも、参加できるように」という言葉が実に実感ある納得できるものだった。

 この新年会のお楽しみは、業者のみなさんが、自分の「商品」を持ち寄り、抽選会で参加者に当たるという企画である。
 私たち議員も参加させていただけるのだが、仲間で助け合ってがんばる企画として本当に楽しい、嬉しい時間である。私も穂高のわさびをいただいた。ありがとうござました。

 閉会に近づいた際の団結がんばろうで、「良くなるドイツ、悪くなる日本」という本の紹介があった。概要は以下の通り。

 「ドイツも日本と同じく、中小企業が多く、国の経済を支えている。
そんなドイツも、80年代までは、日本のような大企業中心のいいかげんな政治が行われていたが、これではいけないとして方向転換した。
政治はどうあるべきか。国民が何を求めているのか。という原点に立って行われてきている。
そしてその政治の違いが、今の国の違いを生んでいる。
一つの例は、住宅政策。
100年耐久の住宅でなければ建築許可が下りず、建設費がかさむため、その建設資金の70%を融資し、無利子で100年返済の制度があるというのだ。
銀行に国民の税金をつぎ込む国とは大きく異なる。
今こそ庶民のためになる政治が必要。
21世紀も3年目にはいって、政治が変わりつつあるきざし、芽が出始めている。それをいかに育てるか。それが今年の課題である。」

この方のお話は、いつも新しい発見がある。
3時間があっという間にすぎた新年会だった。
 終わり際に、二人の方から別々に当たったお豆腐と、さらに選挙で使ってと携帯カイロまでいただいた。本当にご馳走様でした。


1月11日(土)

 公明党が松本市内で、拉致問題を利用して日本共産党への悪口宣伝。

 本日12時25分から、公明党が松本駅前で街頭宣伝をした中で、日本共産党に対して事実に反する宣伝を行いました。

「公明党は、党利党略にたたない党だ。ところが党利党略にたっている党がいる。共産党だ。例えば拉致問題。小泉首相の訪朝直前までは疑惑といっていたが、訪朝後は突然もっとも真剣に拉致問題に取り組んできたのが、共産党だと言っている。」(大要)と大筋そのような演説を魚住裕一郎参議院議員が行ったようである。

 今、全国各地で、とりわけ選挙のあるところでほとんど例外なく公明党は、拉致問題を利用して日本共産党に対して悪口をふれ回っています。
 今、国民住民のみなさんがこの不況の中でくらし福祉教育をどう支え守り、発展させるかが一番の関心事、真剣に考えているときなのに、人の生き死ににかかわる深刻な問題である北朝鮮拉致問題などを使って共産党攻撃をやっていますが、松本市の街頭で堂々と行われたのは、今日が初めてではないでしょうか。

公明党は昨年から、日本共産党に対して、
 日本共産党は、「拉致問題を棚上げ」、「後ろ向き」と言ったり、
朝鮮労働党と日本共産党はアジアのマルクス一家の兄弟党。なぜ共産党は謝らないのか。
などの宣伝を行っていました。

 ところが、拉致問題で、日本共産党を攻撃してはみたものの、やればやるほどぼろが出てあげくの果てに、テレビで公明党代表が「お詫び」までさせられる始末。
「拉致疑惑を最も熱心に国会で取り上げて来たのは共産党」(横田めぐみさん等被拉致日本人救出の会)記録集)であり、交渉による解決を真っ先に提案してきたのも日本共産党なのですから、土台無理な攻撃。
シロクロの決着はハッキリついてしまいました。
 選挙が近づいている中で、党利党略に拉致問題を利用しているのは、公明党であることは、テレビでもハッキリと決着がついている問題です。

 詳しくは、
パンフレット:北朝鮮問題 「反省」すべきは公明党ではないのか (定価200円)  その他を  
 ご覧下さい。

 有賀市長が参加した公明党県本部新春祝賀パーティ(市民タイムスの「首長日程」より)で、どんな事が話されたか知る由もありませんが、それが修了した後の、すぐ目とはなのさきでの駅前での街頭宣伝でした。

 夜は、勤労者福祉センターで、中信地区委員会の党旗びらきを行いました。

1月10日(金)

 定例の金曜日の街頭宣伝:新年のごあいさつは来週に 残念!

 昨夜は、事務所の宿直当番であったので、朝、勤務員の人に朝早めに出勤していただき、毎週金曜日の松本駅前街頭宣伝に出かけたところ、なんと先客あり。
 地区労連(松本地区労働組合連合会 〒390-0811松本市中央4-7-22 電話0263-36-1720)のみなさんが、すでに何人かで宣伝を行っていた。以前にも何度かあったが、2台で宣伝は出来ないので、遠慮することにした。

 駅前周辺と通勤通学のみなさんへの新年のあいさつは来週ということになる。

 駅前のビルの上の温度計は、マイナス7℃。
 地区労連のみなさんは、
「03春闘 組合がなくても、どこで働いていても、パートも、フリーターも
あなたの賃上げを実現しましょう。生活破壊への歯止め 賃金の底上げ」のピンクのビラを配りながら、宣伝をしていた。
裏には、「社会保障改悪 大増税 これ以上の負担は耐えられない。共同して国民総決起春闘に立ち上りましょう」
という中身だった。

 夜は、その地区労連の2003年新春旗開き。

 昨日の日誌でお知らせした日本経団連の「活力と魅力溢れる日本をめざして」と題した「提言」が話題となった。
奥田会長といえば、「大企業がリストラを進めることは、経営者のモラルに反する。」と発言したこともあり、注目されたこともあるが、今回の「賛同する政治家に企業献金をおこなう」発言は、まったく金融機関で言えば「モラルハザード」そのものです。
 日本経団連の全身、経団連は、1993年9月に、自民党などへの献金額を業界ごとに割り振っていたことを辞めることを決定しました。
当時は、リクルートや佐川急便「事件」があった時です。

そして、企業献金を辞める代わりに導入されたのが、政党助成金でした。

1月9日(木)
  またぞろ、消費税率引き上げ発言
    「構造改革あって、景気回復なし」

 夕方、車のラジオで、消費税の引上げに関する発言が相次いだ。
 1つは、保守新党の熊谷代表の「(引き上げ論が政財界に広がっているが)当然の帰結だと思う。」という発言。時期については、景気が持続的な成長軌道に乗ることが前提と述べたとのこと。
(余談だが、永田町では保守新党を略すと保新党。でも当てる字は「保身」党。これは4日行われた、長野県の日本共産党の新春の集いでの、木島日出夫衆議院議員のお話。)

 同じく、9日の記者会見で、日本商工会議所山口信夫会頭が、消費税引き上げの実施時期について、「デフレが解消されず、需要にマイナスとなる今は無理」だが、「中期的に避けて通れない」というもの。
いずれも、税率引き上げは不可避とするものです。

 それに関連して、ご紹介したいのが、4日に行われた日本共産党中央委員会の党旗びらきでの志位委員長が紹介している、以下のくだり。
 「「日本経団連の「提言」――企業献金てこに消費税増税とは許せない
 さらに、財界の目先の利益にだけ奉仕する政治が、財界を増長させ、暴走をつくりだしていることも重大であります。日本経団連は、一月一日に、二〇二五年までの日本の国家像を示す「活力と魅力溢れる日本をめざして」と題した「提言」なるものを発表しました。この提言では、(1)二〇〇四年度から消費税の税率を毎年1%ずつ引き上げて16%にする、(2)法人税は大幅に引き下げる、(3)そしてこれらの政策に「賛同」する政治家に企業献金をおこなうことなどが公然とのべられています。とんでもない「お年玉」であります。」
 企業献金をテコにして、こともあろうに消費税の引き上げをはかるなど、本当に許せないトンでもないやり方です。

 「消費税は、1%で2.5兆円」は、選挙のたびに街頭から訴える際に「頭にタコができる」ほど話したことがある。
 仮に、小泉内閣の構造改革で先に明かりが見えても(そんなことはないのだが)、その先に大増税が待っているということである。おそらく、明かりが見えなくても引き上げることを考えていることは間違いない。選挙が終われば、景気に関係なく、引き上げることは間違いないから。小泉首相は、何をやっても今は選挙に勝てると思っているから・・。

年年1%づつあげ、しかも16%ということは、今の5%より11%=27、5兆円以上の増税ということである。
「構造改革あって、景気回復なし」
金のちからで政治をゆがめる企業献金こそ昨年国民から指弾を受けたものだが、それをあからさまに平気で使ってやろうとするやり方、まさに末期症状です。

今年は、一斉地方選挙後、衆議院の解散も言われているが、消費税問題は必ず争点となるであろう。

1月8日(水)

 朝から、三九郎作り

 昨年は、PTA役員として、参加したが、今年は、その実績を買われてか(?)、次男が6年生ということもあり、今年も三九郎作りに参加できた。(もともとこうしたことは好きなほうだ。)

町会の役員の方も必ず参加しくれ、子ども時代の事が話題になりながら、現役の子どもたちと一緒に作っていく。
町会の長老の方も、病気がちの体をおして全体の指導にたずさってくださった。
いわゆる伝承の行事。本当に文書でも残さないと作り方そのものを伝えることも出来なくなってしまう。議会でも、どう伝承文化として守っていくか、こうした事が取り上げられたこともあります。成人式の日程が毎年変わる中で、三九郎の日取りが定まらずに困っているのが、市内の学校の実態でもある。

 稲の自然乾燥が少なくなり、はぜかけ用の丸太が必要なくなって、昨年、そのお宅から譲ってもらって補充したが、毎年その丸太がこげて細くなり、今年はやぐらを組んでもその上に乗って組み立てをしようにも、折れてしまいそうな感じだった。 松集めも子どもたちの任務で、私も同行したが、新しい住宅団地やアパートからは、気のせいか少ないような感じがした。

 9時ごろから初めて、ちょうど正午ぐらいに出来上がった。写真左側には、子どもたちで作った一回り小さなものもある。

 一緒に作ったPTA役員の方に聞いたら、その人の出身地佐久平では、こうした行事はないようである。私の生まれは、中野市だが、「どんどやき」と呼び、学校単位でなく、部落単位で一つ作るだけで、私の身長も当然子どものころだから小さいのですが、当時の記憶では、お宮の屋根の高さぐらいまで見上げるような大きなものに火がつけられた記憶があります。

 11日(土)夜、行われるが、残念ながら、私たちは日本共産党中信地区委員会の党旗びらきの日で参加できない。

 夜は、藤沢のり子県議とともに、県政・市政学習会に参加した。
 高い固定資産税を何とかしてほしい。下請けで仕事が回ってきても、赤字である。などのいくつかの要望が寄せられた。

 

1月7日(火)

 四賀村との合併問題について考える(1)

 昨年の11月27日、全国町村長大会が、町村長ら約3200人が参加し、東京・渋谷区のNHKホールで開かれた。
大会は、2005年3月を期限に市町村合併を押しつける小泉内閣の方針に対し強い危機を表明し、「緊急重点決議」を採択している。
 きびしい空気の中来賓としてあいさつした小泉首相は、「今の規模で税財源を維持できるか、公共サービスを提供できるのか」と述べ、合併促進の方向に変わりないことを表明、片山虎之助総務相は「みなさんの意見を聞かずにやるなんていうことはありません」と弁解につとめたという。
 自民党政治がやってきた地方切捨て政策―合併押し付けと財政の締め付けを、車の両輪とし小さな町村を切り捨てていくことに対し、保守の自治体も含めて反旗がひるがえったということである。

「緊急重点決議」
1、 市町村合併は自主的に行うべきものであり、強制しないこと。
2、 人口が一定規模に満たない市町村を、「小規模市町村」と位置付け、その権限を制限・縮小することは絶対に行わないこと。
3、 税源委譲等により、町村税財源の充実確保をはかること。
国庫補助負担金の廃止・縮減を先行実施するなど、単なる地方への負担転嫁は絶対に行わないこと。
4、 地方交付税のもつ財源調整機能、財源保障機能を絶対堅持するとともに、必要な総額を確保すること。

 あまり他のマスコミはこうしたことは伝えないので、知られていないのだが、松本市との合併を考えている四賀村の村長さんもこの大会には参加しているようで、村長室には、そのときのスローガン=「強制するな町村合併」「切り捨てるな小規模市町村」入りの帽子が飾ってあるとのことである。
 
 そしてさらに、この二月に、全国町村会に加えて、全国町村議会議長会が、共同で、「町村自治確立総決起大会」を開催するというニュースがあります。

 この大会は、「合併をおしつけるな。小規模自治体をきりすてるな」などをかかげ、全国2542町村の町村長、議長が一堂に集まる、画期的な数千人規模の集会になるということです。

 今日は、ほぼ1日、事務所で新年初の会議、暮れから新年にかけての、中信地区内の動向についての意見交換を行った。
 そんな中で、四賀村議会で、「今後の基礎的自治体のあり方について」という西尾私案に反対する決議が上げられたとのこと。

 この西尾私案は、西尾勝地方制度調査会副会長が発表したもので、これまでの方針を大きく転換し、「合併特例法期限内に合併できない地域については、さらに強力に合併を推進し、基礎的自治体の再編を図る。それでも再編できない小規模自治体については、さらに一定の条件のもとに強制的に合併するか、自治体の権限を制限・縮小する」というものです。

 四賀村村長と議会が、松本市と合併を希望する背景には、こうした国の押し付け、兵糧攻め策があるといえるが、その意向が矛盾に満ちた選択であることが、こうした一連の村長と議会の行動に、満ちあふれている。
本当の狙いは、四賀村と松本を結ぶトンネルの実現とも言われ、そして、村内に大規模な住宅団地の造成という話も漏れ聞こえる。

  矛盾に満ちた選択で、良かったためしは無い。

 合併問題は、H17年3月の合併特例法の「期限」までにという選択は止めて、松本市でも四賀村でも改めて地方自治体のあり方を原点に、合併の必要性も含めて住民の間での話し合いが大事であると思う。

 松本市が昨年五月に、市民会館問題と一緒に行った4箇所での合併問題の説明会で配られた資料「みんなで考える市町村合併」の中の最後、「10、合併を支援するための国・県の財政支援について」の部分で、「旧市町村間の交通の便を良くするために、新たにトンネルや橋、通路の整備」に国・県が財政支援するとかかれているが、この事業のための借金=合併特例債は、市民会館建設と同じ「交付税で見てあげるもの」である。
 結局、合併は、究極の自治体リストラという側面とともに、今までのように地方の借金で大型事業を行い、利権型政治を温存させるやり方となんら変わりがない側面がもう一つなのだから。



1月6日(月)

 新年祝賀式 異例の30分を超える市長あいさつ

 新年恒例の松本市の新年祝賀式が、松本勤労者福祉センターで行われた。
 異例とも言える長時間にわたる中で、以下の項目に言及して市長はあいさつした。

「(昨年1年間を振り返りながら、)市制95周年 46イベント150余万人の人が集った。
財政難が予想される中で、最低限の将来への贈り物として、義務とも言える事業を実施したい。
水と緑と環境のアルプス公園整備、発言と芸術発表の場、市民会館の建設、西口整備事業、福祉、教育、環境はどのような事があっても成しえなければいけない課題。
平田新駅、19号の整備、中部縦貫自動車道  などあげられる。

財政力のこと、起債制限比率について(言われるわけ)ですが、松本市はH6年から全国に先駆けて行革をやってきた。職員定数も退職者不補充で237人を減らし、残業も約4割マイナス。この行革で、230億のお金を生み出している。
このことで、美術館も市民会館もやっていける。
今後は、第4次の行革素案も出し検討してもらう。

松本は日本一住みよい場所、住んでみたい、住んでよかった街に
福祉がさけばれている 福祉日本一
福祉ひろばも29地区すべてが、この3月で終わった。
福祉はどうゆうものか。暗いものではなく、光り輝くもの。不自由な人も健常者と住んでける長生きしてよかった。みんなで確かめ合える福祉yearにしたい。

20世紀は環境破壊の世紀だったが、それを直さない限り(だめだ)
車から発生するCO2が原因、道路の改修をしてきたが、いたちごっこ
ノーマイカーデーの実施月2回市民のみなさんにも、協力していただき、今年はノーマイカーデー出発の年にしたい。」

その後、安曇村での災害の経過にふれた後、
合併問題に関しては、大きく2つの発言をした。

1つは、合併への他町村への働きかけのことについてふれ、

「四賀村との合併については、議員と首長の任期中に、今の任意合併協議会から、法定協議会の設置が妥当であろう。
西部広域も、申し込むが、これにこだわることなく、他から申しこみがあれば考える。
H4年の選挙時に、田園都市構想を出した。
今、松本大学、新村児童館、情報創造館、臨空団地、和田の住宅団地など、
掲げた構想が 実現されつつある
梓川地区田園都市構想という考えもある 
梓川を軸に水と緑の豊かな自然環境 母なる梓川 
役割分担として、
上流安曇方面は、 保養観光ゾーン 
中流ゾーン 都市近郊農業 
下流ゾーン 中枢機能の役割
申し込むが、これにこだわることなく、考える。」
とした後、

もう一つ、田中知事にふれ、
「(合併問題で)知事は長野モデルというが、これがどうゆうものか。素案を示さない。今の今まで、未だに発言が無い。
言葉に走って、中身が持ちえないのではないか。仮に合併しないところへ財政援助すれば、合併したところの反発を呼ぶ。理想の言葉に過ぎない。
郷愁としてはわかるが、少子、高齢化を考えれば、合併は松本のためにあるのでなく、周辺町村の幸せのためのもの。」

 とし、最後に、

「羊はやさしく忍耐ある暖かそうだ。今日の天気のように照り輝く市政を」と結んだ。

明日のマスコミは、おそらく、合併問題に関する発言をいっせいに報じることだろう。

合併先にありきで、組み合わせ論ばかりが先行。
今なぜ合併なのか。どうして合併しなければならないのか。さしあたって合併によって解決が求められている問題は何かについて、松本市の議会でも、広域連合の議会でも、私のこの質問には、ほとんど明確な答弁をしてこなかった市長(連合長)です。
四賀村では、明日7日に新年あいさつ会があると聞く。
おそらく、四賀村の議員はもちろん、村民も、4月の村長選挙、村議会議員選挙(四賀村は同時選挙)までに、法定合併協議会の設置の話は聞いていないであろう。
行政主導型の合併の姿が、こうしたところにも現れている。

ゾーン発想は、今までの町や村の歴史や個性との関係でいかがなものか。
まったく新しく街を作るのならともかく、住んでいる実際に生活している住民のくらしをどのように考えるのか。いわば机上の勝手なプランともいえるもの。

春の選挙の中でも、合併問題が、一斉に行われる周辺の地方選挙でも大いに議論がされることが必要である。
松本市も、合併問題は、「市民合意はすでに決着済み」の立場でなく、あらゆる情報を市民に公開し、住民合意原則で進める事が大事である。

今の市町村合併対策特別委員会も、ただ任意合併協議会と理事者側の意向の報告だけでなく、市民的議論をいかに起こすのかの視点も加えて進めるべきだと思う。


 1月5日(日)

   防火防災を改めて考える1日でした

 松本市消防出初式が、朝9時半から松本市野球場北の浅間温泉に向かう道路で行われた。
 寒風吹きすさぶ中での行進。すでに団員の皆さんは、おそらく30分以上前から、野球場西の広場で整列していたのでしょう。本当に寒い中お疲れさまでした。
 行進の最前列は、女性団員の皆さんの行進。昨年発足した松本市の女性団員の皆さん、保育園などで紙芝居をして、子どもたちに防火のお話をしているというアナウンスがあった。
 それを聞いて、昨年10月下旬の松本市広域連合議会消防委員会の富山市の視察を思い出した。
 


 富山市は、
    人口が約32万、面積は208.81ku。(松本市は、人口約21万、面積265.87ku)

 H13年の火災発生状況は、件数が67件、焼損床面積は、2.486u。全国的にもかなり少ない状況。件数は平成に入り2番目とのこと。
  いずれにしても火災が少ない街であるが、子どもたちに対する火災予防事業をかなりきめ細かくやっている成果といえるようだ。

 富山市では、H13年度 幼年消防クラブの活動として各幼稚園、保育園に94クラブ8431人が組織され、幼児防火教室 年86回 9456人の参加、のほか親子防火教室22回1893人、ちびっ子放水体験19回1462人などの事業が実施されている。
 そのほかにも、
  少年消防クラブ=市内小中学校に67クラブ11468人 防火防災教室53回4967人など
  女性防火クラブ=各地区地域ごとに、61クラブ33196人 クラブ員研修会 53回1539人などの活動が行われている。


  そうした意味では、女性団員の仕事に、大いに期待したいと思います。

 松本市のH14年の火災概況は、浅間の林野火災の規模がおおきかったものの、件数ではH13年に比べ、105件からマイナス28件の77件、焼損面積は3940uから1246uに減少、死者は7人から皆減7のゼロ、負傷者も22人から11人少ない11人という結果だった。

 さて、引き続き浅間温泉文化センターで表彰式典賀が行われた。

 開会の挨拶の後、君が代斉唱の順になった。

 私は、こうした席での君が代の斉唱には反対である。それは歌いたくない人も含めて一緒に歌わせようとすることにより、歌いたくないその人の意思をさらけ出さなければならないからだ。本当ならばその場には同席したくない。
 忘れもしない。松本市が公式の場で、君が代を斉唱するとして始めて行ったのもこの浅間温泉文化センターでの行事だった。私は入り口にいて、君が代が終わってから、会場に入っていった。そうしたら市長が、挨拶の中で、「わざわざ、会場に遅れて入ってくる人もいますが・・」といわれたことがある。
 そして私の場合は、たとえ歌わなくても、伴奏が流れることにことにより、歌詞が頭に浮かぶのである。小学校時代に何もわからない中で覚えた歌詞は、自然に脳裏に浮かぶ。誰もが経験することではないでしょうか。
 そして、どう読んでも、どう考えても、これは、天皇の世の中がこれからも続くようにという歌である。ハッキリ言って主権在民の憲法にふさわしくないと大上段に構えて言わなくても、違和感を持つのはわたしだけではないはずだ。

 日夜の献身的ご奮闘に対する感謝状、表彰が行われ、私の地域の五分団の方も何人か授与された。本当に敬意を表します。おめでとうございます。

 さて、午後は、3時から、地元第五分団新年会が、地元のホテルで行われた。

 市議会議員を代表して挨拶させていただいたが、私は枕を高くして寝ていられるのも、団員の皆さんのおかげであることに、感謝を申し上げた後、昨年の浅間の森林火災にふれ、市内の前分団が消火活動に参加されたときの様子を教えていただきたいことをお願いした。
 昨年3月21日春のお彼岸に起きたこの火災。最大瞬間風速28.5メートルの中で、全市から840名の団員の方々が出動した。
 大型の三十九郎が燃え盛るような、そして火の玉になった松かさが飛んで次々に延焼していった中で、通常ならば3日3晩燃えても不思議でない山火事が見事約6時間後には鎮圧できたのである。
 文字通り命がけの消火活動の奮闘の結果だったのですが、参加した団員の方々のお話を総合すると、消化ヘリの威力と現地指揮の連携プレイがうまくかみ合った結果ということだった。消防庁にも高く評価されたこの消火活動、教訓的でした。
 お昼近くに安曇村で起きた雪崩災害に、これから対処しなければいけないのでと、お酒を遠慮される団員の方もおいででしたが、本当に頭が下がります。お疲れさまです。

 今日は、新年の挨拶回りも行い、新たに一人の方に、赤旗のご購読のお願いが出来た。


1月4日(土)

  地方選挙勝利 2003年長野県党 新春のつどい にて決意表明

 毎年恒例の日本共産党長野県委員会の党旗開きが、今年は、松本市の県松本文化会館で開かれた。

全県から、党支部、党員、後援会の皆さんが集い、今春の一連の選挙勝利に向けて、みんなで構えを確認しあった。
 県日本共産党後援会長の開会挨拶、県委員長の年頭の挨拶、に続き木島日出夫衆議院議員の記念講演の後、今年の選挙をたたかう10人から活動報告、決意表明が行われ、最後に石坂千穂県議団長の音頭で団結ガンバロウで会を閉じた。

 私も、市議選挙の候補者を代表して、松本市議選挙に関し、概要以下のように発言、決意表明した。

 激動の可能性のある松本市に、お集まりいただき感謝申し上げます。ご苦労様です。
 一斉地方選挙後半戦、県下でも最大の焦点である松本市議会議員選挙。定数が4つ削減される中で、現有議席5を確保することは、事実上議席増を目指すたたかい。五中総で指摘されている攻めの構えで全力をあげてたたかいたい。

 有賀市長が、住民投票条例を提案した8人は当選させるなと檄を飛ばしたといわれている。ここにも今度の選挙の特徴があらわれている。

 昨年暮れ12月26日、市長に対して行った政策予算要求の申し入れの際、有賀市長は、申し入れ書を、「住民投票を求めるということは、議員自ら自分を否定していると同じこと。そんな議員の申し入れは受け取る必要は無い。」といって、申し入れ書を投げ返してきた。
 こうした態度や、名を残すための市民会館を始めとした「箱もの」行政は、首長としては末期的症状。とりわけ意見が違うという理由で、議員団に対して取るこのようなやり方は、市民に向けられていると同じこと。聞く耳を持たない市長という思いは、いまや市民の多くの声でもある。

今春の選挙は、市長選挙ではないが、今の有賀市政に対して、議員としてどういうスタンスで望むのかが、大きく問われる選挙にもなる。

 この4年間に議会でも大きな変化があった。
  4年前は、有賀市政に対して、ハッキリものが言え、態度表明が出来る議員は、日本共産党の5人を置いていない状況だったが、市民会館建設をめぐって、1人加わり2人加わり、8人にも10人にもなった。
 印象的だったのは、そうした議員の皆さんの「市民の皆さんの声を聞けば、共産党のいう通りだった。」の言葉。これは非常に大事なこと。

常設型の住民投票条例案も提案者は8人、議会最終日、賛成者は10人になった。こうした変化は、4年前には考えられなかったこと。

今後松本市政を変える上で、どうゆう議会を作るのかが大きな争点になる。

 2つ目の争点は、「自治体らしい自治体」市民のくらしを支える政治の実現ということになる。

 介護保険では、保険料の約30%の値上げ、障害児者の窓口無料は、何のためらいもなく廃止する松本市。この不況下、市民生活はますます大変になる。
 2003年度市の予算編成方針は、「合併を視野に入れ、市制百周年に向けて、計画的かつ着実に」ですが、市民生活、くらしの痛みを放置するどころか、悪化に拍車をかけて、何が市制100周年でしょうか。
市政分析とりわけ財政分析をはじめ日本共産党が求められている役割を発揮して、いかに建設的提案、政策を掲げてたたかうかにかかっている。

五人目の候補者、新人の沢田さんも決まった。

負けられない選挙、市民の皆さんとともにたたかってなんとしても勝ち抜く決意である。
そして、松本市政を変える来年の市長選挙につながるたたかいに、力を尽くしたい。
ともにがんばりましょう。

  以上が私の発言だった。

夜は、私の選挙対策本部の会議。まだ正月だというのに本当にご苦労していただいた。
 改めて、決意を新たにした1日だった。

1月3日(金)

  羊のように、暖かくて人にやさしい世の中を

 ある町会の新年会に呼ばれ、ご挨拶をさせていただく機会があった。

 冒頭の挨拶で、町会長さんが、
「昨年は、景気も冷え込み、寒いときにいななく馬の年であったが、今年は暖かい感じの羊の年。人にやさしく暖かい年になることを」とお話した。

 この町会は、決して大きな町会ではないが、毎年お邪魔をさせてもらっている。
 毎年、成人を迎える青年に記念品を配っているが、例年、1人いるかいないかだが、今年は3人の成人者がいるという報告。内、2人は 私も知っている。自分の長男が昨年だったので、1つ下ということになる。

 私は、いつもお世話になっていることへのお礼を申し上げ、「ここにおいでの皆さんとで、力をあわせれば政治を変えられる時代になった。昨年の知事選挙はそのことを教えてくれています。今年の一斉地方選挙は、県議選では変わり始めた県政の流れをさらに確かなものに、市議選挙では、松本市の政治を変える足がかかりに。」とお話し、自分の今年の決意を語った。

そしてその場で、急きょ早朝から作った「こんにちは 日本共産党 池田国昭 です No106」をお配りした。(いずれPDFにて公開します)

宴会に移った中では、

・首長が、「名を残す」箱ものばかりをつくるようになれば末期症状。道路などに予算を使うならともかく、市民会館は、今後の維持管理費が本当に心配だ。
・ 本当に「民間感覚」を市政にというのなら、経営責任を明確にすべきだ。市民会館の運営の見通しが、当初の管理費と違っている。利用の見通しも、おそらく都合の良い数字をあの東京湾アクアラインのように出しているに違いない。市長というよりも(市長は途中でいなくなるのだから)実際の責任者である理事者の責任を追及してほしい。
・ もう古いタイプの議員の時代は終わった。50歳以上はもう辞めたほうが良い。

        などなどのお話が多数寄せられた。

その後は、昨日の続き、周辺の皆さんへ恒例の新年の挨拶回りをした。

 夜、大学時代の友人から電話があった。こっちに家族で帰省しているのだ。
 実は、このHPをあけた後、昨年中に、突然mailが入ってきたのだ。
「21世紀になっての、PCを通じての「再開」は、歴史的なものを感じます。つながっているという実感です。」という返信をしたのだが、明日時間が合えば、何年ぶりかの再会が出来る。


1月2日(木)

  恒例の新年の街頭宣伝  沢田佐久子さん「駅前デビュー」

 午前中、地元周辺の挨拶回りを終えた後、新年2日、恒例の松本駅前での新年初の街頭宣伝。

今日は、藤沢県議、南山、犬飼市議に加え、今春の市議選に立候補予定の沢田佐久子(さくこ)さんも一緒に参加。倉橋議員は地元新年会で都合がつかず参加できなかったが、そろい踏みの形になった。

 私が司会、進行役で進めたが、現役に続いて「駅前デビュー」した沢田さん。
あらかじめ打ち合わせしてあったわけでなかったが、私が、沢田さんの経歴を、簡単に、「新日本婦人の会松本支部支部長、自宅では、夫人の仕事の経理を手伝う、業者の気持ちがわかる人です。」と紹介すると、

乳幼児医療費の窓口無料化の運動の経過や業者が置かれている今の不況下でのくらし、国保問題など、それに沿って、訴えが行われた。自分の気持ちを率直に訴えられる。
さすがだねと思ったのは、一緒にいた現役みんなの思い。
最後にまとめた私も、「5人の議員団の確立に、お力を」にもついリキが入った。

 知人の方が、車の中から力強く手を振ってくれたり、昨年からの相談者が、自転車で通りかかって挨拶してくれた。
思わず握手を求めた。

夜、梯 剛之(かけはし・たけし)のCDを聞いた。

第14回ショパン国際ピアノコンクール のライブ版。
その中でも有名なポロネーズ 通称 「英雄」ポロネーズ。
今まで聞いたそれとは、かなり違う演奏。節目節目の入り方がソフトなのだ。

そういえば、テレビで、ショパン国際ピアノコンクールの様子を放映していたが、もしかすると第14回でなかったかもしれないが、この番組では、確か、梯のピアノは、楽譜にある指示どおりに演奏していない事が、その順位を左右したというような放送の記憶がある。
確かに違っている。 がそれは、同じ楽譜を使った演奏者の解釈によるショパンであることに間違いない。演奏者が違うと本当に違う曲になるが、でも、ショパンのポロネーズである。

 私たち日本共産党の議員も、同じ綱領と規約を認め、集団で討議して活動をしているわけだが、金太郎飴でなく、個性豊かな自由闊達な活動と対応が求められている。
 聴く人、見る人に理解と納得してもらえるような、活動を目指したい。

今日も、新たに1人の方に赤旗の購読を約束していただいた。ありがとうございました。

1月1日(水) 元旦

 「HP毎日更新しているのですね。見ていますよ」

今朝は、三男を起こして、一緒に朝から日刊「赤旗」の配達。
このところ日曜版の配達には、次男も一緒に参加しているが、日刊紙に子どもが一緒に来るのははじめて。
うっすら雪が積もっていたが、事務所へ向かう。
宿直の事務所勤務員とまずは、新年のご挨拶。
無事に自宅に帰ってきて、御とそと、お雑煮の朝食。

その後は毎年恒例のご近所へのあいさつ回り。私のほうでも今年は選挙を意識し、力を入れて「足をもう一歩前に進めて」年頭のご挨拶をさせてもらった。

「そうですね。」の励ましのお言葉をいただいて、「自分でもそうだ。」と改めての思い。
そんな行動の中で、2軒のお宅でしんぶん赤旗のご購読をいただいた。

幸先良いスタートであったが、夕食時に電気の使いすぎで、停電。その結果なんと、モデムが故障。何ということか。これで連日更新が崩れてしまう。対策をいくつか講じたが、だめ。結局、別な方法で最小限の更新にすることにした。

 今年も激動の1年か・・・

 1年ぶりに地元の何人かの方とお会いして、入院を繰り返していた人、失業してしまった人、サラ金から電話が正月には掛かってこないようにと頼まれる人、新築をして引っ越したかたなど、この1年間のさまざまな様子、変化が伝わってきた。

 「HP毎日更新しているのですね。見ていますよ」と話し掛けてくださる方もいて、本当に嬉しかった。

 昨年12月にHPを開設した時に、次のようなmailをいただいた。

「遠くギリシャの哲学者の言葉に"Democracy had ruined when the people forgot to ask why to the government."「民主主義は、市民が政府に何故と問わなくなった時に滅んだ」とあります。時の政治に関心を持ち、政府や政治家に何故と問うことは、主権在民の社会に生きる我々市民の責務です。しかし、残念ながら日々の暮しに追われる中で一般大衆は、的確に情報を把握・分析し、何故を問いつづけることは非常に困難なのが現実です。他方、選良と呼ばれる人たちには、その活動の中で得た情報や判断材料を提供する使命を持つと考えられ、インターネットは、情報提供と意見交換の場として格好のツールではないかと考えられます。そうした意味において、先の県知事選挙における石坂県議のHPこそ、政治家全てに求められる姿勢ではないかと思います。ますますの充実をご祈念申しあげます。」

 昨年お世話になった方々へ感謝を申し上げると共に、今年も
、出来る限りの力を尽くたいと思います。


    昨年の日誌に続く