「議会と自治体」誌(4月号)に掲載した原稿は、以下の内容です

 

 母子・乳幼児世帯への国保証とりあげをストップ  

                                         党松本市議団長 池田国昭  

 先に発表された党のいっせい地方選挙政策(分野別政策)(一月十九日)および国保緊急提言(三月三日、本号三十一nに掲載)には、「母子世帯や乳幼児がいる世帯は保険料滞納でも国保証を交付する」という改善がおこなわれた自治体として、松本市の名前があげられています。  
  本稿では、これを実現した経過について、民医連や民商、生活と健康を守る会などの関係団体のとりくみと党市議団の活動を、さらに、今後の課題を明確にし、文字どおり「憲法二五条に保障された生存権をまもる国民的大運動――全国の草の根から、社会的連帯で貧困を打開し、生活を防衛する国民的大運動」(三中総決定)の前進をさらに図る決意もこめて、報告したいと思います。

 制度改善で、百八十世帯の母子家庭に正規保険証発行

 〇六年の二月予算議会で菅谷昭市長は、国民健康保険について、「乳幼児のいる世帯にたいしては、(通常の)被保険者証を交付する方向で現在検討をすすめている」と答弁し、次の六月議会では、「市民の健康はなによりも大切。子育て支援の観点から資格証明書交付基準の見直しをおこなう。世帯員にゼロ歳から六歳の乳幼児がいる方、また母子世帯の方を(資格証明書の)交付対象外とし、通常の被保険者証を交付する」と答弁しました。菅谷市政が誕生してから二年目のことでした。  
  その結果、これまでも「乳幼児のいる世帯にたいしては、運用のなかで資格証明書の交付はしてこなかった」松本市でしたが、表1 のように資格証明書および短期保険証の交付基準が変更され、〇六年十月一日の国保証切り替えを前に、保険税の滞納があり短期保険証ないしは資格証明書しかもらえなかった百八十世帯の母子家庭に、正規の保険証が発行されるようになりました。  
  市の担当職員は、「それまで、短期保険証のため、期限が切れるたびにそれらの方々は保険税を持って更新にきていました。(今回の見直しは)保険税の滞納解決にはつながらないかもしれないが、一人の人間としてはとてもうれしいこと」と語っています。

 菅谷市長誕生で市政が大きく変わりはじめた 

 この画期的な改善は、菅谷市長市長の誕生で、市政が大きく変わりはじめたなかで、実現したものです。
 
 大型公共事業優先、福祉切り捨ての前市政に怒りで
 
 それまでの前市長は、「不況の時期こそ公共事業が必要」と、美術館建設など大型公共事業を推進し、結果としてその後の市民負担を増大させる政治をおこなってきました。
  前市長は、口を開けば「健全財政を維持」とくり返しながら、三期十二年間で普通会計の借金を二・二倍に増やし、一方で正規職員の大幅削減、医療費助成の削減、国保税・介護保険料の値上げをすすめ、さらに上下水道料金の引き上げも計画するという「逆立ち」政治をすすめていました。  
  五年連続の税収の落ち込みで、他の事業は、縮小、延期、中止を余儀なくされているなかで、新市民会館建設だけは「聖域」にし、事業の見直しを求める六万筆の請願署名や、建設の一時中止を求める一万四千人の声(住民投票条例制定の直接請求)をまったく意に介さず、総額百四十億円をかけて建設を強行しました。  
年金が減らされ、利用料負担が大きく十分な介護サービスを受けられない=A介護施設の入所の順番待ちの数も膨れ上がったまま=A高齢者の医療費負担増、さらにサラリーマンの医療保険料も引き上げられる=A最後の砦ともいえる生活保護もすぐには受けられない
  という状態がつづくなか、新市民会館建設強行の一方で、障害者のみなさんが不自由な体を押して署名を集め実現させた医療費窓口無料化制度については、前市長はなんのためらいもなく廃止してしまいました。
 「市民会館建設に使うお金のほんの一部があれば、医療費窓口無料化制度を継続できるのに」、「障害者が窓口でいったん医療費(後で申請により助成される部分もふくめて)を払わなければならないすることがどれだけ大変か」――
  こうした市民の怒りの声が結集し、前市長の任期最後には、文字どおり「市長を変えよう」という声が、大きな世論となっていました。
 
 以前の国保行政の実態  

 国保行政についても、前市政時代には、資格証明書や短期保険証の発行数は、長野県下十七市(当時、現在十九市)のなかでもトップクラスという不名誉な事態でした。  
  とくに、資格証明書の年度別の発行数は、表2 のような状況で、母子世帯にたいする保険証とりあげもおこなわれていました。  
  国保税を「滞納」(多くの世帯は重い負担に払いたくても払えない状況)し、短期保険証発行の対象となった世帯は、〇三年度は三千四百三十八世帯(加入世帯の七%台)でしたが、〇五年度には四千二百六十九世帯(同九・三%)に増加していました。
  このことからも、年と追うごとに国保税負担が市民生活を圧迫していっていることは明白でした。

  市長に菅谷昭氏が当選
 
  こうしたなかで、〇四年三月の市長選挙では、NHKのプロジェクトX 「チェルノブイリ 奇跡のメス」 で原発事故のさい現地にかけつけた医師として紹介され、市民に知られるようになっていた菅谷昭氏は、「少子高齢社会に、生命の大切さ、質の高い生き方を考えたい。もの優先社会を止め、量から質への転換を」という公約をかかげて選挙戦を展開し、現職ともう一人の「新市民会館建設反対」を掲げる候補者との三つ巴の選挙戦で、現職に大差をつけて初当選を果たしました。
  松本市の市民は、市民無視の市政に審判を下し、新しい市政の舵取り役に菅谷氏を選んだのでした。  
  日本共産党は、「明るい民主市政をつくる市民の会」(民主団体と結成し、前回市長選挙までは独自候補者を立ててたたかってきた)の一員として、無党派のみなさんと協力しながら、菅谷候補(選挙母体は「あたらしい松本の会」)を応援しました。
 
市議会(当時定数三十四)では、菅谷氏を推して選挙をたたかったのは党市議団の五人をふくめて九人の議員で、政党としては日本共産党だけでした。  
  こうした経過から、当選が決まった翌日、党市議団は、「菅谷市政に対しては、与党的立場で臨み、『住民こそ主人公』の松本市政実現に向け、議員団としての責任を果たす。菅谷民主市政を支える柱になる」との声明を発表しました。

 市政史上初の一般会計から国保会計への補填が実現  

 しかし、国保財政への国庫負担率の低下をふくめ、国が国民の医療保障への責任を後退させるなかで、国保会計はゆきづまり、その解決は容易ではない課題となっていました。
  こうしたなかで、当選後すぐに医師でもある菅谷市長が、国保税の引き上げの問題に直面せざるをえなかったことは、ある意味、象徴的なことでした。  
  党市議団は、これまでも、一貫して、一般会計からの補填をおこない、市民負担の軽減と国保会計の赤字の解消をはかるよう求めてきましたが、前市長は、頑としてそれにこたえようとしませんでした。 その一方で、国保税の値上げ、税負担の公平性≠ネどとして、短期保険証や資格証の発行を収納対策として実施してきました。  
  また、前市長は、選挙前の保険税値上げは選挙に影響するということからか、国保会計の赤字への対応を先送りしてきており、これらの矛盾が、すべて当選間もない菅谷市長にかぶさることとなりました。  
  こうしたなか、松本市の市政史上初めて、一般会計から国保会計への補填が実現したのです。
  菅谷市長は、値上げを半分に抑えるために、一般会計から年間五億二百万円を三年間繰り入れるという英断をおこないました。党市議団が何度も求めてきた提案がついに実行されるという、画期的なできごとでした。  
  しかし、それでも資格証明書と短期保険証の発行数は、県下十七市中最悪という不名誉な状態はすぐには変わりませんでした。

  党市議団、関係団体がさらなる改善求め運動
 
  党市議団は、画期的な転換がおこなわれたものの、国保税の引き上げという事態にたいし、今後の対応について、民主商工会や松本協立病院のみなさんとともに、学習・検討会をおこないました。
  そしてそこでは、講師の方からの提起も受け、資格証明書の発行の問題は、前市長時代からのこととはいえ、解決が迫られている喫緊の課題≠ナあることが確認され、さらなる改善を求めていく必要性があきらかにされました。  
  そして、資格証発行の問題では、市議団として、再度正面から菅谷市長に改善を求めることにしました。また、この学習会を契機に、党市議団が議会でとりあげるとともに、関係する諸団体も、新たに結成された生活と健康を守る会、松本民主商工会、そして協立病院のみなさんが市長に申し入れをおこなうなど、精力的な活動をくりひろげました。  そして、〇六年の二月予算議会で、党市議団は、厚生労働省の国保課長補佐名で「乳幼児が含まれる世帯は資格証明書の対象外とすることを検討すべき」(「収納対策緊急プランの考え方と作成方法」、データファイル資料8参照)との指示が〇五年に出されていることを紹介し、子育て支援策という意味からも、正規の保険証の発行を強く求めました。
 
  保険証とりあげが大きく改善

 「3Kプラン」(健康づくり、危機管理、子育て支援)を打ち出していた菅谷市長は、みずから答弁に立ち、この指示に沿い「乳幼児世帯へは資格証明書は発行しない」ことを表明しました。  
  私たちは、乳幼児世帯だけにとどめず、母子家庭、父子家庭などへの資格証明書の発行もやめ、すべての世帯に正規の保険証を発行するよう強く求めました。  
  その結果、最初にのべたように、六月議会で滞納の有無にかかわらず、すべての母子世帯、乳幼児世帯に正規の保険証を発行するという見直しがおこなわれたのです。  
  これにより、〇五年四月三十日現在で、資格証明書六十七件、短期保険証二千三百八十三件が発行されていましたが、〇七年一月末現在で、資格証明書一、短期保険証千二百六十二と、大きく改善がはかられています。

  資格証問題を議会でとりあげてきたのは共産党だけ
 
  今回、本稿をまとめるにあたって、松本市で資格証明書の発行が開始された〇一年以来の市議会会議録を調査しましたが、その結果、資格証明書の問題を取り上げてきたのは、党市議団だけだったことがあらためて確認されました。  
  また、市政と市職員の対応にたいして、私たちが昨年暮れにおこなったアンケートには、次のような声が寄せられました。
 「リストラされ収入が減り、国保税も払えず保険証を返還した。そうしたら市の職員の方の訪問を受け、『保険証は持っていてください。保険税はたまっていますが、収入が得られるようになってから一カ月づつで結構です』と保険証を届けてくれた。医師である市長が命を守る姿勢で医療に力を入れていることがわかりました。保険証は命の元です」。

 命を大切にする菅谷市政の姿として、市民のみなさんに受けとめられていることが、よくわかります。  

 今後の課題  

 「県下ワーストワン」からはじまった国保行政改善のとりくみですが、菅谷市政誕生という条件を生かし、党と市民の共同によって、貴重な前進を築くことができたと感じています。
  また、今回のとりくみをつうじて、現在市長が打ち出している「3Kプラン」の「健康づくり」と「子育て支援」の施策をすすめていくことの大切さが再認識されました。
  この点でも、貴重な経験だったといえます。  
  しかし、松本市には、国保証の未交付世帯(=留め置き)問題が、残されています。国保税滞納者との連絡がとれないなどを理由に保険証が渡されていないのです。
 「命を守る」、「お金の心配なく、安心して患者になれる」という点では、まさに国保証は「命綱」、「命と健康のパスポート」です。  
  国保証が交付されない事態は、直ちに正されなければなりません。
  この問題の解決にむけ、ひきつづき全力を尽くしたいと思います。