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| 信州・美ヶ原高原山麓、松本市東部に位置する山辺地域におけるぶどう栽培の歴史は古く、江戸時代中期、元禄・宝永のころ(1688〜1710)に甲州から甲州ぶどうが導入され、家の庭先に植えられたのが初めとされています。これは長野県で初めてぶどうが植えられた記録となっています。明治6年(1873)以降本格的に栽培されましたが、山梨県等の暖地と比べると温度が不足することで、粒が小さい上に酸味が強く、良いものができなかったといわれています。また、ウドンコ病やべと病の大発生と養蚕の発達にともなって一度は衰退したようです。しかし明治44年に山梨県の技術によってぶどう棚が架設され、また大正期に入って米国より病気に強いコンコード、ナイアガラ、デラウェア等が導入され、篤農家の努力によって失敗を繰り返しながらも栽培面積は徐々に増加し、昭和初期には27ha前後の面積がありました。それまでの間に開催された全国特産品博覧会等で何人もが入賞するなど先人のたゆまぬ努力には頭が下がる思いです。その後、養蚕の衰退とともに生食品種の導入が活発に進められ、戦後、巨峰が導入されて後は栽培面積が飛躍的に増加、また新技術の導入も積極的に行われて今日70数haに及ぶ一大ぶどう産地を形成しています。 現在、特にデラウェアは日本でも一二の高単価を誇るブランド品として全国屈指のゆるぎない地位を築き上げています。このデラウェア、近年では台湾にも輸出しています。輸出果物といえば青森県のリンゴがよく知られていますが、ここ山辺のぶどうもがんばっています。また、次なる地域ブランド品を創出すべく、地元の篤農家にして育種家の大村氏作出の「皮ごと」「種なし」「大粒」の黄白色新品種・「黄華(オウカ)」の育成に地域をあげて取り組んでいます |
![]() 山辺ぶどう記念碑 |
| (参考文献) JA松本ハイランド入山辺果樹部会編「山辺ぶどう史誌」 |