松本市 反原発8・11大行進
自分は、去年の9月に福島県の本宮市という所からここ松本に引っ越してきました。
しかし、引っ越す前や引っ越した直後などは、自分は0といっていいほど放射能が与える 身体への影響や、恐ろしさなどの知識がありませんでした。
しかし、2011年11月19日に松本で広瀬隆さんという長年にわたって原発事故に対して、警鐘を鳴らし続けてきた人の講演会が行われ、自分はなぜ、今松本にいるのか、福島で何が起こっていたのか、そして、今何をするべきなのかをつかめるような気がして父と一緒に講演会に行きました。
自分はこの講演会で、原発事故から8ヶ月も経った11月に、初めて放射能の本当の恐ろしさについて詳しく知ることができました。
しかし、それと同時に今も福島にいる子ども・赤ちゃんなど、何も罪のない子どもたちが、とても危険な場所に住まざるを得ない状況があり、そんな中でも、国や東電は自分の犯した大罪を認めず、何も手を差し伸べない。
マスコミは平気で嘘をつく。
何より自分が今まで暮らしてきた福島の自然・人間関係・何気ない普通の日常を奪った、馬鹿な原子力村に群がる官僚・企業・学者・日本国の政治家対して、大きな怒りと悔しさを覚えました。
11月の講演会から自分は主に3つの事を心の中にとどめて今まで松本での歩みを進めてきました。
それは、
・一人の元福島県民として、今までの自分の経験や歩みから自分が思ったこと・感じたことを社会の多くの人に伝える。
・一日でも早く原発がなくなるように、小さな力ではあるが全力でデモなどで声をあげる。
・どのような形でもいいから、自分の友達など、今、福島にいる子どもたちに長野に来てもらえるように行動する。
ということです。
最後に、国は原子力がないと経済が低迷すると言っていますが、自分は経済よりも大切なものはいくらでもたくさんあると思います。
美しい自然、地域の文化・人間関係、平凡な日常などがあげられますが、実際放射能はこれらを破壊し奪ってきました。
つまり、放射能は身体だけでなく、確実に多くの大切なものを破壊しうばっていってしまうのです。
自分は一人の日本人として、これからの日本が、確実にみんなで前進していくためには、福島の悲劇がもう二度と起こらないように原発をなくし、福島の罪なき子どもたちを救いそして守る。原発事故の記憶が消えないように、後世に伝えていく。
少なくともこの二つの最低限の本質的課題をみんなで乗り越えていくことが唯一の方法だと考えます。
夏の暑い中、また雨の中のでも本当にお疲れ様でした。
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