田中康夫氏 松本駅前での訴え

2006年7月29日 朝8時   

 借金でも、コンクリートでもない、緑の山々を守り、
  地域の雇用、地域の福祉を充実できる事業、子どもの未来を不幸にさせない財政改革をすすめます
 

 この信州の山が、これまで多くの災害を防いでくれていたこの長野県で、あまたの命が失われました。
  昨日まで、岡谷市や諏訪市、下諏訪町、辰野町、箕輪町、塩尻市といったさまざまな災害の現場に赴き、そしてまた、家を失い、家族を失った避難所くらしが続いている方々にあるいは、小さな手助けかも知れませんが、一人の県民として知事としてお手伝いをさしていただいて参りました。  
  岡谷の地における自衛隊の救出部隊もその役目を終え、しかしこれから家族や家を失った方々にとっては、それぞれの家庭を再建するまでの大変長い道のりが続きます。  
  被災をされた方々は、自分だけが置いてきぼりを食らうのではないかと言葉にも言い表せない不安を抱えながら、けれどもみなで手を取り合っています。
  私が6年前に知事に就任した時には、こうしたさまざまな災害や大規模な事故それらに対応する専門部署はありませんでした。  消防庁の職員を招いて危機管理室を設けました。 これは現在、事務職員として県の職員になった、沈着冷静でありながら的確な認識と迅速な行動を行なう危機管理局長の下、24時間、警察、消防、病院交通機関当からの情報を収集して、私にも24時間の携帯メール、電話によって、連絡を取る部署があります。

 思えば、私の社会的活動の原点は阪神淡路大震災でした。  
  50CCのバイクに乗り、大阪から、ミネラルウォーター、野菜ジュースをリックサックに背負って出かけました。  神戸・長田の場所が私の原点です。 震災から、4日後、電気は復帰せず、夕方4時には電気が真っ暗。 家族、家が無事だった方々も、ある意味4日を経ても、皆同じ災害の共同体でした。 皆が同じ運命の中で、目をそらすことなく歯を食いしばり、まえを向いていこうとしていました。 今回天候が回復して、ヘリコプターで降り立った19日の日、湊小学校に夕刻訪れると、人々はまだまばらでした。 小口さんという区長さんは、私たちの地域でこんな災害が起きるなんてこの山が危ないと思った事すら、今までなかった。でも災害が起きた。多くの方はいま近くに食事に行っているので、もうしばらく待てば、戻ってきますよ。と語りかけてくれました。 私は、少々その意味がわかりませんでした。しかし、小学校に来るまでのいつもと同じように営業している店があり、そこには、こうこうと電気がついたファミリーレストランあり、いつもと同じメニューが、ほんの1キロも歩かない内に、用意をされているのです。 すなわち家族を失い、家が濁流になくなった方々は、災害の共同体の中に遭っても、自分だけが初日から取り残されているような、そうした思いにあるのではないかと思いました。 車もなく、歩いてそのレストランに行かれて、子供さんは無邪気にハンバーグを食べているかもしれない。  
 
  災害は、電気が通じ、水道が回復すれば、そのまま避難所にいる方とそうでなく家に帰れる方とある意味では、心の葛藤が始まるのです。  岡谷では、当日から同じ岡谷の地の中で、家も家族も車も失った方々とその方々を気遣いながらも、いつもと同じ生活が、いつもと同じ街の中で、おこなえている方が食事をしている。そうした大変な差があるわけです。 この方々が、最後のお一人もきちんと家を再建してくれるまで、県は一緒に歩まなければならないと思いました。
  「衣食住」という言葉がありますが、被災されたかたがたにとっては、意欲を自分で持てるような環境、そして自立していけるための職業、災害の後の「いしょくじゅう」は、いささか異なる字をかきます。 けれども最後の「じゅう」は愛する家族のための再び暮らせるための場所が確保できるかにあります。 私たちの職員に改めて感謝しています。 課長級の職員が伺い、現地の市町村の職員がいます。 現場で、現場でなければわからない提言が出てきました。
  日本に暮らす人々にとって、お風呂に入って身体を清める。これは何より一番の活力の源です。 避難所で風呂に入れないお年寄りのために、県のバスでお隣の温泉にお連れしよう。 という提言がありました。 すぐに会議で決めると同時に、他の箕輪町、辰野町の避難所でも、同様のサービスができないか職員は取り組みました。 濁流の場所だけでなく、上諏訪駅周辺は床上の浸水となりました。 翌日衆議院議員の調査団の人と歩いて、水がこの腰のあたりまでついたということが壁の色の違いで痛感しました。 この床上浸水の方々の事は、県内ではあまり当初報じられなかったかもしれません。 これらの方々の家財道具を天干することも再生の大切な一歩です。 市町村の職員はてんやわんや。県の職員も手伝おうと、数百件の家に一人一人配置すればいいかな500人くらいかなと甘い見通しを立てました。
  各市町村の担当と話をし、区長と話をする中で、上諏訪の地域でも1500人の人がでてくれればありがたい。という話がありました。 私は当惑しました。職員が物見胡散で来たとそしりを受けないだろうか。 けれども朝8時からの会議を行い、下諏訪町から諏訪市に入ったときには、今日と同じようにすばらしい空の高い、空気の中で、多くの職員がご家族の方々とともに一心不乱に家具等を運び出し、そして使えなくなったものを、運び出し処分する準備をしていました。 小さなお店を経営されている方が、ここにあるのは家で使っていた冷蔵庫、扇風機などの電気製品が床上浸水で、使い物になりません。  処分するにも、持込手数料がとられます。 何ができるのか、できることをできる人ができるだけ一緒に行なうそれが、災害のみならず私たちの地域の再生です。  独断にすぎるとそしりを受けるかもしれませんが、1つ数千円の手数料かもしれない。県が無料で引き取り、環境に配慮して処理する。 その場で、危機管理局長に電話して、指示しました。 いま諏訪湖畔にある 豊田(?) 下水処理場 芝生の一角に24時間 無料で処理する場所で職員が対応しています。感謝です 現場主義、直接対話をいってきた。  
  現場で、直接住民と話さないとわからないことがある。  出かけて話すだけでなく、何ができるか一緒に考える事の大切さを痛感しました。

  一部の人への利益誘導をするような政治であってはならない。 一部の人だけがおいしい思いをするような信州長野県であってはならない。と思っています。
 
  この5年間。 日本は社会福祉を削減し、地方交付税を激減させ、一部の六本木の丘の上で、パソコンを前でキーボードをたたいて数字をいじるだけで、巨額の浮利 浮ついた浮利を追い求めるような人々が、まるで日本をけん引してくれる。そんな錯覚にとらわれていたのではないでしょうか。 信州長野県は、わずか3年間に限っても、540億円もの地方交付税が削減されました。(拍手) 一体このどこに国と県の、国と市町村との信頼関係が成立しうるのでしょうか。 けれども多くの市町村は、国という巨大な権力のその影におびえて、闇雲に地方交付税が削減された事に異議申し立てすることすらママならないまま、それぞれの自治体において、切り盛りを強いられています。
  私たち信州・長野県は、ある意味ではこの6年間、社会福祉を充実させ、私たちのこのすばらしい山々を再生保全していく、清らかな水おいしい空気を未来へと守りつないでいくそうしたことに、力を注いできました。 日本の政府の流れとは、ある意味では対極にあったのかも知れません。 けれども私たちには、そのことを行なう水源県としての責務があります。 それは、辛い事ではなくひそやかに胸を張れることだと思っています。
  お手元にチラシを配りました。 県民の会のみなさんが作成してくれたのです。 ご存知のように期間中は私の名前を記して、私が直接語りかける印刷物を配る事は出来ません。 しかしここに書いてあることは、 私だけでなく、多くのボランティアのみなさん、この瞬間も県内の各地で、残り8日間となった選挙戦のなかで、一人でも多くの方々に私たちの思いはここにあると早朝からチラシを配って下さっている方々との共通の誓いあっている事項です。
  3つ書かせていただきました。 無論未来へ誇れる私たちの未来の県であること。 安心して暮らせる豊かな県であること そのために未来の子ども達に借金を先送りさせない。 世代を超えたすべての方々に、優しく確かな行政のサービスをお届けすること。 さらには地域でできることは地域で、地域の企業や人々ともに歩む事。 この3つです。 30人規模、市町村と協力して6年生まで行なう事になりました。 これも全国ではわずか3県です。でもこれは本来当たり前の事です。 そして、今年から小学校入学前の子どもの医療費無料化させていただきました。 少子高齢社会です。 すでに私たちの県は2001年から、人口減少、昨年から日本の国で減少しています。 お子さんを生む時だけでなく、むしろ成人するまでの長い間、家族と地域が一緒に支いあえられるそれも口先だけでない、具体的施策が必要です。 私たちが1歳児の保育、なんと驚いた事に国の基準では、一人の保育師の人が、6人もの1歳児のお世話をする。国はそれで十分だと述べているのです。 本当でしょうかみなさん。 双子のお子さんを1歳児を2人お世話するだけでも、家族は疲労困憊です。無論これは十分でないと検討していますが、1人がせめて4人のお子さんを面倒見るような、そのための県の単独の予算をつけています。 高齢のかた、宅養老所方々。日本の法律は新しい建物をつくった場合にのみ国から補助が出ました。 そんな制度だから、遠く離れたバスを乗って離れたところに、新しいコンクリートの建てものができるのです。 福祉もお金がかかると国は言っています。 しかしそれは、新たな形を変えた箱物福祉にすぎません。 大切な事はそこでどんな心意気を持った、そして優しい心根を持った同じ県民が同じ県内で貢献してくれたお年よりのために尽くしてくれるかです。 そしてそれは確実に、地域の雇用を増やしていく事なのです。 ロボットでは到底、福祉も教育も医療もできません。 私たちが福祉医療環境、観光という多くの事業にその職員を配置してきたのは、そこにこそ県民との間の新しい雇用が生まれるからです。 宅養老所は現在297箇所です。 来年には400箇所、小学校区に一つづつある規模にしたい。 宅養老所はみなさんご承知のように、商店街の開いた仕舞た屋(しもたや)や、集落の使われていない開いたお家を活用しています。 このために市町村と一緒にスタート時点での支援をしています。 その後は、それぞれの利用料で、自立的に行なっていただく。  いつまでも補助をする事は、逆に・・・(風音で聞き取り不能) ようやく 私どもや友人の国会議員の奮闘によって、建物を宅養老所にする時に幾ばくかの補助が出るようになりました。 しかしこれは建物所有者と運営者が一緒でなければお金が出ません。なんという話でしょう。 農村の空いたお家を持っている。その活用をどうしようかと思っている人に、地域の新しいNPOの人がお金も場所もないけれども、心意気があるからこの場所を貸してほしい。それこそ私たちの絆です。 同じ日本に暮らす人間が運営しようとしているのです。 建物を持っている人がそれを手離す事はなんら恥ずかしいことではありません。 しかしながら、日本はいまだに所有者にしかお金を出さない。 そんな土地本位性の考え方だから、いつまでたっても日本は、バブルが経済の悲劇を作り出していると思う。

  高齢の方々に今回とりわけ、おうちで介護されている家族の方にお約束したいと思います。 在宅介護者に 年間100時間あるいは200時間無料でヘルパーを派遣するサービスをする事をお約束したい。 既に障害を持つ家族と一緒に暮らしている方々には、年間300時間という制度で、スタートしています。 家で世話をしていても、一人で映画を見たい時もあるでしょう。美容院 で気分転換したい時もあるでしょう。そのとき数時間、あるいは半日、制度の活用でいつのも信頼できる同じヘルパーが世話をしてくれる。それは贅沢でもわがままでもありません。 高齢な方々も、無論、施設での手厚いヘルプを選択する方もいるでしょう。 けれども生まれ育った、土地に暮らしたその原風景の中で、家族と一緒に長寿を天寿をまっとうするまで過ごしたいという思いの方がいます。 しかし私の祖母がそうであったように、毎日母も下の世話をするという事は、根疲れがあります。 家族でたまには一泊、近くの温泉に行きたい。これもわがままでも贅沢でもありません。 そのときにいつもの信頼できるヘルパーさんが来る。 ショートスティを選択することもできるかもしれません。 でも環境、景色が変われば、認知症のお年よりもその度合いは増す。
  それは私の祖母 明治25年生まれ92でなくなる最後には、母が食事を上げる時には、お祖母ちゃんのご主人の名前はと聞くと、祖母は私の母が、小さい時は教員をしていましたので、私はお祖母ちゃん子で、祖母は母に、主人は「田中康夫」といっていた。そして天国に行きました。 そうした家族に、

 私は、言葉だけで、家族で介護、地域で介護と言わずに、具体的は方策を採る、こうしたタイムヘルプという方策を提供したいと思います。
  これらはすべて本県の破綻に瀕していた財政をみなさん一緒に、とりわけ県職員の理解を得て、進めてきたからだと思います。  

 この5年間で923億円連続借金を減らしてきました。 零金利だから減らせたのだという人がいます。 でも借金は、最初に借金したときの金利で返さなければなりません。 そして全国で本県を含めて、わずか3都県だけが、この5年間で借金を減少させている。 他の県は、いずれもこの5年間は、一貫してその借金を増やし続けてきました。 そして日本は1時間になんと66億円ずつ借金を増やしている世界一の借金大国です。 構造改革といいながら、この5年間で250兆円もの借金を増やしました。 日本全体の借金は1000兆円ですから、その4ぶんの1がわずか4年間で生まれいるのです。  
  私たちの県も、地方交付税が、3年間で540億円も減らされた。 これは長野県だけではありません。全国の市町村が同じ状況です。  かつかつの状況です。 だのに、国からお金を持ってこれるなどというのは、私のように財政破綻寸前の県の財政改革、職員のみなさんの協力を得て行なってきた立場からすれば、およそ非現実的な話です。
 「借金が地域の宝だ」などとは、とても口が裂けてもいえないことです。
  なぜなら、長野県は、オリンピックの開催時に、多額の借金をして、2年後には財政破綻する運命にありました。
  借金は必ず未来の子どもが背負うのです。 むしろ民間企業よりも過酷です。 民間企業は、会社更生法、民事再生を行なえば、取引企業は、業者は痛み分けをします。 行政は誰も救ってくれません。 夕張市の実例が、それ示している。 国は、借金をしろしろといいながら、破綻をすれば、全部自治体が自分で弁済しなさいと言うのです。 おそらく夕張市は、これから、おおくの行政サービスが行なわれなくなり、多くの負担増が目に見えた形です。

 私たちの県は6年前、私が就任したときに申し上げました。 何も努力をしなければ2005年度には、財政再建団体に転落すると私は警告を発しました。 多くの議員のみなさんは、狼少年のようだといいました。 狼少年でなかったことは、夕張市が証明しました。 県民の財産である基金、これも昨年は1円も取り崩すことなく、逆に42億円の黒字をもたらしました。基金を積み増しました。
  財政健全化はは、とても大事な事です。けれどもそれは目的ではなくて、地域に暮らす人の福祉や教育を充実させることにこそそのことがあると思います。 これらはすべて、未来の子ども達に負担を与えない。 未来の子ども達がこの誇らしい山々を守り続けられるためのささやかながらのわたしたちの原資なのです。  

 地域で地域の雇用を生む。このチラシの中には、木製ガードレールの写真が載っています。 鉄のものは全国で5社しか作っていません。無論県外の会社です。 設置費用だけは県内の雇用ですが、大半の費用は県外に行きます。 そしてガードレールに関しては、国からの補助は一銭もありません。  国は、公共事業を削減しましたが、森林を整備する予算も削減しました。  林野庁の中に、本来森林を整備する予算は、林野庁の中のわずか8%にすぎません。 林野庁といいながら実は森林の整備でなく、鉄やコンクリートを沢に打ち込む費用が大半なのです。 私たちの木製ガードレールは、県内の土木業者、建設業者の人が職員と一緒に製作しました。 木製ガードレースは茨城県のつくばの試験場で耐久試験をしている。鉄と同じ強さです。 県内で間伐した樹を、県内で製材し、県内で製作し、設置しています。  鉄の場合と比べ、約5倍の雇用を生んでいます。 県内には、県道に2000Kものガードレールがあります。 鉄の物は20年に一回、交換しています。木製はおおむね15年間持ちます。 年間100Kは交換している。 この半分の50〜55kでも木製にすれば、いままでの建設費用の7掛けで出来ますと企業が述べています。
 そしてなんと林野庁は、木製ガードレールに半額の補助を出しています。 試算では、年間5.5kしか予算が議会から認められていませんが、県民負担は鉄より少なく出来ます。 1kあたり291人もの雇用を生み出す。 地域でできることは、地域で、それは脱ダム宣言の精神でもあります。

 大きな会社を誘致すれば、雇用が増えると思っている方々がいらっしゃいますが、 事実三重県では、シャープの液晶テレビの工場を亀山市に誘致しました。 しかし、三重県は、そのために90億円の、亀山市は40数億円の税金を払いました。 しかし、働く人のほとんどは、転勤者で、経済の専門新聞によれば、地元雇いの常勤労働者は、50人以下にとどまっています。   私たちは2年前から、環境に配慮した企業への環境配慮型応援投資助成金制度事業もスタートさせました。ISOというものですが。 2年間に環境に配慮した15社、地場に根ざした会社、県内の交通網の充実、あるいは県民の民度の高さに着目して、進出してくれる会社が半分、あわせて15社に37億円の助成を行なっています。ずいぶんおおきな金額と思われるかもしれませんが、それは、386人者常勤雇用が生まれます。 三重県の5分の1の投資で、10倍近い新たな雇用を生み出すという事です。 そして、こうした企業の建設費用は、地元の建設電気などの企業が行い、これらのこれのよる投資効果は、502億円です。 県内の1箇所に大きな工場をつくっても、全員各地から通えるわけではありません。 資本の論理で外に出て行くかもしれません。 地域に根ざして、それぞれの地域の中で、分散して循環型の雇用を生んでいく。 その事の方が、各地を元気にすることだと思っています。 昨日発表された有効求人倍率1.20 は、全国でも上位に位置します。冬季オリンピックの開かれた年でも以前でも、0.88と1に満たない数字でした。
  それはなぜだったのでしょうか。
 大きな建設は、県外のゼネコンにお金が戻っていくからです。ダムと同じです。  県外は潤っても、県内の企業は必ずしも潤沢にはならないのです。 地域でできることは地域で申し上げているのは、こうした点にあります。 世代を分断させずに、宅養老所の3割が、小さな子どもさんをお預かりするように老いも若きも一緒に暮らしていくそうした県にしたいと思っています。 実は今回、私たちと違って、企業からおおきなお金が動いているかもしれません。 でも嬉しかった事は、長野県の建設業協会の数名の支部長の方から電話とメールが来ました。 最初は、公共事業を削減するだけかと思った。 日本全体では、37%も公共事業を削減している。 その中で参加希望型競争入札を始め、地域の企業でできることは地域でという事で 入札にしてくれた事を、嬉しく思っている。他の方から推薦状を出せといわれたので、トラブルにならないように出したが、 でも私たちの気持ちは本当に中央主権ではない、行政をしてくれるあなたへの期待だと言いました。私は涙が出るほど嬉しかったです。 変えていくときには最初は戸惑いがあります。 さざなみどころか大波があります。 けれでも5年を経て県内で一生けん命自力で土木、建設業をいとなむ人達が、支部長がこのように連絡をしてくれたことは嬉しく思います。 それは新しい、役員構成となった商工会連合会の方々、むしろ努力をしてくれている個人店主方々と職員が営業マンとして付いてお世話をしていく。 県内の心ある方々は、私たちの歩みを戸惑いを越えてともに歩いていくれる。 長野県の旅館とホテルの人たちが、3つの団体が一緒に協調してやっていこうという事で、長野県旅館ホテル組合会を結成してくれました。 そして来年は風林火山の年です。 この方々は、私とともに一緒に信州のキャンペーンを張っていこうと信州を一緒に発信できる田中康夫を受け入れたいと言ってくれた。 ありがたい事に独自のポスターを作ってくれた。 昨日、緑の森の中でさまざまな動物がいる中で、「信州キャンペーン成功のため私たちは田中知事を応援します。長野県旅館ホテル組合会」、会長の名前が記された素敵な緑のポスターです。 私がお願いしたわけでは在りません。 それらの方々もこの場に来る事は、なかなかはばかれるのかもしれません。 信州とは無縁な、一部の利益誘導ではない県政を一緒につくって行きたいと思っています。

 最後に 再び災害に話をもどします。
  お隣の新潟県では、2年前、刈谷田川と五十嵐川、信濃川水系の川、ここには巨大なダムが上流に作られ、100年確率という国土交通省の治水が確定をされている川でした。 しかし、12名の人がなくなり 約1万戸が水害にあいました。 先日新潟の知事から電話をもらいました。 知事は、堤防をあえて下げ、100haの遊水地を作るという事で、水害を防ぐしかも国土交通省が認め、補助をして事業が始まっています。  きわめて危ない家は安全な場所に移す事業もスタートしています。 わたしたちの脱ダム宣言が、新潟県ではより先に進んでいるのです。
  今回、箕輪町、岡谷市においても、神社が濁流に飲み込まれました。 日本では、狭い国土であれ、神社は地域の中でもっとも安全な場所に先祖のためにつくったものです。  それもが巻き込まれた。  
  地球温暖化は深刻です。  
  浅川で行なおうとしている治水は既に新潟県において、国交省とともに行なっている事です。私たちが先に声を出した事が、他の県ですすんでいる。 嬉しいことですが先を越された事に負けてはいられない。(拍手)
  災害は復帰するまでには、時間がかかります。 そのために私は、一家族一家族が、お一人お一人が再製するまでに、担当の職員を設けて、それは市町村の仕事だからなどということなく、同じ人間ですから、県も一緒に協力を続けたいと思います。  そのことは、まさに私が文章を書くだけでなく、現場に出かけ、直接対話をする中で、感じ取り、一人で行ってきたことを、その神戸での原点を、多くの職員と県民とともに行なわせていただいている事だと思います。 職員が、電話をかければにこやかに対応し、課長であっても現場に出かける、そのことが先日の1500人の職員が土日にもかかわらず、連日出てくれた事につながったと思います。 当初は、戸惑いもあったと思いますが先ほどの建設業の方からのお言葉同様に、戸惑いを一緒に乗越えて、後戻りしない県をつくっていかなければと思っております。
  しかし、抵抗はまだあります。
  先日、防災担当大臣が訪れた時、県からの説明がほしいという事で本部長である私が、出向こうとしたら、携帯電話に小泉首相の長野県出身の首席秘書官が、私に、大臣との同行はまかりならぬといってきました。 私は、現在の知事を勤めています。 であればこそようやく、昨日ご遺体が見つかり、岡谷の市長とお話をさせていただき本日を持って松本の自衛隊の撤収が決まりました。
  その中で、私はお許しをいただき、81市町村へのすべての市町村を直接対話で、伺いたい。 この松本の地で、6日は、皆様と一緒に開票を迎えたい。 私は81の首長のためのみに働いているわけでも、58人の県議のためにのみに働いているのではありません。 私は数十万人の市長も、数百人の村長も国連で、一国一票が平等であるように、分け隔てなく接したいと思い、現場に出かけてまいりました。 いままでの指定席があったような首長の方。いままでの指定席があったような議員の方。 こうした方々には不愉快な事かもしれません。

  でも私の原点は、一人一人の志のある 市民県民国民とともに歩むという事です。
  それは11年まえ、6年前からこれまでかわりません。 そしてこれからも変りません。 さまざまな施策があります。それは、社会福祉を充実させ、未来の子ども達に借金の山ではなく、この美しい山河の緑の山、を残すという私たちの心意気です。 胸に付けているカモシカヤッシーのバッジは、塩尻に住む一人の女性の方が、子どもさんを生むときに、神経の具合に支障をきたし、半身不随になられて、全身リハビリの中で、6年前につくってくれたものです。  
  私は、そういう方とともに歩むという思いで、胸につけています。 彼女はくださる時に、一つ一つ言葉を書いてくださいます。 今日のバッチには、「・・・(?)」という言葉を縫い付けてくれています。

 これまで同様にこれからも美しい信州の財産を未来へと語り継ぐ、のみならず未来の子ども達が、そのことに誇りを持って、継承してくれる。 借金の山、コンクリートの山ではなく、緑の山を私たちは、後世に残そうではありませんか。(拍手)
  他の都道府県は、どんな意逆立ちをしても、この美しい信州のアルプスの山々、多くの里山を手に入れることは出来ません。
  私たちの県民だけが、このことを守っていけるのです。 けれどもそれを、目先の一部の利益のために、壊してしまえば、それは再び私たちは未来へ継承していくことは出来ません。  
  私たち信州・長野県に住む220万の責務は、まさにこの美しい本県の財産を、コンクリートでも借金でもなく緑の山として、継承していくことだと思います。
  そのために森林を整備し、それは地域に着実な雇用を生んでいます。
  またそのことは、新潟県が一緒に行なっている事でもあります。

 私は、今日から、再びスーツを着させていただきたいと思います。 新潟の知事が、私たちの避難所に、前回の震災時に 私ども職員が4500人がお手伝いしたお礼だといって、お乳あげるとき、しもの取替えの時の紙製のパーテーションを20基寄贈してくださいました。 お礼の電話の時、知事は、 災害に遭うと全県下が、災害にあっていると思い観光客が減ってしまう。 災害を復旧して最後の一人まで再生すると当時に、信州は温泉県であり、観光県なのだから、多くの方々にこの夏に来ていただくことこそが、被災地の人に元気を与える事だ。と言ってくれました。
  時節柄、キャンペーンに立つことは出来ませんが、 被災地の場所で支度をして焼き肉や野菜炒めも焼けないが、日本の公職選挙法の制限ですが、私は8月6日以降そうした制約のない中で、各地の被災した観光地で笑顔を絶やさず、誠心誠意を尽くすサービスがありました。
 
目先のお金ではありません。そうした場所に、そして環境破壊ではないゴルフの施設もあります。 そうした場所に多くの方が来てくださる事も、被災者へのたしかなささやかながらの声援になると思っています。

 ぜひとも、この日本列島の背骨に位置し、あまたの水源を擁する信州・長野県が、輝かしい未来を子ども達に残す。
  コンクリートでも借金の山でもない、緑の山々を皆様と一緒に守る。
  このすばらしいくらしをはぐくみ、誇らしい長野県輝く長野県に、ご一緒に220万の方々お一人お一人にお話して参りたいと思います。
  81市町村の皆さんに話してこれから遊説に出かけさせていただきます。(拍手)

 広島原爆の日8月6日を、長野県が後戻りしない日に。
 
  長野県が後戻りすれば、日本全体がますます、社会福祉のみならずあらゆることで人々を酷使をする傷つける日本へと折れ曲がっていってしまいます。
  信州の未来の選択は、日本の未来でもあります。
  大変きびしい状況です。油断は出来ません。
 
お一人でも多くの皆さんにこのチラシを渡していただき、地域の雇用を守る事業、地域の福祉を充実できる事業、子どもの未来を不幸にさせない財政改革、このことをお伝え願いたいと思います。

  ありがとうございます。

                                   以上 (時間にして47分間ぐらいです。)