菅谷 昭 氏 第一声 2012.3.4
改めまして、皆さんおはようございます。本日はせっかくの日曜日、しかも朝早くから、さらにまた寒い中、出発式にこのように大勢の方このようにご参集いただきありがとうございます。
このたび3回目の市長選に立候補することになりました。
振り返ってみますと、2期8年、市長職を務めさせていただきました。本当に大勢の市民、議会、市職員のみなさんが、私を支えていただきまして、何とかつつがなくという表現でいいのでしょうわかりませんが、たりないところはあるわけではございますが、なんとかこの8年市政運営に努めさせていただきました。
過日の2月定例会におきましては、この8年を振り返りながら、様々なことがあったわけでございますが、そういう中でも、私なりにも一生懸命にさせてもらって、こんなことがあった、こんなことがうまくいかなかったとお話させていただきました。
今回、3度目の挑戦になるわけですが、基本的に私は、最初の市長選立候補した時に、どういう街をつくるのかということで、基本的な理念というものは、これからはとにかく量から質への転換の時代ですよと言うことで、ただ長生きすればいいということではなくて、やはり内容が問われると。内容ある人生を送るべきだと、そういう街づくりが基本理念でございます。
そして、基本方針として、これらからのまちづくりというのは、直下の問題も大事であるけれども、20年、30年先を見据えた形のまちづくりをしていこうと。
そして基本姿勢と致しましては、これからは「市民が主役」で、われわれ行政は黒子、いうなれば縁の下の力持ちなんですよということで、みんなで一緒になっていい街をつくっていこうじゃないかと、言うことを申し上げてきた。
私は頑固な人間ですから、この方針でぶれることなくずっとやってまいりました。
特に健康寿命延伸都市・松本というのは、その前に、これからは少子高齢化の時代あるいは人口減少、が急速にやってくるから、それに的確に対応するまちづくりをいまから準備していこうと。松本が先陣を切って、まさに時代を先取りする、松本のまちづくり、都市モデルをやって行こうということを掲げまして、1期目の時には3K施策ということで、「健康づくり」、「危機管理」、「子育て支援」ということをあげました。
この3K施策に共通するキーワードは、命です。私は命を大事にする街づくりをしていこうと、老いも若きもそうしていこうと。
そして、2期目の時には、健康寿命延伸都市・松本の創造と言うのは、まさに3K施策を拡大し、強化していくということでやらせていただきました。
2期目を終わったわけですが、その時の、昨年の東日本大震災は未曽有の大災害を、まさに国難と言える、放射能災害もあったわけでございますが、この時に、改めて日本の国民の皆さんがなにを考えたかという時に、命の大切さや、絆と言う言葉が生まれました。
私は当初から「おかげさま」「お互い様」のまちをつくっていこうという、これはまさにいまの日本において、ある意味では、私、自負心ではないですけれども、松本は先進事例をやっておるもんですから、何をいまさらということはあるのですけれども、改めて今回3期目のこれからのまちづくりの時に、2期目の時に、先ほど申し上げたような、基本的なことは方針はまいりましたが、それ以外に大きな問題としまして、一体この松本の街をどうしたらいいかということを考えた時に、まさに松本は松本城あっての松本であると。そうなりますと、30年来の懸案事項でありました、松本城を中心としたまちづくりをどうもっていくかというときに、一つの方針として、城下町の再生、これなくして、松本の繁栄はないだろうと、私は最近考えましたので、
それではということで、松本城の南・西外堀の復元、危機管理を含めての作戦ですね、これの整備事業を、あるいはこれから松本のみなさんが健康づくりのためには、歩いて楽しむ街づくりという、次世代の交通の問題も考えていかないといけない。
そしてまた何よりも大事なことは、これまでは健康づくり、健康寿命延伸都市ということで、まさにソフトをしっかりやってきましたが、しかしもう一つ私が考えて、これからは健康福祉産業の産業化を考えていかないといけないと進めてまいりましたが、ちょうどうまく、三菱総研が私の考えに賛同を示していただき、一緒にやって行こうという状況が出てきまして、大変ありがたく、今後まちづくりとしまして、健康寿命延伸都市・松本、特に新工業団地の造成が始まりまして、これから新しい健康産業を松本から出していく、いわゆるヘルスバレー構想という形で、健康のメッカ・松本をつくっていきたい。
そしてまた、これが成長産業の中でも、特にいままでは外需依存でやってきましたが、もう海外が不況であれば外需依存の貿易に依存している日本の場合にはたいへん難しいということで、当初から内需の創出、日本でいろんな産業が展開していけば、外に向かっての内需と言うことで、まずは内需、それから外需に向かっていく。こういう発想があったものですから、私も当初から四肢筋力アップ装置などを考えながら、日本がまず、世界に行くためにも、一番誇るべきところは長寿国ですから、これからますます長寿化の場合に、高齢社会の場合にどう対応していくかということを松本からやって行こうというのがありまして、私の経済政策はだめだという批判も大変ありますけれども、私なりにいろいろ考えてすすめている状況でありますけれども、そういうことが3期目にやれればいいなと考えています。
もう一つ私は、地域づくりを本格的に始めるわけでありますが、松本は35地区ありますが、それぞれの地区に歴史があり、自治があり、文化・芸術がそれぞれあるわけです。
各地区の特色を生かした形での、地域づくりを進めていきたい。それがまさに松本が成長から成熟型のまちづくりにいくんだろうと。やはりこれからの社会というのは、単に開発とか、成長ではなくて、いかに内容が豊富な成熟型のまちづくりをつくっていくかが、まさに世界に求められていると思っています。
そういう言いますと松本の形がみなさんで一緒にやっていければいいなということがありますので、そういうことを考える。
そしてもう一つは、松本の町は、3がく都という楽・岳・学ということで、これをきちっとうらづけていく。特に、学ぶ学都は、もうすこし力を入れたい。
と同時に私はラッキーなことに今日J2の試合が始まります。巡り会わせが良くてついているのですが、
松本山雅をきちっと応援して、松本からサポートしながら、長野県の元気を発信したい。
いろんなことがあるわけですが、常に職員に対して、「まつりごとは結果を出さなければ、評価されない」と申しております。
ひとつひとつ成果を出していく、そして私自身の生き方のモットーとし、あせらず、気負わず、地道に自分のできる範囲で、私にお任せいただければ、あせることなく、着実に誠実に堅実に、松本のまちをつくっていきたいなと思っております。
それにつきましても、多くの市民にみなさまのお支えがなければ、できませんから、これから微力ではありますが、松本のまちのために尽くしていきたいと考えています。今日は本当にありがとうございました。
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