沖縄で二十九日に開かれた教科書検定意見撤回を求める県民大会での高校生代表・津嘉山拡大さん(読谷高校三年生)と照屋奈津美さん(同)の訴えの全文


 「沖縄戦での集団自決に日本軍の強制があったという記述は、沖縄戦の実態について誤解する恐れがある表現である」
  ある日の朝、私の目に飛び込んできたこの新聞記事。
 私は"誤解"という検定意見書の言葉に目を奪われました。この記述をなくそうとしている人たちは、私たちのおじい、おばあたちが、うそをついていると言いたいのでしょうか。それとも、思い違いだったと言いたいのでしょうか。
 私たちは戦争を知りません。ですが、一緒に住む、おじい、おばあたちから戦争の話を聞いたり、戦跡を巡ったりして沖縄戦について学んできました。おじい、おばあたちは重い口を開き、苦しい過去を教えてくれました。死体の山を越え、誰が敵で誰が味方か分からなくなる怖さ、大事な人を目の前で失う悲しさ、そして悲惨な「集団自決」があったことを。
 なぜ沖縄戦で自ら命を絶ったり、肉親同士が命を奪い合うという残酷なことが起こったのでしょうか。 住民は事前に「敵につかまるくらいなら死を選べ」「米軍の捕虜になれば、男は戦車でひき殺され、女は乱暴され殺される」という教育や指示を受けていたといいます。
 さらに、手りゅう弾が配布されました。極限状態におかれた住民たちはどう感じたでしょうか。手りゅう弾を配った日本軍は明らかに自決を強制していると思います。
 私たちが住んでいる読谷村には、「集団自決」が起こった「チビチリガマ」があります。ガマの中は、窒息死をするために火をつけた布団の煙が充満し、死を求める住民が毒の入った注射器の前に列をなしました。母が我が子に手をかけたり、互いを刃物で刺し合い、八十人以上もの尊い命が奪われました。そのなかには年寄りから、まだ五歳にもならない子どもまでもが含まれていたのです。
  「集団自決」や教科書検定のことは私たち高校生の話題にもあがります。「教科書から集団自決の真相のことが消されるなんて考えられない」「たくさんの犠牲者が実際に出ているのに、どうしてそんなことをするのだろう」。 私たちは「集団自決」に軍の関与があったということは、明らかな事実だと考えています。
  なぜ、戦後六十年以上を過ぎた今になって、記述内容を変える必要があるのでしょうか。実際にガマの中にいた人たちや、肉親を失った人たちの証言を、否定できるのでしょうか。 私は将来、高校で日本史を教える教師になりたいと思い、勉強をしています。このまま検定意見が通れば、私が歴史を教える立場になった時、教科書の記述通り事実ではないことを教えなければいけません。分厚い教科書の中のたった一文、たった一言かもしれません。しかし、その中には失われた多くの尊い命があるのです。二度と戦争は繰り返してはいけないという沖縄県民の強い思いがあるのです。
 教科書から「集団自決」の本当の記述がなくなれば、次は日本軍による住民虐殺の記述まで消されてしまう心配があります。
 うそを真実と言わないでください。私たちは真実を学びたい。
 そして、次の世代の子どもたちに真実を伝えたいのです。
  教科書から軍の関与を消さないでください。あの醜い戦争を美化しないでほしい。
  たとえ醜くても真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい。