1月29日(土) 議会での資料は、事前に議員に遅くとも3日前には送付されることが、理事者との確認事項となっている。 今度の引き下げ案は、階層によって最高で月額5000円の引き下げなど、全体で引き下げられ、前進していることは確認できますが、多子世帯軽減で、この間 第3子以後 30%軽減されていた制度が、2年の経過措置を設けて廃止される提案である。
菅谷市長の選挙時の公約は、以下の通り 子育て支援 財政難の中、この公約に照らして、そして、何よりも、がんばって子育てしている世代への支援、そして少子化対策につながるかどうかを判断基準に、検討を加えたいと思います。 是非、皆さんのご意見をお寄せください。 |
1月26日(水) その2 神戸市での視察を終えた後、「一.一七 希望の灯り」と阪神・淡路大震災慰霊と復興のモニュメント」のある、「東遊園地」を訪れた。
「一.一七 希望の灯り」の碑には、次の言葉が書かれていた。 一.一七 希望の灯り 震災が奪ったもの …たった1秒先が予知出来ない人間の限界… 震災が残してくれたもの この灯りは
この希望の灯りに書かれているように、復興されているのか。 と屈託のない優しい笑顔で、初対面の私に話してくれた。 しかし、その新しい復興公営住宅での孤独死が、仮設住宅廃止後(2000年)以降316人に達したことを昨年のテレビが報道していた。 三ノ宮駅で、昼食を済ませた後、新神戸に向かうタクシーの運転手が次のように語っていた。 「自分も長田区に土地を持っていたが、区画整理でそれを売って、それを資金に別の離れたところに家を建て、夫婦の両親とも一緒に住んでいる。 われわれが、視察前に議員団会議で学習・確認していた通り、まさにそこに真相があるという話だった。 今回の私たちの視察のテーマは、 阪神・淡路大震災10年目、改めて震災の実態と震災対策・危機管理の教訓そして復興の実際を確かめるためだった。
いずれ、視察結果に関しては、まとめた形で発表したいと思います。 |
1月26日(水) ホテルの職員に地図を確認し、途中コンビニで道を再確認しながら、走った。 ワールドカップの観戦で韓国の釜山に行ったときに、やはり朝早く、ホテルから山の上にある公園に行ったときのように、その道は、はじめは周辺に家々が夜明け前のうす暗い中でも確認できたが、途中からは、ちょうど浅間温泉から美鈴湖に登るときのような山道に変わった。
実は、昨日、三ノ宮駅に近づくときに、神戸市の市章が見えるはずだと目を凝らしながら探していたのだが、とうとう見えなかったので、少しずつ白んできたので、それでもと思い見渡してみたが、残念ながら確認できなかった。 そうこうしているうちに、もう一人道路でなくハイキング道を登ってくる人と出会った。 驚くことに南京錠の多いこと。 ヴィーナスブリッジの途中にある展望台から、神戸市を遠望した。 ハイキング道から一般道路に戻ってきたころには、すでに一日の出勤が始まっている時間になっていた。 追伸: 松本に帰って、この南京錠のことを調べてみた。 まず、ヴィーナスブリッジは、ここをクリック ルーツは良くわからないが、中国でも同じ現象があること。 ここをクリック などがわかった。 (本命の神戸市の視察については、その2) でお伝えします。) |
1月25日(火) 旧上野市は、城下町であることが、町並みでわかる。 視察先では、地図にお城マークがあったり、天守閣が見えると必ず、走ってその周辺を回ることにしている。 現在の伊賀上野城は、雅名は白鳳。 伊賀市(旧上野市)は、もうひとつ俳聖芭蕉翁の生誕の地。 そして、今朝は、駅の南側を探索してきた。 その町並みは、「通り」らしくカラー舗装で整備され、7つのお寺が道の左右に連なっていた。 さらに行くと通りの終わりには、銀行と思われる建物の入り口に、大きな案内看板がかけられていた。 朝食をすませて、伊賀市庁舎を訪れた。 さて本題の視察。 伊賀市自治基本条例 「解説」によると、 行政にとっては、「重たい条例」、 これからの更なる議論を必要とする制度という感想が、関係者から最後に出されたが、質問する中で、兵庫県宝塚市、山岡町、武生市などを参考に考えられ、四日市大学の岩崎恭典氏が、理論的バックにいることがわかった。 改めての検討を必要とする中身だ。 終了後、伊賀市の職員の方からは、忍者博物館へのお誘いを受けたが、神戸市に早く行って、時間をかけて、「人と防災未来センター」の見学を予定していたので、ご好意に感謝しながら残念ではあるが、伊賀市を後にした。 三ノ宮駅には、2時半過ぎに到着、ホテルに荷物を預け、さっそく「人と防災未来センター」に直行、閉館時間の5時半まで、2時間を越えて見学した。 (「人と防災未来センター」については、後ほど) |
1月24日(月) 廃食用油(使用済みてんぷら油)をリサイクルすることで、循環型社会と地球温暖化防止に向けた取り組みとして、京都市は、平成8年7月より、生成される燃料についての法的適合性について、関係省庁との協議をはじめてきた。 「カーボンニュートラル」という語句をお聞きになったことがあると思います。 バイオマス燃料 ―(燃焼)― CO2 ―(光合成)−植物―植物油―廃油―バイオマス燃料 のこのサイクルを カーボンニュートラルと呼ぶ。 そして、出来上がった燃料で、目の前をごみ収集車やバスが京都市内を走るので、市民にも「目に見えるリサイクル」として、好評との事。 生成単価は、85円/リッター。 市民からの廃油の回収場所は、 (松本市の現状等についての詳細は、後日報告します。) 松本市への具体化をどうするか、すぐに検討が必要だ。 さて、視察を終えて、紀伊半島に向かった。 今回の視察も、お願いした相手市の都合等もあり、「合理的」なコース取りとはならず、京都から三重県に行き、また兵庫に戻るという結果になった。
|
1月23日(日) 長野県では、残念ながら、県の組織はなく、長野市にあるだけ。 私たち議員には、それこそ「くらし」にかかわる相談がいくつも寄せられる。 「生活保護を受けられればそれで良いという事ではない。そこから人間らしい生活をいかに実現していくかが始まる。」 所得階層の2極分化が進んでいる。 当面の連絡先、相談会を開催することを確認して、準備会を終えた。 名称や会費については、結成会までに検討することにした。 仮称)生活と健康を守る松本の会 |
1月21日(金) 昨年は、災いの年。国内外ともに大変年だったが、松本市では、「市民が主役」の新しい市政が誕生したことが一番大きなニュースだった。
乾杯の後、皆さんとの懇談のなかで、この私の挨拶が、いくつかのテーブルで話題となった。 まだまだ、共産党の本当の姿を知ってもらわなければと、改めて実感した。 「そんなことは、ないですよ。池田さんはずっと以前から、そうした姿勢でやっていますよ。」 正直嬉しかった。 |
1月19日(水) この庁内研究会は、助役を会長に27名で構成。 分科会は、 「H17年度実施に向けた提案」とは、現在策定中の来年度予算にさっそく盛り込まれる事業計画だが、各部会ごとに次の点が明らかにされた。 第1部会: 第2部会: 第3部会:
1つは、 「第1部会:@地区福祉ひろばへの保健師の常駐による相談業務の充実」 の部分 2つ目。 「第2部会:緊急時一時保護施設の確保」の部分に関しては、 委員協議会に提出された詳しい資料は、ここをクリック(一両日中に発信します。) 今後、全体像に関しては、もう少し分かりやすい資料が出され、2月議会に予算とともに提出されるとの事。 少しずつだが、安心して暮らせるまちづくりが、具体化に踏み出している。 |
1月18日(火) 市長は、9月に発行されたすげのや昭後援会ニュース第4号で、「私のリーダーシップ」論を次のように述べている。 そして、4日の新年祝賀会では、今までの「菅谷丸に乗ってください」から、一歩進めて具体的に、次のように述べた。 「松本丸もいよいよ二年目の航海に入ります。 この船はその船旅において必ずしも、常に順風満帆とはいえないでしょうが、どうか市民の皆さんには引き続き乗船していただき、乗客としてだけではなく、時には乗組員として、ご一緒に汗を流しながら、ともに理想の島を目指して航海を楽しんでいただければと考えております。」
いずれも、菅谷市長の市民への強力なメッセージだ。 |
1月17日(月) 舞台は「阪神淡路大震災」。 今日は、 2002年の1月17日、午前5時46分。 震災死の方は、直接死と関連死の方を合わせての数字であるが、神戸市にある人と防災未来センターの資料室に確認をしたところ、それまで6432人であった震災死の方の数が、8年目の1月17日の直前の12月に、芦屋市の男性の認定がされて、一人増えたという事が分かった。
ただ、数字の違いには、必ず何かの事情や人々の暮らしや人権が必ず隠れている場合が多い。 復興は、テレビ画面や写真で、「順調」を強調する傾向が強いが、決してそうではない。 「わかば」では、主人公が、墓参りの後、もと住んでいたところを訪ねるが、「まるで違うとこみたいや」の町並み。
(続きは後で) |
1月12日(水) さだまさしの「遥かなるクリスマス」を聞いて感動した。 アメリカ軍のイラク攻撃、そこへ派兵し、戦争する国へと舵を切った日本。 「平和」に暮らす「僕」は、いつか自分の子供を戦場に送ってしまわないかと問う。 「生きてくれ生きてくれと叫ぶ」 さだまさしは、広島の日8月6日に毎年、長崎で無料のコンサート「平和を考える入り口」を開いて来ている。 イラン・イラク戦争の時に「前夜」という歌も作っている。 「紅白」では、時間の関係上歌詞が削られていたが、「不毛な殺戮への最後の抵抗歌」として書き上げたのがこの歌のメッセージ。 この曲が静かに広がることを願っている。 と、その投稿は結ばれているが、正直あまりさだまさしに関心がなかったので、知らなかった点が多かった。 そして、歌詞が載っている別のサイトを見つけることができた。 遥かなるクリスマス さだまさし作詞・作曲 メリークリスマス メリークリスマス メリークリスマス メリークリスマス (追伸:発信前の13日夜、事務所の宿直でTVを見ていたとき、偶然NHK「夢・音楽館」を見た。 |
1月11日(火) 市民タイムスによれば、高坂邦彦氏は、 書き出しで、 「この憲法は、アメリカから与えられたものだといいますが、明治憲法だってプロシャ憲法の焼き直しだけれども尊い帝国の憲法になった。与えられたものだから全面改正しなければならないというのはですな、一切の経過からみて私には納得できないことであります。皆様方ご記憶でありましょう。こういう憲法を作ったことは世界に誇るべきことだと皆が言うたことをお忘れになっては困ります。」 そして、この国務大臣植原悦二郎の発言が、このコラムのタイトルとなっているのだ。 国務大臣植原悦二郎(うえはらえつじろう)といえば、自民党の国会議員、安曇野の生んだ郷土の憲法政治学者という紹介がある人。
尚、2005年3月10日付けの市民タイムスの記事は、現在市民タイムス社に交渉中ですが、OKが出れば、全文掲載したいと思います。 戦後60年、今こそ平和の願いを「9条を守ろう」という思いが、あらゆるところから湧き上がる寄せられるこの年にふさわしい実に嬉しいメールだった。
|
1月7日(金) 新年最初の議員団会議は、このことの議論から始まった。 そんな中で、ドイツの果たした役割は、日本との違いで歴然としている。 米国主導でない国際協力の必要性とその広がりは、今後の平和秩序の確立にも必ずや良い結果につながる新年早々の実に明るいニュースだ。
|
1月5日(水) 「ひとインタビュー」は、日曜版の裏表紙で、いわば第2「1面」にあたる部分だ。 日本共産党との交流への前向き発言〃 こうした報道に見られるように、それ以後でも、私の記憶では、しんぶん赤旗に、韓国の「スター」が掲載された記憶はない。 その記事は、ここをクリック
その、「Ryu」が、作った作品に、「冬のソナタ」での「最初から今まで」がある。 |
1月4日(火) 「私は、この九ヶ月間、市政の主役は市民であり、行政は市民を支える黒子であるとの基本的な考えのもと、市民の皆さんには主役としての権利と、それに伴う責任と義務を果たしてもらいたいとお願いしてまいりましたし、また、黒子としての市職員には常に市民の目線で行政に取り組むよう指示してまいりました。 挨拶は、市長、議長で終わり、すぐに乾杯、懇談に移った。 暮れにしんぶん赤旗日曜版の購読をお願いした方との懇談のなかで、新春合併号の中の、 「不破さん青年と語る 戦後60年 世界とアジア、そして日本(上) 」の記事が話題となった。 「作家司馬遼太郎の『坂の上の雲』という小説は、結局、明治の日本を、もっとも偉大な国民的発展の時代として描いた。日露戦争は、めざした「坂」の上に登りつく最後の奮闘だった。 しかし、実際は違った。明治の日本が登った「坂」は、国民的発展の「坂」ではなく、ヨーロッパ諸国のような、植民地を待った大国をめざす「坂」でした。 という部分に関連したことだと思った。 「不破さんの指摘に興味を持った。是非そのことに触れている、『新・日本共産党綱領を読む』を読んでみたい。」 この『新・日本共産党綱領を読む』は、昨年12月15日に発刊されたばかりのもので、ちょうど私も今読んでいる最中のものだった。 この司馬遼太郎と松本清張の違いの指摘は、是非皆さんにも読んで頂きたいので、部分ですが、全体をご紹介したいと思います。 しんぶん赤旗日曜版 の 特集の この部分は、ここをクリック
また、「新・日本共産党綱領を読む」のなかでのその部分は、ここをクリック 戦後60年の今年、新春の最初の懇談にふさわしい中身になって、実に嬉しかった。 |
1月2日(日) 今年2005年は、阪神淡路大震災10年目の年。1月17日がその日に当たる。 昨年は、国際的にも「災」の1年、被災者の皆さんにとって、まことにきびしいなかでの年明けになりました。お見舞いを申し上げると同時に、松本市でも防災・危機管理の確立目指して、今年一年力を尽くしたい点。 2つ目に、今年は、終戦60年を迎える年。 戦後、「戦争はしない」、「戦力は保持しない」と国際公約した日本が、今その憲法を変えようとする動きが強まっている。 それに対する、松本市をはじめ全国で、「9条を守る会」の活動が、大きく広がっている。 この問題でも重要な年。 3つ目に、松本市での昨年の一番の事件は、なんと言っても菅谷市長の誕生。 日本共産党は、3月の市長選挙で、住民が主人公の新しい市政実現に向け、多くの市民の皆さんと力をあわせて、菅谷昭市長誕生に貢献できたことに誇りを持っている。 今年、2005年は、その「市民が主役、行政は黒子」の新しい松本市政実現に向け大きく前進させることが可能となる条件がある。 この一年間の最大の教訓は、道理ある主張・提案をどれだけ行うかが重要であり、今後の日本共産党の市会議員団の役割が、今まで以上に求められること。 4月1日には、現在の四賀村、梓川村、安曇村、奈川村を加えて新しい松本市が発足する。 新松本市は、これら村の方々の文化・福祉などの伝統を全市に生かすとともに、全市的に地域自治のあり方を模索・確立する年にしたい。 最後に、今年は、国政選挙がない年といわれているが、そうしたチャンスを生かして、日本共産党が、文字通り力をつける年にしたい点。 私たち自身が学習を積み重ねながら、ぜひ多くの皆さんに、しんぶん赤旗を読んでいただきたいことと、また日本共産党の一員になったいただきたいこと。 と率直な思い、決意を訴えさせてもらった。 駅前は、道路の脇には大晦日に降った雪が残り、歩道は、一人分の通路が確保されていた。 今年は、早速この1月下旬に、伊賀市、神戸市、京都市の視察を予定している。 新年の恒例の訴えだが、さわやかに気持ちを新たにすることが出来た。 |
|