11月28日(日) 

  死んだ兵士の残したものは
     こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残せなかった
  平和ひとつ 残せなかった  
     


 27日 昨日の続き)
  朗読を終えた池上輝さんは、最後次のように結んだ。

  「国策で満州に渡ったのに、勝手に行ったようにいわれた。日本軍はさっさと引き上げてしまった。残念ながら 守ってくれなかった。日本はそんな国。 だからこそ今九条が、大事。 未来ある子供たちのためにも、皆さんとひとつになって九条を守っていきたいと毎日考えています。」
  感動の一言だった。

 今度の「九条の会」松本連絡会は、29人の呼びかけで、結成に至ったが、その一人である狭間壮さんが、奥さんの狭間由香さんとともに、うたとトークを企画してくださった。

  憲法九条を守り広げる松本地域連絡会の結成アピールと呼びかけ人の方々は、ここをクリック

  (以下、狭間壮さん、狭間由香さんの うたとトークに関しては、少し長いですが発信します。)

 九条を守ることを、ヨン様から、言ってもらえれば 一番効果がある。
  「日本がアジアを侵略した歴史にピリオドうった平和憲法があったればこそ、アジアの人々は、韓国を含めて日本を信用しよう、仲良くしようと思うようになった。 その憲法を変えようとする動きは、韓国の国民の一人としても、到底容認できない。」
  私は、この文面で ぺ・ヨンジュンに、手紙を書いて、この文面にサインしてもらうことを考えている。

  狭間壮さんは、開口一番このように、会場を和らげ、狭間由香さんのレクイエムの独奏が始まった。

  レクイエム ニ短調 K626 8章 ラクリモーサ(涙の日)

 狭間壮さんとは、小学校のPTAの会長を務めているときに、PTAの行事として演奏をお願いした経過がある。
 そのときの テーマは忘れてしまったが、子どもたちを前に、体育館で1時間ほどの演奏会だった。

  狭間由香さんのレクイエムの独奏が終わった後、狭間さんは、国会での、大野功統(おおのよしのり)防衛庁長官の次の答弁を紹介し、 「馬脚を現した」発言と断言した。

 大野防衛庁長官:
  「まず非戦闘地域という概念でございますけれども、これは国際的に見て法律的に判断しているという国は、私、寡聞にして存じません。日本だけが、やはり憲法九条の問題があってこういう判定をしていかなきゃいけない、そこに問題があるんじゃないかと思います。」

    ( まさに「語るに落ちる」とは、このことだ。)

  戦争は 良くも悪くも よい音楽を生み出す。 と狭間さんは、続いて次のうたを紹介した。

  一本の鉛筆 (美空ひばり)
  サトウキビ畑
  長崎の鐘
  原爆を許すまじ
  死んだ女の子

 最初の「一本の鉛筆」と最後の「死んだ女の子」は今まで知らなかった歌だ。
  美空ひばりは、実力のある歌手で、おそらく聞いたことがあるはずだが、いわゆる「反戦歌」としての認識はなかった。
 
  「一本の鉛筆」は、
  昭和49年、1974年の第1回広島平和音楽祭で実行委員長の古賀政男さんのプロデュースで書き下ろされ、美空ひばりが熱唱したもの。
 「2度とおそろしい戦争がおこらないように」と会場の人々に語りかけたそうだ。
  その後、昭和63年の第15回広島平和音楽祭でも歌っているが、このステージが、美空ひばりの最後のステージになった。

 「死んだ女の子」は、
  作曲:木下航二 作詞:ナームズ・ヒクメット 訳詞:飯塚 広  
  曲に関しては、ここをクリックしてください。

  そして、狭間さんは、
 
「茨城で中学生の先生徳富繁がサトウ・ハチローの詩に曲をつけた。必ずしも 戦争反対ではないが、そこはかとなく 反戦の精神が流れている。」 と 「もずが枯れ木で」を歌いだした。

  第2次世界大戦を通じて すばらしい歌が生まれた。まだたくさんある
  ベトナムが戦火にあった。
  フランスとのインドシナ戦争 、アメリカとのベトナム戦争
  フランス政府がラジオ放送を禁止した、イブモンタンの歌うがシャンソン「兵隊が戦争に行くとき」
  もうひとつ 「ベトナムの泥沼の中から生まれたすばらしい日本の歌」(狭間)として、「死んだ男が残したもの」を紹介した。

  この歌に関しては、次のように小学生の子どもたちのことを話した。

  「60から90分、こどもたちに人権の話をする。
  15、6曲歌う。 最後には一緒に歌うが、 3分の1は、命の大切さを 、3分の1は、平和への祈り、 そして残りは、童謡など子供たちの大好きなうた という構成でやる。
  90分間聞いてくれる!  1年生から6年生が聞いてくれるんです。 そして、子供たちは平和への思いを胸にする。
  感想の中に、『「さんぽ」は楽しかった、 「ゆりかご」がうれしかった。いろいろ楽しい歌があった。  たくさん歌った戦争の歌からは、悲しみが伝わってきた』 これは、小学2年生の感想。 大人がしっかりと子供につたえることがだいじだなと思った。 真剣に伝えれば、1年生でもわかってもらえる。
  1年生といえば、昨日まで保育園の年長さん。  それでも、平和への訴え、呼びかけをきちっと受け止めてもらえる。 平和の歌のひとつとして歌う歌。 「死んだ男の残したものは」この歌を、それを必ず入れる。
それに対しても、「死んだ男の残したものは」がとてもよかった。 1年生の子供の感想です。」

 このように紹介した後、最後に
  「悲しくても伝えなくてはいけないことがあると思う。」
  とトークをまとめ、
  「死んだ男の残したものは」を朗唱した。

 「死んだ男の残したものは」 と 「もずが枯れ木で」 については、ここをクリック

  歌い終わった後、  再び、次のようにトークを続けた。

  人間は、「時」という概念を作り出した。そこから歴史が生まれた。
 「死んだ男の残したものは」の最後の歌詞は、『死んだ歴史の残したものは 輝く今日と また来る明日』というのです。
でも『他には何も残っていない』のです。
 何も残っていない人間が死に絶えた「歴史」のない地球にどんな意味があるのだろうか?
 おろかな戦争がもたらす、それが「結果」だとしたら・・・。
 地球は回転しても、それはもう「歴史」でなく、ただの地球という天体の運動なのだ。
  そんなことを子供たちは理解してくれるようです。

  静かに拍手が呼応した。

 演奏は終わりに近づいた。
  「戦場のピアニスト」の紹介があり、 狭間由香さんのショパンのノクターンの独奏が響いたあと、 狭間さんは次のように語った。

 子どもたちへの人権の話の最後に、私は、子供たちにこう呼びかける。
  人権の出発は、人のいのちを大切にすること。
  人のいのちを大切にするという事は、平和を守ること。
  食い入るように 私を見つめる 子供たちの目を見ると僕はがんばらなければならないと思う。
  純粋無垢な輝く目を見ると、私は時として、たじたじしながら、大人たちは、この子供たちを守る責任があるとつくづく感じる

  とまとめ、 最後に 「世界中の子供たちが」と この世界が、いつまでもすばらしい緑に包まれるようにと「ふるさと」を 2曲続けて会場参加者みんなで歌った。

  この「演奏会」は、この会の呼びかけ人の一人として、狭間さんの意思で実現したこ とが最後に司会者から紹介があった。

  何もひけない、何も足す必要のない、実に今日の集会にふさわしい「うたとトーク」だった。

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11月27日(土) 

  殺される子どもたち    池上 照子      


 「憲法九条を守り広げるつどい」 憲法九条を守り広げる松本地域連絡会結成総会が、夕方6時半から勤労者福祉センターで行なわれた。
  都合があって、開会の時間に間に合わず、オープニングの桂綾子さん、桂聡子さん姉妹のフルート演奏は残念ながら聴くことが出来なかった。
 次第にしたがって、結成総会が行なわれ、結成までの経過報告と申し合わせなど運動のすすめ方の提案、質疑・討論の後、呼びかけ人の紹介とアピールの採択が行なわれた。

 参加者は、230名。 憲法九条の「改正」を許さない市民の底力の結集にふさわしい集会だ。
 募金の訴えとお願いの後、 弁護士の中島嘉尚(よしひさ)さんの、自らの戦争体験を導入部に「今なぜ憲法九条なのか」の話があった。
 弁護士の中島先生は、いろいろな場面でご一緒になる方だ。
  そして憲法の話は今までも何度か聞いたことがあるが、幼いころ母親が外出するときに腰紐で柱にくくりつけられて、空襲に会い、お母さんが飛んで迎えに来た。もしかすれば、離れ離れになり、そこでどちらかないしは二人とも人生が終わっていたかもしれなかったという話は初めての聞いたものだった。

 以下、中島弁護士のお話を紹介します。(要旨 部分)

  「押し付けられた憲法」という事を、九条「改憲」勢力が、言うが、憲法が出来上がる過程の中でポツダム宣言という外在的要因を否定するものではないが、
  そのポツダム宣言は、
1、 基本的人権の尊重
2、 民主主義
3、 そして国民の自由の意思に基づいた政府の確立
  を基本としている。
  1986年2月に出来た「松本案」は、そのポツダム宣言にそぐわないものとして、いわゆるマッカーサー草案が出されるが、それも修正され、1946年3月6日要綱が出来、4月10日総選挙が行なわれ、「憲法改定案」は、国会かけられ、6月20日から 10月7日までかけて審議して決めたものが、日本国憲法。
  紛れもない新しい国会のもとで、私たち国民が決めたもの。
  とりわけ、終戦の日、国民すべてが、「あの空が青くてきれいだった。すばらしかった。それはもう戦争はしない。戦争で死ななくていいんだ。」 と思ったその国民の気持ちの表れとして決められたものが憲法九条である。
  そしてそれは、世界の誰もが願う気持ちの集大成。

  という憲法が出来上がるまでの経過を簡潔だが、力強く話した。
  まさにその通り。 そして続づけて、

  今、この憲法九条を変えろと言っているのは、アメリカ。
「これこそ『押し付け』ではないか。」と喝破した。

  続いて、「私と憲法九条の思いを語る」という次第に入り、 池上輝さんから、池上さん自身が25年前に発表した手記が朗読された。
  「つたない言葉」と自らご紹介されたが、朗読が始まると、会場は文字通り水を打ったようになった。

  「両親につれられて満州へ渡ったのは、昭和二〇年五月で、わたしはそのとき九歳であった。浜松駅での親戚の人びととの別れは、三十余年経った今でも昨日のことのように覚えている。幼かったせいか、別離の悲しさより別天地への憧れと、学校へは馬車で行く話や、草花が咲き乱れていて素晴らしい所であること、食べ物が豊富であることなどを開かされて、今思えば哀しいが、そのときは小さな胸が躍っていた。・・・  

 以下全文は、ここをクリック

  この手記は、昭和五十二年九月、NHK長野放送局が「満蒙開拓の手記」を募集し、県内に住んでいる満蒙開拓団のみなさんの生の記録を集めるという企画があった際に、池上さんが応募したもの。
  ローカルテレビ番組「満蒙開拓の手記」やラジオの番組でも何通かの手記を朗読放送されたが、発表は一部にとどまった。
  そこで放送にはのらなかった体験のいくつかを、日本放送出版協会が出版することになった。
  長野県はその関係者も含め満蒙開拓団を送り出した数は全国一。
  池上さんは、昭和11年三月 静岡県浜松市生まれ。
  昭和20年5月に渡満、竜江省鏡東県竜山屯に住む。昭和21年9月9日に帰国、新制中学を卒業後、女工・女中・劇団員などを経て現在松本市にお住まいの方だ。
 本名は、池上照 (照子、輝はいずれもペンネームとのこと)

 続きは、次回)  

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11月26日(金) 

  町田市に市長選挙の経験を報告に行ってきました      


 パネルディスカッション 「だいじょうぶなの? 新市庁舎建設 市民中心の財政のあり方を考える」 
 に招かれて、お話しする機会をいただいた。
  場所は、東京都町田市 市民フォーラム・ホール

  町田駅に降りるなり、ジェット機の騒音というより、まさに爆音が上空を劈いた。
  飛行機の姿からして、米軍の輸送機だ。  真上を、通過していった。
  いったんホテルに入った後、会場に向かうまでのわずかの時間だが、いつものようにジョギングで、芹の谷公園に行ってきたが、その往復の間にも、何機も上空を飛んでいた。 
  途中には、小学校もあり、ちょうど子どもたちも下校途中。  おそらく、これだけの爆音が響けば、授業はおろか会話すら出来なくなる状況だ。
  後で聞いた話だが、学校に対する「騒音」対策も、最近やっと行われるようになったという。 しかも、窓ガラス対策のみ。 こうした騒音に関しては、その「代償」として、国から多額のお金が来ているはずであるが、今までその対策はまったく行なわれてこなかったのだろうか。
  (会場で後で聞いた話しでは、20億円が補償費として出ているとのこと。)
 その収入は、なんに支出されているのか。疑問に感じた。

  さて、今回の「パネルディスカッション」は、「三多摩自治体学校inまちだ」のプレ企画として、  「三多摩自治体学校inまちだ実行委員会」と 「市民のための市政と市庁舎を考える会」 の共催。
  建設・維持管理費が総額500億円及ぶ市役所庁舎の移転・新築計画について、 「市庁舎建設と市財政」を考える企画で、
  東久留米市からは、市民の総意を反映して納得のいく建設が行なわれた経過に関して
  また 多摩市からは、「市民が調べた財政分析から見た多摩市の財政状況に関する報告が行なわれた。

  それに加えて、 テーマは、3月の松本市長選挙で「市民が主役」の公約をかかげた菅谷昭現市長が誕生した経験についての私の「特別報告」という事になっていた。

  私からは、あらかじめ用意した10ページの資料を基に、市長選挙への昨年の春以来の取り組みに関して、お話をする用意をしたが、「元気の出る話を期待します。」と案内状に沿った、十分な話が出来たかは、参加者の皆さんのご感想を待つしかない。
  約100人の方々を前に、40分余りの発言だったが、 市長選挙の中で一番感じた点として、次の2点を一番の感想としてお話してきた。

  「住民が主人公」の市政の実現には、どれだけ多くの人たちと幅広く協同を広げられるか、そしてその中でどれだけ正確に効果的にその責任をはたすことができるかが重要だった。その際の留意点は、違いを探すのではなく、共通点をどう見出すのか、そして、共感を広げるのかこの点が、重要なそして貴重な経験だったこと。

 2つ目に、運動を進める場合、たとえば「反市長ないしは、反市長政策」といういわばネガティブの問題設定だけでなく、課題別にしても、また「市民が主人公」の市政の実現の課題にしても、自治体らしさをどう取り戻し、そしてどんな地方自治体を作るのか、目指すいわばポジティブな政策・まちづくりのビジョンの打ち出しが必要で、そのことが共感をさらに厚く幅広く拡大できることが実感だった。
  そして何よりも市民の願いとの関係で、新しい松本市をどうするのかの政策が基本だった点を強調してお話してきた。

 今回の市長選挙での自分の経験をある程度まとめて発表する機会は、初めてだったので、かなり準備をしてきたが、詳しいことは、10枚の資料に任せて、想ったことを率直に話すことに重点を置く報告となった。

  以前にもお話したことがあるが、いわば「松本の星の時間」「歴史的といわれる」今度の市長選挙に関して言えば、 「この選挙戦に参加でき、その勝利に少しでも貢献できたことは、大きな誇りでした。」 という事を話の最後にして結んだ。

  今後も、「市民が主役」の新しい市政の実現に向けても、この市長選挙での貴重な経験を生かして進むことが改めて大切なことをかみ締めた。

  終了後、懇親会を開いてくださるというので、ご一緒した。
  途中、街を歩く中で、いわゆる「呼び込み」が何度もあった。
 今では「町田の歌舞伎町」といわれているとのこと。 この通りは、以前は、本当に下町の風情で、駄菓子や、古くからの老舗が軒を連ねれたところだったようだ。
  それが区画整理と開発で、新しい道が一本開いて、古くから住んでいた人が、いったんは新しいビルに店を出したが、やっていけず、ほとんどが廃業して、今の街が出来ているとのことだった。
  そして、さらに幅の広い道が新たに一本開いて、「街まで分断させられてしまった。」
と その人はしみじみとお話してくださった。

  東京の町田市といえば、私が始めて議員になったときに、「福祉のまち町田」という事で、視察に来たことを思い出したが、 少なくとも駅前は、まったくそのときのイメージとは変わっていた。  

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11月25日(木) 

  2005年度 松本市政に対する政策・予算要求      


 午前9時から、毎年恒例の来年度の予算編成を前にした政策・予算要求。
  今年は、11月中に行なうことが出来た。
 今までも、なるべく早くという事で計画してきたのだが、どうしても12月の年末になっていた。
 
今回は、すげのや市政初めての本格予算の編成という事もあり、それにどうしても間に合せたいということもあった。
 
  まだまだ、調査活動は不十分な面は否めなかったが、今回は、今までと形式を少し変え、
 「はじめに」  に続き  「市民の健康と福祉を守り、くらしと営業を支え、未来を担う子どもたちの健全な成長を保障するために」 要望項目を「7つの重点課題」 と 「15の重要課題」と2つのグループに分け、 そして 「最後に」  を付け加える という構成でまとめた。

 申し入れの全文は、ここをクリック

  最初に私のほうから、申し込みの趣旨と今度の申し入れの中身と構成について、説明し、是非、来年度予算編成に生かすことを申し入れた。
  菅谷市長は、申し入れ書を開くなり、開口一番、
「読み安い。このまちに生きていくうえで、大事な事が網羅されている。」
  とその感想を語り、 「公約実現を重視して、(来年度の予算編成は)財政部には考えてもらっている。 財政は、こうした状況で皆さんご承知の通り、裕福でないので、必要性、緊急性、優先度をつけてやっていきたい。」
  と述べた。

 そして以下、断片的ではあるが次のような懇談が出来た。(順不同)
 (以下・印の部分で市長の発言を紹介します。)

  ・ 乳幼児の医療費窓口無料化と、福祉医療に関しては、検討しているところ。

  今回、合併問題に関しては、重要課題のトップに持ってきたが、それに関しては、
  ・ 「この通りなんですよね。」
  と、申し入れの冒頭部分に関して発言があった。
  (それもそのはず、この部分は菅谷市長が、自ら公式な場面で語っていたことを紹介したものだ。)

  危機管理の部分では、
  ・ 耐震補強の部分は、重要だと思う。
  耐震の住宅改造事業は、県の制度で、市も補助金を出し実施されているが、さらに普及することが必要だ。

   耐震診断・改修補助事業 に関しては、ここをクリック  

  仮称)「子供支援課」に関しては、
  ・ 設置は、すでに検討を始めている。
 
 住宅リフォーム助成制度の新設に関しては、 すでに松本市で実施している「松本市住宅バリアフリー化支援事業」のことが話題になったが、段差の解消などバリアフリー化などだけにとどまらず、住宅改修に関しての助成制度の新設を求めたもの。
  全国では、かなりのところで、効果を挙げている事業だ。

  全国の例は、ここをクリック  (1)   (2
  また、松本市住宅バリアフリー化支援事業 に関しては、ここをクリック (PDF)

  そして、最後の)部分で、 まず予算編成の過程の公開については、

  「財政状況の公開に関してはさらに充実して、行うことを検討したい。」
  「先進地ではやっているので、市長査定後、段階的に 早い段階で市民に、公開していきたい。」
  と、財政部長から答えがあった。

 最後に、私のほうから、懇談を希望している団体との話し合いを改めて提案したことに対し、
  市長からは、 「団体との懇談もやる。」という回答を得た。

  今回の私たちの申し入れで留意した点は、「最後に」という部分で、ただ要望を申し入れるだけでなく、「市民が主役」の立場から、予算編成のあり方そのものに関しても申し入れを行なったことが、今までと違っての質的な変化の部分だ。  

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11月19日(金) 

  本会議での「対面式」質問方式について      


 17日から19日までの3日間、議会運営委員会の視察で、横須賀市、豊橋市、一宮市に行って来た。
 いずれも、議会運営に関することで、

  横須賀市: 議会IT化基本計画
  豊橋市 : 議会改革の最近の取り組み
  一宮市 : 本会議での対面式一問一答方式
    をテーマに視察してきた。

 最終日、一宮市の本会議での対面式一問一答方式。
  一宮市では、すでに昭和30年台から実施しているとのこと。
  議場でいうと、松本市の場合は、議長席の前に演壇があり、市長はじめ理事者と議員はいずれも、傍聴席に向かって発言する。
  それに対し、一宮市の場合は、演壇と議員席の間に、質問席があり、市長はじめ理事者と「対面して」質問回数に制限なく、許された時間内で質問する形式だ。
 ちょうど、国会の衆参予算委員会のように、質問席に議員が座り、最後までその席から質問する形。
 国会の場合は、テレビ中継は、質問者と答弁者のちょうど間から少し斜めだが、カメラで両者を撮影するが、一宮市の場合は、松本市のように傍聴者もカメラからも、市長などの答弁の表情が見えるが、質問者は、最後まで「後ろ姿」という事になる。
 議会事務局担当者の話では、質問者答弁者お互いに表情が見えて、「緊張感が生まれる。」 とのことだった。

 対面式については、私は少し考えることがある。
  そもそも、議場の配置が松本市のようになっているのは、傍聴者に向かっていずれも発言するという事が基本にある。
 傍聴者すなわち市民に向かって発言するというのが大事だ。
  そして、そのことで今日まで来ている。
 確かに、議長席が高いことには、一考を要するが、市民が主人公となれば、対面式でなく、現在の方法のほうがいいのではないかと思う。
  今、松本市でも議会改革のひとつとして、この対面式が検討の対象となっている中での今回の視察だが、一緒に行った期数を重ねた保守系の議員さんとも、市民に向かって発言することの重要性では意見が一致した。

( 横須賀市と豊橋市については、いずれ報告したいと思います。)  

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11月16日(火) 

  12月1日より 青少年の「居場所」開設      


 青少年の放課後や休日の居場所として体育施設及び研修室が開放されることになった。
  本日開催の教育民生委員協議会で報告されたものだが、私たち日本共産党も、本会議でその設置を求めてきた経過がある。
  大歓迎。

 今回の居場所の設置に関しては、中学校6校、高校6校のアンケートの結果からその設置を決め、運営を青少年による企画委員会を組織し、有効利用を図ることになっている。
 
  試行的に、開放日と時間は以下の通り

  (1)体育施設 では、
・中央体育館(Mウイング)
・岡田地区体育館  の2箇所   
  開放日(時間)は、火曜日(午後3時30分〜7時) 日曜日(午後1時30分〜7時) 

  (2)研修室、談話室
・ あがたの森文化会館(2階会議室)  火・水・金(午後3時〜7時) 日(午前9時〜午後5時まで)
・ 勤労者福祉センター(3階図書室)   月・木(午前9時〜7時)

 委員会に報告された文書では、「開放の対象者」は、中学生以上の青少年となっているが、 原則として「中学生以上」であって、小学生も可能という事を質問で確認した。  

  「使用後の整理整頓、戸締り等は、利用者が責任をもって行うとともに、それぞれの 施設の管理員にも開館時に確認をお願いし、施設管理の徹底を図ります。」となっており、 青少年による企画委員会に、その自主性を尊重して任せる形も本当に良い。

  報告があった後、真っ先に、 「居場所は、部活などがある。学校でやればいいことで、いたれりつくせり過ぎと思う。」という発言が、保守系の議員から飛び出した。
  現状を知らない、残念な発言だ。
  それに対して、 「拡大することが望ましい。子どもたちと社会の融和も大切。勇気を持って進めて欲しい。すばらしい第一歩だ。」 と言う発言が、期数を重ねた保守系の議員からだされた。
  こう言っては何だが、救われた感じだった。
 子どもたちの今の現状をよく理解している発言だ。
  反論の必要はなくなった。

  中学生の兄が、不登校で、小学生の弟も、続けて不登校になった例もある。
 「中学生以上」となっている点で質問したのは、そのためだったが、こうした施設、できれば屋外のグランドなども開放し、さらに拡大することを要望し、発言した。

  「自分探し」が出来るために、子どもたちが望むことを大人で出来ることは、何でもしてあげたいと思う。

 それは、学校や親だけの責任でなく、行政の大切な役割だ。  

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11月12日(金) 

  消防力の充足率は、「100%」というが・・・       


 松本広域連合11月定例議会。
  新潟県中越地震の余震が続く中、松本広域消防局の「消防力の充足率」と新潟中越地震での救援、救出活動に関して一般質問した。

 「消防力の充足率」は、阪神淡路大震災の際に、一番大きな問題となった点で、消防車や隊員が少なくて、十分な対応が出来なかったことを教訓に、国が定めた標準的な基準に対する、消防局の体制の整備状況を数字(%)で明らかにしたものだ。
 H7年1月17日の阪神淡路大震災後、最初の2月議会での私の質問に対しては、  国が定めた基準そのものが決して十分ではないにもかかわらず、さらにそれに及ばないのが全国の消防力の整備状況で、松本広域消防局も例外ではなかった。
  以下 H7年の時点での 各種「消防車」の充足率は、次のようになっていた。

 各種車両、国の基準台数、所有台数、そして充足率(=所有台数 / 国の基準台数) の順に

ポンプ車     35台   31台      88%
はしご車      5台    3台      60%
化学車      3台    2台      67%
救助工作車   5台    4台      80%    

  そしてこれらの車両全体に対する 消防職員の充足率は、62.9%だった。  
 (注:救急車に関しては、すでにこの時点で、100%であった。  また現在の保有台数は、13台で10年前と変わらない。)

 あれから約10年。  どうなったのか。
  「人員を除き、いずれも100%です。」との答弁が帰ってきた。

 それは、おかしい。そんなはずはない。
 確かに、人員は増やした経過があるが、消防車両に関しては基本的には増えていないはずだ。
 それなのになんで、100%の充足率になるのか。

  やはりそれには、からくりがあったのだ。

  阪神淡路大震災後、消防力の不足が指摘され、基準の強化方向と、それに基づく、交付税を含めた市町村への財政措置が、もちろん増額される方向で見直しが約束された経過があった。
 そして5年後の2000年1月20付けで、「消防力の基準等の改正」がされた。
ところが、その中身は、強化する方向ではなく、現状に「基準」の方を合わせたものになってしまったのだ。
  何のことはない。  
  10年前と所有台数は変わらなくても、「基準」が切り下げられた結果、松本広域連合の消防力は、基準台数を満たしていることになったのだ。
  分子が増えて充足率が上がったのではなく、分母を減らした結果の100%ということだ。
 まさに、現状に基準を合わせた結果がそのまま現れたに過ぎない。

  議会は、答弁のみを聞けば、実に問題がないように聞こえてしまうが、実際にこれでいいという事になるだろうか。
 この点に関しては、菅谷昭連合長に、見直しを強く要望しておいた。

  「そういうことだったとは、知らなかった。」
 議会後の広域消防局の幹部職員の率直な言葉だったが、これが真相だ。
  尚、人員に関しては、現在でも、「基準」対し、95%の充足率に、まだ6人足りない現状も明らかにされた。

 消防力の不足や、人的体制が不十分のために、助けられるものも助けられなくなるようなことほど、使命と責任をもって、日夜奮闘している消防関係者の皆さんにとって、無念なことはないと思う。
  そして、阪神淡路大震災一番の教訓もその点にあったはずなのに。
  イラクに「人道支援」と言って、自衛隊にあれだけの予算が出せるのに、防災対策になぜ、予算がないのか。
  誰もが感じる矛盾だ。

 ところで、今回の明るいニュースとして、10月27日の皆川憂太ちゃんの救出と、それとの関係で松本広域消防局の果たした役割だ。
  全国の皆さんに大きな感動を与えた救出活動。
  それに関して、全国からは「感動をありがとう」のメールなどがたくさん届いているとのこと。
  それについては、私も知りたかったので、「質問」の形を取り、「答弁」の形で、紹介してもらった。
  本会議では、3つのメールの紹介だけだったが、終わった後さらに加えて紹介があったので、公表したいと思います。

  広域消防局に寄せられたメールは、ここをクリック

 今回、救出できたことも、日頃からの訓練、十分な経験の蓄積、体制があったことがそれを可能としていたはずだ。
 そうした意味でも、消防力、消防体制の充実は、惜しんではならない課題だ。

    追伸) パソコンの操作を誤り、11月分の日誌を消去してしまい、発信が遅れました。
        何とか、日誌帳を頼りに、再現したため、時間がかかってしまいました。  

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11月9日(火) 

  田川河床整備事業費は、「3000万円」で安心できるのか     


 松本市は、毎年2回、地元選出の県議会議員との懇談会を行なっている。
今日は、その懇談項目に関しての協議が、議員全員出席の議員協議会で行われた。

 冒頭、菅谷市長から、今までの形式でなく、意見交換に重点を置いた懇談会に形式を変えたいとの提案があり、懇談会への提出案件の分類も今までのものと変更され、「意見交換を行なうことにより、問題点を共有し、県政の場において施策の推進を図る」ことを明確にした。
  そして、最重要課題に関する意見交換項目は、「災害対策について」の1項目に絞られた。

  災害対策については、先の台風23号に関する被害に対する復旧と防災対策に集中する中身だ。
  その中で、
1、台風23号への対応を教訓とした地震など大規模災害対策について
2、本郷山田沢の災害について
3、県管理の河川 田川水系の災害対策について
  の3項目は、特別に県への要望事項との関連で報告があった。

  実は、昨日(8日)、日本共産党県議団とともに、県に対して、田川水系の河床の掘り下げについて、申し入れを行なってきた経過がある。
 その際、県は、 「すでに9月補正予算で、田川水系の河床整備事業費として、3900万円の補正予算をつけてあります。」との回答があったようだ。
 (私は、都合で参加できなかった。)
  しかし、よく考えてみると果たして、それで、十分なのか疑問が残った。

  9月議会といえば、台風23号がくる前のことだ。
 よって、台風被害の現状との関係での予算措置でないことは誰が考えても明らか。
  しかも、23号の通過による、河川の増水の結果、新たに河床が盛り上がっている。(場所によってはかなり河床が上がっている。)誰が見ても明らかだ。
  当然、新たな現状を確認した上での、対策が必要なはず。
 「9月議会で、すでに補正予算をつけてあります。」ではすまない。

  松本市の県への要望項目の中には、
 
「暫定的にも河床の切り下げの実施」の必要性が記載され、括弧して、(50cmでも1mでも)とかかれていた。
 実際に、3900万円の予算で、では、仮に「50cm」としてどれだけ上流まで河床の切り下げが実現するのか。
  (田川の関係の奈良井川改良事務所関係の予算は、3000万円。残り900万円は、田川水系の上流関係の予算だ。)
  その見通しは、どうなるのか。

  私は建設部に質問したが、その点に関しては、実にあいまいな回答だけだった。
  田川水系の今回の23号台風の被災箇所である、下流から順に、逢初町、豊田町、出川3丁目、竹渕 地点があるが、そのどこまで、今回の3000万で掘り下げができるのかそのことが一番気になることだが、その点での明確な見通しは明らかにされなかった。

  地元県議会議員との懇談会は 11月26日(金)午前10時から行なわれるが、 私からは、是非、そうした具体的な点を明確にして、懇談を行なうこと強く要望した。

 後で、奈良井川改良事務所に、関係者に問い合わせてもらったが、案の定、事業計画の詳細は決まっておらず、改めて、「台風23号」後の河川の状況を再度調査中との返事だけが返ってきたとのこと。

  実効ある対策とその見通しを明らかにしてこそ始めて、住民も安心できる。

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11月8日(月) 

  合併問題での菅谷市長の 「功罪」      


 先月、10月28日に行なわれた臨時議会。
  最後に行なった私の意見のテープ起こしが出来ました。
 全文を公開したいと思います。

 先日の日誌でも書いておきましたが、準備が間に合わない中での発言でした。
  読み返してみると、かなり不十分な点が見られますが、今回は、合併問題でのほぼ最後の意見表明という事になります。
 菅谷市長の合併問題での功と罪をテーマに、新しい材料を加え、展開してみました。
  そして、今日までの到達点と教訓を生かしての今後の松本市政に臨む日本共産党の基本的立場を改めて明らかにしました。

 全文は、ここをクリック

  是非ご覧いただき、ご意見をお待ちしております。

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11月7日(日) 

  「湯たんぽやマメタンこたつがほしい。」     


 ほぼ月に一回開かれる地区委員会の役員会。
  新潟県中越地震の被災者救援のために、「震災ボランティア」に参加したTさん(26歳)から、その体験の報告がありました。

  内容をご紹介します。

  「テレビの報道を見ていたら、とても傍観していられなくなり、10月27日から3泊4日で、長岡市にいってきました。
 長岡に向かう途中、強い余震にあい、車がぐらっと揺れ、突風のように感じました。
 
柏崎から8号線で長岡に入りました。最初の印象は倒れている家はあまりなかったのですが、実際には家の中はガチャガチャで、ひびが入っているところが多いことがわかりました。
 日本共産党の長岡市の全国救援センターに着いて、「直下型地震」というものを初めて体験しました。
  寝ていると下から背中をたたかれる感じで、体験したものでなければわからない恐怖を感じました。
 
しだいに敏感になり、少しでも揺れると恐怖を感じるようになりました。
  車内泊も1日だけやりましたが、少しも疲れがとれず、大変でした。
 「物資届け隊」の一員として、ただ避難所を回っただけでは、「物資は足りています」と言われてしまい、初日はそれで終わってしまいました。
  しかし2日目に入った小千谷市は、長岡とは違い小規模の避難所がたくさんありました。
  なかには、駐車場にブルーシートを張っただけのところもありました。
  「雨対策、湯たんぽやマメタンこたつがほしい」といわれました。
  現地では必要なものがどんどん変わる、いかに迅速に欲しいものをつかみ届けるか、難しい問題だと思いました。
 「物資がぜんぜん来ない、毛布もない、水もない」というところがあり、持っていた物資をすぐに渡し、必要なものは何か聞いて、「明日、必ずまた来るから」と言って別れました。
  翌日再び訪れ、頼まれ、約束したものを届けると本当に感謝されました。
  苦情や愚痴もたくさん寄せられましたが、名前を覚えていてくれて、信頼関係ができたと思いました。
  ボランティアにきてよかったと心の底から実感できました。
  帰りぎわに、「あなたの携帯番号を教えてくれ」と言われたときは、ドキッとしました。
  自分は明日帰らなければならない。自分の任務はボランティアセンターの次の人に責任を持って引き継ぐとしても、自分には帰る家があるが、この人たちは、帰りたくとも帰れないのだ。
  胸が締め付けられるような思いがしました。
 今回のボランティアを通して、苦難あるところ、日本共産党ありの活動に少しは貢献できたかと思います。
  ぜひ、もう一度参加したいと思います。」

 現地は、豪雪地帯。これから長い冬を迎える。
行政による個人補償の実現が急務だ。

 以下は、志位委員長が、現地を視察した後の会見一部ですがご紹介します。

  被災者生活再建支援法は、住宅が全壊の場合で最高300万円、大規模半壊の場合で最高100万円という支援金が出る。
  しかし、この支援金というのは住宅の解体・撤去・整地費などと、当座の生活必需品などへの資金であって、住宅本体の改修とか再建には使えないもの。
  つまり個人財産の補償はしない――この「壁」を打ち破ぶらないと、現実問題として住宅再建の保障はないというのが被災地の実態。
 支援法の対象拡大が必要。 現行の法律は全壊と大規模半壊が対象だが、全壊・半壊と認定されていない一部損壊といわれる家屋でも、実際のダメージは非常に深刻な住宅が多いという。もともと豪雪地帯ということもあって、家のつくりは、柱も丈夫で土台もしっかりしている。
  ですから建物自体は一見、壊れていないように見えるが、ヒビが土台から入って傾いているなど、建てなおすか、大規模な補強をしないと豪雪には耐えられない建物がたいへん多い。
  全壊・半壊だけでなく、一部損壊を含めて支援の対象にすることが求められる。
 そして何よりも、住宅本体の再建への公的支援――個人補償を実現すること、支給額の300万円という上限を引き上げることが必要です。
  所得制限も基本的には取り払って、被災者のすべてにこの支援制度がいきわたるようにすべきです。
  所得制限といっても、所得というのは震災被害によって激変するわけですから、前年の所得を基準にして、これをクリアしないと支援の対象にすらならないというのは、道理に合わない。  

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11月6日(土) 

  包括的に、問題に対処することが重要     


 信州大学経済学部から、車に戻ると、鮮やかな色合いの落ち葉が、フロントガラスいっぱいに溜まっていた。
 長野県体験活動ボランティア活動支援センター、生涯学習推進センター、教育委員会こども支援課主催の 「青少年の社会的自立支援のために」の ボランティアコーディネーター養成講座に参加してきた。
 松本市の市川博美収入役が、パネルディスカッション「青少年の社会的じりつを進めるために」のコーディネーターを勤めるという事にも、正直興味があった。

  9時50分から開会式が行なわれたが、続いて行なわれた基調報告ともいえる宮本みち子千葉大学教育学部教授の「日本の若者は何に直面しているか」の話は、共通点をいくつか確認できるものだった。  

  内閣府が主催する「若者の包括的な自立支援方策に関する検討会」の座長を務める宮本みち子氏は、その検討会に提出した資料も提供しながら、概要25分ほど次のように語った。

 子どもたちの総合的な生きる力の低下している事に関しては、すでに80年代に指摘があったのに、日本では、それに対する「対応」に大きな変化が見られなかった。
  70年代半ば以降、日本社会に競争原理が強く入り込み、子育て、教育でも競争原理が強まったが、子供の力は萎えているのに、その「競争」のレールに乗せる強化は、今までのまま続けられた。
  それが、やっと90年代の終わりごろになって認識されるようになった。
  仕事に就けなくなる青年の増加。500万人に近い若者が仕事に就けない、就かない、そして辞めさせられている。
  そしてその内50万人は引きこもりとなっている。
 こうした時点で、初めて放置できないという認識になった。
  今年、政府は、若年者雇用のために、820億円の予算をつけた。決して少ない金額ではない。
  確かに雇用は重要だが、雇用問題だけでは解決できない。
  こうした子どもたち青年の問題への対処は、包括的でなければならない。

 高度成長期 日本では他の国と比較して、学校から社会への確かなレールがちゃんと敷かれていた。
  それに比べ、欧米では、70年代の終わりからすでにその「レール」がなくなり、早くから青少年問題に取り組んできた。
  日本の場合は、それぞれの方面で、たとえば学校教育、家庭における子育て、などの分野では、保護中心の対応が進められた。
  それは、できるだけ「教育投資」をし、良い学歴から社会に送り出すという形を取った。
  そうゆう意味では、子供が抱えている問題を認識しづらい状況にあった。
 今は、親もリストラに会うなど、そうしたことが出来なくなっている。

  今後は、学校でもない、家庭でもない領域=地域の介在が必要となっている。
  提出した文書は、内閣府の会議用に検討資料として出したものだが、 ヨーロッパでは、すでに80年代から、青少年を支援する政策が取られている。
  EU白書における若者政策の三つの柱は、

 1、 若者の積極的シティズンシップ
     権利と義務を持ち、社会のダイナミックスに参画している状態
  2、 経験分野の拡大と認識
     学校教育段階から さまざまな経験をさせる。
  3、 若者の自律autonomyを促す
    自分で物事を考え、自分で行動考える自己決定できる情報、スキルを与えること。

  の3つが位置づいている。
  こうした3つの柱の方向は、今日のこの企画にかなうものである。
  いろいろな分野から、トータルに横に並べて、検討し合い、その対策が重要である。

  という事で、時間が来てその報告が終わってしまった。

 十分にこなし切れず検討も必要な部分も多かったが、(特にEU白書の部分は、ただそのまま自分のメモを紹介する形になったが、)子どもたちをめぐる問題の原因をひとつのことだけに求めるのではなく、またいろいろな分野からいろいろな組織・団体が、包括的に問題に対処することが必要の強調は、十分納得できるものだった。
  (シティズンシップは、市民権 とか市民運動 を表すようだが、初めて聴いた言葉で正確には調査が必要)

 宮本氏は、長野県生まれ、確か松本市の出身とのこと。
  午後のシンポの中では、
  「これからの対策として何が一番求められているか。」という会場からの質問に対して、

  とにかく子どもたちの声を聞くことが大事、そして、子どもたちを学校教育の場に限らずいろいろなことの運営に参画させることの必要性(主旨)を強調されたが、その点は実に一致するものだった。

  日本共産党も第23回党大会で、この点に関しては、その決議の中の第7章「社会の道義的な危機を克服する国民的対話と運動を」で詳しく展開している。

 是非こちらもご覧ください。
  ここをクリック

 参加者の中では、私の知っている方は数えるほどでしかなく、残念ながら全体の参加者も思ったほどには多くなかった点が残念でした。

  (詳細は、またの機会に展開します。)  

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11月3日(水) 

  街頭で 「新潟中越地震救援募金」 のお願い     


 市民祭の3日。
  午前中は、地元町会の文化祭に顔を出した後、午後は、地区委員会の役員、犬飼市会議員とともに歩行者天国の街に出かけ、6人で、「新潟中越地震救援募金」活動。  
  「ロイネットホテル松本」南 パルコ通りとの交差点(神明町)で、ハンドマイクで訴え、約1時間で、4万円余のご協力をいただきました。

  訴えをはじめると真っ先に子どもたちが財布を取り出しニコニコしながら近づいて来てくれました。
  そして、それこそ「お小遣い募金」をしてくれました。
  財布開いて中身を全額出してくれる子どもたち。
  中学生の男子3人グループ。  
  いったんは通り過ぎましたが、一人が戻ってきて募金してくれ、そしてそれを見ていたもう一人が、財布を持ち出すとさらにもう一人が「俺の分も出しておいてくれ。それ全部出しておいて そのうち半分は俺が出すから」と言って、結局3人全員でカンパしてくれました。

  「小口ですが」「ご苦労様です」と声をかけて協力してくださる方がほとんどでした。
  家族連れの方々も、手をつないだ小さな子供さんが代表して募金箱にお金を入れてくれました。

 1時間ばかり経過した最後には、市民祭スタンプラリーのテーブルにいた役員の方からも、ご協力いただきました。

 皆さんありがとうございました。

 日本共産党は、木島日出夫前衆議院議員を責任者に、長岡市や他に2箇所ある現地救援センターを基点に、りんごや、必要な物資を届けています。
  マスコミでは、避難所に物資は十分足りているとの報道が一部にありますが、現地に行ったボランティアからの報告では、体育館など公的な避難所には確かに「足りている」という状況がありますが、被災した自宅付近の少人数の避難所は、数多くあり、そうした人々にはまだまだ手が届いていないとのことです。

  事務所に帰って数えたところ全部で、39879円。
  「惜しいなー」という事で、参加者の一人が130円を最後に加えて、4万円の大台を超えました。
 皆さん 本当にご協力ありがとうございました。  
  早速現地に届けることにします。  

  仮説住宅の建設が始まるというニュースも伝わってきています。
  阪神・淡路大震災の時は、災害救助法にもとづく仮設住宅を大規模なものを設置し、地域のコミュニティの破壊などの問題点が指摘されていました。
  それに対し、日本共産党の塩川鉄也衆院議員は、地域の住民が支えあってやっていけるよう自宅庭先など住民要望にそった場所への設置を求め、政府から市町村と県が判断してやれば可能との答弁をひきだし、旧広神村(一日から六町村が合併して魚沼市)では、「集落の近くに」など集落(地区)ごとの希望にそって仮設住宅建設を決め、被災者に歓迎されています。

   阪神・淡路大震災の時に、政府がどうしても行なわなかった個人補償を行い、生活再建のために希望者が全員は入れるだけの住宅を確保するのは、政治の責任です。  

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11月2日(火) 

  リヒャルト・ワーグナー作曲  歌劇「ローエングリン」     


 いろいろな楽器があるが、オーケストラの演奏以上に、人の声に勝る感動はないと改めて感じた。
  「オペラは、はまる」といった人がいたが、まさに言い得ている。  
  肉声こそ最高の楽器だ。

  リヒャルト・ワーグナー作曲 歌劇「ローエングリン」 第3幕序曲は、過去に何度かレコードで聞いたことがあったが、DVDではあったが、3幕通して視聴したのははじめてだった。
  やはり感動は、人の気持ちが伝わるという事なのか。  

  話は変わるが、街頭宣伝を行なうときにいつも思うことがある。
  街頭宣伝も、音楽のようにそしてオペラのように伝えられたらいいなということだ。
 力強さも必要なときもあるが、やはり何よりもこちらの思いをどれだけ伝えられるかという点で共通するものがあるのかなと勝手に思っている。  

 オペラに戻る。
 大体オペラの筋書きは、実に単純明快なものだ。
  そして、「ローエングリン」も例外でない。  

  全体の筋書きは、省略するが、今回「決闘とは、何か」、どうゆう歴史があるものなのか私なりきに理解できたように思う。
  (まったく勝手な解釈だとは思うが・・・)

 今まで決闘は、力こそすべてという考え方からのみ来ていると思っていた。  
  力こそ正義。強いものがすべて。という考え方だ。
  ところが、第1幕を見て、もしかすると違うのではないかと思える。

  第1幕で決闘が行なわれる経緯はこうだ。

 ドイツ国王に貴族テルラムントが、エルザ姫が弟を暗殺したと訴える。
  現在ならば、それに対して、審理が行なわれる。
  科学的な捜査を行い、検証して、裁判なども行い、無罪か有罪かの結論が出されるのだが、当時は、そうした真理の探究の手段を持ち合わせない。  
  そこで、どうなるか。  

  以下は、字幕スーパーを断片的だが少し紹介する。

  神の審判を仰ぐしかない
  (どちらが正しいのか)神の裁きにお任せしよう
  生死をかけた戦いで   神は公平に裁く  
  神を信じ おのが力を頼ることなかれ  
  神を信頼し おのが力を頼るな  
  正義の腕に英雄の力を  
  よこしまな腕からは力を奪い取れ  
  人間の知恵の及ばざる今   われらに力を貸したまえ   正義の審判を下したまえ
  正義の腕に力を  
  そしてよこしまな腕から力を奪い取れ  
  人間の知恵の及ばざる今   われわれに力を貸したまえ   正義の審判を下したまえ  
  故に われわれは臆することなし  
  神が決定された勝利によって、勝負がつく。  

  これが、一幕の主要な中身だ。
 そして エルザがすべてを預ける戦士「ローエングリン」と「テルラムント」の戦いは、「ローエングリン」の勝利に終わり、エルザの身の潔白が証明されるというのが1幕の筋書きだが、この決闘はまさに、「人間の知恵の及ばざる今」すべての判断を神に託す「合理的」なやり方としてこのオペラの中では描かれている。

  決闘は、力あるものがすべてではなく、正義の証明のための当時のひとつの手段ではなかったのかという事だ。
  「決闘は、文化」といったら言い過ぎかもしれないが、そうした人間の認識の限界と絶対的な神の存在との関係の中で、真理の探究のための一つの方法だったと解釈すれば理解が出来る。

 オペラを観て、どうも本筋とは違うところに関心が行ってしまっていけないが、人類の歴史を感じた。  

 今回のDVDは知り合いの方からお借りし、早めにお返ししなければならないもので今日は時間をとって観て見たのだが、 指揮はクラウディオ・アバド  ウィーン国立歌劇場管弦楽団、合唱団のもの。
  改めて別の演奏家のDVDがあったら手に入れて、また観てみたいと思った。  

  尚、大変面白いサイトがあったので、ご紹介します。

     ここをクリック    

 一度試しに開いてみてください。    

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11月1日(月) 

  「健康に注意し、元気な時はよく働き、弱っている期間を短く、ピンピンコロリで逝きたい」     


 第40回松本市高齢者クラブ大会が、長野県松本文化会館で開かれた。
  議会教育民生委員会議員の一員として、ご招待を受けて参加させてもらった。

  宮沢正己会長は開会冒頭の挨拶の中で、  
  「高齢者クラブは、健康クラブ。健康づくりこそわがクラブの使命です。」  
  「菅谷市長とともに、元気いっぱいのいいまち、福祉日本一のまちを作りたい」  

  と結んだ。

  「高齢者クラブ」が、「老人クラブ」から、その名称を変えてから久しい。  
  今回は、私も久しぶりの大会参加だった。

 「高齢者の栄養について」と題して、管理栄養士の平出慶子今回の講演は、時間がなく直接そのお話を聞けなかったが、「健康を保つためには」と題された講演のレジュメには、   「健康への感謝 生きることに信念を持つ」   「健康を保つための食事について」など、参考になる中身だ。

  功労者表彰とともに、第19回「高齢者の主張」入選者の発表、表彰も行われた。

  二人の方が、表彰されたが、その中で、第三地区 県町南町会 の赤堀淳さん(77歳) の作品には、新しい松本市づくりを菅谷市長とともにすすめたいという意気込みを感じるものだったので、ご紹介します。

 全文は、ここをクリック  

  とりわけ、以下の部分に、私は真っ先に注目した。

 「第一 今ある施設、設備、制度を有効に最大限利用し、金をかけない。 有力者に陳情し、隣より我が方が優れていると子供のように自慢し喜んでいるようでは社会の将来に明るさがありません。最近の流行語となった、菅谷市長が言う『何でも行政要望依存症』は、議会議員や町会顔役、婦人団体のおばさんたち、その他集団の力で押せば変な民主主義が通る手法を作った市長や市職員にも非があると思います。重症になった原因は選挙で投票した市民にあります。謙虚に反省し改善しなければならないと思います。」

   誰もが
    安心して 生き  
     安心して 老い  
       安心して 病を得  
         安心して 最期を任せられる  
  そんなまちができれば、    
   誰もが   
    生きていて よかった  
      住んでいていて よかった   
        訪れて よかった      
  というまちを感じとれることでしょう。  

  菅谷市長が、今年2月10日に出馬表明したとき発表した 「21世紀の難問解決に向けて   すげのや昭は、こう考えます」の中の一節だ。

  国政では、年金制度の改悪、介護保険料の値上げなどで、くらしを支える一番のベースとなる財政的基盤が危うくされている。
  そして、消費税の引き上げまで計画されている。
  こうした悪政で直撃を受けるのは、やはり高齢者の皆さんだ。  

  本格的な「安心のまちづくり」に向けて、高齢者クラブの皆さんとも力をあわせたい。
  議員団は、11月中には、菅谷市長に「政策予算要求」の提出を考えているが、 事前に高齢者クラブの皆さんとの懇談も実現したい。

  約1000人の皆さんが集まった大会だった。    

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