菅谷)
確認したいのですが、松本と四賀を結ぶ道路のことはどのように考えているのか。
市川)
懐かしいですね、四賀のことは、あの時トンネル問題の四賀の方達と対面する場で、私実は、司会を務めさせていただきました。 あれがテレビに取られていること知らなくて、もう本当に寝不足の目を抱えていて、今日は、ちょっと化粧しましたので、あの時はテレビ放映されることを知らなくて、本当に大変でした。
まだまだ四賀地区の方は、この問題にこだわっていらっしゃいます。 当然なんです。合併をするときに、合併のダイザイ(代財?)としてこの四賀の直結道路があり、合併をするんであれば、トンネルは当然として、受け止めていたからです。
受け止めていたので、合併を推進された菅谷市長さんであれば、自分たちのトンネルは当たり前と考えていました。 ですからあれほどの大変な騒動となりました。
司会していてハラハラどきどき。 自分のどきどきを表に出さないだけで精一杯でした。 この間四賀地区のところに入って、直結道路問題をちょっと口にされる方がありますけれども、多くの方はあれで松本中心部の人たちの信頼を失ってしまったと。
嘆いていらっしゃいます。 私は四賀の方達を輝かせる切るのは、さまざまな方策があると確信しています。 有機の里です。新しいそば粉も作り始めました。温泉もあります。その四賀を輝かせるために、本当にトンネルや直結道路が、必要なのか。それ以外のものなのか。私自身は、全体的な総合計画の中で、四賀だけではなく奈川、安曇、梓川も含めて、考えて行きたいと四賀の方には、お話しております。
菅谷)
市川さんは話が上手だから途中で変えられてしまうが、私は四賀と松本を結ぶ道路を建設する気持ちがあるのかお聞きしている。 かつて一緒に、お願いしてやったわけです。
このときは3役として参加してもらって私どもと一緒にやってきてもらったわけですから、そのときに今のような、返答をされてしまうと。どうもおかしいんじゃないかなと思っているものですから私はあえて、質問した。
私は断念するとしましたが、市川さんもお答えいただきたい。
市川)
中部縦貫道路の問題も同じですが、道路については考えなければならないさまざまなことがあります。 私は残念ながらあの時、ちゃんと道路問題にかかわらせてもらいたいとお願いしたのですが、四賀のことは一緒にかかわらせてもらいいたいとお願いしましたが、司会だけはお任せいただきましたが、本当に仲間に入れていただけなかったと言う経緯がある。
そこで今四賀地区の方々から、あの時はこうだったという資料をたくさんいただいていて、まだまだ勉強不足です。司会はさせていただきましたが、そんなところで、きちんと考えるお時間をいただきたい。ただ、ただ私自身は、あの問題は菅谷市長さんが、作らないと決断された、それを副市長さんが身を張って支えてきたという事実は重く受け止めています。
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