市川博美氏出馬会見 080124 

  みなさまこんにちは。 とってもお久しぶりの方もいますし、初めての方もいます。バンコクまでお電話をかけてくださった記者の方本当にありがとうございました。
 私、このたび松本市長選に出馬の意思を固めた市川博美と申します。よろしくお願いいたします。
  出馬の理由ですが、本当に自分としては、ずっと電子メールのみバンコクに入ってからは多少電話をするようになりましたが、ほとんど電子メールばかりでしたから本当に熱いラブコールを送り続けてくださった方たちにお会いして旅のお話をしたりその方たちの思いを聞くために、ここにきました。
  ただ予定外にマスコミの皆様がたくさんいらっしゃいましたので、私としても少し準備足らずです。正直なところ。
  なので、今日こんな形で記者会見になりましたが、準備足らずのところはまたの機会で追々補わさせていただきたいと思います。許してください。  
  どうして出馬したか。
  何社か新聞記者の方にご質問いただき答えましたが、最大の理由は、このまちをこの松本市を変えたい、こうしたいというそうした市民の方たちからの強い要望がとても多かった。 その熱意に私は共感して決意しました。  
  それが最大の理由です。
 同時にその方たちが、こんな松本市にしたいんだけどそれは市川と一緒に作りたいと言ってくれました。市川と一緒に造って見たいんだと。
  ただ私も未熟者ですから、私自身が持ちえるもの経験はまだまだ足りません。そのことを承知の上で一緒に造って行きたい。そういって下さいましたので今までの人生の中で見てきた一市民として行政の人たちに伝えてきたこと。教員として子供たちに伝えてきたこと。NPOの事務局長として伝えてきたこと。そして本当に短い時間でしたけれども松本市の収入役としても皆様方とお話したり伝えてきたこと。それらを生かして多くの人たちがこんんな松本市にしたいという夢を一緒に実現したいとそう決意して出馬することにしました。

 (政策はこれからということだったのでしたので、ちょっと本質からはずれますけれども、)
                                              以下(記者)
 本質から外れる? どうぞ
 (一点なのですけれど、市川さんは千曲市の生まれと聞いておりますが、よろしいですか。)  
  実は今回に限らず今までもいろんな講演会活動などで、皆さんが出身地はどこかと、うかかって来ますが、出身地というのは、私の生い立ち聞いていただくとわかるのですが、小学校を3,4回転校しているんですね。長野県内に二十歳になるまでは、ずっと長野県内におりましたけれど、小学校も転校しておりますし、高校も転校しました。そんな自分の流転の父の転勤の関係ですけれども、そんなことでどこが出身地かと言われるとほんとに定まった部分がないんです。

 (お生まれは、千曲市でよろしいですか。)  
  生まれたのが、上山田の赤十字病院です。ということで、生まれをお伝えするのが正確と思いまして、  
  (菅谷市も千曲市の出身で、)
  そうですよね。
  (前回の市長選。4年経った今回、いわゆる現市政に批判を唱えるのは、松本の出身じゃなくて、松本のことを良く知らない方々が、市政を担当するのはいかがなものか。という指摘がある。そうした批判が出るかと思うが、)  
  私は、じゃ松本市で生まれて出身ということが話題となって面白いと思うのですが、たとえば松本市の病院で生まれて1年だけ松本市にいられて、あと50年東京にいられた方が松本市の出身という表現もありますよね。
  出身について答えられるかた達、よくわかるんですが、その1年だけ生まれてから居て、50年東京に住まれた方がお分かりになるのかとよくわからないんです。
  多くの方たちは出身地にこだわりますけれども、私自身は自分のふるさとは長野県、自分が住みたいまちは、松本市。ということでお答えさせていただいてよろしいでしょうか。

  (出馬し、勝利が目的と思われますが、)
  全力尽くします。
  (そのためには方策が必要だと思うが、政党、反現職といいますか、いろんな方々が居ますが、そうゆう方々とのお話し合いだとか、市川さんの言うところの協働ですけれども、そうゆうお考えだとか、働きかけるとか、先方からの話を伺うとかそんな心ずもり予定は、)
  私もそうですし、今回私に暑いラブコールをしてくださった方達は、ほとんど選挙については、素人だと思います。
  今日この場を設定した、すべてそれまでの過程を見ていいただいて、多分慣れてないなと思われる方が、いると思うんですね。
  でもそれは、選挙そのものに関心があるのではなくて、市政そのもの関心があるからだこそだとと思います。  
  それで、じゃこれから、そうはいってもこの選挙を乗り切らなければ私が舵取り役をおおせつけられないと、いうことになりますので、この舵取り役を任せていただくまでの過程を選挙をどう乗り切っていくかということを皆さんと一緒に考えて行きたいですし、私はとにかく歩いていろんな場に参加して、多くの人たちが松本市の何を誇りに思い、どんな夢を松本市に持っているかを伺いたい。
  そのためには、政党とか組織とか男性女性年齢そんなものに一切こだわりを持っていません。  
  もっと言ってしまえば、今の菅谷市長でいいじゃないか、また今の菅谷市長がいいという方達ともお話をしたいです。
  どこが菅谷市長のいいところで、ここが気に入っているんだよということで知らせていただきたい。だから専門用語でいうと党派性とか政党とかについては、なにか運動するときは、何もこだわらないし、多分私と一緒に歩んで行く仲間たちも、そんなことは一切こだわらないと思います。  
  一人でも多くの市民の方たち、あるいは、出身者の方達あるいは外の人の意見も聞きたいです。  
  私、外を歩いてきて日本というものを見て、あるいは松本というものを見て、いろいろ感じるものがありました。やっぱり使い古された言葉ですけれど、ティンクグローバル アクトローカル(Think global, Act local) これは身をもって感じています。

 (菅谷市長の下で収入役をやられていて、菅谷市政というものに関してはどんふうに受け止めているか)
  私は菅谷市長さんは、本当に市政そのものというか菅谷市長さんが素晴らしいなと思うことがとてもたくさんありました。
  例えば首長さんの権力がどれくらいあるのかということは今もって私もよく分からないのですが、私がいたとき何回か市長さんだけれどもここは遠慮されている。
  市長さんだけれども普通市長だったら例えば何かのチケット何枚もというふうに独占してそれを支援者の方たちにあげたいということが普通はどこの市長ということではなくて首長としてはよくあるけれども、菅谷市長さんはそういうことはなくって、それはできるだけ多くの人たちに、自分はそんなにいらないと。
  つまり市民の目線で何かの権力、権益を自分のところに引っ張ってこようとなさらなかった。そこは心から尊敬申し上げておりますし、そのことが菅谷市長さんこの4年間ずっと根底にあって、尊敬申し上げてきました。
  市政そのものについては、私が関わっていたとき、私自身が菅谷市長さんが公約に掲げた協働というものを担当させていただきましたけれども、その部分においては私自身が本当に力足らずで、市長さんと手法についてあまりお話しする機会もなかったものですから、なかなか役に立てなかったという意味で、申し訳なく思っていることが多々あります。
  ですが、この1年間、実は海外からパソコンは持ち歩いていまして、私海外に行ってこのパソコンを使いながらびっくりしたんですけど、日本を出るまでは、ワイヤレスインターネット、ワイファイは皆さん使っていらっしゃいますか。
  つまりこの状態でインターネットをキャッチできるシステムですね、成田空港では500円を払うと24時間使えるとか私が出る直前のバンコク、あるいは香港ではまったく無料で空港内でインターネットが無料で使えるワイアレスが普及していることを知りましたし、なおかつですね、私先ほどちょっと言いましたが、安宿を回っていたんですね。ホステルを回っていました。ホステルはドミトリィといって棚になったベッドというところがあるとかですね、合同の部屋があったり個人のシングルの部屋があったり、とっても安いホステルがほとんどがですねワイヤレスインターネットが出来るようになっていたんです。
  しかもブラジルとか先進国とはいえないような国でワイヤレスインターネットがつながっていた。そういうところに行って事あるごとにインターネットにアクセスして、松本市の状況も見せていただきながら、本当に100周年行事が多かったのですけれども、そうゆうものを見て菅谷市長さん本当に100周年がんばっていらっしゃるなと、ちょっと100周年が事業が多くて、びっくりしたのですけれども、市民と一緒にやっていらっしゃるなということは感じていました。

  (今のは評価できる点を中心に言われたと思いますが、一方で足りないと感じる点は。)
  私自身が至らない人間ですので、もう素晴らしい菅谷市長さんの市政を足りないというふうに言える部分があるのかどうかを本当にこの間も自問していましたけれども、1つだけもし敢えてあげさせていただくとすれば、市政の中に市民や一般職員の方とのコミュニケーションという部分を図って様々な情報を自ら直接捉え、発信していくというところで、ちょっと姿勢を組み立てていく中でのものが足りなかったかなという気持ちはします。
  というのは、この間私に熱いラブコールを送ってくださっていた方たちは、顔の見える市政を繰り広げてほしい、私たちの声を聞いてほしい、そしてリーダー市川の思いも直接聴きたいというふうに言ってくださいました。
  おそらくそういった私に熱いメールをくださった方たちはその部分で今の市政に物足りなさを感じていたんじゃないかということを感じた次第です。
  よろしいでしょうか。

 (顔の見える市政をということですか。)
  そうですね。顔が見える市政というのは、捉え方によってはその前の市長さんはとても顔が見えたというふうに聞いていますので、じゃあ前の市長さんかといいますと、またそれとは違う。
  やはり顔が見えるという中身には非常に大きな意味が含まれていますけれども、キャッチボールをしたい。コミュニケーションですね。
  この件に関して考え始めたときに訪れたのがブラジルのクリチバ市というところなんです。その資料はありますか、もしよければお手元配ってあるクリチバ市の私のレポートを読んでいただければと思うんですが、クリチバ市を訪れたときに、いろいろなところを訪れた時に、出来るだけ市役所を訪ねるように足を運ぶようにしました。飛び込みですし、何の肩書きも名詞も持ち得ない人間ですので相手してくださるかなと思いますと大抵市役所の突然飛び込んでも相手をしてくださるんですね。でこうゆうことを聞きたいというと、担当の人がすぐ降りてくださった。
  イギリスのウィンチェスター市もそうだったんですけれども、そうゆうところで話してきたんですが、クリチバ市に入ったときも2人も広報担当が飛んできてくださって、話したときにですね、市長のことを誇るんですね。私たちの自慢の市長ですと。そしてその中身は、本当に職員とも市民とも寸暇を惜しんで忙しい市長だけれども、時間のあるときは、その声を聞きに行く。それは何かのときに挨拶をするというのではなく、聞きに行く、そして対話をして聞き取って、そのときは職員の人も一緒に行くんですが、ご自身の感性で感じられて、話して、また職員と話して、市政につくり上げていく。私たちは今の市長が大好きです。
  なにかちょっとうらやましかったですね。
  そして職員の方ともお話になるんですが、市長は職員もとても大切にしてくださって、お昼、忙しいですけれども自分の体が空いているときは、もういろんな課の職員と話をしている。それは入ってきたばかりの職員も含めてです。
  そういった部分で職員にも顔が見えるし、それからやはり市民も顔が見える。コミュニケーションするということがこれほど職員の方たちに、市長を誇りに持たせるのかというところを見てきましたので、そんな意味で顔が見える市政にしていきたいと思います。

 (市の職員や市民とのコミュニケーションが現市政では欠けているということでよろしいですか。)
  欠けているというふうには言えないと思います。
  (足りない?)
  というのはご存知のように松本市は市政懇談会、「街かどトーク」でしたね、忙しい中で本当に市役所のメイン幹部がみんな集まる街角トークを広めてました。だから欠けているのではないと思います。ただやり方とか手法とかというところ下さっ市長が顔を出してほしいともちがうと思います。ご理解いただけるでしょうか。

 (手法というのは具体的に言いますと)
  そうですね、うーん。あの。
  私自身が、市長が、市長の事がどのくらいですね、エーなんていうんでしょう。こー。間をへて今も、あるていど距離がありますよね。距離は必要ですよね。ここにいらっしゃったら後ろの方が見えないということがありますので、ある程度の距離を保ちながら対話をしていくということが必要だと思うんですけれども、その距離のとり方がどういう距離のとり方だったり、回数だったり、場所だったりというところで、もっと違う方法がおそらくあるんじゃないかなと感じているという意味です。
  (違う方法を具体的に。)
  もし私がということですか? 
 うーん  私でしたら、例えば、自分が関心がある市民の集いには、市長が来ますということではなくて、できるだけラフに出かけて行きたいと思っています。ただそれが可能かどうというのがまだ分からないですね。
  なぜかといいますと市長が出かけていくことで現地の人たちが緊張してしまう、あるいは自分がそこで何気なく発言したことがやはり市全体の問題になるなど、そこらへんはおそらく菅谷市長さんは熟慮を重ねて自分ご自身のここをこうしたほうがいい、出て行かないほうがいいというふうに判断されていたと思いますので。でもできるだけ私自身が直接的な言葉で市民や職員の人と語り合い合いたいと思っています。 具体的な手法がたとえばその、どうゆう場でというのは、これから考えます。

 (取り組みはしているが、結果として顔の見える市長になっていないということで良いですか。足りないということで)
  市民の方の声を聞くと、そういうことだと思います。
  (結果として足りない。)
  足りないというのではなくて、どうなんでしょうね。
  足りないとか欠けているという言葉ではやはり誤解を招くと思いますので、市として職員も努力していますし、例えば菅谷市長さんになって何をされてきたかといえば、市政トークのほかに市民の方たちが時間を決めて30分か1時間ずつ市長室に来て合う時間も取りましたし、いろいろな方法を重ねてはいるんですね。それでもまだやっぱりコミュニケーション、キャッチボールが足りないと感じている市民が多いという事実、それだけを感じています。
  (それは課題だと感じるのですか)
  そうです。
  じゃ私がどうゆうふうにできるかというと、たぶん私だったら違うだろうな。というものを感じていると今はそうゆうふうにお伝えしたいと思うんですが。
  まあ恐らく皆さんは市長さんを前にインタビューなどをたくさんされていますので、菅谷市長さんと私がここに座ったときの対応の違いについても何か違いを感じてくださるんじゃないかと思いますが、それはわからないです。

  (現段階で言える公約、どういう松本市政にしたいか、どういう政策に力を入れたいか)
  うーん。そうですね。今考えられるのは、やはり私に声をあげてきてくださった方たちの、こうゆう松本市にしたいという声です。ただそれに留まるものではないと思っていますので。
  これからですねもっともっと多くの方たちの声を聞いて、こうゆう松本市にしたいという夢を実現してする方法を考えて行きたいというのが、正直なところです。ですから、ほんとにこれから皆さんの声を聞きたいということを前提に聞いていただけるとうれしいのですが、私はいろんな国を回る中で、これからキーワードになるのは環境。環境といっても一言で言ってもいろいろなものがありますよね。自然環境。まず京都議定書の実効の年がいよいよ今年2008年から5ヵ年で始まりますけれども、京都議定書に盛り込まれたCO2削減にかかわる、あの自然環境ですね。オゾン層を破壊するCO2を減らす環境というのがあるでしょう。
  でもそれだけではなくて、教育環境、住環境、経済の環境、それから職場環境。つまり人が何かする、行動したりそこに住んだりするときにその人が一番良い状況で一番心地よく、そこに住んだり行動したり仕事したり発言したりできる環境。そういうものを中心に考えていきたいと思います。
  そしてその環境というのは個別の問題ではない。福祉の環境・経済の環境・教育の環境。どれもみんなひとつの面として出来上がっていると思います。有機的にそれをつなげて作っていきたい。
  たぶん松本市は自然環境も含めて日本一の環境都市になると確信しています。そのために政策として今私の中にあるのは、市民の皆様と専門家の皆様と専門家というのはその分野で活動している市民のグループの方たちだったり、その分野について事業を行っている企業の方だったり、あるいは研究者の方だったり学生だったり、広い意味での専門家方たちだったり、そして行政マンが一緒になって面としての環境、住みやすさ、仕事のしやすさそういったものをつくり上げていきたいと思います。
  つまりなんていったらいいでしょうね、ひとつのシンクタンクといいますか、日本語でうまいものがないので、シンクタンクを日本語でじょうずにいえるといいのですが、なかなか英語を、私はもと英語の教師だったんですけれども、やっぱり英語教師とは行っても出来るだけ日本語を大切にしたいと思っているのですが、そのブレーンが集まってみんなでどうしたらよいかという課題解決を行う場所ですね、そういったものを作り上げていきたい。そこにはテーマ別のワーキンググループ、あるいはプロジェクトチームというものがあると思います。
  そこには市民も先ほど言った専門家、そして行政が入って一緒に作って切磋琢磨して、あるときは衝突し、あるときはもしかしたら火花が散るところもあるでしょうけれども、合意をへながら、ひとつの道を作っていくことをしたいと思います。ひとつがシンクタンクの設置ですね。

 (収入役を辞めた経緯・理由について)
  それはもう3月のときにもお話しましたけれども、地方自治法の改正で収入役というポジションが2007.3.31で終わりました。ただ暫定措置としてそれまで収入役に就任した方々の任期いっぱいは、その方の希望あるいは首長さんの希望で任期いっぱいまで勤められるという経過措置がありましたが、私は松本市の財政を見ていて、やはりあの松本市の財政はある意味とても健全なものであると思います。全国共通の悩みは抱えていてもですね。
  その中で収入役はもういらないんだよと国会の議論を経て要らないんだよと言われた収入役を、その後私の希望で延ばすことはできないと思って、菅谷市長さんにやっぱり人件費もかかりますし、その分をもっと市の別のところに使っていただきたいというふうに申し上げてやめました。

 (辞められた経緯の中で市長との考え方の違いというものはあったのか。)
  それがですね、面白いですよね。どうゆう言葉でしたっけ。「不協和音」でしたっけ。なんかあったですね。言葉の使い方は怖いし、怖いなと思いましたけれども、私が考える、今あのどこの選挙を見ても首長さんたちが協働という言葉を使うので、あまりにも使い古されて、私がここで協働という言葉を使うと、使い古されつつある誤解の協働で書かれることはとても嫌なんですね。
  で私が菅谷市長さんに呼んでいただいて、協働を進めようと思ったときの協働の方向を菅谷市長さんにお話ししましたけれども、その協働の進め方という部分では、菅谷市長さんにご理解していただけなかったところがある部分もありました。
  だけどそれはやっぱり首長として自分はこうありたい、職員がそれとは違うということはよくあることだと思うんですね。
  そんなことはそれほど大きな言葉で取り上げることではぜんぜんないとおもいます。もっと言ってしまえば、私が首長になったときに、私に対してそれは違うんじゃないかと言えない職員の方たちだけでは困るんです。
  やっぱり私が進める方向についてそれは違うのではないかって言ってくれるそういった職員、あるいはそういったブレーンの人たちが本当に必要です。
  という意味でいろんな意見は、申し上げましたし、菅谷市長さんもそのことについては、「それは良いよ」と言ってくださったところもあるし、「それは違うんじゃない」といってくださったところもあると。 ただその違うんじゃないと言って下さったところを大きく取り上げられた方たちが多かったんじゃないか。私は自分に対していろいろ意見をしてくださる方はとても大切にしたいと思っています。
  だから今後、万が一私が何か言ったときにあそこの職員とはちょっと意見が合わないなどと言ったときに、不協和音とかぜひ大袈裟に書かないようにマスコミの方にはしていただきたいんですけれども。
  すいません、僭越ながら、今日資料をお渡しさせていただいた中に、スウェーデンの資料もも。 私はスウェーデンに行ったときにスウェーデンの民主主義はマスコミの方達、ジャーナリズムの方たちによって支えられている。そういった方たちと一緒に市民社会をつくっていくということを明確に高見幸子さんという方が明言されていて、しかも彼女は手にその新聞を持っていました。こういうところに市民の活動が報道され、市民が元気を得て、そしてまた勇気をもってアドボカシーをしたり、社会を変えていくと言ったので、それはマスコミの方とも一緒に街をつくっていきたいと思っています。

 (協働の進め方について、菅谷市長さんと具体的にどうところに考え方が違いがあったのか。)
  うーん、考えの違いー。 違いというかご理解いただけなかったといった部分では、そうですね、協働について菅谷市長さんがお持ちの協働のイメージを聞かせていただきたいと言ったときに、対話の機会をもてなかったということがありました。
  協働っていろいろ誤解されてますので、安易に協働について語ることを避けられた、あの菅谷市長さんはとても慎重な方ですので、慎重の中にそれを避けられたというところはあるとおもいます。
  で私自身が考えると協働というのは、それぞれ違う、これもとっても誤解されるので、うーん。
  この場で、きょうの会見で言うのがふさわしいのかわからないのですが、市民と行政が同じ立場で協働するということについてはちょっと異論があるんですね。でここをこれだけの言葉だけを捉えられると、いろいろ首長さんたちが苦労して市民と協働したいというところを何かこう批判しているように取られちゃうので、本当に嫌なんですけれども、これは私が、協働というのは学者さんたちがいろいろ定義をしていますんで、私が捕らえている協働として聞いていただきたいんです。
  私が捉えている協働というのは異なる意見を持った方たちがお互いに切磋琢磨しあって、そこにはいろんな葛藤が生まれると思いますが、ひとつの目的を共有してそこに向かって進んでいくことだと思うんですね。
  ですから目的は最初に共有する。恐らく目的を共有しないまま協働だ、協働という言葉を当てはめている進まれていることがあるんじゃないかなという気がします。
  目的を共有すればそこに向けて自分は何ができるのか僕は何ができるかということをお互いに持ち寄れるとおもいます。ただ今役割分担という言葉もそこで流行って使いますが、役割分担でもどちらかというと行政が役割を決めてしまっていることが多いんじゃないでしょうか。
  つまり、行政はこれやるよ、市民はこれやってね。というふうに、何か押し付けられているような役割分担の上での協働が、なんていうか進められている。それを協働と捕らえても良いと思うんですよ。だから協働の定義って言うのは様々です。
  本当に皆さん、インターネット開いていただければ、協働についてはいろんな人がいますけれども、私が捉えているのは、協働はひとつの目的に向かってお互いがそれぞれ違う分野で持っている力を持ち寄ってそしてひとつの目標に向かっていくのが協働だと思うますので誰かがあなたの役割はこうよ、私はこれをやるからねと一方的に決める役割分担としての協働は、それは協働でも良いかもしれませんが、私はやるつもりはないということです。
  その上で先ほど申し上げましたところで言うと、市民と行政との協働の場合、何を誤解されるかというと、基本的に行政というのは市民から税金を付託されて行う最大の受託者であると考えています。つまり執行者。
  あくまでも市民は自分たちですべてをやることもできないですし、組織を持っているわけではないですし、税金だったり選挙権だったりして行政、市役所、県も国もみんな同じだと思うんですが、任せますよね、付託しますよね、付託されているわけだから、私たち、行政の人たちはですね、市民が何を願って、なにの夢を持っているかを具現していく役割を持っている。
  ですから自ずから同じ立場でというときの立場というものは平等とはちょっと違うと思う。
  お分かりいただけるでしょうか。
  市民というのは税金を出して行政に付託している、これはあのアメリカや、市民社会を作ってきた方たちと話すとすっきりと話せるんですよ、そうだよねと。だって自分たちは、学校作ろうと思ったけれど、作れないからお金出し合って学校を作るという、やっていくわけですね。 あそこの道路工事だって、自分たちでできるところはやっていたけれど、もっと広い道が欲しいからお金出して、誰かにお願いしようよって行政が出来上がってきた。
  だからこそ、税金というものは自分たちが出すもので、お上に取られるものではない。この税金をつかってやって欲しいと。であれば、やってほしいと付託されたものと市民との距離関係はどういうふうな言葉で表すのが良いか。
  協働という言葉を使ってもその関係のとり方はあくまでも市民から付託されたものであるということだと思います。
  私あのー、言葉はあのー、今日はあまりしゃべるなと言われているんですが、もう一言  だけ。
  あの、どうしても行政マンは使命感が強いので、任せられたお金は自分たちのお財布だというような覚悟で、覚悟ですひとつの覚悟です。市民から付託されたお財布なんだからという覚悟を持っているので、ある市民が来たときに、これはあなたのお金ではないという発言をしやすいんですね。
  つまりなんていうのでしょう。ここにいるのも市民なんだけど、なんとなくこのお財布は自分が持っていて、自分たちが決めるんだよということになっているような気がします。
  でもそれは、市民の方たちと一緒に、市民の方達の代表の議員の方達もいらっしゃる。議員の方たちがその声をやっぱり市に上げたり、議員の方達がこう使ったらどうかということを提案をしていくと、いうような方法も必要だと思います。
  北欧は市議会議員内閣制なんですね。たぶん、私は行って見てすごく唖然としたのは、議員さんの中の最大政党から市長を選ぶんですね。議員さんが部長の役目を担ったり、今の日本の内閣制で、市民から選ばれた議員さんが直接執行に関わったりする。そういう姿を見てきて、それを日本にしたいということではなくて、やはり市民から選ばれ議員さんとも一緒に協働の形を採りながらみんなで街をつくりあげていくという協働の形をつくっていきたい。
  すいません。しゃべればよけいわからないですね。

 (いよいよ元上司の菅谷市長さんと戦うわけですが、その気持ちは。)
  あ、えとー、恐らくですね菅谷市長さんもよりよい松本市を作ろうという気持ちは同じだと思います。
  ですから私は選挙を戦って来てなかったものですから、甘い考えかもしれないが、何かこうより良い市をつくっていくためにお互いに政策を出し合ってこういう政策をこうゆう街を作っていこうという姿勢は、うー もしかしたらライバルかもしれないですけれども、ある意味同士じゃないかと思っているんです。
  というのは、またこれも甘いといわれるかもしれませんが、今回選挙に出馬するということがだんだんだんだん実感として迫ってきましたよね、バンコクで飛行機に乗っているときから緊張してて、今のほうが緊張がとれているんですけれども、そのときに思ったのは、選挙に出る方達は、首長さんだけではないです、議員さんも含めて選挙に出ると決意されている方達は、こんなにも大変な思いをして決断してきたんだな。
  実はゆうべとても親しい松本市の友人から「今だったら間に合うよ」とメールをもらいました。いまだったら間に合う。明日来なければいいんだからと言われました。その人は私のためにメールをくれたんですね。今だったら傷つかずなくてすむ、今だったらあなたは引き返せるんだから。
  私は、その人にメールを送りました。
  今朝もう1回メールが来ました。「まだ間に合うよ」「あずさに乗らなければいいんだから」。多分その人は私の最後の覚悟をなんども確認したんだと思います。そのくらい私自身がですね、私自身が自覚する以上におそらく選挙は大変なものなんと、そういった選挙に立たれてきた今まで臨まれてきた議員の皆様、そして首長選挙に臨まれてきた皆様、当選した方も落選した方も心から、心から敬意を表する。本当に大変な思いをして、自分の人生や家族やいろんなものをかけて決断されてきたんだなということを答えになっているでしょうか。

 (話が長いもんだから、もう少し有権者向けにテレビカメラに向かって、短くていいんで、なぜわたしは市長になるのか、市川さんの思いを端的に。)
  いままで私がそうですね生まれたときからというのはおこがましいですから、私が市民というものを意識してきたときから、市民の方々の力をもう有限無限な力を確認してきました。その市民の方たちと共につくり上げる市政をやりたいと思って。そのひとつの方法を私は示してみたい。それは市民の方たちと一緒に示してみたいと思って立候補しました。

 (波田町との合併問題、または四賀松本直結道路菅谷さん建設断念したわけですが、松本城外堀復元などで市長の判断が求められると思いますが、どのような判断をするつもりか。)
  えとー、私が世界に出る前は、これほど市長というものは大きな決断をし、その責任を負っていくものだということを菅谷市長さんをみていて痛感してましたし、これは大変な仕事だとある意味自分が首長となることはまったくもちろん考えていなかったと思っていました。
  海外を歩いて思ったんですが、それら、それぞれいろんな課題が出てきますが、決しては個別の課題ではない。四賀の問題にせよ、松電のことにしろ、そういったものは先程も言った環境という言葉で面として繋がっている。
  海外にいるとすぐに情報が来ますので、今回松電さんのこともありますよね。そういったものは、おそらく先ほど環境といった言葉で表しましたけれど全部面としてつながっている。
  松本市の大きなビジョンを描く中で、それら個々の個別問題をきちんと見ていきたいと私は思いますし、菅谷市長さんはその都度その都度市民の意見を聞きながら専門家を入れながらご判断なさってきたと私は、理解しています。

  (協働の話の中で、行政が役割を決めて半ば押し付け気味にとあったが、今の松本市についてはどうなのですか。)
  うーん。あのー。私松本市に入る前から松本市の市役所は非常に民度が高いというふうに思っていました。
  それはなぜかというと私自身前の職で講演会活動をたくさんやってまして、松本市の職員の方達に呼ばれて講演会をやったことがあるんですが私の退場する後を追いかけて質問する方達がいるということで、あのーなんていうんですか職員の方たちの民度もとても高いし、それは市民の方達とも話して感じましたし、うーん。
  質問もう一回言っていただけますか。
  (どうして役割分担を決めてと・・)
  はいわかりました。
  えーと今の市のなかで、役割分担を決めて、押し付けがあるかというところについては、とてもは難しいことで、なぜかというとですね。
  市民そのものが行政が決めてほしいという声もいっぱい聞いたからです。ちょっとそこは私が市役所に入ってから、エ!と思ったところです。
  どっちかというと市が押し付けてやっている部分が多いのではないかと思って入ったのですが、もちろんそういう部分もあるんですが、それを望んでいる市民の方達もまた少なくないことは確かなんです。ですからそれは行政の責任とかいう視点ではなくて、行政が役割を決めることを望んでいる方達も多い。
  そうゆう中で行政が役割を決めて協働している部分が多いというふうに捉えていただけますでしょうか。

 (2期目は強いといわれる現職に対して、本当の勝とうとするならば、対抗軸を打ち出すつもりがあるのだろうか。)
  うーん。そうですね。あのー 私が市役所にいたときから菅谷市長さんは2期目出てくださるんだろうか不安の声いっぱいありました。で、私も意見もとめられたこともありますし、一期でよしとするのか菅谷市長さんはもちろん明言されていませんでしたし、わからなかったですね。
  私が、その時に考えていたのは、一期目というのは何もできない。4年間というのは何もできないから2期目でもいいんじゃないですか。2期目に力を発揮されることを期待しましょうということを私も言っていました。
  ところがですね。怒られました。 あのー、クリチバのことが中心になって恐縮なんですが、わかりやすいので出させていただきます。
  クリチバの改革を担った市長さんなんておっしゃったか。
  「街は2年で変えることができる。」
  私は「2年で」と市長さんが言った言葉が、胸に焼き付いているんですが、そしてですね、この間帰国を決意するまでに、ある企業主の社長さんとか会長さんですね、その方からいただいたメールの中に、私メール返したんです、4年ではなかなか前市長さんのこともあってできないこともおありだから、もう1期、やっぱりあのー腕を見るということでお待ちになったらいかがと言ったときに、「あんたは何を甘いことを言っているんだ」と、企業は、2年。企業は企業のリーダーは2年でものにならなかったら、見捨てられるし、社員を養っていけない。
  企業が2年でやろうとしているのに行政は4年しかもプラスもう4年。それができるかどうかわからない4年を待つのかと。実際にもしできなかったら、すいません私の言葉ではないので誤解しないように伝えていただきたいのですが、実際のプラス4年について8年、それで期待して待って良いのか。
  それはあんたが行政的な感覚になっちゃっているせいだよと言われて、唖然としました。
  そうかと。やはりその、2年、できるものは2年でできる。であればその間に4年たって不満を持たれている方たちの思いを私自身が一緒に担わせていただくというのもひとつの道だろうと。
  これは私自身が考えを改めた決意だと受け取っていただければと思います。
  で、対抗軸については、私は収入役になったときに、菅谷市長さんが出馬したときの公約を読ませていただきました。
  この公約に沿って、この菅谷市長さんが一期目に出した公約にそって街をつくっていきたい一緒にと思いました。それができたかどうか。つまりその公約と今の私がこれからつくり上げる公約が同じかどうかをしっかり見極めていただければと思います。
  やっぱり言葉多いですよね。すいません。
  多分テレビのかたが一番困るんですよね。

 (よろしいでしょうか。ありがとうございました。)
  えーとー、ほんとに今日はありがとうございました。私、おそらく松本市の中、まだ松本市の中に住んでいらっしゃらない方も、いろいろんな方も、一緒に作り上げていくという意味では、マスコミの方達も一緒だと思います。
  この松本市にあるいろいろな人たち、組織、きっと手を取り合って、10年20年先の夢を一緒にかなえて行きたいと思います。 選挙、とりあえず仲間と一緒にやっていきます。よろしくお願いします。

以上