平成21年度決算議案に対する意見
日本共産党・しがの風 池田国昭
議案第11号について、4日間の決算特別委員会での審査を踏まえて、意見を申し上げます。
昨年の予算に対する意見の中でも、触れていますが、 健康寿命延伸都市、及び3Kプラン、その中でも妊婦検診14回についての公費負担、介護保険料は、50円ですけれども、この引き下げ、また、社会福祉協議会を窓口とした新しい貸付制度、その中でも生活保護関連の上限15万円の融資は、全国に発信できる中身です。
さらに、足元事業費の拡大と最低落札価格に関連しての入札制度の見直し などなど、評価点をいくつも確認することができます。
私たちのスタンスは、21年度予算案に対しての時と同様、こうした前進面、積極面は、大いに評価することに変わりはありませんが、以下申し上げる点は、ある意味地方自治体の本旨との関係で、いわばその試金石ともいえる内容にかかわるものとして指摘するものです。
いうまでもなく地方自治体の役割は、住民の福祉と暮らしを守る「住民福祉の機関」であることに論を待ちません。
とりわけ、今の経済情勢の中では、その役割は、今までになく大きなものがあります。
まず第一に、歳入との関係で明らかになったのは、税制改定で、高齢者をはじめ今まで収める必要がなかった市民が、今度は税金がかかるようになった、そうした市民が21年度は増えたということと同時に、歳出の部分ではそうした市民に対する新たな負担軽減策がなかったことが明らかになりました。
実に残念な内容でした。
それとの関係での指摘の第2点目は、国民健康保険行政についてです。
今年の引き上げを含め、2年連続の国保税の引き上げ、菅谷市政7年年間に3回の値上げにつながるわけですが、この国保問題は、予算の段階では、出されず、6月補正で提出されたものでした。
先ほども申し上げましたが、年金収入が増えていないのに、所得が増えたように税制の改悪が行われ、益々払えないような負担になっている。
就職できない青年、失業者や保険に入れてもらえない非正規労働者、などが新たに加入者となり、そして、後期高齢者医療制度の発足も加わって、国保財政は、今までになく脆弱なものとなっています。
不況で仕事がない、収入が増えない。そうでなくても負担が重い上に、これ以上の負担増に市民は耐えられるのかという設問は、ずっとこの本会議でも問われてきたことでした。
国保会計の赤字に対してどのように対処するのか。
それとの関係で今回、審査の中でキーワードとなったのは、「受益者負担」と「相互扶助」ということでした。
最終日の市長総括で、菅谷市長は、次のように述べました。
「国保制度は、そもそも受益者負担と相互扶助の原則により運営するものであって、被保険者すべての方に、応分の負担で成り立つ、こういう制度でありまして、ここの基本をはずしますととんでもない」ことになる。
ポイントは、果たして、国民健康保険制度は、相互扶助制度なのでしょうかという点です。
今年の6月議会で、国保税は2年連続の値上げとなったわけですが、その請願の審査の際の、請願者の意見陳述の次の部分は、実に重要です。
「先日私たちは、国保運営協議会と松本市議会を傍聴して、本当にびっくりしました。国保は相互扶助、受益者負担が原則と語られ、それが当たり前と思われていることです。国保法のどこに相互扶助、受益者負担の原則が書かれているのでしょうか。」
この指摘の通り、現在の国保制度、その考え方の到達点は、端的に申し上げて相互扶助制度ではありません。
確かに、この制度の発足当初、旧国保法はその第一条に、
「国民健康保険ハ相扶共済ノ精神に則リ(疾病、負傷、分娩又ハ死亡二関シ保険給付ヲ為(な)スヲ目的トスルモノトス)」
と記されています。
相互扶助ではなくこの、「相扶共済」とは、聞きなれない言葉ですが、時の首相近衛文麿が揮毫(きごう)したこの4文字の額は、有名とのことです。
また、この「相扶共済の碑」も全国各地にあるようです。
「相扶共済」この精神については、この国保法の立案にあたった清水玄(元厚生省局長) は、この言葉の意味は、「国保が他の諸制度以上に、全国民の隣人愛の高揚により、発展すべきものであることを表す言葉」と解説しています。
まさに、「相互扶助」であり、「お互い様、おかげさま」の精神です。
それは戦前の話です。
そして、今回改めて調査し判ったことですが、富国強兵、軍国主義と無関係でなかったことが判りました。
日本の厚生省(現在の厚生労働省)は、1938(昭13)年に発足しました。
そして、この厚生省の初仕事が、国民健康保険の創立でした。 昭和初頭の日本農業はまれにみる大恐慌に襲われ、農民の生活と健康は極限まで荒廃していました。
実は、日本政府は、この国民の健康や生活を省みるのではなく、農村の疲弊が日本の軍隊の兵隊の体力の劣化につながることを恐れ、富国強兵・健民健兵策をすすめるために厚生省を設立し、国保制度をつくったといわれています。
徴兵検査の基準を低めても検査結果の改善はみられませんでした。
それらの改善のため、農村部に被用者同様の医療保険の普及を必要としました、ということです。
戦後、それは、何回にわたる、社会保障制度審議会の勧告を受け、その点は変えられてきたのです。
当時の、国会での会議録を今回初めて調べて見ましたが、
「旧法においてはそういう相互扶助的なものがこの保険の中心をなした思相と思うのです。ところが今度の新法では、やはりそういう経過であったけれども、だんだん市町村財政か難儀になってきた、補助金を出してくれということで補助金を出してきた、こういう経過でしたが、これが相互扶助的なものでなくして、むしろ国か国庫負担金を出して国の責任においてやっていくんだという、いわば社会保障制度の性格というものに切りかえられてきた。そういう点で、きわめて今度の改正は重大な一つの進歩といいますか、転換であったと思うのです。」(昭和33年10月29日-
衆議院 - 社会労働委員会 の会議録)
との発言にもその点を確認することができます。
ところが、松本市議会での議論は、公表されている公式HP上の範囲で確認できるところだけでも、平成5年12月 定例会で、「国民健康保険は相互扶助による社会保障制度で、独立採算、受益者負担が原則となっております。」
という当時の市長以来、旧態以前の答弁が何度も繰り返され、今日まで推移してきました。
そして、そうした経過もあり、H16年の菅谷市政初年度までは、一般会計からのくりいれは一切行われてきませんでした。また、それを市民や私たち会派が求めても拒否されてきた経過があります。
新しい国保法には、その第一条に、 「国民健康保険事業の健全な運営を確保し、もつて社会保障及び国民保健の向上に寄与することを目的とする」として、まず国民健康保険は社会保障として向上させていかねばならないと明記されました。
その上で、「市町村及び特別区が国民健康保険を行う」と市区町村の運営責任を明確にし、合わせて第4条で「国は、国民健康保険事業の運営が健全に行われるようつとめなければならない」と国の責務を明確にしました。
また4条2項では「都道府県は運営の健全化のための指導をしなければならない」と明記されました。
そして、戦前の国保法に書かれていた、「相扶共済」という言葉、「相互扶助の理念」は書き込まれていません。
ここがポイントです。
いわば社会保障として制度に生まれ変わり、その際の政治の責任を明確にしたのが、新しい国保法なのです。
確かに、その政治の責任としての国の責任、その国が責任を放棄していることがいちばんの問題点ですが、国庫支出金を半減したとしても、だからといって、それをそのまま、市民にしわ寄せしてよいものではありません。
このように、社会保障としての国保制度のあり方の根本にかかわることは、決して、総括質疑の中で答弁があったように、「主義主張の違い」ではありません。
この法律の目的にてらしてみるならば、議論は決して平行線とはならない内容です。
民主主義の社会、しかも自由経済の下でも、この新しい法律の原則が、お互いの確認事項の到達点であり、問題となるのは、これだけの負担増に市民は耐えられるのかという点です。
国が、その責任を放棄した中、地方自治体では、その負担の軽減のために、少なくない自治体で、一般会計からの繰り入れを行っていますが、その根拠はこうした制度の理念からのものです。
松本市のその繰り入れは、H16度が初のことですが、長野市などでは、かなり以前から一般会計からの繰り入れを行い、それは、国保会計の4から5%に及び、加入者一人当たり、 H20年度で1万1845円です。
全国には、10%を超えて補てんをしている自治体もいくつもあります。
その中には、収支不足分は、全額一般会計から補てんをし、税の引き上げを回避することをルールとしている自治体もあります。
松本市の場合、2年連続の今年、22年度の場合は、一人当たりは、8281円ですが、この決算の21年度は、4270円です。
実は、H19、20年度と2年間は、繰り入れを行ってきませんでしたが、この繰り入れを始めてからの7年間の平均を見ると、4514円となります。
以前にも指摘しましたが、この繰り入れを継続し、基金につみたてておけば、少なくとも21年度の引き上げは、回避できたはずです。
決算審査の中で、値上げしても、滞納額が増えていることも明らかになりました。
まさに悪循環です。
21年度引き上げで、2億7000万円の増収を見込みましたが、滞納額は1億5000万円増え、累積滞納総額は、とうとう初めて20億円台を超えました。
以上のように歴史的にも、そしてその本来のあり方、理念からしても、そして負担する市民の実態からしても、値上げは避けるべきでした。
地方自治体が、市民の命とくらしを守る最後のセイフティネットとして、その役割が今ほど求められることはありません。
健康寿命延伸都市といえども、こうしたそもそもの市民のくらしの土台なくして、その都市の創造は難しいのではないでしょうか。
国保税の引き上げは、さらに市民の懐を冷やし、内需の縮小を招き、景気回復政策にも逆行するものです。
少し長くなりましたが、以上が国保問題に関する意見です。
さて、次の問題以降は、簡潔に申し上げたいと思います。
3つ目は、新工業団地建設と中小企業産業対策です。
新工業団地建設特別会計に関しては、すでにこの予算案に対する意見の中で、述べてきている経過がありますので詳細は割愛します。
その時点での論点以降、経済情勢でも基本的な変化は見られません。
中央からの企業誘致にかけて、地域の活性化を図る時代は終わりました。
団地が売れ残った時のリスクについては、その後の円高基調の中、「景気が回復する23年度秋」といえない中、その不安は解消できるものではありません。
地域経済の活性化というのであれば、今こそ市内事業所の悉皆調査こそ、必要であることを提案したいと思います。
4つ目点は、家庭ごみの有料化の問題です。
明らかに、有料化検討委員会の検討の過程には、この検討委員会の責任に属さない、行政の反省点があります。
それは、「齟齬(そご)」で済まされることではありません。
総括質疑の中では、改めて、「有料化でなくてもごみは減らせる。」ということと、松本市民は、「進取の精神に富んだ市民」ということが表明されました。
「進取の精神に富んだ市民」というのであれば、周りがやっているからということで、遅れて有料化に踏み出すのではなく、有料化しなくても減量している都市として、全国に発信することこそ、その「進取」という冠に相応しいことではないでしょうか。
事実、松本市の家庭ごみの排出量は、答弁にありましたように、減ってもいるし、全国的にも少ないところに位置しています。
引き続き、全国で有料化せずにごみを減らしている都市の教訓に学び、実効あるごみ減量計画を策定し、市民とともに、力を合わせて、減量化に取り組む、事業所にも協力を求める、そうした姿勢こそ、協働の取り組みとしては重要ではないでしょうか。
この不況時に、新たに市民負担を増やすべきでないという点からも、有料化は避けるべきことも申し添えます。
以上、主要なものを4点述べました。
景気回復、地方経済の活性化といっても、重要なことは、きちっと市民生活の事態に目を向け、市民の暮らしぶりに寄り添う、こんなときこそ、その原点に立ち返ることが必要ではないでしょうか。
先ほども申し上げましたが、こうした議論に、平行線はありません。
市民生活と市の施策との関係の実態を踏まえ、検証を繰り返し、科学的に臨む姿勢を堅持すれば、必ずや、市民のくらしぶりに寄り添った結論が出るものと確信します。
そのことを最後に申し上げ、意見と致します。
以上
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