再び俺を
つくらぬために
前座良明
きれいな空
太陽が ギラギラかがやいている暑い朝
ピカツ と一瞬の閃光
真夏の太陽の数倍も強い光だ
午前八時十五分!!
俺は 被爆者という十字架を背負わされた
家が倒れた
きれいだつた街は火を吹いた
火の中を オバケが走る
男のオバケが 女のオバケが走る
そして 死んだ
牛も馬も犬も 死んだ
土の中で
大空を飛ぶことを夢みていたであろう
せみの幼虫も 死んだ
俺の家も焼けた
オフクロの形見も焼けた
貴重な写真や記録も焼けた
叔父も叔母も従兄弟たちも死んだ
オヤジは原因不明の病気で死んだ
医者は知らなかったが原爆症だったろう
俺はふるさとをうばわれた
アメリカを憎んだ
B二十九を憎んだ
原爆症に
むしばまれ続けた二十一年間
憎しみは消えない
俺の健康をかえせ ヤンキー!!
ベトナムで
同じことをくりかえしているかれら
鬼だ!! 人の皮をかぶった悪魔だ!!
狼のくせに 羊だと言い張るかれら
俺たちは
狼の群から羊を守るのだ
俺はたたかう
俺を ベトナムにつくらぬために
アジヤに世界に俺をつくらぬために
俺の国は俺たちのものだ
彼等の自由にさせるものか
原潜のいない きれいな海
F一〇五の飛ばない すみきった空
ミサイルのない 緑の山
戦車やジープの走らない 静かな街
明るい笑顔がこぼれる あたたかい家庭
俺たちの手で必ずたたかいとるのだ
今も 数多い被爆者は苦しみ続けている
声をあわせて原水爆禁止を叫びながら
なぜ 統一して共に闘えないのだろうか
俺たちを苦しめているのは
いったい誰なのだ
俺はたたかうぞ いつまでも
たたかいぬくぞ いつまでも
息子たちや孫たちに
美しい未来と
しあわせな生涯が
きりひらかれることをねがって
(一九六六年八月)
「長野県原水爆被災者の会」 編
「生き続けて… ― 信州の被爆者は訴える ―」
(一九七一年刊) より
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