平和への願い
 「忘れないで欲しい島の集団自決」

  慶良間諸島は去る太平洋戦争のとき 米軍が最初に上陸した島であります。
  米軍の上陸を予想していなかった住民は それぞれ防空壕を構築して避難をしていました 中には爆撃や艦砲の直撃から逃れるために避難場所を此処彼処とかえる家族もいました
  ところが想像を絶する艦船 航空機をまのあたりに見た住民は米軍の上陸を予感していました
  一九四五年(昭和二〇年)三月二六日の朝のことでした 二・三日前から米軍の艦船は慶良間周辺を埋め尽くし その数は千五・六百隻ともいわれ 船ばしで周辺離島にわたれるほどでした 米軍は激しい空爆と艦砲射撃の援護のもとに水陸両用戦車を前面に戦車を搭載したLCT艇 兵員を搭載したVP及びLCM艇の上陸用舟艇で上陸してきました
  かねてから「米軍につかまったら男は耳や鼻が削がれてローラーの下敷にされる 女は強姦され あげくの果ては殺される」と思いこんでいました このことは同日の米軍の上陸と呼べばとどく にげ場にも限りのある小島 疲労もその頂点に達していましたことから たちまちパニック状態となりました この極限は「カミソリで次々と妻子の首を切りつけていく父親―毒薬が効かず苦しむ幼な子の両足をつかまえ岩や壁に叩きつける父親―乳飲み子を乳房で圧死させる母親―首に綱をまきつけ互いにひっぱりあう親子―おじさん僕は死にたくないよ とにげまどう子供に切りつける等々・・」まさにこの世の光景とは思えない修羅場が展開されたのであります。
  このようにして七百余名の住民の方がなくなりました 慶良間に吹いた鉄の暴風は島の多くの人々を集団自決に追い込み日本民族が民主々義を勝ちとった平和へ その代償としては余りにも大き過ぎました
  かって島には古くから水平線の彼方に神の国があって多くのめぐみをもたらす「ニライ・カナイ」という信仰があります それは十方にひらかれた人類愛の思想で今日なおその根をおろしています
  この島の理不尽な悲劇があったことを永遠に忘れてはならないし また二度とこのようなことがあってはならない これが恒久平和につながることと銘記しなければなりません