ジーコと愛国心教育 永井洋一
子どもとスポーツ (54)
今週、いよいよサッカーのW杯がはじまります。
日本代表がどこまで勝ち進めるのか、日本中の耳目を集めています。
私は、日本代表の成績はもちろんですが、彼らのたたかい方、試合の進め方にも強い関心をもっています。
選手にゆだね
日本代表の監醤ジーコは、前任者トルシエの方法とは百八十度異なるチームづくりを推進してきました。
トルシエはみずから描く概念に選手を押し込める形でチームをつくりましたが、ジーコは基本的な概念を確認するだけで、現場での貝体的な微調整を選手自身に大きくゆだねる方法をとったのです。
選手は当初、ジーコの方法に戸惑いました。なぜなら、多くの週手たちは、監督の指示通り忠実に動く選手こそ良い選手という概念の下で育ってきたからです。
「自分で考えてみろ」「必要と思えぱ互いに話し含え」と言われても、何を考え、どこまで自己主張したらよいのか、見当もつかなかったのです。
ですからチームは、まとまるまでに時間がかかりました。
報道する側にも、「ジーコには型がない」という批判をする向きが多くありました。
トルシエは、「フラットスリー」という戦術を掲げ、守備の選手が相手フォワードの間に開ける距離は3メートル、ボールを奪ってからシュートまでは7秒などと、事細かに「約束事」を決めていました、それに比べてジーコは何も指示しない、もっと決まり事を細かく設定ずべきだという批判です。しかしジーコは、「そうした方法ではこれ以上、進化はない」と、みずからの方法を貫きました。
「型」を求める
ところで、いま国会では教育基本法の改定が論議ざれています。
「愛国心」のあり万を、国が規定するのだそうです。心のあり方に「型」を求めているのですから、おかしな話です。
今さら言うまでもありませんが、心、気持ちといったものは、自然に醸成されていくものです。日本に生まれ、日本の風土に慣れ親しんだ人なら、自然に日本という国にまつわる森羅万象に愛着をもつことでしょう。どんなスポーツであっても、国際試合があれば、それこそ子どもからお年寄りまで、自然に「ニッポン頑張れ」となるはずです。
さらに言うなら、私が不思議に思うのは、「愛国心を法律に盛り込め」と声高に叫んでいる人たちが、本当に日本を愛しているのかということです。本当に日本を愛しているなら、米軍基地などとっくに撤去させ地元の人々に安寧を与えているでしょう。イラクに日本人の自衛隊を派遣したりもしないでしょう。アジア諸国とも、戦争の反省を踏まえ、安定した関係構築に努めていることでしょう。
また、不正に税金を使う一方で、いたずらに国の債務を超過させ続けたりもしないでしょう。
単純には比較できませんが、ジーコの方法を批判し、「チームに確固たる型を導入せよ」と言い続ける人々と、「愛国心を法で規定せよ」と叫んでいる人々には、どこか共通している性質を感じさせます。
それは、みんなが同じ鋳型の中で、同じ方向を向き、同じ考えをもって動いていないと安心できない、という視点です。
今回のW杯で、日本の撰手たちが試合内容に応じてどれだけ自主的に、臨機応変の動きができるかは、ジーコが4年間、日本のサッカー界に問い続けてきたことへの回答になります。同時にそれは、指示された型にはまることではなく、みずからの頭で考え判断することこそ最も大事なのだ、ということを示す意味で、日本のスポーツ界全体のあり方にも大きく影響を与えることになるのではないでしょうか。
日本代表のプレーぶりが、一人ひとりが独自の考えをもっていることが結局は最大公約数として大きな力を生み出す原動力になるのだ、ということ示し、日本の子どもたちに重要なメッセレジを届けることを期待したい。
(スポーツ・ジャーナリスト)
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