式 辞
第12回目をかぞえます松本市平和祈念式典をこのように多くの市民の皆様を始め、ご来賓の皆様のご臨席を賜り挙行できます事に心より御礼を申し上げます。
本日ここに、62回目となります終戦記念日を迎えるにあたり、あの苛烈を極めた戦いの中で祖国を想い家族を案じつつ天上に散り、遠い異郷の地でなくなられた方々、また原子爆弾や空襲の犠牲になられた方々に想いをはせ、心からご冥福をお祈り申しあげます。
わが国は、戦後国民の絶えまぬ努力により不死鳥のごとく廃墟の中から身をもたげ、着実にして安定した復興、あわせて産業経済の飛躍的な進展など目覚しい発展を遂げて参りました。
おりしも松本市は本年、市制施行100周年の節目の年を迎えました。 自然の息吹があふれ、文化の薫り高い中南信の基幹都市として今ある市政の発展を見ましたことは、幾多の苦節悽愴を歩まれ、郷土発展のために尽くされました先人のご努力の賜物であると存知、ここに深く感謝を申し上げるしだいでございます。
私たちは二度と戦争の過ちを犯すまいとの決意を胸に美しい松本の街づくりに努めてまいりました。
又、わが国は、唯一の被爆国として核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてまいりました。
にもかかわらず、世界の各地では、現在も武力紛争や無差別テロが絶えることなく発生しており、加えて核開発疑惑や核保有宣言をした国々の出現などきわめて深刻で憂慮すべき事態が続いております。
さて一方、1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所の事故から21年が経過しました。
私は平成8年より5年半、ベラルーシュ共和国にわたり原発事故で被曝し、甲状腺がんに苦しむ罪なき幼き子どもたちの医療支援活動をしてまいりました。
一昨年の夏にはベラルーシュを再訪問して今尚、後遺症に苦しむ多くの人々の検診活動に当たり、核災害の恐ろしさ悲惨さを改めて目の当たりに致しました。
ベラルーシュの地を訪れ、あらためて思うことは、このかけがえのない地球に生きるすべての人々が命の尊厳を保ち希望にあふれ心豊かに暮らせる社会を実現するためには、再び悲惨な戦争が起こることのないよう核兵器の悲惨さを世界中のどの国よりも認識するわが国は、絶えず核廃絶と平和の尊さを発信し続けていかなければならないということであり、まさに被爆国日本の宿命とも言うべき責任であるということであります。
ご承知の通り本市は、昭和61年9月25日に平和都市宣言を行い、平成8年8月12日には洞沢今朝夫先生製作による平和祈念碑「平和の誓い」を建立し、初めての松本市平和祈念式典を開催いたしました。
以来、市民の皆様による実行委員会手作りの平和祈念式典を毎年8月15日に、この地で開催し、恒久平和を希求し市民の願いを結集してその心からなる思いを歴史に刻んでまいりました。
又毎年、市内の中学生の代表の皆さんが被爆地広島を訪れ8月6日に開催される平和記念式典への参加と被爆者の体験談などを通じ戦争の恐ろしさ、平和の尊さをじかに体験していただいており本日はその皆さんも出席されております。
このところ戦争の風化が何かと危惧される昨今ですが、この平和で豊かな今日においてこそ、改めて行方定まらぬ危うき流れに立ち向かい、過去を謙虚にふりかえり戦争の悲惨さとそこに幾多の尊い犠牲があったことを次の世代に語り継ぎ、しっかりと未来を見つめて参らねばなりません。
本日多くの児童生徒の皆さんにご参加いただいたことは、心強く、まことに意義深いことと思います。
本日これから平和祈念碑に折り鶴が献呈されますが、児童生徒の皆さんをはじめご遺族の方まで年代を超え多くの市民の皆様が平和を願い一羽一羽丹念に折られたものであります。
そうした折り鶴と平和祈念碑を前に、私たちは地道ではあっても平和を志す取り組みを一歩一歩進めて参りますことをあらためてお誓いするものであります。
市制施行100年、この時代の節目に、私たちの歩みの証として、次代を担う子どもたちに確かな平和の足跡を残し、そこに安んずることなく世界恒久平和確立のために平和の糸を紡いで参る所存でございます。
この平和祈念式典をはじめとする平和を願う市民一人一人の行動が、世界の恒久平和と核兵器廃絶の実現に向けて、大きな力となるものと確信しております。
最後になりましたが、本式典の運営に当たられました実行委員会の皆さんに深く敬意を表し、心から感謝を申し上げ式辞といたします。
平成19年8月15日
松本市長 菅谷 昭
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