潮流    (07年1月26日)

 私たちは、子どもを「子供」と書きません。子どもをおとなに従う「お供」とみなすのはおかしい、と考えるからです ▼子どもは、一人ひとり独立した人格をもっています。最近は文部科学省も、言葉づかいでは「子ども」派らしい。「新子どもプラン」といった具合に。子どもの入格を認める考え方は、十八世紀フランスの思想家、ルソーにまでさかのぼれそうです ▼ルソーは、つぎのように説いています。子どもは小さなおとなではなく、独自の感じ方や思考方法をもつ存在で、それを尊重するところに教育の原点がある。約二百年後、彼の子ども観は、「子どもの権利条約」にも生かされました ▼安倍首相がじきじきに設けた教育再生会議の報告は、すべて「子供」と書いています。子どもを息苦しくさせる学校づくり案です。学力向上といって授業時間を延ばし、全国学力テストや学校選択制で競争をあおる ▼授業時間も短く競争を排したフィンランドがなぜ学力世界一なのか、調べた形跡もありません。いじめには、体罰も辞さない。威圧です。「美しい国、日本を目指して」など、首相の口ぐせをちりばめます。百年の計である教育のあり方を、わずか三カ月の密室の話し合いで、ほぼ注文どおりに安倍色でそめあげました ▼報告に対し、「子どもの心を知らないがんこおやじのヒステリー」と、さわやか福祉財団理事長の堀田力さん。筋を通すがんこおやじだけなら、子どもが学ぶ点もあるでしょうが、ヒステリーは混乱のもとです。