六月十五日、第二次全国ストが逐行され、安保共闘に結集する十数万の整然たる国会請願デモがおこなわれているとき、全学連指導部を占拠したニセ「左翼」暴力集団の挑発にまきこまれた学生数干入が国会に突入し、警官隊の凶暴な弾圧によって東大の女子学生樺美智子が殺された。反共右翼団体がトラックを「安保批判の会」の文化人の隊列に後方から突入させる暴挙によって、文化人や劇団員四十数人が重軽傷をおうという事件もおこった。党は.女子学生殺人の責任者である警視庁を糾弾するとともに、「無責任、無反省の岸首相こそ最大の責任者」として岸首相の即時辞職を要求し、この売国的弾圧体制をけしかけているアメリカ帝国主義を糾弾した。同時に党は、安保共闘の「決定に反する分裂と冒険主義をくりかえすことを、民主勢力は黙過すべきではない」とのべ、毅然としてニセ「左翼」暴力集団の挑発活動をきびしく批判し、統一と団結をまもり、いっそう広範な国民を結集してたたかうことを訴えた。 ニセ「左翼」暴力集団は、その組織の一員であった樺の死を利用して反共攻撃をつよめ、祉会党.総評も、第八次統一行動直後の冒険主義非難から転じて、全学連指導部への同調をつよめるなど左右の動揺をくりかえし、一部文化人もこれに同調して日本共産党を批判したが、党はニセ「左翼一暴力集団の冒険主義と分裂活動への原則的批判をつらぬいた。 六〇年安保闘争の三年後、この国会突入が、職業的反共主義者田中清玄の指導のもとで唐牛健太郎、東原吉伸ら当時の全学連指導部を占拠したニセ「左翼」暴力集団のおこなった意図的挑発であったことが明白となった。 このニセ「左翼」暴力集団が田中清玄や小倉警視総監、三井脩公安一課長などと接触して、資金提供や戦術指導までをうけていた事実は、TBSラジオ報道番組「ゆがんだ青春 全 学連闘士その後」〔六三年二月二十六日〕や東原吉伸の手記などであきらかにされ、党の指摘の正しさが実証された。                                                   (日本共産党の50年より)